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【漢文記述公文書から開拓期事実の読解】

「北海道ノ内九郡兵部省支配被仰付置候得共、諸事手々ニ相成候テハ
双方共開拓ノ手紛ト相成ニ付、兵部省支配被差免、開拓使へ被相属度事」
・・・相当に根性を入れて読み進むか、あるいは読解アンチョコでもないと
読み下してその事実を正確に把握することは難しい。

明治の北海道開拓と同時に進んだ北海道住宅始原への探究。
いろいろな資料を参照しながら、オモシロく進めております。
別に戦国期の合戦模様とか、幕末の動乱というものとは違うのですが、
記載される内容のひとつひとつが北海道の基本的な成り立ちように直結する。
歴史と言うよりも、どうももっと血肉的な温度感がハンパない。
なんですがこれは「開拓使」という、省庁と同列の政府機構での推移。
幕末戊辰戦争や、日露の樺太を巡っての外交的対峙という
のっぴきならない事態との同時進行状況での政府内部のやりとり。
複線的な動きがどうしても一体的に進行した。
そして電話もインターネットもない時代での東京、京都から遠隔の
北海道が現場である事態。しかも国家意志との複雑な絡みもある、
というようなことで、まるで巨大交響楽を見るような思いがしてきます。
主にいまは、札幌市が編纂した非売品の「新札幌市史」という本を参照している。
この本は昭和56年発刊なので、現代用語で書かれているのですが、
どうしても明治初年の「公文書」に基づいて書かれるので、
その公文書記述は江戸期の漢文尊重気風が残っていて、
はじめに書き記した「兵部省から太政官への上表文」のような記述の山。
〜ちなみにこの文書では、当時樺太での対ロ緊張から北海道の防備強化として
軍を管轄する兵部省が複層的支配だったものが、現地で軋轢を生み
開拓使が北海道一円支配としたい「手打ち」の上申書が書かれている。〜
表現される意味性の高い漢字と、候文のような慣用句、
一部に漢字仮名のような表現もあったりするので、
現代口語文に慣れたわれわれを挑発するような文体が提示されてくる。
官庁の使う言語は基本は漢文的表記で書かれ続けた日本。
それは基本的にアジア世界に限定された世界観だったのが、
明治の開国によってほとんどが欧米列強との対応に変化した。
結果、現代にいたる「日本語の再構築」が進められた歴史事実を
いやになるほどに思い知らされる(笑)とともに、
現代口語文を創造した先人たちの努力に深く感謝の思いを持ちますね。

しかし明治以降の近現代史は高校までの歴史授業では
ほとんど触れられなかったのが事実だということに今頃になって
ようやく気付かされます、なんとも口惜しい。
明治の始め頃にはこういった北海道経営の基本問題があったこと、
基本的には対ロシアの軍事的脅威に対応して、
兵部省・軍が北海道を掌握・経営したかも知れなかった、
そういった経緯があったことを初めて知った次第であります。

【「知はタダ」はどこまで拡大するのか】

わたしは図書館というものはごく最近までほとんど利用したことがなかった。
生きてきて、知に対してお金を使わないということを
なんとなく「それでは知を身に付けることはできない」のでは、と
固く信じ込んでいたような気がする。
だからこそ、新聞を定期購読して本を買い続けてきたように思う。

最近、わが家のすぐ近くの「札幌山の手図書館」をよく利用する。
たくさんの知の集積とタダで接することが出来る。
そのように得られた知見をもとにインターネットで再確認しながら
思惟を進めている自分がいる。
総じて「知はタダ」という世界にどっぷりと浸かり始めている。
インターネットの普及に先駆けて、図書館という存在は
基本的にこういう「知はタダ」の世界を広げてきているといえるのだろう。
現代世界のスタートの時に教育の「機会均等」のようなことがあったのか、
知の拡大に経済的な差を設けてはいけない、みたいな
そういった思想が根強くあったのかも知れない。
いま、基本的にはインターネットの世界ではかなりこの「知はタダ」が
世界中で大きく拡大し、常識化してきている。
しかし、当然だけれど知はタダではない。
それを提供するためにひとは膨大な「生産コスト」を支払っている。
そのうえで多くの人に「拡散」するためにメディアなどが存在し、
その維持コストはさまざまな形で負担されてきていた。
しかし、膨大な知の蓄積はいまほとんど、タダで得られるようになってきた。
少なくとも、これまでのように本という流通形態で取引されることが
基本的には減少する局面を人類は「はじめて」見ていると思う。
この趨勢が進展していった先に、どのような知の循環システムが出現するか、
まだまだ先は見通せていないように思う。

中国の共産党専制独裁では、AIを徹底活用する「顔認証」システムが
盛大に進行しているとされている。「顔パス」が実現しようとしている。
たしかに「便利」ではあるだろう。
全国民を監視するシステムが完了寸前になってきていて、
こういう方向が人類進歩の基本趨勢だという論説まである。
しかし香港ではこうした情報支配に対して「マスク」での人権防御が
先端的に進んでいるともされている。
「知はタダ」という趨勢の先に、どうもこのような深刻な事態が
未来予見的にみえてくるのではないかと、不安がよぎることがある。

<写真は鹿島神宮です。>

【水害から人を守る家とは?】

水害は毎年のように繰り返される。
気候変動によって台風の脅威は確実に増大している。
この気候変動がどういう要因かは論議のあるところだけれど、
少なくとも戦後の経済成長期は気候安定期だったことがわかってきた。
そういう時代を「常識」として社会構成されてきているけれど、
現在では、その常識を気候変動が超えるようになってきたといえる。
今回の台風の大雨と各地で相次いだ堤防決壊の規模は
まことに「常識を越えて」甚大化してきています。

知人が宮城県吉田川流域での堤防決壊で被災した。
住宅のことを考える仕事でもあり、お見舞いに訪問させていただいた。
以下、地域の情報でありその内容の確認は十分ではありませんが、
被災された方からの伝聞情報に基づいて記述します。
日本の農業は基本的に米作適地を選んで展開している。
河川の流域がそういう好適地として考えられるのは必然。
毎日その生産管理の利便のため住居もその流域に展開する。
水利の利便性最優先で居住地選択がされるのは当たり前です。
この吉田川に隣接した「集村」では高い堤防が川に沿って造成されていた。
しかし、上流の1箇所で決壊した洪水が川に沿って大量に流水していった。
この集落は平成の大合併で地元のより大都市の一部として
自治体が「統合」された。地元に万一の「排水ポンプ」の備えもあったけれど、
広域自治体の中心地域ではそういうきめ細かい判断ができなかったので、
現に水害に遭っているこの地域でこの排水ポンプを使えなかった。
それは他の地域に「貸し出されていた」のだという。
こうした対応には相当に怒りのマグマが溜まっているように思われた。
事実、広域自治体の担当者がこの地域を訪れたのは発災後3日後。
テレビニュースでもそのときの様子が伝えられていた。
堤防決壊はこの自治体とは別の隣の町での出来事であり、
この自治体としては縁辺のさらにとなりの自治体での決壊情報に対して
やや機敏さに欠ける判断だったようなのです。
この決壊の危険性について情報も十分ではなかったようで
集落全体で避難したけれど、「万が一」と考え身一つだけで避難した
そういう人が多かったとされていました。
結果、予想をはるかに超える災害になって、足であるクルマは壊れ、
衣類の大部分も着用できなくなってしまったというのです。

住宅の状況では、基礎と冠水被害のことが気に掛かった。
知人宅では床下断熱を採用していたのですが、
水が引いてから床下のドロを掻き出して薬剤散布後、
木材の乾燥を待ってから復旧させることになります。
しかし「基礎断熱」の場合には、構造材を乾燥させるのに相当の
時間や手間が掛かってしまう可能性が高い。
ドロや水を掻き出すのに手間も掛かり、乾燥にはさらに時間が掛かる。
基礎レベルを超えない場合には問題がないけれど、
それを超えての「越水」に対しては、復元させるのに相当時間が掛かる。
また、この地域では基礎自体を高くしている住宅もあったそうで、
その家では床面までは冠水しなかったとのこと。
過去の水害での浸水レベルを考えて造作していたということ。
水害被害に対しての第1の留意点は
「冠水被害」に対してどう対応すべきかが最大のポイントでしょう。

<写真は今次水害で各家庭から排出の災害ゴミ群>

【建築の祖形からの叫び声】


2日間、仙台オフィスの環境メンテナンスの用があって往復した。
で、片づいたあと、知人の水害の様子を見舞ってきた。
まことに堤防決壊の爪痕はおそろしい。
仙台市北方の吉田川近辺なのですが、その帰り道、
無性に気になって写真のような「農業倉庫」建築に吸い寄せられた。
この周辺にはなんどか取材などの用事があって
クルマを走らせているのだけれど、
なぜなのか、不思議にこころが吸い寄せられてしまう「祖形」。
簡素な切妻、たぶん農業倉庫なのだろうと思われる用途建築。
屋根がやや大きく掛けられているのは、
ひょっとして何度かの補強工事の結果であるのかも知れない。
構造は素朴そのものの建て方で、ただ、素材の木材の表情は
年月をそのまま刻んでいるかのように経年美をみせている。
吸い寄せられたのはたぶんその立地が高台にあって、
矩勾配の屋根面が「仰ぎ見る」ようになっていることで、
ある初源的な建築の美感のところにさわったのでしょうね。
思わず、その「横顔」にも目が向いてしまって
2枚目の写真、シャッターを押していた。
水平と垂直を修正しているのですが

野の花の美しさにも似た、その祖形美にうたれていた。
住宅や建築を見続ける長い旅をしている気がする。

【140年前、わが家近所での開拓屯田兵の暮らし】


住宅の取材というのは、必然的にその家での「暮らしぶり」に密着する。
どうしてこのような家になったのか、ということ。
言い換えれば、家というイレモノは暮らしのために存在すると思う。
いまで言えばまことに寒々とした140年ほど前の、
札幌市西区琴似での生きた暮らしぶりとの相関関係への想像力が
いつも求められるし、なるべく生き生きとした情景を思い浮かべたい。

この琴似屯田兵村は、わが家から1kmも離れていない距離。
歩いていけば7-8分の場所にあります。
地割りは基本的にそのままと言ってもいいほど。
これほど近い位置に日本人なら誰でも知っている歴史痕跡があることに
今更ながら気付かされている次第。
残存している「清野さん」の入居した屯田兵屋には、
ごらんのようなイラストまで掲示されているのでわかりやすい。
一番上にはクマさんが繰り返し集落を襲った様が描かれている。
この屯田兵村は200戸の集住として最初から1,000人単位の村落形成がされた。
この事実は、初期の北海道移住の困難への「対応策」だったと考えられます。
江戸期以来、散発的な「移住」「開拓」の試みはされたけれど、
やはり人間生活というのは、ムラという共同体の存在が大きいのだと思う。
縄文以来のこの列島での人間の営みでは、最低400人程度の集落が
基本生存要件を満たしていたとされています。人間というのは
集団・ムラのような共同体なくしては存在し得ない。鉄則なのでしょうね。
たぶん明治国家もいくばくかの試行錯誤の結果、
そうした人類的共通性に気付き、まずは移住のためのコアとしての
集落・ムラを造営したのだと思われるのです。
この琴似屯田兵村は1,000人規模であり、さらに「軍隊組織」でもある。
共同の危機に対して対応できるだけの基本組織だったと思う。
一番上にはクマさんの襲撃の様子がありますが、
実際にクマの襲撃で恐怖に陥れられた記録は北海道内で相当数に上る。
屯田兵村は、そういった安全保障の基本で地域の「カナメ」を形成していた。
実際に周辺の集落にクマ駆除のために動員された記録が多数残っている。
クマ1頭を駆除すると現在貨幣価値で10万円弱の「報奨金」まで支払われている。
クマ撃ちの名人は弾丸3発で仕留められた、みたいな話も伝承している。
こんなくらしが主に東北の維新戦争敗残諸藩の旧士族によって営まれた。
そんななか、くらしが始まって1−2年後、西南戦争が勃発して
この屯田兵たちも仇敵・薩摩討伐の機会を得た。・・・

マンガ表現では、こんなくらしの句読点のような光景も。
夏場は集住の力もあって、比較的暮らしやすかっただろうけれど、
冬場の寒さへの「戦い」はいまの時代の想像を遙かに絶するものだった。
マイナス20度、30度といった寒冷気候に対して、
断熱の知恵もなく、ただ囲炉裏の暖だけで立ち向かう過酷さは
クマの恐怖の比ではなかっただろうと思います。

【北海道開拓最初の住宅施策は大量生産志向】


北海道庁は少し前まで「試される大地」というキャッチフレーズを
アピールしていました。
けっこう反響があったように記憶していますが、
北海道は開拓初期のはじめから確かに「試され続けてきた」のは事実。


写真上は開拓当時一般的に建てられていた小屋、もしくは簡易な住宅。
だいたいこのように萱葺き・草屋根というのが常識的な建て方だった。
こういった屋根の建物に対して開拓使としてはどうも批判的で
その後、下の写真の「琴似屯田兵屋群」を始原の「公共住宅」として
建設したときには「柾葺き」の屋根としたのですね。
いわば開拓使初源の「住宅政策」であったように思われます。
江戸期には都市住宅に対して間口の広さによる税負担を基本政策にして
火災延焼の危険防止のため屋根を瓦葺きにさせたりしている。
この北海道開拓・札幌本府創設に当たって、測量などの作業進行で
まずは「街割り」を行った。で、大量動員された一時的「出稼ぎ」労働者たちの
簡易な草屋根「小屋がけ」が、かれらの退去後放置されていて
ほかの永住的な建物に対して火災延焼の「火だね」になっていたので
強制撤去させるのが目的で「御用火事」まで仕掛けたといわれる。

たぶんこのようなプロセスから北海道の「住宅政策」は始まっていった。
初源的な官の政策としては合理的大量生産の屋根問題だったかと思える。
柾屋根というのは、薄くスライスした木板片を屋根に張っていく工法。
草屋根が繊維質で空気を内包したストロー状の萱などを使うのに対して
いわば紙のように処理した板材で被覆させる工法。
北総研の建築研究者・高倉さんからの情報では、
「開拓使は、明治4年にシングルマシン(柾板の製造機)をアメリカより購入し、
器械柾を製造し始めます。」との情報が寄せられた。
草屋根がいかにも自然的な非大量生産的なつくられようであって、
そういった自然環境依存型ではなく、機械的な合理的均質性を優先させたのだ。
開拓使としては最初期の最大政策は定住人口増の推進だったから
その生活基盤である住宅については、まずは大量生産志向で
プレファブ的な志向を強く持っていた可能性がきわめて高い。
「シングルマシン」による製材がどの程度のコストだったかは不明ですが、
草屋根のように、どっかから調達する「粗雑」なつくられ方は良しとしなかった。
琴似屯田兵屋は明治7年に一気に200戸ほどが建設されたので、
この住宅を「モデル住宅」事始め的に仕掛けたように思われる。
ただし、当時北海道に滞在していたアメリカのもと農務次官ケプロンは
「薄紙のような」というように表現している。
すでに北米の寒冷気候に対して住宅の気密断熱の重要性に気付いていた北米人には
初源の開拓使の「住宅政策」に奇異の念を抱いていたことがうかがえます。

【堤防決壊広域被災、宮城大崎市・進まない復旧】

昨日、いつもお米を直接購入させていただいている
宮城県大崎市鹿島台の農家の方から緊急のSOSがメールなどで来た。
「今回の台風19号での当地での吉田川決壊により浸水した水が引かず
避難所生活をされている方が150名近くおります。
みなさん決壊を予測できず、着の身着のままの避難だったので
今に至っても、着替えもなく過ごしております。
日々寒さが増してきております・・・。あつかましいお願いですが、
古着でよいので防寒着・防寒下着などを送っていただけないでしょうか?」
という切実極まりないお申し出。
こういうふうに直接頼まれたのは初めての経験でもありました。
たしかに急に堤防が決壊して氾濫して家が浸水すれば、
対応する用意を事前にしておけるという人は少ない。
命を守ることはできたとしても衣類が全滅する事態までは想定できない。
季節的に寒さに向かっていくのに、当然防寒着は心許ないだろう。
こういった事態なのに今回はあまりにも広域同時多発的なので
地元自治体の事実把握・対応すらきちんとされていないようです。
この地域は広域行政合併で「大崎市」に統合されたのですが、
浸水家屋の数自体も行政側での把握が遅れてしまっていたようです。
ご存知の通り、台風による決壊は12-13日ですが
地元テレビ局TBC(東北放送)16日報道ニュースでは
「大崎市は14日現在6軒の浸水被害と発表してきましたが、
実際にはそれを大きく上回る200軒以上に上っています。」
ということだそうです。以下、報道の抜粋。
「濁流で台所の冷蔵庫を押し倒された赤間浩子さん(53)。
被災後15日に初めて住まいの様子を見て愕然とした様子。
片づけの見通しが全く立たず、り災証明発効のために必要な
被害の様子を写真に収めるのが精一杯だと話します。
吉田川の堤防決壊では大郷町で水が引いている一方、大崎市鹿島台では
浸水したまま。土地が低く大郷町側から水が流れ込み
水位は引くどころか上がった場所もあったといいます。
15日になり、ようやくポンプ車による本格的な排水作業が始まりました。
約30年前に大崎市鹿島台を襲った豪雨で1週間、水は引きませんでした。
住民は落胆と憤りの顔色を見せています。」(抜粋終わり)

ということで、とりあえず冬用衣類の古着を昨日送らせていただいた。
発災直後カンパなどは送っていたのですが、家屋復旧に忙しい中で
いちいち連絡してはそれへの対応も迷惑だろうと考えてしまいます。
都合7つの段ボールで物資を送付したのですが、今回はこうした送料も
まったく全額自費負担のようです。ふつう支援物資の場合、
配送料には減免処置が取られるのではと勝手に想像していたのですが、
まったくありませんでした。
どうも今回の被災地支援の行政対応は後手後手のように思われます。
っていうか、情報の把握自体もきちんとされていないのは、
どうにも疑問が膨らんできてしまいます。
それにしても、12-13日の堤防決壊からすでに8日経過なのに、
写真のような状況だと言うことに驚かされます。・・・

【わが家直近の「歴史」屯田兵屋再探訪】

きのうは、最近わたしのライフワークに強力な助っ人をしてくれている
娘とわが家のすぐ近く1kmほどにある「有形文化財」
琴似屯田兵屋を再探訪しておりました。

わたしは人生でいろいろなところに住んできました。
各地をめぐって39歳の年に現在地・札幌市西区山の手に住み始めた。
なので人生時間30年近くを今の場所で住んでいる。
っていうか、札幌市西区琴似周辺という意味では40年以上。
最近、北海道の住宅始原の探究をテーマにしてきて
ようやくにして、地元のことに思いが至るようになって来た。
まことに恥ずかしながら、であります(笑)。
屯田兵というこの地域の基盤になった歴史事実にも、
こういう興味が向いてきてようやく気づき始めているという愚かさ。
図は琴似地域の屯田兵入地の配置図と、現在の地図とが
ほとんどピッタリ重なっていることを示しているもの。
図の真ん中あたりの⬇は、都下鉄琴似駅1番出口で、
現在はよくお世話になっている北洋銀行琴似中央支店。
で、その面している左右が現在メインストリートの琴似栄町通り。
軍隊組織形態の指揮命令系統所在地も現在の「札幌西区役所」に
ほぼ相当する位置に当たっている。
屯田兵村の「街割り」が約150年後のいまでもその原型のママ、
今の時代までつながってきていることが一目瞭然であります。
この屯田兵村は、明治8年・1875年に総戸数198戸、
約1,000人規模の集団移住によって開かれたという
北海道でもごく最初期にあたる「街の造成」事業だったのですね。
探訪している「屯田兵屋140号」という建物も、清野さんという方の
お住まいだったそうですが、その家系の方とおぼしき高校同級生も
いることに今更ながら気付いたりしている。
屯田兵の末裔と思われる友人も数えられるほどいるのです。

灯台もと暗し、歴史が大好きなのですが、
こんな150年ほどの身近で事実発掘が容易である街にいることに
あらためて驚かされながら、大きな「テコ」を手にできた
そんな思いが強まってきております。
歴史把握は行ったり来たりすることと言われますが、
ちょうど寸法の基本が人間の肘から手までの長さであることと
似たような把握感覚として、この歴史時間150年間がテコになれる。
ふ〜む、と深く気付かされるところであります。

【専門誌デジタル読み放題 Biz SHERPAにReplan参加】

リコーは全国の事業所にコピー端末を販売事業を展開している。
ビジネスモデルとして機械単体での展開では今後の成長性が見えにくい。
しかし既存の顧客層の厚みは巨大な蓄積を持っている。
一方で雑誌ビジネスもまた紙にだけ依存した形態では存続が難しい。
そういった相互事情からまったく新たなサービスが生まれた。
ビジネス誌・業界専門誌読み放題サービス「Biz SHERPA(ビズ・シェルパ)」
~業種・業界に特化した専門性の高い情報をデジタルコンテンツで提供~
で、リコーの顧客層でも最大なのが「住宅建築系」企業群ということで、
先行的にそうした専門的雑誌群が選択された。以下雑誌メンバー。

こういう「専門雑誌群」は、一般的には東京で全国向けに
書店流通させてきた雑誌ばかりということになるのですが、
なんと、わたしどものような「地域型住宅雑誌」にも声が掛かった。
Replanは北海道と東北、関西でも発行している高性能住宅雑誌。
デジタル版は北海道版を継続発行。「地域住宅雑誌」が基本出自ですが、
なんといっても北海道の住宅が情報基盤なので「高断熱高気密住宅技術」の
最先端事例、その啓蒙雑誌という側面もあります。
日本の高断熱高気密運動を牽引する鎌田紀彦氏の連載記事や
不可欠な住宅設備研究の最先端、東大・前真之氏の連載記事も掲載。
住宅実例として幅広く先端的技術力を持った作り手の最新事例を紹介し、
その建築技術風土の中で革新的なデザインに挑戦している
いわば性能とデザインを止揚する地域の建築家も多く事例発掘してきた。
一般ユーザー目線でありながら啓蒙的に住宅進化も志向させたいという
やや特殊な立ち位置の「地域住宅雑誌」。
地域全体として高断熱高気密住宅に取り組んできた北海道の動きを伝えている。
地域密着型と言うよりも半ばは住宅建築専門誌的とはいえるかも。
そういったポイントに注目されてメンバーに選定されたようです。

さらにこのサービスは「情報ビジネス」の最先端的なビジネスモデル。
どちらかといえば、BtoB的な意味合いとしての展開。以下要旨。
〜近年、パソコンやスマートフォン、タブレット端末などの普及とともに、
電子書籍デジタルコンテンツ移行が進んでいます。
また定額制の読み放題サービスなどのサービスが数多く登場しています。
しかし、業種や業界に特化した専門誌はデジタルデータとして
横断的に閲読できるサービスが少なく法人ユーザーにとっては、
「出所が確かで質の高い」専門情報を収集、閲読するのが難しい状況。
「Biz SHERPA (ビズ・シェルパ)」は各業種業界の専門誌データを、
記事単位に分割して分類し利用者の関心ごとに情報に再構成して提供する
月額制の読み放題サービスです。ビジネスに役立つコンテンツを、
出版社の枠をなくしWebブラウザ上で一元的に閲読できます。
専門性が高い良質コンテンツを「見る」「探す」「集める」に特化します。〜

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【五輪マラソン札幌へ 気候変動と寒冷地開拓価値】

IOCから来年の東京オリンピック・マラソン開催地に札幌の名が上がった。
要因はあきらかで、年々凶暴化する「気候変動」による酷暑。
35度を超える大会期間中の気温条件では、
アスリートたちにとって危険な状況であることはあきらか。
決定までにはまだ曲折もあるかも知れないけれど、
アスリートファーストで考えれば、流れは決まっているのだろう。
国際都市として相当充実したインフラを持ちつつ、
首都と気温で5度以上違う日本のバックアップシティにIOCは着目した。
日本の大都市の年平均気温は東京から福岡までだいたい16度前後だけれど
札幌はおおむね9度前後。(仙台は12-13度)
しかも飛行機移動では世界有数の旅客数路線で羽田から1時間半程度。
この時間距離も東京からたとえば千葉までの移動を考えても
そう大きな「距離感」とはいえないだろう。
このような緊急的な選択多様性は国の価値を高め対外的に有益だと思う。
札幌に住んでいる人間からすると、この期間中(8月上旬)は、
当地としてもものすごく暑いので大丈夫か、という不安はあるけれど・・・。

このことが暗示的だが、巨視的な近未来気候変動対応として、
日本にとって寒冷気候の北海道の開拓・領土経営に成功したことが
大きなプライオリティとして浮かび上がってくる可能性が高い。
人類全体では蒸暑地域に8割以上が生きているけれど、
科学技術発展は、やや冷涼な西欧から発祥していった。
関東以西・以南地域が気候変動によって夏期、暮らしづらいほどに
過酷な環境になっていく可能性は年々高まってきている。
亜熱帯化する関東以西・以南地域の人口集積は80%を越すけれど、
冷涼な札幌・北海道の活用可能国土はまだ余力を十分持っている。
・・・しかも、寒冷条件をクリア可能な「居室内環境」技術が高い。
国が定めた住宅性能基準を地域全体レベルとしておおむね満たしているのは、
誰の目にもあきらかだという事実がある。
新住協の今年の総会ではおおむね蒸暑の夏期対策が検討されたけれど、
寒冷地の住宅技術がより広い地域の人間居住環境に劇的変化をもたらすことに
多くのひとが気づき始めていると実感した次第。
人類危機的な巨大な気候変動への国家対応は
ようやく北海道がニッポンの役に立つことができる局面なのかもしれない。

<写真は明治8(1876)年竣工の「琴似屯田兵屋」群>