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【北海道地震・停電災害2日目】


みなさんお元気ですか。停電下の札幌からお伝えします。
以下、日記風にきのうの1日のことを書いてみました。
WEB接続も不安定になってきたので、たまたま接続できたいま、
備忘録的に書いておいたことをそのまま載せることにします。長文で失礼。

きのう9月6日午前3時7分、すでに起床していて朝の準備のために
台所で調理の準備、食器類の洗い作業をしていたところ、
ふいに横揺れがして、その直後に強い突き上げるような地震。
直後に電気が停電して、スマホから「地震です」という警告音声が流れた。
とっさに「ああ、これで一巻のおわりか、このがれきの中で死体をさらすのか」
と絶望感の中で思った。天地左右の方向感覚がややズレてもいた。
しかし、次の瞬間からやや落ち着きが出てきて
寝室にいるカミさんも目覚めていることに気付いた。
家の中を夢遊するように彼女の元にたどりつき、無事を喜んだ。
そこから対応行動をはじめた。
まずわが家は事務所一体建物でSECOMロックをしていて、
それが停電条件下でどう動作するか、万が一家から出られないことも危惧し、
ロック解除のため書斎コーナーにSECOMカードを取りに向かった。
そのときには動揺していたせいか、やや水平垂直の感覚がおかしくて
すでに建物の天井、コンクリート面が水平を維持していないように認識された。
かまわずにカードを取りに行き、引き返してロックを解除させた。
そこでまずは玄関に向かい、そとの状況を確認した。
そとは比較的静穏な状況であることを確認できた。
玄関にアナログロックをかけて居間に戻った。
カミさんとふたり、お互いにスマホを握りながらいろいろな情報摂取を始めた。
現代災害ではスマホがまず基本的なインフラであることを再認識できる。
被災当日の午後近くになって、通信状況が不安定になっていったけれど、
災害発生時直後は、比較的に通信環境は維持され続けることが確認できた。
これはわが家が札幌市西区の中心に近い場所にあることが与っているのか、
もっと一般的なことかよくわからないけれど、たいへん助かった。

まずは、家族の状況を確認するために家族で共有しているLINEに接続し、
同じ札幌に住んでいる娘と東京にいる息子とで情報を交換した。
それぞれの無事を確認できて、まずはひと安心。
この日は息子の誕生日だったけれど・・・(笑)。
カミさんの実家の義弟とも連絡がついて義母の無事も確認できた。
わたしは、Facebookで多くの人と情報交流しているので、
さっそく個人ページにこの被災状況についての速報をながした。
そこから終日にわたって多くのみなさんが気付いていただいて、
たくさんの反応をいただいた。深く感謝します。
そのように「繋がっている」実感は、冷静な判断力を
持ち続けるためにも重要だと思った。
わたしは毎日更新のブログを書き続けているので、
一段落してから、このブログ更新に向かった。Macは地震前に立ち上げていて、
貴重な「光源」としても機能し続けていた(笑)。
停電してもノートパソコンなので、フル充電のバッテリーで継続動作する。
考えてみればこいつが、地震をまたいで継続した「日常性」そのものか。
わが家は事務所一体で有線LANネットワーク環境を装備しているが、
こちらは停電のためにWIFIも含めて動作しない。
そこでiPhoneの通信接続テザリングに切り替えてネット接続し、
短めのブログを書き、それをSNSシェアして情報発信させた。
9月6日の更新は、午前5時過ぎとたいへん早い時間になっているけれど、
毎日更新と自分で決めていると、こういうときにも意識平衡維持機能が働き
ふだんやっていることをやろうという気になるのだと思われた。
で、そうすると次には、毎日の「散歩」行動を考えるようになる。
ちょうどいいし、家のまわりの状況、とくに住宅・建築がどうであるか、
そういったごく冷静な観察眼欲求も出てきて、6時前には出掛けてみた。
早朝とは思えないほどたくさんの人が歩いていることに驚かされる。
家から歩5分の24時間営業マックスバリュでは、店員さんが外に出てきて
訪れてきた数人の来客に対して頭を下げている光景が見えた。
停電のために、店側の判断で営業ストップさせたようだ。
そこから2-300mの、旧国道5号線と地域主要幹線・琴似本通り交差点では
信号が機能していた。非常時のバックアップ電源のようです。
そこからさらに2-300mの「札幌西区役所」には建物内から照明が見えていた。
玄関も開放されていたので、なかに入って見た。
非常時電源が役所機能を提供していて、
区役所職員や隣居されているみなさんと情報共有できた。
わが家はこういう便利な環境地域にあることを再確認。
わが家では地震後も水道はまったく問題なく使えているけれど、
隣居の方の家では「ちょろちょろとしか出ない」と話されていた。
たぶん、マンション居住者の方かもしれない。
マンションの場合、上水道からの水圧だけでは上階までの供給は難しいので
いったん上水を階上まで上げてそこから降ろしていくために、
電気による起動力が必要なのだと思われます。
そこから100mほどのセブンイレブンに立ち寄ってみた。
停電でもあるので閉店していると思ったら、こちらは開店していた。
中に入ってみるとレジ待ちの行列が店内を一周していた。
わたしも、できれば電池などとは思ったけれど懐中電灯もまだ余裕があるし、
また食品類については冷蔵庫のなかにたくさんのストックがあり
やむなく解凍されていく(笑)ので、順次食べていくしかないので当面不用。
ということで買い物は諦めた。が、区役所でトイレをお借りした後、
ふと気付いたら飲料の「自販機」が非常電源下で動作している。
カミさんから「水があれば」というコトバがあったのを思いだして、2本購入。
帰宅後、きょうの会社出社をどうするかを決めるためSNSで幹部会議。
状況を確認して自宅待機とするように決定して、主要スタッフ~各個人へ
情報共有させた。今後「スタッフLINE」が必要だという認識ももった。

こういう間も、Facebook情報共有ではたくさんの「いいね」や
コメントが寄せられ、可能な範囲で対応させていただいていました。
当面の対応ができ次に仕事やふつうの活動に向かうためには、
停電が最大の障害。
サバイバルは、わが家の場合当面1週間程度は食料が確保されているし、
緊急性はそう高くはない。
とにかく、水道がきちんと提供されていることがいちばん大きい。
自宅でトイレの心配をしなくていいことは、生きていく最高の安心感。
会社始業時間を過ぎても、スタッフも出社していない。
ひたすら電気の復旧を待つのみ。
ということでやむなく、再度周辺の状況確認。
可能であれば、加熱調理が可能なLPガスコンロを入手したいと出掛けてみた。
途中、地元北洋銀行店舗があるけれど、こちらは休業の案内をされていた。
ATMも停電で動作していないとのことでした。う〜む。
停電が長引くことになるとどうなっていくのか。困りますね。
で、ホーマック店舗のまえに来ると、たいへんな行列が出来ていた!
どうもWEBで「すぐに水道が使えなくなる」というような
不安を煽る不確認の情報が流れているようで
大量にポリタンクを持ち運んでいるひとを見掛けた。
あとでWEBで確認したら、水道局からも
「そういうことはありません、デマです」という情報が拡散されていた。
こういうリテラシーも肝要だと思われますね。

帰った後、やや疲労を憶えてお昼寝。体力第1。
その後、発災直後から考えていたサバイバル作戦に取りかかる。
停電時、電気エネルギーを確保するために、
そこそこガソリンが確保されているクルマを起動させて、
装置した家電製品コンセントから
家電に電気供給させようというアイデアです。
今後EVが普及すれば。こういった利用法があるとされていること。
いまはガソリン車からですが今後はコンバーターや蓄電池普及が期待される。
ということですがいまは、サバイバル作戦の一手段ですね。
作業途中でカミさんがスマホで話ながら、仙台スタッフの電話を繋いできた。
状況確認すると6日札幌市内の印刷会社に原稿データを入稿する
予定だった案件があったけれど、印刷会社が停電のために
当然、工場が機能せず、やむなく仙台の印刷会社に外注先を
振り替えたので、その原稿データを送って欲しいという業務連絡だった。
ちょうど、緊急電源確保作業中だったので、すぐにOKしてプロジェクト着手。
関係するスタッフに連絡を取ったところ夕方4時頃になって出社してくれた。
で、この緊急電源でデスクトップMacを立ち上げて送稿用データを整備した。
それをUSBメモリーで吸い上げ、iPhoneテザリング環境からノートパソコンで
WEB接続して無事に仙台までデータを送ることが出来た。
その後はこの緊急電源から家の冷蔵庫に入電させてみていますが、
断続的な入電ながら、いまのところ冷蔵庫・冷凍庫の保冷環境は
24時間経過後も維持されている。
不安定電源による動作からか異音がときどき発生していますが、
これもやむない停電環境でのサバイバルと受忍しております。

さらに物置にしまっていた、東日本大震災後にカミさんの実家からもらった
「非常食セット」を思い出して、夫婦で笑いながら
「もう賞味期限は数ヶ月過ぎているけど、いいっしょ」ということで食卓に上げた。
加熱しなくても食べられる食品群ということで、
最低限の食料として活用中です。けっこういけました(笑)。
っていうような1日が過ぎて疲労もあってか、8時間以上の爆睡。
本日7日も明るく元気に頑張りたいと思います(笑)。
がんばれ北電! 停電クライシスをみんなでなんとか乗り切ろう!

【本日未明、北海道震度6強地震、無事です。】

本日3時7分、北海道地方の広い範囲で地震がありました。
わたしは、年寄りなのですでに起きていて、
台所で洗い物などをしていましたが、突然突き上げるような揺れがきました。
ケータイからは「地震です」というアラート。
即座に停電になり、家中が真っ暗になってしまいました。
ちょうどMacも立ち上げてあったので、そこは明かりが確保されていた。
寝室からカミさんも出てきて無事が確認できました。
わが家はSECOMロックしているので、万が一を考えて外に出られるように
ロック設定を解除しておきました。

地震直後は建物がどうか、不安でしたが、
耐震性にはいまのところ問題はなかったようです。
ただ、まだ停電が続いていて、夜が明けていないので点検は出来ていません。
水道には問題が無いようで、トイレは通常使用できています。
初めて大きめの地震に遭遇してとりあえず、
きょうは通常のブログ更新はできませんので、
あしからず、よろしくお願いします。
気付いたことや、お知らせした方がいいと思われたことがありましたら、
Facebookなどで追加情報を上げたいと思います。
まずはこの停電がどうなるか、ライフラインの確保が最優先ですね。
Macの電池残量はあと71%ですので、更新はここまでにします。
ではでは。

【安倍政権「生涯現役」働き方改革提唱】

きのうの日経新聞に、安倍首相のインタビュー記事が掲載された。
自民党総裁選挙が間近に迫ってのタイミングなので
保守政治家として経済最優先の姿勢を政策発表として
日経新聞との単独インタビューのカタチで発表したものと思われる。
その提起はタイトルでは「首相・働き方「生涯現役」へ3年で改革」というもの。
政権が進めてきた「働き方改革」の第2弾という位置付けとされていた。
 以下、日経の記事より〜
安倍晋三首相(自民党総裁)は3日、日本経済新聞のインタビューで
「働き方改革の第2弾として生涯現役時代の雇用改革を断行したい」と述べた。
自民党総裁選(7日告示―20日投開票)で勝てば任期は2021年9月まで3年延びる。
最初の1年で生涯現役時代にふさわしい雇用制度を構築し「次の2年で
医療・年金など社会保障制度全般にわたる改革を進める」と強調した。
高齢者にも働きやすい環境を整えたうえで、社会保障制度の抜本改革に乗り出すという
2段階で取り組む考えを示した。次の総裁任期中の課題として
「全ての世代が安心できる社会保障制度に向けて3年かけて大改革を行いたい」と語った。
 雇用改革では「65歳以上への継続雇用年齢の引き上げを検討する」と明らかにした。
民間での高齢者雇用拡大の取り組みを後押しする姿勢を示した。
 生涯現役時代を前提とした社会保障改革では、年金制度に関し
「70歳を超えても受給開始年齢を選択できるようにする」と明言。
健康な高齢者を増やして医療保険など財政負担の削減につなげるため
「予防・健康へのインセンティブ措置も強化したい」と述べた。
 首相は働き方改革と社会保障制度改革を「ミックスすべきだ」と指摘し
「投入される労働力が増えれば成長にも資する。税収も入るし社会保険料も
プラスになる」との見方を示した。2つの改革を連動させた取り組みを通じて
「給付と負担のバランスをしっかり考えていきたい」と述べた。〜引用以上。

国民医療は世界最先端といえる社会をわたしたちは持っている。
この結果、まれにみる高齢化社会が実現できた。
しかしそれを大きな「資産」として活用することは、なかなか出来なかった。
むしろひたすら、年金が破綻するのではというマイナスオーラのネタだった。
こうした閉塞状況に対して政治として「生涯現役」というテーマを上げたということ。
政治という社会現象の意味は、すべてが国民の生活の安定、向上だと思う。
国防、外交努力というモノも、結局はこの目的に従属することがら。
したがって、われわれが政治に期待するものはなによりも
社会経済が安定し、個人としての暮らしに将来展望を持てるということに尽きる。
そのための国家運営を政治に期待し一票を投じるのが民主政治の基本。
そうした「政治への付託」のありかを、明瞭に為政者が自覚しているかどうか、
さまざまな政治日程を通してそれを見ることができるけれど、
事実上の明白な「権力闘争」である与党総裁選挙は、ひとつの大きな機会。
そこで、安倍さんは日本社会の構造問題である「高齢化」社会への
提言として、「生涯現役」概念を提起した。
もうひとつの大きなテーマである「少子化」については努力はできても、
結局は個人個人の意志決定の問題であり、政治が表立ってあれこれ言うテーマではない。
こちらは、社会全体の問題であり、政治は過度の干渉はすべきでない。
それに対して高齢化については、いま現実に選挙権も持っている世代が
主体的に関与しうるテーマであって、論議を持つことはきわめて自然。
先進国中でもっとも高齢化社会のありようと先端的に向き合わざるを得ない
日本社会にとって最大のテーマと言える。
・・・大変興味深い政治提言だと思った。まったく自分自身の喫緊のテーマでもある。
今後、この論議が深まっていくことを期待したいと強く思った次第です。

【社内ランチミーティング 手製にぎり寿司】




昨日、社内部署ごとのランチミーティング第1回で
WEBスタッフとわたくし手製のにぎり寿司を囲んでおりました。
社員食堂ならぬ「社長食堂」、職住一体以上の職「食」一体であります。

さすがににぎり寿司は、スタッフ18人分を一度に握るのは至難。
18×10カンとすると180コ作るという、シロウトにはに過酷なミッション。
ということで、各部署ごと、4-5人ほどでのスタッフミーティングということに。
でも結果、毎週「社長食堂」が開店することになった(泣笑)。
今月からスタートしたのですが、最初のミッションが「にぎり寿司」。
わたし自身も久しぶり、5−6年ぶりににぎりに挑戦したのですが、
今回痛感させられたのは、とにかくシャリだということ。
WEB時代で、こういった情報はたくさん摂取可能になっている。
「にぎり寿司」とか検索すれば、いろいろ指南してくれるのですが、
とにかく目からウロコなのは、シャリの作り方でした。
研ぎ方、炊き方が決定的だというということに気付かされた。
自分自身も毎日台所に向かっていて、それなりにコメにこだわってはいますが、
やはり寿司は、おいしくコメを食べる料理だということですね。
研ぎ方で、ほんの少量水を入れて、とにかく徹底的に糠落とし、研ぎ落とす。
肉眼では気付かないコメ表面の糠の層を研ぎ落とすと、
コメ本来の食感が浮かび上がってくるというのですね。
で、研ぎ終わった後は、ざるにコメをあげてしばらくは「蒸らしておく」。
必要な水分摂取はコメの場合、最小限の方が酢飯としてはいいのですね。
で、食べる直前に水を8分目程度に抑えて炊きあげる。
炊きあがったら、即座に寿司桶に入れて砂糖と酢で味を調えていく。
一粒一粒が「立ってくる」ようにしゃもじで「切って」いく。
そういうシャリを使って、一気ににぎりに入っていく。
きのうは仕入れたネタを事前に用意しておいたので、都合50カンほどを
約30分程度でにぎり終えることができました。
用意したネタは、
本マグロ赤身、ソイ、サーモン、天然ブリ、締め鯖、タコ、本マグロ中トロ、
イカ、さけの9品でした。
それに4枚目の写真のように具だくさん味噌汁、浅漬けというメニュー。
その他に、男性ばかりなので別に「ちらし寿司」も3人分ほど用意。
ということでしたが、おかげさまで大好評・完食でした(笑)。

で、終わったけれど、まだ去りがたそうな感じだったので、
追加で炊いていたシャリを使って、実演即食でホッキとホタテを握ってみた。
こっちは万一の時用に仕込んでおいた冷凍ものでしたが、
案に相違して、こっちもまた大好評でした。
ホタテはまぁ大丈夫と思っていたのですが、ホッキの方も
「全然やわらかくておいしい」という感想でした。
残念ながら、こちらはわたしの分は残らなかったので自分では食していない(泣)。
ということで、会議の方もたいへん有意義に盛り上がって、
活発な情報交換、学習機会になりました。よかった、よかった。
案ずるより産むは安し。にぎり寿司、大変たのしく作れました。

【社長食堂の重圧 本日ランチ握り寿司挑戦】


先月ついついノリで臨時開店した「社長食堂」。
社員のために社長がランチを作る企画であります。
結構内勤職が多い仕事柄、デスクでの仕事がちになるスタッフが多いので
日頃取りにくい野菜を中心に健康食にという思いの企画。
そのうち内心「あんまりおいしくないし・・・」と反対が出てくると期待しているのですが、
この企画にいまのところは、誰も反対する人はいない(泣)。
あ、写真は本日のメニューではありません。
これは先日紹介した中世商業集落・草戸千軒民家での食事展示。
さすがに瀬戸内に面した河口都市であります、
新鮮な海産物が食卓を飾っている。
鯛にタコ、ハマグリとおぼしき吸い物など、さらにメシは五分突きくらいの玄米食。
ちゃんと野菜類の煮物、出汁昆布も添えられて、バランスも最高の豪華メシ。
手前側にはしょうゆならぬ、醤醢の調味料まである。
こんな豪勢な、と思うけれど、案外商家というのはこんな食事もあったかも。
なんといっても列島の海浜河口地域に住み暮らす人々には、
互酬的な相互扶助関係が基本にはあったハズだろうと思われる。
う〜〜ん、食ってみたいと思って止まない食事写真であります。
下の写真は本日の付け合わせ、具だくさん味噌汁の出来上がり。

ということで、本日はわたし、握り寿司に挑戦であります(キッパリ)。
以前、こういう手料理の機会に一度やったことがあり、
社内女性スタッフから歓声が上がっていた。
でも、もう5−6年前のことだし、わたし自身、やり方を思い出せない。
仕方なく、きのうからWEBで「握り寿司」キーワードで検索しておりました。
ネタの方は、本日朝に買い出しに行くアポを魚屋さんに入れている。
で、なんといってもシャリであります。
寿司とか言っても結局はお米がすべての主役であります。
お米の研ぎ方から、相当に神経を使わざるを得ない。
コメの外皮側にある米糠表皮を、まさに「研ぐ」ように落とす必要がある。
おいしい寿司屋さんは、なんといってもこのシャリの炊き方が真骨頂。
でもそこはシロウトとして、なんちゃってで力を抜いて頑張りたい。
でも、米の研ぎ方で味がそこまで違うかどうか、試してもみたくなる。
さてどんな炊きあがりになるか、自分でも楽しみであります。
一方、ネタの方もメインの魚屋さん仕入とは別にスーパーで
あれこれ見入っておりました。そういうネタでも挑戦したくなってくる(笑)。
昨日は長兄がひょっこりと尋ねて来てくれたので
ついつい、手作りラーメンをふるまっておりましたが、
生来、料理とか、わたしはきらいではないようです。
ひとしきり長兄から「オマエは親たちが女の子が欲しくて生まれたんだ」と、
この歳ではじめて聞く両親の思いを知らされた。・・・宿縁か。
そういう三つ子の魂、いや生まれる前からの魂が料理好きにさせたのかも(笑)。

【Amazonへの小売集中と起業の大減少】

きのうは親族が集まっての法事。
で古いモノを引っ張り出して、遺品とか見ている中にご覧のような
「五つ玉算盤」が出てきた。
いつの時代のモノか定かではないけれど、小樽稲穂町の
「雨傘・履物・軍手」問屋 小一・笹田茂商店という銘が背面に彫られている。
広告宣伝のひとつとして、年末年始などの贈答用として
制作されて顧客相手に頒布されただろうことが偲ばれる。
そういえば叔父のひとりが戦後復員後、小樽で商店を開業し、
商売をしていたこととなにかの関連があるのかもと想像させられた。
この笹田茂商店から商品を「仕入」て、小売り業を開業をしたのだろう。
戦後、食べていこうとなにか仕事をしようと考えたら、起業は当たり前で、
こういった「問屋」というビジネス形式が存在し、中小零細事業が
それこそたくさん生成されていったのだと思う。
その問屋の贈答品が算盤だったのは、BtoBビジネスとして自然か。
「まぁしっかり儲けてくださいね(笑)」というアピール。

総務省統計局によると、平成24年2月時点で全国にある企業数は
412万8215企業。約4割強が法人企業と言われているので、
法人企業数は約170万社。個人事業主が240万社存在する。
この状況に対して、人口減少という津波が襲ってきていると思う。
いまや空前の「人手不足」社会。
全国津々浦々での「起業」という総数が圧倒的に減少している。
考えてみれば当たり前で、既存の交通体系に寄生して発達した
都市型店舗小売りという業態自体、限界にきている。
小売りはやがて大部分がAmazon化する可能性が高い。
社会が右肩上がりで旺盛な購買意欲、
いわば「ないものを満たす」という欲求対応であった時代はとうに過ぎている。
先進国になるということはイコール、「満たされて」いることを意味する。
そういう時代では、需要はなかなか見つけることができにくい。
たぶんいまIT系を除けばふつうの「製造業・卸売業・小売業・サービス業」で
新規に起業するというケースは皆無に近いのではないか。
資本主義というものが、今後どのように未来形をつくっていくのか、
起業数の減少ということがどういうことなのか、
そんな思いで、この五つ玉算盤を見ていました。

【インテリアとしてのハンモック】


人間が「いごこちがいいなぁ」と感じるのには、
実にさまざまな要因、機縁があるだろうと思います。
たぶん現代に至るまでに、住宅というものが進化してきた最大の動機は
この「いごこち」をさまざまに探究してきた結果なのだろうと思う。
住宅雑誌を発行し住宅WEBサイトを運営していると、
必然的にこういった要素に対して感受性が高まっていく。
もちろん、多様なアプローチがあるのですが、
ときどき住まいの仕掛けとして住宅事例のなかで見掛けるのが
この「ハンモック」であります。

すぐ下に、お猿さんの「寝床」写真を載せておきました(笑)。
わたしの想像ですが、たぶんハンモックにいごこちの良さを感じる
その根源的な体感は、これくらいのDNA的記憶体験に根ざしているという妄想。
それにしてもこの写真のお猿さん(オランウータン?)はまことにいい表情。
木に揺られて寝る類人猿のDNA的やすらぎ。
夢を見るというのは、脳の相当の発達がなければ叶わない営為とされますが、
この寝顔からは、どうも楽しい夢を見ているようにしか見えない。
この「いごこち」を考えてみると、ハンモックのいごこちに通じている感じがする。
まぁ、あんまり論理的ではありません(笑)。
ロジカルには、ハンモックのもたらす「ゆらぎ」が、
自然の木の揺らぎにも通じているように思えるし、
自然の中で感じる空気の流動感が、ハンモックを揺することで
同様の体感効果を擬似的に感じられるのではないか。
それ以上に、自分の体重と支えてくれている木との相関的なゆらぎも、
あるやすらぎの根源の部分を感じさせているようにも思われる。

一方でインテリアとして考えると、このハンモックはなかなかあいまいなもの。
というのは、ハンモックは寝具の一種であって、
リビングルームに装置的にあるということに、やや違和感は起こる。
たとえ家族であっても、こういう無防備な寝ている瞬間を
見られ続けることには、双方でいごこちの悪さがあるのではないか。
リビングが寝室の延長になってしまうことの抵抗感といえる。
このリビングに来客があった場合を想定すれば、場違い感は否めない。
しかし一方で最近の「グランピング」というブームもある。
日常生活をもっとワイルドに楽しみたい、みたいな心理をそこに感じる。
そういう暮らしイメージからすると、このハンモックはその象徴かも。
あるお宅のリビングの光景から、思わぬ変化球を送られたような気分でした。

【中世商都市「草戸千軒」 曲がり材住宅群】


写真は6年前に探訪する機会があった、草戸千軒遺跡の復元住宅。
広島県福山市にある博物館に展示されている。
住宅取材を基本的な行動様式として見続けてくると、
必然的に人間の暮らしようとか、感受性の推移とかを知りたくなり、
古建築、古民家というようなものに興味が向かっていく。
普段から空間を取材してくると、時間を超えて「聞き取り」たくなってくる。

この草戸千軒、というのは、鎌倉から室町にかけて栄えた集落。
瀬戸内海の芦田川河口の港町として栄えた。遺跡の発掘調査から、
時期によって町の規模は変遷しているが草戸千軒町は近隣にあった
長和荘などの荘園や地頭、杉原氏や備後国人で一帯の領主であった
渡辺氏の保護の元、他の地方との物流の交流拠点として繁栄しており、
数多くの商工業者がいたと見られ、遠くは朝鮮半島や
中国大陸とも交易していたとみられている。〜以上、Wikipediaの記述。
瀬戸内海に面した河口で、周辺地域から物資が集まってきて
海からは他地域、遠くアジア地域からの物資も届く。
交易ということにほぼ専業化した人々の暮らしようがあったのだと思う。
なんとか千軒という呼称はこの瀬戸内海地域ではよく付けられる地名。
たくさん家があるというような意味合いなのだろうと思われる。
今日の都市のように多くの家々が立ち並び、人口が膾炙した。
復元された住宅群には、商家・小工業者・職人などの暮らし痕跡が刻印されている。
こういった職業階層から、有力資本家や交易業者が出現し、
江戸期には大阪を中心とした資本蓄積に至り、
やがて明治の革命のスポンサーになっていく。

住宅を見ていて気付くのは、構造材には曲がり材が随所に使われていること。
ほとんどまっすぐな材は見掛けない。
土台くらいしか、まっすぐなままという木材はほとんどなかった。
常識的に考えれば、こういう曲がり材は、価格的に合理性があったに違いないと
そんな理由がアタマに浮かんでくる。
木舞と土塗り壁という技術は、こういう曲がり材でも家が作れるようにするために
その補強的な意味合いから発達したようにも思う。
復元の工事にあたって、現代の職人さんたちは苦労したに違いない。
出来上がっている空間には、まことに融通無碍という印象が漂っていて、
なんとも独特の自由な空気感が流れている。
素材に合わせていくタイプの技術が育っていっただろうと想像も膨らむ。
わが家のご先祖さまもこういう都市の空気のなかから
生き延びてきたと伝承されています。こういう空気、なんか楽しい(笑)。

【WEBで知る「この花の名は?」 ネムノキ】


一昨日、外出してクルマで札幌市内から郊外へ向かったとき、
道端に果樹園農家の路面店があった。
で、北海道ではあんまりみかけないキレイな花を付けた木が目に付いた。
とっさに「あ、ハナミズキ」と思ってクルマを停めてみた。
悪いので、一応プラムを購入してから、花の名を尋ねて確認してみた。
「あのこれ、ハナミズキですよね?」
とはいっても、自慢ではないけれど詳しいわけではもちろんない(笑)。
ただ、北海道ではほとんどハナミズキを見ることがなく、
多数派はヤマボウシ。在来種はヤマボウシでハナミズキは大正期以降の外来種。
というような知識はなぜか、持っている。
ヤマボウシは白い花が基本でときどきピンクの花弁個体もある程度。
人間の記憶というのはあいまいなもので、
外観的印象、色合い、雰囲気くらいしか木花のことを憶えていない。
北海道ではほとんど見ない木花なので、
本州地域に行ったときには、その印象が強烈に残る。
ハナミズキ、というなんとも語感のいい名前も美しくこころにリフレインする。
で、そういう心理に珍しきものを見たという興奮が湧き上がってくるのです。
こういう心理は本州のみなさんには理解出来ないでしょうね(笑)。

で、お店の方もほとんどの方は毎日見ているハズのこの木の名を
知らなかった(泣)。重ねて「ハナミズキですよね?」と問うても明瞭な答は返ってこない。
で、女性の方は奥の方で作業していた男性に聞いてくれて、ようやく、
「ネムノキです、これは」と答えていただけた。
おお、であります。ハナミズキも北海道では珍しいけれど、
この「ネムノキ」というのも、ほとんど見掛けることがない。
あとで調べたら熱帯原産でそのなかでは一番耐寒性が高い植物とか。
やはり印象的な風姿なので、写真に撮らせてもらって、
帰り道途中ではクルマの中で「ネムノキ、ネムノキ」とつぶやきながら帰った。
ちゃんとメモを取るなり、iPhoneに記憶させるなりすればよかった・・・。
で、クルマで15分ほどの道のりを帰着したけれど、
あっと、気付いたときにはこの木花の名前を思い出せなくなっていた(泣)。
健忘症なのか、認知が進んできたのか、ダメであります。
ということで、ここでようやくWEBを思いついて
こういう状態になった心理そのまま「この花の名は?」と検索してみた。
一発で、そういうサイトが見つかった(笑)。
健忘症ばかりではなく、そういう人が多いだろうことを身をもって知る。
で、写真をアップして、教えてもらうのを待つこと30分。
「ネムノキですね」という簡潔なお答え。
行間に、こんな木の名前も知らないの?みたいな底意を感じたのは
わたしの劣等意識のせいでしょうか?
年を重ねてきて、植物の名をはじめて知る体験って、
たいへんありがたいことだと深く感謝しております。ふ〜む、美しい。

【手業にこだわる左官業者の住宅建築】



先日の住宅見学、アース21旭川例会からのもの。
この住宅は本業が左官業であるプラスター高野さんが建設も手掛けた住宅。
写真のように随所に職人仕事が目立っておりました。

左官業という職種はいまの住宅建築では
だんだんとその領域が狭くなってきている分野だと思います。
外壁仕上げはいまや基本的にはサイディングに替わってきていて、
一世を風靡した「モルタル」仕上げは激減した。
また、室内の壁仕上げも基本はクロス仕上げになっている。
お風呂もほとんどがユニットバスになって、タイル風呂はまったく見られなくなった。
本州西部地域などでは、本格的な竹小舞+土塗り壁という需要が
まだまだ生き残っていますが、現代的な家づくりでは仕事が減っている。
そういった業界全体の風潮の中で、
それも高断熱高気密住宅の最発展地域である北海道旭川地区で
職人仕事を復興すべく、最先端技術のなかで頑張っているのが高野さん。
モルタル壁の復興や、室内仕上げでも塗り壁仕上げが、
旭川でも最先端の高断熱住宅でこそむしろ増えてきている。
そういう職人仕事が生き残っていくために、努力されていると思います。
旧来型の職種として、殻に閉じこもるのではなく、
むしろ積極的に業界進化の過程の先端に参画し、その胎動の中で
自らの事業領域発展の方向を発見しようという姿勢には共感できます。
本州の伝統職人さんたちが既存の技術伝承世界の中だけに閉じこもって
革新を拒む姿勢をとっているなかで、住宅技術革新が必然である寒冷地域で
発展の方向で自分自身も革新しようという姿勢は正しいと思います。

今回の住宅では、写真のような手業をみることができた。
一見、タイル仕上げの上から塗装したのかと思った台所の壁面。
こちらでは、塗り壁に目地を型押しして変化を作ったということ。
どうしても平滑でのっぺらぼうになりやすいクロス仕上げのなかで、
こういう手業の平面が、そこに暮らす人にどのように精神的投影を与えるか、
たとえば微妙な凹凸感が、そこにあたる光を屈折させたり変化をつくることで
繊細な気付きを与えるきっかけになっていくと思う。
同様に、外壁のコーナー部分にも手業でしか作れない陰影、凹凸感を
造作していた。
たぶん長い年月を経ると、そこに時間がいろいろな変化を加える。
その光景が、住み暮らす周辺のひとに独特の印象をもたらす。
さらに、室内の階段コーナー柱にも、手業での土塗りを施している。
たぶん相当に手での接触頻度が高い部位で、
ざらついた質感をもたらすに違いない手ざわりを感じて欲しい、
そんな作り手の思いをそこに感じさせられました。
毎日の接触痕跡が、やがて家族の記憶に潜在していく、
そんなイメージを持った次第です。