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日本周辺北方交易の要衝地域

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さて、本日から「シルバーウィーク」という
秋の連休って言うのだそうですね。
まぁ、まったく知らずに過ごしていて、
24日の前に出張に出たいと、23日の航空便を9月初旬になって探したら
どの便も満席という事態に遭遇。
用事は24日に関東・茨城県の常陸太田市での取材。
その後の予定その他もあり、仙台との往復で考えたのですが、
全便満席に近い状態で、不可能。
で、やむなく24日の朝1便でなんとか、仙台から自動車移動で
到着する予定を立てています。
まぁ、この時期に長い連休があるというのは意識していなかったので、
連絡なども、つい遅れ気味だったのはあります。
年末に向けて仕事が大車輪で動き始める時期なので
こういう時期の大型連休、早めに感覚が慣れないとちょっと困難が発生しますね。
出張手配などでも影響はあったわけですが、
そのほかでも、仕事の段取りなどで、
大型連休中、身動きが取れないことを理解していないので、
ちょっととまどう次第であります。
どうなんでしょうね、給料日の直前のこの時期、
長い休みとは言っても、もくろみ通りの結果は得られるのでしょうか?
とはいえ、連休であります。
きょうは頼まれたイベントが開催されるので、
午後からは仕事ですが、
あとは、一応23日までは、手持ちぶさたな日々。
なんの予定も組んでいない(笑)、中年男の休日であります。
まぁ、カミさんと近場でも外出するような日程になるでしょうが。
そんな休日なので、書斎にたまった資料や書籍をひとめくり。
そうなるとやはり、ライフワークテーマの
北方アジアの「生活文化」や「歴史」研究です。
こういうテーマの研究に没頭できるようになりたいというのが
わたしの小さな願いなのですね。
で、前から興味を持っていた「間宮海峡」です。
昨晩から、オホーツク文化人の足跡とか、歴史事実を探っていて、
どうやら、かれらが活躍していた時代、8世紀から10世紀、
もっと具体的には、700年代から900年代に掛けては
気候が大変温暖で、オホーツク海には流氷が接岸しないような
そういう気候だったのだそうです。
このひとたちは、アジアのバイキング、という別称で、
大型海獣狩猟に優れた技術を持った民族だったようです。
かれらが日本のオホーツク海沿岸域に定住したこの期間に
いわゆる「北方交易」というものが盛んになるのですね。
京都の貴族社会で、「鷹の羽根」や「アザラシの毛皮」などが
最高級嗜好品として、貴族のステイタスシンボルになった時期に相当している。
また、この時期に北東北地域での馬産産業の隆盛がある。
なぜ、京都の政権が東北の経営に深い興味を持ち、
侵略戦争を繰り返したのか、という意味もどうもその辺に根源がありそうです。
そういう活発な日本周辺の北方交易のキーポイントが
大陸とサハリンの間の間宮海峡。
ここを通って、オホーツク文化人も日本に南下しただろうし、
安倍氏・清原氏・藤原氏という東北の王権も
大いに北方交易の実を上げたに違いない。
安倍氏には、ここを通って大陸側である「靺鞨〜まっかつ」国まで当主が行ったという
氏族伝説も残っている。
帰ってきてから「あんなとこは人間の住むところじゃない」という
印象を語ったと言うことなのですが(笑)、さて真偽のほどはどうであったか。
また、多賀城碑文には、多賀城から靺鞨国境まで3000里という
地理認識が書かれていて、この間宮海峡を渡れば、
たしかに海の道も足していくと、ほぼ間違いがないと推定される。
アジア北方民族というのは、少数民族がたくさんいて、
狩猟採集型の民族で、活発な交易活動が基本的な属性。
日本の歴史にも、大きな影響を与えたに違いないのですね。
その鍵を握っているのが、最狭部で7kmほどというこの海峡ではないかと
いろいろな想像力が沸き上がってくる地図です。
(地図は、Wikkipediaの使用権許諾のものです)
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