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【住宅会社選びの情報源とは?】

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さて国交省平成25年度住宅購入者調査データ分析のつづきです。
先日来、このページで探求してきたように
日本では「注文戸建て」が住宅市場のメインを構成しているので、
諸外国と比較して「住宅会社選択」のウェートが非常に高い。
ちなみにアメリカでの「住宅購入の流れ」をみると、
日本とは市場構造自体が違うことがよくわかる。
アメリカでのマイホーム購入までのプロセスは以下のようになっている。
アメリカでのマイホーム購入までのプロセス
より要旨を抜粋してみました。

1. 不動産エージェントを決める
物件の案内から売買交渉、登記の手続きまで、買い手側の立場でサポートしてくれる、州の不動産ライセンスを持つエージェントを決める。
2. 住宅ローンの金額設定&ローンの検討
ローン手続きをしてくれるローン・オフィサーに、毎月の支払可能額を見積もってもらう。どの程度の価格の家を購入できるかがわかる。
3. 物件を見る
現在市場に売り出されている物件をエージェントを通して見せてもらう。
物件内容と周辺の環境や学区、交通の便、価格などを比較する。
4. 売買契約&構造検査(インスペクション)
買いたい家が決まったら、希望価格など条件事項を記入した売買契約書をエージェントに作成してもらい、交渉開始。マーケットが活発な時は、構造検査(Inspection)をする条件をつけると、購入のチャンスを逃すことも多々あるが、基本的には売買契約の1プロセスとして、構造検査を行うようにしたい。

というような流れになっている(以降の手続き過程は省略)。
まずは、住宅購入というのは専門的知見を持つ必要があるのだと
最初の段階で、社会的に制度設計されていることに気付きます。
「不動産エージェント」という存在。
売買代金の2〜4%程度の報酬で、買い主に専門知識を提供する
代理人(エージェント)を、購入者が雇うことから始まる。
日本人の土地付き住宅購入(建築)金額に当てはめて考えると、
総額3,000万円だとすれば、60〜120万円の報酬を払うことになる。
アメリカの場合、というか、世界的には注文戸建てという購入は
きわめてレアケースであり住宅は「実物を見て選ぶ」のが基本。
建て売り新築でも中古でも基本はそうなっている。
注文戸建ての住宅会社の選択を最初にする日本と、
明らかだと思うけれど、合理性はどっちの方にあるのだろうか?
見方によっては日本での住宅購入(建築)でも、住宅会社が
アメリカの「不動産エージェント」の機能・役割をも一部、果たしている
というようにも言えるのかも知れない。
ただし、それはあくまで、オマケのような機能でしかない。
その機能性はきわめて「あいまい」だと言える。
その日本での「会社選び」の選択手法は、図のようになっている。
これをよく検討すると、端的に言って日本では「広告への価値判断」を
消費者に強いていると言えるかも知れない。
モデルハウスにしろ、インターネットにしろ新聞チラシにしろ、
これらはまさに「広告表現」そのものではないだろうか。

こういう産業構造の中では、
できるだけ「不動産エージェント」に近い情報提供を心がけること、
そういった情報提供姿勢が求められるのではないか。
少なくとも「実例住宅の情報」こそが、ユーザーにとって
もっとも不可欠なのではないかと思っています。
地域工務店・建築家の立場に沿って考えてみれば
もっとも小資本で可能な情報提供の王道は、そうなると思います。

【鄙のにごり湯・露天のサクラ】

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連休のど真ん中、北海道はイマイチの天候。
朝からぐずついて、雨模様の中、函館から札幌への道。
いったん日本海側・江差を訪ねてから旧・熊石に北上、八雲方面へと
「雲石峠」を通って噴火湾側に抜けるのですが、
その道すがら、山道に「見市温泉」という看板発見。
一度は行って見たいと思っていた秘湯でしたので、
さっそくお風呂道具を持って訪ねてみました。
あ、カミさんは爆睡モードに付き(笑)、単独行動であります。

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玄関に入っても、なんの説明書きもないので、
そぞろにしていたら、ようやく無愛想そうなひとが出てきたので、
「日帰り入浴はいいの」と聞いたら、
商売っ気なさそうに、「いい」と言う。
なにやら、お金はかからないとでも言いそうだったのですが、
問い返すと「お金を払ってくれれば・・・」ということだったので、
「いくら?」と聞いたら「500円」という名詞だけの会話の末、
クルマに残ったカミさんに財布類を預けて、
いそいそと風呂場に直行致しました。
写真のように、風呂はにごり湯で、内湯はけっこうな高温。
ただ、じっとしているとカラダが慣れてきて、
体表面の熱さには耐性がついてきます。
そうするとじわじわとした温熱感が体奥に染みわたってくる。
浴槽・風呂ともシンプルな造作で、
なんの装飾性も感じられませんが、お湯のホンモノ感はハンパない。
洗面などの装置類は、こちらも装飾性などはないけれど、
シャワーとお湯の切り替えはわかりやすく使いやすいタイプ。
鄙の湯ですが、このあたりの装置選択・使い勝手はなかなか合理的。
無装飾でまったくいいのだけれど、
使い勝手が前時代的というのは、鄙の温泉でも勘弁してもらいたい。
その点では、行き届いていると思いました。
で、内湯の隣にあるお楽しみの「露天風呂」へ。
この露天は、温泉名に冠した見市川に面しています。
その流れ越しに対面側には森の景観が展開している。
流れは雨の関係もあるのか、こちらもにごりがけっこうで早そうな流れ。
このたっぷりの流量の川の向こうに、
なんとも風情のあるサクラが一本、目を驚かせてくれる。
全くの自然とは思われず、やはり宿の心づくしの景色なんだろうと。
で、岩湯の露天も同様のにごりぶりですが、
こっちの方の湯温はやや低くしてあって、
ずっと入っていられるくらいの温度に保たれています。
このあたり、シンプルな鄙だけど、ツボはわきまえている温泉です。

札幌まで200km近く、その後一気にドライブして帰って来ましたが、
疲労回復効果が明瞭だと実感させられた次第です。
北海道八雲町熊石・見市温泉でした。

 【ふたたび函館、観桜のGW満喫】

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さてサクラが間に合った北海道のゴールデンウイーク。
たまたま函館でホテルが奇跡的に取れたので
出掛けて参りました。
いつものように夜中にクルマで出発して函館谷地頭温泉で疲れを癒し、
そこから、函館公園その他のサクラの名所めぐり。
ゆっくりこんなふうに巡り歩くのは初めての経験で
上の写真は、北斗市、旧名上磯の法亀寺のしだれ桜ですが、
あちこちにすばらしいサクラ名所があることを再発見。
で、ホテルに早めに入って近くの大門で、
居酒屋さんでいただいたのが、ごらんの「イカ刺し」。
最近はさばく前に「これをさばきます」みたいに見せてくれて
それから、変わり果てたお作りになって再会する(笑)、
なんだか、かわいそうになる食べ方をさせてくれるようです。
メニューもチャイニーズ書きのものしかない種類のものがある。
インバウンド効果での観光需要、函館も旺盛のようです。
なんですが、年寄りとて、冷たい生ビールでお腹がどうも不具合発生。
わたしはカミさんが送ってくれて、ホテルにて静養。
かみさん一人、五稜郭の「夜桜」見物に。
市電に乗っての行き帰りで1時間後、
「いやぁ、なんも、宴会見物だったわ」ということで帰って来ました(笑)。
一応、ライトアップしているということですが、
風情がある、というものでもなかったようです。

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写真は先日観てきた松前の様子。
「血脈桜」というもので、なにやら松前の殿様のお姫様にまつわる
怪奇譚のエピソードを持つ名物桜。
いつも思いますが、松前って北海道というよりは、
ニッポンを一生懸命に北海道に移植したという土地。
「開拓した」というような心を感じさせない土地柄ですね。
北海道島の南の最果てで、ひたすらに防御意識のみを肥大化させた
江戸期のあわれな一大名の精神性を想起させる。
北海道ではあんまり見掛けない寒椿など、
ひたすらに「内地」がいいなぁと江戸期を通じて思い続けた
そんな雰囲気を感じさせます。
函館が、高田屋嘉兵衛さんを中心にした街づくりを行って
いわば、民間主導で蝦夷地の開発を行っていたのとは対照的。

そんな道南の風景を本日も楽しんできたいと思います。
でも、きょうはあいにくの天気のようです。
さてどうなりますか・・・。

【家の終わらせ方「終家」を考える】

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一昨日の投稿、【空き家と廃屋に見る未来〜「終家」問題】への関心が
たいへん大きかったようです。
建築を考える人たちばかりでなく、多くのみなさんが気付きはじめている。
分散的な家族形態、都会では家族数が2人を切って、1人台に近づいている
そういうなかで、家の総数だけはまだ増え続けている現実に対して
いったいどういう未来形があるのかと、想像を巡らしはじめている。

そのきっかけに、崩壊する家屋、廃屋の風景は
シンボリックに入ってくるものがあるのだと思います。
朝日新聞が流行らせはじめたと言われている「終活」というコトバ。
規格大量生産社会は、現代のわれわれの住宅に大量にその痕跡を残している。
家の中には、絶対に業者が値を付けないようなモノたちがひしめいている。
まずそのようなモノたちの処分問題が大きく押し寄せる。
少子化社会では、現役世代の夫婦にそれぞれの親が住む遠隔地の家の
処分責任がのしかかり、場合によっては自分の家も含めて
3軒の住宅の片付けに忙殺されることになる。
ただでさえ、女性も貴重な労働力として社会進出が期待されている中で、
一方で、こういう「親片〜親の片付け」という新たな家族のための仕事が増える。
そのために、たとえば北海道内で考えても
子世帯が札幌に住んでいて、夫婦それぞれの親が道東と、道北に家がある、
というようなケースでは、子世代はたいへんな労力提供を余儀なくされる。
1軒の家は、その家財道具を含め、使い続けたままに
その利用者に死が訪れ、その片付けには肉親だけしか責任を負えない。
残された家財道具に対する相続問題すら対応しなければならないし、
モノの仕分けだけでも遠距離を何往復もしなければならない。
その交通費も、労働もすべて無償の持ち出しになる。
しかも仕事に従事しながら、こういう作業を休日だけにするとすれば、
期間は相当長期にわたらざるを得ない。
残置されたモノには人間としての尊厳もかかっているから、おいそれとはいかない。
ようやく片付けた後、今度は家屋をどう処分するかを決める必要がある。
売れたり、賃貸にまわせればいいとして、
そうでない場合、大量の廃棄物の処分と、建築の処分費用まで
残された子どもの責任にならざるを得ない。
今の時代、解体するにも「分別解体」が必要とされ、木造1軒でも
100万円は下らない金額が必要とされている。

本当に近未来、こういった作業をせっせと日本人はこなすのだろうか?
否、やはりこういった社会構造の見通しの中で、
合理的な処分方法を、わたしたちは生み出すことになるのだろうと思う。
もっといえば、いまある「資産」としての住宅に、
早急に価値判断の「分別作業」を行っておくべきではないのか。
手に負えなくなってからでは、対応のしようが無いと思われる。

【サクラ<ジンギスカン 札幌円山の春】

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きのうまでの3日間の休みと、あすからの3連休、そして週末土日というふうに
ことしのGWは、適度に分断されておりますね。
本日は、連休の谷間のたのしい仕事日(笑)。

ことしは北海道、連休にサクラの開花が間に合って
各地で美しい様子を楽しむことが出来てありがたい限り。
そんなサクラ、札幌では市内北海道神宮に隣接する
「円山公園」が名所とされています。
なんですが、わたしは観桜では、まず行かない。
っていうか、毎朝の散歩路が円山公園を含んでいるので、
あまりにも身近すぎて、つい足が遠のく(笑)。
写真はきのうの早朝のモノですが、
この円山公園は、花見期間中、ジンギスカンOKというサクラ名所。
まぁ、花より団子というか、
建て前なしのホンネ全開というような光景が展開する。
早朝散歩していると、この時期はカラスが騒々しい。
前夜のジンギスカンパーティの残骸をカラスが発見して
奪い合う、まことに猛々しい様子が、なんとも凄惨なのであります。
どうもそういう様子に、ひ弱なわたしの感性は耐えられない(笑)。
今朝もカラスの跳梁跋扈に閉口して、散歩路変更のやむなきに。
朝の散歩なのに、ジンギスカンの肉のニオイが
サクラ並木に漂っているというのは、どうにもツラい。
この周辺の散歩は、そそくさと足早に、スルーするのが常態です。

でも一方で、こういう2枚目の写真のような
北の街らしいおおらかさがうれしくもある。
他地域のことをそう多くは知っているわけではないのですが、
ここまでおおらかに「焼き肉パーティOKだよ」というのは、
やっぱりあんまり例がないのではないかなぁと。
雪に行動の自由が制約される冬が終わって、開放的な季節のスタート、
思い切り羽を伸ばそうぜ、という勢いが感じられて楽しい。
人によっては朝から焼き肉をはじめている人もいる。
まことにアンビバレンツな心理ですが、
若いときには、ひたすら肉食だったのが、
年とともに、肉はたくさんは食べられなくなったこともあって
最近は、サクラをゆっくり愛でたい方が勝っているようであります。
みなさんいかがお過ごしでしょうか?
それぞれに楽しい春満開を祈っております。

空き家と廃屋に見る未来〜「終家」問題

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住宅業界がこれから考えていかなければならない問題に
「終家」っていう問題があると思っています。
ご存知のように、日本ではいまや、住宅は世帯数以上になっている。
国交省の平成25年住宅・土地統計調査では
以下のようなアナウンスがされています。

総住宅数は,6063万戸・空き家率は、13.5%
総住宅数は6063万戸と、5年前に比べ,305万戸(5.3%)増加
空き家数は820万戸と、5年前に比べ,63万戸(8.3%)増加
空き家率(総住宅数に占める割合)は,13.5%と0.4ポイント上昇し,過去最高。

住宅というのは、機能破綻の結果として放棄されるよりも
社会的に「使う人がいなくなって」放棄されることが一般的です。
連休で北海道内をあちこち走ってみると、
そのように気付いてみているせいもあるかも知れませんが、
写真のような建物が目について仕方ありません。
いまのところ、こういった例は過疎問題とリンクした
社会的使用放棄の結果として、わたしたちの目に映っている。
しかしよく考えてみたら、もっと本質的な問題もみえてくる。
それは、「終家」というテーマであります。
同居しない親世帯の家と、子ども世代の家が、
遠隔地である方がはるかに多くなっている。
そうすると、死亡した親が残した家を、機能停止させ、
それを適切に処分するいわば終「家」活動の必要が生まれてくる。
残された生活雑具と、想い出の品、形見のように残すべきものの仕分け。
廃棄すべきモノの処理と、残すべきモノの適切な保全。
その上での家屋の処分、再利用とするのか、あるいは取り壊しなどの選択。
こういった一切の「管理」問題が、遠隔地に住む子世代にのしかかる。
知人の例では、そのための移動交通費だけでも負担が大きい。
その「資産」が、売却や賃貸利用可能であれば、前向きな営為になるけれど、
過疎地域の場合、ほとんどで「放置」される結果になるのではないか。
そういった大量発生が予想される未来的現実が、
いま、このような断片的風景になってきているのではないか。

住宅事業の立場で言えば、こういった進行する現実の中で
どのような職業的機能が、社会的需要として求められてくるか、
その想像力を磨いて、準備しておかなければならないと思われます。
いわば「家守」という社会機能が、地域の住まいの作り手にこそ求められる、
いや、そういう需要にも資本の論理が働いて大企業が席巻するのか。
いずれにせよ、そういった社会需要がやがて大きくなる可能性がある。
キーワードは「適切な家の管理」ビジネスということでしょうか。
そうしたイメージが膨らんできておりました。

連休初日 弾丸道南観桜ドライブ

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みなさん連休スタートはいかがお過ごしですか?
北海道のわたしどもとしては、ちょうど間に合ってくれたサクラが
格好の鑑賞週間になりそうであります。

わが家、夫婦だけの黄金週間、
なにやら恒例になってきている北海道内長距離弾丸ドライブ。
まだまだ体力には問題が無いと言うことで、
夫婦で運転をシェアしながら、あちこちと足を向ける予定。
きのうは北海道の天気は全般に下り坂でしたが、
早朝というか、深夜3時ころに家を出て、
函館まで走って、7時過ぎには谷地頭温泉にて疲れを癒やし、
五稜郭にて観桜スタートであります。
昨年も道南に来たのですが、今年はちょっと雨模様。
それでも、かなりの人出で花見気分が盛り上がる。
やはり建築とサクラというのが、日本人的にはピッタリくる。
上の写真は五稜郭の函館奉行所を背景としました。
その後、さらに足を伸ばして松前に。
こちらではご存知の松前城建築とのコントラストであります。
そういえば、日本人に花見の習慣が根付いたのは
徳川吉宗が、庶民の娯楽として江戸にサクラ名所を公開したのが
その大衆化に寄与したとされている故事のように
サクラと城郭建築というのは似合いの関係であるのかも。
弘前のサクラが日本一といわれるのも、
その背景としてのコントラスト装置としての城郭建築が
ぴったりとハマるということであるのかも知れませんね。
そういえば武士道や武家文化伝統とサクラの散り際の潔さは、
オーバーラップしてくるものがあると思いますね。
どちらも日本人的な感受性に似合っているとも考えられる。
北海道では、そんな日本人的感受性を合わせて楽しめるのは
道南地域に限られる。五稜郭にしろ、松前城にしろ、
北海道と言うよりは、より「日本」を感じさせる風土なのですね。

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ということで天候をにらみながら、
サクラや春の訪れを愛でる黄金週間を楽しみたいと思いますが、
本日はなんと、起き抜けにあられも降っておりました(泣)。
で、こうした観桜めぐりの結果、
きのうの「歩数」はめでたく10,000歩突破であります。
ありがたくもめでたい、連休初日でありました。

わが家下水槽周辺、土壌陥没事件顛末

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先週お伝えした、わが家の駐車場にある札幌市下水槽(札下と記載)の
マンホール周辺で土壌陥没が起きている件、
わたしには連絡がなかったのですが、
設備業者さんが来てくれて、すでに補修工事も終わっておりました。
これはいい機会だということで、工事取材ネタにと思っていたのですが、
完全に肩すかしであります。どっと崩れ落ちた(笑)。
まぁしょがない、というところですが、工事完了後の様子であります。

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で、陥没の原因について図解を添えて説明していただけたので、
みなさんの参考に、公開させていただきます。
「陥没の原因ですが、予想通りで、マンホールに
接続している 排水塩ビパイプの取りあい部で、
マンホールに穴をあけ、パイプを通してその周囲をモルタルで
充填しているのですが、そのモルタルが取れてしまっていたのです。
さらにマンホールは構造的に上下2つに別れているものを
つないでいるものなのですが、そのつなぎ目にも隙間があって
そこから土砂が流出していたと思われます。
以上の状況を確認して、パイプ回り、つなぎ目には、がっちりと 
モルタルを充填しました、
また20年位は 大丈夫と思います。
陥没したところには砕石をいれて、埋めております。」

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ということでした。
わが家は、新築から25年になりますし、増改築工事からも
20年近くになっております。
その間で、「経年劣化」ということは避けられません。
家というのは、メンテナンスということが非常に重要です。
そういったみなさんの参考になれば幸いであります。

地域中小工務店 「信頼」の勝ち取り方

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きのうまで2回にわたって、
国交省による平成25年ユーザー動向調査結果に基づいて
地域の住宅事業者(地域工務店や建築家)の立場に立って
市場動向を見ています。
日本の住宅建築・選択の実態としては「戸建て注文住宅」が市場形成の基本。
その結果として、家を注文で「頼む」依頼先の「会社選び」が
いちばんの市場動向基盤要因であることが見て取れました。
ではその上に立って、いわゆる大手ハウスメーカーとどう戦っていくのか、
圧倒的な「資本力」と企業認知度をもつ大企業との
ユーザーの「企業信頼感」という戦場での戦い方の研究ということになります。

ここで「信頼感」っていうものの概念特定が必要になってきます。
わたしたちは住宅事業という立場を超えれば、
だれもが一般的価値認識の世界にいる。
住宅以外のこと・ものについては、一般的価値感を持っている。
それはたぶん、戦後社会が新聞やテレビの情報革命を経験してきて
「全国画一」という常識規範が成立していることが大きな要因でしょう。
そういう価値感の現代での現象では、コンビニの存在がわかりやすい。
一時期、スタバのない県とか、セブンイレブンが出店していない県とか、
新しい価値感での「社会格差」が取りざたされましたが、
わかりやすく「全国一律である」ことのユーザー「安心感」を、
ああいった商業空間で毎日、ユーザー消費者は体験し続けている。
あの空間では、旺盛で熾烈なマーケティング努力の戦いも展開している。
先日もローソン店舗で、書店機能の強化発展形実験を見ましたが、
思わぬ角度から、新商品を開発しようとするビジネス魂をまざまざと見ました。
ただ、そういった戦略も常に成功するとは限らない。
セブンイレブンのコーヒーの大成功と、それをステップにしての
ドーナッツの「失敗」事例は記憶に新しい。(まだセブンは諦めていないけど)
しかし全国画一という「常識的選択眼」からくる合理的なモノへの価値基準は
ユーザー意識に於いて、どんどんと鋭敏になってきているといえます。
地域の中小零細企業であっても、こういう先端的感受性は
つねに「市場」からの刺激として受け止め,認識しなければならない。

こういった基本的市場構造は、大前提として受け入れていくしかない。
インターネットの普及は、それを後押しする側面もある。
が、テレビの圧倒的「画一化」とは、インターネットはやや違いも持っている。
セブンイレブンもなんどもネット物販サイトを大々的に打ち出しているけれど、
インターネットはなかなか御しきれないと見えて、活況ではない。
住宅は必ず土地の上に根付いて建てられるモノですから、
必然的に「地域性」というものからは逃れられない存在。
やはり「地域性」ということへのこだわりの方向が、
小資本企業が戦いうる最適の「戦場」であることは疑いがないのでしょう。
大量生産社会の生み出す全国画一の安心感はベースだけれど
これまでの大量販売・全国画一型だけではない方向も出てきている。
「安心感」を満たした上での、地域的な「信頼感」が求められている。
戦いの舞台を小さい「エリア」戦場にすることによって、
大手とは違う「信頼感」の求め方が、必然化するのではないかと思います。

戸建住宅建築のポイント 「信頼できる会社」って?

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さて、きのうのブログで触れた
国交省による総数2,000人調査データから、その②です。
「どうしてその住宅(建築)を選択したのか?」という質問への答です。
回答の多い順に並べて、なおマーケティング的に有為な回答に絞ると
1 信頼できるメーカーだったから  44.4%
4 立地環境が良かったから   34.9%
5 デザイン・広さ・設備がいい   34.4%
8 価格が適切だったから   19.0%
っていうように絞られるだろう、ということでした。

日本は、諸外国と比較して「注文戸建て」住宅の割合が非常に高い。
アメリカやカナダ、北欧、さらに直近では韓国などにも行って視察してきますが、
どこの国でも普通は「建売住宅」というのが基本であって
ユーザーはいろいろな価値判断基準で「購入」すればいい。
言い換えれば、プロがさまざまな市場競争の中で性能もデザインも
コントロールされた住宅を提供することが住文化基盤になっている。
そういった住宅市場構造が出来ているのに対して、
日本では、そもそも最初からユーザーに選択が強制されている。
基本が建売であれば、さまざまな工法やデザイン、性能要件は
住宅の事業者側で、「どうすれば売れるか」と判断して市場に住宅が出回る。
いわば製造者責任が、比較的に明瞭でわかりやすい。
一方で日本では、なにもない土地だけの段階から、
あるいは土地探しまで含めて、「会社選び」をはじめなければならない。
注文戸建て偏重のマーケット構造が生み出したユニークな住宅生産システム。
そういう市場構造の中で、まずは「住宅会社」選びがスタートに存在する。
建売ならば、たぶん、そのモノとしての価値選択が優先するけれど、
注文戸建てでは、会社選択が優先するのが現実ですね。
結果、「信頼できる会社」選択が最大ポイントになる。

しかしなんか、ヘンですよね(笑)。
この産業構造が、大手ハウスメーカーという存在の存立基盤。
この「信頼できる会社」という価値判断基準として、
企業としての規模というようなものが成立するのは、まぁごく自然。
戦後社会の商品経済市場の中では、いわば
大きいことはいいことだ、的な価値判断もあり得たし、
今でもそういう傾向は根強く存在し続けてきていると言えるでしょう。
しかし、この市場形成のなかでユーザー主権が埋没し続けてきたのは現実。
住宅の価値感が事実上、会社の大小で決まるというようなことは
やはり明らかに異常なかたちであると、社会全体が気付きはじめた。
さらに経済の寡占化の進展、首都集中、地方の衰退にもつながった。
地方で住む人間が、その貴重な消費マネーを首都に献上するのは愚かしい。
市場合理性だけがマンモスのように大きくなった一方で
しかし徐々にではあれ、その内容、中身の問題に目が向いてきている。
成熟市場というか、価値感の「多様化」というようなことだけれど、
ユーザーはより本質的な選択を志向しはじめてきている。
恐竜はやがて死滅し、すばしこい哺乳類が繁茂すべきなのだと。

この「信頼できる会社」というユーザーの選択項目に対して
どのように応えていくべきなのか、
まさに主体的な価値提案をもって、応えていく必要があるのだと思います。
当社が住宅雑誌Replanを創刊した、最大のポイントでもあります。