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盛岡旧市街の地酒蔵元

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わたし、あんまりお酒は飲まないのですが、
二日続けてお酒をいただく機会にめぐまれ、体調万全であります(笑)。
ということなのですが、きのうは盛岡と近郊で2件見学。
その間の時間を縫って、旧市街の地酒蔵元の建物を見て参りました。
新酒ができたよ、と知らせる伝統的な飾り物の常緑樹のぼんぼりに
なぜか、横綱が回されておりました。
想像してみるにたぶん、製造した地酒が
品評会などで特選に選ばれたかしたのではないでしょうか?
堂々たる体躯の飾りが、いやがおうにも立派さを増していて、
いかにも笑えるプロポーションです(笑)。
その店の前には、左写真のようなショーケース。
ちょっと古い時代感覚ではありますが、
屋根の小枝葺き、腰壁の半割丸太張り、という
少ない材料の中での精一杯のデコレーションぶり。
古い街道沿いの町家の佇まいの中で、
調和しながら、それでいて一生懸命にアピールしている様子が伝わります。
今日では、こういう目につくような仕掛け、
テレビ宣伝とか、街頭看板とか、
いろいろに考えられますが、そうした手段がごく限られていただろう時代、
また、そうした発想を持った宣伝マンがいない時代、
建築に関連する職人が、どのように商売人としての施主の
要請を考えただろうと、その工夫の足跡が偲ばれます。
東北住宅大賞審査の旅、2日が終わり、
本日が秋田県湯沢から、仙台まで移動の最終日です。
きのうは大曲から湯沢まで鈍行での移動も経験いたしました。
秋田県に入った途端に外は雪景色と、吹雪模様。
まぁ、それでも生死の境をさまよった昨年のようなことはなく、
比較的、天候に恵まれての道中になっています。
しかし、本日は見学2件のあと、審査会が予定されていて
たぶん、夜8時くらいまでの長丁場。
再度、気合いを入れ直してがんばりたいと思います。ではでは。

亜鉛閣再訪

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さて、きのうから「東北住宅大賞」現地審査です。
昨年は車での移動で大雪に見舞われて、死ぬ思いをしたので、
ことしはおとなしく、新幹線などの列車移動で動いております。
JIAなどの建築関係の審査員の常連の古谷さんや、五十嵐さんといっしょで、
いろいろ勉強になることも多いです。
JIA東北支部さんから審査員の依頼があって、断り切れず、
お引き受けしているのですが、
まぁ、寒冷地住宅という点で、北海道の人間が入っていると
バランスも取れるというような判断なのでしょうか。
で、きのうは東北の一番南とも言えるいわきの近くの川内村。
写真の「亜鉛閣」さんの訪問でした。
郡山から直線距離で45kmということで、山道を走破するコースです。
しかし、山道なので、なかなか到着しない。
結局、食事を挟んで行きに2時間半近く掛かりました。
建築家山下和正さんの週末のくらしのための住宅です。
以前にもこのブログでご紹介したのですが、今回2度目の訪問。
はじめて行ったのは写真撮影でのときなのですが、
秋だったのできれいな紅葉を見ることができたわけですが、
今回は、ややゆるんできたとはいえ、冬。
ごらんのように建物前にある「調整池」は結氷しています。
茶目っ気のある古谷さんは、勇敢にも氷の上に乗っかっていましたが、
さすがに体重増に悩む当方は、丁重に命乞い。
この家はOMソーラーによって屋根面を暖める太陽熱を暖房として利用する計画。
中気密、というルーズな環境を前提にしているOMソーラーですが、
ここでは高断熱高気密仕様で、しかも2×6の壁厚で重厚に装備しています。
久しぶりに伺ったのですが、
温度ムラのない環境が確かめられました。
さて、この住宅を見たあと、郡山に戻り、
そこから新幹線で、仙台乗り換えで盛岡市に移動。
多くの建築家のみなさんから歓待いただいて、バタンキューです。
さて、本日は盛岡周辺で2件の住宅を見て、その後、秋田県湯沢市に。
なかなかな強行軍日程です。
しかし、住宅を見て歩くというのはやはり、面白い。
楽しみながら、おつとめがんばりたいと思います。ではでは。

仙台のホテル室内環境研究

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さて、出張に来ていまして、
仙台のホテルに宿泊しています。
今回の出張は、本日からの東北住宅大賞現地審査が大きな目的ですので、
札幌から赤外線放射温度計を持参してきました。
これは、壁など各部位の表面温度を離れた位置から測定するもの。
で、今朝、いごこちがあまりよくないけれど、
1月などと比べたらまぁ、ましだなと思われた室内環境でしたが、
測定してみた次第です。
暖房は温風が吹き出してくるエアコンです。
建物はやや古いけれど、一般的なRC造建築の6階。
外気温は5時だとマイナス1度くらいでしょうか?寒いけれど、冬真っ盛りからは脱したところ。
エアコンの設定温度は写真上の通り、21度の設定にして寝ていました。
やや不快感があっての目覚めでしたが、
最悪というほどの冷却感ではありません。
しかし、北海道の家のように、体が内部から暖かいというよりは、
やはり体感的には皮膚表面しか暖かくない、という感じ。
設定温度は、これ以上高くすると寝苦しいので、この程度にしたのです。
で、温風吹き出しなので、乾燥感がきつくて
お風呂にお湯を張って、ドアを開け放して寝ていました。
測定の結果は下の3枚の写真です。
左から、壁面(天井もほぼ同じでした)・床面・窓面です。
まず、上下温度差が3度あります。
というか、足下が寒いということが見て取れます。
測定後、温度設定を上げて27度にしたのですが、
そうすると、この上下温度差が拡大し、5度を上回りました。
頭寒足熱、という健康法則がありますが、
まったく逆の結果ですね。
こういう温度差環境では、温度設定には意味がなくなる。
暖かくなりたいけれど、頭がぼーっとするばかりにしかならない。
まぁ、それはまだいいとして、ひどいのはやはり窓ですね。
お願いですから、アルミサッシはやめてください。
エアコンで暖房する一方で、冷ストーブが運転し続けているのと同じです。
窓面から、ずっと室内の温度を奪い続けているのです。
体感的にずっと冷輻射を感じ続けるのですね。
というような結果が得られたわけですが、
けっこう厳しい温度差であること、ご理解いただけたでしょうか?
こういう温度ムラのある環境はけっして「快適・健康」にはならない。
じゃぁ、なんでそんなホテルを選ぶんだ、ということになりますが、
どこのホテルでも似たり寄ったりなんですよ。
高いお金を出してもそこは関係がない。
また賃貸住宅というのも、ほとんどがこういう環境なんです、当地は。
まず、ほとんど選択の余地はないに等しいと言えます。
エトランゼにとっての冬場の仙台の環境って、こうなんです。
こういう事実、ぜひ、知って欲しいものだと思いますね。

LCCO2の考え方

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地球温暖化問題への取り組みが、この7月の
洞爺湖サミットへ向けて、活発になってきました。
大変いいことだと思います。
国レベルでは、多くの取り組みが成されていますが、
そのなかでも具体的にCO2削減への指標のようなものの一般開示が
求められてきていると思います。
そんな考えを持ちながら、北方建築総合研究所(北総研)がまとめた冊子を見ていて、
わかりやすくまとめられていたのが、写真のグラフです。
スキャナーのない環境なので、デジカメで撮影しました。
すこし見にくいかも知れませんが、縦軸にCO2排出量。
横軸に建築の経年数を表しているものです。
札幌市内に建てられている125平米程度、約38坪の住宅で、
住宅性能としては「新省エネ」程度と、やや低レベルの住宅性能ではあります。
熱損失係数では、確か1.9程度だったと思います。
まぁ、比較的一般的に建てられている住宅に近い性能と言えます。
LCCO2とは、つまりその建築物が建てられ、使用され、やがて廃棄されるまでの
トータルなCO2の排出量を推定するもの。
この建物の場合で、50年経って廃棄されるまでに排出するCO2は約100t。
このうち、建築時には大体10t程度で、使用中が約8割を占めています。
なんと罪深いことをわれわれの「快適性」はしているのか、
という原理主義はこの場合、置いておいて、
この8割をいかに減らしていけるのか、が最大の問題。
札幌の場合は、そのなかでも「暖房用エネルギー」が6割を占めています。
ようするに、全体のCO2の半分を札幌では暖房として使う計算。
この部分が、もし半減されれば、トータルのCO2は25%も削減されるのですね。
したがって、初期投資段階で省エネ部分にお金を配分することは、
たいへん有益な方法と言えるわけです。
というふうに考えれば、まさに断熱気密は待ったなし。
より高性能な住宅づくりが最大の効果を発揮するのですね。
またそのように考えてくれば、残りの生活上のCO2源である
給湯・照明・調理、という部分にも工夫が生まれてくるでしょう。
幸い、温暖地ではエコキュートが大いに普及してきているので、
寒冷地用の性能向上が期待されるところですし、
それをにらみながら、自然エネルギーの利用を一層進めたいところ。
照明などでも、LEDなどの次世代型の研究がもっと進んで欲しいですね。
だんだん、時代はこういう工夫の時代に進んでいくと思いますし、
それを後押しする声の広がりも大切です。
にしてもこの冊子、たいへん有益で勉強になります。
素晴らしい仕事に感謝したいと思います。

年間降雪量

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札幌って、実は世界的にもたいへんめずらしい都市なんですね。
というのは年間降雪量のこと。
世界の大都市のなかで、第2位の積雪量のロシア・サンクトペテルブルグの
年間3mに対して、なんと倍以上の6.3mっていうことなんです。
ふつうだったら、こんなところには大都市はできないだろうと思われる地域。
寒いだけなら経済活動ではそれほどの支障は出ないかも知れないけれど
それに積雪条件が加わると、いろいろに難しい問題が出てくる。
公共の支出として、除雪費なんていう、
どう考えても無に帰すような予算を消費しなければならない。
それでも都市として大きく成長してきたのは
明治の日本が国策として取り組んだ結果ですね。
いわば計画的な、近代欧米的なスタイルの計画都市を造ってきた。
純粋に経済的に考えたら、無駄が多くて、とても維持できないのではないか。
産業としての製造業が少ないというのは、
歴史が浅いということもあるけれど、地域的なデメリットが大きいということでしょう。
というような条件の中にわたしたちはいます。
ことしの冬は、出だしの時期が小雪で、
「まれにみる」というような状況だったのですが、
年が明けてからは、まさに帳尻を合わせるような降雪ぶり。
もういや、っていうほど雪が降り続いたと思っていたのですが、
写真のようなデータを見ると、ことしはむしろ、まだ小雪なんだとか。
まぁ、札幌人の言い伝え(笑)では、
年間に降る雪の総量はそれほどには変化がない、というのがあります。
雪は日本海の水蒸気が、大陸からの寒気団による季節風でもたらされるもの。
そういう意味では、ほぼ6ヶ月間のスパンで見れば、
確かにそう、大きな変化ってないものなのかも知れません。
そう考えると、ことしはまだ、4mちょっとの積雪なので、
あと2m近い雪、いままでの半分くらいは残っている計算になります。
雪かきの苦痛は腰のあたりに蓄積してきておりますが、
まだまだ、先は長い付き合いがありそう。
しかし、1週間ほどの出張に出るので、
その間、家人には負担が掛かるなぁ、と申し訳ない気分。
ここんとこの雪はさすがに水分が多くなっている感じで、
除雪にも骨が折れる雪なんですよね。
願わくば、帰ってくるまでドカ雪が来ないことを祈っている次第です。
でもまぁ、3月なので、もうすこしです。がんばりましょう。

奈良期の巨大建築

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最近、またまた歴史系の話題になっています。
どうも、年齢的に自然とそういう指向が強くなってくるものかどうか(笑)
まぁ、ここんとこ、決算の関係での仕事が多くて
住宅取材とかの機会が少ないということもあります。
と思ったら、来週はふたたび、「東北住宅大賞」の審査の仕事で
東北全域を駆け回り、その後も取材が山積み、ということ。
なので、本日も歴史ネタです。
先日、斉藤裕さんの「日本建築の美、黄金の塵」という講演を聴きまして、
たいへん面白かったのですが、どうも、
斉藤さんは茶道関係の団体などから依頼されて
調査研究活動をしたようで、その成果としての取材結果に基づいた講演だったようです。
で、そのなかで、たいへん興味深かったのが、
奈良期の巨大木造建築がなぜ、文化として続かなかったのか、
ということへの示唆として、
単純に自然状態の巨木が少なくなったという事実。
朝鮮ではこの間、南大門が焼失したニュースが流れましたが、
朝鮮さらに中国でも、奈良期の巨大建築に見られるような巨木は
遺されている建築には見られないのだそうです。
仏教に国家運営の道具としての利用価値を見いだした権力は
写真の東大寺を始め、全国に「国分寺」を造営しましたが、
それらは今日に至るまで、何回かの焼失を経ながらも存続してきています。
こういう巨木による建築は、世界的にたいへん珍しい。
世界遺産であること、むべなるかな、なのですが、
インド洋〜ヒマラヤという地球規模の気候条件の結果として、
日本は湿潤で、巨木を育むのに適した自然条件を持った地域。
そういう条件で、木造の文化が栄えてきたという側面はあるのでしょう。
しかし、司馬遼太郎さんの書かれたものによると、
平安期以降しばらく、戦国期まで、
巨大木造は忘れられたようになるそうです。
巨木が盛んに伐採され、それが再利用可能なほどに復元するまで、
700〜800年の時間が掛かったということなのか、
このあたり、重ね合わせて考えて、たいへん面白い指摘だなぁと思ったのでした。
こんにち、地球環境問題から木造への関心がヨーロッパで高まり、
盛んに集成材技術を使っての巨大木造へのチャレンジが行われているそうですが、
その「サスティナビリティ」の枕詞として、
奈良期日本の巨大木造建築が最先端の脚光を浴びているのですね。
写真は、昨年夏の旅行の折の写真なのですが、
たしかに欧米やアジアのみなさんの姿が多く、
そのような関心というのも頷けるものがありましたね。

江戸期の平和維持システム

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ライシャワーさんと司馬遼太郎さんの対談、どちらも故人ですが、
それを読んでみたら、ライシャワーさんがさかんに江戸文化に着目しています。
江戸期、たいへんな平和社会を200年以上継続したことで得られた、
集団内部での協力性とか、組織への忠誠心というような
日本と日本人社会が獲得した「組織平和の維持」システムに大きく注目しているんですね。
このようなものの見方は、やはり欧米人であって、
一方で深く日本及び日本人を理解したライシャワーさんの慧眼だと思います。
まぁ、日本人が気づきもしないようなところまで深く日本人を研究したこんなひとが
アメリカ戦争参謀本部みたいなところにいたんですから、
彼我の違いを考えれば、敗戦は必然だったのでしょう、余談ですが。
それはともかく、江戸期の社会のシステムの中に
現代の日本の素型はすべて出来上がっている、
現代が変化したのは、表面的な形だけであるというようなことば、なんです。
確かに現代の企業や官僚システムなどの内部の論理を見ていれば、
その独特の組織維持の強固な安住性というものは際だっていますね。
江戸の末期に、官僚化した幕府組織が非効率そのものになって、
まことにあっけなく瓦解したともいえるのですが、
その原因は、組織の維持ということだけが大目的になってしまって、
本来の目的に対して機能しなくなるような、組織内平和第一のシステムなんですね。
こんにちさまざまに官僚機構において起こっている
末期症状とも言えるようなシステム障害の数々を見せつけられています。
防衛省の機構的とまで言える「システム障害」が引き起こしている海難事件。
官僚システム内部での弛緩ぶりが、もはや、外部にあられもない形で表面化している。
一般社会に対して、整合性のある説明も取れないような破綻ぶり。
艦長さん個人としては、まことに正しいことばを発していましたね。
「国を守るべきものが、国民を死に至らしめてしまった・・・」
こうした認識がまだ残っているウチに、
このシステム上の不具合に対して、直していくことに取りかからなければならない。
インターネットの普及による個人意識の高まりは、
江戸期から続くこれまでの社会が第一の大前提としてきた、
「組織維持がもっとも大切だ」という考えに風穴を開けつつある、
というのが現代の変化の一番大きな部分なのではないでしょうか。
このような見方が出てきたことで、
既存の官僚システムの破綻ぶりが際だってきているということも言える。
もともとが強い個人意識に裏付けられた社会である欧米では
インターネットの出現は、その延長線上でのことになるのでしょうが、
日本型の社会では、未体験の領域を作り出してしまう、
そんな気がしてなりません。
みなさん、いかが感じられているでしょうか?
<写真は江戸期の出版物、旅行カタログから。>

愛読書

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もう何年間、この本と付き合ってきたか・・・。
司馬遼太郎さんの「関ヶ原」とか、「太閤記」とか。
ちなみに奥付を見たら、昭和51年発行になっているので、
もう30年以上も手元に置いて読み続けている本になるわけです。
定価はカバーに表記しています、と書かれていますが、
とうの昔にカバーはなくなっているので、いくらで購入した本であるか
いまはもうわかりません。
この「上巻」は、一部、綴じも壊れてしまっていますが、
それでも、ずっと読み続けてきた。
どんな読み方をしてきたのか、といえば、はじめはまぁ、2〜3回通読した記憶はある。
その後は、適当にページを開いてそこから読み始めて
最後まで読むこともあったし、そのまま、寝込んでしまうこともあった。
長い時期で、数年間目にしないということもあるけれど、
時々思い起こしては、また読んでいる、っていう次第。
そんな読み方をしているので、
内容というか、書いてあることは、ほとんど全部と言っていいほど
記憶の中にインプットされている。
それでも、読み続けてきたのは、やはり、
こっちの年齢があがってくるほどに、「行間の消息」が見えてくるから。
意味としては、全部理解しているけれど、
そうではなく、小説なので人間の心理を描写しているので、
その心理などが、こっちの体験が加わるごとに重みが違ってきて、
書かれた文章の意味合いが、いろいろな色合いに見えてくるのですね。
とくに、死を巡っての否応ないこちらの体験の積み重なりが、
同じ無常観を体験した先人たちの心理を通して、
こちら側に、いつも違うかたちで読めてくるのですね。
司馬遼太郎さんというのは、
稀有な形の「国民文学」という最後の作家になるのかも知れないと思います。
ちょうど日本が高度成長期にさしかかり、
いつも「坂の上の雲」を目指し続けた時代の雰囲気の中で、
幸福な同時代感覚の中で、作家活動を続けることができた人ですね。
もう死んでから12年になるようです。
死ぬ前に書かれた文章では、日本の将来に明るさは残念ながら見られない
と、書かれていたことを覚えています。
産経新聞在職中に、自社の連載小説に応募して『竜馬がゆく』が
審査を通って採用になったのだそうですが、
その当時の社長さんが、社員でもきちんと賞金を払ってくれた(笑)
と書かれていました。でも、家一軒建てられるほどの賞金は、
新聞記者出身者らしく、「取材」のための古書購入費にほとんど充ててしまったそうです。
当時借りていた住宅の床が、それで抜けるのではないかと心配したということ。
そんなことから、歴史小説を書くのに、
かれは、本当に過去の出来事であるのに、
実際にその場所に行ったり、まさに、ニュース取材のような方法でやっていたらしい。
そういう結果として、日本の歴史に対して、
独特の歴史観や、思いが募ってくる部分があったのだろうと推測します。
そういうかれの仕事の中では、
比較的初期の仕事ではあるのですが、
戦国の終結期の、「天下」成立後の複雑な「政治」情勢が、
肉声が聞こえてくるような筆致で書かれているのですね。
ここまで長く付き合ってくると、
これからもきっと、読み続けるのも間違いないでしょう。
こんな読書の仕方もあると思う次第ですが、
出版という業種自体の危機が進行しています。
今後どうなっていくものか、先行きは難しい時代ですね。

国の機関の政策進行

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きのうは、今年度最後の北海道の仕事での会議出席。
中古住宅流通促進方策検討委員会、という
何回言われても覚えられない名前の会議でした。(笑)
なんですが、この会議、けっこう盛り上がりまして、
こうした自治体の会議としては珍しい(失礼)ほど、多くの成果を生み出し、
また、新業態の開発、産業育成的な部分で驚くほどの結実を得た事業でした。
新築マーケットが縮小に向かうことは確実な趨勢の中で、
既存住宅マーケットをどうしたら活性化できるのか、
今後の「製造業」としての住宅建築の主体である工務店などの生き残りにとって、
必須の産業育成方法を模索した会議だったと思います。
簡単に言えば、新築に代わる魅力的な中古住宅再生という事業分野創成に
必要なインフラや事業環境整備を考えてきた会議だったのです。
とくにこうした取り組みが
もっとも自然条件の厳しい北海道ではじめて取り組まれたというのは、
今後のこのマーケットにとって大きい意味を持つことになるかも知れません。
こうした事業取り組みというのは、
なぜか、3年という期限で行政では取り組まれるのが慣例になっています。
ということで、3年目の最後の年度がこれで終了となった次第なのですが、
こうした取り組みが、まさにいまの国の施政方針と合致していることから、
いわゆる200年住宅への取り組みの一環として、
国の補助事業として、来年度以降もより大きな事業規模で継続される方向になっています。
というようなことなのですが、
こうした流れから、きのうは国土交通省の外郭団体から
オブザーバーの方も参加されていました。
いろいろお話を伺ったワケなんですが、
国の政策にどのように業界の意向が反映されていくものか、
その経緯の一端もかいま見えて、興味深いものがありました。
窓のメーカー団体などから、こうしたプロセスについての話も聞いたことがあるのですが、
やはり、具体的な政策に対して業界ごとの利害が相克し、
なかなか方向性を定められないという部分が見えてきました。
行政の側が立案する基本的な方向性というのは、
そんなに間違っている方向でもないと思うのですが、
その原案が、さまざまな利害調整の中で、否応なく「調整」させられ、
結局は総花的になったり、適当なことでお茶を濁したり、
というようになってしまう現実が出来上がってしまうようです。
そうしたなかで「モデル的」事業として
この北海道の取り組みが国に認められそうだというのは、
かなり面白そうにはなるかも知れません。
官に対する批判というのが大きいのですが、
接してみればみんな、できることから、少しずつ変えていこうという思いは共通です。
絶望せず、地道に取り組んでいくことが必要ですね。

新聞というメディア

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先日、朝日新聞が2010年にも赤字転落の可能性がある、
という他メディアからのスクープがあったそうだ。
若い年代の「新聞離れ」現象は、実態としては公表されているレベルを遙かに超えているそうで、
深刻な部数減少が新聞メディアの経営基盤を揺さぶっているようです。
日本の新聞って、世界的には宅配というきわめて特異な形態で
深く暮らしに密着して発展してきた。
宅配チラシという面白いメディアも副次的に生産しながら、
このシステムを維持してきたわけだけれど、
そういう発展を支えてきた「部数拡張」という要素が行き詰まってきている。
いろいろな要素が、この事態の背景にはあると思うのだけれど、
ことがらがメディア自身に属することなので、
あまり大きく触れられることがないまま、事態が進展している。
確かに、若い年代の人、とくに20代のひとが新聞を取っているというのは
いまや、ごく少数派であることは論を待たないし、
30代になっても、そうした部分が変化していくという要因は考えにくい。
原因は、大きく言えばやはりインターネットの拡大。
インターネットは月額の接続費がちょうど新聞購読費用と見合う程度。
なので、yahooなどのポータルサイトにはトップコンテンツとして
ニュースが掲載されている。
新聞には一覧性というメリットはあるけれど、
事実の確認や把握、羅列的な配置での順序づけなど、
インターネットでのニュース配信にもメリットはあり、
テレビなども交えたニュースメディア比較の中で、新聞は必ずしも優位性がなくなってきた。
しかも新聞社のHPにアクセスすれば、新聞を見るよりもむしろ便利なくらいに
ニュースに接することもできる。
欧米メディアの場合は、もともとがスタンド販売という形態なので、
ちょっと、違う意味合いの方が強いメディア。
主張性や独自性といった部分と、人間行動に密着しているという要素で
生き延び続けてきている。
しかし、海外でもMetroというフリーペーパーが都市での人間行動に密着する配布形態で
従来の新聞メディアの地盤を奪い始めている。
新聞は結局、通勤や移動といった時間にニュースに接するという
都市型人間行動の隙間で生息してきた文化であるともいえる。
そのあたり、日本と海外では若干、事情に違いはあると思われるけれど、
いずれにせよ、大きな転換点は確実に来ていると言うことは明らか。
紙媒体の行く末は、さてどうなっていくのでしょうか?
写真は朝の散歩道のかわいいカモたち。