


アース21旭川例会見学の住宅事例から、こちらは創樹さんの建てた家。
きのうは、人口減少期型の平屋・大空間・個室減タイプでした。
平成のニッポンでは女性の社会参加が促進され、たぶん、
専業主婦を強く意識した家づくりというのは、少なくなっているかもしれない。
いわゆる「奥さん」というコトバはどうも実態とそぐわなくなっている。
2016年の女性(15~64歳)の就業率は前年比1.4ポイント上昇の66.0%となり、
1968年の調査開始以来、過去最高を更新した。
その上、いわゆる地域偏差もあり、北海道のような地域では
この傾向はもっと強いかも知れないと実感しています。
とくに家を新築するという世代に関して言えば、
多数派がそういう「共働き」になっていることは想像に難くない。
「サザエさん」が視聴率的に苦戦が顕著になってきたことは、
いまの時代の現実の家庭の姿と乖離してきたということかも。
で、住宅の間取り的にも、省家事型の間取りが優勢ではないでしょうか?
そんななかで、いわゆる対極的な「家族関係保守」タイプもある。
むしろたいへん新鮮なものをそこに感じていた次第です。
こちらの家では、玄関が多目的的に広く取られている。
さらに2階の個室群に上がっていく階段がそこにいきなり設置されている。
2階は家族分の各個室が4つあって、個人主義的間取り。
しかし、この階段玄関(?)はスケルトンで家族の帰りを迎える
「母・主婦の視線の抜け」がしっかりと軸線になっている。
階段・玄関に面してスチール格子が装置され、そこにはガラスも嵌められていない。
その位置は「家事コーナー」になっていて、奥さまのパソコンなどもある。
たぶん普段の彼女の中心的「居場所」だと想像できる。
で、そこから奥に向かってキッチン・ダイニングが配置されている。
帰ってきた子どもさんやご主人は、そういう奥さんの目線で出迎えられて
まっすぐに「食の空間」に導かれていくようです。
この間には建具とかは一切ないので、たとえばその日の晩ごはんの
メイン料理がなんであるかもその匂いで伝わってくる仕掛け。
「ただいま〜、あ〜お腹空いた〜」
「おかえり〜」
「あ、きょうはカレーなんだね?」
みたいな会話が想像できる家族関係が「くらしデザイン」されている。
こういう家庭をしっかりと維持したいという意志をそこに感じます。
もちろんこういうライフデザインは、高断熱高気密で
家中が同じ温熱環境が自然に実現されているからこそ、でもあります。
久しぶりにこういう間取り設計の家を見たという感覚。
考えてみれば多数派2/3が「共働き」になったとしても、
現状でも1/3はこういったライフスタイルが維持されている家庭もある。
まことに多様性のある社会になって来ているということ。
こういう社会では、プロトタイプ的「中央値」志向は難しさが伴いますね。
Posted on 8月 28th, 2018 by 三木 奎吾
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写真は先日の旭川地域での住宅事例・芦野組さんの施工物件から。
今回の見学では、間取り的に対照的な事例が見られていた。
ひとつはこの家が典型的ですが、平屋で間取り的には個室数が少なく、
主要居室である居間・台所・食堂が大空間志向のタイプ。
注文住宅の最近の間取りの主要な傾向をそのまま表現している。
一方でモデルハウス的な住宅事例では、2階建てで
2階に個室群をたくさん配置してあるという従来型多数派。
まぁ、どちらかといえばファミリー層を想定した間取りということが鮮明ですね。
この2つの傾向が両極化という様相でいま、家づくりがあると感じます。
考えてみればいまの日本の「家族」のカタチが
そのまま間取り傾向を反映しているということでしょうね。
団塊ジュニア世代までの家づくりがほぼ終焉してきて、
戸建て注文住宅を依頼する層が2極化していることが、
こういう結果になってきているということでしょう。
9月発売のReplan北海道の特集も「平屋の間取り」特集ですが、
より特徴的な注文住宅の傾向として、表題のような志向が顕著。
平屋が大きな流れとして顕在化してきた7−8年前くらいから、
小家族化傾向が顕著になってきていた。
また、子どもが2人いたとしても、そのためにわざわざ個室を持たせることに
懐疑的な考え方が増えてきていると実感します。
それは高齢化とも関連していて、個室が必要な子育て期間は
たかだか10年程度であり、むしろ子育て後は使われない個室が
ただただ物置になっていくことに否定的なひとが増えてきた。
大体50代で子育て期間が終わり、高齢化で子育て後の人生が
そこから先、80-90才と伸びるようになり、
そういう20-30年の居住環境として、平屋環境の方がより永続的だと
考えられるようになって来たことが大きい。
そういった心理の背中を押すように、子育て期でも個室では勉強に集中できず、
むしろ「成績のいい子」にするにはリビングの一隅のような環境の方が適している
という社会的教育効果アナウンスが行き届き始めた。
(これが真実かどうか、都市伝説かも知れないけれど。)
こういう間取りはしかし、大手メーカーなどの大多数向け間取りとしての
「モデルハウス」的な作りようではメジャーにはなりえない。
一般的多数派対応のそれらではこれまで同様の「無難な間取り」として
個室群をそなえたモデルハウスが建てられる傾向にある。
建て売り的な作り方と、注文住宅的作り方の大きな傾向分化でしょうか。
こういう傾向は既存住宅流通でのニーズとウオンツの
ミスマッチ的なことにも繋がっていく可能性が高いですね。要注目。
Posted on 8月 27th, 2018 by 三木 奎吾
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1年前ということが信じられないくらい過去のような気がするのですが、
昨年8月には九州、熊本に取材ツアーで行っていました。
日本建築学会・前会長の吉野博先生に同行させていただいて、
貴重な復元工事の視察機会を得た次第。
まだ、熊本城は被災からの復興途上にあり、
観光などにも公開はされていないだろうと思いますが、
きのう、なぜか娘から突然SNSで熊本城の写真が送られてきた。
「あれ、急に熊本にでも行ったのか・・・ありえねぇ」
と思っていたら、友人関係からのリツイート拡散のようで、
誰からの情報なのかもわからない様子でした。
インターネットで調べたら、「見せる復興」ということで
熊本城はその復元工事状況を一部は公開しているようですね。
しかし念のため、写真については案内地図のみにしておきます。
熊本城は広大な面積を誇っていて、約98ヘクタール(約98万m2)、
周囲は約5.3kmという巨大城郭であります。
この面積全体で2016年の地震では地盤面が20cm沈下したのだという。
なので、石垣などの崩壊が各所で発生しており、
いわゆる「復元」は完全には不可能だろうと言われています。
復元工事の担当者から聞いた情報では、
第一、どの時点へのカムバックが完全復元であるか、
その措定自体が気の遠くなるような作業になるし、そこから実際に復元工事するには
大土木工事が避けられず、予算なども考えれば不可能。
・・・というような説明を受けてから1年。
出回っている写真では、メカメカ風のトランスフォームをイメージさせる。
なんかゴジラがメカゴジラになったみたいな(笑)。
それともこれから変身して動き回るぞ、みたいな妄想も起こってくる(笑)。
世界に冠たる地震大国にして歴史蓄積も多く、
一方で近代化現代化工業技術においても世界最先端技術を持つ
ニッポンでしか現出しないような光景でした。
こういう建築を可能な限りに厳密なカタチで復元させようというメンタリティも
日本社会らしい営為であるのかも知れない。
そういえば、東日本大震災の津波で完全に近く破壊された陸前高田で
周辺の山を切り崩して長大なベルトコンベアで土砂を
旧市街地地区に輸送させる巨大装置を目のあたりにしましたが、
それこそハリウッドあたりのSFものの画像ネタとしても秀逸ではと感じていました。
そういう意味では、逆転の発想ですが、
やはりこういった現代技術と伝統建築というような対比の意味で
可能な範囲では、公開していくという姿勢が正解なのではないかと思います。
札幌でも冬期間の「除雪風景」〜大型除雪ブルによる集中排雪作業が、
アジア圏からの観光客に話題騒然だということも知られている。
時空超越の不思議の国ニッポンに萌えるという部分があるんでしょうね(笑)。
Posted on 8月 26th, 2018 by 三木 奎吾
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本日は休日モードにつき、住宅ネタはお休み、あしからず。
日本中を興奮の渦に巻き込んだ甲子園決勝から数日。
秋田の方からは「金農ロス」というコトバも伝わってきていますね。
日本人的メンタルには、あの負け方もいわゆる判官びいき感情を刺激したのか?
「たったひとりで予選から全試合投げ抜いた」
「メンバーも9人だけで戦ってきた」
「公立校として、十分なバックアップ戦力確保は難しい」
などなど、こういうハンディキャップ要素にこれでもかとスポットを当てる。
いかにも日本人はこういうのが好きなんだなぁと、我ながら納得する。
写真は、わたし的にとにかくしびれた2ランスクイズ成功の瞬間、
サヨナラのホームを陥れた歓喜のガッツポーズ(産経WEBから)。
プロとはまったく違う高校野球らしいスリル、大興奮を呼んでくれた。
エースの吉田君はこれからの進路について、
どうやらまだまったく考えていなかったようで、
スポーツジャーナリズムからの質問で
「もし巨人から指名されたら・・・」みたいに誘導されて
「メッチャうれしいです!」と言ってしまったとされている(笑)。
予想を大きく上回る甲子園での大活躍で、自分自身でも信じられない注目度、
しかもまだそのことに慣れていない様子が見られますね。
そういった部分も、野球ファンにはたまらないウブさ。
で、人気商売のプロ野球球団は、こういうのを見逃しはしない。
わが北海道日本ハムファイターズ、さっそくスポーツ紙にアナウンスした。
金農・吉田君に超Aのグリグリマークを付けていく、という宣言。
わがチームはこういうことについては、まったく抜け目がない。
その年の最高の選手と信じた人材にまっすぐに向かっていくのが基本姿勢。
実力と人気の両面で、爆発的潜在力があると認定したようです。
まだどこの球団からも反応が出ていない段階で、
大向こう相手にさっそく目立つアクションを起こしたと言えますね。
プロ野球なんだから、こういうパフォーマンスはきわめて大切。
少なくとも吉田君には「あの、日ハムが」というように刷り込まれたと想像する。
そうなればダルビッシュ、大谷などの育成の成功例が想起され、
どんどん他球団を引き離して球団イメージがかれのなかに沈殿していく。
とりあえずのアクションとしては、十分に手応えを持てる動きでしたね。
わが北海道日本ハムファイターズの経営的戦い方には、
地元ファンとしてありがたいと同時に、北海道と名を冠する企業の中で
もっとも戦略的だと感じられ、非常に心強い思いを持っています。
(まごまごしているうちにその企業にホームタウンから逃げられた札幌市にはトホホ。)
人気ビジネスにおいて、こういう日本人のハートのありかをとらえる
抜け目の無さに、大いに賛同しております(笑)。
北に来い、吉田君! がんばれ、北海道日本ハムファイターズ!
Posted on 8月 25th, 2018 by 三木 奎吾
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きのう書いたブログについて、いろいろな反応をいただきました。
最後はFacebookへの投稿が消失したりまでした(笑)。
なんか、バグのようで夕方5時くらいから本日未明くらいまで閲覧できなかった。
けさ、チェックしたらふたたび閲覧できるようになっていました。
どうも最近、Facebookの運用が不安定のようですね。
ま、それは別として、人口密集地あるいは、過去の集積地に
残っている「空き家」と、その再生活用にあたっての困難のことです。
ご存知のように、日本人人口はこれから減少が急激になっていく。
これ自体は少子化の趨勢に歯止めが掛からない限り、
厳然たる事実として受け止めていかなければならない。
そうすると、経済規模が縮小していくことも受け入れなければならないのか、
ということになるわけですが、第2次安倍政権になって、アベノミクスという
経済拡大路線が打ち出され、その結果は株価や景気の上昇とか、
若年層の雇用の拡大などが生み出されてきている。明るくはなってきた。
しかし、そうではあるけれど少子化にブレーキまでは掛かっていない。
拡大する経済の結果、雇用で人手不足が進行して、いま現在の
外国人労働力は昨年末で127万人にまで拡大してきている。
という状況の中で、わたしたちは住宅業界にいて、
その条件下で将来展望なり、投資的活動を行っていかなければならない。
やはり将来悲観的にただただシュリンクしていくと考えるのか、
そうではなく、日本国内での国際化の方向で打開策を考えるのか
見方は分かれざるを得ないでしょう。
しかし、経済の基本を考えれば繁栄する社会が座して死を待つとは思えない。
社会資産としての住宅ストックについて、
それを維持し続けていくのか、更新していくのかについて、
その手法や、コスト検討はどちらであっても行っていかなければならないし、
社会としても、そこから打開策も見いだせるかも知れない。
そんな興味で、既存住宅を中古購入して建て主自ら解体を行ったという
そういう行動力に激しく反応してしまった。
で、施工に当たった藤井光雄工務店さんに「解体費外注の場合の見積もり」を
問い合わせたところ、上の2番目の写真のようなデータが寄せられた。
施主さんもこの金額を見て「たっけー、これなら自分でやる!」となったのでしょう。
On the AIRで消えてしまう費用にこんなに掛かるのであれば、
自分の労力提供でコストダウンできるならそうしたいと考えるひとは多い。
建設の側にしても、別にこのことでは利益はない。
むしろ人手不足時代に、消えてしまうコストは掛けたくない。当然。
もっといえば、こういった費用負担が社会資産としての都市環境維持には
総体としてコストが掛かっていくのだと考えると、
未来によりよい居住環境を残すために、みんなで考えるべきテーマ。
この解体費の増加には、現代の「ゴミ問題」が大きい。
きれいに「分別解体」しなければならないのでコストは増加せざるを得ない。
しかし、ゴミになるものを作った元々の世代はこのコストは負担していない。
これからの世代が、過去世代の尻ぬぐいをさせられているように思える。
そういった理不尽さが、このコストには感じられてならない。
現代の空き家問題もこの問題が大きい。
解体するにもコストが掛かって、それを現在所有者が負担しなければならない。
それならば、先延ばししたくなるのもよくわかる。
しかし、旧来の交通体系に寄生的に成立し衰退したシャッター街など、
この問題はきわめて深刻な問題になってきている。
さてこのテーマに三方一両得、というような回答はあり得ないのでしょうか?
Posted on 8月 24th, 2018 by 三木 奎吾
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きのうは地域工務店の全道グループ・アース21の旭川住宅見学会。
朝一番札幌を出発しての参加です。
旭川の住宅事例は毎回、みどころの多い事例が多くて、
楽しみにしている見学会です。
1軒目に訪れたのがこちらのリノベ事例。
リノベ事例なのですが、この家は中古住宅として購入して
それから構造材まで還元してから、最新の住宅技術で再建築した事例。
北海道ではこういった中古再生手法を制度的にも「北海道R住宅」として
制度設計までしてきた経緯がありますが、
確実にユーザーの住宅取得方法の一つとして認知が進んできている。
こちらの建て主さんは、家具作家の方で旭川の高速インターからもほど近く、
交通の便が良くてしかも3方向が緑の環境に囲まれている
すばらしい眺望環境が得られることから購入された。
中古住宅としてはいかにも古いデザインで熱環境的にもよくない物件。
それを骨組み構造まで完全に還元した上で、
いまの旭川での最先端的な断熱仕様、300mm断熱でしっかり性能確保し、
さらにデザインは、外装総板張りという自然派の風合いで仕上げた。
施工は家づくりの志向で共感を得られた藤井工務店です。
コストカットのために、手に入れた住宅の構造材までの還元について
自分で頑張ってやったということ(!)。
住宅リノベの場合、既存構造との対話という側面が大きな制約になるし、
また「住みながら改造」するのでは、そもそもコスト要因が複雑になりすぎる。
こういった構造材還元は、まことに合理的ですが、
なにを残して、なにを還元するか、判断も大きな問題。
それを家具作家としての自分のスキルの一端も活かして
自己責任と自己判断でおこなって作り手に渡すというのは、合理的な選択。
やや傾斜地に立地しているので、一部に地下室なども出来ました。
まだ足場の掛かっている状態でしたが、
重厚な300mm断熱・板張りの外観が背景の環境と調和してみごと。
構造材を活かしながらなのですが、外観的にもすっきりと整理されて、
長期的な資産としての風合いが漂ってきます。
旭川地域ではこうした300mm断熱住宅が積層するにつれて、
地域の中で最上位の品質物件としてユーザーに浸透してきている。
単純に窓周りを見るだけで、ユーザーにもその品質レベルの高さが
視認できるということは非常に大きいと思います。
性能とデザイン、という住宅のわかりやすい訴求として地域の作り手たちが
取り組んできたことが、大きな市民権を持ってきていると感じます。
Posted on 8月 23rd, 2018 by 三木 奎吾
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「甲子園球場って大阪だもね?地元高が優勝だと甲子園球場の盛り上がりも
すごそうやな~~~😊😊😊」
「ところがどっこい甲子園では大阪桐蔭完全アウェーだった」
ニッポン人なら夏の最後を告げてくれる
甲子園大会のことが気に掛かりますよね。
息子の帰省中はいっしょに良く観戦していました。
息子は大学の友人たちと、甲子園大会の決勝戦をナマ観戦したいと
今週日曜日には札幌を離れて関西へ行った。
で、決勝戦前日から甲子園球場に寝袋持参でか、チケット購入に並んでいた。
若者らしい夏休み、まことにうらやましいけれど、そういうのが特権ですね。
若い人たちはやはり現場でものを体験することが必要でしょう。
先日までは北海道をキャンプで歩きまわって、朝晩の寒さを体験したし、
なんと、シカと遭遇してクルマと接触したりもしたそうです(!)。
そんな仲間たちと、甲子園決勝を観戦したいというのは、
すばらしいことだと思います。
でも、イマドキは、こういう現場での感激が、
ツイッターなどで共有することが出来る。
息子は日ハム観戦経験が豊富なので、野球知識蓄積は持っている。
今大会を見ながら、「やっぱ、大阪桐蔭はひとつ抜けている」と
通ぶった解説をしてくれていた。
父はそういう解説を「そうだろうなぁ」と相づち打ちながら、
しかし、その戦いぶりに激しく共感を覚えた金足農高に
どんどんとシンパシーが深まっていった。
準々決勝第4試合で最終回9回裏、満塁からのツーランスクイズには
「おお、これこそ高校野球らしい戦いだ!」と感激が突き抜けてしまった。
公立高校で決勝戦当日は2学期開始にもあたるけど、
まさかの出場で全校たいへんな盛り上がりで授業を繰り下げたとか、
応援団を含めた滞在費が底をついて、OBたちがカンパを呼びかけたとか、
それに全国から支援が殺到しているとか、
わたしが感じていた共感力にしびれた人の輪が広がった。
高校野球が持っているこういったグランド外での「熱さ」に
現実の試合がからみあって、現場での空気が想像できるように感じていた。
金足農高の球児のみなさん、
あなたたちの戦いは素晴らしかったと思います。
もちろん勝った大阪桐蔭の実力はまことに素晴らしかった。
しかし、今大会の主役はまちがいなく金足農高の戦い方だったと思う。
甲子園には戦い終わって虹が架かっていたという。
「虹、ええなぁ・・・」
現場でこんな空気を吸えた息子たちを、祝福してやりたい。
Posted on 8月 22nd, 2018 by 三木 奎吾
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人口減少問題を考えていて、
どう考えても移民政策は不可避だと思っていましたが、これまでは
表向き、日本は移民政策は採らない、というアナウンスがあったので、
それほどの疑いもなく、それを信じていましたが、実質的にどうなのか、
海外から来ている人がコンビニなどで働いているのを見るに付け、思っていた。
・・・案の上ですね。
まぁ、公式的発表をそのまま字句通り受け取っていたこちらがアホだった。
上の図はOECDが定めている基準に則してカウントした「移民」の国際比較。
すでに2015年段階で、世界第4位に躍り出ている。
当局の「言い訳」は聞こえてきません。たぶん「労働者と移民は概念が違う」というように
コトバの言い換えに終始させるのでしょう。さすがの現実主義、ニッポン的国際化。
あるいは単一民族志向が強い島国国家としては、なし崩しというのが
いちばんスムーズな移民受け入れと判断したということかも知れません。
やはり実感は正しかったわけで、経済的に活発な「市場」を維持発展させていくのは
きわめて当たり前の、経済市場としての自己防衛本能的なことだと思います。
こういった問題でも、実質とタテマエ、2重基準で対応するというのは、
まことにニッポン的というようにも思えます。
いろいろな考え方はあるでしょうが、わたしとしてはこのことは受け入れて
こういう現実的解決法を日本社会は行ったというように考えたい。
逆にニッポン人だけでの閉じられた社会市場の中だけで企業経営を考えていくよりも
中小企業であっても、否応なく「国際化」が進展して身近になっていると
そのようにチャンスと考えたいと思います。
このことは、市場サイズが大きく拡大したというようにとらえることができる。
活発な国際経済交流が、このような人の交流をきっかけにしてはじまり、
やがて市場同士の融合、交流に繋がっていく可能性が出てくる。
そういったことで、従来のドメスティック企業にもチャンスの切り口が開かれた。
もちろん政策の進展がどうなっていくかによって市場の大きさは変位する。
しかし近未来、たとえば北海道での日本人人口は十数年後400万人を割るとされ、
その縮小市場をベースにビジネスを考えなければならなかったものが、
年間の乗降客数が羽田の3割以上になり、今後とも格段の伸びが期待されている
北海道・千歳空港への飛行機利用での大量の流入増加など、
一時的滞在での旅行客も含めて、日本最高レベルの
「多民族化した市場」という概念での活動を見据えていくことができる。
550万人口がただ400万になるのであれば、縮小均衡しか生き方はないけれど、
そのような拡大可能性のある市場であれば、手を打つ選択肢が大きく広がる。
考えてみると古代の飛鳥から奈良にかけての時代は
活発な半島・大陸からの移民がこの社会に大量に流入して、
経済が大きく活性化したというように考えられてきている。
そのことが、東アジア世界のなかでのニューフロンティア、発展する地域に
ニッポンがなっていったことに繋がっているとされているようなのです。
いまいる人間たちが、どうこの市場拡大への想像力を持てるか、住分野でも
今後、試されていくでしょう。ちょっと前向きな気付きを持てた情報でした。
Posted on 8月 21st, 2018 by 三木 奎吾
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人口減少社会というテーマは、いまの日本の最大のテーマ。
というか、いまの世界情勢の基底でもこのテーマが大きい。
資本主義的発展においては、人口増こそが「市場」概念そのもので、
いわゆる「右肩上がり」というグラフや、「坂の上の雲」という概念にも似て、
明るい未来感そのものを表現していた。
世界の中でもヨーロッパや極東アジアでは少子化が進み、
アメリカでも欧米系人口は減少傾向にあるとされる。
欧米系ではなくヒスパニック系が増加し、そういう人口構成比率の変化が
コアなアメリカという保守概念を刺激してトランプ政権という選択がされた。
反グローバルなアメリカファーストとして結果してきたように思われます。
ヨーロッパは労働市場の開放による恩恵をもっとも受けるドイツ主導で
移民の受け入れを進めたけれど、その社会的な痛みに
耐えきれない各民族の中間層、下層が折からのテロへの忌避・恐怖もあって
「極右化」と錯覚される反乱を起こすようになってきた。
イギリスのEU離脱、各国での自国第一主義勢力の台頭は、
いずれにせよ、こうした資本主義の危機感がその根底にあると思える。
少子高齢化は、日本でもっとも先端的に進展してきている。
他の先進国は移民政策について、ある程度の免疫を持っているのに対して
明治維新で歴史の中で最後に「国民国家」資本主義体制を革命選択し、
さらに、その資本主義市場争奪戦争に敗北して人口をもっとも毀損した国として
「戦後」という人口急増という局面を経て、今度は一気に急減期を迎える。
世界を覆った国民国家思想の最後の参加者で最優等生でもあり、
なお島国でもあるので、単一民族志向がいちばん強いのが日本。
そうすると容易には移民の受け入れには抵抗感が強く、なかなか進まない。
世界最高の健康保険制度のおかげで高齢化は爆発的に進展した。
一方で少子化は、資本主義の進展と同時進行した「個人主義」によって
それまでの地縁血縁社会から、無縁社会化することで加速された。
政治的に、地縁血縁社会的統合にマッチしていた旧自民党支配から
経済成長政策を持たず財務省の増税路線を官僚の言うままに実行しただけで
日本経済にマイナスの影響だけをもたらし
混乱に終わってしまった民主党政権を経て、無縁社会的個人主義を受け入れ
なお、経済成長を追求しようと考える第2次安倍政権の強さは、
若い世代にその支持基盤を持っているとされる。
いまの安倍政権の強さは、日本民族が選択している少子高齢化対応に思える。
いまの野党はこのことにもっとも気付くべきだと思う。
しかし、戦後的価値感で拡散しきった地域資産は無情な現実にさらされている。
建築は、戦後的拡大局面で大量生産として大きな役割を果たしたけれど、
人口縮減期には、そう大きな需要を見込むことはできない。
そういうなかで日本人による地域の集中と選択は容赦なく地方を直撃している。
写真は先日行ってきた北海道愛別町の地域遺産的建築再生事例。
こういった地域が生き延びて行くには、集中と選択そのまま、
「なにを残し、なにを廃棄していくか」が大きなテーマにならざるを得ない。
そのとき非定住だけれどその地域にひとを集める的な、地域が生き残るための
「関係人口」のよすがのような建築の役割は大きくなると推定できる。
そのときの要素条件は、新奇性ではなくノスタルジックな情緒性であることも
ある程度、常識化してきているように思う。
人口減少が生み出す変化に対応していく、地域の中での建築への
そういった要素での気付きが求められてきていると感じています。
Posted on 8月 20th, 2018 by 三木 奎吾
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北海道の現代住宅でほとんど見られなくなったものに床の間がある。
第2次大戦後、庶民の住宅では省略される室内装置の典型とされたように思う。
Wikipediaを見ると以下のような「用途」記述がある。
〜絵画や観賞用の置物などを展示する空間である。
近世には、有力者の館や城の広間、有力者の家臣が、仕える主人を
迎え入れるため邸宅の客間に座敷飾りが造られ、その一部として採用された。
主人のいる上段に装飾を施した床の間などの座敷飾りを造り、
主人の権威を演出した。江戸時代には、庄屋などの一部の庶民の住宅において
領主や代官など家主よりも身分の高い客を迎え入れるために
床の間などの座敷飾りが造られ、明治時代以降になると、都市部の庶民の客間にも
床の間が一般化するようになった。現在では掛け軸をかける習慣が衰え、
畳の部屋でも床の間を省略することも多い。〜
こういう「見せる」空間装置をどのように活かして使うか?
一般住宅でも、住まい手の「暮らしデザイン力」が毎日のように試される空間。
そうすると、こうした空間は「来客」などの「他者の目線」を前提とするのでしょう。
そういった「接遇応接」というような機能は、非日常的なものであり、
そもそもひとの交遊の仕方自体が、大きく変化した現代では
住宅建築の機能からそぎ落とされていったのも、ごく自然な流れ。
ニッポン人は「やせ我慢」のようにこうした接遇文化に立ち向かっていたのでしょう。
わたしが育った親の家でも、昭和40年代くらいにはこうした機能は失われていた。
そういう文化転換の端境期、わが家の「客」であった母の弟・伯父などは
たまに出張のついでで札幌のわが家に来ることがあっても
「堅苦しくなる親戚の家で泊まるより、ホテルの方が気楽でいい」
と正直に言えるようになっていたことが思い起こされる。
こういった日本人の住宅文化の転換期だったのではないかと思う。
そういった転換以降、他者の家に泊まるというのは、友人関係における
果てしない「宴会の末」のこととして、ほぼ雑魚寝感覚の事態に変わった。
年に数回もあるかないかの時のために
そのときにさらにその家の「格式」表現を目的とする装置は維持困難になった。
一方写真は先日訪問した愛別の古民家改装店舗の座敷空間。
店舗というような空間演出に於いては、
こういった「舞台装置」にはデザイン的な意図などが表現しやすい。
ある非日常的なるものをそこで演出することが可能になるので
店舗デザインにとっては、格好の演出装置に転用しうるのでしょうね。
そういう考え方からすれば、広く(床の間という)空間認識が共有されてなおかつ、
現代の一般住宅からは消え去ったモノって、劇的演出装置として効能が高い。
こちらの床の間では、背景色にかなりキッチュな赤が配色されて
さらにLEDによる間接照明も配されているので、
置かれる静物への展示効果はかなり高められている。
こういう空間での応接接遇、いわばやせ我慢の民族的な美のようなモノ、
そういうものが、非日常でハレっぽい価値感演出にもなっていくのでしょうね。
まことにため息の出るような生け花に魅了されていました。
Posted on 8月 19th, 2018 by 三木 奎吾
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