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【全的被災、消えた街再生・女川2016春】

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今回の東北フォーラムほかによる合同研究会、
シメは3.11津浪で全的被災を被った女川の街の状況視察でした。
「全的被災」というようなことが、実際に起こるとは思わなかった現代社会が
現実にそれに遭遇して、さてそこからどうなるのか、
女川は、そうした全的被災地域の中でも先頭に立って、
あたらな街の再生に取り組んできています。
2月の末にも、JIAのツアーで見学してきたのですが、
その後、春になって3カ月後の街は、
真空を切り裂いて出来上がった街から、
徐々に人間の活動の息吹が見えてくるようになって来た。
前回は、駅の建物とそこから海岸に向かってのプロムナードだけが
真新しい土木工事痕跡の中にぽつんと出現していましたが、
今回見たら、それを中核にしながら、周辺に店舗が建築されはじめて
日常という普通のいとなみが力を得てきているように感じます。
土木による剥き出しの赤土とこぎれいでオシャレなプロムナード
そういう似合わない光景が、人の手で人間化されてきた。
海岸間際には、全国にその映像がシンボリックに伝えられた
建物丸ごと横倒しになった交番庁舎が「震災遺構」として残置されている。
3.11津波という未曾有の体験から、
全的被災ということからの再生をわれわれ、今を生きている世代は
現在進行形でウォッチしている。
日本人はなんどもこの「全的被災」というものを経験してきている。
戦争による主要都市の焦土化が最大のものだったのでしょうが、
社会というものが自律的に再生するためには、
どんなことがらが生起すべきであるのか、
リアルタイムでそういう経過が進行していると思います。

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そして話題を呼んだ坂茂さんの応急仮設住宅や、
復興のための作業員のみなさんが宿泊し、
いまもフルに利用されている施設群など、
こういうものが新たな街の記憶装置になっていくことも
徐々に見えてきているように思います。
全的被災によって、記憶すら消滅した街が、
新たな共通時間を刻んでいくものとして、
こういった建築たちが、自ずとそのような中心軸になっていくのだと
ある種、不可思議な感覚を持ちながら、見学しておりました。

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