
わたしたちはいま、21世紀初頭の時代を生きている。
この時代というのは、これが歴史時間にやがてなっていったとき、
どんな時代だというように規定されるのだろうかと、ときどき考えます。
20世紀は世界戦争の時代を経て、人類規模で経済が
資本主義に席巻されていった時代であり、日本においては、
戦争の惨禍から復興し、高度経済成長を遂げた時代。
そして21世紀は、その成長を支えた人口増大が急速に停止し、
人口減少時代の足音に不安を感じ続けている。
戦後からの建築への旺盛な需要が鈍化しつつあり、
街には「空き家」の存在が大きく目立ってくる時代になった。
街の表情も、かつての「駅前」などの中心市街地が空洞化して
クルマ交通を前提とした新「市街地」に、人々の行動が移っていっている。
住宅建築の世界でも
これまでの大量生産型の価値感が大きく変容し、個別少量生産の方に、
ビジネスチャンスはシフトチェンジしているように思われる。
今起こっている、街の中心ゾーンの移動、変容もまた、
クルマという「個別少量」の移動手段の方が優勢になって
大量輸送型の鉄道が相対的に役割が縮小化してきている表れなのかも。
これからの時代は、すでに見えてきているように
都市化と過疎化、そして中間的なものというように
3つに大きく街のありようが分かれていくのでしょう。
北海道のニセコ地区のように、北東アジアの世界リゾート化というような
そういった需要は今後とも日本ではあり得ると思います。
アジアが経済発展したいま、日本という四季変化が明瞭で
しかも治安と政治的安定性のある地域には、観光需要が起こる。
観光は結局最後はその地域が持つ「文化力」に収斂されていくと思う。
そういう「発展要素」を持った地域と、
人口流出が進行して過疎が深刻化して行く地域に分かれていく。
そして多くは、その2極の間でゆれ動く地域になっていく。
そのような変化の結果、過去の市街地の各所に
写真のような廃屋・廃墟が姿を露わにしてこざるを得ない。
この様子は、十和田の中心市街地のなかの光景。
一見すると、中途半端に建物が解体されて、その鉄骨の骨があらわれ、
なにやら無惨な表情になっていると思うけれど、
しかしその後、屋根付き駐車場としての生き残り機会を得たものか、
それなりの使用痕跡が見えていて「手入れ」されてあるようなたたずまい。
第一、この骨組みの表れたオブジェ感は、それなりの美観も生んでいる。
いま、建築でも「リノベ」ということが深耕されてきている。
これはどうも、「新築そっくり」という方向性では決してないように思う。
そうではなく、古びてなお美しいという方向性の
その発展形であるように思われてならない。
そんなイメージを持ちながら、この「廃屋」が醸し出している空気感に
錆びてはいるけれど、正直な素材感を感じていた次第です。
考えてみれば世界的な観光都市ローマは、廃墟見物をウリにしている。
みなさんは、ただの汚い廃屋とみられるでしょうか?
Posted on 10月 25th, 2016 by 三木 奎吾
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青森県十和田は、札幌とよく似た計画都市。
八甲田山系の高台高地で、農業には適さなかった地域を
江戸期以来の絶え間ない公共工事で、開拓してきた歴史を持つ。
以下Wikipediaより引用。
もともと十和田市のあたりは三本木原と呼ばれる荒蕪の台地で、
台地周辺に寒村が点在していた。安政2年(1855年)の時に
新渡戸稲造の祖父の新渡戸傳を中心に奥入瀬川から水を引く計画に着手し、
1859年稲生川(いなおいがわ)として引水に成功して開拓の基礎ができた。
明治18年に陸軍が軍馬局出張所を設置したことから、馬産が栄えた。
同市の農事試験場(藤坂試験場)で開発され、昭和24年から
普及段階に移された稲の品種「藤坂5号」は非常に冷害に強く、
やませが吹いて夏が冷涼なこの地域で急速に広まり、穀倉地帯になった。
現在その遺伝子は多くの稲の品種に組み込まれている。〜要旨抜粋。
そういった経緯で集住地域として現在の十和田市が計画的に造成された。
札幌と同様に碁盤の目のような明治初期の計画的な街区が特徴。
ということなのですが、
食べる方では、馬肉などで有名であります。今回出張では街中の屋台で食事。
ビニールでテント張りされていて、野趣あふれるたたずまい。
屋外で寒いけれどこたつの席もあって、楽しい雰囲気。
で、薦められるままに食べたのが「バラ焼き」。
どうやら十和田バラ焼きは、B級グルメグランプリなんだとか。
案内してくれた平野商事・平野さんに食べ方をご教授いただいた。
鉄鍋にタマネギを周囲に展開させて、その上に牛バラ肉をのっける。
っていっても、積層しているバラ肉を写真のように山盛りする。
そうしておいてから、下のタマネギたちを箸で右回りに回していく。
徐々に落ちてくるバラ肉の肉汁でだんだんとタマネギも黄金色に変わる。
それからバラ肉をほぐしていって、タマネギと混ぜ合わせる。
バラ肉には甘辛く味付けされているのでそのまま、舌にアツアツを載っけて食す。
この料理は、バラ肉だからバラ焼きではなく、
どうも、食べていた情景から来ているネーミングなのだそうです。
というのは、戦後近隣の三沢が米軍に接収されて米軍関係者が移住してきて
かれらの好みと十和田の食材が出会って、生まれたのだそうです。
で、当初は「バラック小屋」で食事が供されていた。
バラックは本来は駐屯兵のための細長い宿舎のこと。転じて空地や災害後の
焼け跡などに建設される仮設の建築物のこと。当面の間に合わせであり、
材料も上質なものは用いず、簡易な構造で造られる。
っていう建物で食すのに、このネーミングがぴったりだったと言われる。
わたしのブログは一応、建築に関係しているので、
このバラ焼き紹介も、建築に由来しているというワケなのであります。
あ〜うまかった、という次第、ごちそうさまでした。
Posted on 10月 24th, 2016 by 三木 奎吾
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きのうも少し触れたテーマなのですが、
東日本大震災での「全的被災」の結果、集団移転を選択して
新たな「集落造り」に向かって歩んでいる地域社会の状況を聞くことがある。
どこということではなく、一般的に広く聞くことがら。
そこでは震災以前まで多くは地域の神社などの「まつり」があって、
それが人々の人生歳時記に刻印されてきていた。
生き死にの想い出までが、そのまつりの時空間で積層されてきていた。
そこでは当然、長い先祖からの営為もあったことでしょう。
であるのに、現代社会の無宗教志向、政教分離という
本当に日本人の本質的生き方を凝視していないと思える理念に基づいて
「社会復元」が現にいま、行われつつあって、
人々の伝統的な「地域社会文化」が結果として無惨に破壊されている。
しかし、コミュニティの形成・存続には
人々のこころの繋がりということは、欠かせない部分になる。
そこで、宗教性のない営為というものが代置されることになる。
そういうものも、行政側と住民との対話で進んでいくけれど、
それを企画し、運営していく側の自治機構もアタマが痛い。
敬老会とか、花いっぱい運動とかが代償的に「公的」行事で行われている。
しかし、そこには伝統に根ざした民族的な「知恵」は見失われている。
というか、現代の都合による伝統的生活文化の破壊は
はたして民族的な視点からみて、本当に許されるのだろうか?
という大きな疑問を抱かざるを得なかったのであります。
端的に言って、被災した住民は集団移転させるが、
同じように全的に被災した神社や仏閣は彼の地に放置されている。
人間は救うけれど、神さまは救済されていないのです。
そのことに大きな不条理感を持ってしまったことがあるのです。
たぶん、伝統的な地域の中核的な「まつり」などがある場合、
現代統治機構側は、その伝統性を「尊重」して配慮すればいい。
それは住民の意思に基づいているという、追認でことが終わる。
それに対して、全的被災以降はある特定意志を持ってでなければ
「存続させる」ことに非常な困難がともなってしまう。
行政側としては、そのような危険は極力回避したいだろう。
そんなことが結果として「愛着」を持てる地域復元を困難にしている。
見方によっては、復元される集落は真空的な現代無名性のミニ都市。
時間が経過したあとで、
こうした平成の時代の「決定」が、どんな価値判断になっていくのか、
そういう視点も持っていかなければならないのではないか、
という思いを持っている次第です。いかがお考えでしょうか?
<写真はある歴史展示施設での中世的集落・中心施設ジオラマ>
Posted on 10月 23rd, 2016 by 三木 奎吾
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ピリッとした寒さは残っていますが、
札幌はきのうは穏やかな1日でした。
予測通り、寒気は一過性だったようです。
紅葉の盛りはいつころだろうか、と考える間もない冬将軍さま、
ではありましたが、もう少しは間があると思われます。
写真は、一昨日触れた妙経寺の本堂周辺。
立派な「迎え松」や、こんもりとした立木など、
このお寺は専門の「庭師」さんが手を込めた作庭が行われている様子。
日本の場合、こういった宗教施設は
ある宗教的教授という目的はもちろんそれぞれで持っていたにせよ、
押し並べて、地域の中で「公共的空間」性を歴史的に日本人に感覚させてきた。
神社の場合には、地域社会の「鎮守の森」という言葉まであった。
そこには、醸し出していた「公共性」の方に力点があると思う。
現代では「政教分離」が社会の基盤意識になっていますが、
東日本大震災のあと、集団移転の社会復元段階になって、
それまで宗教施設が担っていたこうした「公共性」を無視する結果、
「社会復元」に大きな困難が立ちはだかっている現実もある。
都市や社会の成り立ちというのは国によって違いがあるでしょうが、
ことし隣国・韓国に行く機会があってかの国には、
宗教的なパブリック空間というものがないと当社の韓国人スタッフに聞きました。
中国でも、いわゆる公園というものはあるけれど、
宗教由来の「公共的空間」というのはあまり、その存在を聞かない。
なぜか、日本社会だけが特異的に東アジア世界の中で、
神道や、仏教などの神社仏閣がかくも盛大・多様に存続してきたのか、
いつもそんな不思議を感じ続けています。
韓国人スタッフと対話する最初に、なんとなく北海道神宮社域を
案内して、日本人的な精神性の基盤に話が及んだことがある。
仏教寺院の場合にも、各種の宗教建築が曼荼羅世界を表現するかのように
整然と伽藍配置される広大な寺域を形成していて、
多くの人間を収容する、公共的な空間を備えている。
西欧社会に普遍的な「広場」にも似た「公共性」をこれらに深く感じる。
たぶんそういった心理体験が積層している部分が日本人にはどうもある。
東アジア世界の中で、先導的に西欧社会の普遍性を受容したことの
大きな「起動力」が、こういった部分にあるのではと夢想しています。
さて、そろそろ年末も控える季節になって来て貴重な休日。
本日から、わが北海道日本ハムファイターズは、最終決戦突入。
ドラフトではまたライバル・ソフトバンクが利を得ましたが、
独自に培った「育成力」の面ではリーグの違いはあれライバルと言っていい
広島東洋カープとの頂上決戦であります。
主戦はご存知大谷クン。投打に存分にその力量を発揮して
みごとな活躍を目に焼き付けて欲しいものだと思います。
頑張れ、北海道日本ハムファイターズ!
Posted on 10月 22nd, 2016 by 三木 奎吾
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きのうまでの3日間、北東北を行脚。
スタッフとクルマでの踏破でしたが、比較的に天候は良く
きのう若干は曇りややや強風には遭遇しましたが、
おおむね安定した状況だったのに、
夕方くらいから、道東・十勝まで往復していたカミさんから
頻繁に「降雪」状況のアナウンスが寄せられるようになった。
「おいおい」と信じられないような違いぶりに口あんぐり。
そう言われてみれば、たしかに10月も中旬を過ぎていますので、
どんなことが出来してもそう不思議はない。
でも、ここのところ北海道も温暖な日々が続いていたので
やや寝込みを襲われたような、不意の冬将軍であります。
きのうは、青森十和田から八戸、盛岡を経由して仙台というコース。
総走行距離はたぶん、300km超程度でしょうか。道中PAではこんな様子。

で、仙台事務所で出張時の訪問先で発生したToDoを整理して
スタッフに空港まで送ってもらいながら、車中でもミーティング。
食事を取って、飛行機に乗り込んで爆睡。
突然着陸の衝撃に目覚めさせられて、外に出たら、
夏用のジャケット+長袖シャツ程度では風邪を引きそうな強烈な寒さ&風。
駐車して置いたクルマに戻ったら、前面ガラスは凍結している。
完全に、やられた感が襲ってまいります(笑)。
しかし気持ちを建て直して、慎重運転で帰還開始。
しかし高速道路はすべて「冬タイヤを装着せよ」というアナウンス。
覚悟していたとおり、そっちは早々に諦めて一般国道へ。
1枚目の写真はその道中、恵庭近辺での信号待ち時点の状況。
2枚目の写真は、その2時間前、午後6時頃に送られてきていた
カミさんからの事務所駐車場の冬景色(泣)。
しょがない、ひたすら安全運転での夏タイヤでのゆっくり運転、約50km。
それでも札幌まではそうでもない降雪でしたが、
札幌市内に入ると、道路にだんだんと雪のわだちができている。
下手な運転をするとハンドルを取られそうになる。その上カミナリまで・・・。
っていうか、事実何回かは横滑りさせられた。
やや山に近づく札幌市西区の自宅周辺になると、冬道走行状態。
夜10時くらいに千歳の空港駐車場を出て、
約1時間20分ほどの慎重運転で、ようやく自宅に帰還。
最後、自宅駐車場に停車するときには、横滑り・ハンドルも若干取られた。
まぁ最後まで気の抜けない、東北からの帰還でした。
でもまぁ、毎年のこと。こういう雪との出会い、
久しぶりの悪友との邂逅のようでもあって(笑)、
北国人らしい通過儀礼と楽しめる部分もあります。
今朝、いま外を見回していると、これは今日日中の気温上昇で
淡雪となって消えていきそうな程度の積雪であります。
しかしまぁ、「そろそろ来るからな」という、冬将軍のちょっとした挨拶でした。
ふ〜〜む。
Posted on 10月 21st, 2016 by 三木 奎吾
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さてきのうは一昨日の秋田訪問から、青森県津軽地方に。
最初の訪問先は黒石だったのですが、
その要件が早く片付き、次の予定までやや時間があったので、
車中から気になった道沿いの古寺・妙経寺へしばし参拝。
というのはなんと、校倉とおぼしき高床形式のみごとな社殿を発見したのです。
こういうふとした発見にはどうも弱い(笑)。
正倉院が校倉では有名ですが、ほかでもたくさんあるのかどうかは不勉強で
よくわからないけれど、わたしはそれほど見た経験はない。
もちろん時間がないので、ぐるっと回って外側から見ただけなのですが、
どうもこの校倉の外壁の特徴的陰影感は際だっている。
木造ログの美が、周辺の空気感を圧倒的に制圧している。
床下がみごとに人が歩けるほどの高さを持っているので、
その上に乗っかっている壁面の陰影感の美はハンパない。
WEBでちょっとググったら、寺については以下のような記述に出会った。
寺伝によると弘治2年1556年の開山とのこと。
この時代、室町幕府将軍は足利義輝。
相模国妙法華寺12世日弘の弟子である江東院日然が開山となり、
浅瀬石城主千徳氏の祈願所として浅瀬石中屋敷に大王山法輪寺を創立。
慶長2年に津軽為信に攻められて浅瀬石城が落城した際に焼失。
同年五輪台(牡丹平)に再建。承応元年に弘前本行寺6世日住は
3代藩主津軽信義に願い出、現在地を拝領し本圀山妙寺を建立。
正徳2年、延享元年の2度にわたり焼失。明和3年には大地震にて倒壊。
現在の本堂は昭和2年の建立。というような経緯のお寺さんのようです。
この校倉についての記述は見当たりません。
時間があればちょっと調べたくなったのですが、
いかんせん出張の旅の空で時間がなく、確認はできていません。さらに、

境内には昭和63年に県天然記念物指定されたカヤの巨木があります。
カヤの木は樹齢約700年、樹高19.5m、幹周6.55mで、
妙経寺創建以前から生育していたものと考えられているとのこと。
この地方では古くから天台密教が栄えており、各地を巡回した修験者が
苗木を植えたと考えられているそうです。
このカヤの木というヤツは、宮城県が自然分布地域の北限とするそうで
もちろん北海道人にしてみると見たこともない木。
一見するとヤナギのような葉の様子ですが、見事な姿であります。
なんとも面白い古寺が忽然として顔を見せるのは、
いかにも不思議の国・津軽を感じさせてくれます。ふ〜む。
Posted on 10月 20th, 2016 by 三木 奎吾
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きのうから北東北に入っています。
秋田空港から入って、最後は仙台空港から札幌に帰還するというコース。
駆け足ですが、きのうは多くのみなさんとの対話ができました。
で、数人の方から、地元新聞が取り上げていたという
秋田県人口が100万人を割り込むという予測記事のことを聞いた。
そのこと自体はごく当たり前だと思うのですが、
みなさんどうにも受け取り方が受け身で、前途をいかにも悲観する調子。
こういった記事書き飛ばしの影響ということを、
エトランゼ的な視点で考え直すきっかけになりました。
こうした悲観的なものの見方というのは、広く流布していて
あまりにも当然のことですが、
繰り返し語られることに対して、その受け取り方を
われわれ一般人はもっと「耐性」を持つべきではないかと思ったのです。
そういった指摘をいかにも「言論をリードする」みたいな「有力」新聞目線で
まき散らすのは、むしろ怠慢そのもののメディアの姿だと思う。
そういう「放って置いたらこうなる」論はもういいから、
ではどういうふうに見て、どう行動したらいいのかを
言論の中に「主張」として持っていないと、裸の王様そのものだと思う。
「なんの方向性もなく悲観論を言う。王様はアタマの中が素っ裸だ」
人口減少という事態に対し、ではその現状でなにが起こっているのか、
もうすこし観察を詳細にしていかなければいけない。
以前に北海道の戸建住宅着工が10年間に8掛けに減った記事を書いた。
でも同時に、その10年間には、建築の担い手も3割ほど減少した。
ということは、「生き残った建築企業」はその規模を拡大させている。
平均で約5棟が、6棟以上になっていた。
人口減少を悲観してか、単に後継者がいなくてか、
マーケットから自然退場して行く人が多い一方で、
残った企業は、強い企業体質を獲得してきている。
過去10年間に起こったことは、今後の10年間でも起こる確率が高い。
それと、人口減少は先進国ではいま、普遍的に起こっていることであり、
そのことと経済規模の推移は必ずしもパラレルでもないことは、
いまの社会情勢を冷静に見れば明らかだと思う。
歴史的に見ても、人口は増大期があれば停滞期もある。
それは「波動する」ものだと思われるのです。
さらに言えば人口問題は、わたしたち全体にとって「変えられる未来」。
ただ単なる人口現象論を言い立てることに、深く異論を持っています。
下の写真は、飛び込みで訪問した秋田能代の西方設計さん事務所。
西方さんは、秋田だけではなく日本各地を駆け巡って
活動の幅を大きく全国に広げる努力をしてきている。
多くの人が人口減少論で悲観的になっている状況は、
一方で違う考えを持っている人にとっては、
あらたなブルーオーシャンが眼前に表れてきていることでもある。
多様な見方、価値感をいまこそ持つべきなのでしょうね。
Posted on 10月 19th, 2016 by 三木 奎吾
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よく木造住宅を依頼した建て主さんで、
基礎から構造軸組が立ち上がっていく過程で感動する人が多い。
で、その後、その軸組が面材の貼り込みなどで
壁や天井として仕上げられていくにしたがって、興奮が静まってしまい、
なにか、がっかりするような気分になってしまうのだと。
わたしが古民家に強く惹かれているのも、
どうもそういった部分であるのかも知れません。
昔の人が、いろんなところで生えていた木を切ってきて、
それを縦横に組み上げて、なにごとかを建築したという気分を
多くの人間が共有できるのは、この構造の部分ではないかと思うのです。
人生、ひとの生き死にでも、プロセスではいろいろなことがあっても、
結局は「志」の部分で、すべてが明らかになるみたいな、
そういったものが、古民家建築では明瞭な柱梁として見える。
それがきわめて合理的に、ある安定感を確保させる。
柱梁が水平と垂直をしっかりと見せ
さらに大きな架構が屋根構造としてしっかり住まいを守っている様子は、
農家であれ、商家であれ武家であれ、
しっかりとした人間の筋みちのようなものを感受させてくれる。
「おれはこんな風に生きた」というようなメッセージが聞こえてくる。
とくに男性にそのような印象を抱く人が多いと言われます。
表面がツルッと仕上げられる現代住宅とは違って
こういった古民家では、これらの素材が真っ正直にすべてが現れている。
その建築としての素性の明らかな風情が、
清々しさとして、こっちの側に伝わってくるのですね。
どこに行っても、まずはこうした構造の力強さに魅了されております。
さて本日は再び、北東北への出張。
徐々に本州との寒暖差が気になってきますが、頑張ってきたいと思います。
Posted on 10月 18th, 2016 by 三木 奎吾
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いやはや、まさにマンガ以上の大興奮でした(笑)。
ご存知の通り、きのうのパリーグCSシリーズ戦です。
9回までの波瀾万丈逆転劇の締めくくり、だれがクローザーなんだろうと
神棚に祈るような思いで(笑)ハラハラドキドキしていたら、
マウンドにはなんと、さっきまで3番DHで活躍していた大谷クン。
野球のDHルールとかには詳しくはないので、
こういう手があるのかないのか、さっぱり知りませんでしたが、
見ている方にしてみたら、堪えられないドラマチックな展開。
まさに「見せてくれる」プロらしい役者・演出であります。
ここで大谷クンが投げるのならば、誰に異存があろうハズがない。
しかし、これはまさにギャンブル!
もしこのリリーフに失敗したら、翌日の先発投手がいなくなる。
野球は勝っていても、常に攻撃と防御が同居する。
その上で、ときにはギャンブルに打って出て試合を制圧する必要がある。
とくに短期決戦の場合には、その決断が欠かせない。
そんな思いを感じさせてくれる大谷クン登場でした。
いまの日本プロ野球で、ここまで陶酔的な場面を作り出せるのは、
やはりすべての野球常識を木っ端みじんにしてくれる大谷クンだけ。
最初の試合で完全にゲームを支配して完勝したエースが、
そのあとの試合ではずっと3番DHとして出ずっぱりの活躍。
そして最後には、試合を決定する場面に登場する。
まさに個性キャラクターがまぶしいばかりに輝いていた。
そして、投球が開始すると剛速球165kmの日本最速直球の連続。
対するソフトバンクの面々もプロらしく対決。
撃てるものなら打ってみろの投球に真っ向からのスウィング。
2者がケレン味なくスウィングアウトで三振後、
最後の打者になった本多選手はかろうじて前に打球を飛ばしたが、
平凡なショートゴロ。しかし、全力疾走で1塁をめざしていた。
最後まで間一髪シーンを見せてくれて、敵ながらあっぱれでした。
きのうの試合、ここまで大活躍していた新人投手・加藤君が
初回に自らのエラーから一挙に4点奪われる悪夢の立ち上がり。
このシリーズでは1回に4点というのが、流れを作ってきていた。
このイヤな展開に2回先頭打者の中田クンが鮮やかなアーチで
絶対に諦めない号砲をとどろかせてくれた。
そしてダイヤモンドを一周する間も、表情はまさに戦う男のそれだった。
まさに4番打者としての、戦闘姿勢を見せつけてくれた。
これに目覚めた打線が諦めない姿勢で、劣勢を全員で挽回していく。
それを初回からのリリーフ投手陣が試合を締め直していく。
投打一体の粘り強い戦いが、逆転を生みさらにリードを3点に広げた。
最後の大団円は、こうした戦いの爆発でもあったと思います。
今シーズンのパリーグ、超絶な戦いを引っ張ってくれたソフトバンク。
この最強ライバルチームの強さが、日ハムを引っ張ってくれた。
この高いレベルのパリーグの戦いの誇りを持って、広島と戦って欲しい。
ほんとうに素晴らしい「プロ」の戦いだったと思います。
日本一めざして、がんばれ北海道日本ハムファイターズ!
Posted on 10月 17th, 2016 by 三木 奎吾
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さすがにノーベル賞というのは、いろいろ考えているのですね。
ダイナマイトという人類に発展と同時に大量殺戮という不幸をもたらせた
アルフレッド・ノーベルの悔悟の思いを込めた遺言で1901年から始まった賞。
物理学、化学、生理学・医学、文学、平和および経済学の
「5分野+1分野」で顕著な功績を残した人物に贈られる、とされています。
スウェーデンが世界に対して発信できるもっとも強いパワーであるかも。
事実、これ自体がすでに権威であり、繰り返し民主化促進のような授与が行われ、
中国は選考過程に対して異議を唱えたりしている。
で、ことしの「文学賞」が、アメリカのシンガー・ボブ・ディランに贈られて
大きな反響を呼んでいる。受賞したボブ・ディラン自身がまだ反応していない。
ノーベル賞側とボブ・ディランとの連絡電話もつながっていないとのこと。
ひょっとして、まだ波乱があるかもしれない。
なんですが、かれのようなシンガーソングライターが「文学」賞を受けるのは、
人類社会の現状の価値感に対して、波紋を呼ぶことは間違いない。
「文学」というものについて、その範囲規定について、
賞の選考者たちが、大きな革新性を提起したというのが大きな要件。
このニュースを最初見たとき、ボブ・ディランは小説も書いていたのかと思った。
ボブ・ディランは、アメリカ人種差別などの病根に発信し続けてきたことに
はるかにリスペクトは持ち、若者たちの時代観として共感は持っていた。
「兄貴」的な存在としてそのリアルタイム体験は
あることはあるけれど、アメリカ社会のなかでのかれの存在感について
コトバの感受性に於いて距離感のある、英語ネイティブではない
極東アジアの少年・青年としては、詩的イマジネーションは感じても、
肌身に感じるまでの感覚は持っていなかったと正直に思います。
今回の受賞は、こうした詩的イマジネーション表現活動に対して
それをも「文学」として領域認定すべきだという、賞の側の意志なんでしょう。
こういう人類社会への先導的価値感の提起は、すばらしい。
人類文化について還元して考えれば、
コトバと音律、その抑揚によってコミュニケーションが培われたことは疑いない。
コトバには、その語られる内容について
明晰な事物の特定、思考の表現・相互理解という役割があった。
その内容について、多くの場合、音楽性は一体のものとして随伴した。
日本史で言えば、額田王の歌とされる古代の海外派兵、
白村江への出陣鼓舞の歌が発された情景が浮かんでくる。
「熟田津〜にぎたず〜に船乗りせむと月待てば、潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな」
〜暗い海路に月の光が射し、潮が満ちてくる情景を前に、
困難な航路へと旅立ってゆく人々を鼓舞し勇気づける、作者の
凜々しい姿を想い浮かべずにはいられない。初期万葉のシンボル的な傑作。〜
この歌は、文字コトバとして万葉集に収められたけれど、
たぶん、文字としてではなく生々しいコトバとして、抑揚・音楽性を伴って
その時代感のなかで発されたものではないかと想像しています。
また日本の「文学」には、平家物語のように、
琵琶法師が全国の「まつり」の場に出向いて語り起こした「文学」作品例もある。
あの出だしの「祇園精舎の鐘の音・・・」という音律性と琵琶の音が
一体的陶酔感として民衆に受容されたに違いないとも思っています。
たぶんボブ・ディランの歌のような「言霊」を持ったものだったのだと。
そんな原初的なものへまで想像力を広げさせた
今回のノーベル賞側の人類社会への提起はまことにすばらしいと思います。
Posted on 10月 16th, 2016 by 三木 奎吾
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