

写真は前真之東大准教授の沖縄住宅の講演での1シーン。
この沖縄現地調査でも基本は住宅内部の研究が多かったのですが、
中城・中村家住宅などでは中庭の敷石、縁側空間(雨端〜あまはじ)、室内の
温度のグラデーションを解析されていて、
その説明的な赤外線画像として、一般的街区、街の温熱実態を見せていた。
あらためてこのように見せられて、今日の都市環境の問題が浮き彫りだった。
世界的な気候変動のなかで、今年は北半球が記録的な猛暑とのこと。
先般の記録的豪雨被害といい、個別住宅での対応範囲を超える
いわば都市計画レベルでの気候変動対応という気付きを与えているように思われる。
豪雨被害では、とくに広島での「真砂土」と岩石による地盤被害の実態がみえた。
直径数メートルという巨石が先導してくる豪雨という未曾有の被災。
中国地方の「大蛇」伝説というのは、こういった土壌地盤のことが、
わかりやすい民話のカタチで遺されてきたものであるのかもと頭をよぎった。
各地の豪雨被害では、本来樹木で保水されてきた斜面傾斜地が、
人為的開発の結果、土砂崩れを誘発したという事例報告もあった。
このことは、国土利用についての人為が臨界点を超えてしまって、
自然のバランスを大きく壊してしまっている現状からのしっぺ返しなのかも。
そして追い打ちを掛けるような一気の酷暑、蒸暑の到来。
やはりこういう気候変動に、わたしたちの文明都市は十分に対応し切れていない。
赤外線画像を見れば、白がアスファルト路面を覆ってしまっている。
こういう路面からの「輻射」は相当のモノだと思います。
写真を見ただけでクラクラしてくるような状況が伝わってくる。
色温度の設定では、白は40度超の設定なので、ご覧のように、路盤面から
下から、猛烈な輻射熱が人間に襲いかかっている様子がわかる。
可視画像で確認すると、この写真全体に緑がまったくないこともわかる。
この写真は一般的な「住宅地」を撮影したものですが、
こういう住宅地に木が1本も見えないというのも、よく考えたら気候変動以上に
人間環境が大きく「変動」してしまっていることを表現している。
こういった居住環境を現代人はよいと思ってきたから、
こういった環境を一生懸命に作ってきたのだろうと思います。
「木なんて、いちいち管理の手間が掛かるから、
時間効率最優先の現代生活では、ムリ」とでも、可視光線画像は
主張しているかのようだと思います。
もちろん現代生活的利便性は、基本的にはクルマと車道という
移動の自由の拡大によってもたらされた基本的自由であることは自明。
しかし結果として、なにか非人間的な部分は大きい。
こういった「居住環境」をわたしたち世代は次世代に渡していくことになる。
どういう都市居住環境が持続可能であるのか、
その最適解は、もうちょっと考えていかなければならないのでは?
Posted on 7月 27th, 2018 by 三木 奎吾
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いまから1200年前くらいの平泉の発掘調査、進んできていますね。
平安末期の時代。引き続く鎌倉時代に向かって
律令国家的な支配構造が崩壊していって、
武家階層が実権を握っていくプロセスが各地で分権的に進展した。
奥州藤原氏というのは、血統的には日本中央の支配権力構造の中で
中核的位置を占めていた藤原氏との同族関係をテコにして
奥州の政治、経済。軍事的独立性を確立させていた。
とくに経済面では全国で源平騒乱というカタチで
勃興しつつある軍事需要に対して、最大の軍事物資としてウマを生産し、
鉱物資源としては、旺盛な平氏政権による対中貿易の拡大の決済手段として
この奥州産の金が貴重な存在となっていったのでしょう。
これらのすべてにおいて奥州藤原氏は地方独立政権であり、
その後の鎌倉幕府という政権が
もっとも「ライバル視」した政権だったことは疑いない。
そうでなければ、頼朝自身が遠征して津波のような大軍を動員した
根拠が見えなくなると思われます。
ただやはり、関東と比較して人口集積自体は遅れていた。
関東がどんどんと新田開発されていって「家人」という律令制外の
「私有民」人口が拡大していったのに対して、
経済的には農業と言うよりも、ウマとか金とかの非農業的生産物が
その経済基盤であって、多くの人口を養う産業構造ではなかった。
そういう私有民の親方としての「武士」階層の
旺盛な土地私有欲望を最高に喚起する政治スローガンを掲げた
頼朝政権の優位性によって平泉は灰燼に帰した。
多くの記録でその首都、平泉は焼失したことが示されています。
現代、世界遺産登録を契機にして、旺盛に発掘調査され、
さまざまな状況があきらかにされてきている。
都市・平泉での建築やくらしの状況が可視化されてきています。
図とイラスト、写真は平泉の柳の御所発掘展示より。
建物の壁の下地木舞などが焼失現場から発掘されてきている。
こういった建築を見ればこの居館は間違いなく日本中央の文化を
そのまま受容した文化だったことはあきらかですね。
藤原という名前を自らの意志で名乗った一族として
そういったアイデンティティを、東北地域の人々にはアナウンスしたのでしょう。
食文化もまた京都風の、ニッポン的食文化ですが、
これらの食器などを見ると、後の世のアイヌとの交易の場での
「供応」が日常的にされていたように思われる。
この時代、北からの交易物、とくにアイヌの生活域からもたらされる
アザラシの皮革とか、タカの羽根のような威信材が
この場所で交易されていたように思われます。
平氏政権の中国貿易と、この平泉政権の軍事物資、希少交易物が
この時代の人々の関心を独占していたのでしょうね。
Posted on 7月 26th, 2018 by 三木 奎吾
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いまから1200年前くらいの平泉の発掘調査、進んできていますね。
平安末期の時代。引き続く鎌倉時代に向かって
律令国家的な支配構造が崩壊していって、
武家階層が実権を握っていくプロセスが各地で分権的に進展した。
奥州藤原氏というのは、血統的には日本中央の支配権力構造の中で
中核的位置を占めていた藤原氏との同族関係をテコにして
奥州の政治、経済。軍事的独立性を確立させていた。
とくに経済面では全国で源平騒乱というカタチで
勃興しつつある軍事需要に対して、最大の軍事物資としてウマを生産し、
鉱物資源としては、旺盛な平氏政権による対中貿易の拡大の決済手段として
この奥州産の金が貴重な存在となっていったのでしょう。
これらのすべてにおいて奥州藤原氏は地方独立政権であり、
その後の鎌倉幕府という政権が
もっとも「ライバル視」した政権だったことは疑いない。
そうでなければ、頼朝自身が遠征して津波のような大軍を動員した
根拠が見えなくなると思われます。
ただやはり、関東と比較して人口集積自体は遅れていた。
関東がどんどんと新田開発されていって「家人」という律令制外の
「私有民」人口が拡大していったのに対して、
経済的には農業と言うよりも、ウマとか金とかの非農業的生産物が
その経済基盤であって、多くの人口を養う産業構造ではなかった。
そういう私有民の親方としての「武士」階層の
旺盛な土地私有欲望を最高に喚起する政治スローガンを掲げた
頼朝政権の優位性によって平泉は灰燼に帰した。
多くの記録でその首都、平泉は焼失したことが示されています。
現代、世界遺産登録を契機にして、旺盛に発掘調査され、
さまざまな状況があきらかにされてきている。
都市・平泉での建築やくらしの状況が可視化されてきています。
図とイラスト、写真は平泉の柳の御所発掘展示より。
建物の壁の下地木舞などが焼失現場から発掘されてきている。
こういった建築を見ればこの居館は間違いなく日本中央の文化を
そのまま受容した文化だったことはあきらかですね。
藤原という名前を自らの意志で名乗った一族として
そういったアイデンティティを、東北地域の人々にはアナウンスしたのでしょう。
食文化もまた京都風の、ニッポン的食文化ですが、
これらの食器などを見ると、後の世のアイヌとの交易の場での
「供応」が日常的にされていたように思われる。
この時代、北からの交易物、とくにアイヌの生活域からもたらされる
アザラシの皮革とか、タカの羽根のような威信材が
この場所で交易されていたように思われます。
平氏政権の中国貿易と、この平泉政権の軍事物資、希少交易物が
この時代の人々の関心を独占していたのでしょうね。
【架橋ポリだけでの暖房システム】
で、活発な論議がされています。興味のある方はFacebookをご覧ください。
https://www.facebook.com/keigo.miki.7
Posted on 7月 26th, 2018 by 三木 奎吾
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写真は今回出張で宿泊した秋田のホテルの玄関自動ドアの様子。
いままっ盛りの盛夏ということで、連日35度超の酷暑が続いている各地では
こういった結露の様子がごく一般的なのだろうと思います。
北海道ではこの夏はけっこうさわやかな涼感気候が続いており、
たまにこういった光景を見て、やや驚いた次第です。
どうも本州以南ではこちらのような状況が続いているのだろうと。
で、目にも明らかな「結露」状況であります。
北海道・寒冷地で「結露」といえば外気温が低下して、室内側の
湿度が外気と接する外壁側や窓ガラスなどの部位で、
露点を超えて、水分として結果するようになり、
それがやがて室内のカビなどを誘発する原因になって被害をもたらす。
季節要因としては冬に発生するというのが常識なのですが、
写真で見る限り、明確な「夏型結露」が発生している。
北海道では寒さのせいで結露が発生するけれど、
蒸暑気候の本州地域では、こういう冷房必須の時期にも発生する。
外気温が夜になっても30度近い場合、
室内を冷房していくと、露点を超えてしまうのですね。
で、このような結露水は、室内にどのように被害を蓄積していくのか、
やはり一番考えられるのは、ジメジメした空気環境や衣類などに
カビを発生させるのは容易に想像できる。
やはり冷房の温度設定は、この露点を良く考えて、
ほどほどの温度設定にしなければならないでしょう。
しかし露点温度というのは、気象庁も発表してはくれない。
この露点温度は、真夏になってくると20度とか、25度を超えるというのも
常態としてあるのだということです。
こちらの写真はホテルなので特殊なケースではある。
「来客がいっぺんに快適感を味わえるように」ガンガン冷房温度を下げている。
そういった条件下での夏型結露ですが、
住宅レベルでも、内外温度差と露点温度の変化によって
長期的には、注意が必要になってくるのだろうと思われます。
たぶん住宅のというより以上に、人間の健康面でのことが危惧される。
この時期に本州地域を旅すると、
エアコンと都市アスファルト・コンクリートの熱往来について
いろいろ気付かされることも多くあります。
エアコンってようするに「熱交換」なので、室内で冷房すると言うことは、
一方で外気に熱を放出していることになる。
その熱が都市のコンクリート環境に「蓄熱」されて輻射を倍増させる。
このような都市的熱サイクルに対して、緑がそれを緩和させてきたのでしょうが、
そういう緩和装置の総量が相対的にレベル低下して
「暑さを倍加」させている、そんな印象を持っております。
ニッポンの蒸暑について、もっと社会システムとして対応を考えていく必要がある、
北の国からの一時的訪問者・エトランゼとしていつも感じている次第です。
Posted on 7月 25th, 2018 by 三木 奎吾
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さてきのう、仙台に寄って数箇所訪問後、札幌まで帰還しました。
訪問先は岩手県中部、宮城県北部だったので、
わたしの考古趣味の平泉の「柳の御所」遺跡のその後の様子を見学。
一度、この遺跡からの発掘が話題になったときに
訪問見学しましたが、それからでも相当時間が経っている。
発掘調査は歴年の予算範囲ですこしづつ進展するので
ほおっておくと、進み具合が急だったりして油断できないのですね。
ただ、記憶が鮮明でもなかったので、再度チェックしておりました。
この「柳の御所」遺跡は頼朝の奥州制圧の津波のような軍事行動で
ほぼ灰燼に帰した奥州藤原氏の中心的統治機構、建築群史跡。
前回見学したときには、威信財建築として「四面庇建築」痕跡が発見された、
という段階で見学していたのですが、
今回見学では、その「四面庇」建築のCGによる復元模型、動画が作成されていて
その説明には、「復元設計趣旨」が明示されていました。
以下、その部分の抜き書きであります。
〜●建物復元の考え方
2棟の建物の内部で行われていた「儀式」を想定しながら検討を進めた。
1 中心施設は儀式をする場所であること。
2 平泉館では貴族的、武家的な儀式の両方が行われていたと想定できる。
3 遺構からの分析や類似建築との比較の結果をふまえつつ、設計を進めた。
●建物の性格の想定
・東の建物
広場に面して南北に長い建物なので、多くの人が対面できる作りであることから、
武家的な儀式に使われたと想定。
・西の建物
池と西庭に接している建物であることから、接客空間として使われた建物と想定。〜
というようなことで、たぶん歴史関係の知見と、古建築的知見が
それぞれの立場から推量を持ち寄って、こうした復元設計になったのでしょう。
わたしが見学していなかった間にこの平泉は世界遺産になったので、
より多くの学術的知見が集約されたものと推測します。
こうした研究成果の一端は印刷資料にもまとめられていて
きのう訪問したら、ことし1月に行われた文化フォーラムの資料をいただけました。
また、こうした設計趣旨に基づいて模型が作られ、それをさらにビジュアル化した
CG映像も連続的に上映されていました。
ふ〜む、確かに池に面した建物で貴族たちを応接するというのは、
まことに合理的な分析だと思わされるし、
また、平安末期の「政治」というものが「儀式」のやり方、それ自体での
ショー的な性格を持っていただろうというのも、膝を打たされました。
考古資料の蓄積、その分析から平泉権力機構の総体に迫る、
現代の想像力の展開をたいへん面白く見学させていただきました。
Posted on 7月 24th, 2018 by 三木 奎吾
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写真は「きた住まいる南幌」の山本亜耕+アシスト企画の家、
床下空間を点検口から見下ろした写真です。
この南幌の家々では、概してこういう暖房「設備」仕様がみられる。
というか、ある時期から輻射暖房パネルが省略されて
この架橋ポリ管内部を温水循環させて、そのパイプ配線だけで
この場合だと「床下空間加温装置」として機能させるケースが増えてきた。
わたし的にはたぶん、北海道の設計者・宮島豊さんから
こういったきわめて省略した設備仕様のケースを10年以上前くらいに
見せられて、ほお、と思っていた記憶があります。
「これでいいの?」
「うんまぁ、これでいいんですよ」
というような了解対話だったように思います。
それ以来、わたし自身は建築工事の専門家ではないので、
このことを既知のこととして受け入れてきていますが、
今回の南幌の家々では、ほぼすべての住宅でこういった「仕様」が
採用されているように思います。
北海道の作り手たちに特徴的な傾向としての
よりローテク方向への合理主義、過酷なコストと性能検証の結果、
輻射パネルはキャンセルされるケースが増えているように思う。
極端なケースでは、こうした架橋ポリ配管だけで、
それを集中させれば「暖房器」というな認識もあるように感じる。
この写真のケースでは、画面上が基礎立ち上がり外周ですが、
熱的にはこの外周側の土間床コンクリートに対して
この架橋ポリから熱移動していって、効率的に土間空間の熱上昇を
企図していて、その効果は実証されてきている。
今回のケースでは北大・菊田准教授関与のケースでも
こういった手法がごく自然に活用されていました。
どちらかというと、本州以南地域ではエアコンの暖冷房が増え、
北海道ではさすがにエアコンよりも、
こういった温水循環方式のよりローテク、ローコスト化が志向されている、
そんな風な取材での印象を持ってきています。
きのうは秋田での講演発表。
まぁいろいろ予期せぬ事態だったのですが、わたし的には
西方里見さんにわたしの発表を聞いていただき、
「今度、三木さん、このテーマで徹底的に飲んで話し合いましょ(笑)」
という秋田人らしい提案を受けておりました。
秋田の人が「徹底的」という表現をするレベルはハンパない恐怖(笑)。
でもまぁ、いまのわたしの興味テーマでの同行の士発掘の旅でした。
今後とも「住宅はどう進化してきたか」
という巨大テーマで多くの知見を共有しつつ、地道に探究したいと
そんな決意を強く持った次第です。
Posted on 7月 23rd, 2018 by 三木 奎吾
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わたしはどうも好奇心が人一倍強いタイプのようで(笑)
面白そうなことがあると、つい強い興味を抱いてしまう。
ここ十年くらい前から「人類史」通史みたいなことに強く惹かれているのは
わたしのブログを見ていただくと明瞭なのですが、
ちょうどNHK「人類誕生」を興味深く観ていて、
現生人類ホモサピエンスの出アフリカから全地球への進出動機、
そのきっかけみたいなことに興味が集中しています。
これまでの人類史では、これについて明確な回答はなかったと思いますが、
今回のこの科学番組では「好奇心」ということにスポットを当てていた。
現生人類が地上に現れた時期、20万年前くらいに、
大きな寒冷化気候変動があって、それまでの生息域・中部アフリカが
乾燥化が極端に進行して、個体数激減の危機に瀕した。
現代人類はDNA的に非常に均質とされますが、
それはこの時期の人口減少で10,000個体くらいまで激減したことが
その原因であるとされていました。
なんとか逃げて南に向かったご先祖さまが、アフリカ大陸で稀有な
貝類の宝庫の海浜地域まで至り、それまでの食習慣にはまったくなかった、
この貝類を食料として生き延びた、とされていたのです。
そのキーワードとして、好奇心というテーマが浮かび上がっていた。
未知のものに挑戦しなければ生き延びられないという過酷な環境の中で
やむなく食べ始めたら、そこからパラダイムシフトが起こった。
で、80,000年前くらいから、現生人類は世界進出を開始した。
たぶん、「海に沿って未知なるものを探していけば、
飢えることはないだろう」という集団知が背中を押したに違いない。
この拡散行動を支えた心理は、好奇心だったというように示唆していた。
わが身に照らして、激しく同意させられる(笑)。
今回の秋田講演は、わたしのこの現生人類的ツボを強く刺激された結果。
というのは、お申し出を受けたのが住宅雑誌としては競合関係にある
秋田のJUUさんという雑誌企業からの申し出だった。
写真のようなイベントがあって、その講師としてわたしにオファーがあった。
う〜〜む、どうしようであります(笑)。
でもまぁわたしも建築知識ビルダーズさんや、
新建築住宅特集さんなどとは情報交流関係もある。
ちょうど日曜日で仕事がオフでもあるし、年寄りには特段の予定はない。
ということと、やはり「競合誌さんがなんでわたしに」という
好奇心が刺激される部分が大きかったのですね。
そんなことですので、主催者の方とお目に掛かるのもはじめて。
どんな未知との遭遇があるか、不安と好奇心につつまれて、
いまようやく、プレゼンデータが完成したところであります。
ふ〜、あとは気力でお話しを一気呵成にマシンガンであります。
Posted on 7月 22nd, 2018 by 三木 奎吾
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今回のきた住まいる南幌の5棟の住宅群では、
それぞれの工務店+建築家コンビごとに設備については独自に設定。
結果検証としての測定については北大の菊田准教授がされています。
詳細な設備仕様については各社ごとに開示されることになっています。
また、一部の住宅ではたいへん実験的な取り組みもしているので、
そのあたりはまだ、開示できない部分もあります。
で、菊田先生から全体の設備仕様についての説明プレゼンがあったので、
そのスライドをご紹介します。
全体として、熱交換換気(1種換気)の採用ケースはありません。
一般的な住宅では熱交換換気が主流だろうと思いますが、
各社コンビともモデルハウス的な位置付けとして
「よりローテクの方向で知恵を絞った」結果、北海道でチャレンジが多い、
パッシブ換気、あるいはそこからさらに微調整したシステムを採用している。
北海道では標準的な基礎断熱された床下土間空間に新鮮外気を導入し
アースチューブなどの自然な手法、さまざまな工夫で「予熱」させて、
そこに最低限の機械として熱源ボイラー、今回はほとんどLPG利用のもので
循環温水放熱によって加温させ、それをゆっくりと室内に暖気上昇させ、
さらに対流させるという手法をとっている。
その「暖房熱」からもまたさまざまな手法でムダなく回収し再利用しようと
工夫を凝らしていました。
このあたりは、全国から来られた建築関係者のみなさんも驚かれていた。
「もうお腹いっぱいですわ(笑)」。
当然のように熱交換換気が採用されていると思い込まれていたようですが、
北海道の作り手は、設備設計ではまことに柔軟に
固定的な観念を持たずに、よりローテクに、より自然エネ活用型にと、
多様な選択を行ってきている。
こういう暖房・換気装置は北海道的気候環境では
冬期間、それこそイキモノのように日々結果検証が蓄積して行っている。
そういうリアルな検証結果から、住宅の作り手たちは
いわば肌感覚で設備に対しての鋭敏な選択眼を持っていくのでしょう。
こういう部分での切磋琢磨が、高品質でありながら、
トータルコストとして割安という、優れた「合理精神」を育んでいく。
考えてみると、こういった市場環境地域があることは、
結果的には、全国の住宅設備業界に取ってみれば得がたい
テストマーケティング市場であるともいえますね。
この市場でシェアを取ることがそのまま全国市場のベンチマークになる。
市場規模だけではない価値感がそこにはあるでしょう。
Posted on 7月 21st, 2018 by 三木 奎吾
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きのうは既報のように全国からの北海道住宅「きた住まいる南幌」見学会。
わたしは早朝から、別日程だった吉野博・日本建築学会前会長のアテンド、
昼からのご一行との合流、説明会〜現場見学会〜懇親会、
そこからなおらい、延々と夜中1時過ぎまでいろいろなみなさんと
意見交換させていただきました。
途中、この様子を取材されていた地元テレビ局の人からも
マイクを向けられたりしていました(笑)。
地元Tvhさんの土曜日の経済情報番組とのことで、
わたしのしゃべった内容が放送されるかも知れませんね。
で、今回のこの住宅展示場企画は、
主導的には地域公共団体としての「北海道庁」がオルガナイザー。
その強いプッシュがあって、地域工務店がその趣旨に共鳴し、
経営的なリスクをある程度覚悟もして、取り組まれた事業であるということが、
北海道建設部住宅局建築指導課の方から趣旨説明で触れられていました。
そういう意味では「地域を挙げた」取り組みと言うことがいえるでしょう。
写真は、この趣旨説明冒頭のスライド部分です。
北海道地域はこと「住宅」という部分では日本社会では「先進地」とされます。
日本民族が本格的居住の歴史を持たなかった北辺に
なぜ集団的移住を試みたのかというのは、やはり地政学的な
北方ロシアの南下政策との対峙、生き残りをかけた国家戦略が基本だった。
弱肉強食の帝国主義時代の中で、次々と植民地化されていた
最後に遺されたアジア人種による国家としての独立を維持することが
そのまま、北海道開拓という事業への情熱になっていった。
日本社会の中での一地域としての北海道が、しかしある種の
ニッポン人の特殊な心情の対象になっていることの起点は、
やはりこういった事情が抜けがたくあると思います。
この地域を開拓し、固有の領土として世界に主張するに足る
それだけの実質を、短期間に確保しなければならなかった。
そういう「国家意志」が、日本民族の「移住促進」政策として結果した。
人が住み着いていくためには、住居が必要だった。
しかし今日に至っても、日本中央社会からこの地での安定的居住の
そのイレモノとしての住宅の、具体的に「いのちをつなぐ」手法は得られなかった。
やむなく地域総体としての北海道はその手法を手探りで探し続けてきた。
国家統治の一地方政府にしか過ぎないのに、特例的な住宅法まで創出し、
中央とはまったく独自にその手法開発を行ってきた。
手法として、官学民の住宅技術開発の連携体制が強く構築された。
住宅現場で起こっているあらゆる情報が、的確に情報共有される地域は
このような経緯によって実現されてきた。
もちろん国家中央政府には住宅を管轄する省があり、国家施策として
住宅政策も構築されているけれど、それとは相対的に独立的な住宅施策が
この北海道では連綿と行われ続けてきた。
今回の「きた住まいる南幌」も、こういった文脈の中の出来事なのですね。
Posted on 7月 20th, 2018 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅マーケティング | No Comments »

さて、本日は東北フォーラムなどの呼びかけによる見学会が行われます。
全国各地から人数にして100人超の規模、ほぼすべて住宅研究者、工務店・設計者など
業界関係者と言うことですので、ちょっと驚くような盛況ぶりです。
住宅性能の先進地域としての北海道がいま、どんな家づくりをしているのか、
とくにこの企画については地域行政機構がそれを先導し、
また、主体者が地域工務店プラス地元の建築家というペアリング。
こういったいかにも北海道らしい家づくりのメインカレントをお知らせする機会ですね。
ということですので、地元住宅雑誌として協力させていただいております。
日本建築学会前会長の吉野博先生も多忙なスケジュールの合間を縫って
この団体見学とは別日程で見学される予定ですので
アテンド役として、わたしも同行させていただくことになっております。
住宅の価値というのは、いま気候変動が顕著になってきた時代においては、
その内部での「微気候」コントロール力とでもいえるようなものが、
より大きなテーマとして浮かび上がってくると思います。
最新の人類史研究などの成果に触れるにつれ
いま現代住宅で取り組まれてきている性能進化の努力というのは、
かなり最先端的な試みであるというように思われてきます。
それは人間の生存においてかなり革新的な「進化」に相当するということ。
大きくは環境に適合させるパッシブの志向を持って、ディテールに於いては
その環境要因をコントロールする、まるで右脳と左脳の合一的な志向性でしょう。
北海道では寒冷地という気候条件のなかで、
その外気候に依存しにくい断熱技術を地域総体レベルで磨き上げてきた。
国が定める住宅基準の地域総体としての達成レベルは飛び抜けて高い。
そのレベルはごく一部の事業者だけが実現しているのではなく
それこそ地域の作り手全体の、いわば地域技術資産として形成されている。
そういった「草の根」的な家づくりの実態をご覧いただければと思います。
ということで、早朝から準備その他がありますので、
本日はこれにて失礼いたします。ではでは。
Posted on 7月 19th, 2018 by 三木 奎吾
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