

先週の出張では、白川郷などを訪問しましたが、
大好きな高山の町家建築群もあわせて見てきました。
高山の町家建築は、奈良や京都の寺社建築や街並みを
飛騨国としての王朝政府への一種の「税金」である建築技術者の派遣が
「飛騨の匠」として日本中に知れ渡った故事の痕跡とされます。
山地ばかりの飛騨国は、木材供給地ではあったにせよ、
農地可能な河川流域面積は少なく、貧しい国だったのでしょう。
しかし、いかに木材産地とは言え、その木材の出荷には
大きな河川もなく、たいへんな輸送困難が伴ったことでしょう。
そうした、いわば出稼ぎに派遣されて帰って来た大工たちが
その技術力に加えて、都で洗練された建築デザインを身につけ
それを自分たちの国の都市建築に活かした結果だとされています。
そういうなかでなぜ、大型木造建築の「技術力」がこの飛騨で高まったのか、
いろいろな想像が沸き上がってきます。
三内丸山に代表される縄文以来の大口径材の木組み技術が
気候寒冷化によって中部山岳地帯まで南下し
この地周辺にも残る縄文遺跡群を合わせて考えると、
そのようにこの地域に集積積層してきた技術資産であるのか。
あるいは、ひょっとして気候条件が厳しい北海道が、
木造住宅技術の高断熱高気密化の最先端地域になったことと
アナロジーされるような古代における事態だったのか。
そんな雑感を抱きながら、街歩きしてみたのですが、
今回は、建築家・丸谷真男さんからうかがった、
町家の階高について、比較しながら見ていました。
いわゆる日本の町家建築では、通りに面した階高は1,5階相当に
低く抑えられて街並みが構成されているということ。
通りに面した部分は2階がぐっと低くなっているのですね。

こんなふうに通りに面した2階は座った高さでの利用が
一般的に考えられていた。
で、一方、最近建てられた町家には2枚目の写真のように
総2階建てという建物も多い。
で、街並み景観としてみるとやはりそのアンバランスに気付かされる。
1枚目の写真のようなきれいな統一感が、ところどころで断絶している。
このあたり、街並み協定というものがそこまで想定していなかったのか、
立地利用として、そこまでの制限ができなかったのか、
大きな疑問を持ってみていました。
住宅のプロポーションを考えるときに、
高さというのは、それなりの1階面積の大きさがなければ、
2階建て以上の建築では、どうしてもズングリムックリした形になって
美しいプロポーションにはなリにくいという説も聞いています。
少なくとも総2階よりは、一部2階の方が、屋根構成で調整して
美しさも演出できるということだそうです。
そんな風に考えると、町家の1,5階建てという民族的知恵は
なんと卓越した叡智であるのかと気付かされます。
Posted on 2月 26th, 2016 by 三木 奎吾
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写真は、日本画家・山口逢春さんの葉山の自邸アトリエ。
住宅建築というのは、人間の感受性のための空間を
創り出す営為という側面があります。
そういうなかで民族的に、わたしたちには「数寄屋」文化というものがある。
たぶん、このような住文化は他国には希薄。
ヒマラヤが創り出す偏西風と日本海の水蒸気が雨雪となって
この列島に降り注ぎ、かつ南北に長い国土であることから、
豊かな植生を育んでくれている風土にわたしたちは恵まれている。
四季変化が世界中でももっとも明瞭であり、
自然と人間の応答において、独自の感受性を育んできたのかも知れない。
数寄屋というのは、そういった感受性の表象なのだと思う次第。
こうした数寄屋文化を現代生活に適合させた住宅建築を
建築家・吉田五十八さんは手掛けてきた。
皇居宮殿の襖屏風絵に作品を遺す山口逢春さんとは学友関係だったとのこと。
北海道では、こういった近代数寄屋というものとは、
なかなかめぐり会うことができません。
まずは、その存在と語り合うような体験が必要だと思い、
まるで美術との出会いのように見学して来た次第です。
この画家のアトリエには、1枚ガラスの大開口が開けられている。
それは自然のうつろいを全身で感受しようとする意志の表象。
北海道では自然とのこのように穏やかな対話関係は、約半年は成立しない。
花鳥風月を愛でる感性は、北海道ではまず、
建築の進化の格闘がなければ実現し得なかった。
いま、ようやく北海道でもこんなふうな大開口を開けても
室内気候をコントロール可能になってきた。
そこで、どんな「感受性の進化」が日本人に可能なのか、
今度はそういったことが試されていくのでしょうか。

きのうのZEH論について、多くの方に読んでいただけたようです。
これまで国の施策について、疑問に感じている方が多いことを
強く実感させられた次第です。
一方で、日経ビジネスでは日本の住宅の資産価値が
なぜ世界標準と違って、投資価値として半減以下になり続けているか、
ドイツの住宅事情と比較して、考察されていました。
本来、国の住宅施策とは、国民のくらしの質の向上、
資産価値を永らえていくための方策であるべきだと思います。
そうした「骨太」の国富についての管理論が語られるべきであり、
小手先の設備機器に国民の目を向けさせるべき状況ではない。
本日は早朝に仙台に向けて出張であります。
震災後5年を迎えての現状をJIAのみなさんと見学し情報共有したいと思います。
また、ご報告致しますので,よろしくお願いします。
Posted on 2月 25th, 2016 by 三木 奎吾
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不条理、というコトバがある。
Macのなかにある「辞書」を開いて見ると
① 筋が通らないこと。道理が立たないこと。また,そのさま。
② 〘哲〙〔フランス absurdité 〕実存主義の用語。
人生の、非合理で無意味な状況を示す語としてカミュによって用いられた。
・・・というように記されている。
わたしのブログで、鎌田紀彦ー前真之対論について
そのひとつのテーマとしてわたしが書いたたのがZEH論だったのですが、
その後、多くのみなさんから反響をいただきました。
国際的なゼロエネハウスについての動きが、地球温暖化対策のこともあって
最近になって、きわめて大きくダイナミックになってきている。
日本の経産省も、この方向で大きく舵を切ろうとしてきている。
東大・前先生の講演や、国の施策に関わっている複数の方からの情報では
諸外国がどちらかといえば、ZEH READY、
ようするに太陽光発電などの自然エネルギー活用型機器の
搭載「義務化」を前提とはせずに、駆体の性能で「準備」しておきましょう、
という住宅性能誘導施策を標準的に行ってきているのに対して、
日本では、誘導策というよりも、まず太陽光発電などの設備の
事実上の「義務化」が推進されてきている。
それがきわめて速いピッチで、十分な国民的議論を経ないで
国の補助金などの住宅施策に反映されてきている現実がある。
寒冷地に住む人間として
家の暖かさには「基本的人権」的なこだわりがある。
無暖房にはムダな部分も多く、コスト負担も割りにはあわない。
地球環境問題に危機感はあるけれど、原理主義にはなり得ない。
住宅は個人が自己責任原則で手に入れる資産。
それにあたって、国家が消費税まで取っていながら、
権力的立場から公共的な資産であると、あれこれ言ってくるのは
どうもというスタンスが民の側のホンネなのではないか。
家中の使用エネルギーを太陽光発電でキャンセルするという考え方について、
それは「暖かい家」のための技術開発努力が、
違う目的のためのものに利用され、それがある意味「強制」されてきていると
多くの方が感じているのだと思います。
このあたりの「不条理感」が大きいのではないか?
民が自主的に取り組んできたことが、ある日、違う目的と利用機器で
強制されてくるという部分に不条理感が強いのだと。
いろいろなみなさんの声を聞いて
このZEHをめぐってのモヤモヤ感が、ようやく少し前に進んだように
そんなふうに感じられてきております。
ただ、この動きは経産省と国交省の間でも温度差があるとされている。
国としての住宅施策はまだ、現在進行形なのだと思います。
そういった意味でも、民の側で論議するというのは
きわめて有意義なのではないかと思います。
Posted on 2月 24th, 2016 by 三木 奎吾
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1週間の出張から帰還して、
あれこれの整理整頓作業に1日没頭してようやく落ち着きました(笑)。
出張中にはどうしても、整理は作業しにくい。
で、整理整頓が終わって、ようやくはじめて前向きな作業に移行できる。
今週末にも、仙台への出張が待っているので、
その間で、執筆などの案出作業を片付けなければ、であります。
ブログの方では、この2日間、ZEHを話題にしてきて、
この問題への注目度、問題意識の高まりが肌に感じられました。
大いに掘り下げていきたいと思っています。
さて、そういったメカメカ系のZEHテーマを書いていると
一方で、やっぱり人間、反対の方の癒やしにこころが向かうもの。
ということで、足を伸ばしてきた白川郷であります。
白川郷を訪れたのは2度目でしたが、
前回は確か,2年ほど前。ところが今回は様子が様変わりしていて、
日本全国と同じく、チャイニーズのみなさんが大挙来訪されていました。
いや、言葉を交わしたのは中国ではなく、東南アジア系のみなさん。
団体が主流の中国の人たちとは違って、グループ単位のような人が多い。
声を掛けやすいヘレンドリーさが感じられて、二言三言、
笑顔を交わしながらの会話が楽しい。
で、前回はいろいろな民家を見学することがメインでしたが、
今回は、すこしじっくりと1軒の住宅で過ごさせてもらいました。
この「神田家」さんは、ここで生活もされているので、
夕方3時頃には、小学生とおぼしき子どもさんも「ただいま〜」と帰ってくる。
その家庭的ないごこちが無性に楽しくて、
ついつい根が生えてしまって、腰を落ち着けていました。
やっぱりこうした民家では、囲炉裏端がいちばんの特等席。
囲炉裏枠の木に湯飲みを乗っけながら、
麦焦がしの茶を楽しませていただきました。
豪勢な広葉樹の薪をくべていただき、その遠赤外線的な燃焼が
目にも、肌にもここちよく輻射してくる。
こうした「暖房」では、基本的にいぶす煙が暖気の主体。
人によっては、この煙のニオイがきらいという人もいるのだとか。
取材らしく、説明役の奥さんからあれこれの様子を聞きました。
白川郷では、自在鉤はほとんどないのだそうです。
それは貧しさの故だ、ということでしたが、
たしか身分制社会での生活具制限制度だったように記憶しています。
立派な五徳、湯沸かしの鉄瓶などは、骨太で合理的しつらい。
ほぼまる2時間ほども滞在させていただいて、
すっかり煙のニオイがカラダに染みついたのですが、
燻煙のこの香りは、民族的な郷愁でもある。
家の癒やしにはやはりこういった装置の力が大きいと思いました。
Posted on 2月 23rd, 2016 by 三木 奎吾
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さて、一昨日の濃い取材を終えて
そのデータをさっそく、いろいろに整理整頓をはじめております。
で、なんといっても岐阜県恵那への出張でしたので
可能な限りで、その周辺も見学日程に入れておりました。
駆け足でしたが、あちこち住宅雑誌編集長としての目で
取材見学して来た次第であります。好奇心が強い方なので(笑)。
そこから、ようやくきのう夜に札幌に帰還いたしました。
ということなので、きのう1日は移動に費やしていたところ、
ブログ・Facebook投稿への反響がさまざまに寄せられていました。
さすがに鎌田先生・前先生の発言への反響は大きいものがある。
わたしのブログでは、わたしの興味の割合に応じて
ZEHのことをひとつの大きな視点にしてまとめてみた次第ですが、
それこそ堰を切ったように多様なご意見がうかがえました。
そういったご意見の中に、「メカメカZEH」というネーミングが印象的。
「多少断熱性能が悪くても太陽光発電パネルやコージェネを採用すると
容易に基準をクリアしてしまう今の基準には「?」を感じています。
設備ありき、の基本姿勢を変える必要があるのでは。」
「イニシャルエネルギーコストも含めてZEHの評価をすればよい。
大変難しい作業ですが、建築材料のエネルギーコストからみた
公的評価基準がないとフェアな評価ができないのでは。」
「寒いZEHとは(~_~;)」
「設備開発側から家の空調負荷を考えれば高断熱高気密は必修な条件、
結果的に寒さや暑さを感じる箇所のない住宅。最小のエネルギーで
ZEを実現するのが技術屋の仕事」
「ZEHは外皮性能が基本です。UA値をとにかく、突き詰めて、
そのうえで、省エネ設備があると認識しています。
太陽光をたくさん載せたメカ的なZEHは寒いと思います。」
「エネルギーを10GJ減らす為の躯体にかかるコストと、
10GJ創る為の設備のコストとの比較。寒い地域と暖かい地域では
考え方が違ってくるのでしょうね。」
「都内で木造三階建て、屋根も小さくビル影などの影響。
更に道路づけ次第で、太陽光発電に向かない場合も多々ある。
太陽光で調整(キャンセル)にならない。
メカメカZEHは目指さないとの考え方に賛成。
まるでメーカーの姿が透けて見える政策には抵抗を感じます。
本当に住んでる人々にとって快適な住宅を、提供したいです。」
どうやら、行政主導のいろいろな動きというか独走に対して
民間・工務店の立場側からは必ずしも、同意ではない。
みなさんのご意見は、それぞれにすばらしく、
今後の方向性を考える上で、非常に貴重なご意見と承りました。
大変ありがとうございました。
また、整理整頓して情報をお届けしたいと思います。
<写真は前先生のプレゼンより>
Posted on 2月 22nd, 2016 by 三木 奎吾
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さてきのうは、取材長旅の締めくくり、
岐阜県恵那市での表題セミナーの取材でありました。
主催は本州の新住協の中核的存在の金子建築工業・金子さん。
この鎌田紀彦・前真之対論は、昨年に北海道で第1回が行われて
それがきっかけになって、本州地区でも実現させようと努力された次第。
わたしどもでは、おふたりに誌面で連載企画お願いもしていることで
その対論の進展を期待している立場であります。
そういうことなので、継続的にこの対論は取材させていただいて、
今後、いろいろに誌面での発表を行っていきたいと考えています。
きのうの取材では、
鎌田先生から、ZEHへの言及があり、
「ゼロエネハウスって、一般ユーザー的には最上位概念として
いちばん性能がいいように感じられますよね?」
という参加者への問いかけがありました。
おお、と内心が反応させられた瞬間でありました。
日本でのZEHは、とにかく太陽光発電でのエネルギー相殺、キャンセルが
その考え方の前提条件にされていて、
それも暖房と給湯のエネルギー相当分のみ
キャンセルできればいいとされている。
その太陽光発電も10K以内まででゼロエネとみなす、ということで、
そのモノサシを当てはめると、次世代基準相当程度で
温暖地域では容易にZEHが「実現」できてしまうことになる。
「そんな基準であっていいのか」という問いかけであります。
これまで営々と積み上げてきた「高断熱高気密」の家づくりの
あたかもその上の概念であるかのようにして、ゼロエネハウスが
位置づけられつつある現状への強い危機感が感じられました。
北海道が努力してきた「暖かい家」よりも
なんちゃってZEHが、上位概念とされる危機感。
これはわたし自身も強く懸念を抱き続けてきた部分。
また、前先生からは、アメリカのZEH住宅概念が日本のものへの
対置的なものとして論及されて

「ZERO energy READY HOME」〜太陽光発電や蓄電池は
どんどん改良が進むからそれらが技術発展してコストがこなれた段階で
採用すればいい。その前にその設備が最小限でも
ちゃんと機能できる家を今、建てるべきである、
という考え方の紹介がありました。
このような日本型ZEHのいびつさについてのお二人の考え方に
大きく同意させられた次第であります。
わたし個人的にも、「寒いZEH住宅」というものが建つのではないかと
大いに危惧している次第であります。
こういった声が上げられたことには、大いに意味があると思います。
今後、この「対論」の様子は
その深まっていく様子を、いろいろな形で
発表していきたいと考えています。よろしくお願いします。
Posted on 2月 21st, 2016 by 三木 奎吾
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きのうの続きです。
最近だんだんと、死まで含めた生き方を考えるようになってきた。
写真は、皇居宮殿の襖屏風絵を描いた山口逢春さんの
葉山の終の棲家の1室です。
以下、美術館HPよりの引用。
山口蓬春記念館は、山口蓬春が昭和23年(1948)から
亡くなる昭和46年(1971)までを過ごした邸宅であり、
既存の木造2階建て家屋を自邸として購入後に画室をはじめとした
増改築を建築家・吉田五十八が手がけました。
現在の建物は、その構造から昭和初期に建てられたと考えられ、
蓬春は、昭和23年(1948)に五十八の助言もあり、
当時売りに出されていたこの建物をドイツ製カメラ「ライカ」一式を
売却することで手に入れました。その後も五十八によって増改築が行われ、
昭和28年(1953)の画室の増築のほか、
昭和32年の母屋の一部増改築などが行われています。
置かれた椅子の佇まいに、
まるでそこに山口逢春さんの視線がそのままあるように感じられた。
椅子って、こんな「空間表現」が可能なのかと
驚くような思いを持ってしまった次第です。
これは一種の美術表現であるかもしれません。
吉田五十八さんの設計によって建てられた自邸は
いま、美術館としてそのまま公開されているのですが、
そのなかでも、この室はとりわけ感慨の深い演出構成がされている。
手前側には、吉田五十八さんの設計イメージ通りなのか、
座卓は艶消しの表面仕上げだけれど、モダンを感じさせるもの。
そして和室側はやや光を制御した空間であるのに、
その先の縁空間には、庭の眺望、さらに太平洋の海が広がっている。
「そこに住む、魅力の発見・最大化」そのままの光景。
そこに置かれた椅子は、この建物が
ある芸術者の「数寄」のために、精魂込められたものであることを
まことにわかりやすく伝えてくれています。
自邸がそのまま作品美術館になっているという意味合いが
まっすぐに伝わってくる思い。
芸術者としての、山口逢春さんと吉田五十八さんが
コラボレートした「環境芸術」のように思われます。
建築と芸術の両方を楽しむような体験ですね。
Posted on 2月 20th, 2016 by 三木 奎吾
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今週は出張の身の上。
大きなテーマとしての製造業としての「住宅の作り手のマーケティング」
キックオフイベントとしての青森での講演のあと、
長距離移動で、岐阜県まで移動する日程であります。
で、移動の合間を縫って、この表題の住宅を見学致しました。
以前に、皇居のメインルームの建具の装飾画に採用された
山口逢春さんのモミジの絵を見て大きな感動を覚え、
その遺された自邸が、逗子からさらに奥の葉山にあると聞いて
一度、時間に余裕のあるときに、訪れてみたいと思ったのです。
そして調べるうちに、その美術館として使われている旧自邸が
昨年末に東京世田谷で見学した建築家、
近代数寄屋住宅の吉田五十八設計であるということも知った次第。
ということで、首都圏ローカルではあるけれど、
御用邸もある、念願の葉山まで訪れることができました。
取材ということにはなるのですが、
こういう住宅との出会いは、むしろ「対話」というような心理に近い。
その建て主の立地環境との関わり方、
その建築者の「そこに住む魅力の発見・最大化」の考え方の
両方と向き合って、浮かんでくる内語と現実のいごこちとが、
相乗作用を持って、その時間にエッジを立てていくような体験であります。
施主・建て主へのリスペクトと建築者へのリスペクトの
両方を持って豊かな時間を過ごすことが出来ました。
山口さんの作品は、いわば日本美術の華である琳派の系譜の中にも
位置づけられるのではないかと感じています。
日本の自然に対する感受性の部分で、
琳派の持つ、あの光沢感が作品にあふれ出ているように見ました。
そうした画家が、鎌倉からさらに奥の
葉山という終の棲家で、ゆったりと自然と対話し続けるに当たって
近代数寄屋住宅の吉田五十八さんに設計を依頼した。
太平洋の水平線も見晴らせるけれど、
視線はあくまで自然な範囲での高さに保たれた高台から、
傾斜を日本庭園で満たしながら、南西に向かっている敷地に建っていました。
庭にはほんの少し、梅の花も咲き始めていて、
空気は冷たいけれど、光には十分なやさしさも感受することが出来ました。
写真はある程度、たくさん撮ってきたのですが、
じっくりと整理整頓を楽しみながら、徐々に発表していきたいと思っています。
こういう生きている時間の活かし方もあると思います。
Posted on 2月 19th, 2016 by 三木 奎吾
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さて、「戸建て注文住宅」のマーケティング、
同時に「地域工務店の戦略マーケティング」というテーマに
しばらくの間、こだわって深掘りしていきたいと思っております。
今回の青森でのトライは、こうしたテーマを今後追求していくための
いわばキックオフとも捉えていた次第であります。
こういったことを考えて行くには
戸建て住宅の本質ってなんだろうか、
ということを深く考えていくことに他ならないと思います。
で、まずは、人間が住宅を求める究極の目的の分析。
表題のようなことに絞り込まれていくのではないかと。
考えてみれば、人類史的に考えてみて
わたしたちは、先祖のさまざまな経験知、体験の蓄積、長い経緯の末に
それぞれ、生誕の地を迎える。
親にとっては、それこそ人生をかけて選択した結果が、
つぎの世代にとっては「ふるさと」になる。
ずっとこういう世代経験が積層する固定的な社会であることもあったし
移動が常態化したような社会であったこともあった。
固定化か、流動化かは、その世代が経験する時代環境によって
大きな違いがあると思われる。
しかし、そういった個体差を超えて、「住む」ということの
いわば「人類知」のようなものは存在するだろうと思う。
「住めば都」というコトバがあるけれど、
そこに住み暮らすことに、最大の魅力体験を経験したいと思うことは
多くの人にとって、わかりやすい住宅の楽しみではあるだろう。
地域工務店という言語特定よりも、
やはり「住まいの作り手」という特定の方が似つかわしいだろうと思う。
人間が住む土地をどこに選択するか、という経緯・プロセスは
さまざまではあると思うけれど、いったん決まってしまったら、
「どう楽しめるか」ということが、最大のテーマになる。
その個人の嗜好傾向をも超えて、地が求める自然な切り取り方、
その土地を楽しませることに、作り手は集中力を高める必要がある。
いわば土地の魅力の感受力という部分だろうと。
写真はわが家の新築等時の写真であります。
わたしはこの新築の時に、はじめて地面に足を止めて住むという
そんな意識を強く感じていたと思います。
こういうことを意識してつくる注文住宅の良さは、
かならず、それを見る多くの人にもわかりやすく伝わるに違いない。
そしてそのようにつくられる家が多く集積する街は、
より魅力的になって行くに違いない。
資産価値を高めると言うことは、そこに暮らす人間に共通する
責務に近いものなのだろうと思う所以ですね。
Posted on 2月 18th, 2016 by 三木 奎吾
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きのうは青森市内、ラプラス青い森にて
表題のような講演セミナーをこなしておりました。
今回は東北電力青森支店さんの主催セミナーで、
わたしが、表題のようなテーマについてその講演者の選定からアテンドを含めて
企画から講演者旅程管理引率、講演会での司会、発表、
パネルディスカッションの運営役と、こなさせていただきました。
これまでもいわゆる講演はなんども経験していますし、
つい12日前にも、同じ青森市内で講演させていただいていましたが、
今回は、役回りが多くてさすがに、やや疲労感(笑)。
今回のテーマは地域工務店の立場に立った
経営環境全般に及ぶような内容を企画して
札幌で活躍されている不動産マーケッター・志田真鄕さん、
十勝帯広で2×4工法住宅の普及に30年以上、中核的に関わっている
ウッズ設計・山口さんと、わたしの3人トリオでのセミナー。
こういった内容にふさわしいと以前から考えていた人選で
都合3時間半を超える研修会となった次第です。
講演中で志田さんも触れられていましたが、
住宅建設という需要は、1年間で総世帯に対する発生率は
わずかに1.8%に過ぎません。
こういった領域に対する迫り方は、一般的な販売活動を想定する
いわゆるマーケティングの常識的対応は通用しにくい。
さらに需要に対しての、中小事業者を中心対象としたマーケティング研究は
いろいろな調査研究が十分とは言えない領域。
そういうなかで、地域工務店の実態に日頃から接触頻度が高いのを活かし
なんとかいろいろなケーススタディをもとに
地域エリアの特殊性も解析しながら、テーマに迫って見ているのです。
ただ、各人の発表は今回が一期一会のような内容であり、
自分自身もその発表者の一人でありながら、
それらの発表内容を丹念に聴取しながら、要点も整理して
最後のディスカッションテーマを抽出把握して、
会場のみなさんにわかりやすくテーマを絞り込んで発言も促すというのは、
けっこうな作業量だったわけです。
でも、なんとか初期の想定イメージに近い討論空間を導き出すことが
できたのではないかと、参加者のみなさんの声を
終了後の懇親会で聞かせていただきながら実感できました。
まぁこのテーマは、時々刻々と変化していくし、
ひとが変わればマーケティング手法も変わるので、
エンドレスに深掘りしていくべきテーマ領域だと思います。
終了後講演者3人で酒を酌み交わしながら、濃い(笑)反省会も持てて、
ひとつのキックオフにもなったなと、楽しく思えた次第です。
Posted on 2月 17th, 2016 by 三木 奎吾
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