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【トイレ設計のエチケット】


現代人というのはとにかく「移動」し続ける。
飛行機・鉄道・公共交通機関・クルマなどなど、
移動手段は無数に存在し、定点的に生きるよりも移動する生活の方が
現代人類をより深く規定している要素。

移動すれば、人間にはかならず排泄が伴っていく。
ということなので、トイレは公共建築施設の最重要要素だと思う。
こういう建築要素については、常識とかマナーとか
エチケットといった公的な部分が十分に配慮される必要があると思う。
昨日もなにげなくカミさんとやや遠出して高速を利用した。
わたしが運転していたけれど、ブログでの書き損じに気付いて、
応急でスマホを使って修正するためにあるPAで運転チェンジ。
そのチャンスでトイレを利用した。
正面から進行方向を見たのが1枚目の写真。
まっすぐの「目隠し壁」がやや方向が振ってある。
建築的意匠に属するので習い性で、おや、どういう意図かなぁと推測。
ふつう考えられるのは、いきなり便器が見えるのを避けるのは常識として
さらになにか、動線的に仕掛けたいのかなと想像した。
ところが、右動線も左動線にも明瞭な意図はなかった。
特段の装置的なものもなかった。
あえて見いだせば、右側に方向性の「流れ」を作りたかったのか。
向かって左側に小があって、右側が大という当然の配置。
で、わたしは左で用を足した。
けれど、すぐになにか奇異な「違和感」を感じた。
そうなんです、カラダの左側面から予期しない映像が視線に入ってくる。
方向を振っていた目隠し壁には手洗いが背面に配置されていて
その鏡がトイレ側から視線に入ってきてしまうのです。
そこには用便している自分自身が映し出されている。
こういう姿勢、こういう行為を見続けたい人間というのは、
まずそれほどいないだろうと、困惑させられる。
わたしも言いようのない羞恥心を抱かされた。「おいおい」であります。
こういう行為の様子を自分自身で見たくもないし、
ましてや他者の視線にさらしたくもない。
どうにも、この鏡の配置には違和感、
さらにはプライバシー的疑問が湧き上がってきてしまった。

週の初めのブログテーマとしては、
ややすっきりしないテーマではありましたが、
多くの人が利用する「公共」的空間の建築意匠として
どうであるかと、疑問を持った次第です。
あるいはこの方向を振った目隠し壁と洗面鏡には
こうしたデメリットを乗り越える利便性・メリットがあるのでしょうか?
建築意匠を考えることが多いけれど、どうも見いだせなかった・・・。

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