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【前真之先生勧告受諾 in ZEH北海道】

2967

既報のように、きのうは札幌市内・リンナイ(株)北海道支店にて
ZEH北海道セミナーが開催されました。
で、忙しい日程を縫って前真之東大准教授も講演で参加されました。
わたしにはこの会について主催者側から丁重なご案内がありました。
なにやら、絶対に参加して欲しいというような様子。
わたしとしては趣旨には興味も強く、メディアとして取材する意図もあるので
もちろん参加させていただく旨、ご返事していましたが、
経緯に一抹の「なんでだろう」感は持っておりました。

順調に進行が進み、前真之先生の講演開始であります。
で、のっけからわたしの写真がなんども登場であります(ムムム)。
かねてより、先生の講演ではわたしどもの蓄熱暖房器採用について、
「これでいいのか」的に大きく取り上げられ続けていたことは周知の通りです。
しかし今回の取り上げ方は、まことに目を見張るほどの圧倒的サブリミナルぶり。
いつもの熱画像から始まって、ブログのページ写真へのツッコミ、
さらには反ZEHのアジテーター印象のサブリミナル、
しまいには、地球温暖化ウソ論への賛同者としての
かのアメリカ大統領候補・トランプさんと写真が並べられてまでいた(汗)。
会場からは「おお、トランプ三木」という声まで聞こえた・・・。
まぁ仮想敵としての存在感はバチバチでありました。
なんとも徹底的な集中砲火状態で、過呼吸感が襲っても来た(笑)。
ですが、もとよりわたしどもは、前先生の蓄熱暖房器否定論には賛成です。
また、地球温暖化ウソ論について、まったくそういう意見ではありません。
地球温暖化が人間産業活動由来である可能性が高いことはまったくその通り。
しかし、過去における設備選択のことなので、ご批判を感受していた次第。
正直にそれらはすべて事実であり、前非は悔いつつも、
それについてはやむを得ないというスタンスでした。
ZEHについても、その推進方法について論議はあるけれど
その志向する趣旨について、わたしには否やもちろんありません。
地球環境問題、温暖化対策が急務であることはまったく同意であります。
ということで、前先生の原稿を毎号掲載させていただいているメディアとしても
その考え方に賛同する意味も込め、ご批判をしっかり受け止めて
蓄熱暖房器については、これを使用停止とすることとして、今後は
事務所にて、「負の北海道遺産」としての展示に留めていくことを
80人ほどという参加者のみなさんの前で、決意表明いたしました。
なんか第2次世界大戦みたいですが(笑)、前向きに、
前先生からの蓄熱暖房ストップ勧告に対してこれを受諾した次第です。

その後、北海道内の住宅建築関係者のみなさんと前先生を交えての
徹底討論会が展開しておりました。
ZEHについて、気候条件や性能レベルとしてもハードルが他地域と比較して
非常に高い現実、さらにPVの設置効率など、
かなりホンネを吐き出しながら、進められました。
論議になって来ている1次エネルギー計算プログラムについても
ZEHをよりよいものにしていく方向性で、率直な発言もありました。
前先生からは、そうした声を反映させながらどうしたら北海道の住宅が
ZEHという環境の中で発展していくことが出来るのか
叡智を絞っていこうという提起もあった次第です。
現実に経産省も北海道でのニアリーZEHの承認など柔軟性は見えている。
飛行機の時間もあっての先生の帰り際、
これからもこうした討論機会を作っていこうとお約束いただきました。
以上、まずは概略のご報告まで。ふ〜〜。

【空き家は、住宅資産メルトダウンなのか?】

2965

野村総合研究所(NRI)は6月7日、
2033年の総住宅数は6063万戸(2013年時点)から約7130万戸に増え、
空き家数は約820万戸から約2170万戸に倍増する推計を発表。
空き家率は13.5%から30.4%に上昇。
空き家率を抑制するためには
既存住宅(中古住宅)の除却、住宅用途以外の有効活用のほか、
既存住宅の購入世帯率(既存住宅流通量)の増加が必要になるという。
中古住宅を購入した世帯の比率は、2005年の18%(12万戸)から
2015年には29%(26万戸)へ増加。この傾向が2016年以降も続いた場合、
2025年に42%(31万戸)、2030年に48%(34万戸)へ増加すると予測する。
 「既存住宅流通をさらに活性化させ、空き家を減らすためには
『移動人口』の拡大(移住・住替え・買替えなど)が重要」としており、
それを後押しする中古住宅の価値評価システムの整備や、
民間事業者による新規ビジネスの創造〜移住・住替え・買換えの
サポートビジネスなどの取り組みが求められているという。
<ITmedia ビジネスオンラインから要旨転載>

きのう午後11時頃にようやく帰宅しました。
で、昨日のブログへの主にFacebook上でのたくさんの
コメントは、わたしの「合いの手」を入れると40件近い。
それぞれがたいへん興味深いツッコミどころを持っていますので
それだけでも掘り下げが可能なのですが、
なんにせよ、そういった時間はまだ、ゆっくり取れない。
本日は「ZEH北海道」の設立イベントもあるので、
それも参加、取材後、明日以降にまたまとめていきたいと思います。
で、今朝は上述のようなニュースが発表されていました。

日本の住宅政策は抜けがたく「景気対策」の側面が大きかったが、
それを継続してきて、当然のように住宅総数が飽和点を超え、
なお、増勢が継続してきている。
家族という単位自体は増勢だけれど、
賃貸住宅に入っているよりは、建てた方がトクだし、
住宅資金の社会的バックアップは手厚い施策が用意されているので
国民が住宅を建てることのバリアは非常に低い社会が実現している。
こういうことが国民のひとつのシアワセ指標ではあるでしょうが、
一方で、膨大に利用されない既存住宅ストックが積層していく。
新築住宅への景気対策施策が、負のストックにつながっている。
いまのところ、こういう調査では既存住宅空き家については、
その総数把握がやっとの状況だそうで、
「質の調査」までは手が付いていないとされています。
実際の空き家は、どんなプロフィールであるのか、
そういった情報も必要ではないのかと思っています。
空き家は、性能の劣化によって放棄されたのか
あるいは、社会的な家族形態の変化が想定を超えたのか、
定住と言うことの意味合いが変わってしまったのかなどなど、
数字的に事態を定義する、「要因分析」が不可欠だと思います。
でなければ、「対策」について有為な解を得られないのではないか、
そんな意見を持っておりますが、いかがなんでしょうか?

【鎌田紀彦氏提唱 「Really ZEH」論】

2963

わたしどもReplan誌では、新住協代表理事・鎌田紀彦氏に
「Q1.0住宅デザイン論」という連載をお願いしております。
写真は、北海道版今月27日発売号での掲載説明写真。
そういうことなので、所用で仙台を訪れる機会には、だいたい原稿督促(笑)を
兼ねて、表敬訪問させていただいております。私どもとしては、
仙台に居を移されて昨年までの室蘭よりも距離的には遠くなったのですが
訪問させていただく機会は増えております。
今回も所用を済ませたあと、次号の原稿の状況打合せ。
と同時に、住宅をめぐる状況について情報交換させていただきました。

お話しは多岐にわたりましたが、
いま住宅業界の注目が集まっている「ZEH」についての情報交換。
これまで国交省が所管してきて、省エネがさっぱり進んでこない
住宅業界に対して、経産省が横やりを入れてきて
これまでとは様変わりして、大きな動きになってきた。
そして、ZEHの基準について先生の方でいろいろと調査してきて
いくつかのポイントがあきらかになってきたようです。
とくに問題は、暖房エネルギー計算でこれまでの寒冷地住宅の基本である
「全館・全室暖房」ではなく、「部分間歇暖房」を選択した方が
申請上は圧倒的に有利になるということ。
先生が執筆された他誌「建築知識ビルダーズ」連載記事では
「ZEHの申請を多数行っている人の話によると、
ZEHを安く作るためのポイントは、次の2点」とあって、
1 吹き抜けなどのある「開放的なプラン」を作ると、主たる居室の
面積が増えて、必要エネルギーが増えるので避けた方が良い。
2 暖房はエアコンやFFストーブを選び、間歇暖房は必須。
というように記述されています。
1次エネルギー計算プログラムの設計仕様が、
こういった対応に誘導させるような作りになっているとされていました。
北海道的住宅の常識的デザイン・温熱環境とはかけ離れている・・・。
このような調査に踏まえ、表題のように「Really ZEH」という
「本当のゼロエネルギー住宅」を指向していきたいとのことでした。
今週水曜日には、北海道で「ZEH北海道」の発足会合もあります。
論議がどのように展開していくか、注目されるところ。

で、帰ってから仙台事務所で「新建築住宅特集」最新号を発見。
なんと「環境建築特集」ということだそうで、
じっくりと拝読させていただきたいと思います。
しかし、使用しているフォントサイズが小さくて、目に厳しい(笑)。
いろいろ住宅性能をめぐる動きが活発化してきているようですね。

【エネルギー過剰活用社会を正す思想・論理】

2941
2962

きのうのブログで、エネルギー問題について書いたら、
けっこう多くのみなさんからコメントをいただきました。
「哲学的」とか言われた方もいて、そんなに読みにくかったかと反省。

ちょうど、空海さんの事跡を司馬遼太郎さんの小説で読み終わって、
仏教などの世界宗教というものは、かつて人類社会が経験してきた
国家という共同幻想・権力創成期と重なっていると思えていました。
国家・権力を受け入れるときの葛藤と宗教は共通の根を持っていたと思う。
で、いまわたしたちが遭遇している地球環境問題は、
このような歴史とも比肩しうる大きな転換期ではないかと思うのです。
でありながら過去の歴史と較べて、いまの地球温暖化問題には
そのような人類的思想の葛藤がそこまでは感じられない。
現代のエネルギー過剰活用社会は、西欧で勃興した産業革命以来。
この革命によって、世界の植民地化が進み、戦争が繰り返された。
それはエネルギーを過剰に集中させることで
制御不能の暴力的権力を必然化させ、その相克が危機をもたらせた。
そうした技術体系・社会システムが現代世界の基本システムになっている。
いまの地球温暖化、エネルギー危機は、そこに由来する。
エネルギー過剰活用が全地球規模で一斉に始まって
一番最初にエネルギー大量消費の利益を享受してきた西欧社会が、
「もうこれではやっていけない」と宣言し、
突然ヒューマニズム全開で自罰的制御を全人類に押しつけている。

このエネルギー過剰活用社会そのものについてどの考えるべきか、
そこについては、根源的にはまったく議論もされていない。
いわばそれは疑いようのない「公理」とすらされているけれど、
はたして人間の幸せはエネルギー利用でしか果たせないのか、
そこから論議が起こっても良いはずだと思う。
世界史的にロシア革命からの共産主義思想は、資本主義の暴走、
過度な労働の搾取を抑制する「思想」として機能したといえる。
現代世界のこういう問いに、宗教や思想は答えるべきではないか。
答えられないのであれば、違う角度からの思索があってもいい。
そういう骨太な議論抜きだと、矮小な技術論にしかならない。

東大の前真之准教授からは、スイスの最新の考え方の紹介があり、
持続可能な人類社会を展望すれば、
普遍的に人間一人が使えるエネルギー量は2KW以内とされていた。
<写真は氏の講演より>
ワットとは、我々が使用するエネルギーの率を表示する電力単位。
現在、平均的な欧州人が年間約6,000ワットを消費するのに対し、
米国で12,000、中国で1,500、バングラディシュで300ワット使用。
その限度以下にエネルギー利用を抑制すべきだという「思想」。
そこまでの骨太なモノサシ、議論をもって、
この現代的課題に立ち向かう必要がある気がします。

【自罰的でない省エネ思想への待望論】

2932

日本の実質GDPは、オイルショック以降2.5倍に増えているけれど、
産業部門のエネルギー消費量は2割近く減少している。
オイルショック以降、官民を挙げて省エネ努力をした結果、
40年間に約4割エネルギー効率を改善し、諸外国と比べても大変良い状況。
一方民生部門は大きく増加(業務部門2.9倍、家庭部門2.0倍)している。
エネルギー需給の安定の為には、民生部門の対策が必要。
その民生部門のうち業務部門の建築については、
床面積あたりのエネルギー消費量は、近年横ばいから改善の傾向。
一方、家庭部門では世帯あたりエネルギー消費量は横ばいから改善だが、
1966年度で世帯あたりエネルギー消費量は18,000メガジュールだったが、
2013年度では38,000メガジュールになっている。

こうした文脈から必然的帰結としてゼロエネハウスということが志向される。
こういった考え方が出てきた背景は当然ながら、世界的なエネルギー問題。
エネルギー大量消費で地球環境を破壊してきた西欧由来の社会システムが
サスティナビリティということに直面して、打ち出してきた思想。
抜けがたく原罪思想がそこには感じられ、総懺悔的な省エネ論が叫ばれる。
エネルギーを世界中から収奪してきた西欧世界が、
今度はその考え方では行き詰まりが来るのだと、世界を「指導」している。
省エネはエネルギー削減にはハッピーかも知れないが、
人々の幸せにとって、それ自体が幸せなのではない。ズレがある。
人々はエネルギーを使って得られる営為のなかに幸せを感じているから
エネルギー消費の方向に一斉に向かうのだろう。
省エネということが、金銭的な意味での「トク」ならば理解出来るけれど、
人類社会と言われても、個人としての省エネモチベーションは上がらない。
どうもここの点が、どのような考え方からも
なかなか救済されるような道が見えてきていないのではないか?
省エネへのモチベーションについて、
個人レベルでのメリットというものが、どうも自罰的なものにとどまっている。
思想の怠慢とでもいえるような状況が現在ではないだろうか。
人類社会史でのある時期、熱病のように「宗教」が果たしていた意味に似た
それで人が救われる思想的必然性が求められる気がしてならない。

それを解決するのが、ZEH補助金というのでは、
社会全体としてのお金の使い方がどうも違っている。
ZEHについて考えていて、いつも気付くことなのであります。

【北海道不明男児を救った自衛隊・カマボコ状建物】

2960

このニュースを耳にしてから、たぶんみんな心にトゲが刺さっていた。
自分自身のこどものことも考え合わせて、
希望はないのかと、心配していただろうと思います。
北海道での出来事ということもあって、
日々の天候の状況にも一喜一憂しながら、地域全体が重く漂流していた。
徹底的な捜索態勢が撤収されたという前日のニュースを見ても
いっそうの危惧が、沈痛に深まって行っていた。

本当に良かったと心の底から思います。
一度、切れてしまったような親子の絆を考えれば、
男の子が無事に見つかったと言うことは、まさに神のご加護。
きっと親子とも傷を負っただろうに相違ない関係を再構築して、
災いを転じてよき経験になっていくようにと願わずにはいられません。
親子の情愛が、必ず絆を再生してくれることを信じます。
そして、男の子が多くの偶然に導かれて
自衛隊の施設、カマボコ状の建物で過ごしていた奇跡に思いが向きます。
公共としての自衛隊の公開映像写真もなく、
各社の報道写真しかいまのところないので、
著作権の関係でここでは使用できませんが、
インターネット上でその建物の写真を見ながら、
男児の命を救ってくれたこの建物に、深く興味を持ちました。
北海道地方はこの1週間ほど寒気が再来してきて、
峠では降雪もあったというような状況でした。
Tシャツ1枚という不明時の着衣では、外部では低体温になるのが自然。
いくつもの偶然が重なって、この建物に男児はめぐり会った。
たまたま、カギが掛かっていなかった入り口があったという。
いまはそういう奇遇に感謝しなければならない。
建物がどの程度の「自然温度差・温度環境」性能を持っていたものなのか、
知るすべもありませんが、ともかくも雨はしのげて
1週間程度の温熱的生存可能条件は満たしてくれていた。
食料備蓄までは無かったということだったけれど、
水は外部に水道水が確保できていたという。
そういう状況の中で、備え付けのマットレス2枚のなかにカラダを入れて
体力の消耗、低体温になる危険を回避できていたという。
巧まずして、サバイバルを実践できていたことは素晴らしい。

この男児の命を救ってくれた自衛隊哨舎と呼ばれる小屋建物に
「よくぞ」と感謝の声を掛けたくなった次第です。

【Macマシン保守 アナログ人間のIT管理】

2958

みなさんの会社では、パソコン環境になった職場で
いろいろなIT管理について、どのようにしていますか?
わが社の場合は、いまはスタッフ約20名が使用する個別マシンについて、
わたしが全体を管理してきています。
サーバーなどに使っているマシンもあり、いまや全体としては30台ほど。
普段は各個人に保守管理させていますが、
なにか移動や変更などがあった場合、
少なくともどうすべきか、わたしが判断はしなければならない。
他にもプリンター・印刷機などまで機械装置があるので、
基本的な知識は、経営的な基本課題でもある。
DTPという、起点から終点までの出版の諸業務が
Mac上で遂行されていく業務フローなので、
そのプロセスにムダ・ムラ・ムリが発生しないよう、チェックも不可欠。
現代中小企業経営で、こういう領域についてのノウハウは不可欠。
基本的には文系のアタマでしかないわたしが、
自分自身でIT管理者を務めることになる、この不条理(笑)。

でもまぁ、いまから20年ほど前の初期から較べると
基本であるMacの操作性・安定性は飛躍的に高まっていて、
通常的な使い方をしていれば、まず致命的なトラブルは出なくなってきた。
ということでしばらくは、安定的な環境で推移していましたが、
ここにきて、スタッフの変動などもあって、
数台のマシンのメンテナンスを手掛けております。
中小零細企業にとってみると、これらは重要な「資産管理」。
基本的には「長く安定的に維持して、最大効率を引き出す」必要がある。
最近のMacはとくにノート型では、内部アクセスが出来にくくなっていますが、
経営視点で見ると、メモリの増強などは一番簡単な「打てる手」。
長期使用のためのメンテナンスで考えると、こういう手段が絶たれるのは困る。
しばらく、トラブルが無かったので、
こういう作業に取り組んでみると、はじめて内部アクセスする機種も多い。
それなりに勉強にもなり、経験知は増えていくのですが、
今度は、こういった経験知の「継承」というような課題が見えてくる。

でもまぁ、バリバリのアナログ人間だったわたしでも
なんとか、やってこられた程度のことですから(笑)心配をしてはいませんが、
便利になればなるほど、やらなきゃいけないことも増えるなぁと
ぼやきつつ、マニュアルをみながら、保守メンテナンスの日々であります。

【寸法感覚を涵養してきた日本人の空間】

2956

写真は吉田五十八さんの設計された住宅の和室。
和室というのは、北海道ではいまや絶滅危惧種になってきていて
しっかりとした和の空間を見る機会が減ってきている。
たまに見ることもあってか、こういう空間がひどく新鮮に思えます。

規格寸法に沿ってそのまま柱と横架材が組み上げられる
その構造がそのまま正直に空間を区切っている。
端正な真四角なグリッドが表されてくる。
それは床の畳でも寸法に一体性があって、
空間がすべてタテとヨコの正直な軸線だけで形作られる。
日本の木造建築の規格寸法は、
厳密に作られず、素材の素性に左右されざるを得なかった時代から
しかし徐々に規格的なものに統一されていって、
この社会の中での技術基盤が整理されていったモノだと思います。
そしてこういった空間デザイン要素、寸法の感覚が
日本人の心象風景に秩序意識などを大いに涵養したのではないかと
そんなふうに思えてきます。
「枠にハマっている」とか「きっちりしている」というような
算数的な正直さを、日本人に意識させてきたのではないだろうか。
真壁と言われる、構造がそのまま意匠になっている工法は
その最たる表現だっただろうし、
内装でもとくに障子の桟などが果たしてきた深層心理的な影響って
日本人にはなつかしく決定的な心象形成だったのではと、
妄想ながら、いつもこういう気分が盛り上がります。

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上の写真はコンクリートブロックという
火山灰地が多い北海道の地域材ともいえる材料を使ったわが家壁面。
目地の寸法も入れて、40cm×20cmという規格寸法が連続している。
北海道でも木造構法は追求されてきたけれど、
それが高断熱高気密という結論に行き着く過程で
基本的には柱梁をあらわす真壁から、隠してしまう大壁に
工法が選択されるようになって、
つるっとしたボードとクロスの空間に置き換わってしまった。
それじぁ面白くないよなぁという深層心理が働いて
わたしに、こういう工法を選択させたものかも知れない。
ふと、そんな想念に浸ることがあります。

【散歩路での残念なこと・3連発】

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本日は閑話休題。で、なんか、お見苦しい写真で申し訳ありません。
1枚目の写真は、細めの木にくくりつけられている張り紙なので
このように加工しなければ、文章読解が難しいのであります。
2枚目の写真も、クローズアップにしなければわかりにくいので、
こんなふうにして見た次第です。
1枚目の方は、西野緑道というわたしの家の近くの散歩路でのモノ。
わたし的には、どうしてもこのような行為のワケがわからない。
どうして公園の木を切る人間がいるのか、理解出来ないのですが、
公共にお勤めのみなさんからよく聞くことでもあります。
そういった経験知から考えてみると、たぶんこうした行為の原因は
木を憎んでいるとしか、判断のしようが無い。
このような人が人間社会には一定数、存在している。
そしてそういう人間は、ラウドスピーカーのように
公共に対して、木を切れ、木を切れと執拗に要求するのだそうです。
言われざるを得ない公共の側にとっては、
それも「市民の声」ではあるので、無視はできず、
その主張に妥当性があるかないか判断した上で、
一定の対応はしなければならない。
緑に対するモンスタークレーマーという存在は本当にいるのですね。
そういった人たちが、こうした張り紙のように
勝手に木を切るという暴挙に及ぶ事例もあるのでしょう。
まことに言いようのない残念感であります。
2枚目は、ある神社、って、バレバレですが(笑)
その正門の上から雨漏りがしているようで、
その漏水箇所に、なんとも残念なガムテープ補修が施されていたのです。
雨樋って、雨がひとに掛からないようにするためのものでしょうが、
このガムテープ補修箇所は都合6箇所にも及んでいました。
これだけの同時多発性であれば、やはり施工不良の指摘は免れない。
美観としても、神さまのお嘆き感はハンパない。
まことに言いようのない残念感であります。

2955

最後の一発はこちらであります。
いるんです、こういう人。
まぁカラスだから、気持ち悪いからといって、
虐げる、攻撃するというような必要はないとは思いますし、イキモノとして
そこそこの距離感を持って「共生」すべき存在であるとは思いますが、
さりとて、この張り紙の言うように、
餌付けすることによって人間社会に害をもたらすのは、理解しにくい。
わたしも数人、こういう人を見掛けたことがありますが、
止めたほうがいいですよ、とも声を掛けづらい。
カラスにエサを与えているような人なので、
逆上されたらちょっとコワいかもと、ちょっと引かざるを得ない。
こうした張り紙での告知程度が、常識を伝達する方法としては妥当かも。

というようなご報告でしたが、
一方で、毎日、すがすがしく散歩を楽しめるのは、
こういったパブリックな公衆観念がベースにあって可能なこと。
ありがたいことだと感謝しております。さてさて、また今日も散歩にと・・・。

【東京虎ノ門の道路が、魅惑の回転レストランに?】

2951
2953

きのう書いた「リノベーションまちづくりサミット」での習作コンペ、
その最優秀作品のご紹介です。
わたしがこのリノベーションまちづくりなどの動きの中で注目している、
宮部浩幸・近畿大学准教授が参加したグループ
(ほかに三浦丈典、吉野智和、岸本千佳、瀬川翠さん)による提案です。
主要機能は地中トンネルに移行された東京虎ノ門の街路の活性化プラン。
実際に2020年オリンピックに向けて
東京ではさまざまな都市再開発プランが進行していますが
この地区でも街路の再開発が行われて、前述のようになっている。
ところが、現状ではほとんど活用されない自動車道路と自転車道が
漫然と配置されているということ。
都市計画としても拙速で現状では周辺のオフィスビル群の
ランチ需要にも対応できていない状況なんだとか。
短い検討時間ながら、現地に足を運んで豊富に写真も撮ってきている。
周辺のビル群も、この街路に対して閉鎖的な表情になっている現状。
この街区に対して、「リノベーションまちづくり」をプランするのがお題。
それに対して、5人のメンバーで5時間の時間内で
まとめ上げたプランが、写真の「TOKYO JACK PARADE」というもの。

2952

現状のムダな道路配置、都市計画に対して
「本当に必要なのは、正しい道ではなく、楽しい道」というテーマを対置。
長さ150m、幅60mほどの道路としての使われていない自転車道を
時速3kmほどのゆっくりとした速度で歩きながら
さまざまなコンテンツがパレードする街区にするというプラン。
一種の公園化ではあるのですが、道路利用とも言える。
その道の上で、さまざまな展示がパレードのように回転してくる
というかなり奇想天外なアイデア。
周辺ビル群側から見れば、さまざまな屋外催事が出前してくる感覚。
日本の伝統的なまつりパレードの現代版とも言えるし、
現代的な建築的街区が、現代的な祭りを生むとも言える。
この上では、一般的なランチ需要対応の移動販売もいいだろうし、
虎ノ門という街に欠けている土日の賑わいも創出可能なインパクト。
それ以上にあらたな文化現象を生む可能性も感じさせてくれる。
江戸が生みだした歌舞伎や遊郭といった都市文化の
あらたなプラットホームという可能性もこれには感じられる。
まさに「リノベーションまちづくり」というコンセプトが強く漂ってきます。
審査も、まさにダントツという雰囲気で最優秀賞に選ばれた次第。
さらに会場には、周辺ビルのオーナー企業である森ビル関係者も
来場していたので、さっそくその場がプレゼン提案になっていた(笑)。
いま、企業側でもこのような動きに敏感になって来ている現実がある。

こうした提案が、数時間で一定のわかりやすいプレゼンに仕上がる、
そういった鋭敏なセンスや、ツボを押さえる感覚など、
たいへん楽しく気付きにつながったイベントだったと思います。
こういう新しい風をどのようにとらえていくか、面白くなってきます(笑)。