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こんにちは、オオウバユリ

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さて、札幌に帰還して朝の散歩路を歩いていたら、
円山自然林のなかで、去年からその群生ぶりを見掛けていた
オオウバユリたちの元気のいい姿が際だってきていました。
去年の発生ぶりと比較しても、さらに多数の個体が群舞しています。
この様子では、円山の森でも最優勢な植物群になるような勢い。
ある種に注目して見ていると、こういった変化が見えてくるのですね。
昨年、はじめてこの植物を注目して見たのですが、
ちょうど今の時期、すっくりと立ち上がった姿から、
頭頂部の花芽が大きく開こうとしている。
その個体によって、さまざまなプロセスにあって、
立ち姿がそれぞれに個性的な美しさを見せてくれています。

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昨年もこの植物について書いたので
記憶されている方も多いでしょうが、
このオオウバユリは、アイヌの人たちにとって貴重な炭水化物摂取源。
この花の根の部分を粉にして、食用に供するのだそうです。
ごく少量しか農耕を行わなかったかれらにとって、
森の中で自生するこのオオウバユリは、いのちをつないでいく
民族的なエスニック食源だったのだということ。
そういうことを知ってから、あるリスペクトを感じている次第。
自然林のなかで、この姿を探し続けるようになったのです。
昨年は姿を見るのが、もうちょっと早かったようにも思うのですが、
ことしはちょうどいまが、いちばん面白い時期だと思います。
一番下の写真では、左から昨年のオオウバユリで、
こんなふうに枯れているのですが、
そこから種子が周辺に群生をはじめて芽吹き、
徐々に花芽が膨らんでいくのです。
そのさまざまな表情を、きのうは各所で見ることができました。
きょうもこれから散歩に出かけたいのですが、どんな表情で迎えてくれるか、
無上に楽しい気分を味わわせてくれています。
可憐でゴージャスな美しさ、しばらく楽しみたいと思います。

1950年代東京都市住宅文化の残照

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きのうも触れた江戸川区の住宅です。
「戦後すぐに建てられた」という説明だけだったので、
詳細な建築年代特定はできませんでしたが、おおむね1950年代、
ひょっとすると1940年代建築という建物のようです。
敷地が500坪超ということなので、地域有力者の邸宅だったでしょうが、
震災と敗戦後の住宅ですから、近代の街割りのなかに
違和感もなく、自然に溶け込んでいた住宅だったのだろうと思います。
江戸から自然につながっている
東京のある時代の雰囲気が残されているのでしょう。
「戦後」というと、アバンギャルドで前衛的カルチャーのほうに
耳目が集中するきらいがありますが、
しかし現実的には、それまでの社会規範との連続性を意識した
「保守」的な生活文化が圧倒的に存在していたのは間違いがない。
そういった「分厚い保守」が基本を構成していたからこそ、
アバンギャルドもまた、存在感を持ち得たのだろうと思います。

そんな思いで、この住宅を感受していました。
1枚目の写真は、生け垣越しに見える
建築のフォルムと瓦屋根、妻壁の質感。
均整の取れた屋根の連なりは、静謐な秩序感を伝えてくる。
生け垣はやや手入れがざっぱくになっていて、
しかしそういうやつれ方もまた、ある風情、メッセージになっている。
2枚目は玄関内部の円窓周辺のディテール。
いかにも繊細な障子の格子デザイン、手すり的に使える矮化した木が
得も言われぬ存在感を見せてくれる。
さらに薄く重ね張りしている柱が、そのふたつをつないでいる様子など、
全体として一体感のある生活文化スタイルを主張しているかのよう。
3枚目は、縁側を覆う2.4mの軒の出を支える梁。
長尺で構成されているので、真物の梁同士を継ぎ合わせています。
それに込み栓(コミセン)が付加されています。野地板はヒノキ。
4枚目は、居間に使われた竹のフロア材。足にやわらかい質感。

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まだ建築途中なので、柱などに養生がされていますが、
このような南面縁側が造作されて、深い軒の出(2.4m)が
この中間領域を守っています。
旧家の石材が再利用されて庭園造作に使われるべく、用意されていました。
こういった中間領域は、現代建築ではほぼ無視されていますが、
日本人の生活伝統には切っても切れない空間。
ここから樹木を配置した庭に対面して、四季の変化を体で感受した。
この新たな空間は、旧家の生活スタイルを連続させたい希望に添った
生活デザイン装置であります。
都市東京で、やや大型の住宅とはいえ、
こういった空間装置が一般的だったことが伝わってきます。
かつての「都市住宅」においても、こういった庭と中間領域こそが
日本人にとって大切なライフスタイルを提供していた建築装置、空間。
たぶん、精神生活的にはこういう空間こそがメインステージだった。
建物内部以上に、繊細な感受性を持ってこうした空間を作ったに相違ない。
こう見てくると純和風なだけに感じられますが、壁にはスタイロフォームが
75mm充填され、開口部にも外部アルミとはいえ樹脂サッシが使われています。
詳細な建築仕様は確認していませんが、断熱配慮もされています。

紛れもない「都市住宅」のありようとして、こういう生活文化も
かつて東京には存在していたことを、この建物は教えてくれますね。

戦後70年、変容圧力を受け続けた東京暮らし

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きのうは東京出張の最終日で、都内江戸川区での住宅見学。
もよりのJR駅から徒歩10分ほどの住宅の進行中見学。
SNS時代になって、このような「進行中」の案件を知る機会ができてきて
本当に得がたいリアルな情報をゲットできると思います。
関東大震災後の復興において、この地域を含む東京の下町エリアは
都市計画上は比較的に整備された区画整理が行われたと言われます。
今日近辺を歩いてみても、道路幅はやや狭めだけれど
かなり整然とした街割りになっていて、秩序感がきちんと感じられます。
京都の街路整備は江戸期以前からの日本都市居住文化を表現していますが、
そこでは間口が狭く、奥行きが長いという「町家」街割りであるのに対して
この地域では、「庭付き戸建て」という、
たぶん江戸時代中級武士の家を基本にした
「都市住宅」街割りが、整然と展開しています。
戦災の影響を受けなかった札幌の街割りとも共通性を感じます。
札幌は開拓使の「お抱え外国人技師」たちによる
欧米的な都市計画が基本的に存続しています。
おおむね500坪程度の区割りによる、ほぼ正方形のような住宅地。
サイズが小さめとはいえ、この東京東部の街割りにも共通性を感じます。
しかし、日本の戦後復興は結果としてみれば、
インフレによってその原資を獲得したと言われるとおり、
こうした、いわばきわめて常識的なまちづくり、家づくりの基本構図を
まったく破壊するような、「土地本位制経済成長」が東京の「居住」を襲った。

見学させていただいた住宅は
戦後すぐの時期に建てられた敷地面積500坪くらいもありそうな邸宅。
(正確な情報は確認していません、悪しからず)
旧宅は、それこそ中級武士の家をデザイン的にも踏襲したような
立派な門が設えられていて、
みごとな瓦屋根の景観が、生け垣越しに覗けるようなお宅。
それこそサザエさん家が、叶わぬ遙かな「坂の上の雲」としたような
戦前までの日本の都市居住文化のかたちを表現したような住宅だと思います。

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庭にはいまでも、青い苔に彩られたみごとな松の木があり、
その庭園と人間の暮らしの息づかいが残照として残っている。
しかし現代において、このような日本文化的都市居住は延命しづらい。
相続が数回繰り返されれば、こうした住居を維持延命することはほぼ不可能。
この家も、「どう住み続けていけるか」と考えた結果、
大きな敷地を分割し、東南角地を東西に2つに分け、
立派な門のあるほうを売却する方針を固めて、
西側にあった旧屋部分を解体してそこにあらたな住居を新設して、
そちらに移転したうえで、なお一定の庭を確保した後、道路に面した部分を、
この土地で生き延びる収入を得る貸駐車場とする計画。
そうすることで住宅デザインとしては建築の高層化を防ぎ、平屋の新設住宅にも
たっぷりの南面採光を確保したいとするものだそうです。

そうなんです、戦後の経済成長を担保した土地インフレのなかで、
いわば激変した経済環境条件の中で、生き延びるための
社会システム上の「整理整頓・知恵と工夫」のほうが
東京での家づくりの最大テーマにならざるを得なかった。
積雪寒冷という与条件のもとで、高断熱高気密という解を明確にして
性能とデザインを考えてきた、わたしどものような住宅雑誌としては、
きわめて刺激に満ちた大テーマだと受け止めた次第なのです。
どちらも「持続可能な家づくり」と、
言葉では同じ言葉でまとめることが可能だけれど・・・、
ちょっと戦闘モードに着火したような気分がしてきています(笑)。

エゴとの戦いも、都下あきる野・薪ストーブの家

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さて、一昨日の都内でのイベントに引き続いて
きのうは、八王子夢美術館での「戦後日本住宅伝説」見学の前に
都下、あきる野で住宅を見学させてもらいました。
ある都内の設計事務所が関与した住宅の現場見学会があったのです。
やっぱりこういうフィールドワークが、現場的なリアリティをもたらしてくれる。
一昨日たっぷり体感してきた「東京国際Bookフェア」については、
そのうちにご紹介したいと思いますが、
どうしてもビジネス的な興味での関心が強くなっていくのに対して、
本来のテーマ領域である住宅に関連してくると
いわば、体感とジャーナリズム的な部分が盛り上がって刺激的(笑)。
きのうのブログも、東京在住のみなさんに挑発になったようで、
大変多くのコメントが寄せられて、そういう意味でも刺激的。
首都圏での家づくり現場体験は、ちょっと4年ほど離れていたのですが、
すっかりジャーナリズム的戦闘モードが着火したかも知れません(笑)。
やむを得ざる理由で、現在は休刊しているのですが、
実は4〜5年前に、Replan関東というかたちで3号ほど出版して
自分の中には強くテーマ意識があるのです。

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写真が、見させていただいた住宅であります。
外壁はガルバリウム鋼板張りで、室内は構造や床材など紀州の材を使い、
壁天井には紙クロスを張ったり、自然素材がたっぷりと使われた家。
居間には薪ストーブが鎮座しています。
よく薪ストーブについての木の燃焼のニオイへの「苦情」が寄せられることが
人口密集地では多いと聞きます。
そのあたり聞いてみると、やはりそういう個人主義の拡張エゴとも思えるものと
戦う部分はあるのだそうです。極端に言うと
燃焼させる前から、役所に苦情を申し入れられたりするケースもあるそう。
札幌のわが家の隣家は、薪ストーブを楽しまれていますが、
その燃焼の匂いに、郷愁と羨望の念を持つことはあっても
苦情を言うという心理は、なかなか理解が困難であります・・・。
現場で聞き取った範囲では、敷地が35坪前後。
施工者から周辺地域の敷地状況を聞いたら、もう少し大きめ40坪前後で
この家は、やや狭めの敷地だと言うこと。周辺地域では
「大体4,000万円掛けられれば標準的」というのが実勢なんだとか。
これくらいのコスト感覚だと、札幌などともそう違いがない。
ただ、都心までの通勤時間距離は1時間半くらいでしょうか。
やっぱりサザエさん、これくらいの地域が、ふさわしい居住地ではないかと
そういえば、クレヨンしんちゃんは確か、埼玉県の都市居住。
時代によって住む場所も変化していかねばならない、庶民の姿を移す営為も大変。
「凶暴になって来たゲリラ豪雨などから家を守ること」が
断熱などよりも、優先度が高いというように語っていました。
ごく常識的な住宅建築で手頃感があり、まことにリアルな感覚を持てた次第。
外観はごく一部の表現に留めました、ご理解ください。

高価格土地持ち庶民・サザエさん家はシアワセか?

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わたしは出版人ですので、毎年開催される「東京国際Bookフェア」には、
必ず見学参加しております。
同時開催される、出版関連イベントも興味があるワケです。
でもまぁ、その他に東京での家づくりの断面も感じたいと
いろいろ3日間、住宅も見学して回るのですが、その一環で、
サザエさん家をいまの時代に考えるというイベントもあったので、のぞき見。

住宅の方の「サザエさんネタ」というのは、よく使われます。
戦後の余韻の残る時代から始められた「サザエさん」は、
ホームドラマの基本形のように日本人に刷り込まれていますね。
そのサザエさん家は、高度成長とバブルを経て、
都内有数の住宅地にある敷地面積推定80坪以上なワケで、
とても「庶民の家」ではありえない。たいへんな「資産家」。
しかし、普段の暮らしではごく普通の日本人。
そこに暮らしている人たちが全員、所得が急上昇しているわけはない。
土地の値段は上がったとしても、それを所得上昇にリンクさせる方法は
一般人にはそうはない。売るしかお金にする方法はない。
売らないまま、そこに住み続けるのが一般的なスタイル。
東京都内に戸建て住宅を持っている、あるいは土地を所有している人は
おおむねこうした人々になる。
建築に携わる人間としては、そういったキャラクターのひとたちと
向き合って戸建て住宅の相談に乗っているのでしょう。
「1坪230万円の敷地をなんとか手に入れたけれど、
そこでお金は尽きてしまって、住宅には予算が1500万円しかない」
っていうような相談が、ごくふつうの相談なんだとか。
・・・ふ〜む、であります。
まぁ以前、都内の住宅取材もしていたので、了解できる。
こっちでは20〜30坪くらいが標準的な土地の広さなのでしょうが、
それでも土地だけで億単位前後になる。
億の土地に、1500万円の家というのは、なんともツライのですが、
住宅の設計者・施工者にとっては厳しい現実です。
展示されていた模型を訪れるみなさんに説明されていましたが、
この模型自体は、やはりそれ相当のコストを掛けた住宅プランとして、
楽しくプランニングされていました。
それ自体は面白いけれど、聞く側の反応もまた、それなり。
どうもリアリティの所在は感じにくいと思われました。

一方で、行きの飛行機でバッタリ出会った
札幌在住の建築家・照井さんに聞いたら、かれはよく東京圏の建て主の
住宅設計をしていて、きのうもその打合せだったそうです。
「こっちの建て主さんは、夏に過ごしやすい、冷房に頼らなくても涼しい家を
まるで羨望するように希望してくれる」と話してくれました。
たまたま機会があって、1軒2軒と住宅設計していって
その住宅を高断熱高気密仕様で、しかも日射制御を考えて建てたら
口コミで、友人知人にその輪が広がっていくということ。
東京で、高い土地コストの上に建てる住宅ユーザーとしても、
土地と住宅建築の費用バランスを取るのに、納得できるのは、
デザイン的な面白さよりも、むしろ住宅性能である気がします。
この土地で、暑さから自由になる生活が得られれば、
居住満足度は、しっかりと感受できるのではないか。
そんなふうに思いつつ、見学させていただいていました。

感受性を扱う仕事の環境

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わたしどもの会社は、住宅の雑誌を作っているのですが、
こういう仕事って、ひとの感受性を扱うビジネスだと自己規定しています。
住宅って究極的には、ひとに癒やしを提供する装置。
都市居住のほうが、現代人ははるかに多く、
たとえ地方居住とは言っても、地域の「中核的都市」との「利便性」が
大きな生命維持バックグラウンドを形成している。
そういった大きな意味での「利便性」と、「癒やし」の間で
揺れ動き続けているのが、現代生活だろうと思います。
その現代人の暮らしの基盤が、住宅であるのだと。
基本的には利便性という大枠の中で、しかし、癒やしをどう実現するのか
住宅が考えるべきことは、基本的にはこのポイント。

で、そういうことを考え続けていく環境はどうあるべきか、
事務所環境構築で、土地購入から建築まで経験し、
そこから建物や周辺環境の維持管理を続けているわけです。
むしろ、そういうことの「管理者」という側面の方が
だんだんと大きくなってこざるを得ない。
よりよい「情報品質」を生み出す環境は、どうであらねばならないか、
そんなことを日々考える部分があるのです。
大きくは、環境全体を考える仕事なので、
建築家のみなさんと共有する部分が多いけれど、
環境を受け留める主体に特殊性があり、ちょっと違いがあります。
そうすると、やはり緑や建築と共生する「ゆらぎ」の環境構築に、
いちばん関心が湧いてくる次第であります。
感受性が受け取る情報系で、いちばん参考になり得るのは
自然が訴求してくるデザインであることは間違いがない。
ながく四季変化を経験してきて、自然が発するサインには
あらゆる意味での完成されたデザインが仕込まれていると思います。
そういう、いわば人間の「共通の感受性」を通信ルートにして
無意識的に「伝わっていく」表現活動というのが、求められていると。
たぶん、この国、この風土の四季変化をもっとも雄弁に物語る
植栽・樹木などが、すべて人間コントロール下に置かれているのが
京都などの積層した日本的文化遺産、資産群だろうと思います。
一方でまだ、日本人の文化意識が十分に刷り込まれているとは
言い切れないこのフロンティア、北海道で
こうした人間環境を考え続けることは、刺激的である部分が多い。
そんな雑感をいつも感じ続けております。

さて本日から3日間、東京への出張であります。
梅雨末期、蒸暑の空気感をたっぷりと体感してきたいと思います(笑)。

街の表情・オリジナル店舗デザイン

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つかの間、帰省していた娘は帰っていきましたが、
一緒に行った函館でのワンショット。
以前函館に行ったときに、ついに食べられたラッキーピエロです。
函館地元の「地ハンバーガーショップ」ですが、
その独特のコテコテな店舗デザインも、印象的であります。
この写真の店は、函館の新たな中心と言える五稜郭に隣接しています。
そういう意味では、全国、世界からの観光客の目に一番触れるような店舗。
ちょっとレトロなアメリカ西部の庶民的な郷愁を誘う、とでもいえるデザイン。
基調にはやや淡目の緑が選択されているようです。
この印象は、近くの五稜郭タワーに上ってそこから見下ろしてみても
確認できました。

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どうやら、緑色のカラー鉄板の屋根の色が
基調カラーに設定されているのだと思います。
こういった色使いのセンスは、店舗のカラーとしてさまざまなプロセスを経て
決定されてきたのでしょうが、
地元の人たちにとって、広く受け入れられてきているという意味では
「地域のデザイン」感覚として、
現代の函館のイメージの一部分を構成していると思います。
こういったオリジナリティのある
「店舗と地元民とのコミュニケーション」を見るのはものすごく楽しい。
また、ハンバーガーショップというのは、
比較的に新しく日本社会に導入されたビジネス形態ですが、
大手のチェーンばかりではなく、地域ビジネスとして
地域の風土に独特の景観を形成させるまでのパワーがある事業形態が
出現してくるという意味でも興味深い。
日本という社会は歴史的に、常に海外からの文物を取り入れてきているけれど
それが一定の進捗を果たすと、その後、
強い「地域化」という作用が起こってくる風土を持っている。
漢字を導入して、すぐに「かな文字」を発明したりする社会。
そういった意味では、もっとほかの領域でも、こうした
「地域オリジナリティ化」というのは、発生してくる可能性がある。
で、このような外からの刺激の後、地元化したもののなかから、
まったく無国籍だけれど、どことなく日本的な風情の感じられるデザインが
現れてくるものなんだろうと思うのです。

のびのびと楽しげに地元のみなさんを誘引し続けている
POPアートのような店舗外観を、共感を持って見続けていました。

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おまけで、同じ五稜郭タワーから見下ろした近くに
キリスト教の宗教施設の「屋根広告」が見られました。
宗教的熱意には、やや打たれるような思いを持ちました(笑)。

良くデザインした住宅の「流通」

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住宅をプランニングすることって、
第1には、「どう暮らしたいか」「どう生きていきたいか」
ということをかたちにしていく営為であることがコトの本質。
もちろん、家を建てるときに常にそこまで考える必要があるわけではなく、
第2には「必要に応じて」取捨選択するという方法も取られていい。
大きく分ければ、前者のような「建て方」と
後者のような「選び方」のふたつが、分かれ道になるのだろう。
住宅の「建て方」を考えていくほうが、
わたしどものような「住宅雑誌」としては、より本然の興味分野に近い。
しかし、一方で「選び方」にも、建て方を理解するという
そういった営為があってもいいのではないかと思う。
しかし、現状の「選び方」と「流通市場」には、そのような視点はほぼ
皆無と言っていいのではないだろうか、と思っている。

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きのう、知人の建築家・赤坂真一郎さんのFacebookを見ていたら、
かれに頼んで建てた住宅で、Replan誌でも取材で取り上げた
印象的な住宅が、施主さんのやむを得ざる理由で手放されるという
情報が流されていた。
なぜか、すごい興味を感じてすぐにシェアして
情報の拡散に協力したのだけれど、
不動産流通市場に、こういった価値感をどう伝えていくのか、
そんなことに強い興味を持っているのだと自分で感じた次第であります。
「建て方」をじっくり考えて作った家とはいえ、
モノとしての価値が「現状有姿」だけで流通市場で、
基本的な価格が定まっていくこと自体は仕方ないけれど、
そこに「付加価値」としての、人間営為の価値をどう評価すべきなのか、
けっこう、面白いテーマだと思ったのであります。
オークションではないけれど、不動産のサザビーのようなものがあれば、
こうした価値感も伝えていくことが可能なのではないか。
そうした価値感を世に存在させていくためには
どういった知恵と工夫が発動されなければならないか。
人口規模から見て、家族数をはるかに超える住宅資産が
日本社会では形成されているのに、
こういう「不動産ビジネス」が、まだ考えられていないのではないかと
そんな着想に駆られた次第であります。
ではどう「評価尺度」を作ればいいのだ、という論議になると思いますが、
ちょっと考え始めてみたいな、と思っている次第です。
ご意見を聞かせていただけると幸いです。

野生からの理不尽な危害と自衛

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きのう朝、森の中を散歩中、
どうも上空でカラスが騒がしいなと思っていましたが、
ちょうど森を抜けたところで、後ろ側から
後頭部に対して、カラスからキック攻撃を受けました。
アタマには帽子をしっかりかぶっていましたから、
ケガをしたりはしませんでしたが、ビックリであります。
こういう「自然からの理不尽な攻撃」の痕跡は、
軽い疼痛のように後頭部にいやな残影感が残っておりました。
どうやら、カラスが人間の遊歩木道の上方の木に
子育ての巣を作ってそこにヒナがいるようで、
四六時中、ちょっとでも不安になると「助けて」という呼び声を上げる。
かれらにしてみると子どもを安全に育てたいという一心での、
防衛的な攻撃作戦発動なのでしょうが、
こっちにしてみると、まことに理不尽な攻撃であります。
やはりその攻撃を加えてきたカラスには、憎悪を覚えざるを得ません。
思わず言葉で「こら、おかしいじゃないか」と言ってしまった(笑)。
他の通行者の方から「相手にされない方がいいですよ」と
至極当たり前のお言葉をいただき、すぐ冷静に戻りましたが、
わたしは攻撃する意図などはもちろんなく、まったくただ通行しただけ。
とはいえ、相手には話し合いも通じるワケもありませんから(笑)、
本日からは散歩ルートを変更しようかと考えています。
かれらは一度敵対的だと相手を認識したら、
その顔を記憶しておく習性があると聞きますから、
目を攻撃されたりすると困るので、回避的行動を取った方がいい。
自然界のことなので、やむを得ないのですが、
他の方にも攻撃が加えられている可能性がある。心配ではあります。
ことしは春先にはあんまりこうした子育て時期のカラスを
見なかったのでありますが、初夏になって出てきたようです。

いま、国会では安全保障法制論議が行われているわけですが、
人間社会でも、こういった理不尽な攻撃は避けられない。
現状を変更しようとする他国の意図は、こちら側からすれば
まったく不当な攻撃だとなる。
国家間ではこうした攻撃に対してこっち側から回避すると、
その地域は攻撃を仕掛けた他国の領土にならざるを得ない。
フィリピンと中国の現状はまさにこれと同じ。
日本も尖閣や竹島で同様の攻撃を潜在的に受けている。
それらに対して自制的に、防衛作戦を可能にしなければならないときに
カラスと同様な相手の行動の現実を踏まえないで論議はできない。
平和はこっち側の不断な防衛努力によってのみ保たれる。
間違っても、カラスと同調するような論は、あってはならないと思います。
「戦争を可能にする」と金切り声で叫んでいる勢力があるけれど、
やはり、相手国に同調しているように思えてならない。
冷静に話し合いを持つためにも、
防衛努力はしっかりと相手に理解させる事が必要だと思います。

函館古建築再生 欧風料理・紫ぜん

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最近、休日というと足を伸ばして
道内のあちこちまで探訪にクルマで遠出して歩いております。
きのうは娘がちょうど帰郷していたので、親子3人で函館へ。
運転を3人でシェアできるので、移動もラクラク。
行きも帰りもほぼ等距離を3人で分担していました。
札幌を出て、倶知安回りコースで毛無峠を下るまでと、函館市内、
さらに帰り、函館市内から八雲の高速パーキングまでという
少し神経を使うコースだけはわたしの運転で
ほかは娘とカミさんに任せていたので、本日朝も、体調万全であります。

前回、ゴールデンウィークに函館を逍遙したとき、
金森倉庫付近で気になっていたお店があったので、
そこで食事したい、という希望を叶えたかったのであります。
ただし、函館のその場所に来るまで店の名前もわかりませんでした(笑)。
前回来たときには、お昼時、満席のようで、やむなくパスしていた。
なので、函館に着いたら、すぐにお店まで直行して、
店名を確認してすぐに電話して予約しました。
今回は無事にお昼の予約完了。
安心してショッピング・観光後、食事に来た次第であります。
店名は、「欧風料理・紫ぜん」というお店。宣伝文句では・・・
函館ベイエリアの金森倉庫付近にある明治館の南向かいに位置する
欧風料理「紫ぜん」。明治時代の後期に建てられ、
海産物などを保管していたとされる土蔵作りを改装。
味のある店内は、梁や柱、屋根は当時のまま。
誰もが懐かしさを覚える落ち着いた雰囲気になっています。
新鮮な魚介類を中心とした「お箸で食べる本格欧風料理」は
若い方から年配の方までと、幅広い年齢層のお客様に愛されています。
雰囲気抜群の店内、こだわりの料理、そして、器もお洒落。
美味しいだけでなく、見た目の美しさも魅力の一つ。
・・・っていうのが、売り文句であります。

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ちょっと早めに着いたのですが、
お店の中が雰囲気がいいので、お願いして店内を見させていただきました。
そうしたら、シェフの方が案内もしてくれました。
なんでも、店の裏にある旧家の「土蔵」をお願いして改装させてもらって
店舗に賃貸利用させてもらっているのだとか。
函館は、江戸から明治にかけて、北海道の事実上の都として
商業も栄えた歴史のある街。
そういった奥行きが十分に感じられるたたずまいを見せてくれます。
主要構造の柱や梁、土蔵などはそのまま利用しているそうです。
やっぱり古くてもいい建築は、利用の価値がむしろ高まっていくもの。
若い建築には絶対に出せない味わいが感じられます。
これからのニッポン、こういった建築的知恵の方が大事になってくると
そういった思いがより強く確信できたお店でした。
あ、もちろん、料理もすばらしいおいしさ(笑)。
コストパフォーマンスも驚くほどでしたよ。