
予定を変更して半日長く仙台におります。
飛び入りで夜の会合参加要件があって、本日札幌に帰還予定。
日程変更で探してみたけれど、仙台はホテルが満杯の様子でした。
どうも「特異日」っぽい感じ。あれ、なにかなぁと不思議なほど。
で、会社事務所近くの「榴ヶ岡公園」を通りかかったら、
ごらんのように名物の「しだれサクラ」が開花しはじめておりました。
気象台の発表では5日だったそうですが、
わたしはことし春はまだ東京出張もなかったので、
ことしの「初サクラ」であります。
クルマの中から公園の様子を見ていると、そこそこの人出。
仙台のホテル満杯は、サクラ名所見物というようなことなのかなぁと。
日中の気温も車内の温度計では15-16度程度を示していましたから、
そこそこ暖かかったワケですが、
しかし午前中は強風も吹きまくっていたので、おお、でありました。
一方で札幌地方では
「7日昼前から夕方まで、落雷や突風、ひょう、急な強い雨に注意してください。
北海道付近は、7日は気圧の谷が通過するため、大気の状態が不安定となるでしょう。
8日も気圧の谷が通過する見込みです。
石狩・空知・後志地方の7日3時の天気は、曇りで、雪や雨の降っている所があります。
7日は、気圧の谷が通過するため、曇り時々晴れで、夕方まで
雨か雪の降る所がある見込みです。また雷を伴う所があるでしょう。」
というアナウンスですので、まだまだ冬のなごりが元気いっぱい。
ただ、ことしはややサクラは早い感じなので、
北海道でもことしの特異な改元長期休暇時期には便りが聞かれるかも、であります。
Posted on 4月 7th, 2019 by 三木 奎吾
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人間が暮らす環境を構成するのが家の意味。
人間的に生きるということの実質とはなんだろうかと、ふと考える。
いまは、わたしは札幌とそれ以外の地域との交互環境にいます。
札幌では住宅があり、そこでの経過時間は「住まい」の実質。
それ以外の地域ではホテルという「暮らし方」になる。
それはそれで、まったく違和感を感じてはいないし、
なるべく定点的な「定宿」感覚のホテルを選択していて
それなりの「くつろぎ」を得ているので心理的には「帰る」感覚もある。
あるひとから「疲れそうだから、マンションでも借りたら?」と言われたけれど、
個人的には一度そういう経験もあって、そのほうに違和感があった。
結局家族と過ごす、なにか「共生」ということが、
どうも人間的な生き方の実質のように思われます。
そんな風に考えると、「家庭」というコトバに気付く。
家庭はいうまでもなく「家+庭」というふたつが合わさった概念。
現代では人間は「移動する」という概念がかつてなく高まった生き方になってきた。
移動手段が格段に環境進化を遂げてきている。
コストパフォーマンスも大きく進化を遂げてきている。人間の生き方で
定置的な生活と移動狩猟とのふたつが同時に実現できるようになった。
そうなると、この「家庭」というものの価値感がもっとクローズアップされる。
共生、というコトバを使ったけれど、
家族という人間関係だけではなく、植物などとの関係も
人間の潜在的意識領域ではけっこう大きな部分を占めている。
庭木を眺め、その息づかいを感受しながら生きるということには、
相当大きな意味合いがあり、そういう価値はむしろ高まっている、
そのように思われてなりません。
写真は、いま関わっている建築の外壁と庭木の表情。
幾何的な造形である建築と対比的な自然木の表情が
あるコントラストの美観を訴えてくる感覚がある。
外構設計者に聞いたら、その背景になる建築の外皮とどう調和させるか、
「会話」させるか、というようなことを考えながら樹種を選択すると。
そしてその四季折々のシーンを想起しながら、作業を進めると言う。
「むしろ、樹皮とその形状だけになる冬場の骨格だけの時期こそ・・・」
というようにデザインするのだとされていた。
庭木の側がそのように「寄り添って」来るように配置されてくると、
人間の側では否応なく「共生」感覚が強くなっていくでしょう。
世界の中で、たったひとつかけがえのない場所が「家庭」となって出来上がってくる。
そういうのが人間環境のやすらぎの大きな領域。
都市的な高密度な環境がせめいでくる現代であればあるだけ、
むしろこういう環境との「対話」の意味が高まっていくのだろうと思います。
Posted on 4月 6th, 2019 by 三木 奎吾
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きのうは東北芸術工科大学に竹内昌義先生を訪問。
都合2時間近く、いろいろな打合せ、情報交換をさせていただきました。
先生は建築デザインのみかん組の首都圏、全国での活動の傍ら、
山形に根付いたカタチで、地域の建築に深く関わってきている。
また、岩手のオガールタウンの構想から最終的な展開まで
深く関与されて、成功を収められてきています。
一方で、そういったプロデュースやデザインに関わりながら、
同時に「断熱男」として自ら命名するほどに
高断熱高気密運動にも積極的にアプローチされてきている。
・・・ということで、東北でのReplan出版についても
キーマンとも言える存在と考えております。
で、帰りがけに近隣に建っている「山形エコハウス」を見学。
この環境省主催の企画からすでに9年の月日が経過している。
東北ではこの山形と、福島県飯館村の2箇所で建設された。
残念ながら福島県飯館村の方は原子力事故の影響で見学が叶わない時間があった。
リアルタイムで関わってきたことがらも、やがて歴史になっていくと痛感。
そういうなかで、この山形のエコハウスは初めて入ってみた次第。
竹内さんや、同輩の三浦秀一先生らが中心になって
このエコハウスプロジェクトは推進された。
外壁の木質仕上げはその時間なりに飴色に変化して
いい時間経過を見せてくれています。
現在は地域に根ざしたNPO組織が運営委託を受けているようで、
わたしどものような飛び入り見学者にも説明していただけました。
やはり設備関係では時間経過を感じさせられるものも。
太陽光発電装置については、その当時積極的に展開していた
日本メーカーはすでに撤退されているそうで、
有為転変のスピード感にも驚かされます。
敷地が傾斜地に立地しているので、その傾斜を活かして
地下室に機械設備関係は集中させている。
多湿な日本の気候ではなにかと懸念される地下室ですが、
こちらでは室内に仕切りのドアなどももうけない開放型なので、
劣化の様子はまったく感じられませんでした。
シンプルに造形され、断熱厚みも重厚に確保された建物は
美しいフォルムを見せてくれていました。
Posted on 4月 5th, 2019 by 三木 奎吾
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きのう、継続的に取材している案件があって、
山形市でその「造園外構」工事の様子を見学・取材してきました。
詳細については、夏に発売されるReplan東北誌面で発表するので
まだ詳細を記述はできませんが、
わたし自身も、「造園外構」工事については前から強い興味を持っていて
しかしその造園設計者に話を伺う、現場でいろいろ細部を聞くというのは初めて。
わが家の新築のときには、
施主として造園工事に立ち会っていて、その素晴らしさを感じていた。
わが家の場合には狭い敷地なので、1本だけの
「シンボルツリー」を計画した。
敷地の中に煉瓦で区画された円形のサークルが造形され、
そこに透水性を考えた地盤改良が施されて、
1本のメイゲツカエデを植え込んだ。
建物との調和を最重視して考えて選び取った樹木だった。
成木を移植させたので、いろいろな角度から見ての
しつらいを検討して、ある配置形態に至るということになる。
ちょうどこのような時期に当たっていたと思う。
運ばれてきたメイゲツカエデは当然ながら芽吹きもまだだった。
その日から、「いのちといっしょに暮らす」日々が訪れた。
毎日、ブラインドを上げる度に、こころのなかで「おはよう」と声かける。
春夏秋冬、晴雨、風の強弱、などの自然の「呼び声」が伝わってくる。
樹木というのは、おなじイキモノとして人間になにごとかを訴求してくる。
人間は自然の一部であることを深く感受させられる。
・・・「造園外構」工事には、残念ながらそれ以降、
取材として立ち会うことがなかった。
きのう、お話しをうかがえたのは著名な造園家の荻野寿也氏。
やはり自然と対話しながら仕事されてきた方だけに
深くインスピレーションを受けるお話しを聞くことができた。
お仕事の合間を縫って気さくに話していただけましたが、
その端々で「造園外構」工事の奥行きの深さが迫ってきたように思いました。
Posted on 4月 4th, 2019 by 三木 奎吾
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写真は先日参詣した中尊寺の「本堂」であります。
慈覚大師円仁さんの開闢と伝えられる天台宗の由緒正しき寺院。
奥州藤原氏がその財力を傾けて、
北方に日本とはやや異質な地域権力を樹立したことを
明示的に示す意図を持って創建されたものでしょう。
金色堂や能楽堂などの建築群が往時を偲ばせる遺構になっている。
しかし、その創建の経緯とは別に現代に至るまで有為転変の中を
なんとか伽藍を維持し、生き延びてきている。
清衡の創建から100年ほどで奥州藤原氏は頼朝権力に滅亡させられ、
この中尊寺の山裾から北上川の流れの蛇行したあたりに広がる
扇状地系地域に藤原氏の王権所在地はあったと推定されている。
いくつかの居館推定地が発見されているけれど、
いずれにせよ、「衣関」地域という地域名が示すように
北上川水上交通の要衝地に位置して、藤原氏の経済活動、交易の
中心にあったであろうことは明白だと思います。
そういった政治と経済の中心施設、機能は頼朝関東軍の津波のような侵攻で
すべてが灰燼に帰してしまった。
歴史書などを読むと、こういった権力の推移に合わせて
宗教施設側は敏速に対応して、頼朝からの保護をいちはやく受けている。
宗教が一応は政治権力とは別の「局外中立」的な扱いを受けることが
こういった歴史事実から浮かび上がってきます。
しかし、中尊寺はその繁栄の基盤であった経済機構・平泉が失われたので、
その後、財政的には苦難の道のりを歩んだであろうコトは想像するに難くない。
奈良京都や江戸東京といった政治経済中心地とは隔絶した地域であり、
また奥州の経済を支えたであろう「産金」も
どれくらい維持し続けていたのかも心許ないし、
第一、藤原氏だからこの平泉の地政学的な位置取りに意味があっただろうけれど、
その後の鎌倉幕府政権期以降には、事情は変化しただろうと。
いつも平泉を見ているとそんな思いにかられる。
で、ふと発見したのがこの「白象」さんであります。
まぁ直感的に、仏陀さんを乗せてなにかの宗教行事に使われるだろうことは
容易に想像がつくけれど、なんか重量感に欠ける(笑)。
ちょっと調べたら4月11日にイベントがあり、その主役なのだそうです。
〜花まつり子供大会のお知らせ
お釈迦さまを乗せた白い象さんが中尊寺を出発し、中尊寺通りを行進します。
甘茶をかけて、お釈迦さまの誕生日をお祝いしましょう。
午後の子供大会では劇やゲーム大会、ロールケーキ作りなど楽しい行事が満載です。
どなたでも参加できますのでお気軽におこしください。
日時 4月11日(日) 12:30開場
ところ 平泉文化遺産センター (平泉町平泉字花立44)
象さんの行進 9:00中尊寺出発→9:45高館義経堂下→10:50平泉駅前
お問い合せ 中尊寺花まつり係 0191-46-2211〜
というおまつりのメインキャラがこの「白象」さんなのですね。
地域としての平泉は現代では仙台とか盛岡、北上といった
地方中心都市とも違って、都市の基盤があるワケではない。
伽藍堂宇を維持して行くには、いろいろな「仕掛け」で働きかけていくしかない。
そんなことに気付いたら、下の写真のように本堂の入り口縁側天井にも
さまざまな「広告」的張り札も目に付いた次第。
現代での経済条件として、東北の大動脈・東北道のICからはほど近い。
現代なりの「門前町」としての経済的存続を考えていくことになるのでしょうね。
この白象さんにエールを送りたいな、と思えてきた次第(笑)。
Posted on 4月 3rd, 2019 by 三木 奎吾
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令和という名詞は、ちょっと発音しにくいということを
最初にメディア発表対応をした官房長官の口から再認識した。
RとLについての日本人の発音問題は常に言われていますが、
わたしには「○いわ」というように聞こえて
一瞬、え、「へいわ」なの? と思った。
それって、あまりにも一般語化しすぎと疑問が・・・。
ちょうどNHKをかけていたので、菅さんがかざした漢字揮毫も
手話画面に被さってしまっていたので
すぐには見られず、一瞬、タイムラグが生じてしまった(笑)。
で「令和」であります。
おお、れいわ、れいわとアタマのなかで復唱させてみる。
たしか、前回の「平成」のときにも官房長官だった小渕さんが示して
ゆっくりとした滑舌で「へいせい、であります」と語った様子を思い出す。
政治家としての菅義偉さんは、この元号発表という奇貨を活かして
内心、あわよくば、という気持ちもあるだろうと察しますが(笑)
そのかれの心象からも、ここはストンと落としたかったところでしょうね。
まぁ、しょがない、滑舌むずかしいコトバです。
元号という、日本語文化圏では特殊なコトバになるものなので、
これは慣れていくしかない。
一瞬、聞き取れなかった、ということが長く伝わっていくのかもしれません。
「おお、おれもさぁ、あのときすっと来なかったよ」
みたいな会話が日本人のアイデンティティに刷り込まれるのではないか。
今回の改元を通して、英語で「era」とか「period」とかと訳される
そういう暦の独自文化というのを日本「だけ」が持っている、
いわば日本人のアイデンティティとしての側面に気付かされますね。
平成の時には、同時進行で昭和天皇の死去があったので、
元号についていろいろに思いを致すという時間が持ちにくかった。
それが今回、このようにきれいに別の事柄として認識が深まった。
同じ漢字文化の共有意識が強い中国では一種独特の
思いがあるようで、かなり注目度が高かったと報道される。
神聖権力構造が時間をも支配する元号観念が消えた、かの国にして見たら
複雑な思いを持ち続けているに違いない。
そういえば中国共産党の次代指導者は、天皇と会見することが
慣例的通過儀礼だということも知られている。
習近平が就任する前に、小沢一郎が半ば強引に会見させたと
一時期、日本政界で問題になったこともあった。
この通過儀礼の真意はなにか、中国文化社会のある側面を示しているのでしょう。
今回はじめて中国古典からではなく万葉集からの由来とされて、
中国国内からは「いや、やはり中国古典からだ」という声も出ているという。
是非はともあれ、そういう「気分」が存在することは伝わってくる。
そういう意味では文化というもののパワーを強く感じさせられる。
西暦のほうが時間換算がほぼいらないのでカンタンだけれど、
英語で「period」という語感どおり、
いかにもファンタジックな時間区画概念を文化として持っていることは、
やはり誇らしいことに違いないだろうと思います。
Posted on 4月 2nd, 2019 by 三木 奎吾
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写真は先日、仙台市内で見学した鈴木環境建築さんのオープンハウス。
まことにスッキリとしたキューブ形状の外観が特徴的。
同社はことし、「ハウス・オブ・ザ・イヤー・イン・エナジー」大賞を受賞されましたが、
断熱技術について全国最先端の技術を積極的に導入する企業。
また、設計デザインについても北海道の建築家とコラボするなど、
高断熱が触発するデザイン変化についてセンシティブな企業です。
南東北、宮城は東京からのマーケティング主導企業戦略になびく企業も多いなか
高断熱高気密技術を極めながら、デザインの「進化」にも敏感な企業。
そんな経緯もあり興味深く見学していました。
北海道では「高断熱高気密」を大前提として住宅を
その暮らし方文化を含めて再定義せざるを得ず、
ごく自然な志向性として、外皮表面積の最小化、シンプル化に向かった。
もっとも外皮面積が少ないのはキューブになる。
これには屋根の「無落雪化」進化も大きかった。
水勾配程度を付けるのか、完全フラットにするのかは議論のあるところですが、
三角屋根や傾斜屋根よりは、雪の問題は合理的に考えられる。
で、そうなると、完全なボックス型のキューブが誕生する。
ふつう、住宅の外観デザインを特徴付けるのは屋根。
それが性能面からの技術必然の結果、デザイン的に「省略」されると、
はて、どうデザインしたらいいのかと思い悩むようになる。
「豆腐じゃないんだから(笑)」という笑えない現実に突き当たる。
そこでさまざまな試行錯誤がはじめられる。
コルビジェとか、FLライトなどの現代建築デザインが参照されるようになって
開口部の配置、壁素材のバリエーションなどでのバラエティが基本になる。
当然、内部間取りも数寄「放題」ではなく「合理的配置」に向かう。
ここでは、ボックス形状の外周側の壁が上と左右で内向きの角度を付けられて
その内側に向かってズームしていくようなカタチを取っている。
ちょうど、屋根が庇のようになって、2層分の内部の取得日射を
制御するかのようにデザインされています。
左右の壁も、そういったインスピレーションから角度を付けている。
平面的な形状だけれど、角度をこのように持たせることで、
外見的な変化を作り出している。
心理的に外周の壁に仕切られた部分がセットバックして
「守られている」感がイメージされるように思われます。
その上で壁の部位で表情にコントラストを付けるべく
外壁素材、色合いに変化を持たせています。
形状としてはカメラの入光角度を調整するフレームとレンズのように見える。
この一面以外は大きくは壁に区切られた防御的な外壁面。
外部に向かって「開く、閉じる」が明確にデザインされているとも感じられます。
住宅性能面からの必然が生み出していくデザインの方向性変化。
今後ともどのように推移していくのか、興味深いところですね。
Posted on 4月 1st, 2019 by 三木 奎吾
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先日、久しぶりに伝統的工法の住宅を見学する機会。
宮城県の地元の「山元」企業で、広大に所有する管理林から
計画的に出荷して、住宅企業としても提供している。
そういうことなので、木の質感を最大限に活かす家を建てている。
「追掛け大栓継ぎ」で架材を接続させて、それを緊結させるのに
「込み栓」を使っている。
木は生きているので、季節によって水分含有量が変化する。
そのため、架材が膨張したり収縮したりする。
それを「調節」して家を長期に使い続ける工夫を日本人は古来から
ずっとしてきた。
そういう「手を掛ける」という生活文化はこうした構造材にまで及んでいたが、
身近なところでは、「畳の表替え」という習慣も行ってきた。
いずれも現代生活から考えれば、家への洞察とか
気遣いが絶対に必要なことなので、生活カレンダー習慣とは
どうしても異質なサイクルに人間が合わせなければならない。
「きょうは家の畳の表替えの日なので会社、休ませてください」
というような申し出が可能になるような暮らし方を
わたしたち社会は、許容幅として持ってはいないと思う。
「なにを言っているんだ」の一喝で無視されてしまうことでしょうね。
しかし、現代以前にはそういう休暇は社会で当然,担保されていたと思う。
仕事というものが、職方的な範疇でとらえられていて、
まずはそうした個人、というか、家のくらしがアプリオリに存在し、
それを尊重しながら、「お互い様」として許容し合ってきたのだろう。
「旦那。きょうは畳の表替えなので・・・」
「おお、そうか、ウチもそろそろやんなきゃなぁ・・・」みたいな。
で、そういう現代生活のなかでも
こういう「手の掛かりそうな」家に強い興味を持つユーザーがいる、
ということに一服の清涼感をもつ。
室内でも外観的にも、いかにも木質素材そのままがあらわれていて、
「現に呼吸している」感がハンパなく迫ってくる。
人間もこういう素材たちと基本的には同種類のイキモノである、
そういう協同する心理というものが無意識にはたらいてくる。
木が季節に応じていろいろな表情と反応を見せてくれるというのは、
考えてみれば、ずいぶんと心豊かなくらしをもたらせてくれる。
現代の先に、こういうエコロジカルな世界が見えてくることを願いたい。
Posted on 3月 31st, 2019 by 三木 奎吾
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唐破風というのは語感からすると
中国からやってきた建築デザイン様式だと思ってしまうのですが、
そうではなく、日本独自の建築デザインだそうです。
明治以前の日本社会では、都市を作るといえば同時に
神社仏閣をその中心施設として作るということが同義的だった。
聖徳太子が大阪に四天王寺を建てて以降、
日本の権力というのは、かならず神社仏閣を「勧請」し続けてきた。
写真は盛岡市近郊・雫石町内の仏閣・廣養寺の唐破風です。
こういった地方のまちづくりに当たっても、
こうした宗教施設が建築され、人々の参集の場として機能し続けた。
奈良の都以来、こうした宗教施設は
街の中心建築として「にぎわい」の役割を担う建築だったのでしょう。
そういう動機から、建築デザインとしても
「人目をひく」あの手この手を考え続けてきたものでしょうか?
「唐破風」という名前自体すら、海外からの意匠であるかのように呼んで
人目を驚かす、ということに集中してきた。
このような地方中心施設でも過剰なまでの意匠性です。
ここでは、最初は黒っぽく経年劣化していたので気付かなかったほどでしたが、
Photoshopで明度を上げていったら、
ごらんのように「彫刻」が浮かび上がってきた。
手前側には天上の世界で吹奏楽器を奏でている人物像が確認できるし、
奥側にはどうも龍雲のようなデザインにみえるものがあります。
この雫石の寺院は縁起を調べると
〜織田信長の天下統一の頃(1573~1591)、盛岡の報恩寺 五世
鳳庵存竜和尚が勧請開山し、当山二世広鷟和尚により浄居山廣養寺が開かれた。
酒造業高嶋屋及び同米沢半兵衛家の信仰篤く、3200余坪の境内地に
堂宇、諸設備が整備され、当町随一の荘厳さを誇る。〜
というような記述にWEBで出会いました。
おおむね400年前くらいまで遡る縁起のようですが、
特段、火災炎上の記録には当たりませんでしたので、
ひょっとするとこの見ている唐破風、彫刻はそれくらいの古格なのかも。
酒造業高嶋屋とあるので、酒で財を成したとすればこの地の水が良かったのか、
コメが良かったのか、と考えるとやはり雫石という地名から水が良かったのかも。
そういう「有徳人」によって勧請された経緯があったのかも知れません。
酒で儲けたお金でさらに人を集める仏閣を建築して儲けようと考えたか、
いや、単に篤い宗教心が発露したものか。経緯にも面白みを感じる。
また「鳳庵存竜」という法号が見えるので、彫刻にある龍雲は、
そういった経緯に根ざしているのかも知れない。
・・・といったような、妄想を刺激される(笑)。
やはり時間蓄積している建築空間には、時空を超える情報が
さまざまに眠っているように思われる次第です。
古寺巡礼、こういうナゾの発掘解明がオモシロい!
Posted on 3月 30th, 2019 by 三木 奎吾
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写真は先日に早朝、仙台から盛岡に移動の途中、
高速を下りて立ち寄った「中尊寺」の能楽堂であります。
能楽堂というのは好きな建築であります。
人間がある劇的なるものを求めて参集するときの
「歴史的」な経験蓄積の末に出来上がった場所としても興味をそそられる。
20世紀になって人類は映画を開発し、
もっと日常的なメディアとしてテレビも開発した。
この人類史的衝撃というのは、すごいものがあったと思いますが、
まだこのことは対象化されるまでには、時間がかかるでしょう。
いまを生きているわれわれとしては、そのメディアに先行して存在し
そういう視覚装置にインスピレーションを与えただろう空間性の方を
考えるべきなのではないかと思っています。
よくテレビのアスペクト比というのが論じられた。
いまでもパソコンやスマホの視覚比率について、論じられる。
そんな興味について、能舞台のアスペクト比を見てみた次第。
画像は多少は「画像修正」しているのですが、
タテ横の水平垂直をおおむね合わせてみて、
その上で能舞台の主要な画面構成比率を計算したら、
2576対1279という結果が得られた。
おおむね、2:1という比率になっている。
現存のこの能舞台の建築は1853年とされていますが、
それは「再建」であり、歴史的にはそれこそ中尊寺の創建から
能が歴史的な芸能として成立することと並行して
相当古くから存在してきたに相違ないと思われます。
歴史年代で活躍した、それもその時代を代表するような建築人が
その知識のすべてを注ぎ込んで建築したことは明らか。
能というのは人間の挙措動作が極限的に「表現」化したものであり、
その「鑑賞」に最適の「画像解像比率」を考えなかった方がおかしい。
まぁこうした分析自体は専門家ではありませんので
不明ではありますが、この画像比率はなんとも自然なように感じられる。
建築としてはこの主要画像提供部位のほかに、
袖廊下的な付帯建築があり、その接続角度というのも面白い。
また、屋根の掛け方、軒の出の寸法やバランス比率も興味深い。
そのうえで能はふつう夜にやるので
照明としての「薪」の配置場所などにも興味が深まる。
さらに音響装置として、能では舞台の下に音を拡散させる「壷」が配置されたりする。
いわば、「メディア」の組成過程、その不可欠要素をさまざまに教えてくれる。
常時一般公開されている中尊寺・白山神社能舞台、好きな建築です。
Posted on 3月 29th, 2019 by 三木 奎吾
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