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雪を踏むクルマ、避けるクルマ

きょうは、仕事をこなしながら、久しぶりに少し家のことを、
と思っております。
そうです、北国の春まだし、というところですが、
やはり光の春はとっくに来ていて
日射しは暖かく柔らかくなってきている。
ご近所のみなさんは、一生懸命に雪割りをやっている。
なのに、忙しさにかまけて、わが家はまったく冬を一進一退しております(笑)。
雪かきは、やれるときには、やる、という主義なので
当然やれないときにはやらない。
そうすると、春の訪れがお隣さんに比べて遅くなる道理。
わが家は北入りなんで、こういう風に固い雪が積層しやすいのもあるのです。

で、このままというわけにはいかないと、
ツルハシとスコップで雪割りして、前面道路上に置いておくと、
通行するクルマが割ってくれる、というのが雪国のこの時期の風情。
・・・なんですが、どうも様子を見ていると、
クルマにも2種類あると気付きました。
ひとつは、北海道人らしいおおらかさで、積極的にかどうかは不明だけれど、
固い雪をバリバリとふんづけて粉砕してくれるクルマ。
で、もう一方は、慎重に雪を避けて通ろうとするクルマ。
なかには、もう少しでクルマを止めて
こちら側になにか言いたげだ、というのもありそうなんです。
まぁ、わたしは根っからの北海道札幌育ちなので、
こういうことには無頓着なのですが、
雪割りの雪を道路に出すのは、公衆の迷惑だと感じている人も多いのでしょうか?
まったく考えたこともなかったので、
はたと、考え込んだ次第であります。
ということで、雪割りは写真のように途中でいったん休止。
う〜〜〜ん、どうなんだろうか?

っていうことで、しばらく考えてやはり、これは迷惑と感じる方が多いと
気付きました。
確かに、クルマの下部には微妙な装置類が多いと思うので、
ヘタをすると、それで破損という場合も考えられますね。
大いに反省させられた次第であります。
う〜〜む、牧歌的な時代に育ったわたしと言うことか。

復興と都市計画

ついにこういった議論が始まりそうな気運が出てきた。
宮城県知事さんから、とくに沿岸地域の再生について、
都市計画レベルの論議が提起されたと言うこと。
これまでも多くの建築関係者からの声として、
津波被害の頻発する地域では、住み手の安全に配慮して
居住区域制限と、都市計画の再計画が必要ではないかという論議。
確かにその通りであって、
誰が考えてもそういう結論にはなるのだと思うけれど、
それを誰が言い出して、論議を巻き起こすか、
という社会的な合意形成の方が難しい問題だったのだろう。
津波によって跡形もなく建築が流失してしまった地域では
その土地を国が一括して買い上げて
生産と生業再生のための都市計画を作り上げ、
万が一の被害の時には、なるべく早く安全な場所に避難する体制を作り、
一方で、津波被害から安全と目される地域の中の高台などに
基本的な住宅地を持っていくという考え方。

しかしこれでは一方で、長い歴史年代を通して
その地域が成立してきた、民俗の部分は大きく変わらざるを得ない。
その地域が、その地域であり続けてきた
いわば、アイデンティティの根幹に関わってくる。
これまでの被災からの復興でも、結局はそれらの中間的な合意点として、
防潮堤をより高くして、そういう地域アイデンティティを存続させる
というように「地域の民意」は、そういう方向を選択してきたのだろう。
このような二律背反的な選択肢に於いて、
そういう選択には、大いに理解できる部分がある。
そのことを、外部的な立場から口出しは出来にくい。
しかし、今回は、世界的に見ても
「海の万里の長城」といわれ、世界中から見学者が来ていたという
防潮堤すら、その高さの2倍以上(現地目撃情報)の
大津波にひとたまりもなかったのだという。

そこでふたたび、この二律背反の中で
これから地域社会は、選択を迫られていくことになる。
とりあえず、仮設住宅は、残った避難所などの
立地条件に合致した地域に建てられることになるだろう。
応急的には、新たな都市計画的な考えに準拠した方向で
事態は進んでいくだろうと思われる。
そういったなかで、この問題が、どのような考え方に収斂していくのか、
津波被災地では、延期された地方選挙がやがてある。
そのとき、この問題が鋭く問い直されざるを得ないと思う。
はたして、民意はどのように示されていくのか、
注視していかなければならない。

しかし、そうではあるけれど、
その民意を表すべき主権者が、半数以上行方不明という地域すらある。
いまは、そういった現実の中でもあるのだと、深く思います。

震災後の通信

きのうもいろいろな動きがあって、
Replan東北版の4月21日発行号を順延して、
7月21日に発行を目指すことを正式にアナウンスしていきます。

震災からきょうで、2週間経ったわけですね。
実にさまざまなことが起こり、
そしてその間、人間同士のさまざまなやりとり、通信がありました。
あらためて考えてみると、
こういうやり取りに、これまで以上に、
ある想像力が働きつつあるのではないかと、思い始めています。
ごく普通に、抑制的に書かれているなかに
本当の普通の感覚がそこにあって、
そういう感覚が、大震災に向き合って、いま、言葉を交わしあっている。
そういった実感を深く感じております。

石巻に在住するスタッフから
連絡をもらいました。
きのう、札幌のスタッフ一同から見舞いの品を贈ったのが
届いた、その返信お礼だったのです。
石巻は、いまでも行方不明者がたいへん多く、
スタッフの家も、ごく近くまで津波が押し寄せて、
ほんの少しの差で建物的な被災を免れたのです。
娘さんが、この春、めでたく小学校を卒業したのですが、
きのうようやくその卒業式が行われたそうです。
その様子の写真が送られてきて、
本当に目頭が熱くなってしまった。
校舎は当然、避難所になっていて、体育館は卒業式に使えなくて
「多目的ホール」という代替の場所で行ったそうです。
で、贈られた段ボールの品々を娘さんの「卒業祝い」だといって
彼女に開けさせている写真もありました・・・。

どういう状況の中でも、
ひとが生きていくことで、ひとが解決していくしかないのだと
ごく当たり前のことに、今更ながら気付かされております。

<写真は、「東北の住まい再生情報広場」への北上小菅工務店さんの通信より>

東北の住まい再生 情報広場

東北の住まい再生 情報広場
いま、わたしたちに可能なことはなんだろう、
と考えて、表題のようなホームページを立ち上げました。
Replan東北版を、もう8年にわたって発行しています。
今回の大震災によって、取材予定もすべて吹き飛んで、
すべての進行がストップせざるを得ず、
やむなく、4月21日に予定していた号は、
発行延期とさせていただくことになった次第です。
すでに多くの取材も終えていたのですが、
ちょうど佳境を迎えるところでの被災ということで、
まさに直撃を受けた状況です。

震災から1週間以上が過ぎた段階で、
「ではいまできることは、なにか」と取り組みはじめたのが、
このWEBサイトの構築です。
いまは、沿岸地域ばかりでなく、宮城県・福島県・岩手県を中心に
自社のWEBサイトの更新もままならないケースもある。
また、「応急危険度判定」の進捗などで
地震被害の実態なども、相当明瞭に出てきている。
こういうなかで、ユーザーのみなさんへの「地域住宅雑誌」としての
役割として、こういった情報提供に取り組んでいこうと考えた次第です。
まだまだ、情報内容は煮つめながらの作業ですが、
とりあえず、地域の工務店やビルダー、建築家の現在の状況を
お伝えすることからはじめています。
東北全域、約300社以上への情報提供依頼を行いながら、
いま、その会社の状況、住宅の相談対応の可否など、
有益な情報提供に努めていきたいと考えています。

いろいろなみなさんから
ボランティア的に記事をいただいたりしています。
とくに、NPO住宅110番のアドバイザーもお願いしている
三井住友海上きらめき生命保険 株式会社
ファイナンシャルプランナー 佐々木茂樹さんからは
「生活再生における各種の資金について」
と題された投稿記事をいただきました。
これは、着の身着のまま被災されたみなさんにとって、
今後の「お金」の問題を整理してまとめていただいたものですので、
冷静な判断資料になるものと考えます。
準備ができ次第、ニュースのページにアップしますので、
ぜひ、ご覧ください。
東北の住まい再生 情報広場

自転車購入とTSマーク

息子の入学する高校では、自転車通学が認められています。
通学の距離はインターネットで調べてみたら、ジャスト8km。
バスの定期を調べたら、8600円以上と高額。
これって、片道200円で往復400円、月に月〜土で通って25日程度と考えると
それでようやく10,000円ですから、
10,000円で、1500円分の割増しサービスのある「バスカード」購入と比較しても
そうは違いがない。
通学定期というの、こんなに割高だったかなぁと
びっくりさせられました。

まぁそんなことから、息子は自転車通学を希望することになった次第。
とはいっても、雪が降る季節は無理だし、
その時期にはバス通学にはなります。
4月15日からは自転車が使えると言うことで
まぁいいだろうと言うことにいたしました。
ただし、高校の入学説明資料では「TSマーク付き」自転車にしてください、とある。
現在使っていた自転車は老朽化もしているし、
そういうマークもついていないので、新規購入することに。
で、近くの量販店◎ーマックに向かいまして、
大量に販売展示されている中から、適当なのを選んで
店員さんに、お願いいたしました。
実直そうな店員さん、やや緊張気味でTSマークのことを
あれこれ、あちこち、連絡している様子。
で、ようやく15分くらい経過してから、やや焦り気味の表情で
「ウチではマークを発行できない、ウチの店舗で出来るのは
ここから40km離れている岩見沢店だけなんです・・・」
と、申し訳なさそうに話すではありませんか。(それも聞き取れないほどの小声)
「え、なにそれ、岩見沢って、あんた、(絶句)」
実は、2日前にこの店でTSマークのことも確認していたのですが・・・。
「えぇ、そうなんです」
「・・・、そうですか、間違いはないのですね」
と再度聞き返しましたが、間違いはないそうです。あの下調べはなんだったのか。
で、やむなく、別の自転車店を探すことに。
この時点で、ある推測は湧いて参りましたね。
「はは〜ん、これは、官僚組織と町場の自転車販売店業界の結託によるものか」
っていうような、ひとを疑って掛かるような発想。
子どもの前なので、そういう言葉は不用意には言えないけれど・・・。
で、近くの自転車販売店に行ってみたら、そこは定休日。
やむなく、息子が知っていた塾の近くの販売店に行ってみることに。
そこは、量販店とは違って、自転車の展示数も少なく、
値段も高めだろうかなぁ、という印象です。
入ってみたら、これも口べたで実直そうな高齢の店主さん。
「あのぉ、TSマーク付きの自転車が欲しいのですが、どうなんでしょうか」
「・・・・・・、あ、あるよ。あれはね、ちょっと説明が難しいんだけど・・・」
と、TSマークについて説明をはじめそうだったので、
まぁおおむねは想像できるし、このお父さんの話を聞いていたら、
相当の時間を覚悟しなければならないと思われたので、丁重に辞退して、
「あぁ、そうですか、で、量販店から来たんだけれど、値段はぐっと高くなるの?」
「・・・ああいう店で売っているのとは違うから、・・・」
「あんまり品揃えもないみたいだけれど、2万円程度のものはありますか」
「・・・あぁ、あるよ」
っていうような展開。なんでも、もうすぐ息子が別にやっている店に
統合させて、かれは引退するのだそうで、それで品揃えも縮小させているそうです。
で、わが息子に自転車を見せて、乗せてみたら、
「いいよ、俺、これで」
という、まぁ乗れりゃぁ、なんでもこだわりはない、という判断。
親からすると、実直そうなオヤジさんでもあり、値段も量販店と変わらないのであれば
問題はない、ということで購入。
ただし現金をそれほど持ち合わせていなかったので、
「おじさん、カードでもいいかなぁ?」
って聞いてみたのですが、聞いてすぐに申し訳なくなって
「ちょっと銀行で現金おろしてくるから」と行ってきました。
自転車の目利きや、整備については長年の経験がありそうですが、
カードの処理やらは、どうにも手間が掛かりそうだったのですね(笑)。
しかし、そういう店主さんにさらに苦労をかけるように
このTSマークの伝票処理、マーク発行が手間が掛かる。
かれにしてみたら、自転車1台売るのに手間の掛かること、掛かること・・・。
こっちは、やや諦めから時間がかかるのに覚悟は決めたので
微笑みを持って接しておりました(笑)。
整備の済んだ自転車に息子を乗らせて先に帰らせたのですが、
オヤジさん、ていねいにブレーキの掛け方とか、
扱い方を教えてくれておりました。ありがたいです。
で、その後、オヤジさんの手際のいい(笑)、事務仕事に付き合って
ようやく、自転車購入完了であります。

制度としては、TSマークというのはたいへんいい。
以下の損害保険や損害賠償保険に加入したこととなり、
大変有用な制度です。
入院加療15日以上で1万円
死亡または重度障害(1~4級)で30万円
死亡または重度障害(1~7級)で限度額1,000万円
というもので、これが500円で加入できた。
で、年に1回、整備資格者に点検してもらって1000円を払えば継続できる。
って言う次第。
悪くはないけれど、消費者にはややわかりにくさがありますね。
で、わたしの直感は半分は当たっていたけれど、
たいへんいい制度だと言うことで、直感の半分は思い過ごしと、反省しました。

めった打ち、佑君

野球を巡って、開幕の時期の是非が話題になっていますね。
セ・リーグ側は29日から開幕の予定とか。
どうなっていくのか、状況はまだ不明と言った方がいいのか。

そんななか、きのうは斉藤佑樹君、札幌で先発投手。
テレビででしたが、見ておりました。
いやぁ、打たれましたね(笑)。
3回には、こりゃぁ、回が終わらないかも、とも思えた。
専門的なことはまったくわからないけれど、
素人目で見ていて、まったく打たれない気がしない。
たまに打ち損じてくれるのを待つような状態。
で、表情を見ていたのですが、
案外内心の動揺をそうは感じさせないような表情でいましたね。
たぶん、心の中では、何が何だかわからない状態だったと思うのですが、
試合後のコメントで
「ずっと無失点というようなのは、怖かった」
っていうように語っていて、まぁふつうの投手としてのふるまいに
近づいてきたと思います。
見ていて、長嶋選手がプロでの緒戦で、当時国鉄スワローズの
金田正一投手と対戦して、4打数4三振というデビューだったのと
すこし重ね合わせて見ておりました。
こちらの側も、覚悟を決めてみていたというか、
そういった心理で見ていたように思います。
まぁ、実戦が始まる前に、徹底的に打ちのめされるというのは
あってしかるべきだと思います。
で、そこから這い上がれなければそれまでの選手だし、
そこから闘争心を掻き立てて、
今度は返り討ちにしてやるぞと、立ち向かえるかどうかだと思います。
幸い、変に気を使って途中交代させるような監督の采配もなく、
自分で最後までアウトを取らせていた姿勢はいいなぁと思ってみていました。
というより、まぁオープン戦だから、当たり前だし、
流れ的に、ああいう状態のときにあとを投げさせられる方の選手は
たぶん、たまらないのでしょうね。

さて、こういうことになって、
俄然、次の登板がたいへん楽しみになってきました。
軌道修正を果たせるのかどうか、
なんとか、リベンジに立ち上がって欲しいなぁと思っております。
がんばれ、斉藤佑樹! 北海道日本ハムファイターズ!

息子の友人たち

きのうは、息子の友人とその弟2人が
わが家にやってきて大騒ぎしながら、泊まっておりました。
中学校を卒業しての春休み、
羽を伸ばしたいのはわかりますね。
元気のいいこどもたちとふれあうのは楽しい。
夕食は、近くの(といっても、学区は違う地域)「焼き肉」店へ。
なんですが、評判の「おいしくて安い」お店は長蛇の列。
で、やむなく、そこの近くの似たようなお店へ。
90分1本勝負で、食べ放題ということで、
若さいっぱいの3人、わいわいがやがや、
大騒ぎしながら、気付いたら25人前くらいを平らげておりました。
でもまぁ、焼き肉だとそんなものかなぁ。
量よりも、時間定量性だと、大急ぎで食べることになって、
その分、あんまり多くは食べられないのではないかと思いました。
わたしとカミさんはひたすら、焼き肉焼き係。
旺盛な食欲にただただにこにことあきれかえりながら、
せっせせっせといそしんでおりました。
でもまぁ、50分経過くらいで、さすがにみんなお腹定量状態。
そこからは、カミさんとわたしの出番で、平らげておりました。

おかげさんで、夜中にはやや胸焼け気味。
毒掃丸を服用して、小康を得ておりました。
若さに付き合っていては、身が持ちませんね(笑)。
家に帰っても延々と坊主の部屋からは笑い声が響き渡っていましたが、
まぁ楽しいものであります。
でもまぁ、よっぽど積もる話でもあったようです。
今晩はきっとぐっすり寝られるでしょう。

フクシマ50

福島原発。
連日のように危機が深まり、いまこの国の行く末が、
この1点に集中しているように感じられる。
大震災の被害の象徴として、
「日本がどうなっていくのか」の最大関心事。
現地で原発と向かい合い、戦っていたひとびとは、
地震発生後には800人いたが、
15日朝に4号機で火災があり、750人が退避。
監視などのために残った50人が、「フクシマ50」になった、とされる。
福島原発の状況は1日1日、刻々と状況が変化し、
その影響もいろいろに出てきているし、
この事故を受けて、今後のエネルギー政策がどう変化していくのか、
まったく不透明ではあると思う。
世界中が、注目してきているのも、
「では、大量エネルギー消費社会にとって原発なしの選択肢は、存在するのか」
という重い問題も含めて、人類の生存の根幹にかかわっていると、
本質的に理解しているからだと思われる。
だからこそ、世界中の人々が、この問題の象徴として、
現に今、その場所で驚異的な使命感と、職業的倫理、
そして任務に対する誠実を持って
「いま、できること」に努力している人々へ、
深い共感と連帯を示してきてくれているのだと思う。

15日時点の絶望的と思われた状況の中で、
しかしそこから、こつこつと、
その時点で可能なことに、わたしたちの社会の優れた部分は、
勇気を持って当たってきていると思う。
昨日の段階では、放水作業が一定の成果を見せてきているかもとされる。
使用済み燃料プールへの注水も見られたのだろうか。
東北電力の送電線からの電源確保作業も成果があったといわれる。
さらに6号機の電源も再起動を試みたら、立ち上がり
冷却作業が進み始めてきている、とされている。
うまくいけば、この危機に曙光が差してきたのだろうか?
一筋の希望が見えてきたように感じられる。

安定した社会の持続可能性を切り開く、最大の前提条件に対して、
このフクシマ50という象徴的命名に示された「世界の意志」に
わたしたち日本社会は、希望的未来を示せるのか。
このことで、わたしたちに今できることは、祈るくらいしかできない。
しかし、祈ることも、なにかの力にはなるかも知れない。
そう信じていたい。

天災の歴史事実

なにげなく、日本史の「出来事」一覧を見ています。
基本は「日本の出来事」というWikipediaのデータをエクセルに取り込んで
その上で、その後、自分自身で書き込みを加えていって
重層的な事実や出来事の記録を作っていっているわけです。
だんだん、いろんなことを積み重ねていくと
そういう事実の相関関係も見えてくるようになるので、
複眼的な見方を養えるのではないかと思っている次第です。
そういうなかで、最近見ているのが、貞観津波のころのこと。

800年代後期気候の寒冷化
864年 富士山貞観大噴火
869年 陸奥大地震 貞観津波千人を超す死者
875年 渡島荒戎、秋田を襲う 秋田城の対北海道蝦夷の饗給の増大

っていうような記述を確認しています。
<いま、確認してみたら、Wikipedia本文にはないですね(笑)
その後、わたし自身での歴史研究でみつけたものですね。出典は、さてなんだったかなぁ・・・そうか、出典記録も必要ですね、これからの追加では>
歴史年代では、富士山は何回も噴火している。
平安時代の中期頃に相当しているのですが、
ここにある「貞観津波」というのが、今回の東北地方太平洋沖地震と
その後の大津波との近似性を指摘されているものです。
当時のヤマト政権の東北地方の「遠のみかど」多賀城の城壁が崩れ、
津波による死者が千人を超えた、とされ、
その地層的な証拠も発見されているそうです。
当時の(900年ころ)の東北の人口が60万人くらいという推計だそうなので、
その1/120程度の人口が失われた事態だった。
で、この津波は富士山の噴火がその6年前になっている。
連動関連性がどの程度なのかは分かりませんが、
歴史的には、こうした記録が残っている。

自然の大災害は、社会の構造変化を誘発するものでもあると思います。
その後の「渡島荒戎、秋田を襲う 秋田城の対北海道蝦夷の饗給の増大」
というのは、たぶん、北海道の檫文のひとびとが
秋田のヤマト朝廷側交易拠点を襲撃したということ。
そして、そういう圧力の元で
懐柔的な対応を、秋田城の側で行ったという記録なんです。
その後、「元慶の乱」という秋田での現地住民と北海道勢力も巻き込んだ
大きな戦乱が引き起っている。
今回の大地震・大津波、このころの争乱とはまったく規模が違う大混乱を
日本全域で巻き起こしつつありますね。

<写真は江戸期・天明飢饉の混乱状況絵図>

危機と経済活動

大地震、大津波、原発危機、
大量死と救助活動、いのちを繋ぐ必死の努力。
出口の見えない状況に、いま、為すすべはないのだろうか?

やはり今回の事態は、太平洋戦争以来の国難だと見えてきた。
クライシスは、現に今進行している。
戦後の焼け野原の中の光景のような図が、そこかしこに見えてきている。
プロ野球の開幕を巡っても大きく揺れています。
25日というから、もう1週間を切ったタイミング。
被害がほとんどなかった地域がフランチャイズであったセリーグ側にとって
既定方針通りに開幕することは、自然であるかも知れない。
しかし、現実にこのまま、原発事故が終結できず、
停電が常態化していったときに
東京ドームで煌々としたナイター設備を使って
野球を行うことが、どういう光景になっていくか、
その社会的リスクは、かなり大きいものがあると思う。
今回の決定の声明文を見ると、
日本という社会が、世界に対してその安定性をアピールする、
というような論旨に貫かれていると思う。
いわば大義名分はそこにある、としていた。
これはひとつの決断であり、その推移を見るしかないと思う。
ひとは生きていくためにいろいろな経済活動を行わなければ生きていけない。
日本の経済にはさまざまな領域が存在し、
世の動きに連れて、そこにさまざまな栄枯盛衰がある。
安定した社会状況がその経済活動の前提である、という職種も存在する。
興業というビジネスにとっては、プロ野球の決断がどうなっていくのかは
まさに固唾をのんで見守っている状況でしょう。
危機の認識度合いもひとによって判断が違う。
今回のことは、一種の賭けではあるだろうと思います。
ここから1週間以内で、社会状況が変化しないとはいえない。
3月11日のカタストロフィから、よく考えたらまだようやく1週間しか経っていない。
まるで夢のように感じられる。
すべての光景が、まったく変化せざるを得ないことになってきた。
手探りしながらしか、
こういった状況の中では動き出せない。
経営的判断も、ほんとうに難しい状況ですね。
いつまでも茫然自失していられる企業は少ないでしょう。
さて、なにをどう取り組んでいくか、
まさにリスクと危機のなかの暗夜行路になってきたと思います。

<写真は、福島県相馬市の名産品販売所でのスナップ>