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【人口増加期・昭和郷愁の「ちゃぶ台」食文化】



わたしが生きてきたこの60数年でも、食卓文化は大きく変わった。
わたしが少年期を過ごした住宅では、この写真のような
「ちゃぶ台」が食卓であり、家族がこの丸いテーブルを畳敷きの居間に
その時間になると脚を立てて広げていた。
普段は部屋の隅などに立てて仕舞い込まれていた。
わが家は父母子ども8人家族だったので、めったに全員いっしょという食事はなく、
たいていは数人で食べていたように記憶している。
食器も各人ごとのメシ茶碗、汁椀、おかず皿のほかに、供用の大皿に
たとえば漬け物などが盛られていた。
自分の食事が終わったら、おおむねそれらの食器を台所の洗い場に持参した。
食事後もその居間にいて、他の家族と一緒に団欒の時間を過ごしていた。
ちゃぶ台は記憶だけれど、たぶん1.2m直径くらいのもの。
4−5人くらいは座れる程度の大きさで、8人家族では2−3交代で
毎食事を食べていた。
ちゃぶ台、という食卓文化から、やがて常時据え付けの
ダイニングテーブルというスタイルに変わったのは、いつころなのか、
わが家の場合には、わたしが高校生になったころに札幌市内中心部から
約3kmほど離れた札幌中央市場近くに移転したけれど、
その新築の住宅で、専用の「食堂」室が造作され、
長方形型のテーブルに変わった。
常時設置されていたので、テーブルにはビニール製のクロスを掛けた。
このダイニングはキッチンと同室で、母親が背中を向けながら
こどもと会話しながら食事を作って配膳してくれた。
食事メニュー構成、食べ方などは従前を踏襲していた。

こういった変遷はしかし、まことに時代的だったのだとやがて知るようになった。
食卓の変遷は時代をそのまま表していた。畳の床で比較的大家族、
そういう環境での融通無碍な食卓空間装置。
ちゃぶ台という食卓文化は、明治末から昭和後半くらいまでの
ごく一時期、日本人がひろく馴染んだ形式だったそうです。
食事を畳の床に座って食べる時代の最後期に、このちゃぶ台があり、
その後は床がフローリング張りの木の床になって、常置型のダイニングテーブルに
その座を譲ったということ。
また、明治末以前までは、各個人ごとに膳に食器・食事を盛って
畳の上に座って、家の人間ごとに座る場所が決まった位置で食事するのが
一般的な形式だったようです。
家父長制的な家庭秩序優先の食事風景だった。
広島県福山市近郊から明治末に移住してきた家だったので、わが家には、
この「据え膳」セットが多数あったことを記憶している。

先日の愛別の古民家改装店舗・粋人館で、
2階座敷にこのちゃぶ台が置かれてあった。
やはりちゃぶ台にはなんともいえない空気感があって、タイムスリップする。
このちゃぶ台はケヤキ製で、かなり高級そう。
とはいえ、サイズは直径80cmくらいの感じで、少人数の家族、
3枚目の写真の昭和中期の原節子さん主演の映画にも出てくるような使われ方。
この時代の都市での新婚夫婦のくらしが垣間見える。
このケヤキのちゃぶ台、木目がなんとも魅惑的で
収集したオーナーさんの説明では、ケヤキの根の部分をタテに切っている、
というようだという。
ニッポン人の住環境意識の基底でこういう体験記憶は強いだろうと思います。

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