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【StayHomeが問い直す「住宅の価値」って?】

徐々に「ふつうの暮らしよう」を取り戻すプロセスに入ってきている。
しかし、新型コロナ感染の状況は予断を許さない。
あたらしい日常の全貌はまだこれから手探りしていくことになるのでしょう。

しかし、いくつかの「きざし」のようなものは確実にある。
テレワークの導入・Zoom利用による会議・打合せなどで
ときどき、スタッフの家庭の状況というのが垣間見えるときがある。
先日も子育て中、ようやく出産に伴う休暇から復帰したお母さんスタッフが
テレワーク会議に参加していたとき、産まれたばかりの子どもさんが
突然「自己主張」をはじめたのです。
わたしは育児経験もあるのでその泣き声に「意思」伝達を感じた。
「おい、かあちゃん、なんかオモシロいことやっているな」
「おれにも、参加させてくれよ!」というコミュニケーションのように感じた。
まだ言葉はハッキリしていない段階ですが、様子はわかる。
新米おかあさんスタッフも気付いたのか、膝の上に抱っこしてPC画面前に。
そうしたらテレワーク画面に男の子の大喜びした気分が激しく発散してくる。
両手を大きく振りかぶってパソコン操作キーボードに襲いかかる(笑)。
まだ膂力が足りないので画面が乱れることはなかったけれど
その全体の様子が、なんともほほえましく、
その子の喜んでいる様子が会議の雰囲気全体を一気に支配した(笑)。
「おお、仕事を楽しんでいる・・・」
こういう「句読点」はこれまでの「仕事環境」ではあり得なかった。
会議での打合せは緊張感を持って話し合われるけれど、
こういう「ON-OFF」経験はこれまであまり経験することがなかった。

いろいろな「捉え方」ができる一瞬のことがらだけれど、
住宅を考え続けるという意味では、ある気付きもそこで感じられた。
ようするに「住宅の価値」の実相というもの。
StayHomeは社会がやむなく迫られた緊急避難だったけれど、
わたしたち人間にとって究極の価値感が、住宅には確実に存在することが見えた。
テレワークによってそういう価値感が仕事にフィードバックする可能性もある。
テレワーク会議自体は、各個人がPC画面で表示されるので
むしろ「集中力」という意味では悪くはないといえる。
そしてその画面からはその人間のバックグラウンドも明瞭に「伝わる」。
ホンネの仕事との向き合い方というモノが見えてくるのですね。
そう考えてくると、仕事を通じて住宅の本当の価値感について
かなりクリアにみえてくるものがあると認識させられてきています。
よく「立って半畳寝て一畳」というコトバがあるけれど、
これからは、さらにプラスしてくる部分がある。
その「革新要素」がどのように進展していくのか、
たいへん興味深いポイントにいまわれわれは立っているように思います。さて・・・。

【日本人の靴脱ぎ習慣と衛生意識】

今回の新型コロナ禍は日本人の衛生意識について
「建築的」にも大きな気付き、再認識を促したのだと思う。
これまでは生活習慣、文化の問題として建築的には詰めて考えてこなかった。

玄関という言葉は、「玄関」とは「玄妙の道に入る關門」。
「關門」っていうのが字自体なじみのない字だけれど「関門」でいいらしく、
① 関所の門。また、関所。
② 通過するのに困難を伴うところ
というように意味が読解できるとされている。
文化的には道教とか禅が日本に導入されたときに成立した概念とされるけれど、
言葉としての「言い表し」だけの問題のようで
日本人本来的な文化習慣としての「靴脱ぎ」を意味表現したものとは思えない。
そうすると、日本人の住空間史から考えた方が自然なのではないか。
千年家(せんねんや)として有名な兵庫県の箱木家住宅は数回訪問現認したが、
土間から「上がる」空間というのが、歴史的初源経緯のような気がする。
それは板の間であったりタタミの間であったりの「居間空間」に
土間から「上がる」タイミングが「靴を脱ぐ」習慣に繋がったのだろう。
いまは西洋的な「靴」だけれど、一般的には「草鞋」であり、
それを脱いで、「上がれ」と家人が言って従う一般文化の由だろう。
日本人は土とか埃、芥というものを「穢れ」と考えて
それから隔絶した空間を家に仮託したというように思われる。
他人の家に「土足で上がる」という無道を表現したりもする。
ハダシの足の裏で感じる板の間とかタタミの間が日本的「結界」を構成した。
そういえば草鞋を脱ぐときには足を洗う、拭うという動作も付随した。
「足を洗う」という言葉にも、穢れからの離脱という意味合いが籠もっている。
このあたりに日本人の「結界」意識がどうも凝集しているのではないか。
日本ではヤクザから「足を洗う」という表現を使うけれど、
世界有数の被害を出したイタリアではマフィアから離脱するのに
どういう表現言語があるのか、知ってみたいとふと思う(笑)。
というか、家の中でも靴を脱がない習慣世界では
そういう「清浄世界」意識というのが育たなかったのだろうか。

今回の世界共通体験を通じて、この靴脱ぎ習慣について
建築の世界では大きな変動が起こるような気がしている。
もし日本式の生活文化習慣を導入したいと考えるひとが世界で増えたりすると
この「結界」認識がどのように変容して伝わるのかも
大いに興味を持つべきところだと思っております。さて。

【狭い空間も満喫する「低い視線」は日本文化】


写真はある賃貸住宅での「模様替え」の様子。
現代人はなんでも家具を買いまくるけれど、
発想を変えて、ソファ+ベッドライフスタイルの刷り込みをそぎ落とし、
洋風のフロアでも敷き蒲団を重ね敷きして、ちょっとしたクッションを背もたれに
「低い目線の安楽装置」とした事例。
いかにも日本的座り文化でありながら、それでいてソファのような雰囲気も楽しめる。
しかも目線が低くなるので、天井高が大いに強調される。
狭い空間でもそれなりに「広がり」感が楽しめるのではないか。

ふとんって、カバーを掛けるのが一般的だけれど、
蒲団生地って結構カラフルな図柄が多いと思う。ちょっともったいない。
いまの時代はほとんどカバーを掛けてカバーを定期的に交換して
洗濯して使うわけだけれど、たまにはこんなふうに蒲団生地そのまま
インテリアの主役にさせてみるのも楽しいのではないでしょうか。
世界の寝具の中でも日本のふとんはかなりオリジナル。
あんなふうに「上げ下げ」して毎日たたんで整理収納しながら
さらに時々は天日干しまで心がけるインテリア装置って他国にはあんまりない。
今回のコロナ禍で日本の清潔習慣について触れられる論調が増えているけれど、
この「ふとん」もまことに重要な役者ではないかと思っている。
こんなふうに重ね敷きして使っても、ときどき天日干しでもすれば、
いつも清潔を維持させることが可能。
今回のコロナ禍でもうひとつ、靴を家の中では脱ぐ習慣も着目された。
靴を脱いで裸足になることで、素材の柔らかな質感への感受性も鍛錬された。
蒲団が持っているあの柔軟な反応力は日本人のDNAに深く染みわたっている。
足を組んで座ることで、起居にもリズム感も生まれて
毎日の健康維持にも効果的な側面もありそうだ。

ふとんをもっとインテリア空間で活用する工夫、アイデア、
立って半畳寝て一畳+「座って安楽」みたいな文化、
住宅建築の側から大いに出てきてもいいのではないだろうか?

【自然環境クッキリ・GDP4割減危機】

コロナ禍がはじまって以来、多くの人が気付いていること、
身の回りの自然の美しさのエッジが鮮やかになって来た・・・。
「あれ、このアングルから見た山って、こんなふうに見えたっけ?」
というような体験が増えてきているような気がする。
写真はちょこちょこ行っていた札幌近隣の「小樽カントリークラブ・旧コース」。
たまたま近くを通ったとき、海浜側から山方向、クラブハウス方向を見返した。
そうしたら、山が見たこともないほどに「クッキリ」していた。
見えている山の名前も知らないくらい、見たことがなかった。
海と山との間で、ゆったりボールを追いかけるゴルフ醍醐味も倍加か(笑)。
・・・まぁ要するに、経済活動が急収縮してきて、
飛行機もほとんど飛ばなくなって、自然の美が際だってきたのでしょう。
中国で「世界のものの生産活動」が集約的に行われ、
そこでの「環境破壊」レベルがハンパなく進行していた。
なにごとも過ぎては及ばざるがごとし。
それが、新型コロナ禍という急ブレーキが掛かって、
その束の間、地球環境がその本来の姿をチラ見せしてくれているのではないか。
たぶん、もっと人間活動が収縮すれば、
かつて地球の全大陸に進出したわたしたちの祖先が見ていた
本来の地球の姿がふたたび立ち現れて、人類はその圧倒的な美に
もう一度、本来的な「生きるよろこび」を見出すのかも知れない、
というような妄想も抱いたりする・・・。

しかし、現実はそう甘くはない。日本の直近GDPは約550兆円。
その推移は4半期ごとに発表される。
2019.9-12月度は「対前期比」で約7.1%程度下落。消費税導入の影響。
2020.1-3月度は速報では3.4%程度下落と発表されているけれど、
実質的な数字としては3月度が新型コロナの影響で極端に悪いとされ、
それがこれには反映されていないので実質5%程度の下落という。
そして2020.4-6月期はまさにいま現在で、実質的な経済停止なので、
悲観的見方としてはマイナス25%相当の下落見通し。
そうすると、100×0.929×0.95×0.75=66.2%という驚くべきGDP収縮ぶり。
上下幅を見れば4割減という大方の見方は、そう狂ってはいない。
この基本的な認識から550兆円の約4割相当、
200兆円を超える財政支出政策が打ち出されている。
まさに空前の経済危機であり、放っておけば失業者300万人と言われている。
そして経済危機からの「自殺者」は1万を超えるだろうと言われている。
歴史で参照すれば、戦後にはここまでの危機は存在せず、
まさに世界恐慌までさかのぼる大危機ということになる。
この世界恐慌では日本は高橋是清蔵相主導で、財政出動で乗りきった。
政府のもっとも基本的な役割は国民の命と暮らしを守ること。
本来政治とは、こういう大状況についてどのように「政策運営すべきか」を
その「考え方」を国会で論戦して国民に信任を問うことでなければならない。

そしていま、この約200兆円規模の政府支出策について
さまざまな検討が政府与党サイドで活発に論議されてきている。
現政権は実質的に「安倍・麻生」連立で、安倍さんは反対派からの攻撃への
サンドバッグ役を担いながら、麻生大臣の経済運営に進路が託されている。
まさに令和の高橋是清。政府支出の大胆な「使い方」が日本の運命を左右する。
幸運にも新型コロナでの死者は世界とは隔絶したレベルで推移している。
国富の毀損を回避し、経済を上昇させるのに対応可能な時間と作戦があり得る。
日本に幸運な航路が開けていくことを祈りたい。民の側も努力を一丸となってしたい。

【住宅業界における感染予防ガイドライン 発出】

政府による「緊急事態宣言」を受けて、昨日から「あたらしい行動様式」社会へ。
このコロナ禍がはじまって以来、基本的な行動基準として
3つの密を避ける、という方向性が指標として明示されてきた。
欧米メディアからは日本が宣言解除したことに驚きと羨望に似た
ニュアンスでの報道が相次いでいる。納豆が効いたのでは、というような
言われたこっちが「え??」という指摘も見えたけれど(笑)、
G7の国の先陣を切ってこの事態からの「出口」を見据えられたことは、
国全体でひとりひとりが心がけて来た「行動変容」が基盤的力だと思う。
文句や批判は喧しく湧き起こっても、日常行動レベルでは「一致結束」できる
日本社会の規範準拠・実践力が非常に大きいと思います。
そしてこの「行動変容」の力は、少なくともしばらくの間、日本の最大の安全保障策。
たぶん核兵器以上の「抑止力」「外交的力」なのだと思う。
いざとなれば日本社会は世界最強レベルの抑止力社会だと示せたことは大きい。

さてそういう第1段階の成果は確認できたけれど、
これからはいわば「息の長い」戦いの局面になっていく。
感染症との戦いである以上、有効なワクチン開発まで続けることが絶対条件。
住まいと環境東北フォーラム・吉野博先生から
住宅業界にとって有用と考えられる「行動変容基準」の例示がありました。
「住宅生産団体連合会」作成の事業者向けの「行動変容指針」。
住宅生産団体連合会:新型コロナ感染予防ガイドライン
<クリックするとデータがダウンロードされます。>
一般にも有益有効と思われる「指針」・事業所職場篇も示され参考になる。
以下、気がついた部分を要旨抜粋してみます。
● テレワークや時差出勤等により混雑緩和を図る。
● 机を離して設置、机の間をパーティションで仕切る、正対せず離れて着座。
できる限り2m(最低1m)の間隔を確保する。
● 十分な換気を行う(換気設備がない場合は、1時間に2回以上窓を開けて換気)。
● 執務中はマスクを着用し、こまめに手洗いや手指消毒を行う。
● トイレにタオルを設置する場合は、ペーパータオルを設置する。
(ハンドドライヤー及び共用タオルは使用禁止)。
● 現場見学会、セミナーイベントを企画・実施する場合には、事前予約により
集客対象を限定する等、感染予防に十分注意する。
● 各種公的申請はできる限りオンライン又は郵便等で行う。
● 顧客にオンラインでの資料請求や商品検索等の利用を促し、打合せや商談は
できる限り電話、メール又はオンライン(WEB会議、電子決裁等)で行う。
● 湯茶接待はペットボトルや紙コップで行い、ガラスコップや湯飲みは使用しない。
● 受付等には透明ビニールカーテンを設置する等の感染予防措置を講ずる。

いまや日本社会では「常識」になってきていることでしょうが、
こういった「当たり前」が現実的でもっとも有効な感染症との「戦い方」ですね。

<写真は無関係:明治初年札幌での寒冷地植物研究のガラス屋根温室。>

【テレワークが生み出す人間と仕事の新環境】


昨日安倍首相の会見で日本の「緊急事態宣言」は解除されました。
世界からもとくにトランプ政権から積極的評価の声が発出された。
「あらたな常識」という行動変容を土台にして、
しっかりと経済を回して、人々の生活基盤を再構築していくというアナウンスは
待望久しいモノであり、率直に前向きにとらえていきたいと思います。
とくに自由主義、法の支配という価値感を共有する世界にとって、
日本の緊急事態宣言解除は、その最先行国であり、
今後の世界の政治経済動向にも大きな影響を与えて行くと思います。
国益という観点からは、まことに重要な節目を越えることができた。
きびしい環境の中でも社会の自由を確保して、出口を見据えられた。
北海道札幌は結果として、きびしい状況の中で迎えたワケですが、
今後もこの課題からまっすぐに向き合って、地域として克服する努力を傾けたい。

さて今回の実質的社会封鎖、行動抑制のなかで
とくに「テレワーク」が「行動変容」の最たるものとして受け入れられた。
わたしどもでも国の緊急事態宣言以降、社員スタッフの働き方として
積極的に導入し、おおむね8割や5割といった「分散率」をメドにして
「密」を避ける仕事スタイルとして緊急避難的に導入した次第。
これまでも中小零細企業ながら拠点2箇所間ではテレビ会議などを行っていた。
さらにちょうどWEBビジネスがより深化してきて、
顧客企業先ともテレビ打合せなどが常態化もしていたベースがあった。
そんな中これまでは顧客先企業に「これこれこうで・・・」と説明含めた
サポート的な役割を果たす側面も大きかった。
今回のこの全国民的体験から、緊急避難的に企業顧客先にもこのスタイルが
受容されたことで、一気に「環境整備」が進んだと思う。
当社の場合、複数スタッフによるソフト創造業とでもいえる業態なので
企業顧客先との打合せも一気に加速してきていると実感している。
Zoomというプラットフォームが一気にいわば「常識化」したことで、
まったくストレスなくコミュニケーションを計ることが出来るようになった。
そのような新常識の拡散に今回の事態は、大きな契機を与えた。
たぶん今後、ビジネスの世界ではこちらが常識化して、
そのベースの中でいろいろな進化発展が起こっていくことは間違いない。

このような「行動変容」からどんな業態変換が巻き起こっていくか、
非常に興味深いとワクワクしてきております。
さらに進化していくなかで「恐竜に変わる哺乳動物が出現」するか?

【コロナ後の世界 香港情勢沸騰が「起点」か】

いまの時代、寝起きにスマホをなにげなく操作するのが一般的。
昔だったら朝刊を取りに行く、あるいはテレビのスイッチをつける、だったのが、
いまは世界の動きがTwitterから情報拡散されてくる時代。
けさ一番で開いた世界情勢が上の写真だった。<スクショ元は以下の動画です>


香港で大規模な反政府集会が活発化してきている。Google翻訳では以下。
<まず、警備員が今天国(たぶん地名)に参加する巨大な人々に驚かされ、他の警官は
さらに多くの警戒力を導入しませんでした。>という内容。

言うまでもなく香港情勢はコロナ以前、世界の最沸騰点だった。
香港民主派は、中国共産党による人民の自由圧殺と最前線で戦い続けてきた。
中国共産党は世界に情報の窓を開ける香港市民の反抗に手を焼き続けていた。
陰に陽に弾圧の策動が繰り返されてきたけれど、
世界の耳目が集中し、天安門のような強権的弾圧までは踏み切れない状況が続いた。
そしてコロナ禍を奇貨として習近平政権は、弾圧政策を強化してきていた。
最近のコロナ禍での中国の世界への異常な対応ぶりは、
この香港情勢、武漢などでの強権支配体制への中国内部の情勢緊迫化が
大きくかれらにプレッシャーを加え、強権的方法に出るしかないことの自白だと思う。
対外的な異常発信から国内政治的なかなりの危機進行が透けて見えてくる。
そのような情勢の中、全人代が開かれるタイミングで香港情勢が緊迫化。
デモ隊への強権的弾圧の様子が世界に情報拡散されてきている。
「香港は中国の内政、いかなる干渉も受けない」…王毅外相が統制強化を正当化
というような読売新聞報道があった。
一方で、アメリカ側からは反トランプ政権のバイデン民主党大統領候補からも
香港民主派への弾圧正当化法案強行への非難声明が発せられたりもしている。
党派を超えて、アメリカ世論は香港民主派を支持してきている。
<たぶんバイデンは直近の黒人差別発言の沈静化も狙っているだろうけれど・・・>
この全人代開催という局面で、コロナ後の世界情勢が一気に露わになった。
アメリカは一枚岩になりつつある情勢。
中国共産党がヘタをうてば、世界情勢は急速に緊迫化することは免れない。

さて、そういう世界情勢の中、きょう非常事態宣言「解除」が注目される。
残念ながら北海道とくに札幌の猖獗の勢いが収まりきらない。むしろ悪化。
ことここに至れば、事態がまったくコントロールできていない、
地域統治の問題さえも指摘されかねないと危惧が高まってくる・・・。
しかし座して経済窒息を待ち続けるのも、この3ヶ月で限界を突破している。
ただでさえ全国有数の脆弱性である北海道地域経済・・・。
まさに内憂外患の局面ですが、政府対応決定を待ちたいと思います。

【飛沫感染防止透明バリアに注目病(笑)】

先日、DIYした「飛沫感染防止透明バリア」ですが、
みなさん創意と工夫でさまざまに取り組まれているようで、
いろんな場所で目にする「立てさせ方」にいつも目が行ってしょうがない。
こういう「人に頼むほどでもないし、お金をかける気はしない」みたいなことって、
けっこう多いものですが、日本人は比較的これまでは関心が少なかったように思う。
っていうか、普通の人はとにかく仕事に忙しく追われて、
そういった身の回りのことに興味を持つ「時間もなかった」。
欧米人はこういう手仕事であるとか、ちょっとしたインテリアの課題解決に
お金を使わないで取り組むDIY文化が旺盛だと思う。

しかし今回の2ヶ月(北海道は3ヶ月超)近い自粛的「非常事態宣言」下では、
外出、移動の抑制が社会的にやむを得なかったので、
そういう意味では身の回りのことに自分で取り組む気分が盛り上がったと思う。
テレビは本来こういう身の回りで役立つ知恵みたいな情報を流すべきだ。
(今回の件でテレビはヒステリー拡散装置だと広く一般に理解が深まった・・・。)
ソーシャルディスタンスの必要性は全世界で叫ばれている。
しかしどうしても「対面」して会話が必要な局面はある。
そういうときに、透明のアクリルなり塩ビボードなどを
透明衝立として自立させるやり方について、情報交換機会を提供すべきだ。
わたしの工夫はコスト最小限でスタッフ数18人の環境で
総額22,000円、一人あたり1000円ちょっとで相互距離確保できたけれど、
みんなはいったいどうやっているのか、強い興味を持っている。
写真はある公的機関の対人接触窓口で見た自立方法。
脚部に使っているのはツーバイフォーの木材のカット品であります。
断面の状況を見ると、プロっぽいので公的機関と言うこともあり
ひょっとしてプロの大工さんに「外注」されたものかも知れません。
わたしの場合、この脚部木材に溝を回転ノコギリでDIYショップで入れてもらった。
それが一番コスパのいい作戦と思われた次第。
こちらの写真では自立させるのに別途金物で「挟み込んで」自立させている。
こういうやり方の場合、安定性も高くまことに立派だけれど、
金物も結構高いはずだし、それと塩ビであればまだしも、
アクリルだと、金物を介してビスの貫通作業がなんか難しそう。
たぶん貫通させるには電動機械を使っているに相違ないし、
その場合、台座など全体の固定が必須になる。
それが左右2つの脚部なので、大型の「作業台」が不可欠だったのでは・・・
などなどと、自分の体験と比較検討して類推するクセが付いてしまった(笑)。

よく「自粛ポリス」みたいなことが話題になりますが、
わたしの場合はいわば「DIY鑑定団」。主要な興味分野はこっちですね。
今回の自粛期間、みなさんはどういう興味発展があったでしょうか?

【アフターコロナ 現代の「死生観」を考える】

現代社会は西欧発祥の思想が全地球的に普及した価値感世界。
その基本に「人権意識」というものがあり、個の命を相当の優先性で考える。
由来的にはキリスト教的な人道・倫理観があるのだと思う。
個人が直に神と向き合っているというような価値感。
いわゆる「個人主義」が基底に根深く存在する思想体系。
西欧発祥のこの「個人主義」思想は政治社会システムにも貫徹され
「いのちは地球よりも重い」というような人権主義が共有されている。
今回の新型コロナウィルスは未知で危険な病原菌という恐怖感が大きいが、
しかしそれ以上にこれまで人類社会が経験した疫病とは一段違う様相を呈した。
重篤化すれば高齢者を中心に肺炎を発症して死に至る。
しかし、大多数にとっては軽症、あるいは無症状で軽快するとされる。
このような発現をみせる疫病に対しては、過去の人類社会史常識で考えれば、
「軽度」な危機認識で対処された可能性が高い。
しかしそうならなかったのは、情報の世界一体化、共有の局限までの進展と
その基底に、個人の命を絶対価値とする「死生観」が大きく与っていると思う。

ちょうど北海道札幌ではいまの「非常事態」最終局面で「老健施設」クラスターが
猛威をふるって、連日感染者増加の勢いが留まることがなかった。
経済発展による食生活栄養向上と併せ、日本の優れた医療は、
高齢者の延命を相当に可能にし、世界最先端の「高齢化社会」が実現した。
自らの体動作で通常起居生活も難しく、さらに多く認知症も発症の高齢者が
大人数でこうした「老健施設」で共同生活していた。
「生き甲斐」方針として「密」な相互接触環境で運営されていたともされる。
その通常起居をサポートするべき健常な介護要員にも感染が広がってしまい、
新型コロナ陽性者の医療施設への入院収容も困難を極め
結果としてクラスターが異常拡大して入所の大多数感染という悲劇が起こった。
たしかに通常起居、食事入浴すべてに介護が必要な新型コロナ陽性者を
患者として受け入れる側の病院には、たいへんな困難が伴うのは自明。
2次感染防止対策と要介護という重責のなか、他の患者への影響なども考えれば
結果、この老健施設に留まらせ続けざるを得なかったことも了解できる。

欧米や初期の中国武漢では、命を救える可能性のある救命器具装着について
その数に限りがあって、医者が「いのちの選別」を強いられたとされる。
救命装置が1台で、複数の必要性の高い患者がいるとき、
だれにその装置をつけるのか、究極の選択をしなければならず、
現実にそれは行われて、いま現在に至っているのだとされる。よそ事ではない。
現代医学は、神のみが果たしうる権能を迫られたともいえる。
幸いにしてそこまでの「医療崩壊」に至る前に日本は留まったとされるけれど、
今後の第3波第4波で、そうならない保証はないと思う。
そのようなとき、われわれ社会はどんな死生観を持つべきなのか、
わたし的には、このことが深くこころに刺さり続けている。

現代世界の普遍的な個人主義・人権論のままで本当にいいのか、
いやむしろ、死なない人間はいないという当然の公理に目覚め、より積極的に
個人の生きざま、尊厳に十分に配慮した死生観哲学を再構築すべきではないか。
わたしも遠からず、このような年齢に到達すると考えたとき、
自分自身の問題として、尊厳を持って自分の命との対話を持ちたい。
個人主義の「個の生命絶対」という呪縛は永久に実現不能であることは自明。
死ぬ寸前まで社会の中で働き続け、ある日忽然と姿を消し去る、
そんな「ピンピンコロリ」な自分自身の死生観について思索を始めている。
世界的な大量死の進行の中で、そういうあらたな死生観の必要性を、
みんなで考えるべきではないのだろうか?

【25日北海道、目標未達でも非常事態「解除」か?】

わたし自身の場合、2月の中旬から出張行動などを抑制停止して
それ以降ずっと基本的には外出すら生活上の必要最小限に限定し
北海道や札幌市の「行動自粛要請」に沿うように心がけて来ています。
みなほぼ同様に、すでにその期間は3ヶ月を超えていますね。
しかし、それでもなお、札幌の状況は芳しく推移していない。
もちろんわたし自身がなにか状況をチェンジできるわけでもないので淡々と、
民主的に選択された民意としての為政者・知事、市長の政策推進に対し
選んだ側の、民主主義の基本的「義務」であり従うべきと考えてきた。
これは別にいま選ばれている人にそのとき投票したかどうかではない。
その民主的選挙の結果に対して、まずは信任することが大切だと思うのです。
これは自分の主義主張とは別にわきまえるべき基本ではないかと。
とくにいまのような、感染症の猛威に対して社会が一丸となって
状況を変えていこうとするときには、守るべき主権者の「義務」だと思うのです。
言ってみれば民主主義を健全に維持し続ける原則ではないか。
それは、中国のような専制独裁政治体制のほうが危機には「優れている」みたいな
プロパガンダに追認を与えてはいけない、
わたしたちの選択している民主主義を守るために不可欠だと考える次第。

昨日来、関西3府県の「解除」の報道が引き続き、
東京都もまた「直近1週間10万人に対して0.5人」という指標クリアと伝えられる。
首都圏地域は1都3県が「一体的生活圏」として解除は同時にと
希望しているとも伝えられてきている。
残念ながら、地理的に独立的な北海道はまだ予断を許さない。
この局面で政権は北海道も含め「解除」の判断に傾きつつあると伝えられる。
久方ぶりに、明るい希望を持てると受け止められるけれど、
しかし反面では、もし目標指標未達のまま解除された場合、
そのことが地域に尾を引くことになるようにも思われてならない。
「点数足りないけど、まぁ卒業・・・」みたいな。人の口に戸は立てられない。
とくに「観光産業」が主力であるわたしたちの郷里にとって、
そのあとの「後遺症」のようなものをどうクリアできるのか、
大きな「宿題」を突きつけられるようにも思えるのです。
まことに「課題の先進地」というキビシイ現実が待ち構えていると不安。
もちろん移ろいやすい世論、「人の心」なので決めつけはできないけれど・・・。
残る時間での目標達成を祈るのみ、というところですね。

まぁしかし、3ヶ月以上という「自粛」もたしかに限界には来ていると思う。
解除後の惨憺たる経済の現状をまっすぐに見据えてみれば、
ここからの再起はどのようにすればいいのか、と不安の気持ちも強い。
GDPの下落率はまことに惨憺たる状況・・・。
しかし明けない夜はなく、折り合いの付かない感染症もない。
それぞれのフィールドで全力を尽くすしかないでしょうね。