本文へジャンプ

【淡路島の瓦ルーバー 中間領域デザインの可能性】


先日、新建築住宅特集最新4月号について触れました。
2年前の経緯があったので、注目して読み進めていたのですが、
どうも今回はギラギラとした部分が感じられなかった。
前回は挑発的な部分が感じられたのですが、やや静かな印象。
またこれまでは気付かなかったけれど、建築詳細に
Ua値表示が見られる点は、わかりやすい建築の共通言語化努力ですね。
やはりあるレベルは確保した上での特殊解的デザインが論に足る。

全体を見て、寒冷地サイドの住宅は常識的な内容だと思ったのですが、
やはり温暖地域の建築がどうなっていくのかが気に掛かるところ。
その意味では表紙にもなっていた末光弘和氏の淡路島の住宅が特徴的。
Ua値が0,42とあるので、ダブルスキン内側の本体は了解可能な範囲。
この家の特徴としては、外皮側の特注瓦のデザインと環境的効用でしょう。
「地球の声」拡大委員会での氏の説明をわたしは聞いていますが、
同席されていた発表者の方から「あまりにもポルシェ的な仕様であって、
一般解として論ずるにはふさわしくない」という意見も出ていました。
たしかにこの住宅はたいへんコストを掛けた住宅だそうで、
この「瓦」も特注で鋳型製作までして作ってもらったということ。
その「環境的」効果、人間感受性的な感覚領域での「体感」がどうか。
今回誌面では、ウッドデッキテラスでの床面温度が
シミュレーションでは30度になるところ、25度に抑えられたとしていた。
ちょうど日射遮蔽ルーバーのように瓦を使ってみたということですね。
海風の冷却効果、夏場で4度程度の気温との差があるので、
その冷風をクールダウンとして利用している。
氏の「論考」では寒冷地型住宅を「閉鎖系」温暖地型住宅を「開放系」とされていた。
いわゆる「環境要素」として断熱が基軸であることは了解しながら、
「開放系」では、いわゆる中間領域こそが本質だとされている。
この瓦によるルーバー活用というものも、
「環境エンジニアリングによって緩やかに制御された」中間領域というチャレンジ。
ただし、氏自身もこうした試みは世界的にもまだ確立されていないし、
今後どこまで汎用性をもって広まるかわからない、と書かれている。
瓦が熱環境的にどのように「ふるまう」か、それが一般解として
どのように普遍化できるか、まだ結論が出ていないと読み込めました。
この「中間領域」という概念は、都市的密集環境では
「近接する建物との関係」にまで想像力を広げてとらえている。
そういった領域に「デザイン」の大きな可能性を考えているように思われます。

氏は開放系の特徴というように言われていたけれど、
中間領域は寒冷地建築でもカタチは違っても多くの実践が行われてきている。
どうも気になるのは「閉鎖と開放」って、コトバの使い方に於いて
すでにハンディキャップがありすぎだと思う(笑)。
政治論議でのコトバによるレッテルで「保守と革新」という仕分けにも似ている。
まだしも保守には成熟した人間として肯定的部分もあるけれど、
閉鎖という言葉に優越性を感じる人間というのはほぼいないと考えれば、
100-0くらいに不均衡な論の立て方ではないでしょうか(笑)。
ただ、こうした志向性自体は当然ありだと思います。
中間領域の豊かさの追究は、古来からの民族的郷愁でもある
「縁側」が住宅から消えてしまった寒冷地住宅のいまの大テーマ。
温暖地も寒冷地もなく、大いにテーマとして追求すべきだと思われました。

<写真は新建築住宅特集4月号表紙一部と高知県桂浜の海>

【コンクリートとブロック「構造美」の魅力】

ごらんの写真は、今回の改装プロジェクトで確保されたオフィス中心部分。
別の箇所に収容される水屋装置が残置されているのはご愛敬。
コンクリートのスラブで天井が構成され、その荷重を支えるための
バッテン型の架梁が特徴的。
さらにその天井を被覆するように木製格子天井がある。
ブロックの壁とのハーモニーがよくて、大好きであります(笑)。
この構造の確かさが視覚的にもつたわってくる様子に愛着がある。
カミさんも言っているけれど、なるべくこの「構造美」を見ていたい、
そんな気分になってしまいます。
建物はその建てられる敷地の条件がまずあって、
そこでの用途が決まり、それを満たすカタチが決定され、
もっとも合理的な構造が選択されて骨格が固まる。
こういう石系の素材は堅牢性に於いて比類がない。
きちんと断熱が考慮されれば老朽化進行は考えにくい。
よく60年とか45年とかの資産償却年限とかが言われるけれど、
きちんと保守メンテナンスされていけば、ヨーロッパの石造建築と
そう大差のない年限、維持されていくのだと思う。
彼の地では活発にこうした建物の「用途変更」需要が盛んだとされる。
新築よりも改装改造が建築需要の中心だとされる由縁。
わたし自身、この建て方を選択したとき、
この基本骨格には強い信頼の感覚を持ったものでした。
日本では住宅のような用途に於いては過重だという考えもあるでしょうが、
それは日本が「温帯」地域として長い歴史時間経緯があって、
「亜寒帯」地域での建築に十分な想像力を持っていないからではないか。

最近、札幌というマーケット性について考える機縁があった。
徐々に考えを積み重ねているのですが、
この「亜寒帯」地域での日本民族の実験的集住都市というような
おおくくりに至ってきています。
そう考えたとき、期せずして選択されていたブロック造建築って、
大きなテーマになっていきそうだと思っているところ。
まだ少数派ではありますが(笑)、
ブロック建築の再評価、復権というような仕掛けを
虎視眈々とうかがっている最中なのであります。乞うご期待。
そういった意味から、この「構造美」というのも、
わかりやすいメッセージ性を持つのではないか、と思っていますが、
どうでしょうか?

【地球と共存する「環境住宅」地域間対話】

きのうちょっと触れましたが、
わたし自身は定期購読していない他誌のことを
発売日から約10日遅れでようやくチェックすることができました。
(北海道では「本州誌」は発売から2日程度遅れて発売される)
たまたま2年前に新建築住宅特集さんが「環境住宅特集」を出されて
それに対してわたしがこのブログで意見を書いたところ、
思わぬほどに多くの「反響」になってしまった。
官学民オールとしての北海道の住宅づくりの取り組みの実態は、
日本民族がつい150年前まで取り組んでこなかった
亜寒帯地域という「環境」のなかで、どう安定的に暮らしていくか、
その格闘の連続だったとわたしとしては、認識していた。
主観的にも客観的にも「環境技術」とはそういう内容が中軸と理解していた。
このことは多くの北海道・寒冷地の共通認識だと思う視点から
その特集内容について違和感を述べさせていただいた次第です。
直接的には、住宅環境要素技術の「歴史年表」的記述に於いてすら
北海道での取り組みがほとんどまったく記載されていなかったことに、
深く驚かされたということだったのです。
その後、この特集に日本建築学会「地球の声」の活動が深く関与している、
そういう事実も知ったので、そういった「公的」スタンスであればなおのこと、
というように、あくまで自由な出版人として興味を抱き続けてきた。

その後、東京での建築学会会合でわたしのブログ発言が論議されたり
巻頭論文執筆の川島範久氏が来道されて
活発な「南北対話」を行ったり、わたしが東京の会合に呼ばれたり、
さらには、この年明けには大挙しての関係者の取材来道があったりした。
日本建築学会の活動という公的意味合いから住宅雑誌発行人として
そのことにも協力させていただきました。
・・・そういった経緯をよく知る立場として
今回の「特集/「環境住宅」その先へ」を読ませていただいた次第です。
特集の中で「論考」を書かれている執筆者の川島範久氏、能作文徳氏、
末光弘和氏、堀部安嗣氏、西方里見氏の各氏とは親疎はあっても
良く存じ上げているみなさんばかり。
もちろん、新建築住宅特集編集長の西牧厚子さんとも知遇を得た。
そしてこの間の経緯について、西牧さんの「編集後記」にも
書かれていて、印象深く読ませていただいた。
他誌であるのに、どうも深くそのプロセスに参入しているかのようで(笑)
相違点もありながら、しかし同じ経験を共有している気分もあります。
「編集後記」をちょっと引用させていただくと、
「・・・とくに印象的だったのが、筆者たちと今年1月に訪れた
北海道の住宅の見学会です。(中略)その環境性能を具体的に体感し、
住まい手と建築家と対話を重ねた経験はたいへん大きいものになりました。」
と書かれていて、メッセージとしてうれしく受け取りました。
日本の建築世論にとって重要な位置にあるメディアとの
内容面での「協働」はけっしてムダではなかったと思っています。
たいへん真摯に受け取っていただいて感謝しております。
各論考や住宅事例に対しての論評や意見を今後、当ブログやHPなどで
折に触れて、述べさせていただきたいと考えています。
<あ、表紙写真をWEBから引用させていただきました。悪しからず>

【平常生活の「落ち着いて考える」基盤力】

きょうは3月30日。平日としての「年度末」ということになりますね。
きのう朝にも普段とはだいぶ違うクルマの混雑を感じていましたが、
やはり年度末という区切りでひとの動きがあるようです。

わたしのブログを見ていただいているみなさんはお分かりと思いますが、
ことしは、わたしの場合はまた格別な環境にいます。
1日24時間で過ごすふたつの大きな「環境」が
両方とも激変のまっただ中。
生活環境はカミさんの実家の1室に居候の仮住まいで
仕事環境までは片道クルマで30分程度掛かる。
この家も約20年前くらいに設計・建築にタッチしていた建物です。
それこそ「プロトタイプ」を意識して設計プランから建て方まで
合理性を徹底的に追究した住まい。
たいへん思い入れのある建物ですが、やはりそこは「仮住まい」。
一方で仕事環境の方の建物も、引っ越し作業をしていたら
建築当時の資料類などが全部「発掘」されてきた(笑)。
設計図とか、建築見積もりなど詳細に至るまで整理整頓された。
こうした建築をすべて作ってきたことに今更ながら気付く。
そしてその「原点」ともいえる建物の再建築のまっ最中。
「なんや、結局自分の作ってきた建物ばっかりだ・・・」
たぶん人生で住宅建築というモノと出会ってからの体験を、
もう一回追体験しているような気分がしております。
こういう「環境」に身を置いてみると、
おのずと、日常生活というものが自然に持っている力、
「平常」というものの価値感について思いが募っています。
よく「落ち着いて考える」というコトバがありますが、
このことは、たぶん日常というモノが人間にどのように作用するか
その偉大な力というモノを表現しているのでしょう。

というようなことで、
その企画についてなぜかアテンダーみたいなことまでもさせられた(笑)、
新建築住宅特集さんの4月号「環境住宅特集」も
きのうようやく入手できたというようなことであります(笑)。
たぶん川島範久さんはじめ多くのみなさんが
「どうして三木はなにも発言しないのか」と不審に感じているかも(笑)。
申し訳ありません、まったく日常がない状態でしたので、
落ち着いて「評論する」ような環境にいませんでした。
読んだ上でなお、なにも発言しないこともあると思いますが、
まずはじっくりと内容を確認させていただきます。
経緯から言って、やはり感想の一つくらいは述べる義務はあろうかと
そんな風に考えております。ですが、時間の猶予を。
さて、怒濤の3月でしたが来週からはクライマックスの4月です(笑)。
体調はしっかり整え、合理精神で対処していきたいと思います。

【ホコリまみれの工事中でも芽吹く北の春】


こういう工事体験というのも一期一会だろうなと思います。
住んでいた建物からいったん全部の荷物を外に預けて
改造・改装工事を立案しながら、工事をチェック。
一方で仕事環境の方も、16年分の仕事量分の積層残滓やらを
丁寧に整理整頓して、それぞれに適材適所を按分していく。
まさに「取捨選択」をほぼ仕事人生分に対して行っていく。
個人としての生活、くらしと全仕事人生の両方の整理整頓ですね。
あんまり他の人は体験しないだろうことをやっていますので、
毎日が波瀾万丈と言いますか、まことに変化に富んだ日々であります(笑)。

そして最終的な着地点を明確にさだめていますので、
そこに向かって、まさに「動きながら考える」というところ。
・・・そんな毎日を過ごしていますが、
ふと事務所の庭先を見たら、いつも春を告げてくれるクロッカスが
ことしも同じ場所で芽吹いてくれていた。
関東以南地域ではサクラ満開、春爛漫のようで
まことにご同慶の至りですが、北の春はそれはそれなりで、
こういった万象がそれぞれにカラダいっぱいに陽を受けて
躍動に向かって準備を確実に進めてくれている。
この時期の北国人は年上の姉さんたちが次々に幸せをつかんでいく様子を
じっと見つめ続けている「末娘」のような心境になります。
大輪の美を見せている輝かしいお姉さんを見て
そっと唇を軽く噛んでいる、そんな心理が気分の底にある。
「いつかわたしにだって・・・」であります(笑)。
でもそれが、南北に長い日本列島で社会を営んでいるこの国の
独特の民族的共感世界を構成している、きわめて重要な
地域的「差異」であることに、みんな気付くと思う。
こういったグラデーション心理がだんだんとありがたいと思えてくる。
それぞれに個性があり、そこにあるメリットをもっている。
北海道は寒いけれど、だから住宅断熱の技術が先進できた。
そのことでお姉さんたちのくらしをもっと良く出来ることもある。
こういう季節感のグラデーションこそが大切な文化資産だろうと。

ということですが、工事では毎日いろんな困難が生起する(泣)。
一歩一歩、合理的に対処して解決策を見出しながら、
あらたな「環境」を作り出したいところであります。ふ〜、頑張るぞと。

【ネコ特集じゃないけど(笑)Replan北海道最新号】


「家が好きって、どういうことかな?」
「やっぱり家族だけが作り出せる空気感、やさしさ」
「そのココロは、癒やしだよね」
「ネコだよ、ネコ」
「そだねー、ネコいいよね、ネコ」
っていうようなスタッフの会話から、こんな取材が出来たら良いね、
と話し合っていたら、ちょうどそんな住宅取材と遭遇できた!
あとは、ネコちゃんのご機嫌次第。
そこでスタッフ一同、ネコなで声を駆使しておだて上げたら
ごらんのように「木に登りはじめた」(笑)。
おお、やってみるもんだ! であります。

特集】 好き!を建てる
とにかく猫が好き、床座の生活が好き、バーベキューが好きなど、
暮らしの中で見つけた好きなモノに特化し、
それを最大限に楽しむためにプランした住宅を見てみると、
家づくりの楽しさはもちろんのこと、
暮らしはじめてからの自由さや充実ぶりがうかがえます。
気持ち全開で楽しむ「好き!を建てる」家づくりを参考にして、
自分たちらしい、心躍る暮らしを叶えてみませんか?
Case01.LOVE! CAT
全てのイキモノが心地よく暮らす ニャンニョロノイエ
Case02.LOVE! FLOOR
暮らし方から見つける家のカタチ 床座で芽生えるくつろぎと安堵感
Case03.LOVE! BBQ
住まいの内と外が自然につながる 空の下のダイニング

Contents
●巻頭特集/好き!を建てる
●特集連動企画/まだまだある! 「好き!」を建てた実例集
●連載 Q1.0住宅デザイン論 〈新住協 代表理事・鎌田 紀彦〉
●リノベーションで暮らし、広がる。
●リノベーションの基礎知識
●連載 いごこちの科学 NEXTハウス13 〈東京大学准教授・前 真之〉
●新築ルポー住まいのカタチー
●北の建築家
 「田園の家」 高橋 克己
 「掘立柱の家」 米花 智紀・米花 真弓

Replan北海道VOL.120
2018年3月28日発売・2018年春夏号・A4版
本体価格463円(税込:500円)
お買い求めは、北海道内の書店・コンビニで。
北海道外のみなさんはこちら、WEBからの直販で。

【函館赤松街道、大好きです】

先日まで青森県ー道南函館地域に出掛けていましたが、
函館では、わたしはご覧のような「赤松街道」が大好きです。
この街道は、本州との玄関口である函館から、開拓当初には
「奥地」とみられていた「札幌本府」方面に向かって開かれた
北海道開拓にとってまことに歴史的な道です。
そしてそこにはほぼ北限といわれる「赤松」並木が植栽され、
アカシアやポプラ並木道が作られた亜寒帯都市サッポロではない、
日本民族に歴史的に馴染みの深い景観がデザインされた。

それから1世紀半を経過して、
いまは、メイン道路としての役割は高速道路の無料提供区間に
道を譲っているので、あまり大きな通行量はないようです。
函館という地域にとって、この赤松街道は
こうした歴史性を踏まえて、非常に重要な「資産」だろうと思います。
また、北海道全域にとってもこのスポットをどう活かしていくのかは
大きな知恵が要求されるだろうと思っています。
気候的に日本「内地」とはまったく違う亜寒帯気候の北海道と
本州「内地」とを繋ぐシンボルとしての要素がある。
はじめて仙台を訪れたときに、
函館の街に似ている空気感を感じていたことがある。
北海道サッポロは本州「内地」とはまったく違う空気を持っていて
それは民族としてのグラデーションで明確な位置を占めている。
対して「中間」というような雰囲気が仙台や函館に感じられるのでしょうね。
こういった感覚はたぶん、奥地・北海道ネイティブの人間の感覚でしょう。
そういった「中間的グラデーション」の表徴として
この赤松街道には民族文化的機能を果たせる部分があると思う。
とくに最近は高速道路の降り口周辺、ちょうどTSUTAYAのあたりが、
新しい函館の中心街区として注目が集まっても来ている。
土地価格上昇でもそういった傾向が顕著になってきているとされる。
そうなってくると、西部地区・五稜郭周辺に続いて
この赤松街道地域を活かしていくことがテーマになるのではと、
そんなふうに「都市計画」的に注目している次第。

今回訪れたのは真夜中、午前4時頃だったので、
こんな「月と赤松街道」みたいな、日本民族的なカットを撮れた。
わたし自身は、こういう「和」な景観にも強いシンパシーをもつ。
この場所が強い磁場力を大いに発揮していって欲しいと
強く願っているものです。

【家は3回建てないとわからない、か?】

わが家の工事現場、きのうは休日。
着手から2週間が経過して、玄関ドアの新設も完了しておりました。
知人から、今回の工事で「3回目」の大きな変身ということを指摘された。
渦中にいると人間、そのように冷静な見方、自然な見方ができないもの。
指摘されてはじめて「家は3回建てなければわからない」という
建築の世界の「格言」が突然、胸に去来した。
1991年の新築から、1996年の増改築と2度の経緯があって
2018年今回のリニューアルと3度の「用途変更」となってきた。
そう考えれば、この建物を通して3度目の建築的体験をしている。
それで「わかる」のかどうかは定かではないけれど、
家を考える機会として3度目という認識は定まった。

やはり家は基本的には容器、イレモノだと思う。
物理としてはそうだけれど、その入れる対象が「人間が生きる」そのものという
不定形極まる「もの」、もしくはむしろ「こと」であるわけですね。
まずはこのことの「整理整頓」が基盤であるのだけれど、
常人には、これはむしろ地獄の責め苦にも近いかも知れない(笑)。
家を建てるということは、人生に明確にイメージを持つことになる。
そうでなければ、物理が成立しない。
「ここに住み、こういう暮らしをしたい」ということの決定が基盤。
ただこのこと自体、未来予断の部分が大きく含まれていて
ホントのところは誰にも見通せることなどあり得ない。
そうすると、こうした行為は「投企」ということになる。
未来を可能な限り見通して、ある確実性を自分で見定め信じるしかない。
たぶん、「3回建てなければ」というコトバは、この「投企と現実」の関係を
人生寓意的に表現したもののように思われます。
わたしの場合、仕事では「独立開業」してきた人間で
選び取った業界もほぼひと筋と言ってもいい。
そういう風に「自分である程度選べる」環境にあってなお、3度は
その環境について適応形態が変わって行かざるを得ないのかも。

工事が進捗してきて感じているのは、
やはりコンクリートブロック、石の建築の力感のすばらしさ。
日本では石の建築はそれほど文化として根付いてはいないけれど、
亜寒帯の北海道に至って、人類にむしろ普遍的な石の建築と日本人は
はじめて正面から出会うことができたのではないかと思えます。
よくヨーロッパの石の建築に於いては
その内装を随意に変えながら長きにわたって暮らしを営んできたと言われる。
そういうことに通じる部分をこのわが家の工事で感じさせられている。
大きな「用途変容」に対して基本構造のコンクリートブロックが
柔軟に力強く受け止めている、という印象が強い。
いかにも「北海道らしい」空間がどんな変容を見せるか、
自分自身でもワクワクしながら、変化に富んだ日々を楽しんでいます(笑)。

【引越しシーズン 公設ゴミ処理場大行列】

もう3カ月近く延々と続く事務所と自宅の移転作業。
いまは工事進捗が活発で、だんだんとその姿が見えて来つつある。
やはりコンクリートブロックの素地は背景として力がある。
さまざまな仕上げ変化を柔軟に受け止めてくれている。

で、わたしの方は、貴重な整理整頓時間の土日であります。
いよいよわたしの事務所デスク部分の整理整頓作業に着手。
16-17年分の仕事関連の整理作業であり、
なお、今現在にも大いに繋がっている基本資料類の整理なので、
やはり丹念に時間を掛けて行かなければならない。
もうひとつ大きなものはIT、DTP関連のソフト・ハードの資産管理関連。
こちらも膨大な資産・データの山でして、しかし、
いまは要・不要の見極めがそれぞれに必要になってくる。
IT活用、MacPCでの作業も20年以上になっているので、
連続しているとはいえ、断捨離処分相当のものも数多い。
生きていま、動いている基盤的な仕事環境について、
その将来展望も含めてそれぞれに判断していかなければならない。
延々とこうした「見極め」作業が続いていきます。
・・・結果、多くの処分ゴミが大量発生いたします。
そのゴミ類、きのうの持ち込みは320kg相当ということでしたが、
ここのところ、チョコチョコとお邪魔している札幌市公営の破砕工場。
自宅部分の持ち込みだけでも3−4回持ち込んでいましたが、
きのうはなんと受付から退場まで車列が繋がっていた。
普段の日とは比較にならないほどの混雑ぶり。

たぶんみなさん、引っ越し作業時期なのだろうと推測。
こちらでは、持ち込んできたクルマを「体重測定」して、
帰っていく前にも測定して、その差重量で処理費用を精算する。
その体重計のところが「申込場所」で書類記入するのですが、
そこから渋滞していたので、職員の方が待っているクルマまで
書類をもってきてくれておりました。
さらにクルマの登録ナンバーを正確に記載しなければならないのですが、
案外、下4桁以外のナンバーはほとんどの人が記憶していない。
その記載ポイントで時間がかかるので、プレートを見て
そのナンバーを教えるサービスまでしてくれていた。
杓子定規になりがちな公務ですが繁忙期対応ありがたいなぁと。
さて、きょうもまた、作業が続いていきます、頑張るぞと。

【北海道長沼でひばりの春告げを聞く】

日本各地からさくらの便りが聞かれるようになってきた。
わたしも再来週、4月アタマ関西や関東出張での道筋の観桜が楽しみ。
なんですが、北海道はまだ残雪が残る景色の中。
寒さと暖気が行ったり来たり、季節が揺れている。

21日には家族で札幌近郊の長沼へ。
ときどき食事に訪れる野菜中心の農園レストラン。
行ってみたら長蛇の列で大人気。
席が取れるまで1時間近くかかるということで、
にぎやかに談笑する母娘をクルマに残して道沿いを散歩。
わたしは生まれてから3才になるまで、
いまは岩見沢市になっている北海道・栗沢町の農家の子どもでした。
この長沼ともほど近く、農地が基本である地域景観。
わたしには幼少期の記憶というのは、ほぼまったくない。
ただ、「野焼き」の匂いに強烈な郷愁を持っている。
その野焼きですら、収穫期を終えて畑の残存物を、
翌年のために野焼きして肥料とするものか、
今に至るも、ほとんどその意味すらわかっていないけれど、
そういう「野の記憶」のようなものだけがうすぼんやりとある。
ただ、こういう風景の場所に来ると、やはりなにか胸騒ぎがある。
そういえば、休日に都市の喧噪空間にいることは基本的に嫌い、
というのは三つ子の魂の部分なのか。
で、散歩していたら、ぴよぴよというさえずりが聞こえてくる。
あんまり生物活動の痕跡は少ないなかに、
はるかな同族の生きている証がつたわってくる。
残雪は残っているけれど、そこそこ緑のスペースは広がってきて、
その野の鼓動のように、さえずりが響き渡ってくる。
3才までの幼年期、こんな光景の中を歩いていたかも知れない。
ひばりの声に、コトバのようなコミュニケーションがつたわってくる。
ふしぎだけれど、明瞭に感じてしまっていた。
はじめは身近な同族へのコミュニケーションで、やがて
道を歩いているはるかな同族にもわかるようにさえずっている(と感じた)。
どこか近しい友人の語らいのような音の旋律をそこに感じていた。

もう北国でも、らしい春がそこまで来ているのですね。