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【1000年前のサケを獲る暮らし 札幌の「擦文」遺跡探訪-2】

さてわが家から約4.5kmの距離、歩いても1時間、クルマなら10分かからない距離の遺跡。まことに「灯台もと暗し」で、日本全国あちこちと歩きまわっているわが身の愚かさに驚かされる(笑)。なんですが、まぁこれも人生であります […]

【1000年以上前のわが家周辺 札幌の「擦文」遺跡探訪-1】

自分自身の情報メディア人としての「終活」を兼ねて、撮影してきた大量の写真類を整理整頓作業。まぁ基本的には自分の興味のおもむくままに撮りためてきた写真データなのですが、着手してみるとその大量さに驚かされる。これを基礎に別途 […]

【石造建築に吸い寄せられ「付加体」地学再学習(笑)】

先日「だんだん石に吸い寄せられている」というヘンテコな名前のブログ投稿をしたところ、予想に反してそこそこの反響があって、わたし自身も興味深かった。英国人建築家・ノーマンフォスターによる鎌倉市歴史資料館建築の石材のデザイン […]

【だんだん石に吸い寄せられていく(笑)】

きのうは家形石棺について書きましたが、人間というのはさすがに「石器時代」という歴史発展を過ごしてきている生物種なので、石には独特の感受性があると思っています。 家形石棺は群集墳に葬られる一般のひとびとであり、特権階級は「 […]

【戦後的ライフスタイルの起点・自動車文化】

さて3度目くらいの訪問になった「武相荘」参観。以前に全7回のシリーズ<第1回はこちら>で取り上げたので、まぁ基本的にはそれで完結しているのですが、訪問の度にちょっとずつ視点が変わっていることにも気付きます。 今回は住宅の […]

【家についての「生活者」目線ということ】

〜綿密な計画を立てて、設計してみた所で、住んでみれば何かと不自由なことが出て来る。・・・作りすぎても、人間が建築に左右されることになり、生まれつきだらしのない私は、そういう窮屈な生活が嫌いなのである。田の字に作ってある農 […]

【武相荘<ぶあいそう>再訪で気付く「生活者」目線】

 白洲次郎・白洲正子。2人が移り住み、生涯を通して愛した家「武相荘」。  白洲次郎は吉田茂の側近として戦後焦土と化した日本の復興に辣腕を振るった。特筆すべきは通商産業省(現在の経済産業省)の創設。通産省が日本の経済大国化 […]

【小さい家の英才たち 民俗と住文化のミッシングリンク-4】

本日は連載していた「柳田國男・生家」シリーズの4回目に復帰。 兵庫県福崎町のこの家からは「松岡家5兄弟」といわれるほどそれぞれの分野で功績を残した人材が輩出されたという。先般書いたように、柳田は「日本一小さい家」とこの家 […]

【暮らしの民俗解析 民俗と住文化のミッシングリンク-3】

 住宅への強いこだわり、住環境への思いが柳田國男・民俗学の出発点であることが明示されていた。柳田は明治43(1910)年には日本民俗学の嚆矢となる『遠野物語』を著した。かれが35歳時であり、この頃は職業としては朝日新聞の […]

【柳田民俗学から現代住宅 民俗と住文化のミッシングリンク-1】

地域住宅雑誌という仕事をはじめてその経営を次の世代にバトンタッチしたのがわたしの現在ですが、巨大な足跡を残された「日本的な家と暮らし」の先人探求者として、あらためて柳田國男さんの民俗学とさらには柳宗悦の民藝運動というふた […]