きのうは、最近わたしのライフワークに強力な助っ人をしてくれている
娘とわが家のすぐ近く1kmほどにある「有形文化財」
琴似屯田兵屋を再探訪しておりました。
わたしは人生でいろいろなところに住んできました。
各地をめぐって39歳の年に現在地・札幌市西区山の手に住み始めた。
なので人生時間30年近くを今の場所で住んでいる。
っていうか、札幌市西区琴似周辺という意味では40年以上。
最近、北海道の住宅始原の探究をテーマにしてきて
ようやくにして、地元のことに思いが至るようになって来た。
まことに恥ずかしながら、であります(笑)。
屯田兵というこの地域の基盤になった歴史事実にも、
こういう興味が向いてきてようやく気づき始めているという愚かさ。
図は琴似地域の屯田兵入地の配置図と、現在の地図とが
ほとんどピッタリ重なっていることを示しているもの。
図の真ん中あたりのは、都下鉄琴似駅1番出口で、
現在はよくお世話になっている北洋銀行琴似中央支店。
で、その面している左右が現在メインストリートの琴似栄町通り。
軍隊組織形態の指揮命令系統所在地も現在の「札幌西区役所」に
ほぼ相当する位置に当たっている。
屯田兵村の「街割り」が約150年後のいまでもその原型のママ、
今の時代までつながってきていることが一目瞭然であります。
この屯田兵村は、明治8年・1875年に総戸数198戸、
約1,000人規模の集団移住によって開かれたという
北海道でもごく最初期にあたる「街の造成」事業だったのですね。
探訪している「屯田兵屋140号」という建物も、清野さんという方の
お住まいだったそうですが、その家系の方とおぼしき高校同級生も
いることに今更ながら気付いたりしている。
屯田兵の末裔と思われる友人も数えられるほどいるのです。
灯台もと暗し、歴史が大好きなのですが、
こんな150年ほどの身近で事実発掘が容易である街にいることに
あらためて驚かされながら、大きな「テコ」を手にできた
そんな思いが強まってきております。
歴史把握は行ったり来たりすることと言われますが、
ちょうど寸法の基本が人間の肘から手までの長さであることと
似たような把握感覚として、この歴史時間150年間がテコになれる。
ふ〜む、と深く気付かされるところであります。
Posted on 10月 20th, 2019 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅マーケティング, 歴史探訪
コメントを投稿
「※誹謗中傷や、悪意のある書き込み、営利目的などのコメントを防ぐために、投稿された全てのコメントは一時的に保留されますのでご了承ください。」
You must be logged in to post a comment.