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高断熱高気密、ユーザーへの共感波及

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きのうは仙台で東北電力さん主催の省エネセミナー。
わたしも短めの講演をしたのですが、
お願いした新潟オーガニックスタジオ・相模さんの講演の前座。
わたし自身も、相模さんは直接会って話してはいるけれど
講演自体ははじめて聞くので、半分は取材者の立場です。

お話しを聞いていて
本州地域の高気密高断熱は確実に次世代の作り手に
主役が移ってきているという実感。
温熱環境の話をしていても、より直接的なビジネス場面での
実践的な活用として話されているので
たいへんわかりやすいお話しぶりでした。
断熱気密を具体的なユーザー説得の手段として
わかりやすく落とし込んだ内容にされている様子が
新鮮に伝わってきます。
宮城県と新潟県は、暖房負荷がほぼ同じという説明は目からウロコ。
やはり高断熱高気密住宅でも地域によってツボは違いがある。
その地域気候風土なりのアプローチがありますね。
ユーザーとのコミュニケーション手法では、
たとえば北海道とは大きな違いがあるけれど、
新潟と仙台では、大きな共通性があるのは事実だと思います。
ただ、仙台は太平洋側としての冬場の大きな日照があり、
日本海側の新潟よりも恵まれた条件がある。
その「恵まれた条件」に対して、
より厳しい環境の新潟や、あるいは北海道からすると
「これをフルに活用すれば、もっといいのに」と考えるのだけれど、
どうしても「まぁあるからいいや」というように感じるのが
仙台のひとの受け止めであるのかも知れません。
このあたり、金持ちのゆとりに似た心理とも思える。
冬場の日照がきわめて厳しい日本海側地方である
新潟では高級住宅ユーザーほど、こうした説得に敏感ということ。
このあたり、各地域のマーケティング分析をもっと深めたいと
あらためて思いを強く持たされた部分でした。

わたしの講演では当社制作の工務店HPでの動画の紹介をしましたが
やっぱりこれが一番わかりやすく伝わったようで、
なんと相模さんから「面白い、いいね、いいね」という反響(笑)。
https://www.youtube.com/watch?v=F6Tlc_VQLUo
説得と、納得共感とはまた少し違いがありますが
共感を掘り起こしていく力は、直感的な動画が適している。
インターネットを事業戦略の柱にしている相模さんらしい反応でした。
でも、わたしのミスで音声を低くしていたので
本当に動画だけ(笑)。でもまぁ、どうせ背景音楽だけでもあり、
より想像力を刺激した効果の方が大きかったかも(笑)。

あるときは講演者&配送業者&料理人etc

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本日はごらんのようなセミナーで講師を務めます。
今回はわたしはどっちかというとプロデュースでして
工務店さんの「経営」にフォーカスした内容を主催者に提案して
その講師として、新潟のオーガニックスタジオ・相模社長をご紹介。
かれの講演がメインで、わたしはその前座を務めるという次第。
相模さんは、いま全国の工務店が注目する存在。
YKKが全国で開催している窓の高性能化セミナーでも各地で
講演されています。高断熱高気密をセールスポイントにした工務店で
その経営面でも大注目を浴びている存在です。
なんと言っても、その情報発信力で地域ユーザーに深く浸透している。
大量宣伝、大量営業マン投入という大企業にはない、
独自の経営戦略で戦っているニュータイプの工務店です。
縁あって交流させていただき、今回講演をお願いしたところ
こころよくお引き受けいただけました。
わたし自身も講演者のひとりながら、聞くのが楽しみであります。
そんなことなので、やや気が楽というところではありますが、
さてどういう展開になるか、いつもハラハラドキドキではあります。

ということで、札幌から飛行機での往復を予定していましたが
仙台で使用している社用車が1台おシャカになり(←表現古!)まして、
急だったので、仙台での入れ替えをあきらめて、
ちょうど今回のこの出張に札幌の使用車を持って行くことに。
緊急事態が発生すると、気心の知れた取引先でないと
いろいろな便宜をお願いしにくいものです。
札幌の取引先にいろいろお願いして対応してもらいました。
で、きのうのうちにフェリーに乗船しての船旅であります。
北海道の中小零細企業が、仙台にもオフィスを構えるというのは
実にいろいろな事態に遭遇し続けるものであります。
大手企業のように基礎体力があるわけではなく、
いつも手探りで舵取りを余儀なくさせられます。
クルマの管理というのも、基礎体力の無い会社には、なかなか一苦労。
どんなことも最適解もしくは次善くらいの解をというプレッシャーもある。
自分でチェックしようがない中で、対応は待ったなしに迫ってくる。
しかし一方で中小零細企業のいいところは、小回りが利くこと。
あるときは給食の料理人になったり(笑)、
こうして自動車の長距離配送業者になったりもする(笑)。
ある意味、いろんな役柄をこなせられる楽しさにあふれている(泣)。
なんにせよ、なんでも前向きに考えて行くしかありませんね。

「相場崩し」をしない家づくりは可能か?

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きのう書いたブログにもいろいろなご意見が寄せられました。
そのなかで小林英嗣(日本都市計画家協会会長)様からもコメントが。
「相場崩しをしない、日本人からそれが失われていって久しい。」
という含蓄のある言葉でした。
不勉強で、こういう言葉を知りませんでした。
日本の建築の伝統の中にあった言葉だそうで、
既存の街並みに対して、そこに新たな建築を創り出すとき
作り手がこころすべき自律的な態度を表す言葉だそうです。
そこにすでに存在する価値感、いわゆる「相場」をよく理解して
その街並みの空気感を「崩さない」ように、建築を創るべきだと諭している。
考え方によっては、守旧的で退嬰的ととられかねない考えだけれど
街並みが整っていくということは、
自ずとこういう考え方が基本になるのではないか。

ただ、いまの日本の作られている街並みには、
相場自体が形成されていないかも知れない。
防火という観点から「不燃建材」という「基準」が作られ、
事実上、化学製品外壁が推奨されるような「相場」が作られている。
いま、日本の住宅の大部分の外壁にはそうした建材が使われている。
そしてメーカーは自由にカラーリングした商品を販売し、
そうした建材をアセンブルして住宅として生産する事業者も
費用対効果の最善策として、こうした選択をする。
そこに「差別化」の意識が働いて、他社とは違いを出そうとする。
結果、建てられる住宅は「目立つように」作られる。
価格原理で選択され、
カラーリングで「個性」を演出した住宅群が出来上がる。
現状は、それが「相場」にすらなっている。
どうも、基準自体が「相場崩し」を行ったに等しいのかも知れない。
しかしそうして構成される「街並み」に美感意識は育つのか。

一方でとくに北海道のように、隣家もまばらな環境の中で
「相場の起点として作る」のだ、という意識も
やはりあり得るのではないか。
また既存の家並みにまったく魅力が無い街にあらたに作ることも多い。
そういった時点での作り手や住宅発注者が心すべき規範とはなにか。
ひとつの手掛かりとしては
たぶん、そういう風に考えて作られた建物は
新しいけれど、なぜか懐かしい、という心象をもたらすのではないか。
そしてそのように出来上がるためには
やはり作り手の伝統的建築へのリスペクトが欠かせないのではないか。
そうだとすれば、やはりいい街を繰り返し見続けること、
その記憶残像の総量を体験記憶レベルまで落とし込むまで
カラダに染み込ませるということなのだろうか。

まだまだ、考えの端緒に就いたばかりだけれど、
脱出口を、みんなが目的的に探求するべきテーマですね。

木しか見ず、森を見ない家づくり

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ここ2日間、わたしのブログに対して実に多くのみなさんが
積極的に発言してくださっております。
実は,日本でわたしたちが作っている家づくりは、世界的に見て
贅沢きわまりない「注文戸建て住宅」であり、
個性実現型の家づくりに邁進してきたのだけれど、
しかしその集合として出来上がっている「街」は、
サスティナブルな将来世代への資産たり得ているのか、と自問して
どうにもおぼつかなく、嘆かわしい現実だと、
多くのみなさんからの声が寄せられているのだと思います。
わたしたちは、目の前の木を丹念に一生懸命には見てきたけれど
けっして集合美としての街という
美しい人間環境の「森」の熟成には至らなかった。
その結果、砂漠に生える木もありハワイにある木もあり、
ヒマラヤに育つ木もあるような、およそ集合資産とは言い難い
イメージの統一感のない、そんな無国籍な街を作ってしまった。
個人の好き勝手に迎合することがいいことであるような
そんな無責任な「資産づくり」になってはいないか、
深く致すべきところがある、ということなのだと思います。

わたしたちは、京都町家群を生み出し、
全国各地にすばらしい集落景観を生み出してきた民族であるのに
いま、自分たちが作っている街の、なんと美しくないことか
その冷厳な事実を,なるべく見ないようにしてきたのだと。
そんな気付きがあったように思います。
飛騨高山の街、家づくりを丹念に見ていて、
そこでは、すでに建てられていた建物にリスペクトして
その存在との調和を第1に考えたプランニングが積層していた。
そのようにお互いがお互いの存在を認め合って
集合美としての街の美観形成に、みんなが自覚的であった。
そうして出来上がっていく街は、気品があり、
自ずから都市景観美に至っていた。
現代のわれわれが、あやふやな個人の価値感のままに、
好き放題に建てる住宅は、そうした他へのリスペクトは乏しい。
やはりこれから第1に考えるべきことは
いまこの建てられている住宅は、長く持続可能であるかどうか
そういった性能でありデザインであるか、と
問い続けることなのではないかと思われます。
育てる木が、大きな森の一部を形成するのだという自覚、
そういった心理が育っていくことが重要なのではないかと
そんなふうに思うようになって来ました。
後の世代に、わたしたちはこういう家を作り
こういう街を自覚的に作ったんだといえるようにしたいですね。

注文戸建住宅群がつくる文化のない街

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きのうの「戸建注文住宅って日本の独自文化?」の
拙ブログには、いろいろなご意見が寄せられました。
戸建注文住宅という文化が、他国では一般的であるのかどうか、
「情報をお持ちの方、ぜひ教えてください」と投げかけたところ、
秋田の建築家・西方里見さんからもコメントをいただきました。
以下、要旨抜粋。
「あちこちを見てあるいて聞いてみて、庶民クラスが
自由設計で工務店や住宅会社に自分で注文する国は無いと思います。
良い意味でも悪い意味でも。
ヨーロッパでは庶民は街中や近隣の集合住宅、
中の中で郊外のテラスハウス、戸建は郊外で中の中の上クラス
それも企画住宅を買う。戸建注文住宅は中の上以上と考えられます。
しかもスイスやスウェーデンのような豊かな国です。
文明国は住宅を社会資本とし国レベルで計画しますが、
戦後の日本は満州などの大量な引揚者や帰国民の住居政策ができなく、
個人に任せたのがバラックですが
それが庶民自由設計注文住宅の始まりと考えます。」という投稿。
さらにアメリカ西海岸在住の方からも以下のようなメッセージ。
「こちら米国でもユニークなデザインは嫌われますね。 
まず中古物件が戸建ての主流であるため、
個人が特殊な設計をしたりしたら売れにくくなるのに加え、
下手するとコミュニティを醜くした、と問題になったり、
「家主会」によっては工事許可を出さなかったりします。 
コミュニティ全体で1つのブランド感を醸し出すのが普通なので、
1つの家だけ「ブランド・イメージ」と合っていないのはまずい。  
企画住宅のほうが売りやすいし問題も少ない、
という事で人気があります。」というもっともな指摘。
こういうのが「世界標準」であろうことは間違いがない。

やはり推測通り、日本庶民の過半以上が戸建注文住宅であるのは
世界的に見てきわめてレアなことであるのは、明らかなようです。
戦争で焼け野原になった首都東京をはじめ大量に帰還してきた
外地からの引揚者の人々に促成で住む家を提供しなければならない、
というきわめて特殊な要因が、公営住宅などの国の住宅政策が
きわめて貧困な中で、野放図なバラック住宅を生み、
個人の自己努力にすべてを委ねるしか住宅建築が出来なかった現実。
国家としての明確な「住宅政策」を持ち得ないなかで、
個人主義の野放図な拡張のままに、住宅が建ち続けた。
それが結果として、戸建注文住宅というきわめて特殊な建て方が
日本に於いて優勢になった経緯なのでしょう。

さてそうであるとして、次にわき上がってくる疑問は、
そうした日本人に、よき注文住宅の生活文化伝統はあるのか、
そしてそれは、よき街づくりにつながるのか?
という誰もが持つであろう疑問です。
国家や権力機構の関与がそれほどでなく、市場に委ねられている
ということ一般は、けっして悪いこととは言えない。
しかしそれは、充実した住宅建築・都市生活文化があればこそ。
さてどうなのか、という疑問は結局、現在のわたしたちの街の光景が
すべてをあきらかに表していると言わざるを得ない。
個人主義の伝統文化もないなかで、野放図な自由が放置されれば
いまわたしたちが目にしている街が出来上がる。
このように出来上がった街並みは、サスティナブルでしょうか?
世界的にもすばらしい注文戸建て住宅が実現し、
みんなが「好きな家を自由に建てられる」ようになっている社会は,
さて、美しい街並みを実現させているでしょうか?
わたしたちのいまの街は、後の世でどう評価されるのでしょう。

<写真はスウェーデンの木造多層階集合住宅>

戸建注文住宅って日本の独自文化?

2564

わたしどもでは最近、韓国人のスタッフが入社しました。
日本語はペラペラでありコミュニケーション自体は問題ありません。
ただし、かれと話していて、戸建て注文住宅というものへの
想像力というか、そこからいろいろ話しております。
そういった経験から、わたしも不勉強なのですが、
どうも韓国では住宅というと、ほとんど常識として「買う」もので、
基本的には鉄筋コンクリートのマンションをイメージしている。
庶民にはそれが当たり前であって、日本のように
1戸1戸違う家を、「注文」を聞いた上で設計して建てるという
そういう文化は、ほとんど聞いたことがないという。
お金持ちにはそういった文化はあるかも知れないけれど
庶民感覚では、住宅の「テイスト」とはインテリア選択だけだ、
というように言われた次第なのであります。
まことに断片的な意見なので、一般化はもちろんできないのですが
そういえば、わたしの乏しい海外住宅取材体験でも、
日本的な戸建て注文住宅づくりプロセスと同様の取材経験は無い。
海外住宅はカナダやアメリカ、北欧でも、日本と比較して
格段に値段は安かったけれど、それはほとんどが建売だった。
たとえ高級住宅だとしても建売で、それは個人が好き勝手な家を
「注文」するのではなく、
住宅建築のプロが基本を構成デザインし、カスタマイズの範囲で
顧客の希望を取り入れるというものだったように思う。
そもそもこういった部分での興味で取材していなくて
ひたすらモノとしての住宅について、性能価格デザインと取材した。
建築打合せのプロセスについて比較検証はしていませんでした。

で、ふり返って見て日本の住宅生産では、
いかに細かい情報のやり取りが行われていることか。
ユーザーに差別化情報を提供するのに、
きわめて伝わりにくい住宅性能やデザインの見方まで伝えて、
選別眼を持って欲しいとまでアナウンスしている。
こういった実態は、究極的に進化した住宅取引であるのか
それともひょっとしてガラパゴス化ということであるのか、
自分自身でも検証してみたいと考えるようになって来た次第です。
戦後初期の住宅生産における
規格的な住宅大量生産の必然性から始まったことが、
一種のトラウマになって、そうではない
個別限定的な「注文住宅」という変わった文化を生んでいるのかも。
そういえば海外で、建築家がこんなに大量に、しかも多様に
戸建て注文住宅を設計デザインしている国って
ほとんど聞いたことはない。
まことに不勉強ではあるのですが、
このことについて情報をお持ちの方、お教えくださいませんか?

ということで、住宅取引の日本的特性から
さらに日本人の住宅デザイン選別感覚まで、
韓国人スタッフと情報共有するには、
かなり長く、わけわかんないプロセスがありそうな予感(笑)。

国民意識と朝日毎日の編集姿勢との乖離

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毎日新聞のメールマガジンの案内を受け取るように設定しています。
きのう配信されてきたタイトルを見て
興味があったので、中身を読んでみました。以下要旨抜粋。
「外国人に日本をホメさせて「日本は世界から尊敬されている!」と
自賛する日本礼賛本と並んで中国・韓国をけなす本が相変わらず並ぶ。
一定の需要があるのは「日本は他国よりすごい」という
大国意識、優越感に浸りたいという願望か。そんな社会の行き着く先はどこか」
っていうような問題提起であります。
そんなにおかしなポイントではないな、
精緻に国民意識は分析すべきだと思いつつ、しかし、
一方でまた思考停止型の「右傾化批判」だけなのかもしれないなと、
安倍首相がよく「レッテル貼り」と呼ぶメディアの姿勢そのままかもと。
そうだったらかなりの、それこそ「紋切り型」だなと思いつつ、
しかし毎日記者の知性がそこまで劣化していないことを期待して読んだ。
ジャーナリストとして事実の分析姿勢に於いてまさか、とは思ったのですが、
・・・みごとに裏切られました。
まことに紋切り型の「このままでは戦前回帰」告発調の論旨でした。

どうも違うんじゃないかと思います。
以前のような東西冷戦構造時代とは明確に情勢は変化している。
いま、中国の支配層・権力は、拡大した自国の経済的影響力を
共産党独裁国家支配者らしく、覇権拡大に向かって利用しようとしている。
この共産党独裁の「社会主義市場経済」国家が台頭している現実。
習近平は「中華民族の偉大な復興」を唱えて覇権拡大を目指している。
こういう未曾有の事態が進行しつつあり、世界的な危機も進行している。
その世界戦略の中で、アメリカとの間で「新型大国関係」を提起し、
ハワイ以西の太平洋を自国の覇権の及ぶ範囲とする戦略を取っている。
その大きな枠組みのなかで日本との関係があって、
韓国を自国の経済圏に取り込むことで反日の先兵として働かせている。
かれらにとって日本を仮想敵とすることが、この戦略にとって都合が良い。
こういう世界の基本的な情勢把握を多くのふつうの日本人は持ってきた。
こういったアジア情勢があって、では日本はどういう戦略を取れば良いか、
国家戦略的な部分に、ひとびとの意識は高まっているのだと思います。
それはごく当たり前の「民族的生存本能・認識」の発露でしょう。
そしてこういう国家戦略論をまったく顧慮しない既存メディアの影響力が
どんどんと薄れてきている。
朝日や毎日のように、日本国家の安保上の手足を縛る、
戦争反対がすべてだというのでは、中国の世界戦略に従属するしかなく、
それには多くの国民が納得しなくなってきている。
そんなことではそれこそ国益が毀損してしまうという危機感。
中韓国家支配層からの執拗な反日キャンペーン、動きに対して
朝日のようにウソまで書いてそれを主導するような日本メディアの現状、
それに対して多くの国民がふつうにおかしいと感じ始めている。
そうした民族的な正常な「揺り戻し」的な国民の動向に対しての
こうした既存メディア側からの告発・批判が
また戦争をしようとしているみたいなレッテル貼りの立場を固守している。
この記事を読んでみて、まことに絶望的と思わざるを得ませんでした。
これでは国と民の生存戦略をいっしょに探求する論議にはならない。
もうちょっと知性を働かせて欲しいと思う。

多くの国民は健全に、こうした国家同士の外交と
一般民衆レベルの交流とはまったく分けて考えていると思います。
国家指導者は別として、中国のひととも韓国の人とも
民の友好は大いに推進していくべきだと思います。
日本のように権力に反対の意見を言っても強権的に弾圧されない政体が
やはり平和の基礎なのだと思うのです。そういう価値感は
ふつうの民同士の交友がいちばん醸成につながっていくと思います。

遠い隣国との会話

2553

安倍さんは韓国に行って、
自腹でソウルフード焼き肉を食べて帰って来たそうだ。

というような話題が、数日経ってから
韓国側メディアが書き立てている、というニュースが流れている。
かの国では客人に昼ご飯を提供しないというのは
儒教的モラルから言って、最大限の侮辱なのだそうだ。
こういう部分は、各国国民の感情習慣に属することだから、
受け入れ、受け流すしかない部分。
同じアジアだけれど日本人的価値感からは、
多少の冷たさは感じるのは事実だけれど、
まぁ、ほかに用もあるのかなと、軽く流せることでもある。
韓国側は最低限のモラル的もてなしは「してあげてもいいよ」と
そういうアナウンスを込め、反応を期待したのか。
書かれているニュースからは、昼食会を開いて上げるから譲歩せよ
という交渉手段にもなっていた、ということだから
安倍さんとしても「まさか、昼飯で国益を毀損はできない」と
考えるのは日本人として理の当然と言うべきか。
このあたり、儒教的価値感が根強い韓国・中国との違い。

で、軽いノリで庶民も行く焼き肉店で仲間内で韓国料理を食べた。
っていうことなんだそうだ。
ここで韓国のソウルフードを食べたことは、ごく自然だけれど
なかなかにいい「外交センス」だと思う。
こういうことが話題になり,ニュースになることも
計算に入れていたとすれば、安倍政権はなかなかしたたか。
韓国内のメディアではどうでもいいようなメニュー内容と
総額金額までニュース報道されていた。
ことが食事のことだけに、韓国民一般にもわかりやすい。
一応その国の文化にリスペクトを表現した食事だったと。
こういう報道に、どういったセンシティブな部分があるのかどうか、
「ほらみろ、安倍のやつらのざまを」という
譲歩を得られなかった意趣返し的心理を満足させているのか。
そういう韓国民向けの政府側対応であるのか、よくわからない。
韓国紙論調からは「こんな対応はまずいだろ」的な反応だそう。
首脳会談後のこうしたムードを見る限り
安倍さんは大いに得点を稼げた気もしてくる。
少なくとも日本側は「やれやれ(笑)」というムードになった。
たぶんこういう韓国側反応を予測しそれでも会談事実はできた。
そういう外交的得点は、世界の世論に対して、
とくにアメリカに対して得られたことは間違いないのではないか。
そのために多少の韓国側の屈辱的な扱いには、
なんの痛痒も感じなかった、というメッセージも伝わる。
なかなかしたたかと言える外交的勝利でしょうね。

人の生きる環境と植栽、庭

2563

写真はわが家のネコの額ほどの「庭」、植栽。
わたしは自分の人生を選択するのに、
都市の中の環境を選択して、利便性と環境性の調和として
いまの環境を主体的に選び取ってきました。
居住環境というのは、この国、社会、現代という時代のなかで、
それぞれが主体的に選び取ることが出来る事柄だと思います。
すこし立ち止まってみると、自分にはもうちょっと
庭木を楽しみたいという根源的な欲求があったように思います。
事務所の方には、合計10坪くらいの庭があって、
いろいろな木々や植栽をあれこれと管理しているので、
個人としてのそういう欲求は、ほぼ満足はしていると思うのですが、
たまにこうして、情けない自宅の「庭」を見ると
多少の後悔の念がないこともないのであります。
いま、この2つの植栽だけに絞り込んで、
それを剪定管理してきているのですが、
先日、娘が帰省してきた折に、帰っていく間際、
この左側のツツジの赤い色づきを見て、うれしがってくれていた。
そういう様子を見ていて、
そういえばわが家にはこどもがふたりいて、
この庭の植栽もふたつだなと、ふと思い至っていました。
秋にはこのようにツツジは真っ赤に染まってくれて、
まるで娘のようだし、アオキの方は枝振りも奔放で
その楽しい個性がまるでやんちゃ坊主を感じさせてくれる。
そうすると、いまは家を離れているふたりの子どもたちが、
この植栽たちとオーバーラップして見えてきて、
「あぁ、もっと手を掛けてあげたいな」というような気になってくる。

たぶん、家を建てることのいちばん大きな意味合いは、
子どものすこやかな成長を願って、ということが大きいのだと思います。
子どもが生まれたときに、記念に庭に木を植えるという習慣があるけれど、
あれって、やはり人間に根源的に存在する思いを表しているように思う。
狭い敷地で庭を確保することはできなかったのですが、
もっと広い庭で、いろいろな樹木・植栽にたっぷりの時間を掛けて
その成長を祈り続けるような、
そういった人生時間も、貴重なものだと思っております。
このあと、時間が出来たら、もうちょっと考えていきたいです。

Mac環境、無事移行(ホッ)

2562

きのうが「文化の日」で、たいへん助かりました(笑)。

わたしのMacBookPro15は、メーカーのリコールになるので、
その間1週間の仕事環境を構築する必要がある。
で、新品ではデータ容量の確保にメーカー側への特注が必要であり
諸条件から新規購入は時間的にもむずかしい。
ということで、中古のMacBookPro13を購入したけれど
そちらもデータ容量が半減で、「選択的データ移行」対応では
これも諸条件と時間不足。というところまでが一昨日段階。
きのうは朝一番でヨドバシカメラに直行して、
1TBの容量の2.5インチHDを購入。2TBのものは約2万円、
こっちは7800円ほどだったので、コスパその他の判断で選択。
移行用に外付けHD用の「ガワ」USB3.0搭載タイプを2000円で同時購入。

購入したMacBookPro13の内蔵HDは500Gと容量が少なくて
データ移行もできないので、換装作業。
取りだしたHDは,外付けにするのでガワにこっちも換装。
この作業は、何回かやっているので楽勝作業。
で、懸念はこのOSが乗っていないHD内蔵のMacBookPro13に
バックアップしているTimemachineデータを
どう移行させられるのか、であります。
きのうは比較的に機嫌が良かったリコールMacBookPro15で
インターネットで調べてみると、
いったんはカラHDにOSをインストールとなっている。
そうだとすると、その方法は、よくわからない。
環境構築にはすごい時間がかかるのだけは確かなので、
調べたりする時間が惜しいと考え、ここはAppleのサポートに連絡。
リコール対応からの経緯があるので、親切に各段階ごとに
断続的に4回ほどサポートしてもらった。
外付けにしたMacBookPro13の既存システムのリカバリー領域から
カラの内蔵HDに対してOSをインストールさせるのですね。
なので安定的な通信環境、LANに接続させておく。
で、そこからインストールに約1時間ほど。
次に今度は、旧い環境にあたらしい環境のデータは移行できないので、
そのOS環境を、10.8から10.11にアップグレードさせる。
この作業に約2時間。で、ようやく環境が整って、
そこからバックアップTimemachineデータを移行開始。
さすがに700GBあるので、夕方5時前にスタートして
「6時間」というように時間が示されていました。
これだけ時間を掛けて、でも失敗ということもあり得る。
しかし、ここは信じてやってみるしかない。
ということで、スタートさせて食事を済ませ、成功を祈りつつ爆睡。
気絶からふと復帰して12時頃に見てみたら、「終了寸前」(笑)。
「やった」であります。
しかしここからもまだ、道のりはありまして、
終了後、各データが確実に移行出来ているかどうかの再確認作業。
なんとか問題なく移行は出来ているようでしたが、
しかし、メールのデータなどは再度読み込ませる必要があり、
これにも2時間くらいはかかりました。
その間,断続的に寝ながら、ようやく移行が完了したMacBookPro13から
この「実況中継」を報告させていただいております(笑)。
ふ〜〜、やれやれでありました。
いまのところ、サクサクと動作してくれておりまして、悪くはありません。
安心してMacBookPro15には今朝、旅立ってもらいます。
きのうのブログに応援や励ましのメッセージもいただきました。
まことにありがとうございました、無事をお知らせいたします(笑)、
ではでは。