
この時期の3連休というのはどうなのか?
まぁ、さっぽろ雪まつりに配慮していただいたのか、
っていうところですが、
おかげさまで北海道は、天気はいい状態が続いておりますが、
「行楽」という季節でもなく、
なにやら無駄な連休のような気もいたします。
まぁわたしは、有意義に執筆活動というか
プレゼンデータ作成作業に没頭できておりますので、
まことに感謝しきりというところであります。
業務日の場合には、なにくれと報告連絡事項が飛び込んでくるので
なかなか根を詰めた作業がしにくい。
こういう休日は大変ありがたいです。
これまでの講演データの写真データなどもメンテナンスでき
さらに今回は、ほぼ全面的な再構築と、テーマはまったくの新規作成。
使用画像も、7割方はおニューであります。
わたしのプレゼンは住宅雑誌編集長ということで、
基本的には写真による構成になっています。
それに一部、テキスト系のページも埋め込まれる、というもの。
背景色も、写真を浮き立たせるために黒を基調にして
見やすく、美しく、ということを念頭に置いております。
自分でも、文字量が多くて、しかも図表などが多いプレゼンがきらいなので
いきおい、ビジュアル系のわかりやすさを第1にしているわけです。
一般的には消費者向けのものも多いのですが、
今回は住宅の作り手のみなさんばかり向けの講演会。
そうすると、ビジネス系の話なんですが、
それをわかりやすく、写真構成を中心にしたい、という意図です。
以前から漠然と思い描いていたテーマにしたので、
あれこれ、構成を際だたせる写真の取捨選択にアタマを悩ませるのです。
ときどき、カミさんに報告がてらチェックをお願いいたします。
「う〜〜ん、ここはさぁ・・・」
っていうような意見を参考にしながら、頑張っております。
で、だんだんと話す内容も固まってくる。
カミさんからは、「原稿とか作らないの?」とか言われるのですが、
「え、おまえ、原稿作ってやるの?」と逆質問。
カミさんもときどき講演を頼まれることがあるのですね。
わたしの場合は、話す勢いを重視したいので、
荒筋くらいをアタマに叩き込んで、ある程度フリートーク気味に
進める方がやりやすい。
さてさて、どうなるか、
今週はあちこち移動の多い週になりますが、
おおむねゴールの見えてきたプレゼンデータづくりであります。
Posted on 2月 13th, 2011 by replanmin
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東京ではここのところ、大雪が降るかどうか
っていうことで、身構えるようなニュースが流れてきています。
わたしが東京で大学生活〜広告人生活を送っていた時期の
冬の様子を思い起こさせてくれてほほえましい。
北海道から東京に来て生活している人間にとっては
大都会の喧噪が、一瞬ぴたりと消えてしまうような
あの東京での降雪の感覚は、なんとも表現しにくい感覚です。
インターネットで調べてみたら、
写真のような新聞の天気覧の記録に巡りあった。
1967年と言うからいまから44年前、わたしはまだ札幌にいたわけですが、
なかなかに面白い。
44年前の今日も、東京、雪だったのですね。
旭川の最低気温はマイナス22.3度で、最高気温でマイナス10.1度。
天気記録の地点が面白い。
なぜか、中禅寺とか、網代とかが掲載されている。
冬の特別バージョンで、なにかの象徴性を持たせたのか。
で、反対側に本日掲載になった日経新聞の天気覧です。
いまは札幌に住んでいるので、北海道版ですので
観測地点は北海道内各地と、道外主要都市です。
温暖化というべきなのか、たまたまここのところは北海道が暖かいのか。
大きく違いがあってびっくりしますね。
旭川は平年値と比べて13度も高くなっている。
そんなこんなでありますが、東京での雪。
ちょっとした雪で交通は終日マヒ状態になるし、
そういう意味では、年に数回の特別な日の感覚がある。
もちろん、気温は日中になれば上昇するので
淡雪で消えてしまうけれど、
やはりこの街も雪が降れば、また違う美しさを持っているものなのだ、と
そんな思いを感じながら、湿度の上昇した空気感の中を
ちょっと生き生きと、歩き回っていた記憶がある。
どうも雪が雨に変わっているようですが、
東京のみなさん、まだ雪の降ることはあるので、充分ご注意くださいね。
Posted on 2月 12th, 2011 by replanmin
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きのうは夜なべ作業でいろいろな写真やデータと格闘していました。
やや眠たいけれど、まずまずの進行ぶり。
全体構成の構想を固めながら、徐々に具体的なものに仕上げていく。
さぁ、今日から3日間、さらに格闘であります。
っていうことなので、
ブログは、あんまり関係ないテーマということで(笑)
あんまり住宅ばっかりだと、頭が混乱してくるのですね。
で、パソコンのなかを見ていたら、
以前講演を聴いた北方先住民のみなさんの食事についての写真が目についた。
このときにはアイヌのみなさんの基本食・オハウのサケ版をいただいたのですが、
味が薄いと感じて、名だたる考古学の大先生に
「あのぉ、塩って、どう入手していたのですか」
と思わず質問してしまったのですね。
お答えは残念ながら闇の中で、
先生たちも、そういう文献記録にお目に掛かったことがないそうです。
アムール川周辺から、サハリン、北海道島の先住民のみなさんにとって
基本食は、サカナ。
保存するために、乾燥させているのが一般的。
その乾燥したものを、上の写真のようにスープの中に入れて
「オハウ」として食べるんですね。
ジャガイモは、このなかに必ず入れられるのだそうです。
しかし、ジャガイモは南米原産で世界に広まったのは、
西欧世界人が大航海時代に突入してからなんですね。
それがかれらの基本食になるのですから、
世界は広いようで、まことに狭い。
先日から読んでいる考古学の先生の本を読んでいたら、
アイヌや檫文の「サケ漁」は、交易のために行われたシステムなのだそうです。
よく先住民のみなさんのことを、自然と共生していた
っていうようにお伽噺のように語るケースがありますが、
実態はそうではなく、たいへん脂ぎった世界でもあったようです。
縄文期には、サケへの偏執的な興味は感じられず、
それ以降、かなり意図的なものがそこに加わってくるのだそうです。
こういう食べ物ネタを書きたくなると言うのは、
やはり、お腹も減っていると言うことかなぁ(笑)。
ということで、まだまだ、作業頑張りたいと思います。ではでは。
Posted on 2月 11th, 2011 by replanmin
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きのうは終日社内での会議でして、その資料作成とかに
1日追われておりました。
正月明けてから、一気に作業が押し寄せてきていたので
なかなか会議が出来なかったんですね。
で、来週は火曜日・函館、水曜日・札幌で会合、木曜日釧路と
あちこち飛び回ることになっております。
その木曜日の釧路では講演が予定されていまして、
企画は立てているのですが、
パワーポイントデータ作成になかなか着手できない。
ようやく時間が出来そうなのが、3連休という次第です。
今回のテーマはまたこれまでとはちょっと違う路線を考えているので
まったくの新規作成でと考えております。
そうすると缶詰めになってやるほうが効率がいい。
さてどうなるかなぁ、というところであります。
なんですが、本日は閑話休題。
人間食べなければ生きていけない。
だからといって食べ過ぎると太る。
でも、やっぱり誘惑に勝てない、っていうケースもある。
先日、とある食べ物屋さんに入って、メニューを差し出されて
発作的に、注文してしまったのがこれです。
あまりのコンセプトに、つい箸を付けてしまってから、
「あ、そうだ、ブログで・・・」と
不埒なことに考えが及ぶのは、ブログの悪い方の効果ですね(笑)。
しかし、このメニューには、ちょっと不意を突かれた次第。
わたし、中華系のあんかけ料理には目がない方です。
個人的にこういう好みの人間は、おおむね小太り、もしくはそれ以上になる、
っていうふうに思いこんでおりますが、まぁ大好きです。
こういう料理で、麺にすれば、「あんかけ焼きそば」
ご飯で食べれば「中華丼」っていうところ。
で、このメニューは両方一緒に食べたら、どうよ、
っていうコンセプト提案なんですね。
「いいじゃんそれ、アタリ」であります。
つい頼んでしまった。
値段は確か、900円くらい。
お昼の値段としてはやや、高いけれど、
まぁいっか、であります。
わたしは、こういうあんかけ系にはどばどばと酢をかけるのが好み。
こってりとした「あん」の罪滅ぼしに酢、という感覚なんですけど、
果たして意味はあるのかどうか。
食感は、まぁまぁっていうところでした。
というより、やはり量はたっぷり感に満ちている(笑)。
こころもち、腹をさすらざるを得ませんでしたね。
Posted on 2月 10th, 2011 by replanmin
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きのうは往復4時間、打合せ2時間超、ということで
室蘭へ行って参りました。
わたし自身ははじめて伺った次第です。
ご存知の鎌田紀彦教授と、ことしの案件打合せであります。
段々とこういう学問の現場との関係が深まって参ります。
自分自身は、文系の大学出身なので
一度卒業してしまえば、大学ってまったく関係のない世界なのですが、
建築とか工学などでは
常に最新の研究状況とか、知見が現場で必要とされるのでしょうね。
わたし自身は、社会に出てから選び取った領域から
住宅系の知識を知る必要性が出てくる。
そういう意味では、自分自身の知らない世界が
こんなにも広い世界があるのだなぁと思い知らされます。
まぁ、仕事に関連することばかりでなく、趣味世界でも
「研究者」というひとたちの文章を読む機会がすごく増えてきた。
歴史研究者とか考古学の世界のみなさん。
で、そうすると「学問的態度」とでも言える部分に感動するモノですね。
丹念に問題に向き合い、それを解決しようとする姿勢のようなもの。
足下を固めながら、新たな問題領域に踏み込んでいって
未踏の地をめざすような、そういった雰囲気を肌で感じる。
大学では、そこに現代風の若者たちが、たっぷりの若さを無邪気に見せてくれる。
ほほえましい人間模様もあって、渾然一体で大学という雰囲気を構成している。
大学に行っていた、とはいっても
ほとんど教授の顔も知らず、ゼミも参加せず、
まっすぐ趣味系クラブの部室に直行していたような
軟派な学生生活だった自分が、
この歳になって、いまさらながら、いろいろな大学に顔を出して
日本を代表するような達識のみなさんにお話を伺うと言うことも
考えてみるとずいぶん、不思議な話だなぁと
内心、おかしさも覚えながらあちこち顔を出しております。
やっぱり勉強はすごいなぁ、と目を見張る思い。
でも、やっぱり、サインコサインって、
いまだにそれを使って考えたことには巡り会えない(笑)。
む、待てよ、こういう工学部の先生なんかは、
きっとそういう高等数学の概念を使って考えたりしているのでしょうね。
う〜〜〜む、すごそう。
Posted on 2月 9th, 2011 by replanmin
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きのう書いたことにコメントをいただいた。
で、そのコメント要旨は、現状の国会の様子を揶揄するものでした。
わたしとしては、システム的な問題ではないかと思っていて
そのように書いたつもりだったのですが、
どうもそうは受け取られなかったようです。
なので、ちょっとその辺をもう少し書いてみようかと。
現状の国会の問題と受け取られましたが、
それは本意ではありません。現に優秀な議員さんたちは多いと思うのです。
現状の国会では予算委員会というのが最重要となっているけれど、
それよりも「国家戦略委員会」みたいなモノを作って
予算はそこでの論議に従属する、というような議会の仕組みにすべきだ。
まずなにを「政治的に行うべきか」をしっかり論議してこそ
予算配分と言うことを、はじめて判断できるのではないか。
現状では、すべての省庁のシステマチックな「要求」があって
総花的にまとめられた「予算案」を論議することになっている。
そうではなく、なにが現状のなかで核心的に重要なことなのか、
そういうことを国権の最高機関として「判断基準」を論議すべきではないのか?
この国をどういう方向に持っていくのか、という論議を国民にわかりやすいように見せる、理解できるように国会を改革すべきだ。
次いで、スキャンダルについては論議を禁止したほうがいいと思う。
そういうのは、司法にゆだねられたら、あとは司法にまかせるということでいい。
まぁ、その司法制度自体おかしいと思うけれど・・・。
クリントンがスキャンダルにまみれたけれど、
別に国政にはなんの問題もないと、職を続けることには民意が支持していた。
小沢一郎の問題にしても、あんなことはどうでもいいと思う。
それよりも力のある政治を求めるべきなのだ。
役に立たない清廉潔白なだけ、など、あんまり意味はない。
わたしたちは政治的な力量をこそ政治家に望んでいるのであって、
お金に綺麗だなどということはどうでもいい。
要は未来に対する先見力と、それを実現するパワーこそが政治の要諦だと思うのです。
あまりにも政治陰謀の道具としてスキャンダル合戦が多すぎて、
本来の政治の機能が果たせていないと思う。
貴重な国費をかけて論議するような事柄ではないと思う。
また3番目、今日の世界では経済運営が重要なのだから、
どのようにすれば経済運営がうまくいくか、
識者を国会に招致して、大いに議員が活発に質問し、
それをもとに国家経済運営を考えていくべきなのだ。
こういう論議には党議拘束などはずして、自由に論議しあえる論争の場にすべきだ。
たとえ、結論を得なくとも、そのように中身のある論戦があれば、
国民世論は常識に沿ってくるものと思う。
省CO2論議や、その方法論などは、
まさにこうした議論にピッタリだと思うのです。
世界の流れを見たら、ヨーロッパは建築駆体についての基準を強化する方向であり、
そのために、開口部の仕様などをきわめて高度に設定する方向。
それに対して日本は、論議を経ることなく、
官学共同体が、ヒートポンプや太陽光など、
一部部材の性能向上に力点を置くようになってきている。
こうした動きについて、国会がきちんと論議して欲しいのです。
マスコミも、こういう本格的な、産業構造も国民生活も深く関わる問題に
もっとコミットして欲しい。
っていうような意見を持っております。
Posted on 2月 8th, 2011 by replanmin
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写真は、先日の南雄三さんの講演から
「日本の都道府県別冬期室内気温」データ。
南雄三さんは、今回聞いたら、お父さんが大手の建材メーカーをやっていた
ということだそうで、
そういったことから多くの人脈を持って活動しているのだそうです。
国の住宅政策をずっとウォッチしていて、
そういった情報源としては、幅広い視点を持っています。
お話ししていて、国の、というか、
中央省庁の官僚の世界の動向という部分で
大変わかりやすく情報を聞くことが出来る。
住宅の性能向上について、これまでは、
北海道という日本で一番気候条件の厳しい地域での問題であり、
それが他地域で受け入れられていくのに、
さまざまな試行錯誤を重ねてきた現実についても
たいへん学ぶことが多い。
そういうなかで現在は、省エネとか、省CO2について、
国の機関が、大きな流れを引っ張っていっていると感じているのです。
長期優良住宅という政策があり、
それについて、民間から多くの提案を募っていたけれど、
審査過程には、国の考えているある方向性があって、
その方向性に沿った提案が採択されている現実がある。
で、日本はこの省エネとか、省CO2について
大きくは、産業育成の方向で企画していて
太陽光発電とか、ヒートポンプ技術とかの推進を大きな目的にしている。
あと一方では、国産木材の活用という方向性があるけれど。
その方向性は、
大きくは世界の「蒸暑気候地域」に向けて
日本の輸出技術産業分野として、先進性を高めようという
そういったことを「国策」にしている、ということなのですね。
このこと自体は、ありうべきことだと思うのですが、
こういうことは、誰が企画し、推進しているのかが
公明正大になっていない。
いわんや、国会で論議されたと言うことを聞いたことがない。
しかし国の方針としては、間違いなくそうなっている。
これは政治が弱体化していて、イニシアティブを持てない現実を表しているのだろうか。
それとも、もともと日本の国策というのは
このように、サイレントに実行されていたモノなのか。
やはり、いびつなのではないかと思わざるを得ない。
現代の国家で一番大切なことは、経済の運営方針の決定ではないかと思うのです。
省エネとか、省CO2についてという
きわめて国家戦略にとって枢要な事項について
政治が十分に関与しているとは言えない。
ということは、「民意」が結集されているとはいえないのではないか。
国会と言うところは、こういう事を論議する機能を持っていないのか。
であれば、国会の機能をもっと改革すべきなのではないか。
これだけ、景気対策とか、大いに叩かれ、中国のような独裁国家とも
「競争的」な関係を強いられているのに、
国の最高機関に、そういう論議をきっちりやる機能がない、
というのは、きわめて異常な事態だと思う。
それと、わたしたちが選挙で選べるのは政治家しかいないのだ。
その政治にイニシアティブがない、希薄だ、というのでは
「経済的民主主義」自体、育っていかないのではないか。
どうもそんな思いが強く起きてきています。
Posted on 2月 7th, 2011 by replanmin
Filed under: 住宅取材&ウラ話, 住宅性能・設備 | No Comments »

きのう、省CO2の国策での推進と言うことを書いたのですが、
わたし自身は、疑問を抱いている方です。
ドイツで、どうして民間運動であった「パッシブハウス」に対して
政府がそれを顕彰し、盛り上げる方向に行ったのか
その動機・推移はわかりませんが、
でも、政府側としては民間の住宅に対して政策誘導していくときに
自分自身が先頭に立って、旗を振っていくということに
ナチス全体主義的ではないかというな自制心が
そこで働いたのではないかと、推測する次第です。
民主主義が確立された国で
ある一定の方向性に世論を持っていきたいと考え、
政治の側はどのようにふるまうべきかと、考えたとき
こういうことへの配慮は欠かせないだろうと思うのです。
政府(側)が自分自身で、本来、個人資産である住宅に政策関与するというわけですから
こういった感覚は不可欠なのではないかと思うのです。
直接政府が関与する場合、
第1に想起される事態は、腐敗です。
ごく一部の決定の結果、その透明性の担保が見えない。
特に日本の場合、政治の指導性が明確ではなく、
簡単にスキャンダルで、有力政治家を葬り去る土壌がある。
そうすると、実質的な支配構造・官学共同体が独走してしまう可能性が高い。
昔から銭形平次、検察特捜部とか、官僚機構への正義委任構造がある日本では
そうなってしまうのですね。
まぁしかし、そんなことを言っても
日本的現実は、大波のようにその方向に行ってしまうのかも知れません。
ただ、そのときに、
実際的に建築会社が、施主に対して
国策に沿った説得をさせられると言うことになる。
このことは、施主と建築者との信頼性をゆがめる危険性があるのではないか。
「国策で省CO2を引っ張っていく」
ということのなかに、こういう問題性があるのではないかと
どうも思えてきてしまう。
体制翼賛会的ではないのかと、ふと感じてしまうのです。
「幸せになる」ために投資することである、住宅建築の本質にとって、
どういう意味合いになっていくのか。どうも見えません。
<写真は沖縄那覇の住宅風景>
Posted on 2月 6th, 2011 by replanmin
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今週は住宅関係の企画催事が続きました。
きのうは、道産木振興の目的でのセミナーに参加。
最初の発言者として東京大学の坂本雄三さんが講演されました。
先生はさまざまな国の審議会の座長を務められて
いわば、国策としての住宅政策の中心にいる方。
日本の現状がよくわかりますね。
ヨーロッパは、北欧が長く住宅の高断熱高気密化をリードする存在だったのですが
環境問題が、「黒い森」の酸性雨問題や、チェルノブイリ原発事故
などの身近な問題がスタートラインになって盛り上がり、
「緑の党」などという環境問題政党が出現するまでになって、
ドイツが、環境問題の主要テーマとして
住宅にフォーカスしてやってきた歴史がある。
しかし、その過程で現在は、パッシブハウス運動という民間機関が定めた基準を
国家が採用して、さらにそれをEU基準にしていこうという
そういった流れになっている。
国家が、民間の活力を生かして行く方向で施策を進めている。
やはり、運動の動機に於ける
彼我の違いが鮮明になってきていると言うべきなのか。
日本でも環境問題への動機がけっして弱いとは言えないけれど、
やはり骨身の問題としての認識は少ない。
そうすると、国家が、そしてその中核としての
官僚と、その母体としての「官学共同体」が主導権を持って
「引っ張っていく」という形式になっていく。
で、この構図は、明治以来の国家体制の根本であり、
そういった意味では、民主党政権はあえなく、この体制の前に
潰え去ってしまったと言ってもいいのかも知れない。
資本主義が中国やインド、ブラジルといった新興国に広くビッグバンして
市場経済が一気に広がり、そのなかで、
「国家」というものの意味合いがずいぶん変化してきている。
中国は、日本の明治以来の近代化を格好の教科書にしながら、
「優秀な」共産党官僚テクノラートによる「独裁」という
たいへん、「国を引っ張っていく」のには適した政治体制を武器に
この現代で急激な成長を遂げてきている。
経済と国内世論のコントロールというのが
現代の国家の最要諦というようになってきているけれど、
そういった意味では、もう一度、日本もそのような体制が
「筋肉質の意志決定プロセス」である、と
認識され、取られていく可能性が高まっている。
政治の意志決定力を削いでいこうとするスキャンダル報道賛美は
どうも、このような背景を持っているのではないかと、
そんな思いをしていた次第です。
いずれにせよ、住宅という領域で変化が現れてきていると実感します。
Posted on 2月 5th, 2011 by replanmin
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きのうは、藤女子大学の大垣直明先生の講演を聴きました。
北海道内の工務店の経営的研鑽ネットワークでの講演です。
地域工務店と、今後の経営のあり方を論ずる中で、
住宅建築の担い手の歴史的変遷に触れられ、
高度成長以前の住宅生産システムを担っていた「地域工務店」組織の実態把握と、
その後の、高度成長期の住宅づくりの主要プレーヤー組織であった
「ハウスメーカー」組織の対比を浮き立たせながら、
今後の人口減少社会での住宅生産の主要な担い手が「新・地域工務店」と想定され、
そうなる必然的背景とその役割について、語られていました。
なつかしい弁証法の図面がでてきて
わかりやすかった。
で、いくつかの「必然性」の概説があったのだけれど、
イマイチ、腑に落ちなかったのが、
今後の社会についての住宅建築の需要発生メカニズム。
個別分散的に発生すると想定されていたのですが、
その根拠はどうなのかなぁという疑問が1点。
次いで、「地縁的コミュニティの再生」が語られていたけれど、
はたしてそうなるのか、という疑問が2点目。
そして最大の疑問が、
これから求められる「新・地域工務店」の要件として
その地域での生活慣習や、気候風土への理解に裏打ちされた
生活コンサルタント的な機能が求められ、期待が高まるというくだり。
大変わかりやすいのだけれど、
はたしてそうなるとして、
具体的にはどのような形が考えられるのか、
っていうような思いを抱いた次第です。
で、表題のようなテーマが浮かんできたのですね。
この部分では、これからの日本人への豊かな「想像力」が試される。
生きる、とか、暮らす、ということへの
透徹した見方が必要な資質と言うことになっていく。
ある特定の個人、家族に対して
その生活の仕方についての「設計処方箋」を書いていくことになるワケですね。
暮らし方ソフトウェアというのはそういうことになる。
「新・地域工務店」にとっては、それが建築と重なる部分ということなのだけれど、
さて、ユーザーから信頼される、そういう資質を獲得するためには
何が必要か、ということになると、
まだ、未開拓の領域がそこに横たわっていると思う。
大垣先生の提起は、大変大きな示唆に富んでいて、
そこへの挑戦こそが大きな可能性に満ちていると感じるけれど、
具体的な解決の方向性は、まったく別のアプローチなのかも知れない。
そんな思いを強くした次第です。
Posted on 2月 4th, 2011 by replanmin
Filed under: 住宅性能・設備 | No Comments »