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【テオティワカン・ピラミッド像と東北仏像 古代メキシコ-4】

古代のメキシコ文明と、人類の全大陸進出・グレートジャーニーでは「ほんの」3万年前に別れ別れになった日本文化との対比チャレンジシリーズであります。きのうは宗教都市テオティワカンの太陽のピラミッドと時代的にも相応すると思える […]

【宗教都市テオティワカンと日本の神道 古代メキシコ-3】

上の写真はテオティワカンの「太陽のピラミッド」を中心とする景観とその都市地図。 〜前100年頃、メキシコ中央高原の海抜2,300mほどの盆地に興り、AD550年頃まで栄えたテオティワカン文明。約25平方キロの都市空間に最 […]

【テオティワカン⇔弥生〜古墳期 古代メキシコ-2】

世界史の学習ではおおむね西洋史が基本の流れとして把握されて、中国史や日本史上の出来事がそれとの対比として認識されるのが一般的な歴史学習。そういう基本の流れとは異質な古代メキシコを見ていくとすれば、やはり日本史との時系列対 […]

【はるかな日本の兄弟文明、古代メキシコ-1】

人類というのは7−8万年前に中央アフリカ地域で現生人類が誕生して、その後、アフリカ大陸の大地溝帯生成時期に出アフリカを果たして以降、全世界に拡散していったと言われる。いわゆる「グレートジャーニー」ですね。考古学・人類学で […]

【暖炉にみる明治の懸命な文化導入 旧岩崎邸探訪-4】

明治の初年に北海道の開拓が進むにつれて、欧米からの暖房機器の輸入、国産化がすぐに開始されていった。幕末〜明治初期の志士たちは「北門の鎖鑰(さやく〜外敵の侵入を防ぐ重要な場所の意)」というコトバを交わし合っていた。日本国家 […]

【人格化されなかった神の社殿・息栖神社⑤ 東国三社探訪-25】

息栖神社の境内には「本殿」「拝殿」というような建築はない。代わりに「社殿」が中心的な建築物として建てられている。いわゆる祭神の明示がない。由緒書きには以下の記述。 〜息栖神社が最初に置かれたのは現在の日川地区と伝えられて […]

【海上交通の社、陸の景色・息栖神社④ 東国三社探訪-24】

息栖という神社名の由来についてもう少し考えて見たい。 「栖」という文字は鳥の巣、ねぐらというような意味合いの文字なのだという。そうだとするとこれは漢字的な「意味」からの命名だろうと確定して考えることができるのではないか。 […]

【おきす⇒いきす&国内海運史・息栖神社③ 東国三社探訪-23】

現地の息栖神社では不覚にもこの「碇」の存在に気付かず、説明板のついでに周辺を撮影した写真から今回いちばん上の写真を拡大・編集してみた。よく文章を読んでみたらこの目立たない「碇」が重要な役回りで港(津)であったこの息栖の地 […]

【列島海民のはるかな交流・息栖神社② 東国三社探訪-22】

鹿島や香取は海との関係はそれなりには感じるけれど、この息栖に至ってなぜ、東国三社というように言われ続けてきたのかのワケが腑に落ちてきています。 そもそもこの日本列島に現生人類が到達したのには海を渡って来たのでしょう。わた […]

【古代地形とナゾの海神・息栖神社① 東国三社探訪-21】

さて東国三社と呼ばれる鹿島神宮、香取神宮、そして若干スピンアウトして蘇我氏の関係する龍角寺とみてきましたが、このシリーズ最後はナゾに包まれた息栖神社であります。 事前にわかる資料もほとんどなく、歴史好きの興味で「東国三社 […]