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阿吽の仁王様の謎かけ

きのうは首都圏、たいへんな天候になって
雪への対応がまったく無防備に近いので、都市機能はマヒしていたようですね。
横浜で13cm積雪を観測と言うことですから
たしかにすごい。
高速道路の上で動けなくなってしまったクルマの運転手さんが
あわててタイヤチェーンを装着している様子も見ましたが、
まぁ、チェーンを持っていただけでもすばらしいと言えるのでしょうか。
しかし、各所でスリップ・立ち往生が続出していたようで、
まことにお気の毒としか言えませんね。
人類の発展プロセスで、気候の良いところが大量の人間が集まる都市として
ふさわしい、というようになるのは必然だとは思いますが、
それに対して、気候変動という要因がいちばんの変容起動力になる
ということもまた、変わらない法則なのでしょう。
ときどき生起するこうした混乱から
想像力を鍛えていく必要性があるのだろうと思います。
なんですが、実は明日から東京出張であります(笑)。
大丈夫だろうとは思いますが・・・。

きのうのブログで取り上げた龍川寺にあった、仁王様2体であります。
立派な山門の左右の飾り間に鎮座しておりました。
阿吽というのは、以下、Wikipediaより
〜阿吽(あうん、Skt:A – hum)は仏教の呪文(真言)の1つ。
悉曇文字(梵字)において、阿は口を開いて最初に出す音、
吽は口を閉じて出す最後の音であり、そこから、それぞれ
宇宙の始まりと終わりを表す言葉とされた。
また宇宙のほかにも、前者を真実や求道心に、
後者を智慧や涅槃にたとえる場合もある。
次いで、対となる物を表す用語としても使用された。
特に狛犬や仁王、沖縄のシーサーなど、
一対で存在する宗教的な像のモチーフとされた。
口が開いている方を阿形(あぎょう)、
閉じている方を吽形(うんぎょう)と言う。
転じて、2人の人物が呼吸まで合わせるように
共に行動しているさまを阿吽の呼吸、阿吽の仲などと呼ぶ。〜

なんですが、この造形もなかなか見事であります。
大きさもかなりのものでして、
とても立派な格式を表していて、ビックリさせられる。
で、寺の雰囲気からしてどうも江戸期まではさかのぼるのは確実そう。
ふむふむ・・・。
というようなスフィンクスの謎かけのような宿題を
この仁王さん2体、わたしに強いているようであります(笑)。
「なして俺たち、ここにいると思う?」
わかりました、少し時間をいただいて、
仁王さんにお答えしていきたいと思う次第であります。

長年の疑問氷解〜 「扇垂木」

先日、宮城県の加美のあたりを走っていたとき、
なにげなく通り過ぎた城下町のような街並み道路の突き当たりの寺院山門に
かなりビックリさせられて、引き換えして写真を取ってみました。
「龍川寺」という寺院なのですが、
その後、インターネットで調べてもあんまり資料にあたらない。
そもそも山門を持っている寺という存在自体、珍しいと思うのだけれど、
来歴などを知るすべがない。
で、この山門には立派な阿吽の仁王様まであって、
とても市井の寺の雰囲気ではないのであります。いや、気になる(笑)。
で、入力していろいろ調べてみたら、
ひょんなことから、わたしが長年(笑)わからなかった寄せ棟屋根の端部の
構造木組みの仕様が探求できたのです。
写真のような放射線状の「垂木」が屋根を支える構造についての疑問です。
まず、この構造の名前がわかった。
「扇垂木〜おおぎたるき」と言うのだそうであります。
あるHPの解説では
〜仏教建築が「入母屋造」、「寄棟造」を採用してくると、垂木は「放射状」
になる「扇垂木」にしました。長い垂木が屋根の奥深く棟まで入ってこそ、
天秤状態になり垂木は屋根を支える部材としての効果を発揮するのです。〜
ということだそうなのです。
この扇垂木に対して「平行垂木」という工法があって、
これは寄せ棟屋根頂部から端部にまっすぐに降ろす対角の材に太い材をあて、
その対角材に対して直角に木組みを施している形式です。
こちらの方が視覚的には施工が容易なように見られ、
時代が下がるにつれて、
こうした様式が多くなるのではないかと推測していました。
まぁおおむねはそういった理解でいいようなのですが、
どちらかというと、日本の大工技術ではナナメの材というのは
「みぐるしい」とされてきているので、
初期の、中国からの仏教導入期にはこの「扇垂木」を採用したけれど
時代が下がってくると、大工たちの感覚が優先されるようになったのではないか。

なんですが、
この宮城県の在の城下町に、こういった大工技術の痕跡を発見するのは意外。
HPを調べていたら、この寺院の施工をされた
宮大工さんの名前までわかったのですが、
どうも、宮大工さんたちの流儀として
こうした屋根端部のデザインが相伝されてきた気配がある。
むむむ、
扇垂木だけに奥が深そうなお話しでありますね(笑)。

高2の息子、東京に触れさせる

わたしもきのう、仙台への出張を終えて札幌に帰還。
久しぶりに息子と話すことが出来ました。
息子も4日からおととい10日までほぼ1週間くらい
「東京」に触れ続けていた・・・。
ことしは年初から子どもたちと家族旅行で東京に行ってきたのですが、
それは、なるべく多感な時期に視野を広く持ってもらいたい
という親としての願いからのものでした。
日本人として生きていく上では、東京との間合いの取り方って
なかなか重要な要素部分ではないかと思っています。

わたしは、北海道空知で生まれおおむね札幌の街で育ち
そして東京の大学に行き、そのまま東京で就職して
いくたりかの社会経験を積み、ある程度の人間関係を構築して
それから8年間の東京暮らしの後、札幌に帰ってきて
という人生経路をたどってきました。
20世紀中庸から21世紀の時代のなかで、北海道という
日本の一地方、とも簡単にはいいきれない地方出身者として
日本の社会のなかで生きてきた。
そういうなかで、とくにビジネスや社会性の部分では、
常に東京との間合いを意識して生きてきた。
そういう認識の上で札幌で長く生きてきた人間であります。
で、これからの日本人、人間の生き方として、
やはり東京と、どのような間合いで生きていくかというのは
かなり決定的なのではないかと思い続けています。
娘や息子が成長していく過程で
「東京はひとの住むところじゃないよね」という言葉を発していまして、
そういうふうにわたしは子どもたちに伝えたつもりはなかったのに、
というような思いを常に感じ続けていた次第です。
なので、息子の高2という時期を選んで、
家族全員で東京に触れる旅をしてみた次第です。
それは父親として、どんなふうに東京と「付き合ってきたか」というような
そんなことの断面だけでも伝えたい、ということが動機でした。
地方の人間が東京にたまに行って、
地方での暮らしと同じようにクルマで走り回る、ということは、
首都高速をはじめとする交通事情の難しさがあって、
ある種の「バリア」が存在すると思いますが、
でも地方生活者にとってはクルマこそが本来的な移動手段であって
そのように行動してきている。
人間の常識的感覚もそのように馴致されている。
そういった常識的な感覚から、きちんと東京での生き方を考えるのも
必要な視点だと思います。
カーナビというたいへん便利な装置を活かせば、
このような視点も比較的容易に実現できる。
「皇居にクルマで乗りつける」というような感覚も
一度は味わってみる必要がある。そんな気がしています。

で、息子。
家族旅行で4日間と、折り返して高校の友人たちと3日間、
東京に浸るように過ごしていました。
きのう、家に帰っての会話。
「どうだった? 家族旅行の最後で、
東京への敗北感、みたいなことを言っていたけど?」
「それは変わっていないよ」
「・・・でも、俺、東京で就職したい、東京に行くからね」
っていうことでした。
話し方にも意外なまでの変化があって、
想像以上にかれのなかで吸収したものがあったのかも知れないな、と。

いろいろ、話していくことが楽しみになってきました(笑)。

エッジの住宅デザイン

写真は一昨日見てきた大崎市の家の照明。
和室の仕上げの様子なのですが、
蛍光管が天井の柾目板の間に埋め込まれ、
壁面にやわらかい反射光を落としている様子を納めてみました。
写真では表現し切れているかどうか不安ですが、
この壁紙も45度の角度で格子縞模様のものが使われているので、
この反射光角度とおおむねシンクロしていて、
ほとんど意識下の部分で、シャープさが仕込まれていると感じられます。
一般的にはなかなか気付きにくく、
お住まいの施主さんもそういったことには気付かれてはいませんでしたが、
「なんとなく、落ち着く」という生活実感は持って暮らされている。
蛍光管も電球色のタイプが使われていて
目にやわらかい印象のデザインが心掛けられている。
壁紙の色調も、そのような色調に似合うように同系色とされていて
ほんの少しのグラデーション範囲にまとめられているので
全体として、シャープさと調和感が同居している。
和風としてまとめる、というような
そういった施主さんの要望自体、
北海道ではあんまり出てこなくなっているのですが、
たとえあったとしても、細やかなデザインになっていく部分なので
ディテールまでの心がけが必要になってくる。
しかも、通常あんまり気付かないような部分での違いが大きい。
形だけ持ち込んでも、「調和感」というものが達成されない。

なんとなくそんな印象を持って住宅を拝見していました。
人間がそこで過ごしていく時間がもっとも長いのが住宅だとすると、
そういった空間の空間デザインについて
お互いに共通するような言語フレーズが必要だと思うのですが、
なかなか気付きにくい部分ではあります。
やはり「なんとなくいいなぁ」というようなあいまいな領域になってしまう。
しかし、毎日の暮らしに背筋が通っていくかどうかは、
こういう環境要因が与って大きな部分を占めているのも事実。
見ていると、たとえば床の間の床板の下に、
若干の隙間を開けてあって、正面から見ると床板が浮き上がっているように
印象されるような仕上げになっていたりする。
まことに細やかなデザインなんですが、
建築的には、合理性との両立が難しい領域。
設計者としては、いろいろな職人さんに正しくイメージを伝えていくのが
非常に困難な部分もあるだろうなと推測させられる。
しかし、細部にこそ神が宿る、とも言う。
家を建てる、という人間社会でのいちばん普遍的な「創造機会」に
少しでも「いい空間」を心がけていくのは必要ですね。
「生活文化」という言葉を使うけれど、
そういうことは、こういった細かい部分にこそ顕れるものだと思います。

住宅設備のコントロール

きのうは札幌から仙台に移動。
東北での年度スタートに際しての出張であります。
なんですが、ある筋からさっそく面白い住宅の情報があって、
寸暇を利用して、宮城県北部の大崎市古川に取材に行って参りました。
ちょうど撮影用の一眼レフもあったので、好都合。

で、見たのがこういった光景。
建てられたのは昨年6月入居ということで、
設備的にもOMソーラーや地中熱ヒートポンプを装備しているのですが、
2階の中心的居室の壁面にコントロールパネルが集中されている。
あんまり説明を聞いていないので、事前にはわからなかったのですが、
この家の暖房方式はこの2つを組み合わせている。
まぁ、自然のエネルギーを活かそうという趣旨のOMソーラーの考えが
明瞭に伝わってくるような装備ぶりであります。
左上がOMでの「太陽熱集熱」の状況を表しているもの。
右上は地中熱ヒートポンプでの輻射暖房のもの。
温度状況を確認したら、地中熱ヒートポンプの方は55℃になっていて、
一方のOMソーラーの方は
「ずっとこれくらいです」という、15℃という温度表示。
ただ、お住まいの方はあんまり機械的なことへの興味は強くないので、
「ここにいると15℃っていうことはないと思うんだけれど・・・」
という説明。
まぁ説明を確認していないのですが、
OMソーラーによる太陽熱集熱はその程度になっていて、
それを補うように地中熱ヒートポンプが加温させているということではと
推測されました。
お話を伺っていて共感するのですが、
やはり一般ユーザー的にはあまり強い興味は持てないだろうということ。
「自然エネルギー利用」というコンセプトには共感するけれど
そこから先のメンテナンスなどには、生活実感的なものが希薄化する。
そのように見てみて、この壁面のコントロールパネル群をみると
いったいどれくらいのユーザーが関心を持ち続けられるのか
ちょっと不安になった次第。
国の省エネ基準は改定されたわけですが、
そのなかで「住宅設備」の要素について「1次エネルギー使用量」という
判断基準が導入されてきます。
そうであれば、もうちょっとユーザー目線で
統合的な判断値が確定される必要があるのではないか。
せっかくコントロールパネルが数字を表示していても
肝心のユーザーがその意味をあんまり知らないのでは、
どうかなぁと、思わされた次第であります。・・・ふむふむ。

家系調査について

わが家は約100年前に、祖父が北海道への移住してきた家系です。
それ以前の家系記録はきわめて断片的なものしかなくなっていて
多くの北海道移住者がそうであったように、
北海道での一旗を夢見てきた家系のようです。
ただ、それ以前の時代の資料は断片的とはいえ、
かなり豊富に存在していて、相当以前までさかのぼることが出来る。
わたしも時折は、そういった調査を試みることがありますが、
まぁ、なかなか時間がないし、そこまでこだわりが継続はしない。
わたしには兄が4人いますが、そのうちの2番目の兄がこういった家系調査を
ライフワークにしており、
きのう電話があって、資料を作成したから、読んで欲しいと持ち込まれました。
もう相当前から、たぶん、20年以上前からこういう活動を続けていて
いまは仕事も一段落しているので、
勢い、調査活動に拍車がかかってきているようです。
まことに同慶の至りであります(笑)。
で、じっくり読んでみた次第。

・・・、まぁ、よく頑張って周辺的な資料をあさっているなと感心。
以前の調査は、ひたすら過去の深さにこだわっていて、
国造の時代くらいまでさかのぼっていましたが、
今回示された資料は、検証可能な文献記録など、わが家の周辺事物から
丹念に事実の発掘を試みてきています。
位牌の名前くらいしかわからなかった人の事跡が、
多角的な調査からその人物像、生き様まで浮き彫りになって来ていました。
もうすこしでひとの息づかいも聞こえてきそうな感じであります。
いわば学術的な探求姿勢は必要だけれど、
それだけでは、なかなか想像力を持った視点をもてない。
このあたりまで調査を進めてきたら、
人物に寄り添って、その視点から関係性を解いていった方が
わかりやすいかも知れない。
労を多としつつ、そのうえにもう一段の
わかりやすさを添えてみたくなった次第です。
少し気長に、世間のみなさんが読んでも理解出来るように
じっくりと整理整頓してみたいと思います。
あぁ、でもなぁ、仕事も忙しくなるのに、・・・(笑)。

能面の表現者たち

さて、きのうから平常業務に復帰いたしました。
しかし休暇はやはり仕事の効率化には欠かせないものだと思います。
通常の業務を離れてみてはじめて見えてくるものがあり、
今、自分自身がどんな位置にいて、そのことが大きな視点から見たら、
どんな意味合いがあるのかが、必然的に把握できるようになる。
そういう意味で、休暇がなければ、
「直感力」が機能しないのではないかと思うのです。
日々の仕事では、主観的な世界にどうしても没入するわけですが、
非日常の世界では、そうした自分と離れて、一個の受け手としての視点で
ものごとに対することが出来る。
そうすると、普段気付かないようなことが自然と見えてくる。
「あ、そうか」という気付きですね。
で、こういう気付きの集大成が、いわゆる直感力だと思う次第。
ただ、非日常だけでもまた目的性が明瞭でなくなる。
この両方の、ONOFFが重要なのですね。

写真は、国立博物館で見ていた「能面」です。
このほかにも多数の能面が展示されていましたが、
古代の人々の感受性が直接に伝わってくるリアルさに圧倒されます。
古典芸能とかには、このような「人間の典型」が豊かに残されています。
どの時代にあっても、人間のこころは通じるものがあり、
感じることも無限に同期できる。
その一瞬の表情から、人間のこころをすっかり表現する、
この能面たちの表情の豊かさに、驚きます。
そして、こういう能面を造形したであろう職人たちの手仕事の確かさに
ぐいぐいと引き込まれて行ってしまいます。
時間を超えて、そういった古の人々と会話が成り立つように思われます。

今回は時間がなくて
古典芸能に触れることは出来ませんでしたが、
やはり北海道に決定的に不足しているものが、こういった手業の積層、
その人間的な手触り感なのは間違いがありません。
写真などを整理していて、つくづくとそんな思いが沸き上がってきます。

旅の終わり、はじまり

さて、年始時期を狙っての家族旅行、
昨晩帰還して参りました。
最後の1日は、人気スポット・東京スカイツリーに挑戦でした。
事前のカミさんの調査がバッチリの読み的中で、
月曜日の朝一番という時間は、まったくのスイスイ楽々状態。
スカイツリーって、2段構えになっているようで、
350m地点と、そのさらに上の450m地点で、
それぞれ2000円と1000円の課金がある。
坊主は高校生なので、1500円と800円の2300円であります。
料金はどうなんでしょうか、微妙ではありますね。
わたし個人的には、めったに行く場所でもないし、
まぁこれくらいの価値は正当なのではないかと思います。
ただもっとも安かった坊主は、「高い」と漏らしておりました。
とかいっておりましたが、聞いたら、今日からとって返して友人と
ふたたび東京旅行に出かけるのですが、
またスカイツリーには来る予定なんだそうです。
ただし、来る予定は夜だそうで、さかんに情報収集しておりました(笑)。
おかしなヤツで、ひとりで東京に1日泊まっているのは不安だそうで、
本日早朝、友人たちと待ち合わせて、東京に引き返していきました。

なんですが、一方では
沖縄在住の娘とは、羽田で別々に別れてしまいました。
久しぶりに家族水入らずの時間を過ごして
4日目に別れ別れになるというのも、ちょっと・・・。
旅の終わりのもの悲しさをたっぷりと味わわせていただきました。
でもまぁ、それだけ楽しくステキな時間でもあったわけで、
羽田でのいっときにはいろいろな話も出来て良かったです。
親の世代と子どもの世代、
こんなふうに交わったり離れたり、
そんな時間が、なるべく長く共通体験として過ごせればいいなと思います。
そういうなかで、子どもたちにどんな思いを伝えていけるのか、
親としての仕事、まだまだたくさんのことがあるようですね。

昨年の修学旅行以来、
友人たちと「東京、行くべや」という盛り上がりが芽生え、
この冬休みに実現させることになった坊主。
こっちはこっちで、いろいろ不安なことも多いのですが、
わが身を省みても、まぁこんなものだろうと(笑)、
見ていてハラハラするけれど、
経験はなによりも大切だと思います。
今回の東京の旅で、東京と北海道の彼我の差に
「敗北感」に似た思いを感じたということだそうです。
「お、いいねぇそれ」と、親としては内心、喜ばしい部分もある。
そういった心がバネになることも、きっと多い。
駅まで送ってやって、後ろ姿にそんな思いを持ちました。

カーナビの操作について

今回の家族旅行ではレンタカーを借りて
家族一体の、水入らずの時間を過ごしたいと考えていました。
公共交通機関を利用して移動するのもいいけれど、
クルマでの移動の良さもあると思うのです。
まず第1に、家族の会話が遠慮なく出来ること。
公共の場では、他の方たちへのご迷惑になるような会話は控えなければならない。
そういう意味で、クルマであれば、顧慮はいらない。
しばらくぶりの家族全員旅行なので、
寸暇を惜しんで、いろいろな話を交わしたいのですね。
それと、2番目には移動の自由さがあると思います。
2日目には朝早く浅草周辺を離れて目黒近辺に行きましたが、
目的施設の開館時間が9時というホームページの案内だったにも関わらず
10時になってしまっていた。
やむなく、少しクルマを走らせて田園調布の高級住宅街を見学して来ました。
こういう自由度は格段に高いものがある。
さらに3番目には、移動目的がピンポイントで特定できるので
合目的性が非常に高くなる、という点もあると思います。
同じ2日目のその施設、「寄生虫博物館」は、
看板もごく小さく、公共交通機関駅からもやや距離がある。
ピンポイントで特定できるカーナビがあれば、非常に容易に移動可能になる。
通常、仕事でカーナビ移動の便利さを体感しているので、
こうした効率性は、絶対の魅力。
などなど、クルマでの移動にはメリットは多い。

わたしの場合、首都高速などへの経験的耐性もそこそこあるし、
カーナビ付きであれば、あんまり考えずに目的地へは移動できます。
そういうことで、今回2日間、レンタカーで移動しまして
たいへん有効に利用することが出来ました。
ただ一点不満点は、最近のカーナビは危険防止のために
カーナビ操作は「停車中」でなければできないようになっていること。
たしかに「安全性」ということでは理解は出来るのですが、
複数人数で移動しているのに走行中に操作できないのは都合の悪さもある。
きのうも、時間のいろいろな条件が走行中に変化していたので
目的地を変更しなければならなくなった。
とくにほんの一瞬のタイミングのズレで進路変更に注意を払う首都高では
目的地までの経路がなかなか難しいので、
やはり目的地はしっかり設定しなければならない。
で、時間が大切な旅行者の場合、必然的に高速を利用する。
それも首都高速などを利用する頻度が高い。
一般の都市間高速ではいいとしても、首都高速では
あんまり「パーキング施設」がないのですね。
きのう、横浜から時間の関係で、渋滞がどれくらいか予測がつかなかったので、
安全側に見込んで、レンタカー屋さんの店舗を設定した。
ところが予想以上にスイスイ走行できたので
時間に大きくゆとりが生まれた。
そこで、東京駅丸の内側のライトアップを見たくなったのですね。
こういうとき、走行中の操作ができないのは困る。
幸い「平和島」というパーキングがたまたま発見できたのですが、
それもiPadでカミさんが情報をゲットしてくれたので立ち寄りが可能になった。
しかし、それにしても直前に料金所ゲートがあって、立ち寄るためには
一番左側レーンにいっていなければ立ち寄り不可能でした。
やはり、走行中でもドライバー以外の運転補助員が
カーナビ操作が可能なようにできたらいい。

利便性と安全性のトレードオフ関係、難しいと思いますが、
一考できないのだろうかと感じた次第です。

東京ミッドタウン 21_21 DESIGN SIGHT

「乃木坂近くに行きたい。」
「なによ、それ?」
「乃木坂46に会えるかも知れない・・・」
というまったくなぁ(笑)、という動機ですが、
「じゃぁ、東京ミッドタウンに行ってみようか」ということで旅程に。
東京ミッドタウンはサントリー美術館に行ったことがありましたが、
カミさんの「行こう、行こう」のススメもあって、
ガーデンにある、安藤忠雄さん設計の美術館施設に。
ちょうど、デザイナー田中一光さんの展示会も開かれていて
仕事の参考にもなって、大変有意義に過ごすことが出来ました。
田中一光さん、名前は知っていましたが、
そのひととなりまでは知りませんでした。
一般的には、無印良品などの商品コンセプト開発などで、
広くデザインの発信力で現代日本に多くの方向性を与えたデザイナー。
氏は、やはりというか、
奈良や京都の日本的デザインのゆりかごのなかから
オリジナルな創作エネルギーを紡ぎ出していた。
そういった軌跡がみごとに展示表現されていて、
楽しく、その人物世界を体験することが出来ました。

この施設に併設されたレストランで食事しようかと考えたのですが、
家族旅行としては、やや高額(笑)なので、
またの機会に。
やはり家族に、というか、子どもたちとの対話の旅ですので
いろいろな思いがあって、定点的にはとらえられない。
旅程を考える、どこをどんなふうに見ていくか、
そのこと自体が、子どもたちになにかを伝えられる機会のような気がします。
父親としては、楽しく
そしてある重さも感じながらの旅であります。
いろいろなところに足を運んでいるわけですが、
それぞれ思いがあって、まだまだ、旅程は続いていきます。