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戦国期京都の街並み

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いやぁ、いろいろ調査研究って進むものですね。
日本古代史上最大の謎であった、卑弥呼の所在地がどうやら
畿内地域、奈良県の箸墓古墳が彼女の埋葬施設である公算が非常に高いと
歴史民族博物館から発表されましたね。
炭素年代測定の結果なども使われた科学的根拠の高いものだそうです。
となると、ヤマト政権は、邪馬台国との連関性が俄然高くなる。
魏志倭人伝の記述からすれば、大王権力の成り立ちも
記載されているわけで、この国に中央権力が発生したころの
政治的な思惑とか、経緯とかが筋道が通って来る。
また、まったく違う遺跡ですが、
八戸の「林の前遺跡」からは、金を精錬した「るつぼ」が発見されたとか。
平安期の、まだ王朝国家に服属していない地域での
金生産技術の存在を示すものだそうで、
この列島社会の歴史に大きな示唆を与えるものと思われます。
やはり古人の暮らしのありようから
教えられることはまことに大きいものがあるので、
このような発見、文字記録のない時代の痕跡発見が
歴史記述と相似してくる瞬間というのは興奮します。
そんな歴史の発掘の進展ニュースを見ていて、
また「歴史民族博物館」での展示の写真に見入っております。
この写真は、戦国期京都の街の様子を、
「洛中洛外図」という独特の日本的絵画ジャンルの中の一枚から
復元させたジオラマ模型です。
通りの様子では、小さな水路に目が行きますね。
一種の運河として、荷物の運搬に使用したものでしょうか。
運搬手段としての牛馬の水場としても使用されたのでしょうね。
現在に連なる「町家」形式の街並みからは
活発な京都の商業活動の様子が見て取れますね。
こういう想像力から、思い至るのは
やはり、人間はそれほど本質的に変わりなく、
どの時代でも同じような考えを持ち、希望を持ち、
暮らしを営んできたと言うこと。
そういう歴史発掘の中から、古人と対話し、
その連綿とした知恵の部分を、知りたいと考えるものです。
北のくらしデザインセンター
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