


さてきょうは更新がすっかり遅れました。
出張が続いていたので、雑務やらで平常回帰するのに時間がかかる(笑)。
きのう、写真上のように大判の地図を購入してきました。
縮尺50万分の1というヤツだそうですが、
行動してきた範囲を再度確認しながら「土地勘」を磨くべく、
壁に貼って常に眺めようと思う次第であります。
今回は西は姫路から東は滋賀県栗東市くらいまで、
さらに南北は北は京都市から南は和歌山県田辺市までの行動範囲。
主に歩いた東西南北で120km圏内ということになります。
ただし、田辺はほぼ点的に移動したので、実際上は南北70km程度。
こういう距離範囲と考えると北海道にそのまま持ってくると、
札幌と旭川の間が140km相当なので、そのエリア内になる。
この範囲内に北海道では人口は300-400万でしょうが、
関西圏の方では2000万人くらいにはなりそう。
人口密集度もケタ違いですが、歴史経緯にいたってはまったく違う。
北海道はアイヌ民族の遺跡などは少数ありますが、
それも墓地などの遺構が少数残っているだけ。
それに対して、関西圏はわたしのような人間にとってすら故地がたくさんある。
2枚目、3枚目の写真は兵庫県中央部の「三木市」の中国道PAの様子。
この街は、秀吉が攻城戦を仕掛けて陥落させた播州の城跡。
司馬遼太郎「播磨灘物語」では前半部分の大きな舞台。
司馬さんは本姓「福田」さんで、英賀城で先祖同士関わりを持ったらしい(笑)。
播州人にとってこの「三木攻城戦」は長く口伝された郷土の戦争譚。
司馬さんの調査では、明治になって庶民に苗字が許されたときに、
この播州では多くの人が「三木」姓を名乗りたいと申し出たとされています。
織田・羽柴の中央政府軍に対して播州一国を挙げて抵抗したことが、
播州人のプライド、アイデンティティになっていたようです。
高速PAにこんな現代マンガイラストが展示されていて、
これからも長くこの地の伝承が伝わっていくのだなと思わされた。
わが家系もこういった状況に関わってもいたようなので、
この地にはふたつの時間が重なり合うようにして流れていると感じますね。
Posted on 10月 7th, 2017 by 三木 奎吾
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出張が長かったので、さすがに60代男としては、カラダの芯に疲れを感じていた。
一昨日、自宅に帰れたのが午後9時くらいで
そこからカミさんとちょっと話し込んだりして、睡眠時間は4時間程度。
なので、やや寝不足ではあったのですが、
一転してきのうは早めに就寝、といっても早すぎの午後7時頃(笑)。
ところが今朝の目覚めはなんと午前5時前。睡眠時間10時間(!)。
寝るのにも体力がいるのだと聞きますが、
こんなに寝られたことに、われながらビックリであります。
まぁ、寝る前にはたっぷりと入浴もしていたこともありますが、
それにしても、こんなに寝られてうれしい。
新しい経験や体験は、心身には強い刺激になると思います。
同じ時間を過ごしたとしても、つねに新規の環境の中に入ると、
受動する情報量がハンパなく大きくて
そういった体験での摂取情報を整理整頓するには時間がかかる。
体力的な部分では疲れを残さないように心がけたとしても、
心理的、情報量的には、やはり整理整頓に疲労するのでしょうね。
幸いにして、きょうは金曜日で週末にさしかかる。
やっぱり、いろいろなことに時間をしっかりかけて、
カラダにもメンテナンスをかけてみたいと思っております。
写真は兵庫県の東端、西宮市にある「神呪寺」から大阪平野を
一望の下に眺望した様子であります。
この寺は空海さんの開闢した真言の寺だそうです。
空海さんって、あちこちでこういう「自然との対話」みたいな寺を作っている。
宗教と建築という視点から見たときには、
こういった山岳宗教的な「体感型」仏教、密教思想として
日本人に刷り込んでいった先覚者だったのではないかと思っています。
たしかに巨視的な視点が得られるのは見えるとおり。
こういう体験を自らの宗教的な説得材料として活用したのでしょう。
寺院建築は、やはりこういった「利益」をもたらすための即物的装置。
このように一望できる地域の中でどんな作戦を立てていくか、
そのあたりも、じっくりと時間を掛けてみたいと思っています。
Posted on 10月 6th, 2017 by 三木 奎吾
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きのう関西から北海道に帰還いたしました。
今回の往復はスカイマーク利用で神戸ー北海道の往復。
所要時間片道:1時間50分
距離:1072.0km
料金は事前に申込みできたこともあって、往復で22,800円。
一方、関西で久しぶりに会った関東の方の利用交通は新幹線。
こちらは、東京ー新大阪で所要時間:2時間30分
総額:29,900円・距離:552.6km。
関西出張には東京からはほぼ新幹線利用しかないでしょう。
たしかにすぐに都心アクセスが得られる利点はあるでしょうが、
移動交通コスパ的には北海道もまったく遜色がない、というか
はるかに有利な条件に恵まれているということが言えるでしょう。
さらに神戸空港からは、ポートライナーで三宮ー大阪移動で
所要時間 41分 距離 38.8km 総額 740円
ということなので、ほぼ東京都内移動時間と大差がない。
滋賀県の大津まででも100km以内の距離。総額 1,820円。
こういった移動スパン、コスパ範囲であるのに人口が2,500万集結している。
域内での移動交通も、高速道路網充実はハンパないので、
適格なカーナビさえあれば、バリアを意識することは少ない。
ただし、レンタカーはやっぱり軽がいいでしょうね。
なんといっても道幅が1間道路も多いので、どんなところにも行くと考えたら
小回り最優先で考えた方がはるかに行動的。
当然、コストもそっちの方が有利。
東京、関東のひとが大阪に移動するよりも
北海道の人間が移動する方が、コストも時間も有利だと言うこと。
今回、このような「市場環境条件」を体感することができました。
こういったメリットを活かして、北海道の企業が関西圏とつながっていく、
そういったチャレンジに大いに意を強く持った次第です。
逆に、北海道人には大きなフロンティアが関西とも言えますね。
さらに関西の人たちは面白くて、みんな魅力的。
半分くらいは関西弁が口に出てきそうになっておりました(笑)。
Posted on 10月 5th, 2017 by 三木 奎吾
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同社HPよりの「沿革」紹介。
〜聖徳太子の命を受けて、海のかなた百済の国から三人の工匠が
日本に招かれました。このうちのひとりが、金剛組初代の金剛重光です。
工匠たちは、日本最初の官寺である四天王寺の建立に携わりました。
重光は四天王寺が一応の完成をみた後もこの地に留まり、寺を護りつづけます。
創業 飛鳥時代第30代敏達天皇7年(西暦578年)〜
こういう会社が存在するということははるかに聞いていた。
1400年以上の社歴を持った「会社」が。
北海道でこういった木造建築に関わる仕事の周辺にいるものとして、
どうしても言い難く惹き付けられるものを感じる。
ということで、昨日時間の合間を見て大阪・十三にある
「高松建設」本社を訪ねておりました。
このコンクリート建築ゼネコン企業が、社寺建築の金剛組を傘下に治める企業。
これはビジネスと言うよりも、純粋に住宅雑誌編集者としての
興味とある種のリスペクトに動かされてのことです。
ちょうどこの高松建設さんも「創業100周年」という祝賀の最中のようで
お忙しいなかでしたが、お話しをうかがうこともできました。
日本の建築文化の中で、やはりある種のベースは
こういった渡来人がもたらした宗教建築が存在するのだろうと思います。
たしかに聖徳太子の時代、東アジア世界の基本文化を受容するときに
寺院建築はまさに「最先端技術」であったのだろうと思います。
それまでの素朴な建築、たとえば伊勢神宮などの建てられようからすれば
大胆でキッチュなデザイン表現に満ちた仏教建築は
驚きを持って多くの人々の心象に染みわたったに違いない。
その空間の中で、聞いたこともない楽器による音楽や読経が奏でられた。
さらに麻薬とも思われる「香」が炊き込められた。
釈迦の言う境地とはこれかという認識がこうした演出とともに広がっていった。
そういった全体が「文化」として日本社会に染みわたっていった。
建築はその先端で重要な表現を担う分野として認識されたに違いない。
権力側にとっては、なぜ自分が支配者であり得るのかを
この「文化」の中心的担い手であることを通じてイメージを広めたのでしょう。
大和朝廷権力が全国支配を行っていく草創期で、
この金剛組のような「建築会社」の果たした役割は大きかっただろう。
北海道から来て、こういう「会社」がいまにあっても生きているという
現実を見せつけられると、人間営為の積層ぶりに驚かざるを得ません。
Posted on 10月 4th, 2017 by 三木 奎吾
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きのうご紹介した兵庫県福崎の「三木家住宅」続報です。
たっぷりと「取材」したので、いろいろなテーマが見えていました。
ふだんの住宅取材では気付かないような側面についても気付きが得られた。
それはたぶん、他人とは思えない建て主への思いが強く
普通はスルーするような点にもセンサーが働くのかも知れません。
そういう気付きの中のひとつが、住まいの「防犯」というか、
政治軍事的「安全保障」に関するポイントであります。
この家は江戸期の藩の「大庄屋」の邸宅であるワケです。
当時の社会にあっては、こういった階級的存在は経済運営の中核的権力。
経済に関する権力装置なので、一般庶民との接点が多く、
基本的には一般に「開かれた」関係性をもって構造されている。
ところが、経済的政治的危機が進行すると、
「打ち毀し」などの民衆反乱の武力対象になりやすい。
被支配階級からは悪の権化のようにみなされたり、
不正義な財の集積そのものとみなされることが多いだろうと思われます。
事実この家では、3枚目の写真のように「一揆による刀傷」まである。
この傷は、幕末の混乱さめやらぬ明治初年、全国で発生した一揆のときのもので、
この地方でも起こった「播但一揆」の戦争痕跡だそうです。
そんなことが見えて、平和な現代では普通そう大きなテーマにはならない、
防御性能、安全保障性能というものに気付かされた次第。
1枚目の写真はよくある床の間の様子ですが、
この家ではなんと、白壁が「和紙」で造作されている。
この部屋はきわめて公的な性格の強い貴賓室ともいえる場所で、
藩の大名本人が来たときなどに使う「間」なのです。
今日の平和な世とは違って、江戸期という社会は基本的には
権力はその「暴力性」で成立していた時代。
その権力者は常に身の安全を考えていたとされている。
万一、この家に逗留していたときに襲撃者がおそってきたとき、
この和紙の壁を突き破って、避難するルートを確保させる狙いを持っていた。
さらにこの家の他の場所には秘密の地下脱出通路などもあった。
建具などでも巧緻に施錠構造が考えられている(2枚目写真)。
なかなか現代人には想像しにくい役割、機能が住宅の目的にあったことが、
この家ではかなり濃厚に見て取れたのです。
そのように考えてきたとき、
日本の家屋文化発展が長く「いごこち」についての性能配慮をせずに、
ひたすら「開放性」を旨としてきたことについて、
こういった権力構造、支配構造が住宅技術進化に大きく影響したのではと気付いた。
江戸期の「住宅規制・制約」の影響が建築文化にも見えるのは周知のことでもある。
住宅の技術もまた、社会のニーズに即して発展を見せるもの。
家の寒さを「堪え忍んで」までも、身の安全を最優先させていたのかも。
まだ定かとは言えないけれど、このことはあり得べきことではと
ひとり想像を巡らせていた次第です。どうなんでしょうか?
Posted on 10月 3rd, 2017 by 三木 奎吾
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いまわたしは関西に深く潜行しておりまして、あと数日はこちら。
さすがに日曜日はご迷惑になるので、いろいろ仕事活動はできませんでした。
で、かねて念願であった表題の古民家・三木家住宅を探訪していました。
この福崎の三木家さんというのは、わが家の家系伝承で秀吉の頃の時代に
枝分かれした遠縁の親族のようなのであります。
こちらの建物は平成22年から修復工事が行われてきて、
今年春になってようやく主屋部分が完成を見て一般公開されはじめた。
これまでも関西・瀬戸内を訪れる度に数回、工事中を訪ねてきています。
一度など、出雲大社から高速で神戸空港まで帰るレンタカー運転中、
みるみる急激にガソリンが切れてきて、大あわてで中国自動車道を下りて
GSに立ち寄ったら、なんとそこは「福崎」で、この三木家住宅の裏手(!)。
さらに一昨年もここを訪問しないで神戸空港から帰ろうとしたら、
高速道路でまさかのパンク事故になってしまった。
「せっかく近くまで来ているのに、なんだ、
どうしてウチに寄っていかないんだ」とご先祖さまから言われているかのよう。
どう考えても、縁が深いのではないかと思われてならないのです(笑)。
そんな三木家住宅、今回WEBで調べてみたら、
無事に修復工事が一段落して、主屋が公開されているとの情報。
さっそく謹んで取材させていただいた次第。
この建物は兵庫県の「指定重要有形文化財」になっていて、
公費や募金などで工事費を捻出して保存工事が行われたということ。
結果として、県の調査でこの建物は1705年の創建と判明。
桁行11間、梁間4間という主屋ほか9棟の建築群の「住宅」です。
約300年という年代が刻まれた住宅ですが、
その間、この地域が生んだ日本民俗学の祖、柳田国男さんが、
三木家住宅に保存されていた4000冊の蔵書を1年間にわたって耽読して
かれの民俗学の素地を形成したという経緯、事実もある。
「・・・土蔵風の建物の2階八畳には多くの蔵書があった。わたしは子供のことだから
自由に蔵書のあるところへ出入りして本を読むことができた。(中略)
わたしの雑学風の基礎は、この1年ばかりの間に形作られたように思う。」
<柳田国男「故郷七十年(幼時の読書)」より抜粋。>
と書かれていて、そのことの恩義を語られています。
まことに先人たちの息づかいが迫ってくるような「住宅」取材であります。
日本のある部分の発展にとってわが三木家も多少なりとも繋がっている、
そんな思いがして、感無量の部分があるのですが、
まぁ、この建物が建った頃には、現在の広島県尾道周辺にわたしの直接家系は
移転しているので、他人ではないけれどまことに遠い親戚のお話。
ただ、今回の取材でわが家の位牌にも名前が出てくる同名人物を発見した。
それも生存年代がきわめて近接しているし、人生素描も輪廓に相似がある。
尾道周辺とこの福崎は、距離では約180kmほど。
ただし、瀬戸内の海運とこの地周辺の夢前川水運を利用すれば、数日の距離。
播州大庄屋と、方や尾道商家、なんらかの人的交流はあったとも考えられる。
いや、商品の売り買いなどで当然、血縁を頼ったりもしたのではないか。
・・・っていうような、住宅取材なのか先祖探訪なのか、
どちらともいえない、不思議な興奮に包まれた一時を過ごしておりました。
Posted on 10月 2nd, 2017 by 三木 奎吾
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写真はヨコハマで先日見学した「三渓園」の様子です。
ここは開国して世界との「貿易」が始まった時期にいち早くその趨勢に投資して、
絹の貿易で財を形成したという原富太郎さんの趣味のコレクション建築群。
Wikipediaによると以下のような経歴。
略歴〜青木久衛の長男として生まれる。生まれは、岐阜市柳津町佐波。
小学校卒業後、儒学者の野村藤陰や草場船山に学ぶ。その後上京し、
東京専門学校(現・早稲田大学)で政治学・経済学を学び、跡見女学校の教師を務める。
1892年、横浜の豪商・原善三郎の孫・原 屋寿(はら やす)と結婚し、
原家に入る。横浜市を本拠地とし、絹の貿易により富を築いた。
また富岡製糸場を中心とした製糸工場を各地に持ち、製糸家としても知られていた。
1915年に帝国蚕糸の社長、1920年に横浜興信銀行(現在の横浜銀行)の頭取となる。
1923年の関東大震災後には、横浜市復興会、横浜貿易復興会の会長を務め、
私財を投じ復興に尽くした。
美術品の収集家として知られ、小林古径、前田青邨らを援助した。
横浜本牧に三溪園を作り、全国の古建築の建物を移築した。
三溪園は戦前より一部公開されていたが、戦後原家より横浜市に譲られ、
現在は財団法人三溪園保勝会により保存され、一般公開されている。
〜という黎明期・日本資本主義の代表的な存在のようですね。
で、そういう財をなした人物が、ではなにを後世に残すべきか。
結局、その人間の本質が現れざるをえない部分だろうと思います。
この方は、古建築を移築保存するという活動に取り組まれた。
たぶん民族としての共通財産という建築に文化性を見られたのだろうと。
今日でこそ、全国各地に古建築の保存公園みたいなものは多くありますが、
その嚆矢ともいえるような設立理念だったようです。
まぁあまりに広大な敷地と多数の古建築なので、
歩きまわってさすがに、足と腰に強いハリを感じてしまって、
見学の同行者のみなさんとははぐれて、茶屋で沈殿しておりましたが(笑)
でもまぁ、その素晴らしさには圧倒されておりました。
こういう人物の元には全国から売り込みが殺到していたらしい。
ボランティア説明員の方の説明からも察せられました。
多少、玉石混淆で混乱した感じも見られますが、鷹揚に受け入れたらしい。
貿易に携わって、海外のみなさんと接することでむしろ日本の価値感に
深く思いを深められたのだろうと推測いたしました。
それにしても明治初期の時代の沸騰ぶりが彷彿としてきます。
日本全体は農業主体で貧しさに沈殿していた時代、はるかに先見性を持って
日本が世界に輸出するものとして、絹製品に着目して大いに投資して
財を築いた眼力というものの巨大さを
疲労感とともに思いっきりカラダに知らされた見学でした。ふ〜〜。
Posted on 10月 1st, 2017 by 三木 奎吾
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あんまり政治ネタは書きたくないなと思っているのですが・・・。しょがない。
さすがにここのところの驚くばかりの大騒ぎには呆れています。
いったいこれまでの話はどこにいったのかと見まごうばかり。
ただただ、選挙で議員バッチを付け続けているためにはどうしたらいいかと、
ドタバタドタバタ右往左往している野党議員さんたち。
たしか、ついこの間までは「民進党」という政党があったはずだけれど、
わたしが出張に出掛けて旅の空にいる間に、事実上なくなっている(笑)。
そしてたしか東京都知事だったはずの小池さんが
その地位のままに希望の党とかいう政党の党首になって事態が進行している。
政権選択選挙としての衆議院選挙で安倍晋三政権が信を問うているのに、
それに対して異を唱える反対党党首は、このままでは「憲法上」首相になれない。
これで「政権選択」を有権者に迫ることになる。
いまの状況でこの党が仮に政権を取ったら「身代わりの人物」が首相になる。
総理大臣って、そんなに軽いものだろうか。
そういう意味不明の大騒ぎを、それを朝日や毎日新聞がはやし立てている。
テレビはセンセーショナルな話題に飛びついて、
小池さんの劇場型メディアジャックを無条件に受け入れている。
かれら「反安倍政権」だけのメディアは安倍憎しのためにこれを利用している。
まことに北朝鮮もビックリの政治状況ではないだろうか。
これでホントにこういう政党が大躍進でもしようものなら、
世界中から、日本の政治はその信用を下落させるだろう。
そんな大騒ぎに対して、ようやくまともな意見が出てきている。
橋下徹前大阪市長のツイッター発言に大きな反響が寄せられているという。
「朝日新聞や毎日新聞は酷いな。僕が石原さんや江田さんと組もうとしたときには、
重箱の隅を突くような細かな政策の一致やこれまでの言動との整合性を求めた。
ところが希望と民進の合流は反安倍でとにかくOKだって。
国民はそんなに甘くないし、そんなことやってるからメディアの信頼が落ちる。」
まぁ橋下さんの発言には異論もあることは多いのですが、
これはまさに正論だと思います。
それにしても、民進党っていったいなんだったのか。
野党として政権交代を迫る選挙を前にして、あっという間に国民の前から消滅し、
その成員は選挙用に違う看板に掛け替えて、
バッジを維持したいという「野望」に狂奔して「希望の党」になだれこんでいる。
報道では小池さんは安保法制支持ということで、
そういう踏み絵を議員に迫っているという。つい1年ほど前あれほど反対した
この案件について、唯々諾々と「転向」されるのでしょうか?
信念を持って行動するのではなく、身分保障のため意見を変えるのでしょうか?
そういうひとをどう「信じ」たらいいのでしょう。
政治家の信念、矜持はどこにあるのかなぁ? であります。
そういう「政治家」に国民は本当に一票を投じるのか。
劇場型のこの政治状況で主権者は、どういう選択をするのでしょうか?
<上の写真は皇居前の美術館から皇居を臨んだ景色>
Posted on 9月 30th, 2017 by 三木 奎吾
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ハフィントンポスト2017年09月27日 13時14分
「世界地図から日本列島をカット 平昌オリンピック公式サイト」
2018年冬に韓国で開催予定の平昌(ピョンチャン)オリンピックの公式サイトに、
日本列島とサハリンが描かれていない世界地図が掲載されていた。
ネット上で問題視する声が相次いだ後、9月27日正午ごろ、
該当する地図に日本列島とサハリンが追加された。
菅義偉・官房長官は「ホームページに(日本列島が)なかったということは
承知してます。今朝、スポーツ庁から在京韓国大使に指摘をし、
早急な是正を申し入れたところであります」と話していた。
・・・意図的ではないとした上で、当局や閣僚が謝罪したと言うことだそうなので、
まぁ、それで済ますしかしょうがないのですが、かの国の反日教育ぶりには
日頃からほとんど付ける薬がないと思っているところにこうしてさらにやってくる。
オリンピックという国際親善の機会にまでこういった問題が起こるというのは、
韓国の人が自分自身気付かないレベルで国際常識欠如になっていることを
如実にあらわしていると思わざるをえない。
こうしたかの国の人々のゆがんだ世界観に接するたびに、
こうした反日をまるで好んでのように助長してきた同胞も少なくないことを憂う。
慰安婦問題を長期にわたってねじ曲げ、こじらせてきた
朝日新聞の捏造記事による反日助長は、つくづくまことに罪深い。
来年、この冬期オリンピックは開かれるということですが、
こんな精神的な「仕打ち」を受けて観戦ツアーに行きたい日本人はいるだろうか?
そもそも国際に関わることで、かの国の人々には日本を
冷静に外国とみる考え方はないのだとあきらかに示された気がする。
なぜここまでの非常識があり得るのか、
まことに暗澹たる気分で、残念だと思いました。
Posted on 9月 29th, 2017 by 三木 奎吾
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きのう、ふとコンビニで見掛けた週刊文春さん。
パラパラとめくっていたら、住宅ネタが健康関連として記事になっていた。
一般週刊誌、あるいは一般新聞でも住宅ネタって、
ほとんど目にすることがないなかで、ちょっと驚いて購入しました。
あ、わたし、新潮と文春は比較的に好きな雑誌でして、
新聞系雑誌は絶対に見ないけれど、この2誌はそれなりに買うことがある。
最近は文春が、「砲」付けで呼ばれて、話題を提供しているけれど、
「家の履歴書」などのコラムがなかなか充実している。
あ、わたしは文春から広告料はもらっていません、念のため(笑)。
で、この記事を書いたのは笹井恵里子さんという「ジャーナリスト」さん。
まぁフリーで記事を提供しているライターさんのよう。
「やっぱり危ない!?「糖質制限ダイエット」第一人者が急死した」
と書かれた糖質制限ダイエット派の桐山秀樹さんの死亡をめぐって
話題になったルポルタージュ活動をされていたそうです。
わたしはそういうダイエット系の話題には興味がなかったのですが、
カミさんは大好きでして(笑)、彼女はいまだに糖質制限ダイエットをしている。
効果のほどはまぁ、どうなのでしょうか(笑)。
そういった流れから、今度は住宅と健康というネタで週刊誌に売り込んでか、
こうした記事掲載に至ったのではないかと思われます。
記事は、慶応大学の伊香賀俊治先生、識者の今泉太爾氏、星旦二先生、
近畿大学の岩前篤先生など知己のみなさんへの取材に基づいて展開。
内容的には、一般のみなさんに興味を持っていただける記事だと思います。
たぶん、文春と言うことで中高年男性読者が多く、
かれらに共通の悩み事として老後の健康問題というのが大テーマだろう、
というヤナギの下のドジョウを狙ってのものかと。
少なくとも、文春編集部の判断としてこういった「スジ」はありそうです。
記事の中でいろいろな書き方をされています。
そのなかで伊香賀先生への取材応答だと思われるのですが、以下の記述も。
「平均年齢67才の約60名の脳を特殊なMRIで調べると、
室内の床上温度が16度の家に住む人は、13度に住む人に比べて、
脳の神経繊維が6才若いことがわかった」
ふ〜〜む、なかなか対象年齢層といい、ツボに迫っている(笑)。
「おお、これは・・・」
と、この年代層が揺すぶられそうな話題展開なのでは。
大体、この年代層は知的好奇心は強い方だと思われるので、
「脳みそ」に直接かかわってくる書き方だと、持って行かれそうかも。
まぁこの年代だと、たぶん住宅リフォーム需要ということになるでしょうから、
しっかり低予算での「窓への樹脂内窓プラス」という簡便リフォームも紹介している。
さらに大規模な断熱リフォームについても伊香賀先生の推奨というカタチで
話題として展開されていました。
一般誌でもこういった記事が掲載されてくるように、
断熱への理解は深く浸透しはじめていると、温暖地の状況は見て取れますね。
市場変化に敏感に対応していく必要があるでしょう。
Posted on 9月 28th, 2017 by 三木 奎吾
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