
先週末には、宮城県石巻近郊の住宅のリフォーム事例を取材。
周辺には独特の形式の農家群が集まっています。
昔の農家の建てられようには色々なスタイルがありますが、
一般的に多いのは集住スタイルで、ミニ都市のように集まって暮らすもの。
それに対して、各家屋がぽつんぽつんと建てられるのが「散村」といいます。
この地域では、集住の家屋が、それも周囲の小山を背にするように建つ
「里山」形式で、しかも路に沿って連続して建てられていました。
これは、たぶん、季節風から暮らしを守る知恵でしょうね。
その目的をさらに明確にしてくれるものも見られます。
面白いことに、この地域では道路側に面して、
各戸が納屋のような建物を一様に建て並べているのです。
このように建てられれば、区切られた内部の空間は
冬の季節風から、ほぼ守られるような半外部の空間になる。
写真は、そうしたなかでもひときわ立派な建物。
高さも通常の2階分ほどもあり、内部の平面も広大に保護できます。
このように季節風を遮れば、内部には宮城県らしい
日射の豊かさが実感できるような空間が出来上がる。
大変よく考えられた、地域のくらしに似合った住宅装置であることがわかります。
塗り壁などは剥落して土壁が露出し、
何度もリフォームを試みてきた様子が手に取るように残されていますが、
いまは、どうも使用を諦めたと思われるような佇まい。
そうでしょうね、この建物の用途を推察すれば、
たぶん、農業用の倉庫が主要任務。
入り口から内部を見通すと、いろいろな農家の仕事のための小屋がけがあります。
それらはみな、ほぼうち捨てられたような状態だったので、
最近は使用されていないような雰囲気なのです。
そうなれば、外観的なものに気を使っていくような心映えはなくなる。
入り口の上部には、外部なのに開口部飾りの欄間まで見られています。
欄間は通風などの用途を考えているもので、しかもデザイン的に考えているということは
「家格」を表現しようとした装置であったことはあきらか。
考えてみると、いまの日本ではここまで考えている
「農家としての住宅装置」というデザインは存在しない。
農家であっても、主屋についていえば、
無国籍的な都市型住宅のプロトタイプが無自覚に建築されているケースが多い。
農家の側からも、ハウスメーカー的な宣伝デザインを希望する、
というような場合が多いのではないかと思われます。
素晴らしい伝統的建築デザインの古民家を
「○○ホームみたいな洋風の感じにしてください」
というようなリフォーム希望が寄せられる。
確かに、農家の暮らしようも、農作業のやり方も
伝統的な様式とはまったく変わってしまっているので、
そうした変化自体はやむを得ない部分ではあるけれど、
そのまま放置していけば、いったいどのような「地域的アイデンティティ」が残るのか?
まず、残っていくことはないでしょうね。
後世の人が、こういう家の建て方を見て、現代の暮らしを想像すれば、
その驚くべき想像力の枯渇ぶりに驚くのではないか、
そんな危惧の思いがわき上がってくるのを禁じ得ません。
でも、じゃぁ、どうすればいいのか、
と考えても、残念ながらなかなか、解決策は見つからない。
実際にこうした建物のオーナーさんから、
「都市的な快適性」を願われれば、そのように建築することになるのは
自明なのではないかと思われます。
地域的必然性の欲求の低下というなかで、
現代的な暮らし方という摩訶不思議なパワーが、無国籍建築を
大量生産していく、
こういうプロセスは、これからも増殖し続けるのでしょうか?
Posted on 2月 12th, 2008 by replanmin
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さて、趣味の「シーサー探し」ですが、
って、あんまり知られてはいないでしょうね(笑)、
全国の面白いシーサー像を見て歩くという、勝手な趣味を持っています。
まぁ、旅費交通費はかかるけれど、
それは仕事などで行くついでなので、それとしてはお金かからない、
歩き回らなければならないので運動になる、
というけっこうだらけの楽しい趣味です。
そういう心がけをしておりますと、情報なども来るし、
なにより、道端の名もないシーサー像たちが語りかけてくるようでもある。
たまたま、そのときにカメラを持っているかどうか、
それが最大問題という趣味ですね。
というようなことなんですが、
東京上野、博物館巡りの最中にお目に掛かりましたね。
ごらんの像ですが、
由緒を調べたら、ずいぶんと高貴な出自を持つシーサーであります。
この像が置かれているのは、
重要文化財に指定されている、日本初めての洋風美術館「表慶館」エントランス。
なんでも大正天皇ご成婚を祝して建築されたそうです。
表慶館
1909年(明治42年)、東宮皇太子嘉仁親王(のちの大正天皇)の成婚を祝う目的で開館した。設計は宮廷建築家の片山東熊(かたやまとうくま)。建物は重要文化財に指定されている。展示室は1・2階に9室あり、長らく考古資料の展示に使われていたが、平成館開館以後は特別展示等に時折使用されるほかは閉鎖されていた。その後、教育普及センター「みどりのライオン」が開設され、レクチャーやワークショップ、スクールプログラムが行われている。
という由緒書きWikkipediaに載っております。
そういう建物なのですが、
シーサーとしての青いライオンは、シーサーらしく阿吽の形相で
左右から訪れるものを睥睨しております。
が、どうもそういう迫力は感じられない。
いまいち、シーサーのユーモアには到達していないし、
形相のおどろおしさで威圧する、という態でもない。
どうも、ふつうにライオンが2匹、場違いにいる、という雰囲気。
どうも、竣工当時のアイデアと、実際の立ち上がった雰囲気とのあいだに
濃密さが感じられない仕上がりではないかと思います。
想像すると、洋風建築としての格式と、伝統的なシーサー像との
バランス感覚が、宮廷建築としてうまく消化しきれなかったのでは、
というような感じがいたします。
とはいえ、残された青ライオンシーサーには責任はない。
屈託なく、広大な博聞館前の広場で番をしております。
まぁ、かわいいといえるでしょうね。
本日は、やんごとなき由縁を持つ、シーサーのご紹介でした。ではでは。
Posted on 2月 11th, 2008 by replanmin
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きのうは国立博物館の展示体験記でしたが、
あんまりオススメではありませんね、ということでしたね。
ですが、もう一方の科学博物館での「ナスカ展」はすごい正解!
っていうか、こっちのほうは「アンコール」にお応えしての催事なので、
ほぼ、正解は理解できるところではあります。
とにかく、世界最大の謎と言ってもいい、ナスカの地上絵の謎解き展ですから
まぁ、盛り上がりが全然違うわけですね。
展示は、ナスカの人々のDNA分析やら、
先行する文化の特徴の紹介などなど、立体的に直感的にナスカ文化を体感できる。
とくにミイラの分析からナスカの人々が、バイカル湖周辺で誕生した
モンゴロイドの流れを汲む民族であり、
わたしたち、日本人と遠い親戚関係にある、というあたり、
「そんなこともわかってきたんだ」と現代科学を見直す思い。
地上絵については基本的には謎とされていますが、
デザイン自体は、ナスカの人々が800年前後という長い歴史期間、
かれらが育んできた世界観や、描写手法そのものであり、
また、地上絵を描く手法の解説なども開示されていて、
宇宙人説などへのおだやかなニュアンスでの否定が感じられます。
描き方は、まず小さく描きたい絵を地上に描いて、
そこから、放射線状にロープなどで、距離と角度を特定しながら、
「測量」的に描いていく方法が示唆されていました。
「なるほど」という説明ですね。
また、世界各地に地上絵の伝統はありますよ、という例示も示されています。
こういう表側のテーマとは別に、
わたし的に強く考えさせられたのが、DNA的に近いかれらの首狩りの風習。
戦国期など特徴的なように、わたしたちの文化でも
歴史というのはまさにお互い同士の殺し合いの連続そのもの。
ナスカの人々もたいへん戦闘的な民族だったようで、
繰り返し、首狩りへの執着心が語られています。
首狩りを文化的な、たとえば陶器などのデザインにまで登場させたりしている。
生と死、戦争というものの概念世界が現代世界とは違うので、
即座に野蛮と決めつけられないけれど、やはりすごいものがある。
そうした世界観のなかで、一方で頭部への開頭手術なども技術が進んでいる。
こうした手術の成功確率も高かったという調査結果。
信長は、宿敵・浅井長政の首級・骸骨を酒杯にして
家臣に回し飲みさせたというような逸話があるけれど、
やや、近いような感覚世界にかれらの世界観はあったと想像される。
わたしたちにも、似た感覚世界のDNAはあるということなのでしょうか。
というような、独特の異種世界を体験したような気がした展示。
最後にはバーチャルリアリティのナスカ地上絵空中見学体験もできました。
どうも、ああいうの、苦手気味なのですが、
なんとか、最後まで気分が悪くならないように注意しながら、
見学を終わった次第です。
面白かったです、文句なしです。
こういう展示として、構成なども素晴らしかった。
アンコール開催というのも、むべなるかなです。
東京に住んでいる人は、やっぱりずいぶん、トクしていると思います。
いいですよね、こんな大予算を使った展示のたぐいが
それこそ、毎日のようにどこかしこで行われているのですから、
そうしたメリットの地域間格差って、すごいものがある。
所得税というような「富裕税」は存在しているけれど、
こういう「文化接触格差」の税の概念って、取り上げられることは少ない。
こういう点、「都市の快適性」という側面から、論議すべき時期に来ている。
少なくともこういうことについての格差はまったく放置・無視されている。
ひとつの考えとしては「文化税」などを創設して、、こういう展示を見に行くのに
地方の人に必然的に掛かってくる旅費交通費などをキャッシュバックする。
その経費負担を「文化税」全体で考えていく、というのは無理なのでしょうか?
わたしだけかなぁ、こんなこと考えるのは?
Posted on 2月 10th, 2008 by replanmin
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今週はずっと出張に出ていまして、
2日間ほど東京に滞在していました。
わたし、東京に来ると時間を作っては上野の東京国立博物館に行くのが習慣。
今回は、手前側の科学館でもなんと、「ナスカ展」アンコールを行っていましたので、
両方、掛け持ちで見学してきました。
本日は、そのうちの博物館での「宮廷のみやび」展です。
なんですが、のっけから結論を言ってしまうと、
やはりがっかりさせられた、というか予想通りというか、
「ああ、やっぱりね」という展示だったのです。
日本の文化の中で、藤原氏、のちに別れて近衛家となるのですが、
このような貴族が果たしてきた役割は、理解はできるのですが、
やはり生理的に、こういう国家権力に寄生して
その甘い汁を吸ってきた、という存在に対して好意的にはなれないのです。
展示は、おおむね、天皇家との関わりを誇示するようなものの羅列。
かれらにとっては、政治的な「戦利品」のようなものですね。
そういうものが、今日的な価値観で見返してみたとき、
はたしてどれほどの意味があるのか、疑問です。
貴族というのは、「文化・文芸」の道を民族の中で
大きな役割として果たしてきた、ということですが、
それは民衆への大きな抑圧の結果として
かれらが獲得し続けてきたことであって、多少の努力要素や素養というものはあったにせよ、
基本的には、たまたま、そのような境遇に生まれたからそうなっただけだと思うのです。
「そのことにどれほどの意味があるの」と内語し続けてしまった次第。
まぁ、下々の「ひがみ」ですね、これは(笑)。
よく「王朝文学の香り」とかなんとか、
一般民衆のリアリズムとはまったく無縁な恋物語などを
さも、立派な香しい文化ともてはやすような考えがありますが、
どうにも同意できませんね。
展示の中で、近衛前久という戦国期日本史にも名前が登場する人物が出てきます。
わたしは、司馬遼太郎さんの文学で、この名前を知っていました。
家康を描いた司馬さんの「覇王の家」のなかで、
ほぼ天下統一の事業が完成に近づきつつあった信長を
家康が自分の領土の中を通らせて富士山を見物させる旅行接待をするくだりがあります。
その間の政治的な背景に触れながら、
家康と信長の心事を推量し、考察しながら展開するお話ですが、
そこにこの「前・関白」の名が登場します。
政治的にはなんの実態もない存在でありながら、身分だけは高位であるこのひとが、
信長に、富士山見物の旅への同行をねだったのですね。
それに対して信長は、「わごれなどは、さっさと帰れ!」と大喝したという描写があります。
<確か本文では、東山道を帰れ、となっていたはずですが。>
「信長から酷いことを言われた」と日記に記していたそうです。
しかし、このとき信長は、天下一気性の難しい自分を接待するという家康の
政治的な覚悟のほどを思いやって、その心事を計っていて、
そのうえ、身分だけは天下第一等である近衛が加われば、
家康には、どれだけの心理的負担になるか、それを考慮しない近衛前久に
つい、どなってしまった、というような消息を文章にしていたのです。
そうした存在であるという、知識の下敷きから、
展示を見ている自分がいるせいなのか、やはり遊離した存在という意識が働くのですね。
しかし、信貴山絵物語など、目を奪われるような素晴らしいものもあります。
また、書の歴史展示と考えれば、大きな意義のある展示でしょう。
確かにこういう存在がなければ、
日本の文化の大きな部分は継続性を持ってこれなかったのは事実でしょう。
まぁ、色々な事柄を考えたり、感じたりした展示でした。
その意味では、意義はある、とも言えるかも知れませんね。
ということで、本日は国立博物館レポートでした(笑)。ではでは。
Posted on 2月 9th, 2008 by replanmin
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先週の新住協Q1.0住宅見学会から。
勇和建設さんの事例の写真です。
「日だまりの家」というコンセプトらしく、
ほぼ真南に面して、玄関や居間などの大開口が開かれている住宅です。
それも右側写真のように、居間は吹き抜けていて、
ダイナミックな空間が広がっています。
そうでありながら、室内の上下温度差は、測定している温度計を確認してみると、
なんと、1度にも満たないレベルになっています。
窓は樹脂サッシを使用していて、
開閉などもきわめて容易な仕様。
引き違いではないのですが、床までの大きな建具で、しかも
1階、2階とも連続して大きく開口しているのです。
家全体として、気密断熱がしっかりしているので、
空気の流動感も感じられなくて、
まさに自然な、春のひだまり、という雰囲気。
で、冬はこのように、費用のかからないエネルギー・太陽日射を
たっぷりと室内に取り込んで暖房エネルギーを削減させ、
こんどは夏になると、右側の写真のように2階のデッキテラスが
1階居間に対して、庇の効果をもたらしてくれて、
日射を遮ってくれます。
たいへん、単純な「パッシブソーラー」が建築装置的なもので実現できる。
もちろん、ディテールでは窓の性能の検討や、
冬のあいだの窓面からの冷輻射対策が肝要になってきます。
ここでは、1〜2階のあいだの梁や、1階床面下に冷輻射予防の
暖房がさりげないデザインで装置されています。
また、大きな窓面からの夜の熱損失を抑えるために
高性能な断熱効果の高い「ハニカムサーモスクリーン」が装置されています。
さらに他の部位からの熱損失を全体としてバランス良くするように
断熱気密を図っていることは当然。
そうした建物としての性能の上に立って、
暖房でも、ヒートポンプの低温水タイプで十分なあたたかさが確保されています。
ディテールに色々な工夫が見られる住宅ですね。
なんか、ここんとこ、読者の方からのコメントが増えている感じ。
って、わたし、あんまりコメントを返したりしていませんでしたが、
心を入れ替えて、なるべくコメント返すようにしたいと思いますので、
ぜひ、いろいろなご意見、聞かせてください。お願いします。ではでは。
Posted on 2月 8th, 2008 by replanmin
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札幌はいま、雪まつりが開かれています。
こういうネーミングは単純なほどよくて、ここまで続いてきているのは
わかりやすく北国らしさが明快、という要素が大きいと思う。
わたしは、広告の仕事キャリアが長いのですが
その仕事領域の中でも、コピーやキャッチフレーズが本職に近いのではないかと、
自己規定しています。
そんな思いで考えていると、だんだん、単純さに惹かれていく。
なるべく作為なく、明快なフレーズが民主的で良い。
そういう意味で、さっぽろ雪まつり、いいネーミングで、これしかないですよね。
というのは、前振りなんですけれど(笑)
この時期くらいになってくると、暑さ寒さも彼岸まで、じゃありませんが、
「春の日射し」という言葉が、思い出されるようになってくる。
まぁ、雪まつりに来られたみなさんからは、
こんな冬真っ盛りに、なにを言うんだ、って感じられるかも知れませんが
北国人には、徐々に日射しの強さが増してくる感じが募って参ります。
熱的に言えば、「太陽輻射」ということでしょうね。
熱というのはなかなかに難しいもので、
いわゆる「断熱」という場合、ひたすら問題にするのは
「伝導熱」なんですね。
外気と、室内の温度差、という概念は「伝導」の概念。
それとは別に、輻射熱というものがあり、
伝導的にはマイナスの気温であっても、日射しが「あたたかく感じられる」ということ。
こっちの方の熱が、北国でも強く感じられるようになる時期なのです。
写真でみれば、一面の雪景色なので寒そうなんですが、
黒っぽいダウンジャケットの背中には
なんとも言えない心地よさが感じられている。
こういう感じが、北の春を予感させる、
いわゆる「光の春」という表現になっていくのですね。
ちょうど、雪まつりが季語のようになっていて、
このお祭りが節目になって、光の春が日増しに強まっていくのですね。
でも、この輻射熱というのが、なかなか難しい。
住宅技術の世界でも、銀紙のようなもので、
板状断熱材を被って、この「輻射」の概念を利用しようという製品もあります。
NASAがどうこう、というのが決まり文句。
確かに、宇宙空間的には太陽輻射のあるなしで、
極端なプラスとマイナスに別れるものなのでしょうが、
地上では空気があるわけで、やはり基本は伝導で考えなければならない。
輻射という概念は、その上で考慮すべき概念、ということになるそうです。
北国の冬も確かに真っ盛りで、
冬本番ではあるのですが、しかし、確実に春は準備されています。
こういう写真のような光景では、真っ白な雪が
太陽光を反射して、目もくらんできます。
全国・世界各国からこられたみなさん、さっぽろをお楽しみください。
Posted on 2月 7th, 2008 by replanmin
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さて、建築家展での展示から。
写真は、わが社屋を設計してもらった圓山彬雄JIA北海道支部長の手描き図面。
以前、所員の方から「圓山の手描きスケッチって、いいんですよ」
っていう言葉を聞いたことがあります。
圓山さんはわたしよりも年上ですので、
建築家として仕事をしていくのに、
コンピューターCADが登場する以前からやっていたわけで、
当然、図面を手描きで描いていた時代の方。
なので、独特のペン使いの味わいとか、線画の美しさのような
そういう雰囲気が感じられるものです。
考えてみれば、もうこういう味わいに接すると言うことは少なくなっていく。
じっと、この図面を見入っていると、
やはりコンピュータが描く線とはまったく違って、
この造形した空間に対する思い入れのようなもの、
あるいは、愛着にも似た心遣いの細やかさの部分が感じられます。
このように額に納められ、ピンナップされて展示されると、
まるで、一幅の書画にも匹敵するような魅力が漂ってくると思います。
直線を太く引いたりしているところなど、
建築家のクセのような、緩やかな曲線の感じもみられ、
ちょうど、書の「はね」や、「とめ」のような風合いが滲む。
いかにも、「人間が描きました」というようなメッセージが伝わってくる。
絵とは違って、対象が明確に建築材料を使っての
「意思を伝達する」力強さに満ちていて、
これ自体はプロセスのものではあるのだけれど、
だからこそ、かえって、体言止めのような潔い簡潔さを表現している。
まぁ、わたしの場合には圓山さんの人となりにも接しているわけで、
そんな印象も加わっていると思われるのですが、
こういうメッセージ力というのも、建築家の魅力なのでしょうね。
通常の美術の展覧会には感じることができない
今回の建築家展で発見できた、ひとつの魅力ではあります。
そして、こういうプロセスを経て、
しかし、最終的には仕上がっていく住宅建築によってだけ、
社会の中での自らの評価を受け止めるわけなのですね。
建築というものと、いわゆる美術との同質性と、違いを
どちらも感じさせてくれるような展示だったと思います。
みなさん、いかがでしょうね。
Posted on 2月 6th, 2008 by replanmin
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建築家展紹介です。
日曜日、はじめてゆっくりと全部の展示に目を通すことができました(笑)。
どうしても、顔見知りの人が多くて、
その度にあいさつしていると、ついそのまま、話し込んでしまって、
結局、展示を見ることができない、ということなんですね。
でも、せっかくの機会なので、全部の展示は確認しておきたいと思って
日曜日、カミさんは仕事で出かけていたので
わたしひとりで、見に行って参りました。
土曜日に聞いた講演の斉藤裕さんの本が販売しているので、
それを買い求めるというのも目的ではありました。
さっそく、そっちの販売コーナーに行ってみると、
なんと、講演者の斉藤さん本人がいました。
なので、いろいろごあいさつして、その上、
買い求めた本に著者直筆サインもいただきました(笑)。
っていうようなことで、再び目的を叶えられなくなりそうだったのですが、
斉藤さん、ちょうど飛行機の時間が迫っていると言うことで、
お帰りになって、ようやく見学できた次第です。
この建築家展、いいのは、一度買ったチケットで
半券を持っていれば、日が変わっても何度でも再入場可能という点。
こういうのはうれしいですよね、
わたしのようなケースでは大変助かりました。
結局、金曜日から日曜日まで3連チャンだったわけですから・・・。
会場内には、いろいろ興味を引く展示があります。
やはり建築って、美術とはひと味違って、より人間くささが感じられるもの。
それと、実際に実現していると言うことから、
われわれの側にも、体験というものがあり、
そういう意味で、こうした展示でその設計思想を再確認することができます。
小さい、住宅などでも、わたしたちは体験もしているわけですから
そういう意味でも、展示をどう見せているのか、
メッセージをどのように「編集」しているのか、も興味深い。
そんななかで、札幌市民には建築体験として多くのひとが体験している
「札幌ドーム」の建築プロセス、構造模型展示は
面白かったですね。
わたしたち北国に暮らすものにとって、
雪に覆われる冬に思い切り走り回ることができる大空間って、
大きな願いだったのです。
それが、ワールドカップサッカーの開催という節目を捉えて
札幌ドームという形で実現できたワケなんですね。
北海道日本ハムファイターズの躍進は、
この札幌ドームと、そこに集うファンの願いとが共振した結果な気がします。
展示ではその実現までのプロセスの経緯が
わかりやすい映像展示で見ることができます。
とくに構造の面白さが感じられると思いますね。
単純に考えて、あんな大きな建築に架ける屋根って、どう作ったのか、
なかなかに興味深かったですね。
建築が、身近に、わかりやすく語りかけてきている、
そんな感じがする展示会だと思います。
ちょうど、きょうからは雪祭りなのだそうで、
ぜひ、全国からのみなさんも、一度、会場に足を運んでみてください。
Posted on 2月 5th, 2008 by replanmin
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写真は土曜日に行ってきた勇和建設さんのQ1.0住宅見学現場。
そちらの本体の方は、また改めて触れたいと思いますが、
このカーポート、目が行きました。
まぁ、どうってことはないカーポートなんですが、
わが家では、最近灯油が高騰しているので、
これまでロードヒーティングしていた駐車スペース、
自分で一生懸命除雪することになっているのです。
駐車スペース+家の前の除雪車が置いていく堅い雪。
これを道路を挟んだ反対側の中学校グランドとの緩衝地帯に
堆雪させるべく雪かきをするのですが、
家の他にも、事務所の雪処理もしなければならず、
やはりこれからのことを考えると、やや辛いものがある。
「これ、どれくらいでできたの?」
「うーん、100万円くらいかな」
っていうような次第だったわけです。
路面はコンクリートを打っている。
基礎は簡易に束石を建てているだけ。ですが、
けっこう建てるだけって言っても大変だそうです。
大体が基礎屋さんが工事するのですが、
最近は束石を建てる、というような工事は少ないので、
職人さんも慣れていないので、ふつうに基礎を作る方がやさしいということ。
あとはカラマツ材で、建てていって屋根板金。さすがに屋根工事は
専門家に頼まないと難しいのですが、
以上の、基礎と屋根、それ以外は、まぁDIYでも全然可能。
車1台分と、雨の当たらないアプローチができて、
しかもたっぷりの収納量の物置が出来上がる。
すべて引き戸なので、圧倒的に使いやすい。
タイヤ交換なんて、まさにそのために作りました、ってくらいぴったり。
よく見ると、屋根の高低差があります。
カーポート部分と、収納の部分。
これは設計の畠中秀幸さんのアイデアだそうで、
こうすることで、収納手前部分にも光がさしこんで
大変使い勝手が向上したんだそうです。
ふむ、なるほど、と感心させられました。
北国の冬の暮らしには、
こういう屋外装置がやっぱり不可欠。
それに前述のように、ロードヒーティングを諦めたひとにとっても魅力的。
雪が融けたら、こういう需要が伸びるかも知れませんね。
うーん、なかなかいいなぁ。
Posted on 2月 4th, 2008 by replanmin
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きのうは、いろいろと住宅建築関係では盛りだくさんの日。
新住協の全国一斉Q1.0住宅見学会が行われていて、
午前中にはわが家から一番近くの現場である勇和建設さんの住宅見学。
まえから見たいと思っていたのですが、
ようやく見ることができました。
勇和建設さんと、若手建築家・畠中秀幸さんのコラボ住宅。
その他、武部建設さんからは、見学会で「エコ住宅Q1.0」が6冊売れたよ、
といううれしいお知らせもいただきました。
で、午後からはカミさんと連れだって
きのうのブログで触れた「建築家展」を再訪。
なんですが、違う会場で建築家・斉藤裕さんの講演会が行われるので、
そっちに移動。
カミさんも、知り合いが斉藤さんを知っているということで、
斉藤さんのお話に興味を持ってくれていたのでした。
わたしは以前にも、日本建築学会賞を取られての講演会を聞いたことがあり、
その審美的な建築眼のような一貫した姿勢に
強い印象を抱いていた方です。
プロフィールなどは今回初めて知ったのですが、
北海道小樽市出身と言うこと。
そんなことからか、札幌の建築家・豊島守さんと親交があり、
今回の建築家展でも講演を引き受けられたそうです。
演題は「黄金の塵 日本建築の美」というもの。
まさに、わたしの聞きたかったいちばんのテーマだったのです。
お話しは、歴史と同時進行しながら、
日本の建築がたどってきた審美探求の流れを詳細に研究したもの。
東大の学生さんたち向けの講演を聴いた豊島さんが、
ぜひ北海道のみなさんにも聞かせたいと言うことからくどいて
実現したという、大変優れたテーマと、その深め方でした。
伊勢神宮から、出雲大社、奈良期の巨大建築から、
京都に残る建築や、歴史の舞台に残されたさまざまな建築のディテールを
詳細に解析しながら、審美的ポイントを見通していきます。
わび・さび、ということの本質を平易に語ってくれました。
久しぶりに、痛快なお話を聞くことができた次第です。
いろいろな建築に実際に行ってみる以上に、
筋を通して「体験」させてもらいながら、その本質的価値を再確認する。
斉藤さんの執着力って、本当に素晴らしい。
まさにきわまっているなと、思われたのは高松に残るという掬月亭のこと。
数寄屋とか、わび・さびというものを実際に体験してみたのですね。
名前の掬月亭というのは、月を掬うという意味。
それは、水面に映る満月を、その月明かりだけの世界の中で、
杯の中に月を、掬い上げて、飲み干す、という意味なのだそうです。
そして、建築は、その「幽玄な世界」を体験するために作事された。
そういう審美的な心的要因からスタートして、その実現のために
万金を投ずる、そういう建築が数寄屋という心ではないか。
たぶん、国宝級の建築なのでしょうから
そのように体験させてもらうためには、相当の努力が必要だと思います。
斉藤さんのお話には、そのような審美欲求への思いの強さが感じられる。
たいへん素晴らしいお話を聞くこともできて、
今回の建築家展、ほんとうに素晴らしいイベントになってきていると思います。
きょうからも、またさまざまなイベントやセミナーなどが予定されています。
住宅や建築に興味がある、あるいは特段ない(笑)、という方たちも、
この建築家展は絶対に面白いと思いますので、
北海道近代美術館に、足を運んでみてください。
月曜日は中休みですが、
会期は10日までやっています。損はしないと思いますよ。ではでは。
Posted on 2月 3rd, 2008 by replanmin
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