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わたし、HONDA-VEZEL乗っています

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わたしは昨年まで日産のEXTRAILを発売開始のときに導入してから、
13年間の長きにわたって乗ってきていました。
わが社では、営業車としてクルマが合計7台あるのですが、
それらはどれもがFITで、燃費優先で選択していました。
ただし、そのなかでEXTRAILを1台だけ入れていたのは
積雪寒冷地として、冬期間は日常的に駐車場の積雪整理が必要で
このEXTRAILで圧雪させているということと、
ほかのFITが万一雪道にハマってレスキューしなければならない場合、
パワーのある4躯が不可欠だと言うことでした。
EXTRAILは価格もユーザーフレンドリーであり
基本的には、乗れて機能がしっかりしていればいい、という
わたし自身のクルマに求めるものとしては過不足もなく、
ほぼ満足のいくものでした。
しかし、導入当初と比較して、ガソリン価格の憂うべき高騰は果てしなく
今回、車検時期を控えて、チェンジしたのです。

で、いろいろ検討したのですが、
これから高齢化していくし、もう少しコンパクトなサイズがいい、
できれば「小型車」の範疇の1999cc以下が望ましい。
でも、クルマの機能としては4躯で、前述のような働きは期待したい。
というような条件を設定して選択した結果、
新車のHONDA-VEZELを導入することにした次第です。
先日の青森出張では、函館・木古内までの往復に利用。
走りを確認し、燃費のチェックなども行っています。
北海道での走りがほとんでになるので、
ハイブリッドではなくガソリン車にしました。
まぁ北海道ではハッキリ言って、ハイブリッドはこの手の選択からは
到底、対象にはならないのではないでしょうか。
車体の色も日程の関係で、やむなく黒に落ち着きました。
でも乗っていて、落ち着いた黒はいいかもしれませんね。
燃費については、やはり暖気運転が不可欠なので
カタログ値にはまったく及びませんが、
まぁ、ある意味では想定内に納まっていると思っています。
運転の快適性については、かなり満足感は高いと言えます。
往復で高速道路を利用して、エンジンを鍛えましたが、
反応は、なかなかいいかなぁ、と感じた次第です。
わたしはクルママニアではないのですが、
運転歴は44年なので、それなりの判断力はあるとは思っています。
で、きのうはカミさんのクルマが雪道わだちで立ち往生。
さっそく4躯の性能を試す機会とおっとり刀。
ワイヤーで繋いで牽引しましたが、ホンダの人に言われたとおりの
運転モードにしてゆっくり引っ張ったら、
まったく車輪の空回りなく、一発成功。
2000ccから1600ccになった次第ですが、パワーは同等以上の実感を
確認できました。
こんな感想ですが、なにかの参考になるでしょうか?

青春の旅路を・・・

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先日の青森出張の折に
クルマは、函館ではなく木古内の方が便利だよ、
という知人の方からのアドバイスに従って
木古内駅にクルマを置いて、往復しました。
で、帰り道には海岸道路を函館方面へ走らせました。
途中、高校生の頃に友人たちと訪れた
「トラピスト修道院」があって、前から一度再訪したいと思っていたこともあって
ちょっと寄り道してみました。

高校2年の時だったと思うのですが、
友人たち5〜6人で訪れた想い出の場所。
あんまり観光地化されていないのですが、修道院らしいたたずまいで、
若い感受性には、えらくこころに響いていた。
津軽海峡に面した海岸沿いの「渡島当別」駅を出て
やや曲がりくねった道を抜けると、
修道院までのまっすぐの並木道がくっきりと見はるかせる。
その意志的な風景が、修道院という語感と共に
少年たちに、人生の忘れられないスポットとしてピンナップされた。
平凡パンチやプレイボーイの魅力的な女性たちの写真とは
また違った意味で、少年たちのこころを鷲づかみにした。
そんな原風景的な印象をずっと持ち続けていた。

まぁ、いまは冬場で、長距離のクルマでの行脚なので、
この並木道も一気にクルマで走り抜けてしまうのですが
ずっと上り坂の2kmくらいの「参道」を登り切ると、
そこから修道院本体建物までの急な坂道が200mくらいはある。
少年たちは、元気よくこうした坂道を駆け上がっていった。
いまは、軽く除雪はしてあったけれど、
難渋する雪道で、半ばで息を整えながら(笑)
手すりにつかまって、苦笑しながら上る。
なんともいえない時間差、タイムスリップ感が襲ってきてくれて
その感慨に胸が満たされていく。
修道院に入って振り返った風景が写真の光景です。
今回はあんまり天気が良くなかったけれど
たしか、少年の日にみたときは、まばゆいばかりの陽光で、
並木道の眼下に津軽海峡の海が視界一杯にひろがっていた。

札幌の街とはまた違う、
函館圏の西洋文化の残滓に、少年たちはどんな思いを持ったのか。
いま、思い返してみて、よくわからないけれど、
ある甘美さが、盛り上がってくることは禁じ得ない。
もう一回、来られたことに、感謝したいと思いました。

家紋と社会意識

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家の屋根瓦に家紋を入れるというのは
その家の名家意識を表しているのでしょうか。
写真は、わたしの家系のある家屋屋根に葺かれた瓦家紋。
こういった家紋というような文化が今後とも存続していくものかどうか、
とくに北海道にいると、隔世の感をいだかされます。
しかし、わが家の縁のある菩提寺では、奥の院のような場所も案内され
そこには、由緒ある家のご先祖様たちの位牌が整然と並べられていて
その様式美のようなものに圧倒もされました。
家と個人というものが不可分であり、
国家や地域社会との契約関係の基本が家であった時代と
個人が国家社会と直接的に関係を持っている現代との違いか。
現代世界では、相対的に「家」意識は後退している。
しかし日本人の心性には、
抜けがたく、家を優先させる意識があるのだと思う。
というか、公である国家が異様に肥大化したのが、
第2次世界大戦にまで至った世界の帝国主義時代というものであり、
むしろいまは、そこから社会が離脱しようともがいている状況なのだ。
そのような国家主義の肥大化以前の社会では
こうした「家」意識が、支配的だったのだと思う。
で、これからの社会ではどういった意識が、
と考えていくと、やはり、個人意識の肥大化というのが方向性なのだろうか。
帝国主義の時代を超えて
世界は多国籍企業の時代になって、
国家意識というのは止揚されるかに見えたけれど、
あらたに帝国主義的な膨張意識をもつ全体主義国家が
国家資本主義的な存在として立ち現れつつある。
本当はへきえきさせられるのだけれど、
それへの対応は考えていかなければならない。
なかなか難しい時代になっていると思います。

家紋というようなものも、
歴史的な所産のようで、1300年代ころには成立していなかったとされている。
そうすると、このような時代の変遷の中で
消滅していく文化なのかも知れませんね。

ハセガワやきとり弁当、大好き!

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週半ばに青森に往復してきたのですが、
やはり函館と言えば、わたし的B級グルメNO1のやきとり弁当であります。
今回は函館と言うよりも、北斗市で用事があって
そっちに寄って時間がなくなって、行きには食べることができなかった。
それが悔しくて(笑)、
帰りにようやく念願叶って、ハセガワ上磯店を発見した頃には
食欲がMAX超え。
最近のダイエットも忘れ、食欲のリミッターを完全に破壊。
「大盛り、野菜串+、タレ味」と矢継ぎ早の注文。
大盛りのご飯は350gもあるんですよね、ヤバいんですけど(笑)
もう止まりませんでした。一気です。
ハセガワでは、ごらんのように店のど真ん中に、調理コーナーが鎮座している。
しかも、店内には手作りお弁当ショップや、手作りパン屋さんも併設。
どう見ても、いわゆるコンビニという業態を超えている。

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本州地区のみなさんのために解説すると
このやきとり弁当は、実はブタ串のニセ「やきとり」であります。
どういうワケか、北海道では、やきとりといえばブタ串が多い。
って、あきらかにおかしいのですが、
地域の貧しさの表れとして、すき焼きにブタ肉を使ったりもする北海道、
このあたりの融通無碍さはハンパではない。
室蘭でもやきとりが地域名物になっていますが、
こちらもブタ串であります。
どうも港のある、海辺の地域ではこのようであるようです。
まぁ、食べやすくおいしければ、なんでもいいのですね。
メチャクチャと思う人もいるけれど、
こういった「こだわりのなさ」が、極限的な寒さと共生している地域の
ひとびとの感受性には似合っているともいえる。

っていうことですが、
食べている間は、まったくなにも考えずひたすら平らげる。
今回は、なぜか32円というインスタント味噌汁も付けての
豪華昼飯であります。
あ〜〜、しあわせ、であります。ではでは・・・。

さざんかの冬への憧憬

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わたしは北海道で生まれて、札幌で育った人間です。
家系は、本州中国地方に縁があるとはいえ、
やはり自分自身の心象風景のホームは、凍えた雪原の冬にあります。
でも人生の一時期は関東で過ごしていたので
その冬も体感している。
どちらの冬が、と比べるものではないけれど、
冬への叙情は、どちらにも感じている。
そんな人間ですが、やはりこの時期に本州地域に旅するとき
さざんかの乱舞にこころ癒されます。
寒さに外界が凍えているときに
みごとに花の色を見せてくれていて、元気をくれる
このさざんかに、深く憧憬の念を覚える次第です。
写真は広島県で見掛けたさざんかですが、
芝生は枯れつくし、さらに霜が降っているというのに、
可憐に緑と赤の色合いを見せてくれている。
その凜とした姿に、ひきつけられます。

さて、新しい年も1月半ばを通り過ぎ
仕事がどんどん動き始めてきています。
あちこちと活発に移動、出張するいつもの忙しさに戻っています。
二日間ほど、青森を往復する出張に出ていました。
天気が比較的に良かったので
新しくしたクルマの走行ぶりの確認も含めて函館までは
汽車を使わずに往復しました。
北海道とは湿度の違う雪景色もまた、いい。
一方で、きのうの帰りには、長万部付近高速道路では
ホワイトアウトのブリザードの雪景色もふたたび遭遇。
前方約50mくらいのクルマのテールランプも見えなくなる状況。
慣れない車内で忙しく前面ガラスの霜取りスイッチを確認したりするのですが
そのほんの一瞬でも気が抜けないような厳しい冬。
まことに男性的で、凶暴な冬が顔を見せてくる。
しかし、そこを抜けてからは
やさしい雪原のなかを疾走するようなここちよさもある。
日本人の花鳥風月、ほんとうにビッグバンしていることを
強く実感させられます(笑)。

MacBook2007のHD換装

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わたしはMac使いです。
他の機械はまったく、からきしどうでもいい方なんですが、
ことパソコン、Macについては、それなりに執着心がある。
中小零細地方出版社として、DTP環境の社内構築をずっとやってきて、
これに対してトップが逃げの姿勢であったり、
誰かに任せる、という姿勢では絶対にダメだと深く信じ込んできていて、
そのように自分の考え方にも、強い方向性を与え続けてきたのかも知れません。
そうしないと、最重要の設備投資についての
手応えのある判断基準を持てない、と思ってやってきた次第です。
1993年くらいからはじめて来ているので、
いまではもう20年近く経過してきている。
その間、なんとか世間の進化の状況をそれなりに理解し
きちんとか、どうかは疑問だけれど、まがりなりにも
なんとか、ついてこられていると思います。
なんですが、
Macの会社も機械をどんどん新しくしてきて
買い換えの需要を刺激し続けたりしてくる。
それに付き合っていたら、なんのために仕事をしているのか、
まるでAppleにこき使われる日本のメーカーと変わりなくなってしまう。
こちらとしては、適度に時代に付き合いつつ、
レガシーな部分も適時メンテナンスを欠かさずに
「長く使い続ける」工夫を凝らしていかなければならない。

まぁ、前置きが長いなぁ(笑)
ようするに、いまや7年という長きにわたって働いてくれたマシンを
延命再生利用したと言うことであります。
くだんのマシンのHDが2〜3日前、やや不審な音をさせていて
しかも、正常終了ができていなかった。
で、その後立ち上げても、デスクトップにたどり着けなかった。
そこでshift+起動させてみたら(セーフモード)起動できた。
そこで、システム側で応急修復をしていた。
そのあと、Diskユーティリティできちんとした修復も図ったけれど、
まぁどう考えてもHDが寿命であることはあきらか。
なので、写真のセット、HDの新品、MacBookの内部換装に必要な
精密ドライバー、臨時的に使用する外付けHDの容器を用意。
既存のHDの全データを、移行させるフリーソフトを使って外付け容器に入れた
新品のHDに全部移管。
その後、本体のHDと外付けのHDを入れ替え作業。
一番の難所は、データの移管に時間がかかる点ですが、
今回は、データが比較的に小さかったので、数時間で
(寝ていたので良く時間はわからなかった)終了できました。
こういった換装の情報は、ほとんどインターネットで見ることができるので、
それらを参考にしながら、約1時間のプロセスで換装に成功。
その後、HDを再度ディスクチェックしてメンテナンス。
いまは、起動も終了のサクサクと、元気いっぱいの姿を見せております。
データ類も問題はない模様。
ということで、久しぶりにMacメンテナンス作業にかかっておりました。
忘れない時期にこういった機会が再発するのがMacのいいところ(笑)。
だなぁと、メーカーとしてのツボを見る思いであります。

尾道の光芒

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尾道という街は、最近、よく意識するようになった。
北海道にいて、こうした瀬戸内海世界の街には、縁がないけれど、
たまたま家系に縁があったことで、
訪れる機会に恵まれたのですね。
で、いろいろ探訪していると、日本の社会が変化してきた様子が見えてくる。
尾道という街は、江戸時代の末期には
広島県の県庁をここに置くかどうかと迷ったと言うほど
経済の中心都市であったそうです。
江戸期の活発な国内貿易のメイン通路として
経済の中心地、大阪への流通の要衝として
主要な地勢的な位置を占めていた。
江戸期は、一方で武士による支配が行われていたけれど、
かれらには、経済の運営思想がほとんどなく、
ひたすら農本主義にしがみついていただけで、
実質的な経済運営は、さまざまな階層の商人、農民によって
担われていた社会だった。
幕藩体制の幕府にしろ、各藩にしろ、いずれも経済的には破綻して
莫大な財政赤字を累積させていた。
江戸幕府に経済テクノラートが育たず、江戸末期には
非常に不平等な諸外国との貿易条件がまかり通っていて、
国富が毀損し、社会は超インフレに見舞われていた。
基本的に財政の破綻によって、政権は立ち行かなくなっていた。
「一揆」は多発していた。1866年の71件が年間発生の最大だというが、
今日の社会とは、考えられないほどの隔世ぶり。
現代の社会ではストライキすらほとんど耳にしなくなって久しい。
やはり、民主主義によって、日本は大きく進歩発展したのだ。

しかし、そういう時代でも
この尾道のように繁栄を謳歌した地域はあった。
街で、そういった商家の富裕ぶりを感じさせるのは
山側地域の旧別荘街の趣を見せている街並み。
寺の数も多いのは、それだけ「寄進」できる富裕層がいたということ。
そういった坂の街の旧市街は、
いま、崩壊寸前の邸宅が朽ちるがままに放置されている。
日本という国の経済の構造がまったく変わっていく中で、
そういった流れから無縁になっていって、
こういった光景が広がっていっているのですね。
もって瞑すべし、という実感が迫ってきます。

明治政府・廃藩置県の経済学

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きのうの続きであります。
明治新政府は、やはり「革命政権」であった、とされる意味が
この「廃藩置県」政策推進に大きくあらわれていると思います。
とくにその経済的な側面を見ていて、驚くのは
江戸から続いていた各藩の「借金」を一括棒引きにした荒っぽさ。
以下、Wikipediaからの抜粋。

旧藩債務の問題
新政府は旧藩の債務を3種類に分割した。
1 明治元年(1868年)以後の債務については、公債を交付し
その元金を3年間据え置いた上で年4%の利息で25年賦にて
新政府が責任をもって返済する。
2 弘化年間(1844年~1847年)以後の債務は、
無利息公債を交付して50年賦で返済する。
3 そして天保年間(1830年~1843年)以前の債務については、
江戸幕府が天保14年(1843年)に棄捐令を発令したことを理由に、
一切これを継承せずに無効とする(事実上の徳政令)というものであった。
(なお新政府は朝敵・江戸幕府による債務は発生時期を問わず一切の債務引受を拒絶。別枠処理された外国債分を除いて全て無効とされた)

という革命政権としての、恐ろしく圧倒的な恣意性を発揮して、
前政権からの経済問題を「解決」した、ということです。
これでは、それまで社会を支えてきた経済運営主体にとっては
たまらない事態であるには間違いはない。
そういうことから、以下のような状況が引き起こされた。(引用続く)

だが債務の大半、特に大名貸の大半は
天保以前からの債務が繰り延べられて来たものであり
貸し手の商人達から見れば大名貸は
一種の不良債権であり返って来る見込みは薄くても
名目上は資産として認められ、また社会的な地位ともなりえたが
この処分によってその全てが貸し倒れ状態になり
商人の中にはそのまま破産に追い込まれる者も続出した。
特にこうした商人が続出した大阪(大坂から改称)は
経済的に大打撃を受けて、日本経済の中心的地位から
転落する要因となったのである。
旧藩主やその家臣はこれらの債務に関してその全てを免責された上、
その中には直前に藩札を増刷して債務として届け出て
私腹を肥やした者もいたと言われている。(以上、引用終わり)

まぁ、すさまじい。
こういった社会状況下では、経済運営者側にはどんな事態も起こり得る。
社会騒乱は、こうして惹起して
わが家系が生きていた福山藩今津領では、
大規模な焼き討ち事件が起こってしまったということのようです。
どんな国でも、こういったことは起こり続けてきたのが
歴史の本当の姿なのだろうと思います。

生きがたき不条理にいのちを繋ぐ

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歴史が好きだったりすると
過去の社会についての想像力のよすがを求めて
現代社会をアナロジーすることになりますね。
こういうときに、いまのわれわれならこう考えるけれど、
昔の人は・・・っていうふうに。
しかし、現代という社会は、過去のどんな体制の社会とも大きな違いがある。
それは大衆化状況の進展とでもいえることでしょう。
で、実際に起こったことには、
ある種の制約がかかって、こういう風になったのだと理解出来るようになる。
そのうちの最大のものは、やはり社会構造が全然違うということ。
現代のように権力機構に「民主主義」原則が働き、
法律で意識も支配され、マスコミで「意見」も支配されているのとは、
大きく状況が違って、やはりナマの権力の存在感が大きい。
ひとが成功を収めたいと考えたら、
非合理な社会の中である、ということへの理解が必要なんですね。
キャップが閉じられていて
その枠内でしか、生きていくことができない社会。
そのなかで成功したいと考えれば、非合理性を受け入れるしかない。

わが家系は、明治4年に動乱の時代の中で
焼き討ち事件に遭遇しています。
そこから立ち直るのは大変だったようで、
結局、明治の末年に一家を挙げて
祖父は北海道への移住を決断している。
で、この明治4年の社会動乱というのは、廃藩置県に伴うもので、
武士階級が解体させられる危機感から、
当時の藩の武士たちによって教唆され、実行された動乱のようなのです。
大名たちは、東京に家屋敷を補償され、
華族としての待遇も補償されたので、
抱え続けた「家臣団」への給付義務から解放され
むしろこうした新政府の方針を歓迎したというのですが、
それ以下の武士たちは、廃藩置県によって多くは路頭に迷わざるを得ない。
やがて西南戦争に引き継がれる武士層の反乱の嚆矢だったといえるのです。
そういった環境の中で引き起こされた旧幕府体制のなかでの
経済権益層への集団的略奪のターゲットになったということ。
そのような、それまでの行政や裁判管轄も持った層による「乱」なので、
その被害を被る側は、たまったものではない。
泥棒と裁判官が一体のような状況の中では
被害申告先も見当がつかないだろうし、
当然のように証拠もないだろう。
また、それまで「お世話」になった階級からの背中からの襲撃なので
対処のしようも、考え付けなかっただろう。
江戸期の社会の中での成功を求めて
そのなかでの常識的な生き方を一生懸命に生きたのでしょうが
まことに不条理な困難を背負い込んでしまった。

歴史の中を生きてくると言うのは、
まことに過酷な条件の部分があると思わざるを得ませんね。
しかし、そのような状況を知ることが出来たのは、
顧みて、どう生きていくべきか、
深く考えるよすがにはなると思います。

オンデマンドプリンターを導入

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この度、わたしどもの会社では
ゼロックス社製・最新鋭のオンデマンドプリンターを導入することに致しました。
ってなに??  というみなさんのためにご説明すると
簡単に言えば、小部数の印刷物については、
出版社自社で全工程を賄ってしまえる機械設備をしたということです。
これまでは印刷工程はついては、すべて外注だったのですが、
これからは、その分安価でご提供できる可能性が広がったのです。

当社では、ご存知のように住宅雑誌を作っていて
当然のようにDTPでデータを制作しております。
制作に当たっては、中小零細出版のメリットを活かして、
小回りの利くプロセスで、取引先のオリジナル表現が生み出されてくる次第。
住宅雑誌を飾る紙面原稿、さらに各種のWEB用データなど。
そのプロセスでたくさんの写真データ、
DTPデータの蓄積が発生してきます。
そういったデータ資産をもっと活用していただきやすくすることが
可能になったのです。
地方の出版元として、地域の建築の作り手の作品を
高品質な表現手法で残し続けていく必要性があります。
それは表現物として世の中に伝えると共に
同時に地域の製造業の証言者として、
貴重な作品データを残していくことにも繋がります。
住宅建築が、地域の大切な「生活文化」の主要部分を構成するということに
わたしたちは、気付いています。

最近は、現代の住宅についての
その「流れ」のデータの必要性が高まっています。
地域で活躍したビルダーや、建築家の住宅における事跡について
わたしどものメディアで発表されたものは数多く、
そういったデータについて、
リクエストされるケースが増えてきています。
さらに現代の北海道での高性能な住宅について発展の流れが
その各個の住宅についての資産データも、
わたしどもは大量に時系列的に保存保管しています。
当社が保存している住宅データは、年間の取材数が200から300近くに及び、
それが26年間継続してきているので、
少なめに見積もっても5,000から、実際は10,000軒に近い
これらの貴重な資産を、有用で低廉な費用で
活用していただける、生産体制が整ったワケです。
興味を持っていただけたみなさんは、ぜひご一報ください。
札促社札幌本社 電話 011-641-7855までお気軽に。

ということで、本日はプレスリリース的な発表でした(笑)。
明日から、また本来路線でのブログを書きますので、よろしく。