
「縁結び」ということと、注連縄というのは
どういった関係にあるのか、
それこそ神道でも研究しなければならないだろうけれど、
ヤマト朝廷以前の連合的国家「倭国」において
多くの「クニ」の「神」たちが集まって安全保障体制を相互に結んだことは
どうも確からしく思われます。出雲に来ての直感ですが・・・。
上の写真は、出雲大社神楽殿の大注連縄。
全重量が5.5トンもあるそうです。
そういえば、「さざれ石」を目にしなかったのですが、
明治になって開設された北海道神宮では、さざれ石も社域に置かれています。
さざれ石とか、注連縄とか、
連合的国家というこの国の権力形態をよく表現しているのではないかと思います。
鎌倉に「封建体制」を志向する権力が生まれて以降、
戦国を経て江戸の幕藩体制に至るまで、
日本という国家は、各地域のバラバラの権力構造の連合が
基本因子だったのではないかと思うのです。

で、大国主命は、
ニニギさんに「国譲り」して自らは退隠してしまう。
銅剣と銅矛がある時期に目的的に姿を消していくのは、
そういった歴史の転換点をモノとして証しているのではないか。

退隠の条件として
高い本殿建設を要求したというのは
いったいどういうことなんでしょうね。
上古には高さが96mの本殿が建っていたといわれている。
その後、何回もそれが倒れたという記録があるそうです。
現在は、この本殿、修復中でありました。
でも、警備の方が覗き穴を案内してくれて、こっそり覗かせていただきました。
バチがあたるかなぁ(笑)。

写真は、全国から出雲の神さまに捧げられた酒の数々。
よくみると、ビール各社まで奉納しており、
出雲の神さまの酒好きをほほえましく伝えてくれます。
神話のかすみに包まれて
その実体がよくわからない神さま、出雲。
しかし、尊崇が長く日本民族に伝承されてきたのには
やはり曰く因縁があり続けてきたのでしょうね。
今だ霧の中にもわっとしているわけですが、
なんとなく、親近感というか、好感を持てるなぁと思わされた神さまでした。
Posted on 6月 10th, 2012 by replanmin
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先週の土曜日に見てきた神楽の衝撃がまだ体の中に残っている。
「村の鎮守のお祭りの・・・・」という歌がある。
ドンドンヒャララ、ドンヒャララという「笛太鼓」が囃子となって、
それが延々とリエゾンしていく。
ムラ共同体の協同労働の結果、秋の収穫期を迎え、
神への奉納と、労働への慰安とが一体となって、
「村祭り」が挙行されていく。
聞いているウチに、こころが浮き立ってくる感覚が沸き起こる。
まことににぎやかで、いかにも日本そのものの民俗世界が展開していく。
・・・というような世界が、今日にあるとは
ほとんど想像できませんでした。
しかし、広島や島根を中心にして、この神楽は
大きなブームになってきているというのです。
会場で気がつくと、後ろの席でまだようやく立てたばかりの子どもが
気持ちよさそうに、両足でリズムを取って
いまにも踊り出しそうにしている(笑)。
屈託のないその表情を見ていると、日本人としてのDNAを感じざるを得ない。
わたしは、東京でやっている
いまや金持ちのサロン化しているような歌舞伎には
正直にいうとあんまり魅力は感じません。
確かに面白いのは面白いけれど、
その経済的基盤自体は、国の文化保護政策がなければ霧消してしまうことは
どうもあきらかだと思われるのです。
河原乞食に起源を持つ役者の世界が、文化伝承という名目の元に
保護され、国費を費やして
それこそ生まれたときから人間国宝になることが決まっているなんて
おかしいと思うのです。
芸の世界はそれはそれとして、しかし、生まれたときから
歌舞伎界のプリンスなんていうフレーズで囃し立てられる世界に
いったいどんな意味があるというのでしょうか?
保守、という悪い意味合いをどうしても感じてしまう。

一方で
この広島を中心にした中国地方で盛況な神楽は
正しい芸能のあるべき姿を見せてくれている。
珍しきもの、キラキラしたるものへの希求に応えようという
そういった根源的な正直さが感じられます。
笛と太鼓のリズムに乗って、
繰り広げられる舞いの見事さ、
くるくると舞い踊るとともに転換していくきらびやかな衣装の鮮やかさ。
単純明快なストーリー性のわかりやすさ。
そういった渾然一体が、
見ているうちに深い感動となって迫って来る。
現代の中で、こういう始原的な芸能が力を持つということに
率直に楽しく、応援したくなる気分が沸き起こってきます。
こういうものをよいと思う素直なこころが存在しているということにも
深い共感を持つことが出来ました。
Posted on 6月 9th, 2012 by replanmin
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広島と言えば、食べ物はB級最強のお好み焼き。
市内の中心部には「お好み村」という地名にまでなっている。
なんですが、
実はあんまり興味はなかったのですね。
それよりも瀬戸内海地域では「タコメシ」が多いのですが、
あのタコメシ、どうにも米の炊き方がやわらかすぎる気がする。
どうなんでしょうか?
たまたま泊まったホテルでは、
普通のご飯も、米の粒が明確でなくなるくらいの炊き方をしている。
どちらかといえば、腰のある刺身のたこで、
シャキシャキとしためしを食べる方がわたしは性に合っている。
んですが、
でもそういえば、わたしの父親はごく幼年期を広島県内で過ごしています。
で、父の米飯への好みも、
この広島で食べた米の炊き方にどうも近い。
息子であるわたしは、どうもこの好みは受け継げなかった。
そんな思いがしてくるような食の旅であった次第。
どうもこのことが、頭の中を支配していて、
「あ、そういえばお好み焼きも名物だったな」
というように番外的に思われていたのです。
そんなことで、広島市に滞在中はとくに食べることがありませんで、
広島市を離れての高速パーキングエリアでふと、
写真のような手書きポップに遭遇した次第であります。
「ぶちうまいけぇ☆」
なんじゃこりゃ?でありますね。
大体が手書きポップというメディアは、間脳を直撃する。
論理ではないのですね。
感覚領域を、待ったなしピンポイントで狙撃する。
そのうえ、☆って、そりゃなんだ?でありますね。
「おう、ほなら、喰っちゃる。うまくなかったら、どやしたるけん!」
というような、関西とも広島弁とも付かないような
過激な心情(笑)を抱かざるを得ない。
っていうことで、その挑発にまんまと乗ってしまいました。
やられました。
ああ、こんなことなら、タコメシをやめて
3食、お好み焼きを食べていれば良かった(笑)。
という後悔が猛烈に襲ってきた次第であります(オーバー)。
いや、なかなかいいですね。
具の野菜、もやしとキャベツがいい食感で、
そば、というか細切りラーメンというか、の食感とのコンビがいい。
で、すべてを丸め込む薄いお好み焼きの生地が
こってり甘めのソースと相まって、
やわらかく楽しく喉を通過していく。
後で聞いたら、
広島地元の工務店社長から、とびきりうまい店もみなさん案内してもらったとか。
やべ、大失敗、であります。
でもま、PA食堂というおばちゃんたちが作る家庭料理的な
サワリだけでもおいしかった広島お好み焼きでした。
Posted on 6月 8th, 2012 by replanmin
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どうも季節の変わり目と、広島出張などのここのところの疲れでしょうか、
風邪を引いてしまって、こじらせております。
本日も、朝、どうにも体調が思わしくなく、
ついに休むことにいたしました。
昨夕には、大手術を終えた友人を見舞いに行こうかと
友人に誘われていたのですが、
術後のひとに風邪をうつすわけにも行かず、断念。
まぁなかなか、疲れの積層がこじらせるようですね。
風邪を引いていても、薬を飲んだり、点滴を受けたりして
そのまま仕事してしまうのが、よくないのでしょう。
ということで、本日は意を決して休みであります。
で、先ほどまで3時間にも及ぶ点滴を受けてきまして
ようやく家に帰ってきた次第。
だいぶ体を休められ、またたっぷりと発汗もさせられました。
こもっている熱を出させるということなのですね。
ということで、言い訳めいたブログであります(笑)。
写真は、大国主命に赤裸状態の治療法を授けられているウサギさん。
日本の古い時代の神話って、なかなか人間的で面白い。
そのなかでもこのウサギさんの説話はどういう意味があるのか、
不明なんですが、妙に楽しいお話しだと思っております。
こういうお話しをそのまま銅像にしてあるというのも
いかにも日本的な光景。
こういった銅像を見る海外のみなさんは、日本って言う国に
どんなイメージを喚起されるものでしょうか?
北海道からの来訪者の目線で見てもおかしい。
あんまり悪い国じゃなさそうだ、という印象を受けるのではないか。
古代世界の想像力の大きさに心和む気がいたします。
ウサギと並んで、わたくしも2礼4拍手1礼で、
風邪の快癒をお願いしたいと思います(笑)。
Posted on 6月 7th, 2012 by replanmin
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多少なりとも、建築に関連する仕事をしている人間として
出雲大社、という名前は抵抗できない圧倒的な力を持っている。
木を使って建築するということの日本的根源性を感じるんですね。
あるいは、そういう建築を離れても
日本民族の基底的な文化をずっと維持し続けている継続性に畏敬の念も持つ。
それと、出雲の神さまはどうもやさしげに思えたりもする。
丸裸にされたウサギさんを助け、治療法の言葉を掛けてやったりする。
神話の世界の話なので、どういった歴史事実があったのか、
必ずしも詳らかではないけれど、
日本人として、一度は見てみたいと念願し続けておりました。
広島で会合があると聞いてから、
やはりその機会に、どうしても見たかったのが出雲大社だったのです。
広島から出雲って、
北海道からの感覚では、まぁ札幌から旭川くらいの距離感覚。
高速を使えば2時間弱程度と想像しておりましたが、
事実、距離は180kmくらいですが、
結局クルマでは3時間半以上かかりました。
まぁ途中で神楽を観賞して、あまりの衝撃で打ちのめされた後だったので、
その日の日中には無理と言うことで、隣町のホテルにまっすぐ入って、
翌日早朝にようやく出雲大社にたどり着いた次第です。
写真は、早朝の朝ぼらけのなかにたたずんでいる社域です。
以下、Wikkipediaから出雲大社の概要。
式内社(名神大)、出雲国一宮で、旧社格は官幣大社。
明治維新に伴う近代社格制度下において唯一「大社」を名乗る神社であった。
祭神は大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)。
1142年(康治元年)在庁官人解状に「天下無双之大廈、国中第一之霊神」と記された。
縁結びの神様としても知られ、神在月(神無月)には全国から八百万の神々が集まり神議が行われる。正式名称は「いずもおおやしろ」であるが、一般には「いずもたいしゃ」と読まれる。二拝四拍手一拝の作法で拝礼する。
伝承の内容や大社の呼び名は様々であるが、共通して言えることは、天津神(または天皇)の命によって、国津神である大国主神の宮が建てられたということであり、その創建が単なる在地の信仰によるものではなく、古代における国家的な事業として行われたものであることがうかがえる。
わたしの想像なんですが、
出雲というのは、八百万の神々〜各地の「神々」という名の古代の支配者たちが
ゆるやかな「連合的国家」を形成していた時代の盟主だったのではないか。
「縁結び」の神さまであるというのは、端的にそのことを証しているのではないか。
そこに高天原からやってきたと名乗る皇統が乗り込み、
それまでの銅鐸・銅矛を象徴的祭具としてきた「連合的国家」を廃棄し
ヤマト朝廷という「統一国家」志向の勢力が、列島支配を強めていったのではないか。
今日でも、皇室でさえ出雲大社本殿内部には入れないというのは、
このようなヤマト朝廷国家としての約定があったのではないか。
そして、建築的な不思議としては地上96mまでの高さがあったとされる上古の本殿。
そういう超高層の神殿建築技術というのは
いったいどこから由来しているのか。
三内丸山以来の、この列島社会に伝承してきた大型木造技術に由来するのか?
いくつもの、不思議をかかえたまま、
早朝の暁闇の中、気配のような朝焼けに
礼拝させていただいた次第であります。
むむむ、魅力的!
Posted on 6月 6th, 2012 by replanmin
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さて、今回の出張のメインは
新住協総会への出席であります。
新住協という組織は、北海道の工務店グループが
在来木造という標準技術の中で、高断熱高気密という住宅技術を
どのように具体的に工法開発すべきか、
その実践的手法の研究開発のために、室蘭工大の研究者である鎌田紀彦教授を
先導者として、一連の運動として取り組んできた組織。
そういった過程で、気密化についての手法を開発し、
意味のある断熱工法技術を開発し、世に広めてきた。
北海道で取り組み始めた、室内温熱環境のコントロール可能化技術が
徐々に東北に浸透し、さらに南下の様相を見せてきた。
いま、さまざまなエネルギー問題が噴出する中で
そうした問題への根本的な対策としての「断熱重視」技術が
暖房効率対策からスタートしながら、いまや、
「暖冷房」の総合的な環境エネルギー対策の切り札になってきている。
それが、新住協組織がどんどんと「南下」している現実として結果している。
昨年の京都に引き続いて、ことしも総会が広島で開催されたのは
このことをよく証立てていると言えるでしょう。
そういった現実を踏まえて、
ことしの鎌田教授の基調講演においても、
冷房負荷の削減、全館冷房の基本的方向性が明確に打ち出されていました。
これまで主に寒冷地において研究開発されてきた住宅技術をベースにして
蒸暑地域でも、本格的な研究開発実実践が開始されます。
具体的な手法はすでに開発されており、
それをどのように実態としての工法技術に高めていくのか、
実証的な段階に立ち至ったということが出来るでしょう。
まさに「寒さ・暑さ」から人間を守る住宅、というものに
大きな目標が定められてきた、というように言えると思います。
一方で、鎌田紀彦室蘭工大教授の「退官」を2年後に控え
来年の総会は、先生の研究の主要舞台であった室蘭で行われることが決まりました。
いずれにせよ、やはり現代の日本の住宅技術の主軸が
この新住協運動であることは明らかだと思います。
その動きがさまざまに波及していって、
日本全体の住宅の流れというものが決定していくのではないか。
そういった印象を強く感じた総会であったと思います。
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Posted on 6月 5th, 2012 by replanmin
Filed under: 住宅性能・設備 | No Comments »

さて、きのう夜遅くに帰って参りました。
きのうは、今回の出張を利用してぜひ見学したかった
出雲大社をたっぷりと見学した後、
やや風邪気味の体調を考慮して、早めにクルマを大阪まで飛ばしました。
北海道の感覚からすれば、
札幌から釧路くらいの距離、それも高速ばかりなので、
普通に選択したルートだったのですが、
まぁちょっと、距離は長いということで
早朝に大社の見学を済ませ、10時前には出発でした。
ガソリンもおおむね半分は入っているし、
まぁ途中で、とは思っておりました。
で、主に中国自動車道を東進したのですが、
途中で何度もPAに寄って、あんまり疲れないように運転しておりました。
で、岡山県を抜けたあたりで、ふとメーターに目が行ってびっくり。
突然、ガソリンタンクが点滅をしている。
レンタカーなので、慣れていないのはあるのですが、
目盛りが8段階くらいあって、そのうち3くらいのレベルと確認していたはずが
突然、ゼロ寸前表示になった(!)。
まぁ、景色を見たりしていて、確認が遅れていたのでしょうね。
で、焦って、PAを物色するけれど、そういうときに限って
なかなか現れないし、あってもGSのないPAばかり。
こりゃまずい、ということで次のICで下りてガソリン補給を決断。
ようやくたどり着いたのが「福崎」インターチェンジ。
まるでジェットコースターに乗っているような気分で、
福崎のランプで下りたら、目の前にENEOSを発見しまして即給油。
で、ふと我に返ってみたら、
「福崎」という地名には覚えがある。
店員さんに「このあたりに三木家住宅という旧家がありますよね?」と聞いた。
「ええ、すぐこの店の裏手ですよ、歩いても3分かな」
「・・・・・」
三木家住宅は、昨年も訪れております。
わが家のルーツを確認するために訪問した遠縁の家系とおぼしき家。
兵庫県指定文化財として、福崎町で周辺が保存されています。
日本民俗学の始祖とも言われる柳田国男さんの少年期までの体験を
涵養した家と言われているのです。
柳田さんは、この三木家でその蔵書に接し続けて
民俗学に傾いていったということなのですね。
で、この住宅は兵庫県指定文化財ということで、5年をかけて
再生保存工事がいまも続けられているのです。
わたしの家とは、戦国の頃に枝分かれしているようなのですが、
縁があることは間違いがなく、遠縁の存在なのです。
昨年の新住協京都総会の折にも一度見学に訪れていたのです。
そこに再び、まるで「導かれるように」再訪「させられた」次第。
広い中国・近畿地方で、
たまたま、という表現だけで、
こういった体験を説明することは、どうも難しいのではないか。
そんな思いに駆られてしまった次第であります。
この旧家のとなりには、「もちむぎ」というムギを使った麺の販売所があり、
福崎町が特産としてPRしておりますが、
そのお店で、乾麺を購入させていただいたり、
機縁を結ばさせていただくしかない、と思わされたのです。
そういえば、出雲は縁結びの神さまであり、
さっそくにしてその霊験があらたかに現れ出でたるものかも知れません(笑)。
深く四方に礼拝の礼をさせていただきました。
Posted on 6月 4th, 2012 by replanmin
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1カ月ほど前だっただろうか、
ふとBSのNHKを見ていたら、中国地方の放送局制作の番組を流していた。
話題は、神楽のブームについて。
広島県や島根県など、中国地方一帯では
たくさんの「神楽団」が組織され、それが維持され続けていて
今日でもたくさんの神楽の奉納が続けられている、
というローカルな話題。
北海道にいたら、およそこうした「民俗」とは縁遠い生活。
そもそも百年と言わず、十年前にお隣さんはどこに住んでいたか、
お互いにまったく話題にもしないし、
そういう他者への深い興味など、迷惑がられるだけで、
ましてやそうした関係性を土台にした「祭り」というものが
成立し得ないような、クールな現代性が支配的。
このことは、明治以降の社会において
北海道と東京が先導するようにして
日本一円に広がっていった「希薄な社会関係性」の拡散だったのだと思う。
それに対して、
現代の今日社会で、なお、神楽を中心とするムラ共同体的な関係性への
希求が存在している、ということに素直に驚きを持つ。
どんなものであるのか、見てみたい。
そういった思いが募っておりました。
なので、新住協の総会がことしは広島で行われると聞いて
矢も楯もたまらず、「神楽」の公演日程を探しておりました。
しかし探すまでもなく、インターネットの検索で「神楽」と入れるだけで、
すぐに探し当てることが出来ました。
ちょうど、2日土曜日、正午頃から真夜中23:00ころまで行われる
「第33回中国地方選抜神楽競演大会」という大会のことが検索できました。
それも、開催場所は戸河内ふれあいセンターという
広島からは小1時間ほどクルマでかかる山村。
そんなローカルな場所で、こういう大会が開かれるというのです。
「民俗」好きなこころが強烈に刺激され、
毎日、指折り数えて待っていた次第であります(笑)。
いや、すごい。
いやはや、なんともいえずにすごい。
まずは、その大会のパワーに圧倒されますです。
小さな山村の小学校の体育館のような建物に
まぁざっと500人以上は集まっていたでしょうか。
みんな座布団を持参して、食べ物のいっぱい詰まったクールボックス持参で
家族連れで、ワイワイがやがや、こどもたちはハネ転び回っている。
まことに人間社会のにぎやかさそのものの会場風景。
そういったなかに、
凜とした空気を充満させる、舞や笛・太鼓。
「どんなものか」というような物見遊山、冷やかし半分のようなものは
あっという間にきれいさっぱり消し飛んで山の彼方空遠く。
グイグイ引き込まれて、時間が経つのが惜しい惜しい。
もう帰りたくない。
そんな気分にさせられてしまったのですが、
まさに断腸の思いで、次なる憧れの地、
出雲大社めがけて移動せざるを得ませんでした。
演目で見られたのは4つほどでしたが、
さっそくDVDを購入させていただいて、
民間の素人神楽団のみなさんの熱演ぶりを観賞したいと思います。
民俗としての、神楽についてのお話しは
また次の機会に、というか、明日以降に書きたいと思います。
まずは、その感動さめやらぬ思いをお伝えいたしました。
Posted on 6月 3rd, 2012 by replanmin
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やはり日本人であるなら、
死ぬまでに、一度は見ておかなければならない。
そんな思いは持っていたけれど、
罰当たりにも、これまで一度も見たことがありませんでした。
原爆ドームと原爆資料館。
わたしは1952年生まれです。
原爆の投下、終戦は1945年。
日本が未曾有の体験をして、そこからまだ7年という時代に
わたしはこの世に命を受けた。
「ピカドン」とか、ケロイドとか、
そういったことばが身近に存在している時代だった。
起こったことの概略は知識として知っているし、
また、一種の身体化したものとしての戦後社会の原点意識も
共有の物として、認めてもいる。
しかし、やはり、この地で資料館を見て
そして原爆ドームを見ることで、まったく違う認識も持つ。
そこでその惨禍に遭遇した人々の実像が迫ってくる。
そしてまた、その惨状に自分の命も省みず、救援に立ち向かった人々の記録。
自らも傷つきながらも、被災者に対して「傷害証明」を必死に発行し続けたという
ある警官の記録映像に、そこでそのときにできることを
懸命にし続けた人間の姿を見ることができる。
原爆の投下からの記録が綴られた年表の
自分が生まれた年にどうしても見入ってしまう。
こういう余韻の中で、わたしはこの国に生まれたのだ、という事実が
まっすぐに自分に向けられてくるように思う。
いまふたたび、大震災から原発事故という
民族的な困難のさなかにわたしたちはいま、立ち至っている。
結局、いま、なにができるのか、
ということを日々、続けること。
それしか、わたしたちにできることはない。
今できることを精一杯、やること。それがこの年表に込められた
ほんの1行の行間に込められた人間の努力として
結果していくことを信じ続けていくしかない。
しかし、わたしたち日本人は人類史の中でもきわめて稀な体験を
なんども繰り返し体験する民族であるのかも知れない。
ほんの1時間ちょっとの見学でしたが、
こうした機会を持てたことに感謝したいと思いました。
犠牲になられた人々の魂に、合掌。
Posted on 6月 2nd, 2012 by replanmin
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さて、いろいろな企画が進行している中、
本日より広島市で、新住協の総会であります。
ここんところの住宅関係の組織の年度総会ラッシュの締めでしょうか。
北海道をスタートにした「高断熱高気密」の家づくり。
いまや、中国広島県地方でも広がりを見せており、
今回の総会運営まで可能なほどに組織が拡大してきています。
折しも、よくわからないのですが、
本日から、お祭りが行われているそうで、
市中には、いろいろな出店が軒を並べております。
これはひょっとして、博多なんかと同様に
屋台による食べ物屋さんの大集合かと思いましたが、
よく見てみると、昨晩はどの屋台もまだ営業していない。
で、きのうは「前夜祭」の開催であります。
会場がわからなくて、あちこちに転々と探し回っておりまして、
結局30分以上の遅刻。
おいしい食べ物の半分も当たっていなかった(泣)。
というのは冗談で、遅れを取り戻そうとひとのスピードの倍くらいで
しゃぶしゃぶを胃袋に入れておりました。
なんですが、鎌田紀彦先生始め、旧知のみなさんと
年に1度の元気な姿の確認をさせていただきました。
ことしは「地域型住宅ブランド化事業」が始まっており、
各地の会員が、それぞれ提案に取り組んでいるようです。
また、東北各地の会員さんも元気そうな顔を見せていただきました。
昨年の状況とは一変して、忙しさが倍増している方も多い。
というようなことで、
昨晩はやや飲み過ぎまして、
風邪気味の頭、さっぱり機能を発揮いたしません。
たしか、何人もの方たちと
いろいろな口約束、計画をしていたようですが、
よく覚えていないことが多い(笑)。
本日からいよいよ総会ですので、
会場で再確認させていただいて、意義深い会にしたいと思います。
ではでは、がんばるぞ、と。
Posted on 6月 1st, 2012 by replanmin
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