本文へジャンプ

【連休初日 タンポポ観察 in 松前】

たしか、サクラを見に行ったんだけど(笑)。
結局、夫婦で感動してきたのはタンポポに3種類あること。

わが家的ゴールデンウィークは観桜が恒例。
最近はだいたいサクラの開花がこの時期に間に合ってきた。
温暖化の進展のようで、ややどうか、ではありますが、
これについてはやはりウレシイ。
ということで、早暁から運転を交代しながらの旅。
無事に五稜郭のみごとなサクラを見物後、
道南といっても、弘前に行くのと大して変わらない時間距離の
松前にも脚を伸ばしておりました。
松前のサクラはとにかく樹種がすごい豊富で、
よくわからない品種のサクラが咲き誇っております。
一応、ソメイヨシノが城門前にあって、それが
この地での「開花」標準木とされていまして、
こちらはいま、ちょうど5-6分咲きといった様子ですが、
全体としてはまだまだ咲いていないサクラの方が圧倒的多数。
ということで、目線がやや下がっていたら、
今度は足下での発見が次々とあった次第。
北海道ではふつう、タンポポと言えば黄色一色と決まっている。
わたしもカミさんもその「常識」につよく縛られてきた。
ところが、松前城内の「龍雲院」の園庭ではたくさんの花が植えられているなかに
「白いタンポポ」というものを発見させられた。
説明書きも初めて目にふれて読ませていただいた。
なんでも、本州地域ではこの「白いタンポポ」というのは
比較的ポピュラーなんだそうですが。
で、探したらあちこちにつぼみから開きかけのヤツを発見。

で、さらにあちこち、下を見回していたら、
今度はなんと、ピンクのタンポポも発見。
「いや、これはタンポポじゃないよ」
とそっくりな葉っぱや花ぶりを見ても懐疑的なカミさんでしたが、
WEBで調べたら、やっぱり「桃色タンポポ」という種族を確認できた。
ということで、写真は三色のタンポポであります。
どうも、ここんところ、長く生きてきてもなんにも知らない現実に
深く驚かされることの多い日々。
まだまだ、探究心を持って頑張らなければなりませんね、う〜む。

【寒ざらしそばと五分咲きサクラ】


先日「ではかおり」の蕎麦を山形で食して以来、
すっかりその魅力にノックアウトされております。
お店は「庄司屋」というお店で、その蕎麦自体の味わいの濃さに
すっかり、にわかファンになってしまった。
日程が合わずに月曜日定休ということを知らずに訪れて残念な思いとか、
他の店ではそれほどの味わいを得られなかったりと
山形通いが、それこそ一期一会的な出会いに満ち始めています(笑)。

で、先日久しぶりに再訪することができた。
そうしたら、まだ1−2度の訪問なのに
お店の方が憶えていてくれたようでした。
客の顔を覚えるというのは客商売の基本だそうですが、
やっぱりこちらにしてみるとうれしい。
で、ふと、「寒ざらし」という蕎麦のシーズンである旨のPOPが擱かれていた。
ま、いいやと無視しようとしたら、
「オススメしますよ」
「あ、え、そうなの?」
という表情を浮かべていたら、
「いや、いいんですけど、期間限定で、あとで残念になられても・・・」
というようないかにも余韻のあるお誘い。
「・・・了解しました。ではそれ、板そばで」
という掛け合いで食させていただいた。

寒ざらし蕎麦、というのは以下のような次第。
昭和49年古い文献の中に、江戸時代の頃、信濃国(今の長野県)の
高遠藩、高島藩は 「暑中信州寒晒蕎麦」「暑中寒晒蕎麦」の名称で
将軍家に蕎麦を献上していたという記載を見つけ、
その復元を試みたところから始まりました。
 試行錯誤の末に、寒ざらしソバ粉製造の処理工程を旧暦の二十四節気を規準として、
大寒を冷水処理作業開始日、その後約五十日間、戸外厳寒の中で
この処理作業を続け、啓蟄まで完成させるという山形方式が確立されました。
 昭和59年「山形そばを食う会」で、この山形方式で作られた
「寒ざらしそば」が初めて披露、試食会が催され大好評を博しております。
本来「暑中寒晒蕎麦」は将軍が真夏に食べるものでしたが、山形では、
桜の開花とともに賞味する期間限定のそばとしております。
これにより、春に種蒔きし夏に収穫してお盆頃に販売する「夏新そば」や
おなじみの秋の「新そば」と、山形では年間を通じて
美味しいそばを味わうことが出来ます。 ・・・。

まぁ、玄味あふれる蕎麦という食品、
日本人の工夫をさらに呼ぶ食べ物であることは間違いありませんね。
で、その「花見」の様子、函館五稜郭の5分咲きくらいのサクラの
映像を添えてご報告とさせていただきます。

【あるニッポンの街並み景観】


上の上下の写真の家々はある街でお隣同士で建っていた。

日本の場合は、既存住宅地と言ってもその家が建てられる年代は
大きく異なっていたりする。
リフォームや建て替えに当たって周辺に配慮するかしないかは
個人や建築サイドの主観的決定にほぼ委任されている。
なのでいわゆる街区としての統一感というものは存在しにくい。
江戸末期に日本に来た西洋人たちは、江戸の統一的な街並みを見て
さらにそこにゴミ一つ落ちていない様子を見て
貧しさはあるけれど、人々は幸福そうだ、と印象を語っていたとされる。
それから百数十年後、写真のような街区が日本には形成されている。
戸建て注文住宅、という個人主義に委任された公共・街並みが
日本のふつうの風景になってきている。
こういう「不統一」を社会的に制御するシステムは存在しない。
せいぜいが、景観条例というようなものだろうけれど、
京都のような歴史的街並みを持つ,ごく一部的な部分に限られる。
そしてさらに、このような不統一についての反応・感覚でも
常識的感覚を、日本人は共有できているのかどうか、
そのことにも大きく疑問符があると思う。
一方で古い商業街区とは異質な新興のAEON中心のクルマ社会ゾーンでは
それこそ巨大商業資本による街並み看板ランドマーク独占が
全国一律に近い「統一感」でもって構成されている現実もある。
今やそちらの方に街並み感覚が育ってきているかも知れない。
そういう街並みの現状のなかで、戸建て住宅における
このような「不統一」に異議申し立てするのもいかがかと思うのだ。

見た目には下の和風住宅は端正な街並みへの貢献を感じる。
しかし、きのうもある住宅企業の方と話していて
いまや、こういった「数寄屋」の建て替えが全国的に顕著で
その過程で庭石など、手の掛かる庭園装置が大量の「廃棄物」として
顕在化してきているのだと聞かされた。
また、新築に当たって庭木を施主さんにプレゼントしても
「木には虫がついて、面倒だ」と敬遠される、とも。
そういった社会全体の傾向から、この写真のような街区は
全国的にもどんどんと拡大していっているだろうと感じます。
われわれの時代には、このような街並み景観が進んだ現実があるけれど、
さて、はるかな後世になって、このわれわれの作りつつある街並みは
どのように「評価」されるのか。
むしろ世界に稀有な「戸建て注文住宅」個人主義全盛の社会遺構として
世界遺産に登録される可能性もあるかもと、妄想が沸き起こっています。

【小さな感動(笑) 笹団子の包装】


みなさん、高速道路PAで疲れを休めるとき、
ふと甘い物に目が行きませんか?
わたしは、そういうとき、この好物に完全にノックアウトされる(笑)。
ということで、きのうも買い込んでいました。
1コ125kcalで合計5コ、全部食べると625kcalというカロリー計算をして
計画的に食べなければならないけれど(笑)おいしい。

で、ふだんはあまり考えずに
包装をすぐにはがして口に持って行くのですが、
ふとこの笹団子の包装に気付いてしまった。
これまでも同じような分量で同じような包装だったような気もするのですが、
よく思い出せない。というか、気にしたことがなかった。
笹にくるまれているので、そこそこ中の団子の保湿に役立ち、
なお、風味が笹から移り香のようにただようのは、素晴らしく日本文化的。
「あんこの入った草もちを笹の葉で包んだ後から蒸し上げることで、
殺菌と笹の葉の抗菌成分で日持ちする包装技術 」ということ。
で、今回気付いたのが、それを縛っている藁ひも。
これは5コ入りですが、この藁ひもは1コずつ上下で縛り上げて
さらに十文字に縛り上げ、それを1コずつの横のところで結んでいる。
食べるときにはそこをほぐすとするするとほどけていくのです。
この様子自体も1箇の演劇的要素を持っている。
ワクワク感が自然に盛り上がっていくのですね。
で、それらがまた連結して全体として5コのひと繋がりとして
縛り上げられているのであります。
なので、ビニールの袋に入ってはいるのですが、この藁ひもを持てば
全部を軽快に持ち運ぶことができるようになっている。
「おお・・・」と初めて気付いて驚かされていた。
ていねいにこの藁ひもをほどきながら、この包装の機械化技術にも
驚かされていた次第であります。
たぶん、初源としては家内制手工業の女性たちの手仕事でしょうが、
この工夫ぶりとムダの無さ、心配りと作業効率のバランスに
まさに日本製造業の一断面を見るかの思い。
そしてそうした手仕事の風合いを活かしながら、包装の機械化に
取り組んでみごとに完成させたに違いないところにも感動した。

多くの人の工夫と努力の集積が「文化」でしょうが、
包装という縁辺系でもこんな工夫があったかと。
長く生きてきたけれど、こういう工夫に初めて気付いた自分の至らなさに
思わず赤面しながら、小さな感動に浸っておりました。

【GW前にきのう、札幌もサクラ開花】

っていうことですが、それは標準木の観察結果ということで、
その他の一般のサクラやその他の木々や花々も
そこかしこで彩り豊かな表情を見せてくれていました。
以下、サクラ前線情報の抜粋。

<今年のさくらは、平年より早い地域が多くなっています。
現在、北海道で咲き始め、東北北部で見頃となっています。
今年の冬は、日本付近に寒気が流れ込みにくい状態が続いていたため、
暖冬となりました。このため、休眠打破は鈍く
花芽の成長のスピードは遅かったとみられます。
一方、2月後半から3月中ごろまでは気温がかなり高くなりました。
このため、平年より早い開花となったところが多いですが、暖冬の影響が大きい
もともと暖かい地域では、平年並みかやや遅めとなりました。>
というのがおおむねの総括のようですね。
なにはともあれ、GW前にも開花というのはすごくうれしい。
ことしは長い休暇になるので、スタッフからはあれこれの予定を聞きますが
この分ではどこに行っても楽しめそうな様子。
それぞれに愉しく過ごせそうなので、同慶の至り。

やはり自然のもたらしてくれるよろこびが
いちばんこころを和ませてくれる。
とくに北国人には一番最後にやってくるという独特のよろこびもありますね。
ということで、本日は多忙の日程を前に閑話休題でした(笑)。

【ニッポン技術の揺りかご。 農業土木】

ときどき、こんな風景の中を散歩しております。
現代の重機を使って幾何学的にクッキリと土地を区画して
機能的な農業耕作地を造成している。まぁ当たり前の光景、ですが。
農業という人類の創造した社会システム。
それまでの狩猟採集という生存手段に対して、圧倒的な人口培養力があった。
日本列島社会では既存の縄文的生存システムに対して
あらたに、たぶん大陸や半島地域から農業という
「生産システム」社会そのものが「進出」してきたのだろうと思います。
その進出の「波動」には時期的な「ズレ」があって、
初期に進出した社会が、一定期間の熟成を経て、
連合的なつながりを生み出し、八百万の神という形式で根付いていた。

で、その社会では、農業土木という集団的な労役を基盤とした
支配と被支配の関係が当然のように存在していたのでしょう。
それまでの縄文的平等思想に対して、権力という
「見たこともない」というか、物理的強制力以上の力関係での目的的集団労役。
伝統的な縄文社会にして見れば、まことに不可思議だっただろう。
「あいつらはどうしてあんなことをしているのか、できるのか?」
初期の社会の遺跡である吉野ヶ里などを見学すると
こうした農業土木のための「道具」としての鉄器が、
集団社会の権力層によって「管理」されていた状況が見える。
田畑を造営するための基本用具としてのクワ・スキなどが管理されていた。
そもそも鉄の生産システムも管理されていた様子がうかがえる。
その後のヤマト政権の多賀城などの「遠の朝廷」でも痕跡がある。
ある時期まで、こうした社会と権力層が古墳のような大型土まんじゅうを
一生懸命に生み出していったのは、こうした管理農業土木の証しではないかと。
集団的労役で盛大に土をいじり回して、結果として
その残土を古墳というような形式にして積み上げていったのではないか。

こうした農業土木の進化過程は地域に根付いた技術資産になった。
地形と風土性を設計的に「読み取って」耕地の配置計画を行い
農業用水利用計画も、水田農業の結果、高度化していったのだろう。
たぶん、縄文システム社会の伝統派住民からすると、
写真のような光景は、許しがたい「自然破壊・環境破壊」と見えただろう。
しかし列島社会全域にわたってのこうした社会の伝播・波動は
それによってもたらされる経済発展で、縄文システムに置き換わっていった。
今日、われわれ社会では、こうした写真のような風景は
むしろ、郷愁を誘うというような印象が支配的なのではないか。
縄文的自由からすれば、奴隷意識の先に郷愁まで持つのかと思うだろうか?
土地を人為的に操作して、改変して経済的利得を獲得する。
その最大のテコが農業土木であり、またそこで培われた技術が
さまざまに変位していって、精緻な水田農業に特化進化した細密な技術が
日本独特の技術進化の起動力になった、そんな想像を掻き立てられます。

わたし的には、そんな妄想が似つかわしくみえる風景ですが、
やはりのどかな「自然の光景」という印象の方が多数派でしょうか?

【カラマツ無塗装目透かしで防耐火の外壁】


ふたたび新住協・鎌田紀彦先生の講演からの記事です。
あわせて、先日見学していた棟晶さんの新住協モデルハウスの写真。
一見して目を引いていたのがこの外壁の様子。
北海道、札幌で生まれ育ってきた住宅視認経験がわたしの原風景ですが
よく見ていたのは、外壁が下見板張りの木造住宅群でした。
わたしが札幌に引っ越してきて10数年住み続けていた家も
そうした外観デザインの住宅だった。
そうした記憶は、寒さが厳しい住みにくい家のイメージが刷り込まれていました。
無断熱でひたすら石炭暖房で冬を越すという「力任せ」の
越冬型の冬体験の象徴だったように思います。
寒かった、しかし、それが暮らしの原風景と体験であって、
ある部分では無性に恋しいと思えるような住宅デザインでもあった。
その後、モルタル壁に表面仕上げが移行していったのです。
そこに高断熱高気密住宅の革命が起こって
乾式仕上げのサイディングが通気層工法に対して加重の少ない外壁として
一気に普及していったと思います。

そんな状況の中にあって、
建築家・倉本龍彦さんが、通気層工法で下地に防火建材を使って
いわば重厚な外壁構造の面材として、下見板外壁を復活させた。
コストはかかるけれど、再度あのなつかしい下見板張り外観を
北海道の住宅シーンに復元させてくれた思いがした。
今に至るも、倉本さんのデザインへの共感ははるかに持続し続けている。
このことは、北海道の住宅史のなかでも特記されてほしい。
そんな思いを持続させてきて、今回、この鎌田紀彦モデルで
ふたたび、板張りの外観が提起されていたのです。
今度は縦張りで目透かし張り、しかも素材の幅も3種類あるという趣向。
目透かしの間からは輸入の「透湿防水シート」が奥に張られていた。
その内側にはモイスという防耐火の基準を満たす面材が張られている。
コスト的には外壁塗装の積極的なキャンセルなど、抑える工夫が随所に見られる。
そうした構成が、充填断熱・付加断熱層と相まって
寒さから人々を守るシェルターを形作っている。

見学してからもう1カ月近くになっていますが、
やはりジワジワと、この外壁に対しての印象が深くなってきています。
北海道の家は、庭などの植栽演出が積雪の影響から
なかなか難しいこともあわせて考えると、
外壁の素材が他地域と比較しても非常に重要であるように思います。
ひとびとの目に触れる印象で、植栽などの「自然」がないとすれば、
やはり木質の外装が、人々と街並みの印象を和らげてくれるのではないか、
北海道らしい質感のカラマツなら、まさにふさわしいのではないか。

【藤原清衡の平泉開都、奥州振興計画】

さて今週が終わると、新天皇即位関連の大型連休が始まりますね。
それまでに片付けなければならない案件が山積なのですが、
どうなるか、頑張るしかない。

なんですが、しばらくカラダも酷使してきたので、
きのうはひたすらの体調調整日。
しばらく歴史探訪系のことは封印してきてしまっていますが、
ふと、中尊寺参詣の時の写真データとにらめっこしていて、
清衡さんの事跡とされる以下のことがふつふつと湧いてきた。
「白河の関から外ヶ浜まで、1町(109m)ごとに1基の笠卒塔婆を建て、
その中心になる中尊寺に1基の塔を建てた」という件。
そして、その「中心」たる平泉に都市を造営する。
北上川の水利を活かす「港湾施設」を中心にして
平泉の街区を造営して、宗教施設としての中尊寺・毛通寺などを
盛大に造営することで、中央権力とは異質の地域権力を作った。
その経済的基盤ということを意味するように、
この「街道建設」を行ったとされている。
いわゆる「奥大道」といわれる幹線道路ですね。
その後の平泉の繁栄を基礎づけたという意味では、
たぶん、もっとも大切な「地域振興策」であったにちがいない。
奥州の経済を支えただろう,産金産業、ウマ生産やその他の北方産品の
基本的な輸送ルートを担ったのでしょう。
今日に至っても、この道筋に東北道が縦貫しているのですから
古来、東北の経済大動脈を造成しようと考えれば、
必然的にこうした地理活用になるのでしょうね。
現代の東北道を往来してみるとわかるけれど、
仙台平野北部を抜けて、奥六郡と呼ばれた岩手県中央部平野部に至るには
この平泉地域が全体として、分水嶺のような位置に当たっている。
奥州全体の「地域開発計画」としてきわめて至当だと思います。
たぶん、こういった経済的な施策がうまくいったので、
平泉政権は3代にわたっての栄華を築き上げることができた。

滅亡の時には、武力の面では関東軍に鎧袖一触でやられるほどに
「貴族化・弱体化」していたとされますから、
経済に特化していた政権だったのでしょう。
この「奥大道」をどんな物資が往来していたのか、
長く、ずっと妄想をかき立てられてきています。

【沈黙が支配する空間を持つ日本社会】

写真は仙台市泉区の「柳澤寺」の山門見返し。
近隣でたいへん賑やかな空間を訪れた後、
無性に「静かさの支配する場所」への渇望が襲ってきて
神社か、仏閣か、と探すウチに出会ったお寺さんであります。
曹洞宗の寺院とかで、禅寺であります。
最近都市化が著しい泉パークタウンにほど近いけれど、
ごらんのような背景の緑もゆたかな環境の中にあって、
静寂が得られる空間が出現している。

JIAの10代目元会長・出江寛さんの講演を何回か聞く機会がありましたが、
氏から「沈黙が支配する」空間こそが日本文化の核心、
といったようなテーマのお話しが真骨頂のように感じていた。
沈黙は金、といった格言もありますが、
喧噪の巷から自我を取り戻すためのこういう空間を持っていること、
そしてそういう空間が集落なり、都市の中枢に
計画的に配置されているのが、日本社会の特徴である気がします。
東京の中心に皇居という森が広がっている社会をわたしたちは
ごく自然に受け入れてきているけれど、
このことの価値感とは、やはり「沈黙が支配する」空間性というものが
日本人的な心性に大きな共感を呼ぶ、ということを表していると思う。

沈黙にもさまざまな「表情」があり、
そういうことがらをデザインにまとめ上げるのが、
日本建築の重要なキーパーツなのでしょう。
この写真は山門全景から「切り取って」見た次第ですが、
写真画像の中から、沈黙が支配する要素だけにした、というところ。
自然の背景の中で、それと長い時間スパンで応答する装置としては
端正な柱・梁・屋根といった「結界装置」がふさわしい。
自然と対話する建築こそが、日本人の心性には似合っている。
どうも縄文くらいから由来する建築のこころの中核に
こういった精神が息づいているように感じられてならない。
・・・喧噪の「住宅展示場」から、無性にこういう空間に焦がれた次第。

【着々販売順調! 地域型住宅「南幌プロジェクト」】

一昨日、仙台で地域工務店グループの会合があって
「講演」の講師を依頼されまして、お話ししてきました。
全国各地にお伺いするケースが多いのですが、各地での地域工務店の動向について、
相互での「情報交流」という機会はそうないので、
いろいろに関わらせていただくケースをご紹介することがあります。
今回は、ちょうど全国からの見学者が相次いでいた北海道札幌市近郊の
南幌町での、北海道庁も関与した「南幌プロジェクト」についての
ご報告を中心にお話ししておりました。

2018年6月に5軒のオープンハウスが公開され
地域の工務店と建築家が協働して北海道が推進する「きた住まいる」の理念を
体現した住宅を多くのみなさんにご覧いただいてきました。
Replanとしても広報関係の総合的お手伝いをさせていただきました。
地域の「製造業」としての住宅建築のレベルを明瞭に示す機会だったと思います。
作り手のみなさんの情報交流の密度の高さ、協業の絆の強さ、
そして出来上がる住宅の品質・デザインのレベルの高さなど、
全国企業のハウスメーカー住宅展示場とは異質の「熱さ」がありました。
こうした「地域の家づくりパワー」について情報を各地に伝播させるのも、
わたしどもメディアの大きな役割ではないかと思った次第です。
Replanとしてはその誌面での表現、広報から、
販売に関わる広報宣伝、WEB利用でのマーケティング全般をお手伝いしました。
こうした過程で、雑誌表現とはいわゆる「ブランディング」がメインであり
ユーザーコミュニケーションの部分ではその「品質や深さ」に関わること。
そしてユーザーとのコミュニケーションではWEBでの「対話」を
さまざまに工夫していくという役割分担を実践することができました。
結果として、今回はいろいろな成果に結びついてきています。
販売ではすでに3棟が引き渡されていますし、
残りについても、具体的な展示場効果から別件の受注に結びついており、
中小零細企業ながら一般のみなさんへの
ブランドバリュー向上には大いに役立ったということができると思います。
また、これまで販売が停滞していた周辺の敷地の販売が活発化して
南幌町の地域の活性化に大いに貢献しているともいえるでしょう。

こうした実績は、全国各地の地域工務店にとって
大いに勇気づけられることなのではないかと思います。
全国大手による市場独占によって地域活力が失われていくのに対して
地域がどうやって中核的な製造業としての住宅産業を守っていけるか、
ランドマークの役割も果たせたのではないかと思います。
そうした北海道の経験をもっと多くの地域に伝えたい。
今後とも、こういった情報拡散の機会があればと願っています。