岩崎家の日常生活は、この「和館」で行われていた。江戸期の城郭建築などでも天守閣のような象徴建築の周囲に城主の日常生活が営まれる和風建築、それも甍を連ねてたくさんの居室が作られる平屋の巨大建築が建てられた。高層性は天守閣で […]
Posted on 9月 14th, 2023 by 三木 奎吾
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岩崎家の日常生活は、この「和館」で行われていた。江戸期の城郭建築などでも天守閣のような象徴建築の周囲に城主の日常生活が営まれる和風建築、それも甍を連ねてたくさんの居室が作られる平屋の巨大建築が建てられた。高層性は天守閣で […]
Posted on 9月 14th, 2023 by 三木 奎吾
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さてコテコテの西洋文化の木造建築デザイン空間から、三菱創業家の当主は普段着の世界に移動する。和館と名付けられた別棟に「帰っていく」のですね。この感覚についての推測はわたしの感じ方です。 この旧岩崎邸の探訪で、わたし的にも […]
Posted on 9月 13th, 2023 by 三木 奎吾
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旧岩崎邸では表玄関側の表情以上に、庭園に面した裏側の外観表情がまことに異国風。 いかにも西洋人の建築デザインの素性を表しているのではないかと思う。日本建築でも庭園との視覚的な一体感というのは追究されてきたけれど、それは「 […]
Posted on 9月 11th, 2023 by 三木 奎吾
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日本建築では城郭建築でも、階段というのはほぼ機能性空間とだけ考えられているように思う。そもそも城郭とか、塔の建築などはそれ自体がある機能に特化した建築であって、そのなかで人間が暮らすということを想定していないのでしょう。 […]
Posted on 9月 9th, 2023 by 三木 奎吾
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現代の中国を見ていると、ちょうど幕末期の江戸幕府体制を見ているような錯覚にとらわれる。 現代世界というのは西欧文明の自由・平等という人権概念と、自由競争の資本主義によって基盤が形成されている。やはり人類発展の方向性の基本 […]
Posted on 9月 7th, 2023 by 三木 奎吾
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この旧岩崎邸の説明資料にはこの広大な邸宅敷地について以下のような説明記述。 「本庭園敷地は江戸時代には越後高田藩・榊原氏の屋敷であり、その後明治政府に上地され薩摩藩閥などの所有を経た後、1878(明治11)年、三菱の創業 […]
Posted on 9月 5th, 2023 by 三木 奎吾
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息栖神社の境内には「本殿」「拝殿」というような建築はない。代わりに「社殿」が中心的な建築物として建てられている。いわゆる祭神の明示がない。由緒書きには以下の記述。 〜息栖神社が最初に置かれたのは現在の日川地区と伝えられて […]
Posted on 8月 30th, 2023 by 三木 奎吾
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息栖という神社名の由来についてもう少し考えて見たい。 「栖」という文字は鳥の巣、ねぐらというような意味合いの文字なのだという。そうだとするとこれは漢字的な「意味」からの命名だろうと確定して考えることができるのではないか。 […]
Posted on 8月 29th, 2023 by 三木 奎吾
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現地の息栖神社では不覚にもこの「碇」の存在に気付かず、説明板のついでに周辺を撮影した写真から今回いちばん上の写真を拡大・編集してみた。よく文章を読んでみたらこの目立たない「碇」が重要な役回りで港(津)であったこの息栖の地 […]
Posted on 8月 28th, 2023 by 三木 奎吾
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鹿島や香取は海との関係はそれなりには感じるけれど、この息栖に至ってなぜ、東国三社というように言われ続けてきたのかのワケが腑に落ちてきています。 そもそもこの日本列島に現生人類が到達したのには海を渡って来たのでしょう。わた […]
Posted on 8月 27th, 2023 by 三木 奎吾
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