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【Replan東北vol.57 鎌田紀彦「普遍的住宅デザイン論」も】


さてきょうは、Replan東北最新号のご案内。
7月13日までに予約購入申込みされた方には、一部地域を除き21日までに配送します。
以下が内容のご案内ですが、わたしのイチ押しは新住協代表理事・室蘭工大名誉教授の
鎌田紀彦先生の「Q1.0住宅デザイン論」です。
今回は話題の「神戸・里山住宅博」での、堀部安嗣設計の住宅を題材にした
「プロトタイプ住宅デザイン論」。
いまやアバンギャルドで奇をてらった住宅デザインの時代ではない。
資産としての「流通性の高さ」目線を持ったデザインが求められている。
住宅研究者としてとくに工法研究に於いて他の追随を許さない現場力を持った
氏の説く「万人が住みよい普遍的住宅デザイン論」。
特集テーマへの優れた回答にもなっている論考といえるでしょう。
これは、とくに住宅のプロのみなさんにはおススメです。ぜひ、ご一読ください。

【特集】小さく豊かに暮らす
ていねいに暮らしを見つめると、自然と本当に必要なモノが見えてきます。
家づくりも同じです。
自分たちのライフスタイルをじっくり考えた結果、
ちょうどいい広さや高さ、大きさが見えてきて、
そこには慎ましくも豊かな暮らしを送る家族の笑顔が。
この特集では、敷地や床面積に左右されず、
暮らしぶりにあうだけの空間を積極的に家づくりに反映した
「小さくても豊かな家」の好例を紹介します。
あなたの暮らしにあったスケール、探してみませんか?

Case.01「空間共有で生まれた 解放と安堵の快適平屋」 
    (有)都市建築設計集団UAPP
Case.02「震災を機に様変わりした シンプルライフの住まい」
     サルワタリ・アトリエ 一級建築事務所 
Case.03「『兼ねる』で空間を有効活用」 
    (株)エム・アンド・オー
Contents
●巻頭特集/小さく豊かに暮らす
●特集連動企画・特別寄稿
 建築家・圓山彬雄の小さな家
●エリア特集/岩手・宮城のいい家大集合
●自然素材×建築空間
 熟練建築家の進化形、自然塗料の実力。
●連載 Q1.0住宅デザイン論〈新住協 代表理事・鎌田 紀彦〉〜内容は前述。
●連載 いごこちの科学 NEXTハウス10〈東京大学准教授・前 真之〉
●NPO住宅110番
●TOHOKU ARCHITECT
 宮城県「スキップするトンネルハウス」三浦 正博
 山形県「霞城の家」 石山 寛・石山 美智子

7月7日~13日までにご購入された方は、
一部地域の方を除いて、21日までに配送致します。
Replan東北57号の書店発売は、7月21日です!
2017年夏秋号・A4版 本体価格463円(税込:500円)
WEBからの予約購読申込みは以下リンクから。
Replan東北最新号予約販売

【オシドリ夫婦の仲良し交際記録発見(笑)】



わたしのことしの散歩写真記録から
いくつかの発見があったのでご報告します。なにやら興信所みたいかなぁ(笑)。
すっかり魅了されているオシドリの生態観察ですが、
この一家、というか母になったとおぼしきオシドリが
ことしの恋のお相手とデートしていた様子、
バッチリとわたしの写真記録にあったのです。
初見は4月16日のようで、まだ札幌円山公園には各所に雪が残っていた。
そんななかで、いまの池で雌雄のつがいがランデブーしていた様子がみえる。
しかも同日には、わたしの散歩路を先回りするように先行して
雪解け水がまるでプールにようになっていた森の中の水辺で
たった2羽でたわむれていた様子を写真に収めてしまっていた(笑)。
雌雄とも繁殖期の特徴的な羽毛におおわれている様子が鮮明。

こういったデートの末にメスの彼女は妊娠し、
その後6羽と推定されるヒナを産み落とし、
けなげに生き抜く母親として、子育てのDNA的さだめを生きている。
オスの方もたぶん、つかず離れずこの池で暮らしてはいると思うのですが、
きわめて存在感は薄い(笑)。
女から母親へと、変化をリアルタイムで観察させていただいているワケですね。
そんなふうに思い至って見ていると、自然と愛着が湧いてくる。
彼女たちオシドリの一生というのは、10-20年とされている。
まぁ15年とみれば、わたしたち現代人と比較しておおむね1/5くらいでしょうか。
彼女たちにとって1年という時間、その春夏秋冬はまさに一期一会。
1日に起きることの意味合いも、はるかに比重が大きい。
その年の天候などの条件が持つ意味合いもはるかに大きい。
共存する他の生物種との関係性、とくに人間との関わりも
おおきな自然共生の輪廻のなかでは重要なファクターでしょうね。
きのう紹介した彼女のオスとつがいになって歩いている姿態からは
なんともいえない「おんな」の性を感じさせられもする。
彼女たちのファミリーがどんなふうにストーリーを紡いでいくのか、
種を超えていのちを共有する存在として気に掛かってきます。

【カモではなくオシドリか? 毎朝定点観測対象】


先日来、札幌円山公園の一角の池に生息している母鳥と6羽の小鳥を
定点観測的に観察してきております。
毎朝の散歩路での無上の楽しみ化してきている(笑)。
で、スタッフからそそのかされて試用してきているinstagram用テーマとして
ときどきアップしてきています。
この動画投稿はFacebookにも同時にアップされるので、
多くのみなさんからコメントなどをいただくことがあります。
そのなかで昨日、栃木県さくら市在住の方から、「オシドリですよね?」という
ご指摘をいただいたのです。
わたしは、散歩で出会うみなさんから「カモ」と聞いていたので、
カモ母子というように表現していたのですが、むむむ、というご指摘。
で、以前5月下旬にこの池周辺でたまたま土の上を歩いていた
「つがい」とおぼしき2羽の写真を思い出して、WEBで対照してみたら、
このカラフルな個体の方はどうやら「オシドリ」のオスのようだと思われる。
片方の方はメスのようなのですね。
かれらオシドリの生態はよく知らないけれど、Wikipediaを見ると以下の記述。
〜繁殖形態は卵生。4-7月に山地の渓流や湖沼の周辺にある地表から
10メートル以上の高さにある大木の樹洞(あるいはまれに地表)に巣を作り、
9-12個の卵を産む。メスのみが抱卵し、抱卵期間は28-30日。〜
というようにあるから、観察していた時期に繁殖・育児の活動をする鳥類。
で、そこから下の写真のような母子7羽の様子を定点観測していることになる。
ただわたしは専門家ではないので、アースカラーの現在の羽根色と
下の写真の繁殖時期羽根色の個体が、同一のものであるかどうか、
定かには言い切れません。しかし、定点としてのこの池周辺で
これら一連の観察結果は共通している。
自然に考えれば、間違いなくオシドリの繁殖から子育て時期を
期せずして定点観測を行っているということのようなのです。
なんかうれしい(笑)。

繁殖時期のオスメスの羽根色は本当に蠱惑的。
かれらオシドリ種だけではなく、哺乳類であるわれわれも十分に魅了される(笑)。
でもまた、そこからヒナがかえって、母親が一生懸命に子育てしている様子にも
まことに深く命の尊厳を感じさせられています。
ということで、毎朝の定点観測にまた向かいたいと思います。乞うご期待(笑)。

【事務所アプローチをうるおす緑のトンネル】


わが社の事務所は大きな幹線道路に面していて建築後17年くらい。
面している道路は「琴似栄町通」という名称で、歩いて10分ほどで
札幌地下鉄東西線琴似駅という幹線道路。
4車線で通行も多いし、また歩行者もたいへん多い道路です。
まぁ、東京都心の道路のような状況ではありませんが、
しかし札幌ではかなり歩行者も多い道路であります。
で、クルマでの営業活動が多いし、来客もクルマ利用者が圧倒的という
札幌の状況に踏まえて、道路側を大きく駐車スペース9台分としています。
建物は敷地の中ではぐっと奥に配置してセットバックさせた。
そうすると、「アプローチ」の意味合いが大きくなるのは自然。

で、設計をお願いした圓山彬雄さんと話し合いながら、
なんとなく、そういった環境に似合うように古電柱外部照明を掘っ立てで建て、
ノスタルジックなエントランスを作り、あわせて樹木を植栽して
その成長で道行く人たちにも、うるおいを感じられるようにしました。
古電柱外部照明の方は、残念ながら根元がぐらつきやむなく抜き取ったのですが
幸いにして植栽の方は元気いっぱいに繁茂してきた。
その植栽に合わせて、レンガ造作のベンチなども演出してみた。
新築当時は2mくらいの小さな木だったのですが、
それがどんどん生育して今では、7−8mくらいにまで大きくなった。
この時期になると、繁茂した枝木がまるで緑のトンネル状になっています。
そうなると、近隣へのご迷惑のことも出てくるので、
昨年には枝落とし剪定などを業者の方にお願いしたのですが、
ことしも盛大に繁茂してきたので、先日来、枝落としを自力ではじめています。
樹種は道路側に2本植え込んだのは「カツラ」の木。
「これは大きくなるんだよ」と人から言われたとおり、見事な成長ぶり。
人間の通行に支障のない範囲で、枝落としをしていますが、
あっという間にビニール袋4袋分が満杯になってしまう。
ことしは高所枝落とし用の剪定器具も購入して、自力メンテナンスです。
こういう植栽メンテナンスは、小さな規模での自然循環を感じさせてくれて
まことに心理的によろこばしいことだと思っています。
なにより緑のトンネルは、心理的な結界を作ってくれて、
事務所建築、駐車スペースなどの機能性と調和してくれる。
年に何回かは駐車場でバーベキューなどをすることがありますが、
そういった雰囲気作りでも、この緑の力はすごいと思わされています。
ことしは枝の剪定で楽しんでいきたいと思っています。

【浮世絵画題でなぜ「宿場もの」がウケたのか?】


上の図は東京国立博物館での展示から。
安藤広重・木曽海道六拾九次之内 「今須」であります。
ちょうどことし訪問した旧北国街道「海野宿」での似た構図の写真があったので、
ちょっとイタズラで相似させてみました。
江戸期の浮世絵と現代のインターネットには、その「文化の大衆化」で
ある意味、似たような部分があるのではないかと考えています。
ちょうど欧米人が江戸期ニッポンの浮世絵文化を再発見したように、
ひょっとするといまのデジタルデータ群が、ある時期の人類記録として
将来の人たちが文化現象として再定義してくれるかも。
浮世絵は江戸期の大衆文化ですが、日本における出版文化の
嚆矢ともいえるのだろうと思います。
蔦屋重三郎(1750年2月13日〜1797年5月31日) さんという人は
吉原遊女文化の揺籃のなかから、出版プロデュースという「版元」になっていった。
現代でも出版社のことを版元というのですが、その初見に近い。
肉筆でしかありえなかった絵画の世界に出版意識を成立させ
一部の支配階級の独占文化であった絵画を大量印刷によって大衆化させた。
世界的に、こういった大衆社会化状況が出現していたのは、
やはり江戸時代ニッポンが最初期なのだろうと思います。

そういう「出版がリードする」大衆社会状況の中でかれら版元は
読者がどんな視覚欲求を持っているかについて、先端的に意識を集中させていた。
かれらが発掘した「視覚欲求」のなかに、宿場ものというジャンルがある。
先日も長野の善光寺に参詣してきたのですが、
江戸期には旅行したいと思っても、自由には行けなかったのが、
宗教的な名目が立つとお上としても認めやすく「通行手形」が発行された。
そんな名目上の目的地として、善光寺という存在はあったのではないかと、
そんなふうに解釈させていただいた。
本当の庶民の「目的」はやはり旅自体にあったと思われる。
未知との遭遇、非日常への憧憬は人類普遍に存在するのでしょう。
安藤広重・東海道五十三次などという旅行ガイド的な出版が支持されたのは、
そういった背景があってのことなのだろうと思うのです。
で、浮世絵作家たちはそれぞれの作家センスを動員して、画題に知恵を絞った。
雨の構図が天才的と思われる東海道五十三次「庄野」や
ありえないような豪雪風景を描いた「蒲原」などはすごい。
シリーズ全体の構成の中で、天候も折り込んで表現することで
さらにいっそうの「旅情喚起」になると考えたものか、想像が膨らみます。
そういうなかで安藤広重さん、こういった何気ない宿場風景に
どういった余韻を感じていたのか、と思う部分もあるのですが、
こういうなにげなさから逆に数百年の時間を経て旅人たちの息づかいは伝わってくる。
時間を超えるコミュニケーションということでしょうか。

【皇太子を迎えた明治北海道の建築空間】


きのう紹介した北海道小樽の皇太子迎賓施設の内部です。
玄関には「車寄せ」が用意されていて、
そこでクルマを降りられて、玄関に入る。
正面には奥の建屋、プライベート居室3室に至る廊下がまっすぐにある。
その廊下左右に、謁見のためと目される「広間」が2室ある。
その様子が1枚目の写真ですね。
この空間で開拓時代のこの地の貴顕紳士たちが参集し皇太子殿下をお迎えし、
オール北海道として日本国家に対して奉伺したことでしょう。
屏風には鶴が描かれている様子がわかります。
金屏風を背にして、皇太子がお言葉を賜られたのかどうか、
そういった臨場感が迫ってくる。
執拗に天井の格式表現が設計図面には記されていましたが、
格天井がごらんのような作られようで、装置されていた。
2層分に近い天井高さが作られていて、高窓が周囲に巡らされている。
簡易な旅宿ではあっても、皇太子の尊厳を示すような空間性に配慮されている。
一方で玄関の天井の作られ方は下の写真のようです。
なだらかな唐破風屋根の構造の様子はすばらしい。
この優美な曲面美を生み出すために費やされた労苦が垣間見える。
「迎賓」という意味合いをこの構造美で表現しようと、
施主、施工者は考えたに違いありませんね。
北海道が開拓から40-50年の時間を経ていかほどの進捗を見せているか、
そういった思いも重ねたに違いないと思います。
天井の仕上げはここでは2段階に分かれています。
曲線的な唐破風部分と、手前は格天井になっている。
ある心理的結界意識を表現したものに違いないと思います。


一方下の写真2枚は皇太子が休息される私的空間の方。
凜としている中にも、やすらぎを作り出そうとしている様子がうかがえる。
全面畳敷きで床の間などがしつらえられ、
障子や襖、木製引き戸建具、さらには布製カーテンなどの調度。
開放的な和風住宅のしつらいであり、
ごく少ない壁面は、塗り壁、たぶん漆喰で仕上げられている。
畳の縁もみごとな刺繍仕事が見えています。
職人としての仕事の端部で、使う人への思いを表現しているかのようです。
明治北海道の人々の、ここまでの開拓の現在状況を表現したような
そんな空間性を感じさせてくれる建築だと思いました。
かれらの思い、仕事に、はるかにリスペクトします。

【106年前の小樽・皇太子「御旅館」建築】



先日ご紹介した「小樽市公会堂」の様子です。
こういった古建築は北海道では見学する機会があんまりないのですが、
さすがに開拓期には北海道経済の中心地であった小樽らしく、
このような古格な建築に出会うことができます。
〜明治44年8月の皇太子(後の大正天皇)の北海道行啓の宿泊のため、
当時海運業で財を成した籐山要吉の寄付によって建てられた「御旅館」という
伝統的な和風建築。その後は公会堂として利用され、昭和35年に
現在地に移築されました。この時、御殿と本館の配置が変わり、
地下部分が増設されています。木造平屋建て2棟で構成され、
手前の本館が謁見の間で、その背後に御殿があります。
設計は皇室関係の建築を多く手がけた木子幸三郎(きご こうさぶろう、1874-1941)。
代表作は天鏡閣(旧有栖川宮威仁親王別邸)、旧竹田宮邸 洋館
(現グランドプリンスホテル高輪貴賓館、旧十二銀行函館支店(旧函館信用金庫本店)、
富士屋ホテル食堂、三共品川工場本館、駐日ローマ法王庁(旧鈴木忠治邸)など。
●小樽市公会堂<旧小樽区公会堂>
1911(明治44)年建築 小樽市指定歴史的建造物
設計 : 木子幸三郎 施工 : 加藤忠五郎(大虎組)
木造平屋建て。小樽市花園5-2-1〜


〜施工を任されたのは加藤忠五郎で、彼は東京の宮内省(現宮内庁)まで出向き、
木子幸三郎に設計を相談しました。木子家は代々、宮中に仕えた建築技師。
壱の間座敷飾りの棚は葉山御用邸のものと似ていて、はるばる出向いた成果。〜
というような記述も、インターネットでは確認することができる。
総工費がどれくらいかかったのかは、確認できていませんが、
小樽市の海運業の一商家がその財を傾けて建築したとされている。
このことからは当時日銀の支店も置かれていた小樽での公共事業投資が
どのような実態であったのかも推測できるような気もします。
北海道開拓のための資材が活発に小樽の港に海運され、
ここから鉄道に乗せられて札幌本府建設のため、奥地開拓のため運ばれただろう
その膨大な物量がまざまざと想起させられる。
明治の日本国家にとっての北海道開拓は、最大の「公共投資」案件。
日露戦争後まだ5−6年の時期であり、樺太が領土に編入された時期でもある。
いったいどのような情勢の中でこのことがあったのか、興味深い。
開拓にともなう公的資材物資だけでも相当の規模になったに相違なく、
この「籐山要吉」氏は、そういった交易活動の枢要に位置していたのでしょう。
建築図面を見てみると、やたらと「天井仕上げ」についての指示が目立ちます。
建築の格式を表現する最大のものであった様子が偲ばれてきます。
こういう経緯を考えていくと、北海道ははるかな平城京や平安京建設に似た
歴史的国家プロジェクトが集中投下された地域である事実が明瞭に見えてくる。
建築と歴史の交差点が、小樽では確認できますね。

【大工ネットワーク北海道、キックオフ】


大工の人材不足が叫ばれて久しい。
このままでは急激な人手不足によって産業としての住宅建築が
消滅していくかも知れない危機だと言われながら。
しかし、その現実に対しての有効な対応が業界として打ち出せていない。
小学校の生徒に「将来なりたい仕事は?」と聞いたら
いまでも8番目に大工さんというのは出てくるのだけれど、
高校卒業時に聞いたら、まったく圏外に去っているのだそうだ。
たとえ、高卒時に生徒が大工職を希望しても、
進路指導の先生は、なかなか積極的には勧めないといわれている。
そういった現実の進行に対して、社会全体、業界が対処しているとは言い難い。
せっかくの住宅建築という産業機会があっても、
ユーザーが、建物全体まるごとフィリピンから輸入してくる住宅を
いまや、功利主義的に選択したりする。
社会全体が刹那的功利主義に走って、「ひとを育てる」ことに背を向けている。
こうした現実は、最後には社会の破綻を引き起こすことを感じつつも、
日々の「こうした方がトクをする」という選択につい向かってしまう。

どうしたらこういう現実を変えることができるのか、
北海道から、きのうひとつの運動体がキックオフを果たした。
名付けて「大工ネットワーク北海道」。
大工同士がさまざまな情報交換をする企業横断的なネットワークを作り、
職場環境の改善を進め社会的地位向上を目指して活動していくという。
各工務店企業は、それを支える立場、サポーターになっていく。
一石を投じていかなければならない。
きのうは、著名な宮大工・西岡常一氏の弟子である小川三夫氏の講話もあった。
伝統的な職人育成のナマナマしいお話しは深く首肯させられる。
結局、人材育成とは「自ら学ぶ」姿勢を涵養することという。
それには当然「時間がかかる」。促成栽培では成り立たない。
日本の木造技術は木の素性をしっかり見定めることで長く持つ。
写真は、ある古社寺の門とのことですが、
それを支える柱は、その木が育っていたままの「方角」で建てられているという。
南側はこの門の右側に当たり、外部に表面が露出する。
そこに立っている柱には枝を落とした節が荒々しく見えている。
<下の写真は左側が正面西で、右が南側側面>
見てくれ優先でこれを内側にして、反対に無節で「きれいな」面を外側に持っていけば、
すなわち、育った環境とは違う使い方をすれば、
千年も保つ木の力が、二百年くらいでダメになると話されていた。
木を見るということと、ひとを見るということが重ね合わさる。

きのうはこの集まりの前に、病院に行って薬局でクスリを受け取っていた。
そうしたら見覚えのある顔をみつけていた。
わたしの生家が55年前ほどに一部新築したときに、頼んだ棟梁さんだった。
いまは85才を超えたということで、しばし言葉を交わした。
10才になるかならないかの少年時の建築のことをわたしは良く憶えている。
なぜか住宅雑誌を自分ではじめた原風景に、
こうした人との出会いがあったことをマジマジと想起させられた。
不思議な巡り合わせと驚かされた次第。

【ハナミズキとヤマボウシ】


きのういろいろな木々のことを書きましたが、
そんなふうにウォッチしていたら、偶然ご近所ですばらしいハナミズキに遭遇。
枝振りといい、立ち姿といい、まことに凜としている。
北海道ではあんまり見掛けないので
たぶん、自然状態では存在しないのでしょうね。
あ、本来はアメリカからの輸入種なので、日本列島には自然にはなかった。
下はわが家・事務所のヤマボウシですが、ハナミズキとは近縁のミズキ科。
この紅白の様子はやはりいいですね。
お似合いの夫婦のように見えるけど、やっぱりハナミズキが女性的。
両方を植え込みたくなるのですが、そういうのは植生的にどうなのか。
ヤマボウシにはピンクのヤツもあるらしいのですが、
ウチのにはごく一部の花がピンクになっています。
ちょっとした花芽の個体変異ということなのでしょうか。
どうも最近、自然のなにげない移ろい、
ごく普通の植生の表情に深く癒されるようになって来た。
やっぱり年齢の進行ということなのでしょうか(笑)。

本日からはいわゆる「下期」のスタートであります。
ということからでもないのですが、
家の中で、わたしは3階から1階に引っ越ししました。
わが家は最初事務所兼用だったので、ムダに面積が広く、
ことしの春には沖縄から移転してきた娘夫婦の一時入居があった。
で、1階を引き渡して使ってもらっていたのですが、
いまは新居に越していって、ずっと空室になっていた。
さすがに3階は、この時期になってくると室内気温が上昇してくる。
その点、1階はブロック造のメリットそのまま、
この時期でもまったく温度上昇がなく、非常に涼しいのであります。
・・・ていうか、やや寒いかもしれない(笑)。
温度は20.5度で湿度50%ほどで安定しております。
これから夏場はずっとこの温度環境で推移するので、
非常に快適そのものなのであります。
家の中で、あれこれ季節変化ごとに移動する生活というのも悪くはない。
さて本日は、北海道で「大工」育成のための活動がはじまるキックオフイベント。
取材してきたいと思います。その後は枝打ちなど木々との
楽しい(笑)対話が待っております。

【イヌエンジュ・ヤマボウシ・カツラ 元気な初夏の木々】


十勝の取材時に街路樹の花の白さ、美しさに強く惹かれた。
●イヌエンジュなのだという。十勝の代表的な花だ、という声も聞いた。
〜温帯の広葉樹二次林で普通に見られる落葉樹で林道沿いや伐採跡地など
明るい場所での生育が良好で,暗い林内に群生することはめったに無い。
 高さ10m・太さ30cm以上になる。小枝は平滑で堅い。花は盛夏の頃,当年の枝先に咲く。
複総状花序で,約1cmの黄白色の花を多数つける。果実はさや豆状で長さ4~8cm。
幹や枝を傷つけると臭気を放つ。流通量は少ないが北海道が主産地。〜
っていうヤツだそうですが、こういう時期に見たのはたぶんはじめて。
どうして目に付いたかというと、わが事務所前のヤマボウシ、
ことしはずいぶんと白い花が盛大に見られていて、これとすごく似た風情だったから。

●ヤマボウシ〜高さ5~10メートル。幹は灰褐色。葉は対生し、楕円(だえん)形または
卵円形で長さ4~12センチ、全縁でやや波打つ。花は6~7月に開き、淡黄色で小さく、
多数が球状に集合し、その外側に大形白色の総包片が4枚あり、花弁のように見える。〜
近縁種に「ハナミズキ」があり、立ち姿がごく似ているのですが、
北海道ではあんまりハナミズキを見ない。たまに本州で見るとうれしくなる木です。
なんといっても、名前がいい語感を持っていますね。歌手名でもある。
北海道にいて南の地を思うとき、冬の寒ツバキと並ぶ存在ではないかと。
●ハナミズキ〜アメリカヤマボウシとも。北米原産のミズキ科の落葉小高木。
大正初年に渡来。5〜6月,葉に先だって4枚の大きな総包片の中心部に
黄色を帯びた小さな4弁花を密につける。〜
2枚目の写真はことしの事務所前のヤマボウシの様子。
重たげに白い花が咲いて、枝先がまるでしだれてくるかのようであります。
玄関先で下に見えているツツジのピンクと呼応して、
北海道の短い花の季節を、事務所前で彩ってくれる存在です。

一方こっちは、事務所アプローチの様子。
手前側に2本のカツラが見事すぎる枝振りで、深い陰影感を作ってくれている。
こういう「木陰」感を街行くみなさんに提供しています。
わたしは、3才から15才くらいまで、札幌植物園の緑と相対しながら暮らしていた。
毎日、すこしづつ変化する樹相を見ながら生きていたので、
こういった木々の変化に強い思い入れを感じるのですね。
自宅の方では、メイゲツカエデの1本のシンボルツリーを植えていたのですが、
どうも陽当たり条件などがうまくいかなくて、2回枯らしてしまった。
でも事務所の方は、おかげさまでこんなふうに庭木が元気に育ってくれている。
ことしは雨が十分に降っていて、そういう条件はいいようなので、
こんなふうに緑が盛大にいのちを歌い上げているように思います。
さて、枝落としとか、手入れをしなければなりませんね(笑)。
それぞれの樹木と会話しながら、手を入れていくのもメンドイけど楽しみです。