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【東京白金台・畠山記念館で「琳派」参観】

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さてきのう夜遅くに札幌に帰還しました。
メインの用件であった「リノベーションまちづくりサミット」については、
帰りの飛行機の時間ギリギリまで取材が続いていました。
この「リノベーションまちづくりサミット」での最後の目玉の企画が
「ユニットマスターたちのリノベーションスクール」で、
〜これからのまちづくりに欠かせない実践技術を学ぶリノベーションスクール。
これまでそのスクールで偉力を現してきたユニットマスターたち自らが、
事業計画の制作と提案のために登場。己の知識やプライドをかけて闘う〜
という趣向でした。
そのデータ類も整理してお伝えしたいので、あした以降に掲載します。
ところがこのイベント、11時に3つのグループ分けが行われ
そこで「テーマ・お題」がはじめて発表され、そこから計画作りがはじまり、
発表は夕方5時からのスケジュールということ。
なので寸暇を惜しんで、表題の美術参観に行ってきました。

東京港区の白金台というのは、まったく土地勘のない地域。
都内有数の高級住宅街なので、ムリもないのでありますが(笑)
もよりの「高輪台」という都営地下鉄の駅に降り立って
地図と首っ引きで探してみても、なかなか1歩が踏み出せない探索の旅。
やむなく周辺居住の方とおぼしき女性に道をお尋ねして
親切に教えていただいて、ようやくたどりつくことができました。
最近、このような琳派などの日本美術鑑賞に興味が強く向かってくると
東京でも高級住宅地とされるような場所にある私設美術館が多くなる。
そうすると、自ずと建築的空間性もディープに楽しめています。
ようやくたどりついた正門のたたずまいからして、おっと思わせられます。

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この畠山記念館の由緒は以下の通り(HPから抜粋)
畠山記念館は茶道具を中心に、書画、陶磁、漆芸、能装束など、
日本、中国、朝鮮の古美術品を展示公開している私立美術館です。
収蔵品は、国宝6件、重要文化財32件を含む約1300件。
春夏秋冬季節の移り変わりに年4回、作品を取り合わせ展示しています。
創立者畠山一清(1881―1971)は能登国主畠山氏の後裔で、
東京帝国大学工科大学を卒業、技術者としてポンプの開発に取組み
株式会社荏原製作所を興して実業界に名を馳せました。
事業のかたわら、即翁と号して能楽と茶の湯を嗜み、
長年にわたり美術品の蒐集に努めました。昭和の初めには
旧寺島宗則伯爵邸のあった白金猿町の土地約三千坪を購入、
明治13年に天覧能が催されたという由緒あるこの地に、
奈良般若寺の遺構や、加賀前田家重臣横山家の能舞台などを移築して、
私邸「般若苑」を造営し、昭和18年に開苑の茶会を催しています。
戦後、国宝の「林檎花図」「煙寺晩鐘図」をはじめ、大名茶人松平不昧の
茶道具や加賀前田家伝来の能装束など、今日の畠山記念館の中核をなす
美術品の蒐集がおこなわれました。

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ということで、
美術品の鑑賞もさることながら、創始者みずからのプランという
建物本体や、奥にある茶室、さらにそれを取り囲む庭園など、
荏原製作所の管理のようで、行き届いたたたずまいを楽しめます。
しばしうっとりと、そのジャパニーズな空間の空気感に浸っておりました。
さらに美術品展示スペースにも、畳が敷かれていたり、
その奥には四畳半の茶室「省庵」もあって、障子の外には
茶庭が設けられ、織部の灯籠やししおどしも据えられていて、
茶室にいる雰囲気の中で美術鑑賞できるしつらい。
なんと、その茶室で希望者には500円で茶も振る舞われます。
もちろん、ありがたく堪能させていただきました。
茶器も朝鮮で焼かせたものと記されていました。
すっかり落ち着きくつろいだ気分で、酒井抱一の「水草蜻蛉図」の前で
絵を独り占めして、胡座をくんで至福の時間を過ごさせていただきました。

「明月軒」と名付けられた庭園の中の茶室での
茶のふるまいも、年に1度は一般向けに行われるのだそうです。
まことに日本美術数寄の世界、奥行きが深いと感嘆しておりました。

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