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ひとの生き方の歴史的変化

1560

社会が発展して、産業が活発になるということは、
さまざまな仕事ができてくるということでもある。
そうすると、人類社会ではあまり経験のない「人手不足」ということが起こる。
高度に発達した近代、現代の「先進国」では、
このような事態が一斉に起こったということができる。
戦前まで、「勤め人」という言い方で表現されていた大企業勤務者、
いわゆるホワイトカラーというような階層が異常に増えた。
そういった職種に就くには高等教育が必須とされ、
大学卒業が関門になって、受験競争が刺激された。
日本の社会が、そのように大量の人材を養うに足る大企業を
どんどん生み出していった。
現代で進行しているIT革命も、その流れの一変形ではあると思う。
で、そうなってくると「人手不足」は深刻化し、
「勤め人」ホワイトカラー層のビッグバンにともなって
高学歴になってきた女性も職場で活用されるようになる。
同時に男女の雇用格差もどんどんなくなってくる。
そういった社会になってくると、
子育てということは、必然と言うよりもある種の「選択」にすぎなくなってきて、
少子化が進行していく。
こういったことは、先進工業国で普遍的に起こってきた。
社会変化によって、人間のライフスタイルが大きく変化したということだろう。
で、ひとりひとりの個人の寿命も大きく伸びてきた。
生きる意味と言うことも、変化せざるを得ない。
これらのことは、人類社会において普遍的に起こっているとすると
こうした環境変化に対しての哲学の進化も要求されるけれど
ある時期の人類社会が一斉に宗教を生み出したほどの事態は
まだきていない。
しかし、ひとの生き方は大きく変化し、価値観も揺らいで来ているのは事実。

どっぷりとご先祖様の生きた世界を探訪してみて
つくづくと、ひとの生き方のありようの違いに気付かされる。
巨視的な視点も持って現代を見返すきっかけにもなる。
そういった意味合いも強いのが、歴史探訪だなと思う次第です。

<写真はまったく無関係です>

ひとの生きざま、家の存続

1556

さて、きのうから新年の仕事がスタート。
懸案もさっそく進展できたり、早々のアポイントも進んだり・・・。
ということで、現代に生きている生活が再起動です。

しかし、瀬戸内世界の旅、
主にご先祖さまの事跡を探訪するものだったのですが、
たいへん印象の深い旅が出来たとおもっています。
わが家は、江戸期から現代までさまざまな浮沈を経験し
祖先に繋がるいろいろなひとが、必死に生きてきたことが、伝わってきます。
そしてわが家系はいま、北海道に渡ってからでも109年になる。
つくづく、家はなかなか存続していかないものだと思います。
江戸期までは、個人をベースとした戸籍制度ではなく
「家長」を中心にした「法人」的な家意識のほうが一般的な考え方だったので、
家系調査の基本になるお寺の過去帳や墓石などに対しても
タテの系図意識ではなかなか理解出来ない部分がある。
天皇家でも、万世一系は謳っているけれど、
皇統を離れてから7世の子孫という継体天皇が
突然皇位についたりしている。
7世というと、わたしの家系で言っても、ようやく名前がわかる程度。
その信憑性については、にわかには肯定しにくい。
また、女系の家系継続性で皇位継承が行われたりもしている。
かならずしも、血の継続性では測ることが出来ない部分が多いのです。
ましてや、市井の何度も零落した家系のこと、
単純にはわかりにくいのだと思う。
そういったなかでも、事跡が比較的にしっかりわかるご先祖さまもいる。
その残された痕跡から、生きてあったときのことをおもんばかることはできる。
わが家は、見えている江戸期には商家としての活動が顕著。
そしてそういう家は、同時に庄屋などの農業経済主体とも
密接な関係を築いている。
江戸時代は藩という独立的な経済体制社会だったので、
一面では活発な地域経済活動が展開されていた。
農家は、より商業価値の高い綿花生産や養蚕などを手掛けたがり、
本来の年貢米に対して、そちらの比重がドンドン高くなっていた。
そこで、支配者側から繰り返し、禁令が発されたりしている。
支配政権は農本主義の建前を取っていたけれど、
賄賂などで「融通」を利かせて、バランスを取るなどしていた。
近代産業社会直前の経済活動が活発だったのだ。
そういった支配体制と実体経済社会の乖離が、
民衆の側にはきわめて「浮沈の激しい」
不条理な、生きがたき世を生み出していたのだと思う。
為政者と民衆の接点としての庄屋などに対する何度もの放火略奪騒ぎに
そういった社会矛盾の集中的表現を見る思いがします。
このように繋がれてきたいのちを
どのように未来に引き渡していくかたちを考えていくべきなのか
生きている人間のやるべきことは、本当に多いし、
また、持って瞑すべき先人たちの事跡を深く知っていかねばと思いました。

兵庫県福崎・古民家復元工事

1565

本当は、ベネッセが運営している直島の安藤忠雄さん設計の美術館を、
と思っていたのですが、その前の日程が長引いて
それでも大丈夫なはずと踏んでいたのが、
あまりにも渋滞その他で時間がかかりすぎてしまって
向かう途中、岡山から美術館に電話したら
「たぶん、そこからでは本日中には到着できない」といわれてしまった。
むむむ、ちょっと時間予定を甘く見てしまった。
やはり遠隔地からの旅程組みは、ちょっとした渋滞などで簡単に吹っ飛ぶ。
その前の訪問地・故地の寺院での長時間の歴史調査が
想像以上に大きな収穫を得られたので、その反動と思い、
諦めざるを得ない事態でした。
まぁやむを得ませんね。またの機会にしようと思います。

その分、最後の目的地・神戸までの時間に余裕が出来たので
表題の故地にも足を伸ばしてみました。
福崎には山陽自動車道から、ちょっと寄り道するような感じで行けます。
ここも、わたしの祖先伝承に関わりがあるとされている。
とは言っても、戦国期の黒田官兵衛さんの時代までさかのぼるのですが(笑)。
そこで黒田さんが世に出る最初の合戦になったという
「英賀城攻防戦」という織田・毛利の戦端があって
その敗北側にどうもわが家は縁があるようなのです。
まぁそういう経緯なので、あんまり自慢にはならないとは思いますが(笑)
別に今更、恥じることでもないでしょう。
で、その合戦から播州での秀吉による出世合戦が始まり
例の「三木城合戦」に引き継がれ、
さらに英賀城も、ほぼ同時期に秀吉によって陥落させられた。
その後、離散した一族の一統がこちらではないかとされている。
伝えられてきた住居は、その建築としての資料的価値と、
町の観光振興の作戦としての活用を期待されて
復元工事が公共事業として行われているのです。
隣接地には町が運営する「もちむぎの里」という
地元食材のPR施設も建てられています。
さらに、こちらの旧家の書庫には大量の「民俗」的資料があったとされ、
それが日本の「民俗学」の開祖とされる柳田国男さんを育てた。
毎日のように柳田さんは、こちらの家に来て勉強していたそうです。
生家の茅葺き屋根住宅もすぐ近くに復元保存されている。
わたしとしても、個人的家系のことばかりではなく、住宅の仕事との
大きな接点として、こちらの工事の進展が気になっている次第。
出来上がったら、取材もしたいと思っていますが、
そういった情報の手掛かりも得られました。
いまの様子では平成30年頃とされるのですが、
気長に完成を待っていたいと思います。

宗教と歴史的戸籍実務

1561

写真は広島県尾道市のある寺の境内。
尾道は寺が多い町として知られているのですが、
なんと、同名のお寺がふたつもあるのだそうです。
ひとつは訪れた浄土真宗のお寺で、千光寺ロープウェイの東側の高台にある。
もうひとつは真言宗のお寺で、東尾道にあるのだと
まだお若い住職さんが教えてくれた。
一瞬、間違えたかなと思ったのですが、
こちらを次兄が訪問した10数年前、年配の住職さんがわが家の家系に繋がる
過去帳からの情報をお伝えいただいたと聞いての訪問だったのです。
しかし住職さんの代替わりがあったのか、
今回はいっこうに情報が得られず、また墓も確認できませんでした。
庫裏を訪れ、問い合わせたけれど
「なにせ、数千のお墓があるもので・・・」という説明でした。
まぁ、ムリからぬところではあります。
しかたなく、少しは関係がありそうな墓域を探し回ったのですが、
やはりよくはわかりませんでした。
日本は明治維新以降、戸籍事務は江戸期までの寺による管理を離れ
国家機構が直接把握する方向に変わったのですが、
しかしそれ以前の戸籍情報は、寺にしかない。
であるのに、行政は税金で運営されているけれど、寺は自営。
結果、興味を持った人間が「志」と書かれた封入りをもって
お寺さんをめぐる、ということにならざるをえない。
というような不合理な管理状態は一般に普及利用されるわけもなく、
なんにでも「お金がかかる」というような忌避感を庶民に植え込んで
宗教施設にはだんだん足が遠のいていって
いつしか、寺の経済的存続自体もあやしくなるようなことになる。
どうも日本人と宗教施設との離間は、こうした社会構造に根があると思う。
江戸期までの宗教施設と今日ではあまりにも違いがありすぎる。

先日、これも尾道の街で
神社仏閣の経済問題、経営の立て直しを承っているという方の
お話しを聞く機会がありましたが、
そのような構造に立ち至っているのがニッポン宗教の現実だそうです。
なんでもそうした現状から建て直すには
国費や公費をどうやって引き出すかが肝心だそうで、
その作戦の数々をお聞きして、たいへん参考になった次第(笑)。
ある道筋にメドがたつと、
大部分は返済しなくてもいい公費が宗教側に流れ込んでくる。
キモは、自己資金努力なんだそうで、
そのためには「名物」とか、「由緒由来」の独特感演出が不可欠。
まぁ、地獄の沙汰もなんとやらを彷彿とさせてくれますね(笑)。

厳島大鳥居in高速

1564

さて瀬戸内世界の旅、きのうはカミさんから言われていた
「錦帯橋」を見に、広島から本州最西端の「山口県」入りいたしました。
わたしは、大体全国を歩いていると思うのですが、
この山口県にはほとんど縁がなかったので、
この機会にぜひ足を伸ばしてみたかったのです。
で、高速に乗って走っていたら、ちょうど朝日の出る頃合いの時間に
「宮島」SAの近くに通りかかった。
その直前くらいから左手の瀬戸内の海と空がすばらしい輝きを見せてくれていた。
導かれるようにSAに停まると、たくさんのクルマでいっぱい。
車外に出てみると宮島、弥山、厳島神社が遙拝できる高台が展望台としてある。
そこにちょうど初日の出見物のようにひとびとが集まっている。
どうやら、ちょっと有名なスポットのようなんですね。
なんの前知識もなく、たまたま通りかかったワケですが、
実にグッドタイミングだった。
そういえば、ことしは初日の出、札幌に居て、見ることはできなかった。
元旦以降、札幌は大雪に見舞われているようなので、
家人に雪かきを任せっきりで申し訳ない気持ちながら、
こんなすばらしい「初日の出」をありがたく拝ませていただいた次第。
2日遅れてなのですが、まぁ天気のいい日の初めて見た日の出
という意味での「初日の出」ということで(笑)。

しかし、現代ニッポン、
なかなかにキッチュなスポットを作っているものです。
朝日は、このSAからは厳島の方角ではなく、
もうすこし広島側の島影から上がってきますが、
その反射光が、うつくしく弥山の島影に映えていく。
ニッポン人の「花鳥風月」は、北海道の自然と出会って拡大したと思うのですが
同時に、現代のエネルギー革命社会でのビッグバンも
こんなふうにわかりやすく実現もしているのだと気付きます。
これはこれで、新しい「日本三景」のありようではないかと
はるかに遙拝させていただきながら思いました。
しかしそれにしても、
瀬戸内世界というのは、つねにこうした海としまなみという
美しい背景装置が、ひとの暮らしを包んでくれている。
その自然風土が、日本人のなかに相当量の感覚世界を刷り込んでいると思う。
よく日本人には善悪感覚よりも、
「うつくしいか、そうでないか」のほうが人生観としても大きいと言われます。
大陸的、普遍的人類的な価値観としては、
思想とか、原理原則のようなものを尊重するのに対して
そういった部分が、ニッポンの特質であるのかも知れません。
それがある場合には、誤解を生んでしまう側面もあるワケですが、
そもそも自然崇拝的な多宗教性がこういった美しさとして、
イデオロギーや宗教とかの価値観以前に日本には存在する。
そんな気分を共有している民族性なのだと気付かされます。
でも、むしろこういうニッポン文化の方が世界言語化、普遍化するのではないか、
21世紀になって、どうもそんな気分もひそかに醸成されている気がする。
いかがでしょうか?

広島・新春神楽まつり

1563

さてきのうは今回の旅のきっかけとなった「広島・新春神楽まつり」観劇。
このブログの読者の方は、わたしの神楽好きはご存知だと思いますが、
前回広島に来たときに神楽会場でチラシを渡されて
そこから今回の旅を思い立った次第なのです。

神楽観劇って、その魅力はなんだろうか?
まぁいろいろあると思うのですが、
ひとつには、神楽団という主体組織が各地域に根付いた存在であるということがあります。
神楽の舞台の合間に「各神楽団団長さんインタビュー」というのが恒例ですが、
そういう話を聞いていると、
「地域の消防団が、もともとの組織主体で・・・」というような話が聞かれる。
それぞれの地域で生活しているみなさんが、
こうした組織の会合を重ねるうちに、地域の神社などとつながり、
その祭礼などの演し物としての神楽を懇請されて、
「・・・んじゃまぁ、やっか! でも時間もないし、ヘタでも怒るなよ(笑)」
となっているようなのですね。
しかしそこは神さま側もなかなかにしたたか。
きっかけはそうであっても、神楽には摩訶不思議な魅力がある。
踊っているウチに陶酔感がハンパなく、病みつきになる。
今回の観劇でも、
「神楽にのめり込みすぎて、消防団をクビになりました」
っていう方もいて、会場で爆笑が起こっていました。
踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃソン。で、みんな熱くなっていく。
そういういわば庶民民衆の息吹が伝わってくる部分がある。
しかも、そういう自然発生的な民俗文化芸能でありながら、
広島には、これを高めていく民衆的な基盤があると思われるのです。
どうも広島カープの応援感覚に近いものがあると思うのは、いかがか。
どの神楽団も、すでにことしの年間出演予定が50を超えているそうです。
週に1度ほどのペースになる計算で、まぁセミプロのレベル。
北海道や都市圏などで、こういう「地域力」のようなものを
たとえば新興住宅地域などで、神社などの存在とは無縁で作ろうとする
まことにムダな努力を税金を使って営々とやっているのですが、
文化への理解がまことに寒々しい。
逆に広島では、現代社会の無地域性の怒濤のような嵐を受け流し、
脈々と息づいている民衆力を見せつけられるような思いが募ってきます。

どうもわたしが神楽に惹かれている一番大きな魅力は
このあたりのことを垣間見ているからではないかと思っている次第。
きのう見させていただいた神楽では
伝統的な勧善懲悪的な内容ばかりではなく、
歌舞伎や能の演目にもなっている義経ものまであって、
歴史劇の奥行きが大きく広がってきている。
このような「地域性」が開花したような芸能文化が、
このまま、日本の一地方、広島・中国地方だけの地域限定的なものになるのか、
あるいは新たな日本全体の文化にまで高まっていくのか、
密かに、大注目させていただいているわけなのです。
ひょっとすると、無味乾燥な現代文化を食い破って
生き生きとした近未来の日本文化が育っていくかもしれないと期待している。
まぁ、なんですが、
いまのところ、中央、東京の現代文化からは大きな反応はない。
たしかにテレビ的な題材とは言いにくいのは事実。
・・・なんだけど・・・。しかし。

播州・英賀神社に初もうで

1557

きのう、もうすぐ大雪になるとされた札幌を離れ、
わたしは播州・神戸空港に降り立ち、
その後、レンタカーで広島めがけて西下しました。
広島で「新春神楽まつり」というのを見に行くのですが、
その道中で、わたしの祖先に関係するいくつものスポットがある
瀬戸内世界を行脚する計画なのであります。

北海道にいま住んでいる人間は
まぁだいたいは本州各地から「流れてきた」、といえばきれいだけれど、
実質は、零落の果てか、一発逆転を夢見てやってきた人々の後裔。
そういうことが、北海道人特有の「こだわりのなさ」に繋がっている感じはあります。
なんですが、やっぱりそれ以前の、本州で家系の先人が過ごした
時空間もまた、激しく心を揺さぶられるように知りたくなる。
わが家系も、浮き沈みを繰り返した末に現在がある次第。
いくつかのロマンを掻き立てる家系伝承があって、
その実質を確認すべく、何人かの親族が調査を行っていまして
わたしは、そういった調査結果を知らされております。
故・司馬遼太郎さんは、播州英賀でわたしの家系といっしょに秀吉・黒田官兵衛軍と
戦った籠城戦の家系伝承を共有しているようなのです。
ことしのNHK大河は黒田官兵衛だそうですが、
かれの青春期の飛躍になった播州・英賀城攻防戦も取り上げられる可能性があります。
その地には城郭内部にあった英賀神社があって、往時のよすがを伝えている。
わたしは、この英賀神社、訪問するのは3度目。
今回の瀬戸内世界探訪でも、まずはご先祖様に敬意を表して
空港からレンタカーを駆って、初詣させていただきました。
あ、元旦早朝には北海道神宮に初詣したので、初詣のハシゴですね。
で、この英賀神社、来る度に「なんか違うな」と感じています。
というのは、普通神社って、「本殿」の前にある「拝殿」は参拝客は上がれない。
その手前に賽銭箱が置かれていて、拝殿越しに本殿を遙拝するように
そのような建築形式が一般的なのです。
ところがこの英賀神社では、衆生がみんなドカドカと拝殿に土足で上がり込む。
で、本殿手前に置かれた賽銭箱の前の鈴をかき鳴らしている。
どうもこの「本殿」が2つに別れていて、畳敷きの「拝殿」があるようなのです。
そのさらに奥に神さまの鎮座する殿舎がある。
となると土足で上がり込む建物はいったいなんなんだろう、と不思議。
しかもこの「拝殿」には、普通神社建築では壁があるハズなんだけど、
屋根だけがあって、壁がない構造になっている。

1559

まるで神楽の舞台のような感じなんですね。
とすると「神楽殿」が拝殿の前にあって、
それがいつしか衆生がドカドカと上がり込むように変化してしまったものなのか?
この城郭は信長の最終敵になった浄土真宗・本願寺の門徒たちの
播州における最大拠点だったそうなので、
こういうような「民主的・大衆的」な建築使用実態になったのだろうか、と思う。
イメージとしては、門徒の一揆衆が反織田の大衆集会を毎日開催して
戦国統一反対の憤激を高め合っていた、みたいな気分が立ち上る(笑)。
この神楽殿で反織田のアジテーターが、畿内情勢の報告をして
「あのクソ秀吉サルめが、極悪非道にも・・・・」などと怒号し、
それに対して「ナンセンス!」とか「異議ナシ!」とかの掛け声が
こだましていたのではないか。
そういう集会会場にどうも似つかわしいと妄想してしまう(笑)。
70年代学生運動と多少とも関わった身には、
どうもそうした空気感が感じられてならない。

初詣のひとびとの様子を見ていても、まことに衆生のなごやかさに満ちている。
庶民的大衆的な「ふつう」感がハンパないのであります。
そんなことで、どうも好きなんですね。
妄想が強すぎるかなぁ(笑)・・・。
あ、でもわが家はその後、門徒から真言宗に宗旨を変えております。
これにはまたどうも大きなナゾがある・・・。
・・・っていうふうに、新春の旅は続いて参ります(笑)。

紅白、綾瀬はるか&能年玲奈

1543

本当に久しぶりに「紅白歌合戦」を見ました。
「あまちゃん」のヒットで、それをネタに使って盛り上げようという
NHKの作戦に、やはりすっかりハメられた(笑)。
でも、夜寝るのが加齢と共に早くなっていて、
さすがに起きて見続けるのは「あまちゃんコーナー」までが限度でした。
しかしそれでも今回は最大の見どころというか、
ふたりの女優さんの明るい天然と緊張系の天然のコラボ(笑)を見せられて
進行のハラハラドキドキ感が半端ではなく、
このふたりがコンビを組んだら、思わぬコメディスーパーデュオが出来るのでは、
っていうような妄想に駆られながら見させていただいていました。
女優としての存在感はものすごいふたりが、
ここまで天然であるということは、ある意味、すごい。
能年ちゃんは、これはもうテレビの即興性要素からは縁遠いキャラが明白。
一方の綾瀬はるかちゃんは、みごとに肝の据わった天然。
多少の間違いがあっても、それを超える存在感で押し切る。
一方の能年玲奈ちゃんの天然は、ハラハラドキドキが激しく萌える(笑)感じ。
このふたり、バラエティではなく、
本職の台本のしっかりしたドラマなどで共演したら
話題性があって、面白みが出るのではないかと思われます。
どっちもキャラとしてのスケールの大きさは感じるので
日本ではあまりない、女性によるクールといやしという対称的な外見で、
しかもコミカルっていうような路線がスパークする気がする。
全体としては、コメディであって、物語のサビの部分はクールっていうのも
ぜひ見てみたいという気がしてみていました。
かなり「鷲づかみ力」がどちらも強い。
たぶん、そんな着想を持ったドラマ関係者は多いような気がする次第。

それにしても、能年玲奈ちゃんはすごい。
これだけ、見るものに保護者的な
ハラハラドキドキ感を持たせる力のあるキャラクターはほとんど記憶にない。
それだけ「あまちゃん」のストーリー性にパワーがあったのでしょう。
そこで獲得した共感力が絶大なので、
見ている側の目線がまるで、肉親に対するそれに近い。
見るものの側にプロレベルの「見方」が生まれてきた時代に
ナゾの多き存在感を放つ「女優」感を、稀有なかたちで持っている気がする。
そして綾瀬はるかちゃんも、違うタイプだけれど、
似ている部分を見て、このふたりの「雰囲気の異化」効果が相乗したら、
っていうような、怖いもの見たさ(笑)が生まれた気がします。

っていうような、意味不明の感想を強く持った40年以上ぶりの
紅白歌合戦鑑賞記でありました。

人間環境の魅力再構築

1548

ことしもついに大みそかですね。
きのうは、「あまちゃん」のダイジェスト版が一気に放送されていて
断続的に視聴しておりました。
わたしたち夫婦は、完全にあまロス症候群でして
能年玲奈ちゃんが顔を見せると、あの空気感に
完全にアタマが支配されてしまう。
ダメですね、ちょっと見たら、もう目が離せなくなって、
あのシーン、このシーンが思い起こされて、ジンと来てしまう。
ダイジェストでは放送されなかった印象的な場面も多くて
われながら、そのハマりぶりに呆れてしまいました。
で、本日は何年ぶりかで紅白歌合戦を見ることになるでしょう(笑)。

なんですが、
その合間を縫って、坊主も一緒にカミさんの実家へ。
その帰り道、札幌市中心部の銀行を記帳行脚。
カミさんが記帳に走っている間、
坊主と、札幌の街の様子を巡って会話しておりました。
わたしは、北海道の戸建て住宅の「居住性」の向上が
大きな事業領域で過ごしてきたわけですが、
もうちょっと広く、人間環境ということに視野を広げて、
札幌という都市環境の「ここちよさ」について、いろいろに話し合いました。
わたしは、年来、札幌の街の魅力の無さというか、
街の表情の乏しさについて、危機感を持ってきております。
札幌は碁盤の目のような整然とした都市計画が基調的な計画都市であり
それ自体は悪くはないと思うのですが、
そしてモータリゼーションの時代には一定の優位性もあったと思うのですが、
いま、見返してみると、
その街区の魅力のなさ、想像力の欠如が目についてなりません。
東京は、慢性的なクルマの渋滞が指摘されますが、
しかし、低炭素型のコンパクトシティとして見返してみると
日中、たぶん3000万人規模の働いて動いている人口が
主に公共交通機関を縦横に利用して過不足なく
コミュニケーション活動を営んでいるという意味で、
たいへん未来都市的魅力を放っていると、わたしは感じています。
高層に積み上げられた労働・コミュニケーション空間が
密度高く空間構成され、
その高密度の中に、広大な緑地環境も適度に維持され、
また神社仏閣や、古い木造街区などの
低層で皮膚感覚に訴求するような「いやし」の空間も点在させてある。
人間の活動環境としての都市の魅力に於いて
ある意味、未来的な人類共通の目標価値観がどうも実現しているように
そんなふうに思えてなりません。
2020年のオリンピック開催は、そんな都市環境が世界に再評価される
大きな契機になるように思われるのです。
こんな考えはまだ少数派だとは思うのですが、
しかし今後の人口減少社会を考えると、
高密度コンパクトという都市形状は、人類的目標だと思うのです。
そうなることが、エネルギー利用の面でもはるかに合理的になる。

で、そんな思いで現状の札幌の街に
大きな危機感を抱かざるを得ないのであります。
北海道ではこの問題を大きく訴求していきたいと思うのですが、
行政単位としての「札幌市」には、どうも
このような発想力がないのではないかと危惧しております。
そうでなくとも札幌市は、北海道という行政機構に対しての
対抗的な意識ばかりが強く、
合目的的な未来都市環境構築というような考えが見られない。
まことに懸念させられている次第。
すこしづつ、こうしたことについて、
訴えていかねばならないかなぁと、そんな想念を抱いております。
年末年始のこのブログから考えてみます。

仕事の信用づくり

1555

きょうは銀行の年内営業終了日。
ということで、銀行の記帳その他、〆の作業があります。
生きてきた時間以上に独立してからの時間の方が、長くなってきた。
仕事との関わり方って、それこそひとそれぞれでしょうが、
わたしの場合、独立して会社を作って、なんとか30年以上やってきました。
いわゆる初代としての生き方を生きてきたわけですが、
たいへんわかりやすく、自分というものが正直にそのまま、であります。
まさにこれ以上でもこれ以下でもない、まんま。
好むも好まざるとに関わらず、そのまま受け止めるしかありません。

その後を誰がやっても、ある程度やっていけるメドを付ける、という「仕事」も
自分であれこれ、ない知恵を絞っていかなければならない。
まぁ現代ですから、IT関連やら急成長可能な事業領域も多いでしょうが
北海道をベースに地方中小零細出版事業としての仕事をしてきました。
自分では、そういった仕事を北海道で作ることに
ある意味での価値観をもってきたのですね。
普遍的に価値があるのかどうかは、まぁわかりませんが・・・。
で、初代ができること、みたいなことを考え続けています。
なんか、古いなぁ(笑)。
しかし、徒手空拳とまではいわないけれど、創業するっていうことは、
わたしたちの年代でもあんまり多くはいなかったし、
見渡してみても、そうは多くないのだなぁと思います。残念ですね。
まぁやってみてそんなに大変なこととも思えないけれど、
あまり多くの人がしないような経験は、いろいろたくさん積むことはできた。
ある程度、組織が出来上がっている2代目や3代目とは違う部分はある。
なんといっても「基礎」づくり、「信用づくり」ということになります。
これだけは初代にしか出来ない。
まぁどこまで出来ているかは定かではありませんが、
それを肝に銘じてやってはきた気がします。
独立してはじめたときに、それまで会社勤めをしていて、
そこで知り合っていた印刷会社さんに仕入納入をお願いしたら、
体よく断られた経験があります。
そのときに、あぁそうか、信用を得るというのは簡単なことではないのだな、
それまでの会社員としての仕事ぶりで、
信頼を得られていなかったのだなと思い知らされました。
そこから、こちらからは不義理をしないように、
仕入れ先には丁寧な対応を心がけたように思います。
まぁこれも相対的な気持ちの問題ではありますね(笑)。
こっちはそう考えていても、とんでもない会社と思われているかも知れません。
そういう機微を教えられて、
そのときの対応をしてくれた会社さんにはある意味、感謝しています。

やはり、金銭のことに最後はなるわけで、
年の瀬に、いつもやや、厳粛な気持ちにさせられる次第であります。