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ことしのファイターズ、いいね

開幕してから、9試合消化して
わがファイターズ、5連勝で単独首位に立ちました。
開幕2連戦は札幌で西武相手に連敗スタートで
これは、さい先良くないなぁとしょげておりましたが、
斉藤佑樹くんの初登板での勝利がきっかけになった感じで、
打つ方が投手陣を盛り立てて、
いい循環が始まったような感じがいたします。
開幕からスターティングオーダーが変わらないのは
事前に練った戦略に自信を持っていい、ということを表していますね。
ホントはファイターズ、田中賢介選手と、小谷野栄一選手の
まさに主力の2人がケガで開幕には間に合わなかったはずだったのですが
震災による開幕遅れがラッキーな方向に働いている。
主力メンバーが完全に揃ってから戦闘開始できたのですね。
昨日のゲームでも、
ふんばっていた楽天の田中投手からの継投の隙を突いて
9回に一気に逆転という鮮やかな勝ち方。
それも試合中に4三振していた陽選手が決勝打を打ったり、
リードを許した凡エラーの田中賢介選手が同点打を打ったりと、
どうもチームに勢いがつきそうな展開が目立つ。
最終回表の攻撃では、出場した選手が10人という総力戦なんですよね。
こういう、ベンチにいる全員での勝利というのは
チームの士気を高めるだろうな、と思わされます。
相手チームにしてみたら、ヤバいなぁと思うでしょうね(笑)。
ごめんなさいね、星野監督。歯ぎしりが聞こえてきそう。
まぁ相手あっての試合ですから、
こんな痛快な勝ち方もあり、また悔しさの募る負け方もあるでしょうから
一喜一憂は禁物ですが、
まことにここまでの戦い方は見事だと思います。
こういうノッた状態のときに、若手がのびのびと力を発揮して欲しいですね。
頑張れ、中田選手・陽選手・大野選手!
がんばれ、北海道日本ハムファイターズ!

甘党バンザイ

どうも最近、お酒はあんまり飲めず、
ひたすら食欲というところなんですが、
その上、甘いものに目がないというヤバい状態であります。
クルマでの長距離移動が増えてくると
チョコレートとコーヒーという
速攻目覚ましで、アドレナリンを高めるのが常なのですが、
それが習慣化してくると、
普通の食事のあとでも、なぜか甘いものをカラダが欲するようになる。

っていうことで、
先日食べて、すっかりお気に入りになった甘味です。
こういうお団子と、きなこ、あんこ
というような伝統的甘味のゆかしさもたいへんいい。
砂糖の大量使用が現代文明の最大の特徴ではないかと思うのですが、
それ以前には、自然な甘味が最大のごちそうだった。
果物がいちばん食されたのでしょうが、
江戸期くらいから、こういった甘味が隆盛するようになったのでしょう。
元気を出させてくれる甘味、
やや、肥満は気にはなるところですが(笑)、
まぁ、忙しいときにはそうも言っていられない。
甘いものでも夢想しながら、
さて、きょうも頑張るぞ、っと。

カラダほぐし温泉

久しぶりに札幌に帰還して
前日は夜遅くの帰宅だったので
そのまま寝てしまっていて、疲れがイマイチ取れず、
朝には下痢のような症状が出まして、病院へ。
ストレス性の腸炎で一過性、というお見立てでひと安心。
で、きのうは、あちこちと溜まっていた重要案件の処理。
夕方はちょっと早めに帰宅して、
近くの温泉施設に行ってきました。
札幌市内でも、温泉施設は多くなっております。
競争が激しくて、値段はどんどん下がっている。
わが家から近くて、クルマで10分ほどの所の温泉がお気に入りです。
「北のたまゆら」という店ですが、
もともと入浴料が420円という銭湯料金。
以下が温泉の表示内容であります。
<泉質>
ナトリウム-塩化物泉(弱アルカリ性低張性温泉)
泉温34.2度(気温:14度)・pH値7.7
無色澄明、弱カン味、無臭(採水後4時間)
<適応症>
神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、運動麻痺
関節のこわばり、打ち身、くじき、痔疾、冷え性
慢性消化器病、病後回復期、疲労回復、やけど
健康増進、虚弱児童、慢性婦人病、きりきず
<湧出量>
毎分600リットル
利用許可:毎分390リットル
※温泉浴槽は加温・電解塩素消毒・浴槽内循環ろ過方式です。
加水は一切しておりません。

っていう内容。
高温泉・低温泉・露天風呂・日光浴・サウナ・電気風呂・ジャグジーなど。
まぁ、なかなかにお湯が好きであります。
で、値段なんですが、
入浴者がたいへん多くなっていて大繁盛。その還元と言うことで、
いまはキャンペーンをやっていて
11回入浴できる回数券を3800円で販売している。
そのうえ、その入浴ごとに回数券スタンプを押してくれる。
スタンプは10回で1回無料になるのですね。
っていうことは、1回入浴料が315円程度ほどになる計算。
相当に儲かっていると見るべきか、
それだけ札幌の日帰り温泉競争が過激だと言うことか、
現在こういう価格帯で、しのぎを削っております。
利用者側としては、大いに「やれやれ!」であります(笑)。

出張のカラダの疲れを、やや落とすことが出来ました。
そのうえ、きのうは北海道日本ハムファイターズも快勝!
ご機嫌、ポカポカ状態でゆっくり休養できました(笑)。

危機管理の体制

最近、出張時に持っていく本として
「北条氏と鎌倉幕府」というのを持って行っております。
最新刊の「講談社メチエ文庫」です。
この文庫、どうも最近、お気に入りでして、
面白い企画を連発していると思います。
メジャーになる寸前の著者を発掘している企画なんだと思うのですが、
なかなかいい。
で、なぜか、このタイトルに惹かれて
購入してしまったのですね。
読み進めているところで、まだ読了していないんですが、
自分がなぜ、この時代の様子について興味を持ったのかの
潜在意識的な部分が見えてきた。
ようするに、元寇・蒙古の襲来という
「国難」への対応を潜在的に探る心理なのではないか。
現在の状況局面と照らして、あの時代はどうであったかの検証なのか。
日本の危機管理の歴史的事実で考えると、
戦争指導とか、その体制とか、
いろいろ考えていくとこの時代と、直感したように思う。
著者は、細川重男さんという方で、國學院大學の非常勤講師の歴史の先生。
ちょうど、元寇に直面する時期に、
漁民出身の僧侶、日蓮が「国難」を建白する。
たぶん、海の生業者たちは
独自の海外情報ネットワークを持っていたのではないかと思われるのですが、
そういう情報から日蓮は、蒙古の侵略的体質を知り、
それを「予言」として鎌倉という軍事政権首都で呼号したのでしょう。
直接的にそれを受けたのは北条時宗のお父さんの時頼であったのですが、
はじめはマジメに取り上げられなかったのでしょう。
しかし、この著者の検証では、こういうことへの権力構造の側での対応が
徐々に進行していったと、そういう流れが見えてくる。
集団指導的な、いわば合議を旨とする体制から、
北条時宗の専制的権力構造への改変が意図されていったかのように展開する。
そうなんですね、危機に対応するには
権力構造は専制的な方が機動的だという無意識なのか、意識的なのか
あるいは偶然であったのか、
そういう選択に、日本の権力構造は向かった。
権力基盤の強化のために、兄を粛正したりして
独裁的体制を準備しているのですね。
で、元からの脅迫的外交使節の到来、という事態を迎えるようになる。
北条時宗という権力者が、この事態にうまく対応したかどうかは
まったく別の問題ですが、
体制としては、そのような状態で国難を迎えている。

現在の状況は、未曾有の国難ではあるでしょう。
まぁ、この時代に独裁権力ではないけれど、
少なくとも強いリーダーシップは求められるものだと思います。
そのように考えると、今の体制が十分なものなのか、
どうも根底的に問題を抱えているのではないかと不安です。

震災対応の現状

きのう、東京に来ました。
札幌に夜に帰って、翌朝には飛行機で東京。
背中に重い荷物を背負っている感じで、なかなか取れません。
まぁ、取材活動なので、やむを得ない。

今回の震災、
政治の動きの中で、大きな転換点になり得るかと
期待する部分もあったのですが、
1ヶ月以上を経て、なかなか鮮明な変化や動向が見られない。
政治家って、危機に当たって
国民に向かって強いメッセージを送るというのが
最大の責務だと思うのですが、
そういう思いがまったく伝わってこない。
やたら会議が多くなっているという報道情報がありますが、
まさにその通りのようで、
指揮命令系統の混乱を引き起こしているようです。
トップに責任を取る気概がないから、
なんとかかんとか会議が乱立するのではないかと危惧していた、
そのまんまの状況が現在の状況のようです。
リーダーシップという、政治指導者としての根本的資質に於いて
どうも、現在の政権は機能はしていないと思わざるを得ない。
まぁ、大局的には、このままのだらだらとした
歯切れのない政権運営が継続していくのだな、というのが
どうも、間違いのないところのようですね。
そういう姿がおおむね見えてきたので、これはこれで
大きな判断材料にはなりますね。

大震災後、東京に来たのは初めてだったのですが、
節電が実行されていて、
移動時にエレベーターが使われていない。
階段などの昇降が多くなるので、
普段でも歩く距離が長い都内ですが、
印象では、倍増しているように思います。
こういうときには、都営線よりもメトロやJR線のほうが楽では。
あの大深度地下の都営線でもエレベーター、止めているんでしょうか?
そういう移動の仕方を選択していますが、どうなんでしょうね。

おいそぎ出張食。やきとり弁当

今回の東北出張は通常の仙台往復の飛行機がダメだったので
やむなく、その後の移動も考えてフェリー+クルマで行きました。
総走行距離は1800kmということですが、
その内の500kmは、北海道内での札幌ー函館往復。
やはり長距離移動は、ダメージ蓄積が大きい。
きのう夜に札幌に着いてひたすら寝て、休養に努めていましたが、
なかなか回復しません。
起き上がるのに、やや難儀いたしました(笑)。
で、本日明日と、東京での要件も発生。
本当は、東北宮古からクルマでの移動も考えたのですが、
そうすると、帰ってくるのに、また2000km近い走行距離になりそう。
体力的に無理と判断せざるを得ませんでした。
まぁしかし、目で見て、実際に起こったことを直接人間から聞き、
そのように追体験するというのは、
一番、情報発行人としては必要なものであることを
再確認させられた次第です。

今回の東北出張では、前後2回函館に寄ったのですが
時間がなくて、食事もコンビニで購入して空いた時間に食べました。
函館のB級グルメ定番といえばこれ、
コンビニ・ハセガワの「やきとり弁当」であります。
フェリーの中で食べたりしたのですが、これがうまい。
焼き鳥といっても、鶏肉じゃなく豚肉です。
なぜか、北海道ではこのパターンが多い。
室蘭でも、豚肉の「やきとり」なんですね。
別に北海道の豚には羽根があるワケじゃありません。
なぜか、こだわりなく、豚が焼き鳥になる。
こういう部分が北海道の「おおらかさ・いいかげんさ」なんでしょうね。
こういう文化は、たとえば東京なんかでは、まずない。
逆に言えば、そのいい加減さを寄ってたかって責め挙げる文化を感じる。
そういう文化性がいまは、日本に支配的な文化現象になっている。
今回の震災を通して、
ずいぶんと、こういった部分での摩擦というのが感じられます。
砂上の楼閣的なエネルギーの潤沢な使用に支えられた中での
見た目的な「厳密性の追求」のような価値観が
現実には、ほとんど無力であったのではないか。
東北各地で、そういう事例のお話しをたくさん聞くことが出来ました。
いまの日本の本当の危機はこの辺にあるのかも・・・。
って、脱線ばかりのブログです。
まぁ、豚のやきとり弁当、実利的でまことにおいしくて安い。
コンビニなのに、その場で、見ている前でジワジワと焼き上げて
それを乗っけて食べられる。
肉汁の旨みもたっぷり。そしてご飯の上の海苔も
箸切れがいいように適度にカットしてあって、食べやすい。
ううむ、なかなかの進化ぶりだと、久しぶりに食べて実感しました。
値段は、大きさ・量でさまざま。
300円台から600円台が一般的な値段です。
トッピング選択で、いろいろなバリエーションも楽しめます。

三陸海岸線

きのうは岩手県に入って
盛岡に宿泊して、岩手のドットプロジェクトの
長土居さんと面談後、
宮古の甲斐谷建設さんの取材に向かいました。
東北地方は、きのうまでの晴天が一転しての土砂降り。
いつも思うのですが、東北はほぼ真ん中の「中通り」的な地域と
太平洋岸の三陸海岸線地域〜平坦な平野部海岸線地域、
そして、日本海側地域というように
大別して3地域というのが大まかな印象。
で、太平洋側は概ね漁業による生業で支えられた地域です。
盛岡から宮古までは約90kmなんですが、
いつも、3時間近く掛かる。
山道で道幅も狭く、うねっているのが大きいのでしょうね。
時間が読みにくい。
途中、自衛隊の車両と何度もすれ違う。
戦場的な雰囲気につつまれています。
甲斐谷さんからのお話しで、三陸側での住宅被害の様子が
つぶさに伝わってきました。
宮古市内での状況では、津波のあとの火災での被害が大きかった。
流されてきた建物やクルマが邪魔して、
いま燃えている建物の消火作業が、現場にたどり着けなかった。
地震の発生後、甲斐谷さんは即座に現場を離れて
大動脈の国道45号線を避けて
より山側の抜け道をたどって
自宅にたどりついて、津波を迎えたそうです。
普段からの津波への対応力が発揮されて
大工さんたちやスタッフは無事だったそうです。
津波災害への無力さを感じながらも
しかし、お話を伺っていると、
いろいろな示唆に富む事例も聞くことが出来ました。
生業としての海辺での居住住宅とは別に
より高台に「津波避難用」の小型住宅を建てていて
そこに逃げ込んで、いのちを繋いでいたというお宅もあったそうです。
さっそく伺ってみましたが、
広さは約16坪ほどという小型住宅ですが
現在は4人で暮らしている建物。
大震災後、その先見の明を多くのひとから羨ましがられるのだそうです。
震災に遭遇すると、すぐに避難所での不自由な暮らしを強制される。
これが、ものすごいストレスになって襲ってくる。
仮設住宅といっても、2年間しか住めないのなら、
むしろその予算を、今回の予算規模では1戸あたり238万円だそうですが
各戸に配分して、自力建設費用としてプールした方が
よっぽど合理的で、生活への希望に繋がる、というお話しです。
「仮設を出なければならない2年後」
というフレーズが、ここで暮らす多くの人たちの
最大の関心事であるのですね。
まことに考えさせられるお話しです。

宮古での取材を終えて
その後、三陸海岸線を北上しました。
点在する漁業を生計とする集落は、どこも壊滅的状況。
高齢化している状況の中で、
再建の方向性は、どのように展望できていくのか、
深く思い至らされるものがありました。

グランドレベルの衝撃

JIA東北支部は、今回の大震災に当たって
事実上、建築関係での動きとしてはもっともめざましい活躍を見せている。
ボランティアとしての「応急危険度判定」への協力から始まって
なかには、自らの住宅が津波の被害にあったにも関わらず、
避難所暮らしの中から、
周辺の橋の補修にボランティアとして取り組んだりという
まさに「建築家魂」を感じさせる活動を行った方もいる。
支部の事務所は、ひっきりなしに全国から支援に入られる建築家たちの
情報センターとしても機能している。
県や、仙台市などの要請を受けて
今度は罹災した住宅についての相談対応なども行っている。
さらに、一昨日には阪神大震災を経験した関西支部から
講師が来られて、震災後のまちづくり再建の道筋についての
さまざまな検討課題を話し合ったりされています。

まさに建築が好きで、
愛しているものが危機に瀕しているときに
そのために身体的な情念が沸き上がってくる、ということなのでしょう。
気の遠くなるような「復興」へのプロセスですが、
まずは、まちの復興の主役である住民のみなさんを
地元に根ざした建築家たちが支援し、ともに作り上げていく決意が
あふれていると感じました。
そしてそういうなかでも、和気あいあいと笑いあいながら、
明るく対応している姿には、頼もしさを感じました。
一方でしかし、痛恨の極みのようなことも起こっています。
新潟からボランティアで仙台の南隣町・名取市での
建築判定作業に入られていた建築家の方が、
宿泊先のホテルで疲労の蓄積からか、
風呂場で亡くなられたそうです。
なんとも悲痛な出来事で、深く哀悼の意を表します。

そういういろいろな動きのなか、
やはり目に焼き付けて欲しい、という新住協本部の会沢さんからのススメで
名取市の津波被害の様子を見てきました。
まさに地べたからの視線で、ここでなにが起こったのかを
深く認識させられます。
やはり、筆舌には尽くせない衝撃が迫ってきます。

その後、石巻に入って
知り合いの工務店さんを訪問。
先週、当社スタッフが訪問したときには安否が不明だった社員の方が
やはり残念なことになってしまっていたそうです。
火葬は青森県で済ませられたということだそう。
石巻では、そういうレベルで街の機能が失われてしまったのですね。
その後も、周辺の海岸線の様子を見ましたが、
繰り返しの映像になるのと、やはり写真は控える思いの方が
強くなっておりました。
多くの写真映像が語っているとおりの、
いや、それ以上のグランドレベルの衝撃が迫ってきます。

東北大学工学部建物・危険判定

きのうから、さっそく取材活動を開始しました。
朝1番で、東北大学工学部・吉野先生を訪問。
東北フォーラムを主宰されている先生に今回の企画の基調的なお話しを
ということで取材に伺った次第であります。
なんですが、東北大学も広い。
印象では、「青葉山」と言われる一帯全域にキャンパスが広がっている印象。
さすがに東北の知性を代表する巨大キャンパス。
ということで、目当ての建物をようやく探し当てたけれど、
どうも、ひと気がない。
近寄ってみると、ありゃりゃ、「応急危険度判定・赤」の張り紙。
先生に電話で連絡すると
「あぁ、そこは危険ですから、早く離れてください」
で、先生のお部屋はその建物の向かいの高層ビル。
命からがら、(って大袈裟か)退避してそちらを訪問。
まぁ、インタビューの様子は特集号の誌面でご紹介しますが、
震災の当日は、先生、東京田町の建築会館で会議に参加されていたそうです。
それも日本建築学会の会議だったそうです。
建築会館も相当の揺れだったそうで、同席していた
地震の権威のかたから、これは・・・という専門情報も得ていたと言うこと。
その日はそのまま、建築会館で過ごされて、
なんと、翌日には福岡に飛んでセミナーで講演されていたそうです。
省CO2関係の会議だったそうですが、
そのままやっていたのだそうですね。
で、そこから東京に帰ってきて、仙台への帰還の足がなく
1週間ほど過ごされていたそうです。
その後、なんと新潟まわりでクルマで仙台に戻ったと言うこと。
今回の震災では、まことに多くのドラマが展開していたと言うべきか。

なんですが、
おとなりの応急危険度判定・赤の建物です。
工学部の建物が、っていう意味では、
まことに紺屋の白袴。
なんですが、この建物、1986年の宮城沖地震にも遭遇した建物。
そういう意味では、蓄積疲労の積み重ねで
今回は、かなり危険という判断をされたそうです。
仙台市中心部では、駅の社屋を除けば、見た目、そんなに
被害が目視できるような状況にはありません。
しかし、この建物のように、一見とは違って
危険な建築はやはり多く見受けられます。
きのうも2回、地震に遭遇いたしました。
1回は朝早く、もう1回はちょうど昼食中。
昼食を一緒していたスタッフは、あ、これは大丈夫です、と即座に判断。
聞いてみると、たびたびの余震で、本能部分が開花してきて
「地鳴り」が聞こえてくるようになったというのです。
「あ、これは福島県沖だな、あ、これは三陸かなぁ・・・」
っていうように、五感を超えた感覚が研ぎ澄まされてきているそうです。
すごい。
その後、いろいろな取材活動を行って
さすがに朝4時くらいから活動していたので
7時過ぎには気絶寸前のようなことで、
9時前にはホテルに着いて仮死状態で爆睡しておりました。
さぁ、頑張るぞ、と。

札幌から宮城県北部・古川まで

現在、札幌から東北に行こうと考えたら、
飛行機はまだ、仙台への便がありません。
きのう仙台空港が民間機発着開始とありましたが、
あれは新幹線の代替で、東京・大阪との連絡を優先したものです。
それと、料金はまったくの正価料金しかないので正直、高い(笑)。
そうすると、盛岡までJRを乗り繋いで
そこからは、どうするか、というしかない。
なので、やむなく、クルマでの長距離移動であります。
札幌を出るときにメーターをゼロにして
宮城県大崎市古川区のホテルに着いたときのメーターです。
途中、函館から青森まではフェリーですが、
運転の正味時間は、7時間くらいでしょうか。
さすがに疲労困憊で、爆睡しておりましたが、
それでもホテルから近くのコンビニまで1km弱を歩いてみて
それだけでも、地震の被害の甚大さに驚愕です。
地盤面の陥没やら、隆起やら、変形やら無数です。
建物もあちこちで変形・破損が多数目に飛び込んできます。

高速道路も、青森県・秋田県を通過して、
盛岡・北上を過ぎたあたり、
岩手県南部、平泉から一関から宮城県北部・栗原周辺の道路面は
かなりゆがみ変形圧力にやられていますね。
路面の隆起や、陥没変形に対して応急的な補修箇所が続出しています。
なので、速度を落として走行しないと、
バウンドしたりして、けっこう危ない。
高速は2週間以上、閉鎖されていましたが、
応急的な復旧にもそれくらいは掛からざるを得なかったのですね。
まぁ、そのあたりから暗くなってきたので
街の様子など、写真撮影はまだ、詳細には出来ていません。
できるだけ、今後の対策も考える資料を収集していきたいと考えています。
青森や秋田は、北海道なんかとそう変わりのない平静さですが、
やはり岩手県からは状況が一変いたします。
本日から行動開始で、
さまざまな取材や、打合せなど、頑張りたいと考えています。
その様子は徐々に掲載いたしますのでどうぞよろしく。