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【コケ・シダという建築外皮素材と北海道】


写真は鎌倉・円覚寺の各所で見られた外壁や石垣。
北海道は比較的に空気が乾燥気味で大陸的な気候だからか、
あんまりコケやシダ類での特徴的建築外皮はみられない傾向があるけれど、
本州地域を巡っていると、こういった植生を建築意匠に取り込んだ
そういう意図を持った空間が目に付くと思っています。
積雪という条件があるいはコケシダの類にはあまり適さないのでしょうか。

日本の神社仏閣建築で、このコケシダ類の被覆がないという光景は
どうも想像しにくい。それくらい、
日本の建築空間にはこれらによる外皮装飾が欠かせないものだと思います。
上の写真では、こういった苔むした石垣の上に
目に鮮やかなムラのない塗り壁が対置されていて
みごとなコントラストを垣間見せてくれていた。
この面としての対比をデザインに昇華させていることがあきらか。
そういえば国歌である君が代の一節にも、
「苔のむすまで」というコトバが自然に歌い込まれていたりする。
どうもコケというヤツ、日本人の精神性に深く「根付いて」いる。
世界の気候の中でも稀なほどに「蒸暑」の夏があって、
年間を通して安定的な降雨があるという気候条件が大きいのでしょうか。
最初に書いたように、しかし北海道はこういうコケ文化から
比較的に縁遠いというように思える。
気候条件的なことと、日本民族による定住歴史がまだ日が浅い、
という条件が大きいのかも知れないと思っています。
北海道での「コケ文化」としては建築的にはあまり想起しない。
まぁ自然の洞窟で「苔の洞門」という名所が思い浮かぶ程度。
しかしやはり日本人DNAなので、やがてこういう苔を活かした建築が
この北海道でも根付いていくのだろうか、と思ったりもする。
まだまだ北海道は本格的集住から高々150年程度なので、
こういった積層的な時間が作用する建築意匠にまでたどりついていないのかも。
しかし高断熱高気密住宅技術が確立していく過程で
「カビ・ダニ・結露」という微生物的な脅威にさらされた住宅史があるので、
心理的にはそういった拒否的連想が働くようにも思われる。

写真のような日本的マザーの光景を見て
これからの北海道人がどういった受容を行っていくのかと興味を持つ。

【北海道の名付け親・松浦武四郎という人物】

ことしは「北海道」命名150年の節目の年だそうです。
この命名は松浦武四郎が考案したとされています。
地名というのはあまりにも原初すぎて日常で深く考えることはない。
しかし北海道は日本史のなかでも特異な経緯をたどって
歴史的にはごく最近日本国に編入されたので、
こういった経緯を人間ドラマとしてもたどることができる。

先日、そんなことから東京世田谷の静嘉堂文庫美術館で開催中の
「松浦武四郎展」を見学して来た。
幕末から明治初年に掛けての時代に「探検家、浮世絵師、著述家、好古家」
として活躍した、というように書かれるけれど、
本職は何かといえば、よくわからない不明な生き方をした人物のようです。
雅号は「北海道人」ということで、わたしも一般名称としてよく使う。
Wikipediaの記述を見ると三重県の松阪市近郊で
幕末の社会で比較的に裕福な家庭(郷士とも庄屋ともいわれる)に生まれた。
どうも誕生日もわたしと1日違いです(笑)。
少年時から後の探検家として役に立つ文化的な素養を身に付けたとされる。
この時代、こういった階層出身者として伊能忠敬などが類推される。
16才で家を出て諸国を遊学し、その途次九州平戸で一時は出家したけれど、
26才の時に還俗し、同時に北海道探検に深く関わることになる。
この経緯には「故郷を離れている間に親兄弟が亡くなり
天涯孤独になったのを契機に」と書かれているけれど、
裕福な生家の資産を相続したというような経緯が想像できる。
身分制固定化社会の中で「自由人」的な生き方ができる階層もあったのだと
こうしたいろいろな消息から知れる。
で、今回展示を見学していて一番ビックリしたのが、
生家の地理を考察しての説明書きでした。
写真撮影禁止と言うことだったので記憶ですが、
生家は伊勢参りの参道に面している建物だったそうで、
幕末の「伊勢参りブーム」の結果、年間数百万人(記憶では400万人)もの
大量の「旅行客」が家のまえの道を往来している様を見て育ったとのこと。
単純に言えば、1日10,000人以上が通っていた計算になる。
・・・最近の調査研究というのはすごいと実感する。
こういう「消息」までわかってくるものなのですね。
こういった「環境要因」が個人の生き方や思想に深く影響したと。
この時代にいったんは出家するような精神生活を持った人物で
比較的裕福な経済環境にあって、身分固定的な環境にあれば
とくに生きていくためというようなしがらみから自由に
職業を持たない個人的な興味からの人生選択が可能だったのでしょう。
そういう人物が折からのロシア南下侵略危機という国難状況を見て
北海道探検を志すに至ったということなのでしょうか。
歴史のはざまの中で、一時期は明治政府に出仕したりもしたし官位も得たけれど
早々にそういった堅苦しい立場は返上したとされる。
さらに個人的な考古趣味などに没頭していったということ。

「北海道」という地名にこうした個人の足跡が
いわばDNA的に影響を持ったのかどうか(笑)。面白さが募ってくる。

【暖冬一転、ツルツルソロソロ道路環境】

わたしの出張からの帰還を待ってくれていたように
札幌に冬の寒さ本格的到来のようです(笑)。
昨日はカミさんと2週間ぶりにお弁当を作って遠出しましたが、
最初はふつうのハイブリッドFF車で走り始めたけれど、
「おお、けっこう横滑りする」ということで家に引き返して
もう1台のガソリン車4WDに交換して出発しておりました。
「全然、走りが違うよね・・・」があらためての実感であります。
きのうは約200kmくらいの距離で往復していたのですが、
時々刻々と道路状況は変転万化していきます。
写真でごらんのようなツルツル路面はもう最悪で、
こういうときはあきらめてノロノロに徹するしかない。
こういった状況から、夏道と変わらないような環境まで
クルクルとその場所の風、日射条件などの条件変化にともなって、
路面はそれこそあらゆる表情で運転者に迫ってくる。
2次元画像のドライブシミュレーターの比ではない(笑)。
しかし自然の景色、風や日射という多彩な環境の中なので
五感が正常にはたらいて、北国人として生きるスイッチが入る。
走れるところは走り、慎重を期さねばならないところは慎重に。
北国の冬運転には適当なリズム感がある、疲れるけど(笑)。

シーズントップはどうしてもこの「スイッチ」の切り替えが
完全ではないので、どうしても危険姓は高くなる。
最近はこういう道路環境に、アジア圏からの旅行者のレンタカーも
混入してくるので、思わぬ運転者も見掛ける。
おいおい、というような場所で渋滞が発生していたりする。
北国の冬ではトンネルは数少ない安全路面なのですが、
そこで極端に速度ダウンする車両があったりする。
先般来、クルマで関東まで含めて走り続けていますが、
たとえば高速道路でも、道路管理者の目線に違いに気づきます。
関東の高速では多少の「上り坂」箇所では「低速に注意」という、
むしろ「もっとスピードを上げろ」という警告をしきりに見る。
場所によっては「渋滞」の方が緊急的対応の必要性が高いのでしょう。
自然と「流れに沿った運転」をしていると速度はかなり速くなる。
しかしそういうのに慣れていると東北道の北の方では
「どうしてそんなに速く走る」と取り締まってくる(泣)。

おっと、つい横道にそれていく(笑)。
クルマと道路の話なのでご容赦の程、よろしく。
冬道、走行には細心の安全注意が必要ですね、お互いに。

【敷設28年のロードヒーティング再稼働】

ことし会社事務所を、スペースが有効利用できていなかった
リプランハウスに移転させました。そのときに
自社駐車スペースがそれまでより狭くなったこともあり、
近隣に多くの駐車スペースを賃貸契約するとともに
このおおむねクルマ3台分のスペースについては冬期間は
ロードヒーティングを再稼働させる方針を固めておりました。
で、設備関係の更新やチェックの時に入念に点検して
テスト稼働もさせていましたが、
ここ数日、ようやく札幌では積雪を伴う降雪になったので、
昨日夜から深夜までの数時間、本格的に再稼働させてみました。

このロードヒーティングは新築時点からのもので、
もうすでに28年目ということになります。
省エネという観点からはどうかという判断もありますが、
雪かきという人的労働のやむなさ、事務所としての総合的利便性
といった理由から再導入した次第。
北海道札幌は年間積雪は6mを超える「豪雪地帯」であり、
その雪が人間活動に大いに支障を来すことは避けられません。
その時に最小限のロードヒーティング空間は、全体としての
除排雪のための拠点基地性が高く、また除雪効率を大いに高めてくれる。
隣接する「歩道」部分への敷設許可も札幌市からいただき、
全体として約17-8坪相当のスペースを融雪します。
ここを起点にして前面道路を除雪管理することで、
周辺の交通環境をもコントロール可能にできます。
確実に「積雪がない」空間を確保すると、
ほかの積雪箇所の除雪作業がたいへん楽に出来るようになるのですね。
経験知からこのように判断して再稼働させた次第です。
「雪かき」作業がなくなるわけではなく、
この融雪箇所を起点にして周辺道路を冬中、除排雪していくことになる。
年齢的にこういう融雪箇所があると、飛躍的に楽になる。

設備的には熱源としての石油ボイラーと不凍液循環させるパイピング。
それをわが家の場合には煉瓦床面下に配置して
蓄熱させて融雪させるという装置になります。
単純な装置なので経年劣化はそれほど考えられなかったのですが、
念のために不凍液は今回の3−4月の工事の際に入れ替えています。
建物1階に居住しているので、コントロールは
過不足なく効率に配慮しながら行えると考えています。
ここ20年ほどは自宅だけだったので人力で除雪していましたが、
やはり寄る年波からムリはそうできなくなってきている(笑)。
さて、この冬はどんなふうに雪と対話していくことになるのか、
自分自身も新鮮な気分で迎えられています。

【運転シミュレーターで悲しい車酔い体験(笑)】

みなさんは「運転シミュレーター」の使用体験はありますか?
恥ずかしながらついに体験であります(泣)。
わたし自身の個人情報に関わる、ということなのだそうで、
あんまり情報を詳細に記述することは避けたいのですが、
日頃のクルマ運転努力に対してのご褒美のように、
丸1日、再度の運転講習を受けさせていただいていたのです。
おかげで出張予定を丸1日早めさせられてもいました。
通知から約10日ほどでの有無を言わせぬ日程設定なので、
まことに権力そのものの対応ぶりであります。

で、無事に満了することが出来たのですが、
そのクライマックスのような授業がこの運転シミュレーター。
わたし年代なので、こういった仮想現実型ゲーム装置には
たしかにあんまり慣れもないのではありますが、
この嫌悪感には、どうも得体の知れないところを感じておりました。
約40分ほどのコースで、実際にアタッチするのは合計5回。
たぶん操作時間は延べでも10分程度でしょう。
ところが、実際のクルマ運転とはまったく似ても似つかない体験。
アニメーション画面を強制的に見させられて
遠近感もない平面的描画に対して「適当な距離感判断」を迫ってくる。
ブレーキ制動距離も勝手に装置側で決定していて
それに慣れる時間も取らずにいきなり操作させられる。
画面上にキケンと思われる画像が現れたら、わたしの場合、すぐに
ブレーキを踏みすぎてクルマを停止させてしまった(笑)。
さらにあきらかに緊急運転対応を迫ってくる予定なのに
「スピードを40kmまで上げてください」とか命令してくる。
その先で「どうして減速しなかったか」と言うに決まっているのに
まるで欺すかのように言ってくる嫌悪。
その上「路側に寄って停止してください」という命令も
アニメ画面だからのっぺりしていて距離感がまるでなくて
それなのに少し寄りすぎると「ガリガリ」という効果音だけはリアル。
こういうことを5回も繰り返されることに
わたしの繊細な神経は音を上げてしまったということですね(笑)。
大体、そのあと事故った映像を繰り返し見させられるのです。
アニメであっても、仮想現実画面にだんだん慣れるほどに
その体験嫌悪感はいや増してくる。
都合よく慣れろと命令して、一方でアニメだからいいでしょみたいな。

やや風邪っぽい体調もあったのか、
この運転シミュレーター操作後、しばらくの間は
ダメージがアタマに残って、頭痛やら腹痛やらに見舞われておりました。
まぁこういうのが目的の「ご褒美」としての拷問なのか、と。

【禅デザインに見るニッポン社会の文化受容力】


最近は「ニッポンブーム」ではないか、というくらいに
アジア諸国以外の欧米圏からの観光客が多いと感じられますね。
安倍政権による観光立国路線で飛躍的に増えてきている。
で、興味分野がいわゆるニッポン的なるものすべてに渡ってきている気がする。
ニッポンは成立の経緯からも「和」の国のようで、
過酷な破壊行為が歴史的にそれほど見られないことから、
古層のアジア圏文化がずっと生き残り続けているのでしょう。
それが生まれ出た国々ではいまはすっかり衰退してしまった文化も
ニッポンではしっかりとリスペクトされつつ続いてきている。
鎌倉期に中国から「輸入」された精神文化としての「禅」の世界感覚も
ニッポンではそのまま、かどうかは不明ながら
さまざまな方言化はされながらも、しかし本質は活かされ存続している。

久しぶりに鎌倉の円覚寺を参観してみて、
さまざまな建築群全体が、ある宗教的空間構成を志向している様を体感した。
木と石などで構成される建築群の随所で
切り取られるグリッド感覚があり、美観の発見があり続ける。
写真はある建築の「門」からその建物の玄関を望むシーン。
門って、いまの住宅建築ではほとんど省略されているけれど
こんなふうに写真で収めてみると、気付かされることが多い。
規格的な額縁として視覚を明瞭に区切って、
その先の建築要素をくっきりとシンボライズさせている。
そういった意図に対して玄関内部でも呼応した空間デザインが志向される。
玄関内部にはこれもきわめてニッポン的なライフデザイン小物である
扇子が意味ありげに配置され、その上部には円形のイレモノに
紅葉が盛り付けられて、対話するかのように対比配置されている。
こういった空間表現があちこちで、まるで「禅問答」のように展開している。
ニッポン人以外の人々も、こういう空間性に気付きはじめているのだろうか?
そういうことも興味深いと思われます。

さてきのうは建築知識ビルダーズさんの「エコハウス大賞」で
i+i 設計事務所・飯塚豊さんと新潟のオーガニックスタジオ・相模稔さんの
コラボ住宅がグランプリを受賞されたと言うこと。
ことしは多忙で参加できませんでしたが、
人柄で人気の相模さんの受賞で盛り上がっているようですね。
まことにおめでとうございます。
日本社会では北海道がスタートアップさせた「断熱気密」ですが、
いまは温暖地域での作り手のみなさんの意欲がすばらしく盛り上がってきている。
やっぱり「和の国」の文化風土、ニッポンの底力を感じています。

【鎌倉円覚寺山門の屋根隅角部のナゾ】


日曜日に見学していた円覚寺山門の屋根の隅角部軒先です。
黒っぽく変色しているので、画像処理を加えて見ました。
下の写真にあるように屋根は2重になっていますが、
この隅角部の構造の作り方は上下で違った。
上の写真の左側が上で、右が下でした。
上の方が垂木が放射状に配置されているのに対して
下の方は、垂木が隅角部の構造材に対して直角に組み上げられている。
このお寺さんは鎌倉時代1282年の創建ですが、
永禄六年 (1563) には円覚寺が全焼した記録があるようです。
その後、衰微していたところを江戸期末期、
天明5年(1785年)大用国師誠拙周樗が再建した、とされています。

わたしは、社寺建築の中でのこのような隅角部の作り方に
いつも興味を持って見学することが多いのですが、
今回ははじめて2重の屋根の上下で作り方が違うというのに出会った次第。
建築的事実というのはそれだけなのですが、
そこではてと思ったのが、なぜこういうふうに違うのかという
素朴な疑問であります。
「円覚興聖禅寺」の額字は伏見上皇の勅筆とされる、ということなので、
この再見時にはそれなりの格式と伝統を尊重した作り方を考慮したに違いない。
このように仕上げたについては理由があったと思われる。
ふつうに考えれば上下とも同じように作った方が合理的と思われる。
たぶん放射状の作り方の方がより古来の作りようで
より仏教的に「位階の高い」上の方の作り方を上位として
下の方はより「簡易」な作り方として造作したのかも知れない。
あるいは、上のような作り方の部分が辛うじて全焼を免れて存続していて
それをありがたがってそのまま使い、下の方だけ新築したモノか。
さらにこうした構造の作り方の違いをはるかに後世に至るまで
明示的に存続させることの意味合いはどんなことだったのだろう、とか、
いろいろな想念が沸き起こってきております(笑)。
まぁ物好きな疑問ではあるのですが、
どうにも腑に落ちる理由には到底至らないような気がします。
この違いについて、ご意見をいただける事を期待して
謎は謎のママ、掲載したいと思います。乞うご教授。

【東京猪俣庭園 吉田五十八の画像解像度】

ことしはなかなか東京を散歩する機会がなかった。
やはり建築とか住宅とかの仕事をしていて、
ときどきはそういう機会を持つべきだと思っています。
人間食わずきらいではいけない。
って、べつにわたしは関東・東京のデザイン感覚がきらいではありません。
マザー的な感覚とは違うけれど、多くのニッポン人のデザイン感覚DNAが
重層的に積層しているので、やっぱりいつもオモシロい。
今回は東京在住の息子の状況視察で東北からクルマで足を伸ばした。
仙台からの出発で行き土曜日は仙台東部道路〜常磐道を南下。
約370kmほどだそうです。
で、用件は顔を見れば大体3分間で済む(笑)。
帰りは、一転して東北道を北上するルート選択であります。
とても仙台までは体力的にムリそうだったので、福島県二本松周辺で宿泊。

ということでしたが、坊主は事前に知らせていたので
日曜日もスケジュールが空いているよ、ということで、
神奈川〜東京の美術と住宅建築探訪に付き合わせた。
まぁそのうちなんかの役には立つかも(笑)。
一応、吉田五十八建築が軸で葉山の山口蓬春記念館と東京世田谷の
猪俣庭園建築見学であります。
って、前日に坊主が行く、となったので急遽決めた次第。
まぁどっちもそんなに観光スポットではないし、
クルマで行くのがいちばん行きやすいという場所であります。
この2箇所とも以前に探訪していたことがあり、
そのときの「場所の印象」がどちらも克明だったのです。
で、今回は坊主とも意見が一致した猪俣邸の居間からの庭の切り取り方。
建築的意志がもっとも明確にあらわれる「開口」です。
コンピュータがパーソナルになって、人間のDNA的「視認」が
共通言語化され製品化されるようになって、
この画面の切り取り方って、たいへん大きなテーマに浮上した。
こういう人間感受性の「進化」ということについて、
Appleという会社は大きな寄与があったと思います。
Windowsを生んだMicrosoftも技術発展に果たした役割は大きいけれど
しかし、毎日使うという意味での人間DNA解析では、
やはりMacintoshは先端的に多くのことに取り組んで成果を挙げた。
そのなかでもこの左右寸法という領域での仕事はすごかったと思う。
人間がなにかをみるときに、どういう画角がもっとも人間的か、
こういった解析では建築の領域も歴史的に大きな関与をしてきた。
わたし的にこの猪俣邸の居間のフレーム感は好きであります。
建築というのはまずはたぶん人間のカラダのサイズが基本になったのだろうと
そういうふうに感じています。それが建材のサイズ、規格に反映し、
一定の「共通言語化」が成立している。
そのなかである種の「様式」が生まれても来るのでしょうが、
そういった制約を持ちながら、ある寸法感覚は偶発的個人意志的に生起する。
で、この猪俣邸のグリッドの感覚に、父子で共感を持てた。
画面としては左手にやや夾雑物がきのうはあったので、
そっち方向は少しカットしています。
みなさんはどうお感じになるでしょうか?

【「かでる」や「おがーる」 日本語ネーミング進化】

先日投稿した「オガールイン」について
いろいろなコメントをいただきました。建築家の丸田絢子さんからは
設計者についての情報もいただきましたので、修正しました。
ありがとうございます。
で、ほかの方からも「おがる」というコトバについて指摘があった。
こっちもなかなかの「ツボ」でしたので、ネタとして使わせていただきます(笑)。

「おがる」って、東北北海道でよく使われる北方的方言のようなのですね。
って、わたしはあんまり耳にしていなかったので気付きませんでした。
大きくなる、成長するっていう意味「おがる」がベースのようです。
わが家系は広島県や兵庫県という瀬戸内海地域からの移民なので、
やや日本人としてのDNA系統が違う方言なのでしょうね。勉強になりました。
近年の「かでる」とかといった公的集合施設へのネーミングって
日本語の進化として、かねてからいい方向ではないかと思っています。
あ、かでる、というのは北海道庁の近隣に位置する公共施設で
札幌市中央区北2条西7丁目にあるので、「かでる27」とネーミングされている。
かでるというコトバは、「仲間にいれてあげる」みたいなニュアンスの方言。
「かでてやる」というコトバは北海道的人的コミュニケーションの
ごくベースにあるようなありようを端的に示していて
設立当時「なかなかやるな」感のあったネーミングだったのです。
わかりやすい「方言」をベースに、ときには若干アレンジも加えて、
現代的な再生をしていくというのは、国語審議会とは別の視点で
わたしは大いに賛同しているものです。
オガールってコトバの語感から言うとフランス語っぽいニュアンスもある(笑)。
たぶん、海外の方からすれば難しい日本語の指示代名詞だらけの
公的施設名称と比較して、圧倒的にわかりやすく親しみやすいだろうと思います。
「オガール?おおイエース(笑)」という反応が期待できる。
民主主義がそれほど成熟していると言えない国民性社会で
こういったネーミングは、わかりやすい民主主義実践ではないかと
ひそかに支援したくなる心理をいだかせると思っています。
・・・ってまぁ大袈裟ですが(笑)。
公共事業の成果物を多くの人たちの共有資産として育てていくために、
こういったネーミングがもたらす「イメージ」はきわめて重要だと思います。

<写真は「オガールイン」の朝食会場のインテリア。
キッチュなイメージでなかなか明るい雰囲気をつくっていて
たいへん好感を持てました。なんか楽しい(笑)。>

【残念な「上下温度差」 断熱思想のないホテル環境】

きのう「オガールイン」の設計のことを書いたら
みかんぐみの竹内昌義さんと交流のある建築家の丸田絢子さんから
「設計者はたしか違うのでは」という申し入れをいただきました。
まぁ旅の合間のことなので、それほどわたしも調べてはいませんでした。
ただ、ホテルのご主人に「設計は竹内昌義さんですか?」と聞いたら
「あ、そう、そうです」という答だった。
みかんぐみHPのなかでも竹内さん、この建物に触れられていた。
で、そのように書いた次第でした。今度しっかり確認しますが、いまは
いろいろ旅程の立て込んでいるなかなので・・・。
と、いいわけであります(笑)。ふ〜〜。
でも設計者は不明でもなんか楽しいホテルでした。

で、本日はこれもビジネスホテルネタ(笑)。
本日は高速近辺の仙台市周辺のあるビジネスホテル。
あえてホテル名は書きません。というのは、残念感が強かったからです(泣)。
きのうのオガールインでは、大きなお風呂もあって、
その上、窓際は多少コールドドラフトを感じましたが
おおむね温度環境は悪くはなかったので、熟睡できた。
しかし、本日のこの写真のホテルでは「上下温度差」が強烈。
きのうはチェックインが夜10時頃だったので、
ホテルの方は部屋をエアコン暖房してくれていたので、
入った当座は「よかった、あったか」と一瞬思ったのですが、
二瞬目になってガッカリ感が募ってしまった。
室温は上がっているのだけれど、ベッドに入ったら隅々まで「冷たい」。
人間の熟睡にはカラダの「保温」が重要と言われます。
で、この冷たさが体温移動では追いつかないくらい根深い。
「あの、毛布ありますか?」とお願いして毛布も追加したのですが
なかなか保温状態までたどりつけない。
それでチェックして見たら、アタマの部分はたしかに温度が高いけれど
足下は相当に冷たいことがわかった。
典型的な「断熱不足」ですね。
ホテルには「エコ」だとかなんとかで、お風呂の蛇口に節水装置が付けられ
疲れていたので説明もろくに見ていなかったら、お湯もすぐに止まる。
日本のお風呂好きは暖房不足の変態形態なのだという話がありますが、
そういう「底冷え」からの回避策もままならない(泣)。
エコとかなんとか言う前に、だったら断熱くらいはちゃんとやれよ、
という内心の怒りがふつふつとしてきてしまった。
東北でも仙台や宮城は、地元よりも関東の常識が押しつけられている部分がある。
断熱という北国の常識が、このあたりでやや破綻してくるのですね。
室温は25度くらいまでエアコンは頑張っているけれど、
床面からしんしんと冷たさが襲ってきて、熟睡までほど遠い一夜でありました。
参った、しょがないなぁ・・・。