本文へジャンプ

【人口減少と地方インフラのスマートシュリンク】

人口減少期に入ったニッポン。
これからの国土をどう設計していくべきか、難問がたくさん控えている。
そのなかでも北海道地域は「課題の最先進地域」とまで言われている。
そういった側面を今回の北海道地震はみごとに照射させたともいえる。
先行する事例としては、JR北海道の経営困難という事態もある。
関東の倍以上の面積の地域で、人口は約1/5程度。
電力会社の売上で言ったら東電が6兆円の売上に対して
1/10にも満たない5,500億円ほどが北海道電力の売上とされている。
こういった条件から費用対効果はどうやっても良くない環境。
そこに少子化・高齢化の波が容赦なく押し寄せてくる。
たぶん加速度的に人口収縮がこれから起こってくることは自明。
安倍政権はなんとか全国のGDPを拡大させてきて、
人口減少社会でもニッポンの活力を維持しようとしてきたけれど、
今後また揺り戻しの政権ができることも考えられる。
そういった環境を勘案していけば
「収縮させる」未来像を予測しておく必要性は高い。
人口増加を前提としたインフラ基盤の拡大にはおのずと限界があり、
賢くたたむ、スマートシュリンクの考え方が導入されていく必然性がある。

人口動態を淵源にもつ事柄なので、
この流れ自体は抗うことができないでしょう。
ただし、このスマートシュリンクについて広範に論じることは、
なかなかにむずかしいだろうと思われます。
単純に言って、これまで電気や水道などの基本インフラは拡大し続けるという
そういった常識化のもとで社会は営まれてきた。
東大生から「どうしてこんな気候の厳しい北海道に住み続けるのですか」
という質問があったとお伝えしましたが、
その底意には、たぶんこうしたスマートシュリンクの考えがあることはわかる。
巨視的に見れば、明治以来、人口拡大基調での国策として
北海道の開拓・開発が国是とされてきたけれど、
人口減少期に差し掛かってきて、その基本インフラの限界策定局面になれば、
その考え方が180度方向転換せざるを得ないということだろうか。
JR北海道や北海道電力の危機は今後の社会変動の前触れなのかもしれない。

こういうインフラの縮小について
しかし社会合意はきわめて困難だろうことは明白。
少なくとも政治はサイレント政策でしかやりようがないだろう。
政治というのは人間の情動に大きく左右されるものだから、
痛みを強制するような不人気施策を堂々と謳えるわけがない。
そう考えれば、現状のままでの「放置」が至上の作戦かもしれない。
市場原理的に不整合な事業や企業の「自然淘汰」。
スマートシュリンクという日本の必然策はどう展開してくるのか、
リアルに見続けている必要があるのでしょうね。

【東大工学部学生さんから北海道住宅への提案】

先般来、東大・前真之准教授の授業では
北海道全域ブラックアウトという過酷な現実を踏まえて、
「エネルギー×家」というテーマの追求が行われてきているようです。
日本の住宅は具体的にどういう「志向性」を持って作って行くべきか、
具体的な地域ごとの気候的条件設定をもとに学生さんたちが
あるべき住宅の方向性への「提案」を行って、
それに対して全国の現場の一線の住宅設計者が意見を添えるというカタチで
授業の進行が行われてきている。
前回の授業参加がきっかけでわたしどもにもこの推移をお知らせいただきました。
いまはすべてを読み込む時間的余裕がこちらになかなかないのですが、
それでもちらっと読んだ範囲でも、内容はなかなか刺激的であります。

工学というのは、いわゆる研究のための研究にはなりきれない領域。
つねに「いま、どうつくるか」ということが問われる。
とくに東大工学部という存在は、日本をどうつくるか、が、
先験的な大テーマとしてある存在なのだろうと思います。
現代社会が置かれている状況への基本的認識がまずあって、
それへの最適解に向かって身に付けた知見を具体的に活かしていく。
若い世代の人たちにとって、このような認識はごく自然にあるのでしょう。
そういった人たちになるべくリアルな状況を伝え続けることはオトナの責務。
一種の「世代間対話」の具体的なカタチでもあり、
わたし自身も若い人の意見を聞くことができて非常に勉強になります。
まずは「エネルギー×家」というテーマ設定が非常にイマドキ的慧眼。
学生さんからの具体的提案のなかに、響いたあるフレーズがあった。
「そもそもエネルギーを必要としないカタチ」というコトバ。
現代から未来へのひとつの「ものづくり」の基本的思想として
こと住宅領域が最大限に考えていかなければならないコトバですね。
もちろん建設から最終的廃棄にいたるまでの間で、エネルギーが必要とならない
そういうことは現実にはあり得ないけれど、
しかし、基本的志向性としてはまったく同意できる考え方。
そして人類的な根源的テーマと言えるでしょう。
そういう考え方でこのメンドイ北の大地での家づくりの方向性を
再計画して行く必要性はその通りだろうと思います。
時間を見つけてそれぞれの具体論をじっくり読み込みたいと思っています。

【記憶になっていく災害 木造応急仮設in住田】


先日、企画の関係で訪れた陸前高田ですが、
沿岸の陸前高田には、高速東北道から釜石道に道をとり
遠野を抜けて、住田を経由してたどりつく。
途中なんども既視感が蘇っていましたが、
そうです、東日本大震災の時に特別の情報誌を作って
その取材でなんどか通った「住田」のことが思い出されていた。
そして道路沿いにこれも見学していた「木造応急仮設住宅」の
中上団地が独特の道路標識とともに見つけられた。
あのころからすでに7年以上が経過していることが信じられない思い。

住田町は陸前高田、大船渡と隣接し、広域的に「気仙」と呼称された。
森林資源に恵まれて、古くから「気仙大工」の伝統が根付いている。
2011年の震災、大津波に際して全的被災にあった陸前高田の人々に対して
最初に自然発生的に仮設住宅提供を申し入れしかも地域の
住文化を同じくする同胞の感覚もあって「木造で」と申し入れた。
「仮設住宅」といえば戦後の工業化政策を推進してきた行政府側常識として
「工場生産されパネル化住宅」が常識となっていたのに対して、
地域としての「異議申し立て」を明確に打ち出したと思われた。
そういう地域としての気仙の意気のような部分をそこに読み取り
そうした思いに呼応するように、その後、福島県でも大量の木造仮設が作られた。
そういった一種の「記念碑」的な存在が住田町のこの住宅群なのです。

気仙大工という存在がどういった存在であるのか、詳しくは知りません。
ただ、奥州平泉にあれだけの仏閣を造作した集団があったことは間違いが無く、
それくらいの時代からなんらかの大工集団はあったのではと想像します。
住田は森林資源も豊富でこういった木材加工の技術が積層されても不思議はない。
一度、住田町で大きな伝統木造系の住宅研究団体の大会が開かれ
大人数だったので、わたしはホテル宿泊ではなく民宿させていただけた。
客間としての床の間付きの和室で起居させていただいた。
それほど寒冷の時期では無かったけれど、朝方の冷え込みようは格別で(笑)
むしろ日が昇ってからは暖気をもとめて散歩に出掛けた記憶がある。
木を使って形を作るという意味では気仙大工にリスペクトを持つけれど
やはりカタチだけでは限界があると思い知った記憶がある。
伝統的な家屋はそうだったけれど、この写真のような木造仮設では
最新の住宅工法をしっかり受容し「暖かい家」を意図する作りとされていた。
・・・といった記憶からもすでに6−7年が過ぎている。
つい最近では北海道でも地震災害が訪れブラックアウトも引き起こした。
災害列島に暮らす人間同士、知恵と工夫を共有して
共存していきたいという思いに浸っておりました。

【温暖地で進む「EVエネ革命」は寒冷地置き去り?】

北海道から本州地域をあちこちと行脚していると
どうしても先般の「ブラックアウト」のことが話題になる。
で、そういうときに自然エネでの太陽光発電どうこう、という話題になる。
太陽光を屋根に乗っけて緊急時、それで発電した電気を蓄電池代わりの
電気自動車に充電させておいて、それから家庭用の電気として緊急電源利用する、
というような「未来形」がよく語られている。
こういう議論を聞く度に、温暖地の思考だと感じさせられる。

そもそも北海道などの寒冷地域で電気自動車って現実的なのか?
ウォールストリートジャーナルの記事などをよく見ると
「自動運転」という社会実験はどうも現実化しそうもないと思われるのですが
それ以上に、電気自動車を寒冷地の人間がホントに購入するのか、
という強い疑問を持たざるを得ない。
写真のような光景がわが家周辺では、あと1カ月もしたら現実化する。
当然外気温は常時マイナスで最低気温が零下20度超というのも日常化する。
クルマというのはたいへんな「低気密・低断熱」なシロモノで、
「断熱気密」という概念からはまったく縁遠い。
なので、当然のようにフロントガラスといわず全ガラス面は凍結する。
ガソリン車の場合、動かす前に「デフロスト運転」をさせながら、
クルマ全体の雪を払い落とすのが寒冷地クルマ社会の「常識」。
この習慣化された動作を電気自動車に対して行ったら、
スタートした途端に「燃料切れ」ということが起こりうる。
そこまでひどくなくても、100km走れる「充電状態」だったものが、
その半分まで「運転可能距離」が大きくダウンする。
現実に北陸で起こった交通マヒで、折から寒冷気候だった時期に
このように電気自動車が動かなくなってさらに交通渋滞を加速させた。
で、われわれ北国人は相当に電気自動車というものに眉唾認識を持った。
そういう伏線があって、例のブラックアウトがやってきた。
温暖地域の人からの「アイデア」で、最初のような提起があるけれど、
われわれ北国人としては一笑に付すしかないのですね。

北国の冬の現実では、なんちゃって4WDでは冬道からの脱出は現実的でない。
ハイブリッド車でもキビシイ冬道には太刀打ちがむずかしいときがある。
やはり石油エネルギーの正調4WDのパワーが不可欠なのです。
いわんや、凍結したガラス面を解消させるデフロスト運転は不可欠な性能。
・・・なんですが、どうも最近の情勢を見ていると
まさに人口規模での「多勢に無勢」感が非常に強まっている。
いまの「進歩」の方向は、どうも寒冷地無視型の傾向が強いのではないか。
そういった「猜疑心」がどうしても抜けない日々であります。

【岩手「イーハトーブな家づくり」に癒される】

よくその街から大きな山が見える土地は
強い「地域独自性」を育む、というように言われます。
大きな山が、とくに男性の精神性に及ぼす影響って大きいのかも。
こういう話を聞く度にこんな印象を持っています。
わたしが住み暮らしている札幌の街は、
藻岩山というのが基本シンボルですが、標高は531m程度。
もうちょっと高い手稲山でも1023mと、岩手山2038mと比べると
その志の高さではまったく敵わない部分がある(笑)。
写真は盛岡市内から望んだ岩手山の容貌。
峨々たる山塊の量感がすばらしくこころに迫ってくるものがある。
こういう美観を毎日見ていると、あすなろ精神ではないけれど、
もっと自分を高めなければという心理が働く気がしてくる。

ここんところ、東北の街々をめぐって多くの人とあう日々。
風土を知り、人情に触れるという出版の仕事のキモですね。
で、きのうお会いしたひとりの方から、
「イーハトーブ系の家」というオモシロいキャッチフレーズを伺った。
イーハトーブという言葉はご存知のように地域が育んだ情緒性を
そのまま文学世界に表現し、しかし中央文壇的にはそう恵まれなかった
宮澤賢治さんの地域風土に込めた愛着的表現。
中央はその後、多くの「民意」に惹かれるように
やがてかれを大きく評価するようになったけれど、
しかし宮澤賢治さんの思いは深く地域に根ざして岩手人のベースになった。
こんなキャッチフレーズが耳に残ると、そのあと出会う人たちの
ふとした仕草や、表情の端で大きく印象されることに気付く。
そういった「生き方」のような部分で住宅づくりでも
そのハートのようなものが確実に存在する。
まだ未分明だけれど、地域らしさというものが強くあるのだと感じられる。

同じく寒冷とくらしのきびしさを共通項として北海道と岩手は
強い共感世界を持っていると思います。
いま富良野に暮らしている作家の倉本聰さんを取材したことがあるけれど、
かれは、その父親から徹底して宮澤賢治の本を読まされたという。
そういう彼にして、東京と訣別して生きる判断をしたとき、
宮澤賢治的な生き方が、刷り込まれた底意にあったのではと思う。
宮澤賢治に深く傾倒した内面世界を持ちつつ東京に疎外されたあと、
いや東京に「敗北」して北に渡るイメージを持ったのかも知れない。
そんなエピソードとともに、この「イーハトーブな家づくり」という
ステキなキャッチフレーズに癒されておりました(笑)。

【全的津波被災から7年の陸前高田へ】



街がまるごと消失したに等しい岩手県・陸前高田。
わたし自身も「東北の住まい再生」という情報冊子を作ったりして
これまでも何度か、取材などで訪問してきています。
また、隣町にあたる「住田町」にも何度も訪問してきました。
その都度、被災から街がどう復元していくのか、
その状況をウォッチしてきています。
この写真はきのう、2018年10月31日の時点のものになります。
高田の松原で奇跡的に残った1本の松など、
東日本大震災の話題になるとき、忘れられないエピソードとして語られた。
きのうは遠野への用件があったので、もう1件ということで
陸前高田の用向きもあって通ってみた次第。

時間的には夕方5時過ぎに当たったのですが、
活発な「復旧土木工事」関係の車両などがあって、車通りはかなりある。
中心市街にも煌々とした灯りを放っているクルマ社会対応的な店舗群があり、
広い駐車場にはクルマで訪れている人も多くあったようです。
現代の「地方」では当然ながらインフラとしてクルマは欠かせないので、
市街地が再興されるとすれば、このようなクルマ社会対応になるのが自然でしょう。
そういう意味では震災津波被災以前の陸前高田の市街地に復元することはない。
復元工事も相当に長い期間が想定されるので、それに対応した
商業施設側の「資本投下、償却限度」の見合いの範囲で
「にぎわい」のスパンが想定されていわば自然に街が復元していく。
下2枚の「憩い」の演出としての商業施設も
それなりの「需要と供給」の関係の元に成立しているのかと思われました。
地域のみなさんの住宅は、周辺の「高台地域」に集住状況が見られた。
山地が住宅地として整備されてきている状況と思われました。

わたしの数少ない「都市環境経験」的にはどうも「横浜」との
類縁感が印象された。
横浜は平地がたいへん少なくて、住宅は多くが上り下りの激しい山地に
軒を接して建て込んでいるという印象です。
少ない平地は公的な施設群や商業施設が占拠しているイメージ。
都市計画がどのように策定されているかは取材していませんが、
印象からはこういったイメージを持った次第です。
中心的市街とそのなかの交通である道路の基本骨格状況が姿を見せはじめ
それらが「地域の暮らしの核」となって成長していくのか、
また、現代生活での目の肥えた住民に対して「集客力」を
持続的にも勝ち取ることが出来ていくのか。
店舗群の「全国どこにもあるロゴ群」を見ながら考えておりました。

【なんとかMacHDの減量に成功!】

この画面ショットは、きのうお伝えした新機MacBookAirの情報。
内蔵HDというように書かれているけれど、メディアはSSD。
Apple的にもメンドいからか、ユーザーの習慣性優先でか、
HDというように通称名をつけていますね(笑)。
きのうは機種移転途中でのブログ更新でしたが、
書き終わった後、2時間ほどで「仕事データ」のコピー作業が終了。
その外付け4TBHDを接続させてこのMacBookAirの画面上に
外付けに保存している仕事データのエイリアスを作成し、
以前と同様の環境を復元させることができました。
やれやれで、そこから取り急ぎの仕事を片付けながら、平行して
今度はギリギリのディスク容量の「減量作戦」に取り組んだ。

わたし的にはもう20年もMacを使っているので、
仕事データは以前から基本的に「外付け」メディア保存としている。
なのにMac本体のデータが大きくなるのは、実はMac側のサービス、
「写真」ソフトでiPhoneと連動して保存されている写真データ類と、
これもiPhoneと関連するけれど、iTunesでの楽曲やその他のデータが
たいへん巨大化していることが大きいのですね。
20年Macユーザーなので、写真も十数年分「保存」されている。
このいちいちの「取捨選択」をやっているほどの時間余裕はない。
ただ、ときどき利用することは現実にあるし「便利」ではある。
しかしそれをOSも入っている同じディスク領域で保存の理由はない。
Apple側でも本当はそのことを十分に理解しているハズだと思う。
しかし新たなユーザーも多いので、操作の簡便さを優先していけば、
こういったデータも同居させる設計がメンドくならないのでしょう。
<だったら、ディスク領域を小さくするのはやめて欲しい>
しわ寄せとして、ベテランユーザーに負担が掛かってくることになる。
話が逆ではという思いもあるが、多勢に無勢でやむを得ないのかも。
と日本人的メンタルで了解してしまう(笑)。いいのか悪いのか?
まぁ最近は「ググれば」すぐに「やり方」の基本線は即座に知れるので、
時間が掛かる以外のことでは、そう問題は出てこない。
コンピュータを使う利便性とこの労苦はパラレルなのでしょうかね?
どうもよくわからなくなってくる。
・・・ということで、それぞれの大量データを外付けに移転させて
ようやく80G程度の「空き容量」が確保できた。
たぶんこれくらいあれば、操作レスポンスはそう悪化しないと思われる。
ふ〜やれやれで、本日このMacをバックパックに入れての出張出発。

あとは、iPhoneの「バックアップ」データがある。
これも50-60GBくらいはあるようです。
もしもiPhoneを紛失した、壊れたときのための用心ですが、
こいつの移動には呪文コマンド操作、ターミナルapp操作の必要がある。
これはMS-DOS以来の社内スタッフのベテランPC管理者に頼んだけれど、
どうも「管理者権限」ログインが必要のようでよくわかんなかったと。
出張から帰って、来週に再度チャレンジしようかと考えています。

【小さいディスクへMac引っ越し 地獄の30時間超】

今回の出張中、Wifiの環境変動などでストレスが掛かったのか、
だましだまし使ってきたMacbookPro13-2012がどうも不安定化してしまった。
Appleの今回のOSメジャーアップデートはどうも不具合満載のようで
相当クレームが集中して、もう発表から1カ月以上経つのに、
バグフィックス版も発表されず、10.14という当初発表のままになっている。
普通すぐに10.14.1というのが発表されて当初のバグが修正されるのですが、
一向にその案内が出ず、またそもそものメジャーアップデートも
いまや、こっそりとしかAppでも表示されていない。
どうやらバグの山でApple社内、相当混乱していると想像できる。
たまたまこのアップグレード情報を見て現在の前述マシンも対応と記載されていたので
ついアップグレードしてしまった。
これがまったくの間違いの元でそこからは悪名高いレインボーカーソルが頻出。
そもそもシステムを立ち上げるのに十数分かかり、かつ起動後しばらくは
レインボーカーソルでほぼマシンが動作しなくなる。
そういう状況だったので、システム終了させずにスリープ対応で
出張時にも対応していたのですが、 それもマシンには過酷な使用状況なので、
ちょっとしたきっかけで、危機的状況になってしまっていた。
マシンを立ち上げた状態で飛行場の赤外線チェック関門を通らせたりすると、
やはりダメージが大きいように思われます。Wifi接続時に不明な動作があったりした。

というようなことが積層してきたので、マシンの引っ越しをせざるを得なくなった次第。
なんですが、これまで20年以上Macを使って仕事してきたので
「過去データ資産」総量はハンパなく、また頻繁なアクセスもある。
現在発売されているノートMacでは内蔵記憶容量は良くても1TB程度しか選べない。
常時使っているデータ総量で2.5TB程度はあるのでまったく足りないのです(泣)。
その上、1TBをWEBショップで選択したらそれだけで目がテンになるほど高額になる。
そういうことなので内蔵記憶装置をユーザーが交換できる2012年モデルを使ってきた。
しかし、ついにそういう対応もどうやらこれでおシャカ。
やむなく空いていた2017年発売のMacBookAir256GBタイプに乗り換えることにした。
いずれにせよ「外付けディスク」常時接続対応しかありえないので、
多少のディスク容量、1TB程度を購入する必要はない。
せめてもの長年MacユーザーとしてのささやかなAppleへの反抗であります。
もはや巨大なIBM帝国支配に挑戦した自由の戦士企業イメージはAppleにはないと。
256GBの小さなSSDに移行するには、システムのスリム化が絶対不可欠。作業としては、
1)既存のシステムから不急のデータを削除して290GBから230GB程度に削減する。
~これがとにかくメンドイ。いちいちアプリを確認して削除させる必要がある。
Windows仮想環境の削除などだが、いまはそのアクセス情報も忘れている(泣)。
ユーザー自己責任で大胆にゴミ箱に投棄するしかない。
あ、こうした作業内容については一応Appleのサポートと相談しながらやっています。
でも、いちいち上司やベテランスタッフに相談しながらなので、やたら時間がかかる。
2)ようやく収容可能なほどに削減したシステムをTimemachineバックアップさせて
そこから新規のMacBookAirをくだんの10.14にいったんアップグレードさせてから、
システム復元させることにした。古いOS環境への移行はできないのですね。
3)同時並行でDVDディスクを外し「内蔵」のSSDから外付け4TBHDDにデータ移行。
約2TBはあるので、昨夕から開始していますが8時間程度経過していても
1/3ほどもコピーが進行していない。たぶんこれだけで24時間は超える。
4)外付け4TBHDDを新規のMacBookAirに繋ぎ、デスクトップに「エイリアス」表示の
旧内蔵SSD2TBの中の仕事データを再度そのように環境構築させる必要がある。

これらの作業が無事にうまくいって総トータル時間は、30時間は超えるでしょう。
っていう気の遠くなる作業をユーザーに強いるAppleにはハラがたつ。
こうした作業の合間で環境を再構築しながらこのブログも書いています。
20年間以上、愛着も持って使い続けているユーザーへの思いやりの心は、
残念ながら現在のこの会社からは感じられなくなってしまった。
記憶装置ディスク容量をメーカーの勝手な判断で「小さくする」のは、
いまや基盤産業企業としてのIT企業が持つべき倫理観として考えて、やはりおかしい。

【日本だけ「のこぎりを引いて使う」んだって?】

マジか? であります。
このブログで何回か、その取材した内容をお知らせしている
「竹中大工道具館」での展示から目からウロコのように知ったことであります。
人類進化の過程で、木材の利用というのはどうやら「舟を作る」ことが
最大の動機のようだと言うことは、先般来の探究で見えてきた。
だから大工の起源で「船大工」と「家大工」というように分類され
船大工が一種の孤高な存在ということにも思い当たった。
やはり起源として自分たちこそが正統であるという自己認識があるのでしょう。
で、その「舟を作る」ときに当時は「石器」で木をくりぬいていた。
竹中の展示でもこの事実が始原の事実として象徴的に表現されていた。
木を扱うようになった人類、たぶん3万年前くらいのことなのでしょうが、
そこから農耕革命があって、石器から鉄器への移行があった。
その過程で「木を切る、加工する」道具の「のこぎり」の類は進化したことでしょう。
当然、多くの人類が「農耕革命」をはじめた「大陸地域」で
このような「道具の進化」も始まったというのが自然な考え方。
そういう大陸型の道具の「使い方」として木を切るには
「押して切る」というのが洋の東西を問わずに普遍的だというのです。
しかし、今日に伝わるこの列島社会での「常識」はそうではない。
のこぎりは「引いて使う」のが、われわれのDNA的な道具観だろうと思います。
なんと、この考え方・道具観が人類一般からは乖離した考えだというのです。
不勉強でというか、文系的興味から住宅に関わった出版系人間として
こういう事実を知ったのは、はじめてなのであります。
いやしかし、そういう人間であればこそ、文化人類学的に
この事実は相当に深く、なにごとかを伝えてくれていると思い至った。

竹中が調べ尽くして展示発表しているのでしょうから、
このことは事実だと前提してもいいのだろうと思います。
そうだとすると 1)この列島の条件に他の人類生息地域とは違うものがあって、
2)さらにその条件に適合するように独自進化したという事実が浮かび上がる。
この2つの大きなテーマだけでも、相当に巨大な「謎」だと思われます。
たぶん1つ目の謎については世界的にも有数の多雨・四季変化顕著気候から
生育する樹種が大きく異なっていたのだろうと推測が働く。
ちょっとインターネットで調べた範囲ですが、こういう推測はあり得るようです。
しかし、わたし的には2つ目の事実の方がきわめて興味をそそられる。
まさにガラパゴス・ニッポンということなのか、であります。
しかしこの独自進化は、やはり1つ目の条件への
「創意と工夫」が生み出したモノでしょう。
大陸から技術が伝えられ、その道具も持ち込まれてきたときに
それで実際に使ってみたら、すこし違和感があった。
その違和感をベースにして創意と工夫を重ねているウチに
根本的に技術の根源まで遡って改変を加えたに違いない、
というこの列島社会での先人たちの知的冒険心に、深く打たれるのです。
こういう「飛躍」がこころに浮かぶ柔軟性とはいったいなんなのだろうと。
むしろ、このことの方がはるかに重大ななにごとかをあらわしている。
こっちのことが、わたしの「ツボ」にハマってしまって身動きが取れません(笑)。
みなさん、いかがお考えでしょうか?

【行動プロジェクト進行 憩いは「せんべい汁」(笑)】

ここんところ、肉体的に行動が活発化してきていまして、
なかなか執筆時間の確保がむずかしくなっております(泣)。
なんとか時間が出来てもほかの案件が至急で時間が圧倒的に取られる。
でも、なんとかブログ休止にならないように出来る範囲で書き続けます。
もちろんむしろ逆に生々しい「住宅マーケット状況」が把握できていますので、
書くテーマには事欠かないのですが、なにせ、移動と整理整頓の時間が大きい。
きのうは朝八戸を出て南下して仙台に向かい夜に札幌に帰還したのですが、
トータルの移動距離は地上で500km、Airで520kmと1,000km超(笑)。
でもまぁ、おかげさまでダイエットの効果からか、
体調はたいへん良くて、アラウンド前期高齢者ではありますが、
歩く距離でも8,000歩以上ということで、足腰の疲労感もここちよい(笑)。
そういう「肉体疲労」は、心して「癒さなければならない」と思っています。

ということで「せんべい汁」であります(笑)。
わたしは、日曜日の朝食べるものをなに作ろうかと考えるのがルーティン。
って、もちろん毎日ではありますが出張だとホテル任せになってしまう。
ようやく自宅に戻ってこられたワケですが、疲労感からか、
元気いっぱいに「これ作ろう」というようには心は沸き立たない。
やや、疲れが影響してくるのは避けられないのですね。
でも、きのう書いた「八食センター」での売り子さんとの会話の結果の
「せんべい汁用せんべい」が荷物の中にしっかり仕舞い込まれていた(笑)。
あの女性売り子さんの「ことだま」が真実かどうか、確認したくなった。
メインディッシュは考えられなかったけれど、この「せんべい汁」だけは
癒やしを求めるように創作意欲が高まってきてしまいました。
出張中、各地でせんべい汁は味わっておりましたが、
ようするにこれはまさにB級そのまま、特段のしきたり的なものはない。
味付けもいろいろあるのが当たり前なのだと思います、
決して高級料亭で味わうような「正調」メニューでは無いと実感します。
歴史的に「やませ」と言われる夏期の冷風が東北北部を襲って
飢饉を発生させてきた。そういうときにも、保存食的な「せんべい」が
まさに庶民の命を繋ぐ「大ご馳走」であった事実があったのでしょうね。
そういう「貧しさ」がしかし、食文化のルーツには根深く存在するのだと。
むしろ、そういった「命を繋いできた」感に大いにリスペクトを持たされる。

で、本日はしょうゆ味で、野菜の具だくさん系で、
鶏肉で味を盛り上がらせて作って食してみました。
「これなら、雑煮をたべたくなるよね」というカミさんのつぶやき。
そうですね、まさに、モチを入れられなくてせんべいだったのかもしれません。
肝心の「せんべい汁専用せんべい」っていう触れ込みですが、
・・・まぁ、そのあたりは人それぞれの感覚によるのではないかと思われますね。
個人的には先週自分で作った「こわれせんべい」のゴマ、ピーナッツせんべいも
それなりの深みのある味わいを感じさせてくれていたと思います。
でもまぁそれは人の好みでしょうね(笑)。これはこれで美味しかったです。
っていうか、あんまり違いは無いかなぁと。・・・