
本日は、読書中間感想文(笑)、であります。
わたしは大多数のひとと同じように、
日本の近現代史については、高校までの教育では学んでいません。
70年前の敗戦という破局を経て、日本人は
そこに至ったプロセスを学ぶことにすら、
ある禁忌を課してきたことのひとつの表れが、こういった
事実上の教育「制度」であることは、厳然たる事実でしょう。
その根拠の大部分は、アメリカによる事実上の長期的占領継続、
冷戦以降も続いたアメリカによる世界戦略のなかで、
その軍事的プレゼンスを国内に受容し続けなければならなかった。
そのことは「属国」と言われてもやむを得ない状況ではあるけれど、
逆にアメリカの軍事力・抑止力の傘の下で、自らの国家戦略とか、
そのための防衛戦略などについて本格的掘り下げをしなくて済んできた。
日本人はそのようないわば真空状態に長くいるけれど、
今回のトランプのアメリカ大統領当選は、再度、現在の国際関係の中で、
日本がより自立的な動きをせざるを得ない状況に向かう、
その象徴的な号砲のように思われます。
そんな経緯から、司馬遼太郎さんの著作のなかでも気の重かった
「坂の上の雲」を読み進めています。
とにかく長い。全8巻の大長編、Kindle版でも5,400円という大作。
明治の開国、その経緯からさらに日露戦争に至る
帝国主義争闘真っ盛りの東アジアと世界の情勢の中での、
日本の「国家戦略」について、司馬さんの目を通して読み進めております。
近年、日露戦争とは第0次世界大戦であったという論が
語られるそうですが、まさに剥き出しの帝国主義戦争のなかで、
日本人が生きた軌跡、その群像について
直接の自分の血のつながり、脈絡のような思いも沸き立ちながら、
まるで首から上の腫瘍について考えるような思いがしてきている。
トランプさんとは、基本的にアメリカのホンネがより強く訴求されてくる
そういった政権であろうと思われる今、
冷静な「国家戦略」、国として、地球市民としての生き方を
日本人と社会に迫られるのではないかと思います。
先人の知恵、思いを大いに汲み取って行かねばなりませんね。
それとやはり、近現代史はきちんと教育すべきでしょうね。
これからを生きていく上で、近しい過去を正直に学べないというのは、
基本において狂っている事態だと思います。
Posted on 11月 14th, 2016 by 三木 奎吾
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北関東栃木県市貝町から出土した8-9世紀の「豪族居宅」。
時空遙かな「取材」であるのですが、興味が深く沈殿しております。
わたしは、住宅を「取材する」ということを仕事にするようになってから、
生活ぶりとかに対する感受性をなるべく磨いていきたいと念願しているのですが、
そういった興味は、現在の住宅にばかり向くとはならない。
はるかな昔日のことを思い起こさせてくれる古民家とか、
古建築、さらにはどうしても「遺跡」の類にもその興味が深まるのですね。
まぁ一種の職業的な環境の成せる技なのでしょうか。
こういった古住居遺跡からの生活痕跡に強く惹かれるものがあります。
で、この「豪族居宅」の主は、墾田永代私財法によって
「土地私有」が公的に認定されるようになってから急速に開発された
いわば開発領主の富を表す居宅であり、多くの建物が建築され
擬制的に「郡司」国衙とも類似した建物群の配置計画となっています。
主屋には威信を表す「四面庇」をもつ建築が建てられ、
同時に数十人規模の食膳を整えうる「大型食堂」建築などもある。
たぶん、初期荘園的な豪族、「富豪の輩」と史書に表記された人々の
生活ぶりがそこから立ち上ってくるような印象がある。
この時代の稲束は、それ自体が貨幣であって、
それを大量に収納させていた高倉建築が林立してもいる。
律令民は過酷な収税から逃れたくて、流民となったとされるのですが、
たぶん空間地理的に「移動」したのではなく、
公地ではない、こうした私有の墾田の方に「まだましだ」と
公民から私的隷属民へと積極的に身分移動して行っていた状況が見えてくる。
公民としてワケのわからない「国家」に搾り取られるよりも
いっそ、顔も素性もよく知っている墾田の「旦那」、お館の私有民に吸収された。
いつの時代にも「格差社会」はドンドンと進展する現実があったと。
そんな時代の実相が、こういった遺跡発掘・研究から立ち上ってくる。
写真の発掘跡は、「氷室」跡だとされていました。
この遺跡の発掘に当たられた日本考古学学会員の
中村信博先生から教えていただいたのですが、
地面を掘り込んで、その底には周辺から採掘される鹿沼石のような素材が
敷き込まれて、「透水性」が確保されていたそうです。
で、その穴倉に「氷」を入れ込んで貯蔵させていたとされていました。
「では、その氷室はいまの冷蔵庫のような利用だったのですか?」とわたし。
「いや、どうもかき氷のように氷自体を食べていたようです」とのこと。
かき氷って、暑い時期にはたしかに涼を満たしてくれるものですが、
それがこの地で1200年前に食べられていたというのです。
その氷も、河川交通を使って日光山系あたりから運んできたモノか、
あるいは、いまでも技術伝承の残る製氷を近在で行ったものか、
定かではないけれど、いずれにせよ、そのような嗜好品的高級食が
1200年前前後に行われていたということの証拠だそうです。
そういった食事が、宴会などのシメのデザートとして振る舞われる光景を
想像してみると、まことに刺激的であります。
たぶん、このまま公地公民で得体の知れない「国家」にいるよりも
この私有地の農業奴隷・私有民になったほうが楽しいぞ、と勧誘されたか、
それとも「富豪の輩」がわが世の春と宴の暮らしを楽しんだのか、
まことにリアリティが迫ってきた次第であります。
Posted on 11月 13th, 2016 by 三木 奎吾
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きのうのメキシコとの国際野球試合。
わがチームの大谷翔平君は3番DHでの出場。
4打数2安打2四球という成績だったのですが、
第1打席での2塁打は、左打者のレフトライン際への打球でした。
同じ時間帯に、NHK(たぶん北海道ローカル)では、
日ハム指揮官の栗山監督へのインタビュー番組。
久しぶりの両方のチャンネルをあちこち、という野球少年的愉しさ。
なんでも、栗山監督が大谷クンの打者としての才能に惚れ込んだのが、
高校野球試合でのレフトフェンス直撃のライナー打球だったという話。
それとよく似た打球ラインを見せてもらっていたので、
ふむふむそういうことなのか、と面白く話を聞いておりました。
栗山さんは評論家として活動していたときにこの打球を見て
「大谷クンは打者としても世界一になれる」と確信したのだそうです。
栗山さんが初めて大谷クンと接触したのは2011年震災直後1カ月くらいだった。
当時の大谷クンの相方の捕手の少年の家が岩手沿岸で被災し、
家族が行方不明ということで心配しているという頃とのこと。
その後、縁があって日ハムの監督になり、大谷クンの交渉権を得て
いきなり大リーグに挑戦したいと考えていた大谷クンに
はじめはニッポンプロ野球で育成されてからの方が成功確率が高いことを
理路整然と説いたのだそうです。
日ハムがこのとき用意した説得のためのレポートは話題にもなったけれど、
結局大谷クンはクレバーにこの説得を受け入れて
わがチームの「育成」に身を投じてくれた。
番組では、いまの大谷クンの現状について
栗山監督のコトバがあって印象的だった。
「打者としては、イメージの理想に対して6〜7割のレベルに達しているけれど、
投手としては、かれ大谷翔平のポテンシャルに対しては20%程度」
とあくまでも厳しい辛口の評価を与えていた。
そんな監督の評価を知ってか知らずか、
その後の同時進行の試合の方では、平凡な1塁ゴロだったけれど、
相手1塁手が強打を警戒して深く守っていて、捕球したけれど
投手の1塁カバーに一瞬の遅れが出て、足の速さで内野安打をゲット。
そこから対左投手であるのに、すぐに2塁に鮮やかな盗塁を決め、
味方の進塁打で3塁に進んで、次打者のボテボテの1塁ゴロで
難なくホームインを決めてしまっていた。見事な走塁。
二刀流とよく言われているけれど、
その上に足もずば抜けたアスリートであることを知らしめた。
たぶん、調査に陣取っている大リーグスカウト陣に、
まったく新たな才能も見せつけたに違いありません。
メキシコの監督も、この走塁をきのうの最大の敗因として語っていた。
番組では、ソフトバンクの王さんが福岡ドームで敵陣・栗山監督の処に
わざわざやってきて「すごい宝物を預かって大変だね」とねぎらってくれたという
心の通い合うエピソードも語られていたけれど、
日本の野球が生んだ無限大の可能性が、さらに羽ばたいてくれることを
もと野球少年として、真摯に願わずにはいられません。
頑張れ、大谷クン! がんばれ北海道日本ハムファイターズ!
Posted on 11月 12th, 2016 by 三木 奎吾
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本日はまことに情けないことを書きます。
人間はそれぞれに自分が使うカラダを持っている。
そのカラダは生きてきた年齢分、使い続けているので、
自ずとその使用法、外界との臨界認識は自然に備わっているものです。
ごく当たり前のことですね。
ところが、最近、ごく些細なことで右手の小指を傷めてしまった。
出張に出るためにその準備として、旅行バッグに荷物を入れるべく
いろいろなことを考えながら、作業していて、
使い慣れているはずのその旅行バッグのファスナー部分に
この右手小指を衝突させてしまった。
ファスナー部分なので、その下にはポケット状の収納スペースがある。
体技的訓練、日常動作として、普通にモノをもって、
「滑り込ませる」可能限界認識からは、「十分に可能」と判断して
そのように動作したのが、結果として小指が小激突して、
衝撃痛を負ってしまったのであります。
ようするに体動作の限界認識に於いて、
判断基準をすこし変更させる必要が出てきた、高齢化対応が
求められるようになって来たということなのでしょう。
こういうのは、その現実を認識して深く思いを致させられる。
目がなかなか見えずらくなってくるとか、
動作の敏捷性がゆっくりとしてきたとか、いわゆる高齢化が
こういった体動作のこまかな部分にまで及んできているのだと
それこそ「痛感」させられた。
で、人間は他の動物と違って、手型の発展をしてきた生物。
多くの動物は「口型」であるのに対して、人に於いて手は決定的な器官だと。
言い換えれば、手は人間の体動作のなかでも
原始からかなりの「鍛錬」と経験を積み重ねている最重要な器官。
その基本利用に於いて、こういった失策をすることに驚かされた。
なんとも、情けないと加齢を思わされた次第であります。
写真は、10月20日前後の写真(左)といま現在11月10日の状態。
事件があった日が10月4日でした。
まぁかなりの衝撃ではあったけれど、外観的には出血などはごくわずかで、
小指の右側、爪の右側境界部分が一番衝撃を受けたようで、
事件後2週間程度の時点(写真左側)ではやや膿を持った状態。
このころは、炎症感も強く持っていて、外科にでも行くべきか、
と思案しておりましたが、体感的には「そこまでは必要ない」と思い、
そのまま放置して今日まで来て、いまはほとんど痛みはない状態。
わたしは、まだまだ爪の伸び方は早いほうで
やや爪が浮き上がった状態でもあるようでしたが、
内出血の状態も徐々に緩和してくるにつれて、爪の浮き上がりも
落ち着いてきているようであります。
ということで、全治1カ月以上ということのようで、
病院のお世話にならずに、自然治癒ということになってきていますが、
体の使い方、より注意深くしていかねばと、情けない決意をしている次第。
小事は大事と肝に銘じております。
Posted on 11月 11th, 2016 by 三木 奎吾
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「まさか、ないだろう」と思っていた事態が、現出した。
アメリカの大統領にトランプ氏当選であります。
イギリスのEU離脱の国民投票直前にも、離脱しない世論調査だという
まことしやかな情報が流れて、その後株価が上昇した局面があったのですが、
今回も一昨日、似たような動きがあってクリントン勝利という予測だという
それだけの根拠の不確かな情報から株価が上昇していた。
その符号から、むしろまさかという予感を持った次第ですが、
結果は、イギリス社会とアメリカ社会のある共有性を再確認させられた。
で、さっそくきのうの東証株価は900円超の株安。
とくに日本に対する攻撃的なコメントを連発してきたトランプ氏当選は
日本の金融政策、円安誘導政策に対して、アメリカからの攻勢が
今後強まっていくだろうという予測から
主に経済の側面から、不安感が募ってのことだろうと思われます。
言うまでもなく他国の選挙のことであり、日本として関心は持ったとしても
どうこうと言える筋合いのものではない。
ただ、これまで日本はトランプ氏の言動に対して批判的スタンスは取っていた。
メディアなどの報道基調も、おおむねそういった脈絡が支配的だった。
日本の国家戦略としても、反トランプが暗黙の基調だったことは疑いがない。
普通、新聞紙面などでは「予定稿」として、
トランプ当選の場合の識者の論説を掲載するのが一般的だけれど、
そのような記事はWEB上でも日経ビジネスにあった程度。
どうやら、日本中がまるで茫然自失のような状況になっているといえる。
たぶんこういった空気は、汎世界的なようで、
海外の反応を朝日は比較的に詳しく伝えているけれど、
とくにドイツ政府は端的にトランプに対する反感を公言してきたことで、
焦燥感を持っている様子が伝わってくる。
イギリスのEU離脱からの流れに、アメリカも共鳴し同調する世界が
今後の基調的な流れになっていくのだろう。
これまでの世界の基軸・英米が期せずして似た世界観を持つことになる。
トランプは選挙戦最終盤では、まともな大統領候補になろうという
そういった志向性をむしろ捨てて、本来の自分を支持する世論に訴求し、
それが結果として成功したと言うことのようだ。
その戦略が勝利を生んだとすれば、アメリカ社会のサイレントマジョリティを
明瞭にあらわしていると言える。
ただ、投票数自体はクリントンの方が勝利したとも伝えられているので、
アメリカという社会の深刻な亀裂もまた、露呈したといえる。
不確実な時代が幕を開けたというのが率直な表現だと思います。
「トランプ三木」と揶揄されたとジョークを飛ばしていた次第で、
わたしの方はまったく事実無根とあらぬ「疑惑」の解消に努めていたのですが、
その当人としても、やや驚きを持って受け止めております。
Posted on 11月 10th, 2016 by 三木 奎吾
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わたしは北海道の住宅施策である、
「きた住まいる」の審議委員を仰せつかっております。
年に数回、この会議で意見を求められる次第です。
でいまはその主要なテーマ、「先導型ブランド住宅」について
討論を重ねてきております。きのうはその会議出席。
行政側、研究側、市民目線側、建築実務側などの知見を動員して
築き上げられてきた技術蓄積を継承し、さらに
次の時代の住宅の目指すべき方向性を論じているワケです。
蓄積の継承については、これは優れた地域資産として
まっとうに評価し、次代に間違いなく受け継いでいってもらえばいい。
もっとも肝心なことは、「いま、北海道住宅の目指すべきもの」です。
このときに、道はいくつか考えられると思います。
これまで培ってきたものを間違いなく引き継ぐこと。
そのなかのよきものを称揚し、発展させていくという考え方。
たとえば断熱のレベルを徐々に向上させていくということはわかりやすい。
以前にも書きましたが、国の省エネ基準が定められたときに、
北海道総体として、現行のQ値1.6レベルを固守したことは、
すばらしい地域の技術蓄積を生んだことは間違いがないと思います。
たしかにこの省エネ基準はいまは、義務ではないとは言え、
事実上、北海道ではユーザーも含めて基準以上の住宅を
総意として選択してきていることは、間違いがない。
いろいろな住宅性能の調査に当たっても、北海道が総体として
この省エネ基準住宅の最先進地域であることは明らかであり、
他地域、あるいは世界的に見ても先進性を持った地域だと言えるでしょう。
いま、わたしたちに課せられている問題は、
もうひとつそこからさらにステップアップさせていく方向性のこと。
行政としての北海道としては、こうした未来形についても
論議していく姿勢を持っている。
そこから「先導型ブランド住宅」という概念も生まれてきている。
北海道が積極的に先導してきた住宅についての施策ですが、
長期優良住宅以降、国もようやく積極的になってきた。
そういった時代にあって、これからの北海道住宅は
どんな方向性を持って進んでいくべきなのか、
多くのみなさんとともに、知恵を絞っていきたいと思っています。
私論ですが、より地域ブランドを向上するような住宅施策の方向に
向かっていくべきなのではと、思っている次第です。
いずれにせよ、たまたまこういった機会に遭遇している以上、
いま、できることをしていきたいと念願しております。
Posted on 11月 9th, 2016 by 三木 奎吾
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断熱技術の進化発展ともっとも相関的に変わってきたのが暖房方式。
現代では、空気を暖めるエアコンが本州以南地域では主流で、
北海道では熱源はさまざまだけれど、
室内に温水式のパネルヒーターを設置する輻射熱タイプが多い。
エアコンは、なんといっても簡便でコストが低廉なのが魅力だけれど、
暖房の「品質」ということで考えれば、
輻射熱タイプには一歩譲るというのが現状の実態でしょう。
パネルとその設置コストが割高ではあるけれど、
じんわりとカラダの芯から温まってくる輻射の熱のここちよさは捨てがたい。
先日のジャパンホームショーでは、太陽熱給湯で
暖房用の温水を作って、それで暖房も賄うという方式も出てきていた。
また、どんな熱源でも構わないから、
床下ピットに加温装置を設置して、そこに新鮮外気を導入して加温して
その加温空気の自然上昇を利用して家中を暖房する
パッシブ換気・暖房も北海道ではかなり普及している。
この場合には、そもそも見えるところに「暖房装置」がなくなっている。
人類は長く、裸の火を囲炉裏で炊くという形式の暖房を行ってきた。
欧米ではストーブというやや、輻射の概念ももった暖房に移行したけれど、
日本では、ずっとこういった形式がとられてきた。
わたしが、住宅雑誌を作って取材し始めてからでも、
当初のFF式石油ストーブから、温水式セントラルヒーティングへと変遷し、
やがてオール電化での「蓄熱暖房器」が一世を風靡した。
余り利用されない深夜電力利用という側面もあって、
社会的にロスが少ない選択と思われたけれど、
その後の「電気ナマ炊き」批判もあって、いまはさすがに廃れている。
という状況の中、北海道でも暖房にはこれといった決定打が出ていない。
エアコンでの暖房でも可能なほどに住宅性能は上がってきたけれど、
その暖房品質については、快適性の点で2重◎とまではいかない。
まぁ、そういった状況がまだしばらくは続きそうな気配であります。
一昨日の大雪がサッパリ融けないまま、
表面がツルツルの路面になっております、札幌地方。
ちょっとしばらくは早すぎる冬が居座りそうな感じですね。
Posted on 11月 8th, 2016 by 三木 奎吾
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北関東の3県、茨城・栃木・群馬は、
都道府県の「好感度」ランキングで毎回、最下位を争っている。
しかし、わたしにはどうもそうは思えません。
北関東をクルマで走ってみると、その景色の雄大さに、
まるで北海道に居るかのような懐かしさを憶えさせられる。
とくに欅の高木が、たぶん防風目的で密集して保存されているような景観に、
深くこころを打たれる思いがして、陶然と魅入ってしまいます。
以前、常陸太田の近くの集村形式のなかの住宅を取材したことがあります。
自然地形の標高40〜50mの小山がそのまま存続され、その山頂付近に
周辺の農地を営む人々の集落が営まれているのです。
その小山集村形式のなかの住宅を取材したことがあります。
小山の斜面一帯には欅が植えられていて、長い風雪を耐えている。
そのケヤキは、やがて生長すると、その集落の住宅用として切り出され、
住宅資材として使われてきていた。
はるかな昔日、子孫の代に使われるべき用材としてのケヤキが、
そのように計画的に植栽されてきているのですね。
さらに、周辺の低地には水田が営まれているのですが、
当然そこに貯えられた田の水も
そこから風に乗って小山の木々の間を抜けてくる薫風として利用され、
小山の上の住宅群に格好の「冷涼風」を送っていた。
現代のひたすら戸建て住宅の内部だけでの「快適性」を追究する知恵と、
このようないわば、地域としての風土・農業土木を活かした知恵と、
いったいどちらに、より大きな知恵があるのかと思わされた。
長い年月を経てなお、生き続けてきている地域の人々の知恵に感動した。
そんな取材経験があって、
それ以来、北関東の自然の豊かさ、天の高さに魅入っている。
歴史的にも、現在の群馬栃木をまたいでいた毛野氏という古代豪族は、
関東における、中央古代王権の最大の守護者的な位置にあり、
古代においては、上野・下野こそが関東の中心であったとされている。
今の東京・埼玉地方は河川と海との境界のハッキリとしない
低湿地帯として開発は遅れていたとされている。
利根川の河口に面していた浅草寺の縁起に、周辺の海の砂の中から
金色に輝く仏像が出てきたとあるのは、上流の上野・下野地域の寺から
洪水で流されてきたということに間違いないと思われます。
最近の研究でも、火山噴火で上野地方が壊滅的被害を受けた記録がある。
そんなあれこれをいつも感じながら、北関東を歩いています。
不人気であるというのには、どうも異議申し立てをしたい気分(笑)。
最近2度ほど通った、栃木県市貝町にある酒蔵の風景が、
その周辺のケヤキの森とまことにピッタリとハマっていた次第であります。
おかげさまで、土日徹底休養で、元気回復しております。
栄養過多で、ややカラダが重たい感じですが(笑)。
Posted on 11月 7th, 2016 by 三木 奎吾
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きのう朝、9時からやっている病院へ行って、
予防的に風邪のクスリをいただいてきて、服用してみたら、
午後から眠くてしょうがない。
昼食後ちょっと横になったら、そのまま爆睡。
で、夕食も家人に作ってもらって食べてからも、再度爆睡。
結局、きのうは午後から1日中寝ていたようです。
今朝も、午前5時まで寝ていましたので、きのう午後1時から計算すると
都合、16時間の間で起きていたのは約2時間程度。
いまは午前7時半ですが、6時くらいから1時間半ほども寝ていた。
トータルで、寝ていたのが15時間半程度。
多少、寝過ぎで腰のあたりややだるいのですが、それでも眠たい。
写真は、今朝5時過ぎのわが家前の様子。
けっこうな降雪ぶりでしたが、7時半にもう一度見てみると
さらにこの倍以上は降っていて、早くもたいへんな大雪です。
11月の初旬でこんなに大雪はちょっと記憶がない。

天気状況をみてみると、わが家周辺地域には活発な雪雲が。
この状態ではしばらくの間、大雪になる気配ですね。
なんですが、カミさんに除雪は任せて養生に専念しようと思います。
風邪もあるけれど、どうもこんなに眠いのは疲れが溜まっているのかも。
考えてみたら10月は18日間、還って来たのが11月2日なので、
10月4日からの1カ月で20日間も出張していた計算になる。
その疲れがどっと出てくるタイミングなのかも知れません。
こういうときは、自然に身を任せて眠いときにはたっぷり寝ると。
大雪ではありますが、まさかこのまま根雪にもならないのではないか。
って、やや不安にもなるような降りっぷりですが、
ま、明けない夜もないことだし、ムリはせずに行こうと思います。
人間、疲れが溜まってくると一番困るのが、考え方が閉塞的に曇ること。
幸い土日の休みなので、それを利用して徹底的に休むのが上策。
この大雪も、ムダな抵抗は止めなさいというように聞こえる。
おお、若いときの機動隊からの呼び声のようであります(笑)。
・・・どうも、時空がねじ曲がってきているようなので、
またもうすこし寝ていたいと思います。
札幌地方と当ブログ、本日はまったく開店休業状態です、悪しからず。
Posted on 11月 6th, 2016 by 三木 奎吾
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さて今週末は久しぶりに北海道で過ごせます。
で、きのうは日中の気温も4度程度だったので、
タイヤを冬タイヤに交換しておりました。
この時期は、北国ではいっせいに冬ごもりの用意をする時期。
で、所用で高速を使って移動していたら、なんと、
「鹿」注意というさすがに見慣れない文字も躍っておりました。
わたしも北海道での生活は還暦まで過ぎていますが、
こういった「交通標示」はさすがにみたことがない。
どうも北海道では、エゾオオカミを完全駆逐してしまって
そういうことでの天敵の関係から、シカが旺盛な状況になっているようです。
天敵がいなくなって、自然の食糧資源が豊かになってきて、
その上、人の食料も失敬できるような状況の中では
ドンドン繁茂していくのでしょう。
わたしも道東地域を走ると時折見掛けるのですが、
たまにシカとクルマとの衝突の状況にも遭遇いたします。
クルマとシカが衝突するとその衝撃はハンパなく、
ほぼクルマの方も通行不能になってしまう。
山にエサがなくなってくる時期には、里にかれらも下りてくるのでしょう。
まことにのどかというか、自然を感じる北海道の晩秋。
で、本日早朝の雪景色であります。
どうも今年は冬の到来が早いように思われます。
暖房も、半月前くらいからはほぼ常時運転している状況。
きのうは久しぶりにオフィスに居たので、
クルマの冬装備を思い立った次第。
さっそくの冬将軍様で、グッドタイミングでのタイヤ交換でした。
ただ、きのう会った方がどうもインフルに感染されていたそうで、
注意していたのですが、やや鼻風邪ふうの様子。
本日早めに、お医者さんに行ってこようと考えております。
みなさんも、季節の変わり目、十分にご自愛を。しっかり休息が肝心。
ということで、本日はほぼ日記風ブログでした。
Posted on 11月 5th, 2016 by 三木 奎吾
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