

きのうの日曜日は秋田県内の遺跡関係を踏破いたしました。
県南の「払田柵」から始まって、「古四王神社in大曲」、
秋田市内の御所野遺跡、秋田城(王朝期)、さらに
きっかけの情報をいただいた西方里見さんに敬意を表して
最後は県北の西方さん設計の「道の駅・二ツ井」も行脚してきました。
わたしとしては古代史に夢広がる思いでワクワクの探訪ができました。
ここんところ、こういうまとまった時間はまったくとれなかったので、
日程調整して、札幌に帰らずに今週前半の青森行脚の途次、
たいへん楽しく有益に過ごすことができました。
古代史同好の士である西方さんに感謝であります。
で、本日はきっかけになった「古代の水洗トイレ」遺構のご紹介。
この秋田城は日本海辺に隣接する広大な「高清水」の丘陵地帯に造営されている。
わたしは以前にもこの遺構は探訪しているのですが
今回、周辺地域一帯が公園としても整備され、なお、秋田城跡歴史資料館が
隣接して開館しているのははじめて見学できた次第。
この資料館は2016年開館とされているので、
わたしが以前見学したときには存在していなかったのですね。
以前来たときには「秋田城」といえば市内中心部の江戸期「久保田城」のことで、
王朝時代の「国府」説が強いこちらの秋田城はマイナーな存在だった。
しかし今回いろいろな情報が摂取できて、
この「遠の朝廷」がいかに存在したか、リアリティを強めることが出来ました。
まずは立地が日本海を見晴らす高台で、その近くには古代にも湊があった。
男鹿半島が天然の防波堤的に機能して、比較的に良好な湊だったのでしょう。
多くのヤマト政権域外勢力、蝦夷と言われる人々、北海道の諸勢力、
アイヌの前身の人々やオホーツク文化人たち、さらには北東アジアに成立した
「渤海国」などの「朝貢」を受けるヤマト国家北辺の拠点だったのでしょう。
こうした古代研究が進んでいる様子が資料館展示では詳細にわかる。
で、今回探訪のきっかけになった「トイレ」についても
写真のように詳細な「利用方法」(笑)も詳細開示されていた。
悲しいかな、12月になって古代水洗厠は冬期閉鎖されていた(泣)。
このトイレは「臨池式庭園」周辺に立地していて、
中間貯蔵池を経て、周辺の「高清水」湧水池に自然循環させていたようです。
使い方は窓に対して背を向けた態勢で、ウケの陶器便器の上方に板を2本渡して
そこに座って、利用していた様子が想像復元されていた。
水瓶と杓子があるので、利用後、ウケの陶器に向かって放水して
「流した」のではないかと推測できますね。
なんと、化学分析の先端的研究も導入されてきて、
この水洗トイレ周辺の化学分析の結果、トイレ利用者の食事習慣まで
特定されてきているということです。
それによると当時のこの地域住民、ひろく日本列島住民一般の食生活とは
あきらかに違う「豚食」文化の特徴が解析されるのだそうです。
化学分析から、この遠の朝廷が北方外交の役を担っていた様子が明瞭。
こういう交流がどんな交易を生み、どのような経済利益を相互にもたらしたのか、
想像の翼は大きく広がってきました。う〜む、すごい。
Posted on 12月 17th, 2018 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅マーケティング, 歴史探訪 | No Comments »

きのうは宮城県内某所にて撮影の立ち会い。
いつものように撮影開始して、思い立ってごらんのポニーちゃんを
カメラマンに押さえてもらうことにした。
建築写真は動かない物を撮影する。
一方、こういった被写体はその対象の「心理」との対話が必要。
ネコ写真で有名な岩合光昭さんは、NHKの番組でも
ナレーションを入れながらの撮影ぶりを公開している。
大好きなんですが、同じような流儀をしようとしても
ネコとポニーではどうもコトバが違うようで
なかなかこっちの撮影意図を伝えることができない(笑)。
ようするにもっと動いて欲しいのだけれど、
まったく不動の姿勢の上、こっちへの視線に微妙な「知らんぷり」感が。
でもカメラマンさんはあれこれの自分の位置変更で
ポニーちゃんのご機嫌を惹こうと悪戦苦闘してくれていました。
最後にはチョーアップでの撮影に挑んで、知らんぷりの
その表情に迫ったりと、創意工夫であります。
そういえば宮城県でも仙台から遠く離れるとけっこう方言が強い。
ひょっとして、動物の世界でもそういうのがあるのかもしれない。
まぁわたしの北海道弁では「なに言ってるんだか」だったかも。
さてこうして悪戦苦闘したこのカット、
実際に紙面で使える物かどうか、
当方制作陣にこの苦労ぶりが伝わるかどうかも定かではない。
久しぶりの写真撮影立ち会いで、すっかり苦労させられておりました(笑)。
仕上がりは、乞うご期待であります。
Posted on 12月 16th, 2018 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅取材&ウラ話 | No Comments »

一昨日は東北フォーラムの忘年会。
いろいろなみなさんと懇親を深めさせていただきましたが、
このブログでご紹介した2020年省エネ基準義務化の不透明化は
はじめて聞いたというみなさんが多かった。
で、皆一様にその情報を話ししたわたしに「食ってかかってくる」(笑)。
みんな「そんなバカな話があるか」と憤っているのですね。
わたしは情報を提供しているだけなのに
「義務化が不透明になった」ということは「許せない」、
そういう義憤を情報提供者であるわたしにぶつけてくるのであります(笑)。
まぁわたしも気持ちはまったく同様なのですが、
ひとりひとりからおっかない顔をされてなにか損した気分(泣)。
北海道から来ていたのはわたしひとりで、東北のみなさんが中心。
ZEHという住宅施策がどちらかといえば、
温暖地域に有利な制度設計になっていて、
寒冷地域ではもともと「暖かい家」を目標に作ってきて
結果としてそれが「省エネ」になった、というプロセスを
よくわかっているみなさん。
国が考える「省エネ」は、自分たちの志向性とは微妙に目標が違うことも
「まぁ国全体での目標達成のためには」と従来、受容してきた。
そういう心理は北海道と共有しているみなさんたちなのですね。
こうした心理からすると、余計に腹立たしくなる部分がある。
「温暖地だったら、ふつうに壁に断熱を施工すれば太陽光発電を
常識的範囲で載せればクリアできる」というZEHへの認識があって
それに対して「あたたかさ」は自分たち独自に考えて実現していて
別な基準、省エネというモノサシから、より過重な断熱付加が必要で
「そこまでしてもユーザー利益にホントになるか」と
やや懐疑的にはならざるを得ないのが寒冷地ビルダーのZEHへの共有気分。
図表のように、北海道の1.2%や東北各地域のZEHの低レベルぶりに
このことは如実に表れていると思います。
そういう温暖地偏重の住宅施策を受容してきてなお、
義務化の不透明化というのでは、憤りたくもなる。
さて、この情報が正式にアナウンスされてくると、
いったいどのような「リアクション」があるか、
このみなさんの「反応ぶり」は中央省庁へのひとつの
「警告」ではあるように思われます。
Posted on 12月 15th, 2018 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅マーケティング | No Comments »

きのうは仙台市内で各所行脚。
なんですが、久しぶりに早朝散歩からはじまって、
用件先にはクルマを使わずに、徒歩作戦。
一昨日、知人とある訪問先への道に迷って、歩き続けて
「ダメでしょ、最近三木さんクルマばっかりでしょ」
と喝破されていたのであります(泣)。
ブログでクルマのオフィス化などの情報発信しているのでバレバレ(笑)。
まぁ大体、冬場になるといろいろと自分に言い訳して
「まぁ、いいっしょ」と散歩をサボるようになる。
それでは健康管理上、あんまり良くないという忠告。
なので、きのうは仙台市内駅周辺での行動範囲だったこともあり、
テクテクと徒歩作戦決行となった次第。
なんと、国分町での忘年会からの帰りも
駅前の宿泊ホテルまで、お酒を抜く目的もあって
たぶん2kmくらいは歩いて帰ってきた。
おかげさまでここちよい睡眠が得られて、爽快な目覚め。
まぁしばらくサボっていたことで、
あんまり早足ではすぐに息が上がりやすくなっている。
ややゆったり気味での歩きですが、
出張での時間制約の範囲で、がんばろうと考えています。
でもいきなり16000歩超は、がんばり過ぎかも(笑)。
でもこういう記録を見ると、やる気が湧いても来ますね。
ではでは、本日も歩くぞ!
Posted on 12月 14th, 2018 by 三木 奎吾
Filed under: こちら発行人です | No Comments »

先日来、国会議員先生などのSNS発信などから
国交省サイドからの情報として表題のような「流れ」の説明がされているそうです。
情報が断片的で、公的なアナウンスはまだないようなので、
なんとも言いようがない状態ですが、
いまのところ「噂話」のような広まり方。
サイレントな「政策変更」を目指しているのかも知れませんね。
ちょっと前の建築業界への各種「ヒアリング」などを踏まえた動きなのかも。
っていうようなことをきのう、北海道の新住協中心メンバーの方と
お話ししていましたが、まぁひとこと、
「なにやってんだろうね?」(笑)であります。
北海道地域総体が作ってきた住宅性能基準を国として参照して
あるいは丸呑みして全国に広めるという方向で中央省庁はこれまで来たけれど、
どうやら基準義務化は無期延期の刑に処されるということなのか。
ZEHとか、太陽光発電のFITを利用した活用推進など、
どちらかといえば寒冷地にはメリットの薄い住宅誘導政策を大盤振る舞いした末に
「それでも市場はそれほど変化していない」ということを理由にして、
基準義務化を事実上、なかったことにしようとしているのでしょう。
まことに「腰砕け」というコトバが似合う光景であります。
ハッキリ言わせてもらえば住宅に関する優遇策、税の使い方において
寒冷地はここしばらく「蚊帳の外」扱いされてきた。
まぁそれは仕方ない。「日本」に言われなくても現実的必要性があって
寒冷地では住宅性能向上が進んできたし、その住宅市場は
自立的にそうした方向性を選択してやってきた現実があるのだと思います。
日本という国全体にとって温暖地域で住宅性能向上が進むことは喜ばしい。
そのように受け止めてきたので寒冷地の側はほぼメリットは無いけれど、
住宅政策的には温暖地側重視ともいえる上記のような政策を支持してきた。
それが税金は大盤振る舞いしたけれど、市場が動かないから頓挫させるという。
来年度予算策定のまっ盛りのなかでの
まだ、断片的な動きのようなので今後の推移を見ていきたいと思っています。
Posted on 12月 13th, 2018 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅性能・設備 | No Comments »

前から出張は多かったわたしですが、
ここのところは、さらに増して多くなっております。
半分札幌半分その他から、だんだん7−3くらいの割合で
その他が増えそうな趨勢にあります。
まぁ元気で動けるうちは、働かせてもらった方がありがたい。
ということになってくると、クルマの移動時間中に頻繁に
Macでデータを加工したり、書き込みをしたりという
ワークが必然的に増えてこざるを得ない。
移動しながらときどきパーキングで片付けをするというのが日常になる。
クルマは社用で仙台に常置しているので、
その社用車にいろいろ機能性向上を計っていこうと考えています。
クルマのメンテナンスとか、カーナビのデータ更新などの
フットワーク系の機能向上をしてきたので、
今度はさらに車内デスクワーク環境の向上を考えています。
助手席はときどき使うことがあるけれど、
まぁほとんどは使わないので、こっちをデスクに改変したいと考えていますが
完全に運転席から真左に向き変えて作業するというのは
どうも人間工学的に不合理のようで
写真のようにハンドルの左側に置いて視線だけ、カラダもほんの少しだけ
という感じでの体動程度がふさわしい。
このパソコン画面、わたしの場合はMacBookAirですが、
こっちで大体Excelとブラウザを立ち上げて、
移動先のデータを表示させてカーナビにそのデータを入力する、という流れ。
MacにはiPhoneのテザリングでモバイル接続しているので運転停止時には
おおむね常時接続環境が得られる。
だいたいのオフィス環境がクルマの中で実現する。
というような計画で、このPC台座のようなヤツを物色中であります。
本日から1週間東北に移動ですが、
その期間中にこういう写真のような環境を実現できるか、
虎視眈々と計画中であります。
でもいろいろとIT疲労が重なってきて眠気が増して
結局は高速PAでの仮眠時間が爆増するか? さてどうなるかなぁ・・・。
Posted on 12月 12th, 2018 by 三木 奎吾
Filed under: Mac.PC&DTP | No Comments »


秋田の西方設計・西方里見さんから情報があった。
かねてから興味を持っていた「秋田城」〜江戸期に佐竹氏が築城した
現在の秋田城ではなく、奈良・平安期に作られ、
主に対外公館的な意味合いの強かった秋田城の方ですが、
こちらの写真が氏の投稿でWEBに公開されていました。
たいへん強い興味を持っているので、今度実地に見に行きたいのですが、
西方さんから了解もあったので写真を使わせていただきます。
写真の通り、この秋田城には「水洗トイレ」が作られていたのです。
秋田城の創建は730年頃とされているので、
いまから1300年前にすでにこういう衛生思想が日本にはあったことになる。
西方さんから送られてきた写真では、外観から
内部のトイレの様子、便器としての受けの陶器の様子、
さらには水で流されたあとのため池的なものまでが収められている。
トイレには巨大な水甕もあるので、排泄後水で流す意図も明瞭に伝わってくる。
この秋田城には創建当時から、いまのアジア北東部に成立した「渤海国」
からの外交使節が何度も来日したという記録が残されている。
この渤海からの外交使節を接遇することが秋田城の主要目的ともいわれ、
このトイレはそういう外交目的の装置ともいわれる。
「おお、この国には見たこともないトイレがある。文化国だ!」と。
数十年前から司馬遼太郎さんの記述でこうした古施設の存在を知り
知的興奮を掻き立てられていたのですが、
どうやら秋田城復元工事が進捗して、復元されているようです。
現地秋田には、そういう復元が可能なほどに情報が残っていたのでしょうか?
場所の特定が可能になった根拠とか、知りたいことは山ほどあるけれど、
そのあたりの探訪は現地で楽しみにしていたいと思っています。
そういった興味とは別に、
現代に繋がる「衛生思想」の発展史と考えてこの水洗トイレは面白い。
古来トイレは穴を掘って用便して植物の葉で処理し、その後は土を被覆したか、
水辺では「水に流す」というのが人類一般だったのだろうと思います。
そういった習慣性からそれが建築に機能として反映していった。
ニッポンでは中国に成立した古代国家を模倣して奈良に平城京という
本格的な「都市」が形成されたけれど、慢性的な衛生問題に悩まされて
疫病の発生が頻発したとされます。
都市・奈良のそうした限界から、より「水利」に恵まれた平安京が造営された。
人類発展の過程で、この衛生問題の解決は都市集住を可能にして
大規模な権力機構の発展からさらに「情報文化」の醸成をも促したと思われる。
たとえ対外公館機能建築遺構ではあっても、
こういう思想と建築技術がニッポンという社会には根付いて存在していたことを
この施設は明瞭に示してくれています。
都市と疫病との相関関係は中世ヨーロッパでもあった大問題。
ペストなどの大流行は人類の危機でもあったけれど、
同時代のニッポン江戸社会では水利も大発展し、
エコロジカルな排便・貯蔵・肥料への再利用という循環社会が成立していた。
多雨で水利に恵まれているという列島環境の中で、
こういう「衛生」の発展史という側面で、まさにこの秋田の水洗トイレは
大変貴重な遺構だと思います。すごい。
Posted on 12月 11th, 2018 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅マーケティング, 歴史探訪 | No Comments »

最近土曜日夕方、もっと詳しく16時前には、
かならずこんな風景を見ながら北海道に帰還する日々であります。
ルーティン化してきているのですが、
この帰りの飛行機から見る夕方の日高山脈の夕陽に癒される。
日高山脈は北海道を東西に2つにわける背骨のような存在。
十勝側から見た景観は神田日勝さんの絵によく描かれていて
素朴な感性に圧倒されていましたが、一方でこちら側
日高目線での山脈には気付きが多くはなかったけれど、
最近の往復ですっかりこの景観、それも空から見る時空間に魅せられる。
ことしは雪が遅くて、先々週くらいでも遅い紅葉の過剰な反射が見られた。
そういう光景もまったく不意を突く美観で迫られた。
「おお、こんな美は見たことなかった、ような・・・」です。
やはり季節感を巨視的に見られることは楽しい。
北海道としての他の日本の地域へのいちばん大きなアピールポイント。
もちろん他の地域でもそれぞれ明瞭な巨視的把握ポイントがありますが、
北海道では無意識のうちにそういう光景が広がっているのでしょう。
そういう巨視的な自然との感受性の応答が日常化しているともいえる。
考えてみれば北海道という島は
日本人および日本的感受性がめぐり会った土地・周辺環境の中で
領土として獲得できた民族的資産。
そこでの民族的体験はまだ150年そこそこ。
日本人には独特の「花鳥風月」感受性という文化資産がある。
その感受性をフルに発揮して「国土開発」することで、
世界に対して、世界標準的な風土の中で日本人がどういう国土、
建築や人間環境を創造していくのかという博覧的地域だと言えます。
近年のアジア地域からの大量の旅客の増加ぶりはすさまじく、
迎え入れる千歳空港の拡張工事は急ピッチで進められている。
寒冷地世界での世界標準に近い冬期の建築室内環境は実現できている。
たぶんこのことが多くのリピーターを満足させて吸引してきている。
地域全体で建てられている建築が、その基盤となる戸建て住宅で
Q値1.6という国の基準、それも北海道が先導することで
世界標準と乖離しないレベルに引き上げてきたその基準に準拠する建物が
現実に半数を超えているような地域は世界でもそう多くはない。
だから、キビシイ冬の気候環境をむしろ新たな「花鳥風月」感受性で
「楽しめる」居住環境が広範に実現している。
そういう「断熱」の本当の価値について
地域としてもっと情報発信していく必要がある。
どんなに冬が厳しくても楽しめる花鳥風月があると思います。
Posted on 12月 10th, 2018 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅マーケティング | No Comments »

本日多忙につきブログ書く時間が乏しくテーマは住宅から拡散気味ながら
広い意味では「家」制度、というようなことで書きます。
わたしは生きてきて日本中を歩き続けてきたのですが、
各所でご先祖様に連なるような出会いの瞬間があります。
人類というのは、何度も滅亡の危機を乗り越えていまがあると言われますが、
ごく近い近縁と想像できる「同姓」の方と出会ったら、
やはり「どちらが出自でしょうか?」と聞くことにしております。
そうすると大体が、四国の愛媛県香川県周辺に出自が絞られてくる。
わたし自身の家系はそこから700-800前頃には兵庫県に移っているようですが、
それでもその後の有為転変のなかでの根拠地として
やはり四国のそのあたりに縁があるように思われます。
一度など、三木という地名を訪ねてクルマで歩いていたら
そのとなりにカミさんの旧姓である「津田」という地名も見つけた(笑)。
夫婦、家族でその「邂逅」を喜び合ったりした。
で、経済の面ではどうも「麺類」に関連した由縁が
各地で強く感じられます。
先般お目に掛かった方とも、ほぼそのような地域性を話題として共有した。
やはり瀬戸内海世界でご先祖様たちはこの列島社会で生きてきた。
父は幼時に北海道に渡ってきたということですが、
わたし自身は北海道ネイティブに完全になった初代世代です。
江戸期までこの国での生き様を想像してみると、同族の結びつきというのが
「家」制度の中では中核的な生きるよすがであったように思います。
わが家家系でも北海道に渡ってきてまず頼ったのは、同地域からの移住者であり
そういうルーツに繋がることが基本的な生き様だったことがわかる。
そういった生き様から近代国家社会、さらに資本主義的職縁社会に移行して
「よすが」も大きく変わってきている。
しかし現代の社会の行き詰まりなどを見ていると、完全な個人主義に
本当に移行するのかと疑問に感じる部分もある。
同族・近縁というような「縁」の社会規範のようなものが、
ふたたび再生してくる可能性もあり得るのかと。
そういう「共生感」で持ってお話ししていると
それなりのコミュニケーションの濃さもジワジワと出てきたりする。
近縁社会的な見方をベースにいまの社会の中での生き様を
相対化して見るという視点はまだ、辛うじて得られるのですね。
人口減少というようなことが進行していって、
このような「縁」の社会が今後、どう展開していくのか、
先は明瞭には見えていないような気もしてきます。
Posted on 12月 8th, 2018 by 三木 奎吾
Filed under: こちら発行人です, 歴史探訪 | No Comments »

写真は鎌倉・円覚寺境内の鎌倉市指定の天然記念物
「ビャクシン」の木であります。
〜ビャクシン属はヒノキ科の針葉樹の1属。ネズミサシ属とも呼ばれる。
樹高はハイネズの様な低潅木からイブキの様な高木まで様々である。
匍匐性の品種も見られる。樹皮は赤褐色で縦方向に薄く長く剥がれる。
葉は短く茎に密着し、互いによりあって葉の付いた枝は棒状の外見を持つ。
時に針状の葉を持つ枝が見られ1本の木に混在する。〜
どうもこの木は宗教家が好きな木のようでとくに鎌倉の禅宗寺院では
ある種、シンボリックに使われているように思います。
この樹木はまさに天然記念物にふさわしく木肌が色めいて露出している。
人類はアフリカで樹上生活していたあと、
さまざまな経緯から樹上から地上に降りて行動するようになったけれど、
夜も地上で過ごすようになるまでにはやや時間が掛かったように想像します。
やはり夜になれば、一番安全な寝場所として樹上にハンモック状の
「寝床」を作って寝ていたことが考えられる。
いまでもヒト属近縁種のオランウータンなどはそのように寝ている。
地上生活を始めたときには、地上を支配する大型肉食獣との関係から
防衛のための道具として、これも木を持っていた可能性が高い。
人類の地球制覇のグレートジャーニーも木によって可能になった。
木は「海を渡る」道具として加工が考えられはじめ
石器を木にくくりつけた石斧で木をくり抜いて舟を作ったとされる。
樹上のベッドから自然の寝床としての洞窟などに住み処は
変遷していっただろうけれど、つい最近ここ1万数千年前くらいから
「定住」をするようになってその素材・材料としても一番に考えられた。
木をくり抜いて加工し舟を作る技術が「木で家を作る」ことに
同時に利用されていったと考えるのが自然のように思われる。
その結果、定住の始まるこの時代には竪穴住居が一般化していく。
木を切ってそれらを組み合わせて「構造」を作り萱などの植物で
屋根を葺いて耐候性も高めたとされている。
そんな想像から考えれば木と家は人類史的にはまだ1万数千年の関係。
しかしそれ以前の「安全保障」的寝床としての永い年月を考えると
100万年以上の時間、木との「対話」は人間の本然なのでしょう。
この写真の木のような木肌は
人間の肌とももっとも近似した意匠性をもっている。
表面の木皮をはいだら露出する木肌は、まるで人肌にも似ている。
人類的なネイティブ感覚が木によって呼び覚まされるのだろう。
こういう天然由来の木肌が宗教施設の一角を飾っている様は
人間の本然に対する気付きの機縁という効用も期待しているに違いない。
しばしうっとりとみとれる時間を過ごしていました。
Posted on 12月 7th, 2018 by 三木 奎吾
Filed under: 住宅マーケティング | No Comments »