きのうからの続き。明治3年5月、戊辰戦争の敗北側・仙台藩の一領域、現角田市から、その士族群が新天地として北海道への入植に旅立った。当初の入植地は室蘭。集団の規模は44戸51名と記されている。婦女子は当面は故地に残して開 […]
Posted on 9月 24th, 2024 by 三木 奎吾
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きのうからの続き。明治3年5月、戊辰戦争の敗北側・仙台藩の一領域、現角田市から、その士族群が新天地として北海道への入植に旅立った。当初の入植地は室蘭。集団の規模は44戸51名と記されている。婦女子は当面は故地に残して開 […]
Posted on 9月 24th, 2024 by 三木 奎吾
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北海道の中央部の栗山町へは、その西端にある「小林酒造」側からは数回訪問していたのだけれど、今回たまたま、より南側から町中央部に向かったことで、まったく違った印象を持った。 わたしはこれまでの仕事経験で東北各地と縁が深 […]
Posted on 9月 23rd, 2024 by 三木 奎吾
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昨日、ビデオ収録していたNHK-BS「フロンティア〜80億人/人類繁栄の秘密」を勉強させていただいた。わたしのテレビ視聴はカミさんによるビデオ収録で保存された番組一択。彼女はわたしの志向傾向をほぼ把握してくれているので […]
Posted on 9月 13th, 2024 by 三木 奎吾
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先日の上富良野・後藤純男美術館参観でふたたび自分の本性というか、絵にいかに惹かれているのかを深く知らされた思いがしています。後藤純男美術館にはたぶん4−5年は行っていなかったハズなのですが、そういう絵との「再会」という […]
Posted on 8月 21st, 2024 by 三木 奎吾
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きのうは伊予松山の道後温泉にほど近い「湯築城」からの発掘出土品の陶磁器に触れた。瀬戸内海経済圏の四国側での中心地域とも言われる伊予の国。歴史年代でもその地域首長「伊予守」の地位は律令体制でも非常に重要視された地域。遠く […]
Posted on 7月 25th, 2024 by 三木 奎吾
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さて、ちょっと取材系の話題がしばらく途絶えていて「夏休み」状態だったのですが、住宅と人間、その歴史というのがわたしの主要な経験知フィールドになっていることに鑑み、そういうテーマ領域で探索を根気よくやっていきたいと思って […]
Posted on 7月 24th, 2024 by 三木 奎吾
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やっぱり九州は遠い。いろいろな知識を得ると言うこと自体は現代では容易に可能だけれど、実際に来て見てはじめて「気付く」ことには敵わない。 今回の九州旅は、ほぼわたしは「ボーッと」しているわけですが、そういうなかでもふと […]
Posted on 6月 29th, 2024 by 三木 奎吾
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写真は福岡県福津の「宮地嶽神社」本殿であります。福津市の宮地嶽神社は日本最大級の大注連縄で知られ、正月三が日には例年およそ150万人が参拝に訪れる。大注連縄は長さ11メートル、太さは2メートルを超え、重さは3トン。 わ […]
Posted on 6月 28th, 2024 by 三木 奎吾
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九州中部の熊本県と宮崎県の中間の山岳地帯。日本三大秘境と言われる椎葉地区に逃げ延びた平家一族。 きのうはそうした絶体絶命の状況で安寿と厨子王の安寿姫のように自己犠牲でこの一統を救った清盛の孫娘のことを想像してみた。わ […]
Posted on 6月 3rd, 2024 by 三木 奎吾
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わたしとしては能登の時国家住宅以来の「平家落人」の住宅。まぁほかにも四国の古民家でそういう伝承だけはある家も見たのですが、本格的な集落ごと、その伝承を色濃く持っているものは2件目。 上の写真はこの移築住宅の説明パネルよ […]
Posted on 6月 2nd, 2024 by 三木 奎吾
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