
さて、一昨日の濃い取材を終えて
そのデータをさっそく、いろいろに整理整頓をはじめております。
で、なんといっても岐阜県恵那への出張でしたので
可能な限りで、その周辺も見学日程に入れておりました。
駆け足でしたが、あちこち住宅雑誌編集長としての目で
取材見学して来た次第であります。好奇心が強い方なので(笑)。
そこから、ようやくきのう夜に札幌に帰還いたしました。
ということなので、きのう1日は移動に費やしていたところ、
ブログ・Facebook投稿への反響がさまざまに寄せられていました。
さすがに鎌田先生・前先生の発言への反響は大きいものがある。
わたしのブログでは、わたしの興味の割合に応じて
ZEHのことをひとつの大きな視点にしてまとめてみた次第ですが、
それこそ堰を切ったように多様なご意見がうかがえました。
そういったご意見の中に、「メカメカZEH」というネーミングが印象的。
「多少断熱性能が悪くても太陽光発電パネルやコージェネを採用すると
容易に基準をクリアしてしまう今の基準には「?」を感じています。
設備ありき、の基本姿勢を変える必要があるのでは。」
「イニシャルエネルギーコストも含めてZEHの評価をすればよい。
大変難しい作業ですが、建築材料のエネルギーコストからみた
公的評価基準がないとフェアな評価ができないのでは。」
「寒いZEHとは(~_~;)」
「設備開発側から家の空調負荷を考えれば高断熱高気密は必修な条件、
結果的に寒さや暑さを感じる箇所のない住宅。最小のエネルギーで
ZEを実現するのが技術屋の仕事」
「ZEHは外皮性能が基本です。UA値をとにかく、突き詰めて、
そのうえで、省エネ設備があると認識しています。
太陽光をたくさん載せたメカ的なZEHは寒いと思います。」
「エネルギーを10GJ減らす為の躯体にかかるコストと、
10GJ創る為の設備のコストとの比較。寒い地域と暖かい地域では
考え方が違ってくるのでしょうね。」
「都内で木造三階建て、屋根も小さくビル影などの影響。
更に道路づけ次第で、太陽光発電に向かない場合も多々ある。
太陽光で調整(キャンセル)にならない。
メカメカZEHは目指さないとの考え方に賛成。
まるでメーカーの姿が透けて見える政策には抵抗を感じます。
本当に住んでる人々にとって快適な住宅を、提供したいです。」
どうやら、行政主導のいろいろな動きというか独走に対して
民間・工務店の立場側からは必ずしも、同意ではない。
みなさんのご意見は、それぞれにすばらしく、
今後の方向性を考える上で、非常に貴重なご意見と承りました。
大変ありがとうございました。
また、整理整頓して情報をお届けしたいと思います。
<写真は前先生のプレゼンより>
Posted on 2月 22nd, 2016 by 三木 奎吾
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さてきのうは、取材長旅の締めくくり、
岐阜県恵那市での表題セミナーの取材でありました。
主催は本州の新住協の中核的存在の金子建築工業・金子さん。
この鎌田紀彦・前真之対論は、昨年に北海道で第1回が行われて
それがきっかけになって、本州地区でも実現させようと努力された次第。
わたしどもでは、おふたりに誌面で連載企画お願いもしていることで
その対論の進展を期待している立場であります。
そういうことなので、継続的にこの対論は取材させていただいて、
今後、いろいろに誌面での発表を行っていきたいと考えています。
きのうの取材では、
鎌田先生から、ZEHへの言及があり、
「ゼロエネハウスって、一般ユーザー的には最上位概念として
いちばん性能がいいように感じられますよね?」
という参加者への問いかけがありました。
おお、と内心が反応させられた瞬間でありました。
日本でのZEHは、とにかく太陽光発電でのエネルギー相殺、キャンセルが
その考え方の前提条件にされていて、
それも暖房と給湯のエネルギー相当分のみ
キャンセルできればいいとされている。
その太陽光発電も10K以内まででゼロエネとみなす、ということで、
そのモノサシを当てはめると、次世代基準相当程度で
温暖地域では容易にZEHが「実現」できてしまうことになる。
「そんな基準であっていいのか」という問いかけであります。
これまで営々と積み上げてきた「高断熱高気密」の家づくりの
あたかもその上の概念であるかのようにして、ゼロエネハウスが
位置づけられつつある現状への強い危機感が感じられました。
北海道が努力してきた「暖かい家」よりも
なんちゃってZEHが、上位概念とされる危機感。
これはわたし自身も強く懸念を抱き続けてきた部分。
また、前先生からは、アメリカのZEH住宅概念が日本のものへの
対置的なものとして論及されて

「ZERO energy READY HOME」〜太陽光発電や蓄電池は
どんどん改良が進むからそれらが技術発展してコストがこなれた段階で
採用すればいい。その前にその設備が最小限でも
ちゃんと機能できる家を今、建てるべきである、
という考え方の紹介がありました。
このような日本型ZEHのいびつさについてのお二人の考え方に
大きく同意させられた次第であります。
わたし個人的にも、「寒いZEH住宅」というものが建つのではないかと
大いに危惧している次第であります。
こういった声が上げられたことには、大いに意味があると思います。
今後、この「対論」の様子は
その深まっていく様子を、いろいろな形で
発表していきたいと考えています。よろしくお願いします。
Posted on 2月 21st, 2016 by 三木 奎吾
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きのうの続きです。
最近だんだんと、死まで含めた生き方を考えるようになってきた。
写真は、皇居宮殿の襖屏風絵を描いた山口逢春さんの
葉山の終の棲家の1室です。
以下、美術館HPよりの引用。
山口蓬春記念館は、山口蓬春が昭和23年(1948)から
亡くなる昭和46年(1971)までを過ごした邸宅であり、
既存の木造2階建て家屋を自邸として購入後に画室をはじめとした
増改築を建築家・吉田五十八が手がけました。
現在の建物は、その構造から昭和初期に建てられたと考えられ、
蓬春は、昭和23年(1948)に五十八の助言もあり、
当時売りに出されていたこの建物をドイツ製カメラ「ライカ」一式を
売却することで手に入れました。その後も五十八によって増改築が行われ、
昭和28年(1953)の画室の増築のほか、
昭和32年の母屋の一部増改築などが行われています。
置かれた椅子の佇まいに、
まるでそこに山口逢春さんの視線がそのままあるように感じられた。
椅子って、こんな「空間表現」が可能なのかと
驚くような思いを持ってしまった次第です。
これは一種の美術表現であるかもしれません。
吉田五十八さんの設計によって建てられた自邸は
いま、美術館としてそのまま公開されているのですが、
そのなかでも、この室はとりわけ感慨の深い演出構成がされている。
手前側には、吉田五十八さんの設計イメージ通りなのか、
座卓は艶消しの表面仕上げだけれど、モダンを感じさせるもの。
そして和室側はやや光を制御した空間であるのに、
その先の縁空間には、庭の眺望、さらに太平洋の海が広がっている。
「そこに住む、魅力の発見・最大化」そのままの光景。
そこに置かれた椅子は、この建物が
ある芸術者の「数寄」のために、精魂込められたものであることを
まことにわかりやすく伝えてくれています。
自邸がそのまま作品美術館になっているという意味合いが
まっすぐに伝わってくる思い。
芸術者としての、山口逢春さんと吉田五十八さんが
コラボレートした「環境芸術」のように思われます。
建築と芸術の両方を楽しむような体験ですね。
Posted on 2月 20th, 2016 by 三木 奎吾
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今週は出張の身の上。
大きなテーマとしての製造業としての「住宅の作り手のマーケティング」
キックオフイベントとしての青森での講演のあと、
長距離移動で、岐阜県まで移動する日程であります。
で、移動の合間を縫って、この表題の住宅を見学致しました。
以前に、皇居のメインルームの建具の装飾画に採用された
山口逢春さんのモミジの絵を見て大きな感動を覚え、
その遺された自邸が、逗子からさらに奥の葉山にあると聞いて
一度、時間に余裕のあるときに、訪れてみたいと思ったのです。
そして調べるうちに、その美術館として使われている旧自邸が
昨年末に東京世田谷で見学した建築家、
近代数寄屋住宅の吉田五十八設計であるということも知った次第。
ということで、首都圏ローカルではあるけれど、
御用邸もある、念願の葉山まで訪れることができました。
取材ということにはなるのですが、
こういう住宅との出会いは、むしろ「対話」というような心理に近い。
その建て主の立地環境との関わり方、
その建築者の「そこに住む魅力の発見・最大化」の考え方の
両方と向き合って、浮かんでくる内語と現実のいごこちとが、
相乗作用を持って、その時間にエッジを立てていくような体験であります。
施主・建て主へのリスペクトと建築者へのリスペクトの
両方を持って豊かな時間を過ごすことが出来ました。
山口さんの作品は、いわば日本美術の華である琳派の系譜の中にも
位置づけられるのではないかと感じています。
日本の自然に対する感受性の部分で、
琳派の持つ、あの光沢感が作品にあふれ出ているように見ました。
そうした画家が、鎌倉からさらに奥の
葉山という終の棲家で、ゆったりと自然と対話し続けるに当たって
近代数寄屋住宅の吉田五十八さんに設計を依頼した。
太平洋の水平線も見晴らせるけれど、
視線はあくまで自然な範囲での高さに保たれた高台から、
傾斜を日本庭園で満たしながら、南西に向かっている敷地に建っていました。
庭にはほんの少し、梅の花も咲き始めていて、
空気は冷たいけれど、光には十分なやさしさも感受することが出来ました。
写真はある程度、たくさん撮ってきたのですが、
じっくりと整理整頓を楽しみながら、徐々に発表していきたいと思っています。
こういう生きている時間の活かし方もあると思います。
Posted on 2月 19th, 2016 by 三木 奎吾
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さて、「戸建て注文住宅」のマーケティング、
同時に「地域工務店の戦略マーケティング」というテーマに
しばらくの間、こだわって深掘りしていきたいと思っております。
今回の青森でのトライは、こうしたテーマを今後追求していくための
いわばキックオフとも捉えていた次第であります。
こういったことを考えて行くには
戸建て住宅の本質ってなんだろうか、
ということを深く考えていくことに他ならないと思います。
で、まずは、人間が住宅を求める究極の目的の分析。
表題のようなことに絞り込まれていくのではないかと。
考えてみれば、人類史的に考えてみて
わたしたちは、先祖のさまざまな経験知、体験の蓄積、長い経緯の末に
それぞれ、生誕の地を迎える。
親にとっては、それこそ人生をかけて選択した結果が、
つぎの世代にとっては「ふるさと」になる。
ずっとこういう世代経験が積層する固定的な社会であることもあったし
移動が常態化したような社会であったこともあった。
固定化か、流動化かは、その世代が経験する時代環境によって
大きな違いがあると思われる。
しかし、そういった個体差を超えて、「住む」ということの
いわば「人類知」のようなものは存在するだろうと思う。
「住めば都」というコトバがあるけれど、
そこに住み暮らすことに、最大の魅力体験を経験したいと思うことは
多くの人にとって、わかりやすい住宅の楽しみではあるだろう。
地域工務店という言語特定よりも、
やはり「住まいの作り手」という特定の方が似つかわしいだろうと思う。
人間が住む土地をどこに選択するか、という経緯・プロセスは
さまざまではあると思うけれど、いったん決まってしまったら、
「どう楽しめるか」ということが、最大のテーマになる。
その個人の嗜好傾向をも超えて、地が求める自然な切り取り方、
その土地を楽しませることに、作り手は集中力を高める必要がある。
いわば土地の魅力の感受力という部分だろうと。
写真はわが家の新築等時の写真であります。
わたしはこの新築の時に、はじめて地面に足を止めて住むという
そんな意識を強く感じていたと思います。
こういうことを意識してつくる注文住宅の良さは、
かならず、それを見る多くの人にもわかりやすく伝わるに違いない。
そしてそのようにつくられる家が多く集積する街は、
より魅力的になって行くに違いない。
資産価値を高めると言うことは、そこに暮らす人間に共通する
責務に近いものなのだろうと思う所以ですね。
Posted on 2月 18th, 2016 by 三木 奎吾
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きのうは青森市内、ラプラス青い森にて
表題のような講演セミナーをこなしておりました。
今回は東北電力青森支店さんの主催セミナーで、
わたしが、表題のようなテーマについてその講演者の選定からアテンドを含めて
企画から講演者旅程管理引率、講演会での司会、発表、
パネルディスカッションの運営役と、こなさせていただきました。
これまでもいわゆる講演はなんども経験していますし、
つい12日前にも、同じ青森市内で講演させていただいていましたが、
今回は、役回りが多くてさすがに、やや疲労感(笑)。
今回のテーマは地域工務店の立場に立った
経営環境全般に及ぶような内容を企画して
札幌で活躍されている不動産マーケッター・志田真鄕さん、
十勝帯広で2×4工法住宅の普及に30年以上、中核的に関わっている
ウッズ設計・山口さんと、わたしの3人トリオでのセミナー。
こういった内容にふさわしいと以前から考えていた人選で
都合3時間半を超える研修会となった次第です。
講演中で志田さんも触れられていましたが、
住宅建設という需要は、1年間で総世帯に対する発生率は
わずかに1.8%に過ぎません。
こういった領域に対する迫り方は、一般的な販売活動を想定する
いわゆるマーケティングの常識的対応は通用しにくい。
さらに需要に対しての、中小事業者を中心対象としたマーケティング研究は
いろいろな調査研究が十分とは言えない領域。
そういうなかで、地域工務店の実態に日頃から接触頻度が高いのを活かし
なんとかいろいろなケーススタディをもとに
地域エリアの特殊性も解析しながら、テーマに迫って見ているのです。
ただ、各人の発表は今回が一期一会のような内容であり、
自分自身もその発表者の一人でありながら、
それらの発表内容を丹念に聴取しながら、要点も整理して
最後のディスカッションテーマを抽出把握して、
会場のみなさんにわかりやすくテーマを絞り込んで発言も促すというのは、
けっこうな作業量だったわけです。
でも、なんとか初期の想定イメージに近い討論空間を導き出すことが
できたのではないかと、参加者のみなさんの声を
終了後の懇親会で聞かせていただきながら実感できました。
まぁこのテーマは、時々刻々と変化していくし、
ひとが変わればマーケティング手法も変わるので、
エンドレスに深掘りしていくべきテーマ領域だと思います。
終了後講演者3人で酒を酌み交わしながら、濃い(笑)反省会も持てて、
ひとつのキックオフにもなったなと、楽しく思えた次第です。
Posted on 2月 17th, 2016 by 三木 奎吾
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既報の通り、きのうは朝から社内会議を済ませたあと、
午後からは「きた住まいる会議」に出席。
ワーキンググループの具体的な検討を行っておりました。
星雲状態のような状況から、徐々に具体的な方向性が見えてきた。
あ、ご存知ない方にはなんのことやら、ですね(笑)。
北海道という地方自治体は、
開拓使の昔から、この積雪寒冷の地に日本人の大量移民を
実現するために、寒地住宅はどうあるべきか、
長い時間をかけて地域住宅運動を継続させてきた稀有な地域です。
民族がそのフロンティアに立ち向かって行くという経験は
歴史的にも北海道がいちばん極限的な体験だったといえるでしょう。
その北海道の住宅施策の最新の形が、この「きた住まいる」。
これまで「北方型住宅」という地域ブランドも創出してきたのですが、
そういった流れをさらに発展させて、よりユーザー本位に
社会制度資産的な「家づくりプラットホーム」を創り出そうというもの。
住宅政策をほとんど持ってこなかった日本政府が
2代目福田内閣以来、長期優良住宅という政策をはじめ
2020年には省エネ基準の「義務化」をかかげてきているなかで、
こういった地域の住宅運動的な動きは、どのように展開すべきか
知恵を絞らされている次第。
年度末になって来て、座長代理の鈴木大隆さんを中心に
濃密な頻度で会合を重ねてきています。
ちょっと、人使いが荒いかも(笑)・・・。
ということで成案を得るべくもう少し,回を重ねる必要があるようですが、
新しい仕組みの輪廓は像を為してきているところ。
で、会議をやや早めに切り上げさせてもらって、
わたしは青森への移動、同行者のアセンブル引率に。
心配していた荒天ですが、なんとか無事にクリア。
とは言っても、機体から足が出るときには、
かなりの衝撃音も発していて、そのすぐ上の座席だったので、
一瞬は、動揺もさせられていました(笑)。
さて、本日は3人一座での講演会であります。
地域工務店マーケティングの深掘り、がんばりたいと思います。
Posted on 2月 16th, 2016 by 三木 奎吾
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さて今週は、出張で開けます。
16日火曜日には青森で、わたしがアテンドする工務店向け講演会。
青森県内の工務店さんに向けたもので、なんと講師が
わたしを含めて3人というものであります。
地域工務店の生き残り、マーケティングについて
いろいろな視点から考えるきっかけを提供しようというものですが、
なんといっても、3人のスケジュール調整からチケットの手配
講演資料の手配・準備等など、ふだんはやらないような段取り仕事を
たくさんこなさなければならない。
打合せ、人選、テーマ検討、提案、打合せ、打診、などなどのプロセスを経て
<って書くと、たくさんの山谷がありますね〜(笑)〜>
その仕上げが、本日夕刻からの出張移動であります。
その上わたしは、出発時間までにも道庁の会議などに出席せねばならず、
これはこれでやること、考えることは山積なので
そっちのこともあって、なかなか集中も出来ない。
3月に入っての韓国視察ツアーの頼まれアテンド役もあるのですが、
どうも気遣い仕事は、骨折れ感ハンパない。
とはいえ、人間に関わることは所詮は話せば通ずるけれど、
いちばん困るのが、この時期の天候と飛行機の運航状況。
冬と雪の神さまには、どうしたってかなわない。
とくに青森空港には、いろいろな想い出が(笑)あって、
これが、一筋縄ではいかないのであります。
青森空港って天候条件的に全国でもいちばん不安定な空港では?
冬の青森空港は鬼門でして、なるべくならば利用は避けたいのですが
講師の方には、時間が札幌からでは7時間かかるJR移動はお願いしにくい。
今回はおひとり、なんと帯広からお願いもしているのです。
帯広からだと、+2時間はかかるのです(泣)。
これが往復なので、まことに申し訳がなさ過ぎ。
まるで海外かよ? ってところですが、しっかり津軽海峡はある。
飛行機にしても当日移動だと、天候への対応ができない可能性もあるので、
やむなく、前日夜の便での移動をスケジュールした次第。
こういった移動では、今後はやはり新幹線開通がありがたいかも。
ただ、北海道新幹線は千歳はルートになっていない。
北海道の場合は、本州地域との交通の大動脈は千歳空港。
これとのアクセスがない新幹線って、どうなるのか。
まぁ、飛行機はライバルとして路線重複も避けたのでしょうが・・・。
さらに北海道の猛吹雪に、新幹線運行は大丈夫なのかと不安。
で、その天候条件、どうやらきのう千歳は大荒れの運行状況。
こういうイベント・移動スケジュール管理の担当者という役柄は
気苦労が絶えない仕事なので、できれば遠慮したいのではありますが、
行きがかり上、やむを得ない仕儀なのであります。
アテンド役と講演者役は、両方こなすのは厳しいものがある。
3日間ほどは、天候状況ともにらめっこで、
あれこれと気を揉まなければなりません、う〜〜む。
Posted on 2月 15th, 2016 by 三木 奎吾
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先日の函館出張では、昼食にラッキーピエロを。
で、お決まりのチャイニーズバーガーセットを食べて満腹していましたが、
その出来上がってくる前に
港近くのお店の店内を見回していると、ごらんの包装のものが
店内の一隅にうずたかく積み上げられているではありませんか。
当然、なにごとかと気になるのは人情であります。
さっそく探検してみると、インスタントラーメンであります。
赤い色の包装がしょうゆ味で、黄色い方はしお味という次第。
ラッキーピエロは地ハンバーガーショップとして
函館らしさへのこだわりという、北海道内企業としては、
きわめて先進的なスタンスで商売している。
そのメニューの融通無碍さは、まことにリスペクトさせていただいていて
ラーメンまでメニューにあるということは聞き及んでいる。
しかしそれをまた一歩進めて、インスタントラーメンとは、
さすがに、そうか、その手かと驚かされる。
裏面を確認したところ、製造は旭川の知る人ぞ知るラーメンメーカー
藤原製麺と言うことでした。
ラッキーピエロは、これからの「地元」企業としての先導的な
マーケティング活動を行っており、
そういう展開の中で、押し寄せるアジア圏の観光客をにらんで
こういった戦略を選択したものとお見受け致しました。
このラーメン、食べてみると「寒干」の技術で製造した麺を使っている。
世界的には、一般的なインスタントラーメンが主流でしょうが、
生麺の食感を重視した寒干を採用するあたり、
インターネット時代のローカリズムへの先駆けという
なかなか先を見越していると思われる。
そして山盛りのディスプレーションは、
中国の爆買い志向のみなさんへのサブリミナル戦略としてのアピールと
受け取らせていただけました。
ということで、1食170円也という商品ですが、
こういうのは食べないカミさん以外の、坊主とわたしの分として、
各1食、ラッキーピエロの戦略にまんまと乗せられて
お買い上げとなった次第であります。
・・・まぁ、なかなか美味しかったということで。
Posted on 2月 14th, 2016 by 三木 奎吾
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現代の住宅デザインでは、ミニマリズムの傾向が強まっている。
ミニマリズムってなんだろうと調べてみると
完成度を追求するために装飾的趣向を凝らすのではなく,
それらを必要最小限まで省略する表現スタイル。
1960年代に音楽・美術の分野で生まれ,ファッションにも導入された。
というように記述表現されている。
現代住宅では、さまざまな「快適性」が実現されてきた。
電気が通って、まずは照明が家庭生活にもたらされた。
そして、水道が通って下水道も完備することが普遍化した。
その結果、数多くの生活利便性が一挙に家庭生活に導入された。
大きく透明な内外遮断装置であるガラス入りの窓は、
それが社会に導入されたときの興奮と価値感をいつしか忘却して
短時間に、もう後戻りは出来ない快適性として
「現代社会常識」を形成してきている。
多くの家電品などが、欲望喚起手法に乗って家庭に入り込んでもきた。
それらは、途中からは「人々が本当に欲しいのかどうか」よりも
欲望喚起の流れの方が「普通」とされて、
やがて一種の現代的豊かさのかたちそのものとして受け入れられていった。
そうなってくると、人間の「価値感」というものも
きわめておぼろげなものであることがわかってきて、
その結果、家庭の中はそういった「便利さ」が
人間を包囲するかのような状況に立ち至っていた。
そういった総体としての社会の流れに対して、
もう一回、「ほんとうに人間にとって必要不可欠であるもの」に目覚めようとする
そうした意味で、シンプルライフであるとか、ミニマリズムは正しい。
で、そういった人間性回復の流れは、
その精神性の部分で、どうも利休さんの茶道や茶室に通底すると感じられる。
極小のスペースに向かって、限界的に空間性を絞った流れは
日本にしか、その文化性は存在しなかったのかも知れない。
ただ、今起こりつつあるミニマリズムは、やはり宇宙ステーション的な
茶室空間であることは疑いがない。
人間は一度手にした「快適性」は本質としては絶対に手放しはしない。
利休さんや茶室の作り手たちが茶室で目指したものは、
コトバとしての「草庵」そのものではなく、
一見そのように見える中に、あらゆる快適要素を磨き上げたのだろうと思う。
五十嵐淳さんの還元手法的マンションリフォームで
剥き出しにされた換気ダクトが白く彩色されて
モノトーンに還元されても、機能性としては有用に利用されている様子を見て
こんな雑感に浸っておりました。
Posted on 2月 13th, 2016 by 三木 奎吾
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