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【7月7日「オオウバユリ」花弁分枝 inさっぽろ】


ここのところ「里山住宅博inつくば」での住宅取材記事を連発。
やっぱり住宅をウォッチして感じたことを書くのが楽しい。
またあした以降、つくばでのいろいろな住宅取材記を書きます。
本日は、別の自然観察テーマ。

札幌で生きていて、この地の自然の呼吸感、空気感を愛している。
個人のそういう体験のなかでも1、2を争うような「イベント」が
北海道神宮周辺、円山自然林のなかのオオウバユリの開花であります。
別にこのオオウバユリたちはわたしが「丹精」込めて
育成しているものではない。
けれど、それをはるかに超えて実感としての
「共生感」をわたしに与えてくれる存在だと思っています。
オオウバユリはアイヌの人たちのいのちを支えてきた
貴重なデンプン質をその根で涵養している存在。
いわばアイヌ民族のソウルフードでありますが、
湿気のある森の中で群生しているたたずまいは、
まるでこの地域の自然のなかの「森の妖精」とでもいえる印象。
花芽がにょっきりと顔を出し、それが大きく膨らんでいき、
ちょうどこの時期に花芽が大きく重たげに分枝する。
その様子は、まるで小さな妖精たちがその愛らしさで
ひとびとを誘い込むかのようなのです。
この時期、ちょうど夏の空気感がこの地を覆う。
北海道は比較的に大陸的な乾燥感が感じられるのですが、
そういうなかで湿潤な空気感をたたえているのが、
このオオウバユリの存在だと思っています。
この円山の自然林は、明治の開拓初期に「開拓技官」として
北米マサチューセッツなどから来訪してくれたアメリカ人たちが
その貴重な「原始の森」を自然公園として保存してくれたことに始まる。
それがそのまま、北海道総鎮護の森としての北海道神宮と連なって
いまでは190万人都市さっぽろの「静謐な秩序観」の中心に位置する。
東京で言えば「皇居の森」に相当するような存在。
たぶん、日本人の心性のなかにこの「静謐な秩序観」への帰依がある。
こういう存在を意図し、存続させてくれたエトランゼたちの
深い思いに感謝したいといつも思っています。

さて、オオウバユリたちのいのちの躍動は
まだまだこれからの「開花」というクライマックスにつづく。
心躍る日々であります。

【堀部安嗣「つくばの家」下屋開口部が刺激的】


さて、きのうまで連続で書いている
里山住宅博 inつくばでの堀部安嗣さんのバンガードハウス。
設計のポイントは3間半×3間半グリッドに「差し込む」ように加えた下屋。
わたしどもは北海道がネイティブなので、
そもそもが「下屋」という建築概念とは距離感がある。
しかしニッポン人ネイティブとしては、建築的DNA感がある。

下屋は、中核的構造に対してより人間的な「いごこち」を想起させる。
伝統的な京都の社寺建築などでも庭との対応として、
「縁側」的に、より中間領域的に融通無碍に作られるように思います。
たぶん日本的な自然環境との応答に主眼がある。
このあたりは、北海道としてはどうしてもバリアがある。
そのことに同意はできるけれど、同じように北海道でできるかと言えば、
悲しいけれどできにくいというのが現実。
この下屋から差し掛かっている屋根は軒先も非常に華奢にできている。
「なるべく薄く」というディテール感でしょうが、
積雪荷重を考えれば、非常にあやういと感じさせられる。
しかしそういう違いは、だからこそここは「つくば」なのだという
「地域性」の豊かな表現でもあると同意できるのですね。
やはりつくばでの「最適解」があるのだと、むしろリスペクトを持つ。
そして、その設計趣旨がより明確に表れるのが
戸袋以外はほぼ全面が「開口部」というその建築表現。
3間半グリッドの総2階が防御的な断熱気密空間仕様なので、
よりこの「違い」が明瞭に伝わってくるのですね。
室内デザイン的にもこの開口部が、キモになっている。


で、この開口部の「仕掛け」のオモシロさに引き込まれていた(笑)。
3連窓がワンセットで、真ん中が簡易な金具でスライド開閉できる。
その外部に網戸とガラス窓の2連の可動窓が備えられている。
木製の建具仕事で、このあたりの職人仕事文化も
本州地域の作り手の底深さを感じさせられる。
もちろん雨仕舞としては長大な「庇」が守っている。
この地での気候条件からは、機能性維持が十分可能だろうと推定できる。
金具は北海道や北欧標準の気密に配慮した重厚なタイプではない。
その分、非常に直感的に操作しやすく庭・外部との境界感が希薄。
こういう3連窓が長手方向で3つ連続されている。
この開口部仕様に対して、戸袋からは「障子」風の内側遮蔽装置が
さらに滑り出てくるのですね(笑)。
日本建築はこういう「建具」による文化である側面が強い。
このあたりも、北海道が進んできた志向性との違いを感じる。
北海道では丹念な職人仕事というものに依存しにくい業界構造。
こういった窓辺の複層的な感受性装置の積層が
なかなかに「たまらない」醍醐味として感じさせられました。

こういう融通無碍な「下屋7.5坪」を含めてなお、
Q値計算では次世代基準北海道と同等の1.6レベルと書かれていた。
そのバランス感覚にも納得できた次第です。

【堀部安嗣「つくばの家」 3間半×3間半+下屋7.5坪】



さてきのうの続き「里山住宅博inつくば」バンガードハウス堀部編。
雑誌関係の写真撮影は実は午前中に済ませていたということ。
わたしは飛び入りなので、ごった返していた見学といっしょ。
でしたが午後3時にみなさんはバス集合されて
その後の見学客の少なくなった隙間時間に再訪させていただいた。
で、ちょこっとiPhone撮影させていただきました。

堀部さんは住宅設計のプロ中のプロ。
新住協・鎌田紀彦先生が進めている「プロトタイプ」計画の
きっかけは、Replan誌面で連載をお願いしているQ1.0住宅デザイン論。
そのひとつの「解」として2間半×6間の「細長い」プランがあります。
これに対して、堀部さんはやはり「伝統的」な4間×4間プランを
よく逆提案として言われていると聞いています。
たしかに4間×4間プランはまさに合理的なプラン。
その合理的ななかで、堀部さんのプランは高い自由度も実現している。
そんな興味を持ってこの「里山住宅博inつくば」バンガードハウスを見た。
ここで採用されたプランは表題のようなもの。
3間半×3間半+下屋的7.5坪。
3間半×3間半というギリギリの寸法感覚で生活要素をまとめ、
そのなかでも写真下のような大きな吹き抜けも入れ込んだ。
そして、下屋的7.5坪を加えそこにパブリックな空間を配置。
周囲の自然環境と同期するような、暮らし方の広がりを意図している。
その延長で、まったく熱的に縁の切れた「外の居間」も造作している。
引き絞った3間半×3間半と、開放的な下屋7.5坪。
そうか、そういう手もあるのかという新鮮な驚き。
断熱気密に十分に配慮したコンパクトな中核に対して
ややラフな造作で自然に親しむ空間をペアリングしたような感じ。
時間的に見学時間が限られていたので、家中の身体的寸法感覚までは
感受することができませんでしたが、
おおむね過不足はないというのが実感です。
というよりもコンパクトなのに大きな吹き抜け空間と、
下屋空間を通しての視線の抜けがたっぷりとあって、
空間的な「豊かさ」を感じることができた次第。
詳細な断熱気密などの建築仕様は情報がありませんでしたが、
小住宅ながら、非常に空間性に変化が工夫されていて
面白みが尽きないという印象を持ちました。
あしたは、興味を惹いたこの家の開口部について書きます。

【急遽、里山住宅博 inつくば見学に行ったら・・・】



一昨日、スケジュールに変動が出た。
で、前からチェックしたいと思っていた「里山住宅博inつくば」見学を。
こういう空いた時間を有効活用であります。
北海道では南幌町の「きた住まいる」住宅展示が成功裡に
展開して、その後の進展も予定されている中、
温暖地側での呼応するような動きとしてチェックしたいと。
ということで、1件別件もあったので、
仙台から片道280km超でしたが、常磐道1本と動きやすいので
早朝出発して参りました。
繰り返しますが、あくまでも予定変更での急な訪問。

で、現地に到着したら、数台のバスが駐車場にある。
歩きながら見学中のお近くの方に聞いたら、
どうも建築関係のプロのみなさんが集団見学されているとのこと。
そうか、さすがに首都圏でのプロジェクトなので、
こんなに注目度が高いんだ、と思わされた。
で、センターハウス的なところでパンフレットのようなものを求めようと。
急に来たので、いまでも21軒あるという住宅の予備知識がない。
そうしたら、近くの住宅見学を終えたみなさんのなかに
見知った顔が・・・。なんと青森むつの菊池さんではないですか。
さすがに勉強熱心だなぁ、と思う間もなく
その後ろから関西のダイシンビルド・清水さんや大塚さんの顔も。
さらに新潟のオーガニックスタジオ・相模さんなど、
次から次によく見知ったみなさんと思わぬ遭遇。
どうも建築専門誌・新建ハウジングさんのバスツアーだそうでした。
いっぺんにこうしたみなさんと再会して情報交換できる機会というのは
なかなかありえないので、超ラッキーであります(笑)。
生きていると実に不思議な巡り合わせに遭遇するとビックリ。
でもまぁ、比較的に狭い業界内なので遭遇確率は高いのでしょう。

そこではじめて、伊礼智さんや堀部安嗣さんがバンガードハウスを建て、
そのほか小玉裕一郎先生や森みわさんなども建てているという情報を聞いた。
まったく予備知識ゼロ状態に、たくさんの情報をいただけた。
ということでたいへん集約的に見学することができました。
みなさんからの種々の情報に深く感謝申し上げます。
で、わたし的に写真の堀部さんの住宅から。
本日は写真だけにしておきますが、
内観の窓を見通すカットの背景壁面には漆喰仕上げ。
この見通せる位置に後ろ姿の堀部さんが座っていて
来客応対をされていました。
この位置からの視線で正面南面日射を室内にどう「取り入れるか」が
いちばん留意したポイントなのだろうかと推察。
写真に撮ってみると、この漆喰壁にバウンドする反射光の変化する様が
たしかにたいへん興味深いなぁと思わされた次第。
これら住宅の様子については,明日以降触れたいと思います。

【クリモグラフ気候図がわかりやすい】

不勉強なもので「クリモグラフ」というコトバをはじめて聞いた。
このブログでも数回取り上げた、前橋工科大学・石川恒夫先生の講演。
グラフ表示としては縦軸に各月平均気温が表示され、
横軸には各月の平均湿度が表示されるものだそうで、
そういうポイントを結び合わせることで、
その地域の独特の「温湿度環境」がわかりやすく図示されることになる。
上に挙げた図表を見ていると、面白い比較資料として、
日本とベトナムの都市の温湿度の月平均を表現したデータが示されていた。
日本は東京・大阪・那覇に混じってわが旭川が入っていて
まぁ当然ではありますが、
それぞれのダントツ(笑)の違いをあらためて思い知らされた。

東京と大阪はほぼ同じような図形を示している。
また、ベトナムの3都市もほぼ同様の形状を示している。
特異な形状は那覇と、わが旭川であります。
ベトナムの形状がほぼ右上の位置で回遊しているのに対して、
積雪寒冷でなお盆地気候という旭川が、いかに特異な
気候特性を持っているかということが一目瞭然。
月ごとの平均の「温度差」が30度前後ある。
同様に月ごとの平均の「温度差」を比較すると
東京では23度ほどで、大阪でも23度ほど。
一方のハノイでは13度ほどしかない。
那覇はベトナムほど高温ではないが、13度とスパンは小さい。
平均的ニッポンでは四季変化が、比較的明瞭で
旭川では極度に明瞭である、ということが言えるのでしょう。
さらにいえば、特異的な最高点である最高気温と最低気温で言えば、
旭川では上で35-6度から下は−30度超と65度超にもなる。
こういった過酷な環境の中では、人間を守る建築外皮が
決定的に重要になることは自明だとあらためて気付かされる。
気候風土対応というものは一様ではないけれど、
どちらにせよ「対応の知恵と工夫」は、寒冷にせよ蒸暑であるにせよ、
こういった極端な地域から生まれ出てくることは間違いがない。
そんな思いをあらためて強く感じさせられた次第です。

【大工技術存続の分岐点か? 元請けと下請け】

一昨日のブログ、【大工職人さん減少が示していること】について
けっこう多くのみなさんから反応をいただきました。
そのなかでの書き込みご意見に深く気付かされました。
建築業界で主導的に活躍される西山祐幸さんからのコメントで
「業界内部の構造から見ると、プレハブが伸長して全国で工務店を
下請け化した。下請工務店としてはプレハブメーカーの下請仕事は
大工の技術の出番は少ないし下請工賃の中で弟子を育てる気にはなれない。
木造系のある企業では30年以上前から自社で職人を育成する体制を
作りましたが、プレハブメーカーの下請工務店は消耗する一方。
自力で(元請で)生き抜いて来た工務店はともかく、
長年、下請を続けてきた工務店は、
今更新弟子を育てる体力、気力は無くなっているのが実態です。」
というご指摘でした。
全国の工務店業界に深い理解をお持ちの方ですので、
わたしどもも、強いインパクトを受けた次第です。
というのは、わたしどものような住宅雑誌が基本的に
ウォッチする対象の「工務店」という存在は元請け工務店なのです。
自分で営業開拓して受注し大工職人の工賃もその将来的な安定的確保を
念頭に置いて、いわば長期的な戦略性を持って対応している。
いまは苦しいかも知れないけれど、将来はこういう製造力が
必ず大きな力になると信じて、そういう業態を維持している。
しかしそういう「元請け」独立自営志向の工務店という存在は
全体の中ではそう大きな割合であるわけではなく、
もちろん、元請けと下請けが混合的という業態もあるけれど、
多くの工務店は、大手ハウスメーカーの「下請け」が本業になっている。
こうした下請け工務店とはどうしても情報の縁が遠いのです。
元請け工務店は技術情報にも非常に敏感に反応するし、
それがそのまま、自社のレベルを上げていくことにもつながっている。
そういう企業としての意欲が、大きな違いになって行かざるを得ない。

いま、大工職人の圧倒的な減少局面でも、
こうした工務店のスタンスによって影響に違いができてきている。
たしかに下請け工務店では大工職人の安定的雇用環境・育成にまで
意識は至らないだろうことは,容易に想像できる。
大工職人の数の減少も大いに危惧されるけれど、
より本質的には熟練技能というものが衰退するということが、
ニッポン全体の活力を減衰させることにつながっていく。
社会全体が、こういう危機を認識していく必要があるでしょうね。
技術の衰退は国富を毀損しかねない。

【社長食堂再起動・握り寿司125カンお稲荷12コ】



きのうは久しぶりに「社長食堂」を臨時営業致しました。
世は「働き方改革」が叫ばれておりますが、
出版WEBという業界は情報産業なので、
人的な「創造力」が基本。なのでなんといっても食が基本。
結びつけがあまりにも強引でしょうか(笑)。
まぁ、そういうことはあまり深く考えず、
目で見て愉しくなる食事は、単純に元気を引き立てる。

で、きのうは夜に会食も予定していたので、
「あんまり多く作らない方が・・・」ということで、
人数16名に対して、握り寿司がトータル125カン用意。
炊いた寿司飯は約8合とやや少なめには致しました。
あ、お稲荷さんは前日に作っておいて、こちらは約3合。
で、スタッフの健康に留意してタケノコ、フキなどの煮付けを合わせた。
食後にはカミさん実家に植えていたサクランボ。
前日夜までに、マグロ・ツブ・ヒラメ・サーモン・カツオ・イカ・タコ
サバ・ホタテ・ホッキなどのネタを仕込んで置いた。
あれ、写真で数を数えたのですが、どうも1皿写っていない。
ホッキがまったく見えていないので、
どうやら、125カンは最低ということで、まだプラスαがあるようです(笑)。
前日までに仕込みを用意して、握りはじめたのは
10時頃からで、完成したのは12時直前。
約2時間で125カン・プラスαということなので、
1分に1カン以上のペースで握っていたことになる。
きのうは、夏場と言うこともあって、わさびを心持ち多めに(笑)。
案の上、各所から悲鳴が上がっておりましたが、ご愛敬。

しばらく忙しくてできなかったのですが、
また社長食堂、挑戦心が湧いてきています。うむ、困ったなぁ(笑)。

【大工職人さん減少が示していること】

図は北海道ビルダーズ協会・武部会長のプレゼンより。
武部会長の会社・武部建設では先般ご紹介のように
大工の育成に総力を挙げて取り組んできています。
この図で見ると、大工職人の数がピークを迎えていたのは1980年。
93.7万人が最大人数。そこから2015年・37.2万人まで
25年間で6割が減少してきている。
いわゆる人口減少による社会的減少幅をはるかに超えている。
それを証しているのは年齢別の割合で、20歳代の減少が目に付く。

武部さんのプレゼンでひときわ耳をそばだてさせられたのは
「大手ハウスメーカーから当社に、大工さんいないか?と声が掛かった」
という部分でした。
ハウスメーカーの側でも業界情報については当然わきまえて、
それでもなお、元請け独立自営の中小企業に頼みたくなる現実がある。
このことはそういうことを表しているのでしょう。
ハウスメーカーという存在は現代社会の中で、
いわば「合理主義」精神を端的に表している存在だと思います。
効率を最大化させることで企業の最大化を追究する存在。
その「効率化」の基本は職人仕事に依存しないで
工場ラインで生産を管理してそこから直接出荷するような志向性。
そのために「ムリムダ」を排して、生産効率を高めたい。
そういう志向性からは、大工の手仕事的な部分はなるべく排除したい。
そうであるのが必然であるのに、止むにやまれず、
前述のように、大工の減少に悩まされてきているのでしょう。
また同時に、価格ゾーンの高級化を図れば手仕事的な部分が
マーケティング的に逆転現象として浮かび上がってこざるを得ないのかも。

そういう事態が進行すれば、
「大工の奪い合い」ということが顕著になる可能性が高い。
さらに日本の住宅はいま、どんどんと改修の方向を目指しはじめている。
既存建物を生かして、それを現代的に再生する方向が強まる。
そのときに、目利きという部分、なにが使えてなにを更新すべきか、
そういう「現場力」が注目されてこざるを得ない。
どうも、この図からはそんな将来構図がみえてくるのでは。

【橋の下から拾われてきた子・・・】

写真はわが家近隣の「発寒川」にかかる旧国道5号線の「橋の下」。
小さいときに「オマエは橋の下から拾ってきた(笑)」
っていうように兄たちから言われ続けた記憶がふと、甦る。
うずくような、しかし今となっては甘くも感じられる記憶。
わたしは昭和27年生まれですが、北海道のそれも岩見沢近郊という
農村地域で生まれ3歳までそこで過ごしていた。
そういう家の5男として生まれたので、
客観的な情報も十分ではない当時の社会では、実感として
そういう言われ方に、事実かもという印象を持っていた。
ただ、この言葉の言い方にややユーモアの色が感じられたことが、
微妙ながら、コミュニケーションに救いがあったと思う。
日本の伝統・風習の世界では「三途の川」というコトバがあるくらい、
川はこの世とあの世の「結界」という潜在意識が社会に強く存在し、
実際に多くの「子捨て」が行われてもいたのだろうと思います。
貧困ゆえの社会の悲劇がそこには投影されているのでしょう。

いま考えてみれば、このような言い方は社会の基盤としての
「家」制度というものが色濃かったのだろうと思う。
長子以外の男子は嫁を持つこともできなかった社会が現実にあった。
江戸期まではそういう人間は都市の職人とかになるくらいが関の山で
いわゆる「やっかいもの」扱いが一般的だったのでしょう。
戦争が終わって以降は、こうした長子以外の男子は都市労働者になって
今日の社会の製造業大企業の基盤的人材になっていった。
現代社会は、資本主義が個人主義という考えと合体した
「契約」的関係性が基本の社会に変貌して
このコトバのような「家」制度社会的な「掟」のような言い方は
消え去ってきているのだろうと思われます。
イマドキの子どもたちでこのような言われ方をした経験を持っている人は
たぶん皆無に近いのではないかと思います。
現代でこういうコトバを投げられ続けたら、
たぶん人権的な事件性を帯びてしまうのではないか。
逆に言うと、そういう非人権的な言われ方に耐えた人間が多かった時代と
今の時代とはニッポン社会がまったく変わってしまっているのでしょう。

【あと何日で開花するのか、オオウバユリ】


朝の散歩コース、最近はご近所の「西野緑道」も復活して
いつもの北海道神宮境内周辺とを交互に歩いております。
どっちにも馴染みがあって、甲乙付けがたい。
で、神宮の方では写真のような「馴染みの草花」が多くて
その生育ぶりが日々変化を見せてくれるのが、無上の楽しみ。
写真上は資料写真でして、たしか去年の同時期に撮影したもの。
オオウバユリがもっとも神々しく輝く瞬間であります。
この数本の花芽が豪華に花開く寸前、花芽のたわわな重量感が圧倒する。
花開く前のこの空気感の重たさがなんともいえない。
で、現在2019年・本日の状況がその下の写真であります。
まぁ、これから1週間というところかなぁ。
かすかに花芽にふくらみが見られて、いくつかの「花弁」が
枝分かれしていく雰囲気が見て取れます。
こうやって見比べると、自然のうつろいというのは、
日本人的感受性をいたく刺激するものだと言うことがわかる。
日本は四季変化が明瞭で、とくに北海道はそれがもっとも「クッキリ」
としているといえるでしょう。
その舞台背景の中で、このそれぞれの花々が個性的に
その存在を強く訴えかけてきてくれる。

だんだんと、こういった当たり前のことが
いちばん心を揺さぶられるようになって来ています。
やっぱ、歳なのかなぁ(笑)。