
わが家では1階の暖房にはエアコンを使っております。
1階は事務所兼用住宅として建てた1991年から事務所専用スペースでした。
で、スタッフの拡大とパソコンでのDTPの導入に伴って
夏場の過熱対策として、エアコンを冷房用として入れたのです。
約10坪ほどの場所に5人くらいがいて、
パソコンが5〜6台、さらにプリンターなどの光熱発生装置が集中したので
その過熱を抑える必要が生じたのですね。
ただ、導入はやや遅れて5年後1996年でした。
で、その後、2002年には増大するスタッフにスペースが追いつかなくなり
やむなく事務所を別に新築して移転させました。
事務所が移転してからは、専用住宅となったのですが、
広すぎて、1階はほとんど利用していない状態でした。
しかしそれももったいないので、3年ほど前から
わたしが、この10坪ほどの旧事務所の一角を書斎として
第2事務所兼用で使用しはじめた次第です。
暖房は、わが家は灯油式セントラル温水循環方式の床暖房ですが
灯油の高騰もあって、もともとあったエアコンで暖房しようと考えたのです。
それ以来、主に暖房としてずっと使ってきましたが
今年の冬に、やや挙動不審な動作をしていて、一時期使えなくなりました。
まぁ、導入からは18年が経っているので、寿命ですね。
だましだまし使っていたのですが、
やはり冬の暖房に利用しているので
万が一、おシャカになったら不安と言うことで入れ替えることにしたものです。
事務所に入れたものも1台おシャカっていたので
あわせてきのう、その入れ替え工事が行われました。
しばらく建築駆体の状況確認していなかったし、
その確認の意味もあって、立ち会っておりました。
写真は自宅の壁にエアコンの穴を開ける作業の様子です。
15cmほどのブロック+50mmの断熱材スタイロフォーム+通気層+外壁鋼板。
都合、250mmほどの壁厚に穴を開けていく。
専用のドリルを使って工事していましたが、時間にして2時間超。
ブロックの中空部にはモルタルセメントも封入されているので
頑丈さはハンパではない。
その先の断熱材も劣化は見られず、建築後23年経っていますが、
駆体はまったく問題がありませんでした。
これは間違いなくわたしの寿命をはるかに超える頑丈さ。
やはり建築計画の時に優先した長寿命ということが実証されました。
問題が発生するとすれば、木造で作られている屋根などの継ぎ足し部分。
しかしそうだとしても、軽微な追加工事で延命させることが可能。
構造点検は安心できるものでした。
エアコンは18年前とは規格が変わっていて
寸法が違ったので、既存の穴は使用できなかったのです。
使用済みの穴は、樹脂でふさいで中空部には吹き付け断熱処理。
という次第で、無事わが家の入れ替え工事は完了できました。
しかし、単なる設備入れ替え工事ですが
なかなか大変だと実感させられました。
Posted on 6月 17th, 2014 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅取材&ウラ話 | No Comments »

きのうの「上時国家」の内部の様子です。
江戸時代末期のこの家の様子が保存されているということ。
「上」「下」というように「時国家」は2家に分かれていますが、
この分離には、江戸期の複雑な政治状況が反映されているようで、
そうした支配構造の変化に柔軟に対応できるだけの「情報力まで含めた実力で、
この家は生き延び続けてきたようなのです。
経済については、ひたすら農本主義を貫徹して
大きく隆盛する商品経済・資本主義に対して否定的な態度を取り続けた
江戸幕府政権は、地方の「庄屋」や国内交易を支えた商人たちを経済主体にして、
それに乗っかっていただけの存在のように思われます。
平家に出自を持つこの時国家も、そうした地域経済の運営者であったようで、
地域の中での「公共」をも担う家だったようです。
写真には、高い位置に「駕籠」が納められています。
家の当主なりが使うためと言うよりは
公共的な利便として、用意しているという印象を持ちました。
今日で言えば、新幹線のような交通手段として、
貴人・公人のための用意を、このような庄屋層がしていたと推定される。
2層吹き抜けの大土間空間にそんな残照を感じました。
そしてこのような富貴は
やはり北前船交易によってもたらされたと思われます。
江戸幕府政権によって
大きさや構造について船の進化は制限されている中で、
不可欠になっていった商品交易の拡大は、その資源供給基地になった
北海道蝦夷地との北前船が大きな経済動力になっていた。
農本主義による、ひたすら土地への課税収奪だけしか見なかった政権に対して
賄賂などの手段を活用して生き延び続けてきたのでしょうね。
しかしそれにしても、
平安時代の終末期から、鎌倉・室町・戦国・安土桃山・江戸と、
変遷し続ける時代変化の中で、柔軟に対応し続けた時国家には驚きます。
さらには、昭和を代表するロッキード事件の裁判長は
この時国家が輩出したのだそうです。
名門としての矜持が、その背骨にあったのかも知れません。
生き延びるという魂魄において、
「家」というものに、並々ならぬものを感じざるを得ません。
そういう意味で、家を取材しつつ歴史を感受する
わたし自身のスタンスに、エネルギーをいただいた気がしました。
Posted on 6月 16th, 2014 by 三木 奎吾
Filed under: 日本社会・文化研究 | No Comments »

ワールドカップ初戦、残念でしたね。
でも、希望を捨てずにがんばれ、ニッポン!
時国家、という存在は網野善彦さんという歴史家によって
大きく知られるところとなった古民家。
わたしもその口で、網野さんの記念碑的な調査活動報告によって知った次第。
それは、日本の「百姓」という徳川身分制社会において常用された言葉が
一般的に「農民」と解釈されてきたことを覆して
言葉そのまま、種々様々な職業民すべてを表現している言葉だと
再発見させた、民俗学的なマイルストーンになった調査でした。
農業生産力のけっして高くない能登北部の地に置いて
江戸期に200人ほどの人口を支えていたと言われるこの「時国家」は
今日で言えば、総合商社的経済活動で生き延びてきたそうです。
そのなかには、「農」ももちろんあったけれど、
北前船の投資活動や、漁業活動などあらゆる「経済民」が
「百姓」という言葉で集約されていた。
その調査で、江戸期における経済活動の活発さが生き生きと活写されたのです。
そういうことだったので、北陸を訪れてなによりもこの「時国家」を見たかった。
それは民家研究という、わたし本来のライフワークとも符合する。
ということで行ってみたのですが、
やはり現地に行ってみると、いろいろな情報がわかってくる。
わたしの先入観は、前述したようなことだったのですが、
実際に来てみたら、この時国家は、
なんと平氏の大有力者・平時忠の子孫だそうなのです。
そこまで調べてはいなかったので、ちょっとびっくり。
源平騒乱の時代に関東方に捕らえられて、
この能登半島の北端に流刑になって、そこから幾多の時代を
かいくぐって生き延びてきた家だそうなのです。
その一族の中で、もっとも栄えてきたのがこの時国家。
時忠の1子の時国を先祖とする家で、平家を名乗るのをはばかって
名前の「時国」を姓として生きてきたのだそうです。
900年という時間を経て、この家系は生き延びてきたワケですね。
それも江戸期には北前船交易で巨万の富を築いていたというあたり、
さすがに海上交易利権、商業重視だった平家の末裔を感じさせる。
そう考えると、流刑地として能登の北端・珠洲が選ばれたというのも
鎌倉との交渉の結果として考えれば、
かなりいい選択を勝ち取っていたとも言える。
珠洲は、国際交易ネットワークのなかでも名前が出てくるような地域。
流刑の中では、比較的に恵まれていたとも言えるかも知れない。
権力を握った源氏嫡流のその後の推移を見ても
家系の浮沈というのは、
いっときの栄枯盛衰だけでは計れないものがあるのだと思わされました。
Posted on 6月 15th, 2014 by 三木 奎吾
Filed under: 歴史探訪 | No Comments »

棚田、という日本語の名詞がありますが、
北海道ではこの普遍的名称は通用しない。
というか、北海道ではお目にかかるようなことがない。
いまでこそコメの品種改良が進み、温暖化の影響もあってか、米作適地になったけれど、
歴史的にはもっとも条件のいい土地でも米作は困難だった。
当然のように、アメリカ農業人であったケプロンさんは
北海道開拓の指針・方針を検討するに当たって、米作をまずはじめに断念させた。
というような歴史的経緯があります。
だから、わざわざ土木工事をかけてまで悪条件の土地で田んぼを造作する
というような発想を持たなかったのが北海道農業。
なのでこの写真のような光景は、まず北海道ではありえない。
能登半島という地域は、
京都に対する「北国」としての越前地域の中でも
もっとも「北辺」に位置する地域のようです。
というようなことは、来てみてはじめて理解出来た。
越前というのは、「越」「高志」の国の中で都に一番近い地方、という意味でしょうが
その越前国のなかで、能登地域は発展が遅れた。
行ってみてはじめてわかったけれど、
能登の西海岸地域は季節風もきびしく、
農耕適地がほとんどなくて、
海岸線はこの写真のような急角度で海に落ちているような地形。
そういった地形のなかでも、なんとかコメを作ろうという
ヤマト朝廷的というのか、日本人的というのか
そういった強い民族的意識が、このような農業土木を決意させ
営々たる努力を注ぎ込ませてきた。
並々ならぬ歴史的な意志をそこに見る思いがして
なにやら神々しさも感じざるを得ない。
海岸線でのこのような地形はとくに、この列島に生きてきたひとの
「岬」などへの信仰ともあいまって、そんな意識を強く感じさせるものかも知れません。
東北仙台を起点にして
なんとか約600kmのロングドライブで、金沢に着き、
翌朝、さっそく能登半島を北上して、
歴史家・網野善彦さんの記念碑的な資料発掘で知られる
「時国家」に向かう道すがら、
この写真の光景に立ち止まってしまった次第であります。
しかし、京都が都であった歴史年代、「北国」という名前で呼ばれてきた
この北陸地域は、その文化性において、
北海道の日本人にとって、なにがしかのDNAを感じさせてくれるものが
風の音、潮の匂い、風土、暮らしのたたずまいの端々など
随所に感じられてなりません。
そんな奥深さを感じながら、旅を続けておりました。
Posted on 6月 14th, 2014 by 三木 奎吾
Filed under: 出張&旅先にて | No Comments »

先日行ってきた能登半島です。
北海道と東北で仕事をしていて、
関東、東京は非常につながりも強いし、頻繁に、それこそ月に一度以上は行く。
そのほかの地域も、仕事の関係は多少なりとも発生するので
名古屋・中部圏、京阪神地域、さらには、中国九州北部などは、
行く機会がありえる。
実際、2〜3年に一回は訪問しているように思う。
ところが、日本海側、北陸から山陰地方は、ほとんど機会がない。
たぶん、一般的にそういったみなさんが多いのではないでしょうか。
ということで、一度は広く日本建築を見ておきたい希望があって
たまたま谷間のような日程があったので、
念願を果たせました。
とはいっても都合3日間だったのですが、
南は福井県の永平寺から、北は能登半島輪島、東は富山まで、
石川県金沢を拠点に回ってみた次第。
現代でこそ、書いたような交通状況ですが、
しかし北海道には北陸地域の影響はきわめて濃厚。
江戸期、あるいはそれ以前から「北前」交易が活発に展開されていて
経済的には北陸地域とは強い結びつきがある。
なぜか、「北陸銀行」が、北海道では多数店舗を展開しているのです。
北海道の老舗百貨店・丸井今井は、北陸地方の出身。
現代は飛行機とクルマが主要交通手段だけれど
長い日本史では、圧倒的に海運交通が主要交通手段であり、
海も波が穏やかな日本海が、対アジアという「世界交易」も見据えれば、
中心的な位置にあったのですね。
しかも、日本の都は京都であり続けていたので、
その中心地に対しての位置として考えれば、この地域の歴史的重要性も
よく理解出来る。
そういった意味合いがあって、なんとか体感してみたいと思っていたのですね。

北海道に暮らしていると、
金沢も富山も、福井もその位置関係すら明瞭でない。
今回数日を過ごしてみて、
ようやく地理的な把握がしっかりできた。
ただし、大づかみに地理的・歴史的な把握をしたいと思ったので
金沢には3日間いたけれど、都市金沢にはほとんど滞留していません。
主に歴史的建築を駆け巡って、
とくにこの地域が北海道に対してどのように影響をもたらしたのか、
そのあたりを中心的に探ってみた次第です。
まぁ、行ってみたかった地域に、
ひとりで修学旅行に出かけたような気分(笑)。
というようなことなので、やや長くなります。
何回か、場所に焦点を当てて書いてみたいと思います。よろしく。
Posted on 6月 13th, 2014 by 三木 奎吾
Filed under: 歴史探訪 | No Comments »

最近、小さい建築について興味があります。
大きいことはいいことだのアメリカでも、小さな空間について
その可能性を探りたいという流れがあるそうですが、
「ウサギ小屋」という日本の新聞メディアが大好きだった
自虐的な住文化否定の戦後の大きな流れに対して、
見直しの気運が生まれてきているように思う次第。
写真は、先日訪れた武部建設・武部英治さんの「日日庵」であります。
きのうまである会合で会っていたので、
この建物について聞き取りすることができました。
それでもしっかりと聞き取るというような「取材」にはなっていないので、
情報は断片的。
面積自体、大体1坪かなぁ、という「あてずっぽう」だったのですが、
よく聞いてみたら、「おおむね210cm角」ということ。
7尺角の四角形平面なんだそうです。
ですから1坪180cm角よりも一回り大きい寸法。
お酒がすぐに入ってしまったので、建物内部には入っていない。
けれど、その周囲の下屋的な青天井に仮設的な屋根だけをかけた土間空間が
建物の空間的集中感と対比的で内部とのバランスが楽しい。
冬の北海道でも、この内部ならば籠もっても大丈夫感が感じられる。
寸法の感覚は、過不足ない、という言葉そのまんま。
内部はそれでいい、という思い切りの良さが伝わってきます。
で、これも最近金沢の21世紀美術館に行ってきたときに
たまたま見掛けた「中村好文さんの小屋」です。

こっちも、たまたま遭遇したということで、
ほとんど予備知識はなく、また調べたりもしていません。
ただ漫然とみた範囲では、なにやら兼行法師の絵が描かれた説明パネルがあり、
どうも、現代的な「小屋」という概念にこだわった作品のようです。
場所柄もあり、仮設的で「表現」性を高めた作品のようです。
こういった美術館という背景の中で、
現代という時代性の中でなにごとかを表現しようと考えたら、
こういった建築の概念を持ってきたくなるだろうな、という
そういう気分が、そのまんま、建っている印象を持ちました。
この、多くの人が感じていることを形にする、ということは、
「表現者」としての優れた能力だと思います。
すいません、まったくきちんと調べてもいないので
受け取った空間性の印象だけであります。
こちらのほうは、たまたま通りかかったということだったので、
中を体験するには「申込み」をしなければならず、
しかもその日の申込みは打ち切られていたということで、
しかもちょっと建物に不意に触れただけで、
「作品にはさわらないでください」とか注意されるという対応。
たぶん、こういう対応は作者の意志ではないだろうと思われたのですが
まぁ、通りすがりだし、内部体感は諦めました。
難しいですね、建築は使ってなんぼのものであるのに、
それが「芸術作品」となってしまうと、へんてこなことになる。
で、この両方をなんとなく脈絡なく経験したのですが、
どちらにも親近感を抱く次第。
いいじゃないか、これで、
という潔さが、現代人の心底に芽生えつつあることをこのことは
証し立てているのでしょうか?
おっと、どちらも断片的にしか体験・取材していないので、
あんまりうかつには断定しないことにします(笑)。
Posted on 6月 12th, 2014 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅取材&ウラ話 | No Comments »

日本の歴史の中で金などの希少金属の歴史というのは
かなり決定的な役割を果たしたと思うけれど、
その割りには、それが決定的だったとは論じられていないように思う。
先日、思いがけず鴻之舞の金山遺跡を見学できたのだけれど、
このような希少金属、貨幣、交易や経済活動についての
俯瞰的な解析って、あんまり見る機会がありません。
先日も、中沢新一さんの文章を見ていて
新宿の街の成立に、平泉の金やそれを元手にした商業隆盛が
成立期の機縁として解明されていたのですが、
中沢さんのおじさんにあたる網野善彦さんも、貨幣の初源について
いろいろに論究されています。
これまでの日本史研究には、徳川体制的な土地本位制の概念が
強く刷り込まれていて、こういった貨幣経済論が抜けている。
政治なんて、そのときどきの推移でどうとでも変化するけれど、
経済や生産性は、人間生活に不可欠なこととして
ずっと発展拡大してきた。
経済発展とは、すなわち交易だっただろうと考えるのです。
政治的には、確かに平泉藤原政権は頼朝によって打倒されたけれど
しかし、それが寄って立った経済的基盤は絶対に消えなかっただろうと思う。
たぶんまったく違う形で生き延びてきているに違いないのだ。
鴻之舞の金山跡は
所有者の住友財閥の考え方もあって
「自然に帰す」方針が徹底されているようです。
金という、人間にしか価値のない物質を自然から収奪した以上、
それへの懺悔に近い態度を持って引き際とするのは
それなりに評価すべきだと思います。
そのお話しを聞いたときに、ふと、
平泉藤原政権の最期のありよう、
当主・藤原泰衡によって、平泉都市は灰燼に帰せられた史実を思い起こし、
希少金属鉱山、それによって形成された権力に
似たような引き際だと思い起こしました。
そういうのが日本らしいのかも知れませんね。
Posted on 6月 11th, 2014 by 三木 奎吾
Filed under: 歴史探訪 | No Comments »

昨年は最下位という屈辱に沈んだわが北海道日本ハムファイターズ。
その前の年には優勝していたので、浮沈の激しいチーム状況。
で、ここんところ、ダルビッシュが抜け、
田中賢介も消え、糸井選手を放出し、というようなことで、
戦力がやや低下してきていて、どうなるんかいなと心配。
そこに持ってきて、ベテランの稲葉選手がシーズン当初から不調で
いまは手術後のリハビリ中。さらに主軸の小谷野選手もケガでリタイヤ。
投手陣も、開幕投手の吉川君が不調のまま、現在ファームで精神的リハビリ。
主軸の武田勝投手も調子が上がらず、2軍調整。
その他、マスコミを賑わす斉藤佑樹投手も、背信投球で2軍。
・・・っていうような、惨憺たる状況なんであります。
どうも、戦力の大きな転換期にあるようで、
これまでの主軸が、がたついてきている。
ところが、現在交流戦真っ盛りのなか、
チームは四連勝中、貯金も4というパリーグ三位につけています。
きのうも、イライラするような拙攻続きで、
リードしつつも終盤あぶないな、と見ていたら
あにはからんや、最終回には主軸の中田クンの適時打が飛び出して
追いすがる中日を、完璧なリレーで押さえ込み。
なかなか、強いんであります。
試合ぶりも、五回盗塁を挑んで三回成功させる超攻撃的采配。
走れるメンバーが塁に出たら、即行かせている感じ。
監督の栗山さん、「徹底的に行く」って語っているようですが、
12球団一の若い戦力軍団、きのうの先発は24歳ちょっとの平均年齢
ということで、開き直って徹底しているようなんです。
これはいい。
若いんだから、考えてたってラチは開かない。
とにかくチームに走りまくらせるっていうのは、いい方針。
まさにイケイケドンドン軍団であります。
中軸の陽選手、中田選手でようやく25〜26歳。
それ以外は、本当に若々しい選手ばかり。
なので、無我夢中の無心さで戦っていくのがいちばん理にかなっている。
現状は、このスタイルがハマって来ているようなんです。
投手陣も、彗星のごとくに現れた上沢君が救世主になって
いまの日本球界1,2のオリックス金子投手に2度も投げ勝っている。
その上沢君の1歳年下の、二年目大谷君が5勝で続いている。
やっぱり大谷君、先日は160kmを記録していましたが
その超大物ぶりを発揮しはじめて来ている。
攻撃の方でも、絶好調で貢献してくれていましたが、
投げる方のスケールの大きさには、日本中惚れ惚れさせられる。
そう、ダルビッシュの再来を感じさせてくれつつある。
そのほか、新人の浦野くんがいい働きをしてくれている。
まぁ、その影には12球団屈指の救援陣の充実が大きい。
新加入の外人投手2人、クロッタ、カーターが力強い活躍。
先発の主軸になっているメンドーサと併せて
若いチームの「助っ人」として効果的に機能している。
そのほか、野手陣の若いメンバーが、後先考えず
無我夢中でボールに食らいついたり見放されたりを繰り返しているリズム感は
けっして悪くない感じであります。
とくに捕手で入団したのに、
攻撃の非凡さを見出されて突然3塁にコンバートされて
無我夢中でやっている感バリバリの2番近藤君。
かれの必死さは、なかなか好感が持てる。
ルックスも、田舎の好青年っぷりが露わであります(笑)。
というようなチーム状況で
あすからは読売巨人戦。
なんでも大谷君が先発で挑んでいくのだそうで、
超巨大戦力軍団に、平均24歳ちょっとの軍団が、
どのように食らいつけるか、見放されるか、
ハラハラドキドキではありますが、
スリリングで、楽しい戦いぶりを見せつけて欲しい。
がんばれ、北海道日本ハムファイターズ!
Posted on 6月 10th, 2014 by 三木 奎吾
Filed under: 北海道日本ハムファイターズ | No Comments »

早朝散歩、カミさんもダイエットのために
いっしょに歩くことになっていますが、
本日、ついに待望久しい雨であります(笑)。
干天の慈雨、という言葉がありますが、ひと休みも必要。
また同時に「晴耕雨読」という言葉がありますが、
そういった意味合いに近いと思います。
自ら、同道を申し入れてきたカミさんでありますが、
本日、雨の旨、申し伝えると狂喜乱舞の面持ち。
なんだかなぁ、でありますが、正直な気持ちなんでしょう(笑)。
プロ野球なんかでも、
ほとんどがドーム球場に移行してきた中で
天然芝の野天球場で雨の順延って、
拍子抜けするとともに、なにか安心感ももたらしてくれる。
まぁ、神さまが命じてくれる休みなので、
人間はそうした摂理に従った方が、より幸せなのではないかと思います。
その「雨読」の方ですが、
こっちはさっぱり進みませんね。
本って、読みたい本はすぐに手に入れる方なんですが、
そのまんま、忙しさなのか、気力の無さなのか
わからずに「積ん読」になってしまうものも多い。
その原因の中に、寸暇ができたときに本を探す手間が大きいのではないか、
と考えて電子書籍を検討しているのですが、
そう考えてみると、既存の自分の蔵書は取り残されざるを得ないことに
愕然と遭遇する。
自分の持っている書籍が「まるごと全部」デジタルに移行するなら
こんなに快適なことはないのですが、
現状では、そうするためには全部の本をスキャニングしなければならない。
その「カンタン」な方法って、いろいろ出されているけれど、
膨大な時間がかかることが明らかなのですね。
時間の大きな節約になる状態を作るために、
膨大な時間が必要になる、っていうようなパラドックス。
しかも、「カンタン」って言っているけれど、
子細に見てみると、めんどくさそうなんですね。
現代人、なかなか時間がないので、電子書籍って
こういった状況がしばらくはダラダラと続いていくような気がします。
現状を改変するような大きな変化はどのようにやってくるのか、
どうも見通しは不明瞭だと思います。
Posted on 6月 9th, 2014 by 三木 奎吾
Filed under: リプラン&事業 | No Comments »

きのうは、前から行きたいなと思っていた武部建設専務ご自慢の
「隠れ家ハウス」日々庵を訪問出来ました。
そばと天ぷらを楽しむ会、とかいうことで、
中高年おじさんたち8人ほどが集まって、ワイワイであります。
そばは武部さんのオススメの「鳥せいろ」で、味わっておりました。
お酒は焼酎やら、泡盛などなど。
で、お楽しみは、「日々庵」であります。
農作業を楽しみながら、その作業小屋に思いを込めた建物。
いわゆる内部面積としては、1坪くらいなものなのでしょうか。
しかしその周囲に仮設的な下屋や、土間空間が繋げられていて
北国の夏場の外の暮らしを開放的に楽しむ仕掛けになっている。
近代合理主義と縄文のハイブリッド、
というたぶん、だれが聞いても意味不明なコンセプトを
おおまじめに実現している。
まぁ、その説明をお酒を飲みながら聞かされるので
案外、腑に落ちていくから不思議(笑)。
で、ちょっと催してきたので
「・・・、どこさ?」と聞いたら、
「二本の木の間に、石があるから、そこにめがけてする」
「気持ちいい」
という縄文的なアナウンス。
ということで、こちらも縄文的に理解して、いたしました。
いや、股ぐらを通り抜ける風の心地よいこと(笑)。
済ませたあと、そのあたりの草を見てみると、
たくましく新鮮鮮烈そうな彩りの植物の新芽が出ておりまして、
中高年おじさんたちの
「ワイルドだぜい」の声が響いてくる感じであります。
そんな次第で、わたしは
二日連続の二日酔いは勘弁して欲しいので
早めにカミさんに迎えに来てもらって、札幌に退散。
しかし、北海道の夏の空気感、
たっぷり、カラダに充満いたしました。
Posted on 6月 8th, 2014 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅取材&ウラ話 | No Comments »