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古代王権のありよう

写真は、高崎近郊の三ツ寺という遺跡周辺を紹介した看板。
以前にも書いたのですが、
ヤマト政権成立当時前後、4世紀の時代、
この地域には、かなり強力な王権が存在していたと
推定されているのですね。
それが榛名山の噴火によって、その火砕流の下に
王権の中心施設がすっぽりと覆われてしまった。
逆に言えば、そうであるから、きわめて保存の良い状態で
現代に甦ってきたと言うことなのです。
ヤマト政権の誕生時期は、
その後の、壬申の乱とか、記紀の編纂とか、
日本国号の制定・天皇称号の規定など、
大変複雑な動きのあった時期なのです。
そういう時期に、東国国家と言っても過言ではないような
そういった規模の遺跡が出てきたのですね。
丹念にこういった時期の年表を作成しているのですが、
徐々にいろいろな様子が想像力をともなってみえてくるものです。
パソコンを活用して、種々雑多な事実や経緯の年代特定可能なものを
つなぎ合わせていくだけでも、いろいろな情報が見えてきます。
この遺跡では、前方後円墳が
巨大な規模で営まれており、
また、河川を利用しての巧妙な環濠城域もあって、
日本国家成立時期の争乱状態をかいま見せてくれています。
畿内地域と比較すれば、開発途上であったこの関東には
さまざまな民族などが流入して、
割拠していたような状態だったと思います。
もっとじっくりと調べていきたい地域だと考えています。
まぁ、ヤマト王権というのは、複雑な過程を経て
出来上がっていったことは明白ですね。

さて、きのうは年に一度の新住協の総会でした。
この総会に合わせて、室蘭工大・鎌田研究室からいろいろな
研究テーマの発表もあり、
その内容には注目が集まる総会です。
で、ことしはホームページ用に報告文も書かねばならず、
眠気が起きないように頑張ってウォッチしていなければなりません(笑)。
頑張らねば、っと。
いろいろなテーマが提起されて、たいへん盛りだくさんの内容だったのですが、
本日は早朝から関東へ移動の日程になっています。
落ち着いてから、追って書いていきたいと考えています。

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