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自転車購入とTSマーク

息子の入学する高校では、自転車通学が認められています。
通学の距離はインターネットで調べてみたら、ジャスト8km。
バスの定期を調べたら、8600円以上と高額。
これって、片道200円で往復400円、月に月〜土で通って25日程度と考えると
それでようやく10,000円ですから、
10,000円で、1500円分の割増しサービスのある「バスカード」購入と比較しても
そうは違いがない。
通学定期というの、こんなに割高だったかなぁと
びっくりさせられました。

まぁそんなことから、息子は自転車通学を希望することになった次第。
とはいっても、雪が降る季節は無理だし、
その時期にはバス通学にはなります。
4月15日からは自転車が使えると言うことで
まぁいいだろうと言うことにいたしました。
ただし、高校の入学説明資料では「TSマーク付き」自転車にしてください、とある。
現在使っていた自転車は老朽化もしているし、
そういうマークもついていないので、新規購入することに。
で、近くの量販店◎ーマックに向かいまして、
大量に販売展示されている中から、適当なのを選んで
店員さんに、お願いいたしました。
実直そうな店員さん、やや緊張気味でTSマークのことを
あれこれ、あちこち、連絡している様子。
で、ようやく15分くらい経過してから、やや焦り気味の表情で
「ウチではマークを発行できない、ウチの店舗で出来るのは
ここから40km離れている岩見沢店だけなんです・・・」
と、申し訳なさそうに話すではありませんか。(それも聞き取れないほどの小声)
「え、なにそれ、岩見沢って、あんた、(絶句)」
実は、2日前にこの店でTSマークのことも確認していたのですが・・・。
「えぇ、そうなんです」
「・・・、そうですか、間違いはないのですね」
と再度聞き返しましたが、間違いはないそうです。あの下調べはなんだったのか。
で、やむなく、別の自転車店を探すことに。
この時点で、ある推測は湧いて参りましたね。
「はは〜ん、これは、官僚組織と町場の自転車販売店業界の結託によるものか」
っていうような、ひとを疑って掛かるような発想。
子どもの前なので、そういう言葉は不用意には言えないけれど・・・。
で、近くの自転車販売店に行ってみたら、そこは定休日。
やむなく、息子が知っていた塾の近くの販売店に行ってみることに。
そこは、量販店とは違って、自転車の展示数も少なく、
値段も高めだろうかなぁ、という印象です。
入ってみたら、これも口べたで実直そうな高齢の店主さん。
「あのぉ、TSマーク付きの自転車が欲しいのですが、どうなんでしょうか」
「・・・・・・、あ、あるよ。あれはね、ちょっと説明が難しいんだけど・・・」
と、TSマークについて説明をはじめそうだったので、
まぁおおむねは想像できるし、このお父さんの話を聞いていたら、
相当の時間を覚悟しなければならないと思われたので、丁重に辞退して、
「あぁ、そうですか、で、量販店から来たんだけれど、値段はぐっと高くなるの?」
「・・・ああいう店で売っているのとは違うから、・・・」
「あんまり品揃えもないみたいだけれど、2万円程度のものはありますか」
「・・・あぁ、あるよ」
っていうような展開。なんでも、もうすぐ息子が別にやっている店に
統合させて、かれは引退するのだそうで、それで品揃えも縮小させているそうです。
で、わが息子に自転車を見せて、乗せてみたら、
「いいよ、俺、これで」
という、まぁ乗れりゃぁ、なんでもこだわりはない、という判断。
親からすると、実直そうなオヤジさんでもあり、値段も量販店と変わらないのであれば
問題はない、ということで購入。
ただし現金をそれほど持ち合わせていなかったので、
「おじさん、カードでもいいかなぁ?」
って聞いてみたのですが、聞いてすぐに申し訳なくなって
「ちょっと銀行で現金おろしてくるから」と行ってきました。
自転車の目利きや、整備については長年の経験がありそうですが、
カードの処理やらは、どうにも手間が掛かりそうだったのですね(笑)。
しかし、そういう店主さんにさらに苦労をかけるように
このTSマークの伝票処理、マーク発行が手間が掛かる。
かれにしてみたら、自転車1台売るのに手間の掛かること、掛かること・・・。
こっちは、やや諦めから時間がかかるのに覚悟は決めたので
微笑みを持って接しておりました(笑)。
整備の済んだ自転車に息子を乗らせて先に帰らせたのですが、
オヤジさん、ていねいにブレーキの掛け方とか、
扱い方を教えてくれておりました。ありがたいです。
で、その後、オヤジさんの手際のいい(笑)、事務仕事に付き合って
ようやく、自転車購入完了であります。

制度としては、TSマークというのはたいへんいい。
以下の損害保険や損害賠償保険に加入したこととなり、
大変有用な制度です。
入院加療15日以上で1万円
死亡または重度障害(1~4級)で30万円
死亡または重度障害(1~7級)で限度額1,000万円
というもので、これが500円で加入できた。
で、年に1回、整備資格者に点検してもらって1000円を払えば継続できる。
って言う次第。
悪くはないけれど、消費者にはややわかりにくさがありますね。
で、わたしの直感は半分は当たっていたけれど、
たいへんいい制度だと言うことで、直感の半分は思い過ごしと、反省しました。

めった打ち、佑君

野球を巡って、開幕の時期の是非が話題になっていますね。
セ・リーグ側は29日から開幕の予定とか。
どうなっていくのか、状況はまだ不明と言った方がいいのか。

そんななか、きのうは斉藤佑樹君、札幌で先発投手。
テレビででしたが、見ておりました。
いやぁ、打たれましたね(笑)。
3回には、こりゃぁ、回が終わらないかも、とも思えた。
専門的なことはまったくわからないけれど、
素人目で見ていて、まったく打たれない気がしない。
たまに打ち損じてくれるのを待つような状態。
で、表情を見ていたのですが、
案外内心の動揺をそうは感じさせないような表情でいましたね。
たぶん、心の中では、何が何だかわからない状態だったと思うのですが、
試合後のコメントで
「ずっと無失点というようなのは、怖かった」
っていうように語っていて、まぁふつうの投手としてのふるまいに
近づいてきたと思います。
見ていて、長嶋選手がプロでの緒戦で、当時国鉄スワローズの
金田正一投手と対戦して、4打数4三振というデビューだったのと
すこし重ね合わせて見ておりました。
こちらの側も、覚悟を決めてみていたというか、
そういった心理で見ていたように思います。
まぁ、実戦が始まる前に、徹底的に打ちのめされるというのは
あってしかるべきだと思います。
で、そこから這い上がれなければそれまでの選手だし、
そこから闘争心を掻き立てて、
今度は返り討ちにしてやるぞと、立ち向かえるかどうかだと思います。
幸い、変に気を使って途中交代させるような監督の采配もなく、
自分で最後までアウトを取らせていた姿勢はいいなぁと思ってみていました。
というより、まぁオープン戦だから、当たり前だし、
流れ的に、ああいう状態のときにあとを投げさせられる方の選手は
たぶん、たまらないのでしょうね。

さて、こういうことになって、
俄然、次の登板がたいへん楽しみになってきました。
軌道修正を果たせるのかどうか、
なんとか、リベンジに立ち上がって欲しいなぁと思っております。
がんばれ、斉藤佑樹! 北海道日本ハムファイターズ!

息子の友人たち

きのうは、息子の友人とその弟2人が
わが家にやってきて大騒ぎしながら、泊まっておりました。
中学校を卒業しての春休み、
羽を伸ばしたいのはわかりますね。
元気のいいこどもたちとふれあうのは楽しい。
夕食は、近くの(といっても、学区は違う地域)「焼き肉」店へ。
なんですが、評判の「おいしくて安い」お店は長蛇の列。
で、やむなく、そこの近くの似たようなお店へ。
90分1本勝負で、食べ放題ということで、
若さいっぱいの3人、わいわいがやがや、
大騒ぎしながら、気付いたら25人前くらいを平らげておりました。
でもまぁ、焼き肉だとそんなものかなぁ。
量よりも、時間定量性だと、大急ぎで食べることになって、
その分、あんまり多くは食べられないのではないかと思いました。
わたしとカミさんはひたすら、焼き肉焼き係。
旺盛な食欲にただただにこにことあきれかえりながら、
せっせせっせといそしんでおりました。
でもまぁ、50分経過くらいで、さすがにみんなお腹定量状態。
そこからは、カミさんとわたしの出番で、平らげておりました。

おかげさんで、夜中にはやや胸焼け気味。
毒掃丸を服用して、小康を得ておりました。
若さに付き合っていては、身が持ちませんね(笑)。
家に帰っても延々と坊主の部屋からは笑い声が響き渡っていましたが、
まぁ楽しいものであります。
でもまぁ、よっぽど積もる話でもあったようです。
今晩はきっとぐっすり寝られるでしょう。

フクシマ50

福島原発。
連日のように危機が深まり、いまこの国の行く末が、
この1点に集中しているように感じられる。
大震災の被害の象徴として、
「日本がどうなっていくのか」の最大関心事。
現地で原発と向かい合い、戦っていたひとびとは、
地震発生後には800人いたが、
15日朝に4号機で火災があり、750人が退避。
監視などのために残った50人が、「フクシマ50」になった、とされる。
福島原発の状況は1日1日、刻々と状況が変化し、
その影響もいろいろに出てきているし、
この事故を受けて、今後のエネルギー政策がどう変化していくのか、
まったく不透明ではあると思う。
世界中が、注目してきているのも、
「では、大量エネルギー消費社会にとって原発なしの選択肢は、存在するのか」
という重い問題も含めて、人類の生存の根幹にかかわっていると、
本質的に理解しているからだと思われる。
だからこそ、世界中の人々が、この問題の象徴として、
現に今、その場所で驚異的な使命感と、職業的倫理、
そして任務に対する誠実を持って
「いま、できること」に努力している人々へ、
深い共感と連帯を示してきてくれているのだと思う。

15日時点の絶望的と思われた状況の中で、
しかしそこから、こつこつと、
その時点で可能なことに、わたしたちの社会の優れた部分は、
勇気を持って当たってきていると思う。
昨日の段階では、放水作業が一定の成果を見せてきているかもとされる。
使用済み燃料プールへの注水も見られたのだろうか。
東北電力の送電線からの電源確保作業も成果があったといわれる。
さらに6号機の電源も再起動を試みたら、立ち上がり
冷却作業が進み始めてきている、とされている。
うまくいけば、この危機に曙光が差してきたのだろうか?
一筋の希望が見えてきたように感じられる。

安定した社会の持続可能性を切り開く、最大の前提条件に対して、
このフクシマ50という象徴的命名に示された「世界の意志」に
わたしたち日本社会は、希望的未来を示せるのか。
このことで、わたしたちに今できることは、祈るくらいしかできない。
しかし、祈ることも、なにかの力にはなるかも知れない。
そう信じていたい。

天災の歴史事実

なにげなく、日本史の「出来事」一覧を見ています。
基本は「日本の出来事」というWikipediaのデータをエクセルに取り込んで
その上で、その後、自分自身で書き込みを加えていって
重層的な事実や出来事の記録を作っていっているわけです。
だんだん、いろんなことを積み重ねていくと
そういう事実の相関関係も見えてくるようになるので、
複眼的な見方を養えるのではないかと思っている次第です。
そういうなかで、最近見ているのが、貞観津波のころのこと。

800年代後期気候の寒冷化
864年 富士山貞観大噴火
869年 陸奥大地震 貞観津波千人を超す死者
875年 渡島荒戎、秋田を襲う 秋田城の対北海道蝦夷の饗給の増大

っていうような記述を確認しています。
<いま、確認してみたら、Wikipedia本文にはないですね(笑)
その後、わたし自身での歴史研究でみつけたものですね。出典は、さてなんだったかなぁ・・・そうか、出典記録も必要ですね、これからの追加では>
歴史年代では、富士山は何回も噴火している。
平安時代の中期頃に相当しているのですが、
ここにある「貞観津波」というのが、今回の東北地方太平洋沖地震と
その後の大津波との近似性を指摘されているものです。
当時のヤマト政権の東北地方の「遠のみかど」多賀城の城壁が崩れ、
津波による死者が千人を超えた、とされ、
その地層的な証拠も発見されているそうです。
当時の(900年ころ)の東北の人口が60万人くらいという推計だそうなので、
その1/120程度の人口が失われた事態だった。
で、この津波は富士山の噴火がその6年前になっている。
連動関連性がどの程度なのかは分かりませんが、
歴史的には、こうした記録が残っている。

自然の大災害は、社会の構造変化を誘発するものでもあると思います。
その後の「渡島荒戎、秋田を襲う 秋田城の対北海道蝦夷の饗給の増大」
というのは、たぶん、北海道の檫文のひとびとが
秋田のヤマト朝廷側交易拠点を襲撃したということ。
そして、そういう圧力の元で
懐柔的な対応を、秋田城の側で行ったという記録なんです。
その後、「元慶の乱」という秋田での現地住民と北海道勢力も巻き込んだ
大きな戦乱が引き起っている。
今回の大地震・大津波、このころの争乱とはまったく規模が違う大混乱を
日本全域で巻き起こしつつありますね。

<写真は江戸期・天明飢饉の混乱状況絵図>

危機と経済活動

大地震、大津波、原発危機、
大量死と救助活動、いのちを繋ぐ必死の努力。
出口の見えない状況に、いま、為すすべはないのだろうか?

やはり今回の事態は、太平洋戦争以来の国難だと見えてきた。
クライシスは、現に今進行している。
戦後の焼け野原の中の光景のような図が、そこかしこに見えてきている。
プロ野球の開幕を巡っても大きく揺れています。
25日というから、もう1週間を切ったタイミング。
被害がほとんどなかった地域がフランチャイズであったセリーグ側にとって
既定方針通りに開幕することは、自然であるかも知れない。
しかし、現実にこのまま、原発事故が終結できず、
停電が常態化していったときに
東京ドームで煌々としたナイター設備を使って
野球を行うことが、どういう光景になっていくか、
その社会的リスクは、かなり大きいものがあると思う。
今回の決定の声明文を見ると、
日本という社会が、世界に対してその安定性をアピールする、
というような論旨に貫かれていると思う。
いわば大義名分はそこにある、としていた。
これはひとつの決断であり、その推移を見るしかないと思う。
ひとは生きていくためにいろいろな経済活動を行わなければ生きていけない。
日本の経済にはさまざまな領域が存在し、
世の動きに連れて、そこにさまざまな栄枯盛衰がある。
安定した社会状況がその経済活動の前提である、という職種も存在する。
興業というビジネスにとっては、プロ野球の決断がどうなっていくのかは
まさに固唾をのんで見守っている状況でしょう。
危機の認識度合いもひとによって判断が違う。
今回のことは、一種の賭けではあるだろうと思います。
ここから1週間以内で、社会状況が変化しないとはいえない。
3月11日のカタストロフィから、よく考えたらまだようやく1週間しか経っていない。
まるで夢のように感じられる。
すべての光景が、まったく変化せざるを得ないことになってきた。
手探りしながらしか、
こういった状況の中では動き出せない。
経営的判断も、ほんとうに難しい状況ですね。
いつまでも茫然自失していられる企業は少ないでしょう。
さて、なにをどう取り組んでいくか、
まさにリスクと危機のなかの暗夜行路になってきたと思います。

<写真は、福島県相馬市の名産品販売所でのスナップ>

今、できることを考えよう

建材メーカーの状況について
建材商社さんのまとめデータが送られてきました。
初期的な地震のダメージ、津波のダメージでやられたところも多い。
商品の倉庫、ストックヤードの製品も
そのまま出荷できない可能性があるそうです。
そしてそれ以上に、流通手段が圧倒的に限られている。
品薄になって、商品価格が上昇する、という事態もありそう。
さまざまなひとからの情報を総合すると
やはりここまで広域にわたっての被災想定が出来ていないので、
危機管理の能力でも、対応が出来ていないのだと思われます。
ようやく1週間掛かって、被害の全体像の輪廓が浮かび上がってきた。

さまざまな情報が錯綜している。
つぎつぎと明らかになってくる被災地現地の情報を整理しながら、
じゃぁ、こういった状況で、なにが可能なのか、
比較的、ダメージが少なかった北海道に住むわたしたちに可能なことは、
と考えて、スタッフと打合せをしております。
今は、やはりなにかの批判をするゆとりはないですね。

子どものケータイ

きのう、わが家の坊主がなんとか無事に
中学校の課程を修了いたしました。
まぁそう大きくひねくれもせず、
父とも、ときどき腹を割って話すことも出来ているので、
いまのところは、円満な親子関係があると思っています。
もちろんときどき大声で叱ることもありますし
かれも反抗的な態度を示すこともあります。
しかし、なんとか、義務教育課程は修了です。
これからは、まだ学業を継続したい、という意志を示していたので
進学と言うことになります。
まぁ、それは行けるところに行くしかない。

そういうことはどうでもいいのですが、
きのう、親子で緊張関係が張り詰めました。
世間でよくあることでしょうが、ケータイの件であります。
以前、中学校進学の時にもケータイの希望は言われたのですが、
父としては、与えておりませんでした。
その折りに「少なくとも中学校では・・・」
というように言ったという経緯は確かにあったと思います。
子ども側としては、それは高校に入ったら、という期待値になったことは
ありえる展開だろうと思います。
で、父親としては、
ケータイはいいだろう、しかし、その使用に当たっての自己管理について
明確に自己責任意識を芽生えさせたいと
そのようにかれと向き合ってみているわけです。
費用の問題、使用用途の問題、インターネット接続のルールの問題などなど、
かれが自分自身で考えなければならないポイントは多い。
きのうはそういうことで、初めはブータレ状態から
自分の部屋で悔し泣き状態、
その後は感情アップアップ状態で、涙ながら状態、
で、ようやく落ち着いて話し合い状態まで、千変万化いたしました。
親としては、いい機会だと思って、じっくり話し込んでみた次第です。

結局、中学校を終わると言うことは、
これからは大人として扱っていくぞ、ということですね。
昔であれば、15歳は元服であり、
大人社会の仲間入りであるわけです。
そのときにあたって、親子の話し合いができたのは、よかった。
話が終わってから、いっしょにニュースを見ながら、
これからの世界、日本について、話したりしました。
かれが生きていく時代は、本当に厳しい時代だと思う。

ちょうど、震災後の瓦礫の山の中から、息子を探し続けている
老夫婦のことが流れていて、
その思いの痛切さに、思わず熱いものがこみ上げてなりませんでした。

被災地からの連絡、14日時点

きのうは、大震災後の週の初め。
現時点での情報の集約と、直近の対策について打合せ。
東北で多くの案件を進行させていたので、
それらへの対策手当を考えていたのですが、
まずは情報からして、ようやくというレベル。
石巻在住のスタッフも、震災直後は会社事務所にいて連絡が取れていたのですが、
その後、一夜明けて自宅に帰ってから
ケータイの基地局が石巻周辺ではまったくダウンしていて
連絡がつかなくなっていたのです。
だったのですが、きのう、ようやく連絡がつくようになって
(会社車両で帰宅したので、そこからバッテリー充電できている)
その様子が伝わってきました。
スタッフのご主人は女川で被災し、
津波に追われながら、命からがらなんとか公共的コンクリート建物に逃げ込み
その屋上か、上階で救助を待っていて
ようやく助け出され、石巻に戻ってきたそうです。
お母さんは、勤務先の人たちといっしょに石巻市内の避難所に逃げ込んでいて無事。
その他の家族は、家にいて、中はぐちゃぐちゃだそうですが、
地震自体では、建物そのものは無事だったようで、全員無事。
きのうになってようやく、家族全員が家に帰宅できたそうです。
家族と一緒になれて、ライフラインはまったくない状態ながら、
とりあえず、生活再建のスタートラインには無事に立てたようです。
本当に良かった。
結果として、わが社のスタッフの家庭では、人命は失われませんでした。
本当に、奇跡的な部分もあって、話を聞いていて
胸が熱くなってしまいました。

しかし、まだまだ、取引先で安否の確認が出来ないケースが多数あります。
リアス式海岸線の数都市に多くの知人がいます。
胸がふさがれるような思いがこみ上げてきます。
知人は無事でも、ちょっと話を聞いたら、
その実家が津波で流されたとか、そういう状況が多い。
現在時点で、行方不明者が15,000人以上と発表されていますが、
まだまだ、祈るばかりという状況が続いています。
なにから、どう着手したらいいのか、
手探りしながらですが、
情報ラインも見通しがなかなか立たない。
仙台に行くにしても、いまのところ、ルートが確保できない。
支援物資の輸送ルートの確保もなかなかままならないのが現状のよう。
太平洋側の港湾がどの程度使えるのか、
仙台港の状況も、たぶん、石油コンビナートの火災の関係からか、
情報がまったく入っていない。
情報では、日本海側まわりの鉄道ルートは確保されたと言うことですが、
そこからは、たとえば秋田からどうやって仙台方面に行けるのか
石油は東北中央部では、入手がきわめて困難だ、というように言われています。
知人が、秋田から仙台の港近くに行けた、という話を聞きましたが、
一般道を通って8時間かかったということだそうです。
震災後初めての仙台駅構内、新幹線プラットフォームの映像が流れていましたが、
東北新幹線も、那須塩原までの運行を再開するという状況。
しかしそこから北方は、600箇所のダメージ箇所があるそうで、
資材と輸送ルートの確保の難しい中、
どれくらいで復旧できるか、まだまだ分かりません。
自治体職員自身も被災者、という状況の中、
情報の整理コントロールも、たいへん難しいのが現状のようです。
いずれにせよ、未曾有の事態、対応も本当に手探りしながらです。
しかし、みんな頑張りましょうね!

<写真はおとといと同じく、美しき気仙沼の06年の風景>

敗戦と並ぶ民族体験

さまざまな動きが始まってきたと思います。
東京電力の「計画停電」がスタートする。
これは供給可能電力が3100万キロワットに対して、需要が4100万キロワット
という需給ギャップを解消するための作戦と言うこと。
その作戦が成就できるのかどうか、
きょうの推移がきわめて重要な意味を持つのだろうと思います。
朝から電車の運休情報が伝えられている。
首都圏に於いては、JR線も大幅な運休が発表されている。
電力の大口需要者に対しての説得が行われた結果の第1弾、ということでしょう。
それに限らずこのエネルギーを1/4カットする、という事態は、
いったいどんな社会になるのか、まさに未体験の社会に突入することを意味する。
そこでどんな変化が生まれ、どんな知恵が生まれてくるのか、
あるいは、絶望的な状況が生まれるのか、
まさに「やってみなければわからない」状況に突入していく。
原発の安全性についての疑念や危惧は当然だけれど、
わたしたちの社会は、それをすでに折り込んで営まれているのも
明瞭な事実として突きつけられている。
そして日本のエネルギーは、地震によって大きく変動してしまうのも事実だと言うことが
明瞭な社会変化として現れてこざるを得ない。
昔の政治家は、鉄は国家なり、と言ったそうだけれど、
今日世界ではまさに「エネルギーは国家なり」。

報道などでようやく、起こったことはなんであったのか、が
明瞭に見えてきたと思います。
今回の大地震の規模は、まさに世紀に数回程度しか起こらない規模の
地球的変動であり、わたしたちの社会に否応ない変化を迫っているのだと
ハッキリと認識しなければならない。
やはり、大地震とその後では、社会は大きく変化せざるを得ないと思われる。
その第1弾が、この「計画停電」の実践だろうと思います。
これがうまくいくのであれば、まずは第1歩をわたしたちは踏みしめられる。
エネルギー1/4カットが実現できれば、
今日の世界が求められている省エネ・省CO2をクリアすることも視界に入ってくる。
もちろん、緊急的対応だけれど、
本当に民族的規模で、「省エネ」ということに取り組む
世界初の国家・社会と言うことになる。
そこにどんな苦痛があり、困難があるのか、最大の学習機会だと思います。
日本社会は、いまフロンティアの立場に否応なく立たされたとも言える。
しかし、日本人の優秀さは、この時こそ発揮されねばならない。
なんとか乗り越えられれば、わたしたちは大きな自信を持てるのではないか。

わたしたちが解決すべき問題はきわめて多いと思う。
住宅建築という、わたしどもの領域でも、
今回の事態を受けて、本当に緊急に「なにを為すべきか」
論議を起こして、その対策を練り上げていかなければならない。
すでに、そういう動きに着手した人からの報告も受けている。
本当の、日本人のサスティナビリティを解決できる住宅とはなんであるのか、
大きなテーマに向かわなければなりませんね。

<写真は、北総研社屋>