
昨日朝、3年半にわたって使い続けている愛機のMacBookProを立ち上げて
作業開始してしばらくしたら、
なんと、突然にシステム終了してしまっていた。
こういった症状はまったく経験したことがない。思い当たるような節もない。
まぁ一応,冷静になって再度起動させてみるとしばらくは動作してくれたので、
「なにか、突発的な偶然か」と思おうとした。
で、自宅から会社に出て、オフィスで数時間稼働させていたら、
残念ながら症状が再発してしまった。
最初のトラブル発生時にディスクチェックして、こっちは問題が無かった。
なので、ハード的ななにかのトラブルであることは明らか。
で、もうすでに保証期間は過ぎているマシンですが、
Appleのサポートに電話連絡しました。
そうしたところ、告知したシリアルナンバーを聞いてすぐに
「そのマシンは、無償修理のアナウンスをしている機種です。」という答え。
なんでも、わたしのトラブルのような症状が多く発生していて、
ピックアップしてメーカー側で補修してくれるのだそうです。
「おお、」と地獄で仏に出会った心境であります。
必要な期間はおおむね1週間ということ。
まぁ、どうやら致命的なトラブルではなく、
わたしの使用法で問題が発生したのでもないという事実でひと安心。
ではありますが、問題は1週間かかる、その間。
仕事のメインマシンであり、その期間、どうするかが大問題。
3年半使ってきているので、そろそろ次のマシンを考える時期でもあり
これを機会に、新規マシンを購入するのもありえる選択。
もちろん修理してもらうマシンも、別に使う道はいくらでもある。
しかし問題は、収納されているデータの問題。
わたしはほぼ20年間Macを使い続けているので、
その累積データはハンパではなく、継続的に持ってきているデータ総量は
700GBを超えているのです。
出荷時には250GB程度のHD記憶メディアでしたが、
いまは変遷を重ねて、1TBのSSDに換装している。
そういう大容量の記憶媒体は最近、AppleはMacに搭載していない。
Macのデータ移行でいちばん簡単なのは、移行アシスタントを使って
旧いMacから新しいmacにまるごと引っ越しすることなのですが、
いままでは記憶容量はどんどん増えてきていたので
まったく問題なく移行出来たのだけれど、
いまは、HDからSSDへの変化の時で、すぐ入手できる
店舗で売っている新品Macでは500GBが最大容量。
これでは、簡単にバックアップから復元させられないのです。
でやむなく、いまは中古のMacBook13を購入してきて、
「必要な環境だけ」復元させようとしているのですが、
どうやらバックアップ復元、そういう選択肢はないようなのです(汗)。
ふむふむ、こまったちゃんでありまして、いまも思案投げ首中。
中古の方のHDを1TBのものに換装させるしかなさそうであります。
って、まだまだ紆余曲折が続きそう・・・。
ちなみにこのブログ更新は、何回も再起動させている内に
機嫌が良くなったトラブルマシンからアップしています(笑)。
でもたぶん、すぐに症状は再発してくるでしょう。
すばらしい「文化の日」を贈ってくれてありがとう、Appleさん(泣)。
Posted on 11月 3rd, 2015 by 三木 奎吾
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現代の生活というものを日本人の歴史のなかで考えるとき、
いちばん特徴的なコトって、わたしは「無縁性」ではないかと思います。
江戸や戦前までの日本では、強い「地域の結びつき」というものがあり、
その「繭」のようななかで個人は生きてきた。
家というのは、まず存続ということが最優先された法人のような存在であり、
また村落社会、町中でも強い地縁関係が個人に優先されていた。
それに対して、戦後からの現代社会は、
世界の中でも最先端的な「工業化社会」が出現し、
それまでの農村にしばられていた人々、次男三男という存在が
大都会で都市生活者になり、故郷から切り離された個人として
法人たる企業のなかで生きていくことが一般的になった。
そこでは強い地縁性は消え去り、擬制的な「職縁」社会が生まれた。
高度成長期までは、企業統治に於いてこの職縁が強調されたけれど、
それもまた徐々に希薄になり、また企業人たちもそういう
重い関係性にしばられたくないと思うようになった。
そして地域からも、職場からも、「無縁」な社会が広がってきて
そういった象徴として、東京という大都会で無縁社会が成立した。
一方で、北海道を考えるとき、
この「無縁性」は、日本で最も早く、開拓の時から始まっていると思う。
わたしの祖父母の代、大正初期では、
北海道に来るということは故郷を喪失した人々が、
この地に流れ着く、というパターンが一般的だった。
それでも流れ着くアテとして、同郷者の地縁性は当初はあったけれど、
その後、北海道内での生活の流動性が始まると
ほぼそういった地縁性はなくなっていった。
明治の頃から、北海道はそういった地域だったのだろうと思う。
強い「地域社会」的なつながりがきわめてまばらな地域として
東京も、北海道も類似性は高いと思っている。
東京は過密で、北海道はゆったりとしている、という違いのみ。
住宅のデザイン性で考えると
地域との連関性というものが、もっとも希薄な家計画が、
この両地域で共通しているのではないかと思っている。
そして北海道では、住宅の性能を追求する中で
家づくりでは、日本の中央文化とは「無縁」に発展して、
ほぼ欧米スタンダードな、個人主義的な住スタイルが選択されている。
こういった自然に選択されてきた生活文化スタイルが
これからどのような方向に行くのか、
また、北海道の地域的な特徴である無縁性が
むしろほかの日本全体の中で、先進性を持っていく可能性も高い。
暮らし方のデザイン性、
これからもどんどん変化していくでしょうが、
この「無縁性」だけは、どんどん進化して行くに違いないでしょうね。
Posted on 11月 2nd, 2015 by 三木 奎吾
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さて、既報の通りのイベント、
北海道ビルダース協会主催の省エネ住宅セミナー
「北海道の省エネルギー住宅の現在とこれからの課題」
が昨日開催されました。
鎌田先生からは、北海道における高断熱高気密住宅運動の概要から始まって
今後北海道がめざすべき方向性への提起に至るまで
たいへん巨視的な視点提示をいただきました。
一方、前先生からは、
「これからの社会を担うひとびとに役立つ家づくり」を基本ポリシーとした
日本の家庭エネルギー総体のサスティナビリティの考えが開示されました。
非常に広範なテーマについて深く論及されていたので
短時間での講演のみではもったいないほどであり、
どちらも、強い感銘を受けた講演でした。
さらに北海道科学大学・福島明先生の司会によるパネルディスカッションでも
活発な意見交換が行われました。具体的なテーマでの意見交換では
たいへん実際的な技術の内容にすぐに直結していきました。
とくに蓄熱研究については今後、大きな方向性が見えてきたといえます。
北海道の今後を大きなテーマにしていましたが、
やはり北海道がリードしてきた日本全体の住宅性能向上の今後が透視できました。
また、鎌田先生からは、今後とも北海道に来られる前先生と
討論形式のイベントをやっていきたい旨の発言も飛び出しておりました。
鎌田先生も若い世代の前先生の講演内容に大いに刺激を受けられたようです。
こうした展開に、会場からは盛大な拍手が寄せられて、
この学究おふたりの研究発表が、引き続いていくことになりそうです。
3時間を超える講演会ということで、しっかり内容をまとめて
今後、誌面などで詳細にお伝えしていきたいと考えています。
またその後、懇親会でも引き続き、
ふたりの活発な意見交換が交わされていました。
鎌田先生と前先生の席近くでお話を伺っていたら、
思わぬ提案まで、鎌田先生からいただきまして、ややビックリ。
宿題をいただいた感じではありましたが、
わたしどもも、おふたりの原稿を掲載している住宅雑誌ですので
なんとかお応えしていかなければならないと考えております。
いずれにせよ、日本の住宅性能研究開発にとって
たいへん大きな活気が芽生えたような気が致します。
この動きが、やがて大きな流れになって、
いろいろなことを革新していくきっかけになるのではないかと感じました。
すでに多くの方から、この対論から刺激を受けてのいろいろな発言もありました。
両先生に、地域としての北海道として感謝したいと思います。
繰り返しますが、今後、この内容をまとめて誌面などで発表し、
同時に、全国に向けても情報発信していきたいと思います。
Posted on 11月 1st, 2015 by 三木 奎吾
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満腹、満腹・・・。
きのうは当社で恒例のランチミーティングであります。
2〜3カ月に一度、日を定めてスタッフに、
わたしの作った料理を食べて貰いながら、意見交換する、
という趣旨だったのですが、意見交換はひたすら食べ物に話題が集中する(笑)
そういった内容の濃い(笑)、ミーティングであります。
これは基本的にわたしの任務でありますので、
献立の設定、食材の手配、調理、配送などなど、あれこれやることが多い。
で、きのうは、手巻き寿司をメインに、
汁物として、スタッフから好評の「具だくさん」味噌汁、
その他、赤カブの酢漬けなどを用意した次第であります。
手巻き寿司は、調理自体は各自がするので、
「作る」手間は大幅に省けるのですが、
やはり食材のメインであるサカナは、検討を重ねた結果、
市内の面白い魚屋さんに発注しました。
これが大当たりで、まことにおいしく目にも鮮やかな新鮮魚介。
サカナの種類もきちんと手書きしてくれて、
「おお、生サンマトロに、おお、天然ブリか」などなど、
驚きのおいしさが格安予算内でゲットできました。
どうやら、これはハマったようであります。
でも一応、もしイマイチだった場合に備えて、筋子も購入して
抑えとしておきました。
そしてわたしは、まずは寿司飯であります。
きのうはスタッフが13人にわたしの14人でしたが、
それに対して用意したのは、10合の寿司飯。
(これはちょっと、少なめだったかも・・・)
わが家には5合炊きの炊飯器しかないので、
2回に分けて炊きあげて用意致しました。
もうひとつの「具たくさん味噌汁」は、
タマネギ、大根、ニンジン、こんにゃく、ゴボウ、しいたけ、などに
たっぷりと鶏モモ肉を入れて、生姜、手製のトウガラシなどで
スパイスをきかせた、ぽかぽかあったまる汁であります。

ということで、きのうは朝4時頃からこの準備で
ずっと体力を消耗し続けておりました。
なにやら、ツルの恩返しのような心境(笑)。
でも、スタッフの美味しそうな表情を見させてもらうと、
そうした疲れも一瞬で吹っ飛んで行ってくれました。
ミーティングの話題は次第に、「つぎは、なにを食べようか?」に・・・。
やっと終わったと思った次第ですが、
この恒例行事、社長の任務として永続しそうであります(笑)。
Posted on 10月 31st, 2015 by 三木 奎吾
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みなさん、「道南杉」という樹種をご存知でしょうか?
約250年前くらいと言いますから、江戸時代の中期後半ころ
松前藩時代にその周辺、北海道の渡島半島地域、道南地域に
秋田から杉が移植されたことから根付いた樹種です。
道南地域は、気候風土的にも秋田や津軽といった東北北部地域と
類縁性が高い地域で、それ以北の北海道とはやや質が違う風土。
この道南杉についても、これまでは主に本州地域に出荷され
住宅建材として活用されています。
杉は歴史的に、災害の多い日本列島での建築材として
その成長性の早さ、まっすぐに伸びる点など、建築材としての適性に優れた材。
ところが、日本的住文化のかかえる構造的欠陥「寒さ」から、
こうした民族的経験積層のある建材への郷愁よりも、
室内気候の快適範囲内への確保実現の方に、
北海道の住宅研究は、はるかに向かい、
せっかく地域に生育している材でありながら、
従来は活かされることが少なかった樹種であります。
戦後日本は貿易加工立国で、原材料を海外から仕入れて技術などの
付加価値を付け製品として出荷するという、資本主義世界システムの中での
社会構築・基本生存戦略を走ってきた結果、
身近なこうした「材」を使うよりも、海外から調達した建材を使った方が
「より安価」であるという不自然なことが、住宅市場では実現してしまった。
しかし、こうしたことが「サスティナブル」であるかどうかは自明であって
いずれ、シンプルに「地産地消」と言うことの方が合理的だという
社会が出来上がっていくとは思うのですが、
一方でそれにはタイムラグがあって、未活用なままのこうした杉資源、
それを支えてきた日本の森林事業自体の絶滅危機も迫っている。
そうしたなかで、国交省からこうした道南杉資源の活用事業が採択され、
そのお披露目として、北海道渡島総合振興局西部森林室と
札幌の住宅企業・(株)住宅企画クリエーションの共催で、
「感じる道南杉、感じる笑顔」と題した
「杉スマイルモデルハウス見学会」が開かれ、参加してきました。

一方で、このモデルハウスは、
最近ブームの傾向にある「インダストリアルデザイン」も表現したもの。
このデザインは、無垢の木材と、引き絞り用に徹した工業製品の緊張感とが
両者相まって、空間に独特の空気感を生み出そうとするもの。
ここでは、無垢の道南杉と独特の深みを感じるアイアンなどが、
面白い雰囲気を創り出していました。
なんですが、それぞれの素材使いのいちいちを楽しく取材確認していたら、
あっという間に見学時間が終了してしまって、
バスに遅刻寸前になってしまいました(笑)。ということなので、
今度じっくり見学したい旨、お伝えして帰って来なければなりませんでした。
こういう空間の雰囲気、好きな人はいるだろうなと予感を感じた次第。
ということで、いずれまた。
Posted on 10月 30th, 2015 by 三木 奎吾
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さて年もあと2カ月あまりになってきて、
年末進行のラッシュ状態になってきております。
各種の打合せや会議など、あわただしい。
さらに週末には先週お知らせした鎌田紀彦×前真之の注目の対論もあります。
一方で、経営関連でコンサルタント会社との進行案件もある。
しかもそういうなかで新人スタッフが2名入社ということで、
だんだんと業務関係、ヒートアップしてきているところであります。
こういう時期こそ、朝1番には(わたし、習慣的にブログは起き抜けの作業)、
ゆったりとした話題を(笑)・・・。
ことし一番、知的興奮を憶えたのが、奥州藤原氏の北海道での進出痕跡が
明瞭に確認されたという話題であります。
写真上は、北海道の道央部分のマップ写真。
こういう位置になぜ、奥州藤原氏は、拠点を造営したのか。
下の図のように、「経塚」を造営した拠点であります。
仏教による「鎮護国家」思想を持って、奥州・北方世界に覇を唱えた
奥州藤原氏の精神文化に於いて経塚造営は強い意味を持っていたことでしょう。
この時代の最新にして最高レベルの「威信財」である常滑焼の大壺に
仏教経典を収めて埋蔵させるという、「特別な場所」性が伝わってくる。
平泉から遠く離れ、対アイヌ交易拠点としての青森県外ヶ浜からもさらに遠い、
この厚真の地に、なぜこうした重要拠点とおぼしき痕跡を残したのか。
やはりわたしには、大壺製造年代として1150年代と特定された時代の
日宋交易の決済手段としての「金」生産に関わっていたのではないかと
そういった直感に支配されております。
厚真の地は、金産出が期待できる日高地方に近く、
さらに川伝いにいろいろな内陸型の資源交易流通に適しているように思います。
平家の繁栄を支えた日宋交易にとって、
奥州藤原氏が安定的に出荷していた金は、強い需要を持っていたに違いない。
こうした金産出への期待に、このような経塚造営は意味合いからも
ふさわしいように感じられます。
砂金堀という作業従事者の心性に想像を巡らせてみれば、
こういった神仏への祈りというモノは、わかりやすいのではないか。
そういった金堀師さんたちからの産金を集積するために
こういった「交易拠点」をこの地に作ったというのが、いちばん自然な理解。
歴史では、この時代に奥州藤原氏に対して
平氏政権から官位として「陸奧守」が授けられてもいる。
政治的にはともかくとしても、金をはさんで考えれば、経済的には
平氏政権と奥州藤原氏とはかなり強い関係性で結ばれていたように思われる。
平氏政権の短時間での全権掌握という流れには
政治軍事の面だけではなく、経済の圧倒的支配者という面が強かったのだろう。
そう考えると平氏ー奥州藤原氏の提携、連立という状況があったのではないか。
どうもそんな脈絡に於いて、この北海道での拠点というのは
位置づけられるのではないかと、妄想を膨らませております。
この遺跡の考古・歴史研究の進展を期待して待ちたいと思います。
Posted on 10月 29th, 2015 by 三木 奎吾
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歴史の歯車は、大きく回ったと言えるかも知れない。
当面する世界での一番の危機要因は、中国の覇権拡張の動き。
日本への内外からのさまざまな反日攻撃、韓国などを使嗾した攻撃は、
国内危機の排外的目くらましであると同時に、
かれらの覇権主張として尖閣・沖縄への現実の攻撃可能性も示している。
「社会主義市場経済」国家という、合理性のない国家体制のまま、
いびつな「大国」になってきたこの中国という存在こそが、
現代世界の危機の中心に存在している。
尖閣や防空識別圏設定などのかれらの攻撃に対して、日本が取った
対米協調対応の結果、米軍B29が中国が設定した識別圏内を飛行して
そうした無謀な挑発を無力化したことは記憶に新しい。
その明らかな失敗以降、中国は南シナ海での岩礁を自国領土化するという、
国際的に明瞭な無法国家ぶりを見せていた。
まさに、戦前における国家社会主義・ナチスともアナロジーされる。
こうした中国の傍若無人なふるまいは、
オバマ政権の足下のおぼつかない対中戦略の結果だったことは明らか。
「新型大国関係」という覇権主義の主張に一定の黙認を与えるという失敗を
アメリカ国家指導者は犯してしまっていた。
そして先般の習近平訪米の誰の目にも明らかな大失敗の結果、
アメリカはついに、南沙諸島への米軍艦派遣に踏み切った。
米中首脳会談後の、オバマの怒りに震えた表情がすべてなのだろう。
TPPの妥結と、一連の流れとしてこの事態はあると思う。
まさに日本の安全保障と直結する事態が、始まったといえる。
折しも、中国では共産党の重要会議が開かれている最中だという。
まさか正面から対米武力衝突という選択肢はないだろうと思うけれど、
習近平は国内の政敵たちから追い詰められている可能性も高い。
腐敗撲滅という名の国内権力闘争を仕掛けてきて、共産党内部で
緊張は相当程度まで高まっていることは疑いないだろう。
「皇帝気取りでなにをやっているんだ」という江沢民や胡錦濤サイドからの
突き上げの激しさ、共産党内部での権力の暗闘も予想される。
アメリカ側としては、こうしたタイミングも狙っていたに違いない。
いずれにせよ、この南沙諸島問題から、ついに「米中対峙」局面が始まった。
今後の世界を規定する基本的な国際関係が定まったと言えるだろう。
オバマ自身は、もうすでに任期最終盤にかかってきていて、
習近平は、オバマに戦略的決断を下せると思わなかった可能性が高い。
しかし、次の大統領候補者たちの主張は、
習近平を「恥知らず」と言い切ったヒラリーの言葉が象徴的だろう。
アメリカは総体として、反中国感情が高まってきている。
わたしたちの国、社会は
こういった冷徹なリアリズムの国際関係の中にある。
憲法9条で守られているなどと平和ボケで脳天気に言っている状況ではない。
いずれにせよ、国際関係は大きく緊張が高まっていく可能性が高い。
そうなっていくとき、日本の安全保障の基本スタンスは
これまで同様、戦後の基軸である日米同盟関係であるべきだろうことは、
冷静なリアリズムで考えて理の当然といえると思う。
<写真は長篠合戦図より>
Posted on 10月 28th, 2015 by 三木 奎吾
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最近の訪日外国人の増加は急ピッチのようです。
北海道・札幌は、そうした訪日客の間でも人気のエリアのようで、
実に10%が北海道に来ているのだそうです。
主要な玄関口である首都圏以外で、各地方はどれくらい来ているのか
そういうデータは見聞きしませんが、しかし実感として
仙台とは比較にならないほど,北海道・札幌ではエトランゼが多い。
たぶん、日本の「地方」のなかで京都を抱える関西についで
来訪者が多い地域ではないかと想像しています。
いまや、札幌のホテル事情は逼迫してきていて
近隣の街に宿泊しなければならないという状況なんだとか。
成熟した社会では、こうした動向をどうやって活かしていくべきなのか、
知恵を絞って、国際化を図っていく必要があると思います。
そんななかですが、
わが社でスタッフに欠員が生じて、募集したところ、
隣国・韓国の方から応募があり、職務経歴や面接結果などから判断して
今回、入社していただくことになりました。
同時に東京からの移住者の方も入社していただきましたので
まずはわたしの方から、事業概要・業界への導入教育を。
こうやって海外の方も相手にプレゼンテーションをすると
こちらの方も、住宅の事情についてその相違点などに気付くことが多く、
インターナショナルな視点と、同時に日本のマーケットの特殊性などに
多くの発見が得られます。
韓国の場合、国土面積が狭く、そのうえソウル集中が
日本での東京集中以上に激しく進行していて、
住宅というのは一般人にはマンションが常識的選択であり、
日本のように、戸建て住宅が主流というのは考えられないのだとか。
こちらの方からいろいろ北海道東北、日本の住宅志向を話すほど
逆に、国際的な視点が帰ってくる部分があります。面白い。
これからはTPPなどもあって、ドメスティックな産業でも
国際化が否応なく進展していく可能性が高い。
住宅産業に於いても、経済段階が上がってきたアジア近隣諸国と
どのような関係性が構築できていくか、
いろいろな情報を摂取していく必要があると思われます。
また首都圏地域から移住されてきた人も、当社ではこれで2人目になりますが
札幌で働いて、田舎が東京、というライフスタイルから
どんなマーケット感覚が生まれてくるものか、
そういった部分でも非常に興味深いものがあります。
多様な価値観から、新しい可能性を切り開いていく、
そんなフロンティアとして、北海道・札幌の地が活性化されていって欲しい、
そんな強い願いを持っております。
Posted on 10月 27th, 2015 by 三木 奎吾
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日本は「百姓の国」。
歴史家の網野善彦さんが繰り返し言っていたように
「百姓」とは、読んで字面のまま、さまざまな「生業」を表す。
農本主義がさかんに喧伝されるようになって、
百姓が、農民とイコールという誤解・刷り込みが行われた。
それは同時に農業生産性の向上が、
日本の権力者の一貫した意志だったことも表しているのでしょう。
封建領主の序列判定において、まずは「石高」が優勢だったりする。
しかし、日本社会では職人へのリスペクトの文化も強く存在する。
中国では、科挙を経て出世するコースに乗った人間は
体技を軽蔑するような文化伝統が主流になっているのに、
日本では、たとえば貴族が「お家芸」として、なにかひとつの体技を持つ、
そういった職人仕事への文化態度が主流。
職人のことを、古くは「道のもの」という言い方もする。
なんとか道、というようなことで、その職人仕事領域を究めるべき道と
そのように表現することで、切磋琢磨を生んできたのだろう。
古く、普請とか、作事とかとも表現された
木造建築技術は、そういった職人仕事でももっとも初源的な領域だったのでしょう。
律令の体制が整って、定置的な「都」造営という事業が
国家の公共事業として取り組まれはじめた奈良の世から
ほかに農業生産物などでの税金納付がおぼつかなかった「飛騨国」が
「大工人工」を税として国家に差し出して
奈良の街区造営の仕事にかかり、宮殿造営から
大寺社建築建設など、大型木造建築のその仕事の見事さで
「飛騨の匠」として、プライドを勝ち得ていったとされています。
飛騨は森林資源に豊かに恵まれた地域であり、
そういった技術文化伝統が、それまでの文化積層の中ですでに育まれていた、
そう考えるのが自然なのだろうと思います。
この「大型木造建築」という領域で考えると
日本列島社会では、それ以前に先行するのは、出雲大社建築や、
もっとさかのぼって、縄文の三内丸山などにまで連なる。
そういった大型木造建築についての技術が、最大の資源産出地域としての
飛騨国に、根付いていたのでしょうか?
こんな歴史の「ミッシングリンク」に想像を巡らせたりします。
この写真の絵は大工仕事の絵図としてポピュラーですが、
いろいろな大工道具を巧みに操りながら一心に作業にふけっている。
木材加工の各段階も垣間見えてきますし、監督者としての
「棟梁」とおぼしき人物の姿も見えています。
まことに生き生きとした仕事ぶりが伝わってきて
たのしくて、大好きな絵のひとつであります。
Posted on 10月 26th, 2015 by 三木 奎吾
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資本主義は冷戦解消後、大きくその市場と参加プレーヤーを拡大させた。
欧米がはじめた現代的な消費ライフスタイルが生み出す市場は
冷戦終結以前に比較して格段に大きくなった。
あらたな市場参加者とその国・社会では「成長」が実現するけれど、
しかし一方で、すでにその段階に入った国・社会では
成長は鈍化せざるを得ない。
新しい市場機会というのは、そう簡単には出現してこない。
そんな日本にいま、顕著な動きとして、
円安を背景に、旺盛な観光客需要、いわゆるインバウンド需要が
大きくなって来ている。
日本人は経済成長を達成しても、あんまり海外旅行とかは
志向が向かわなかったけれど、中国やアジアなどの社会では
旺盛に海外観光需要が強まっていくのですね。
そういう受け皿として、日本社会は適性があると判断されている。


そういった需要を,建築側で受け止めるとすれば、
どんなマーケットになっていくのだろうか。
いま徐々に出てきているのは、こうした観光客に対して、
もっと格安なサービスを提供できないか、ということ。
先日取材してきた、東京都心の古いビルの再活用などは、
こういった需要に対して応えうる建築側の動きと言えるのでしょう。
そういった需要に対応させるとすれば、どんなデザイン手法が効果的か、
そんな試行の結果、いま、ミニマリズムが注目されている。
そんなふうに思います。
古いビルをその素材に還元させて、いわばリデザインの
有効な手法として、ミニマリズムを使っている。
で、考えてみると日本には、こういうミニマリズムデザインの系譜って
豊かに存在しているのではないかと思います。
中世末期、戦国期から江戸期に掛けての社会で
豊かに育まれた茶道の「侘び寂」などに体系化されたような
そういった精神文化を持っている。
高度成長期に建てられた建築を、その価値を再発見して
どんなふうにデザインとして再活用することが可能なのか、
そういった分野で、これから想像力が試されていくのではないか。
日本社会の蓄積されてきた資産を、再活用できる想像力というのが、
実はいちばん新しいニッポンの可能性ではないでしょうか。
Posted on 10月 25th, 2015 by 三木 奎吾
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