
あちこちと東北全域を飛び回っておりました。
多くの建築関連のみなさんとお話ししてきました。
で、そのなかで、福島県で応急仮設住宅について、
その地域工務店の木造での応募についてサポート活動を行った
JIAの中心メンバーの方と、電話で話したとき、
まったくの手弁当で、めざましい活動をしてきている様子を伺いました。
深い共感を持つことが出来ました。そのなかで、
「だってね、こんな千年に一度の時に、
建築家という職能に従事していて、なにかを働きかけることが出来るという
そういうことこそ、最大の幸せだと思うんですよね」
という言葉を聞きました。
その通りだろうと思います。
これほどに無惨に人間の営為が大自然から打ちのめされて
それでも、どうすればいいのか、
そう考えなければいけないという歴史的な一瞬一瞬を
いま、わたしたちは生きていると思います。
さまざまな沿岸地域の再生のための試案や、提案が
実に多くの建築関係者から出されてきている動きがあります。
その職業的な、あるいは人間としての素朴な倫理観に触れる部分で、
多くの人が突き動かされている。
この事態がどのような収斂に向かっていくのか、
まだ定かではありませんが、
まるで、明治憲法制定直前の社会的な沸騰にも似た光景が広がっている。
こういうことこそが重要なのだと思います。
住宅建築は、結局、人間の営みを考え、そのイレモノを作り上げていく営為。
こういった大災害から、人間はどう向き合い、
それを乗り越えていこうと考えるのか、
そしてそれが新たな建築の可能性に高まっていくプロセスなのかも知れません。
まさに千年に一度の民族的体験の最中にいるということは
その現場で、なにができるかのか、という切所を生きていることなのだ。
こんな大きな共感の渦の中で、
物事が動いているという実感は、そう持てるものではないでしょう。
いま、なにをするかということが大切ですね。
Posted on 6月 23rd, 2011 by replanmin
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昨日は仙台市内での訪問先終了後、
福島まで南下して、福島県庁をお尋ねいたしました。
今回、わたしどもでは「東北の住まい再生」という無料配布誌を
東北の被災3県を中心にお届けしております。
その発行に当たって、真っ先に協力を約束していただけたのが
福島県でした。
そのお礼と、今後のご協力についてお願いということで
お伺いした次第です。
あとで、新聞やインターネットを確認したら、
わたしの訪問ではなく、東京電力の新旧社長さんの知事さん訪問が
ニュースになっていましたね。
まぁ、もちろんなにも脈絡はないですね(笑)。
担当の方のお話しでは、
福島県は本当に住宅への取り組みを頑張ってやられているようです。
わたしどもの雑誌もご覧いただいていたようで、
今回のご厚意に繋がったものと思いました。
さて、福島への道のりは、
昼食後だったので、眠気との厳しい戦い(笑)。
だめですね。食事しないとこれはこれで腹ぺこで睡魔が来るし、
食べたら食べたで、満腹で睡魔がやってくる。
二律背反、二者択一、どっちも変わらない・・・。
まぁなにをやっても無駄ですね。
そういうことで、高速利用で88kmという距離にしては
途中のPAで仮眠したりして、2時間かかって、なんとかたどりついたというところ。
その後、トンボ帰りで仙台での取材約束を片付けた後、
本日の用事の盛岡方面に移動。
でも盛岡のホテルが取れず、途中北上で宿泊です。
やや疲労感が出たので、ホテルへ着くなり爆睡。
夜中に起き出して、まだ起きて作業していた取材協力先の若い年代の方と
メール・電話でやりとりしたりしておりました。
東北動き回ると、東奔西走にはなりにくく、
さりとて、南北で移動する言葉が思い出せない。
なので、こんなタイトルにしてみましたが、通じるでしょうか?
<写真は大河・北上川>
Posted on 6月 22nd, 2011 by replanmin
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きのうは仙台での仕事の打合せのために
震災後、はじめて飛行機で仙台に向かいました。
これまで何回か来ていますが、こっちへきてからの移動手段の問題などあって
札幌からクルマで、フェリーを利用して来ていたのです。
今回はようやく、平常に近いようなダイヤになってきた
飛行機で来てみた次第です。
札幌からの全日空便でしたが、
10:45発の便は、全席満席という状況。
通常は全日空、6往復あったと記憶しているのですが、
いまは3往復しかないので、集中しているようです。
着陸態勢に入って、海岸線が見えてくると、やはり胸を突いてくる光景。
たくさんの松林があったものが
軒並み、なぎ倒されて、無惨な姿をさらしている。
着陸して、ターミナルビルに向かうまでにも、
多くの瓦礫の山が、残されたままになっている。
ターミナルも、2階からの出入りが出来ないようで、
タラップを下りて地上に降りるように誘導されます。
ビル内部も、必要最小限のスペースが確保されているようで
そこら中で、ベニヤ板で仕切られています。
トイレも、仮設のトイレのようで、ビル外に出ていました。
やはり被災地の海岸地域らしく、
まだまだ非常事態が継続していることを実感させられる。
こういう雰囲気の中なので、やはり写真を撮影することは思い浮かばない。
仙台市内までの交通は鉄道が不通で
バスによる移動だけになっていました。
切符の販売も自動販売機設備がないようで、
バスに乗り込む直前に職員の方に、一律1000円を支払って乗車。
見慣れたはずの周辺道路の様子ですが、
なにもかもがすっかり変わってしまっています。
よく利用していた駐車場、こだま駐車場さんのあたり、
確か、社長さんの自宅が駐車場奥に建っていたのですが、
まったく影も形もない。
駐車場受付の建物は、基礎コンクリートの形状を残して
なにもなくなっておりました。
ご無事を祈るしかありません。
周辺道路を抜けて高速に乗って
飛行場周辺の様子が見えてくる。
見る範囲では、瓦礫の撤去はかなり進んでいるなぁと言う実感。
ただし、至る所にクルマの残骸が整理されて置かれていました。
被災後、3ヶ月経過していますが、
胸が重くなるような光景がまだまだ展開していて、
結局最後まで、写真を撮る気にはなれませんでした。
ただただ、こころのなかで祈りながら、通過してきた次第です。
Posted on 6月 21st, 2011 by replanmin
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わが家は、札幌市西区の琴似に近い山の手にあります。
琴似というのは、明治の開拓の頃には「屯田兵」の集住が行われた地域。
すぐ近くに通っている通り、琴似栄町通というのですが、
事務所は、この通りに面しております。
この通りに沿って、屯田兵の家屋が展開していたのだそうです。
琴似神社という、最近はパワースポットとして名前が知られるようになったという神社は
この屯田兵のゆかりの神社で、
友人が氏子に加わっていて、よく嘆くのですが、
この開拓の頃の上下関係が執拗に重視されていて、
いまでもそういう家格を席順などに反映させられるのだそうであります(笑)。
琴似というのは、開拓本府・札幌からごく近い位置にあり、
全国から集められた屯田兵のなかでも、かなり優遇されていたようです。
開拓当初割り当てられた宅地が150坪、農地が15000坪ということです。
これに、家屋は給付されたのですね。
その上、支度料が2円支給され、この地に来るまでの日当と旅費、
一日33銭の支給があったということ。
自給自足が基本の経済感覚の時代、米の値段が60kgで3.5円だったということです。
今日の社会のように、すべてが貨幣に還元される時代とは違い、
そう大きくは貨幣が使われなかったのですから、
このような条件というのはまことに恵まれていたといえますね。
わが家などは、大正の初年に自己都合で北海道に来たのですが、
そういう人たちとはまったく違った条件の有利さだったと言えましょう。
最初の内こそ、農地の転売などは認められなかったそうですが、
すぐに認められるようになって
無一文に近かった人々が、大きな面積の土地の所有者、
それも札幌にほど近い有利な土地を得られたのですね。
北海道の開拓の初期には、このような恵まれた運命の人々も多かった。
すっかり、そういう経済面のことに興味が行ってしまいますが、
写真は、住居の開口部であります。
ガラスがまだまだ、住宅に使われない時代、
木製で、このような開口部を工夫していたのですね。
保存されて残されている建物で、いまでもきちんと開閉動作する。
ちょっと、感動してしまった次第です。
職人さんたちの仕事ぶりには、感嘆させられます。
Posted on 6月 20th, 2011 by replanmin
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今週末は、ひたすら原稿書きの日々であります。
まとめなければならないのが、3本ほどありまして、
幸いにして、じっくりと腰を落ち着けていられるので、進んではおります。
って、まぁ、そこそこには、です(笑)。
で、そういうことで、書斎を見回してみると
やや手狭な感じもしてきたので、
いまのところあんまり使っていないわが家の1階に移動しようかと。
わが家は以前、職住一体の兼用住宅だったのですが、
その後、仕事関係のスペースがどうにも手狭になったので
思い切って移転して事務所を新築した経緯があります。
したがって、残されたわが家は、無駄に広いということになっている。
1階で25坪ほどの広さが、ほぼ未利用の状態なんですね。
ちょうどいいからと、壁一面の本棚の整理からはじめて、
一日中、気のつくところをあちこちあちこち、
「あ、ここはこうしよう、あそこはこうしよう」
というように、楽しく整理整頓をしておりました。
その間、気晴らしに庭の、虫の食害にやられた葉物植物をレスキューしてやったり、
ということで、一日中、ハウスキーピング作業であります。
きらいではない。
北欧の人たち、家のことが大好きで、そのメンテナンスを楽しみにすると聞きますが、
わたしも、その人種のひとりだと確信いたしております。
おかげさまで、しばらくほったらかしにしていた本棚は
その様相がまことに綺麗になりまして、
自分とカミさんの趣味志向が如実にわかるようになっております。
でもまぁ、まだまだ整理しきれないものも多く、
途中経過ではありますね。
しかし、先日友人が来てくれたときに、
一部屋を麻雀ルームにしようか、という盛り上がりだったのですが、
そのメドが立ってきましたので、通販で卓を購入(笑)。
全自動は、すぐに壊れるのでメンテナンスが大変、ということで、
「やるんならやっぱり、麻雀は手積みだよ」
という意見から、格安のそういうタイプを手配。
いろいろと計画が進行して、楽しみが倍増して参りました。
あ、そうそう、
原稿書きだった、やばい、頑張らねば(汗、汗)。
<写真は故あって撮影の必要が出来た近所の「屯田兵屋」内部です>
Posted on 6月 19th, 2011 by replanmin
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きのうの続きであります。
瀬戸内海世界では、とくに本州側・山陽地区、近畿地区は
瀬戸内海に向かって河川が、水運が流れ込んでいる世界。
したがって、この河口地域を抑えれば、
必然的に経済の物流を抑えることが出来る。
そして、その要衝地には必然的に常設の「市」が立てられ、
繁盛するようになる。
写真は、播州平野の西の際に位置する「英賀」の周辺河川の様子。
たしか、「夢前川」というロマンチックな名前。
この周辺は、「英賀千軒」という名前も残されていた。
播州平野や後背の中国山地のさまざまな生産物資がこの川を下って
瀬戸内海に出て、そこから大阪・堺に運ばれていったルートが
見えてくるようです。
同様に、広島県の福山市周辺の「草戸千軒」遺跡も、
こうした河川の中州に営まれていたのです。

で、わが家の遠いご先祖さんたちは、
こういう世界に生きていた方たちだったようなのですね。
遠く北海道から訪れてみると、
その陽光の照り返しのまぶしさにくらくらとしてきます。
ヨーロッパの地中海世界に出自を持つひとが、遠くスカンジナビアに移住したような
そういうことに近かったのだろうなと思います。
しかし、考えてみると、
ごく近しい存在として、高田屋嘉平のことも聞こえてくるわけで、
こうした世界は、遠く蝦夷地との「北前船交易」とも太いつながりがあった。
高田屋嘉平の全盛期には、この瀬戸内海世界は
空前の好景気に沸いていた、というようにもいわれています。
尾道などでは、そういう好景気の商人たちが
サロンを形成し、頼 山陽などの知識人を囲んでいたといわれます。
そういう雰囲気の中で、次第に「尊皇攘夷」という
アルコール純度の高いイデオロギーが形成されて、
幕末の動乱に繋がっていったのだと思います。
経済が人の世を作り、雰囲気を決定づけていく中から、
動乱が発酵していく、そんな夢想が沸き起こってきます。
Posted on 6月 18th, 2011 by replanmin
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写真は、広島県福山市の歴史博物館のもの。
中世の瀬戸内海交易、というか、歴史年代に於いて
瀬戸内海世界がどのような世界であったか、
そういう姿を明らかにしているのが
「草戸千軒」遺跡です。
「千軒」という表現は、たくさんの商業者の集まり、というような意味合いで
多くは海洋や河川でなどの流通拠点に成立し、
常設的な「市」が営まれたに相違ない、日本における都市の原型。
この博物館では、「草戸千軒」遺跡の再現展示が行われているのです。
博物館というのは、どうやっても権力者側の歴史認識から自由ではないのですが、
この博物館の展示は、民俗学的であり、
政治的な時代区分とはまったく違った歴史認識をもたらせてくれる。
こういう窓を開けて外の様子を見るという空間体験をしていると、
つい親しい友人のことが思い起こされて、
この家にいて、零細商業を営んでいるわたしを
かれが訪ねてくるような、そういうシーンが目に浮かんでくる。
河川の中州という立地条件は、境界地域であって、
誰のものでもないという空間性を持っていたように思われます。
多くの人民が公地に縛り付けられて公民にさせられていた時代から、
こういった地域では、それ以外の生き方が日本人に普遍的に存在した。
歴史年代を通して、日本人にはこういう自由な生き方が
ある意味で、保証されていたものと思います。
商工業者という、非農民としての生き様が明瞭。
歴史を考えていく、ひとつの典型的な立場を体験できて
非常に興味深く感じた次第です。
また、単純に、こういう開口部って、なかなか味があるなぁっと。
しばらくこういう時空間に浸っていたいと思ったワケですね。
Posted on 6月 17th, 2011 by replanmin
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事務所の植え込みにはシンボルツリーとして
ヤマボウシを植えております。
新築当時は、植え込んだばかりであまり気付くことがなかったのですが、
最近、その成長ぶりに驚かされる日々であります。
事務所は、建ててから10年くらいになるのですが、
この木ばかりでなく、他の植え込みの木も
その成長ぶりが、大変実感されるようになってきた。
やはり時間の経過というのは、自然の営みというのはすごい。
当初は、園芸業者さんに造作してもらったので、
あんまり気にもしていなかったのですが、
メンテナンスを考えざるを得ず、手を加えている内に
愛着がどんどんと湧いてくるようになるもの。
任意に造作した植栽ですが、まるで子どものように
成長する内に自分の意志で大きくなっていくようですね(笑)。
で、ヤマボウシですが、
これが実にことしは美しさが際だっていて
印象がくっきりとしてきている。
緑の葉と、白い花のような葉のコントラストが美しく、
目に遠近感を訴えかけてくるかのようです。
冬には雪庇からの落雪に見舞われる位置にあるのですが、
そういう災いに負けることなく、たくましく咲き誇っている。
仕事は毎日、悩み事の絶えない日々ではありますが、
継続こそが力であると、そう語りかけてくれているかのようであります。
Posted on 6月 16th, 2011 by replanmin
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ここのところ、食欲は育ち盛りの坊主と競争するように元気。
しかし、仕事では出張が多かったり、
お酒を飲むような機会が多い。
したがって、腹回りは順調に生育しておりました。
ゴルフにいっても、腹回りの筋肉がやや邪魔になってきて
腕はそうは落ちていないハズなのに
イマイチ納得できる球が飛んでいってくれない。
そういうところに、急激に体を動かしたところ、
腰に来まして、身動きに不自由な状態に。
ぎっくり腰の恐怖があるので、早めに整形に行ってきました。
レントゲンを数枚取られて、出てきたご託宣は、まぁ大丈夫。
湿布に鎮痛剤練りこみタイプのものを処方されまして、
それを貼って静かにしていたら、ようやく痛みが消えてくれました。
こういう経緯もあって、
というか、そういう雰囲気があったので、
先日からダイエットを開始しております。
カミさんのススメで、午後5時以降、食べ物を口にしない、
という方法であります。
当面は、5kgくらいは落としたいと思っておりますが、
さて、どうなっていくのか、頑張るしかないですが、
そういうブログなのに、探しだした写真はごらんの通り(笑)。
この間、おいしいフランス料理の出た結婚式で撮影したひと皿です。
こういう誘惑に決して負けないぞ、という決意表明か、
それとも潜在意識が、ついこういう写真を欲しているのか(笑)、
なんとも不安な先行きではありますが、
頑張りたいなぁ・・・。
Posted on 6月 15th, 2011 by replanmin
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写真は、先日のアース21旭川例会の様子。
会場は北総研の会議場です。
この会議場は本体構造とはやや違って、
ここだけがRC造で、円形の壁で囲まれた空間になっています。
断熱も、外側でぐるっと回される外断熱です。
外断熱というのは、構造が蓄熱性を持った素材、
石系のコンクリートとか、コンクリートブロックなどを使って建てられた建物を
外側から断熱する工法であって、
木造には、適用されない概念です。
建築的には確立された工法であって、その内部環境の一定性、安定性は
非常に高いレベルのものがある。
ただし、ややお金がかかるということなんですね。
北総研にこういう空間があるというのは、これもなにかの意味を持って
作られているのでしょうが、
大人数の集会などで、人間の発熱などがあっても、
温度環境は、ほとんど左右されることがない。
この日は、旭川は最高気温が28度という高温。
なんですが、この中では背広を着用しなければならないくらいのやや涼しい気温。
日頃は木造の高性能化を考え続けているみなさんですが、
いっとき、この工法の安定性に浸っておりました。
北海道では、この外断熱工法について、
既存マンションの改修に応用して、国の「長期優良住宅先導的事業」に応募し、
昨年度で2棟のマンションが改修完了いたしました。
総事業費の1/3が補助されるということで、
こうした外断熱改修の一般への普及にはたいへん有効な事業だと思います。
全国の多くのマンションで外壁の改修などは日常的に発生していますが、
その時点で断熱も行われることになれば、
その省エネ性の向上は大変有意義だと思います。
北海道での既存マンション外断熱改修では、工事後、
そのマンションの資産価格が上がったということであり、
社会的な問題、賃貸に変わっていくことでの諸問題にも有効性がある。
ことしも長期優良先導事業への応募が予定されていますが、
今後、さらに地域的な広がりが大いに期待されるところだと考えています。
Posted on 6月 14th, 2011 by replanmin
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