
あ、わたしではありません。
きのう、土日ほとんどバスケットクラブの練習にいっている坊主が、
昼過ぎ、2時頃に帰ってきて
やや足をかばっているような仕草をしながら帰ってきました。
激しい運動をしているわけで、まぁ避けられませんね。
すぐに冷やしていたようで、見た感じはそうハレは大きくない。
学校からは自転車に乗って帰ってきたという。ということなので、
冷湿布をして、様子を見ることにしていました。
で、友人たちと約束していたらしく、
親が止めるのも聞かずに、友人の家に遊びにいってしまう。
心配はしておりましたが、痛みは本人にしか分からないので、
遊びに外出できるくらいではあるのだろうと、
そんなふうに思っておりました。
で、帰ってきたのが7時半くらいで、
食事を食べさせて、様子を聞いたら、
どうもイマイチの様子。
「あした、病院に行きたい」ということで、
まぁ、そのままにすれば良かったのかも知れませんが、
「休日当番医に行ってみようか」
と聞いたら、すぐに行く、という答え。
たまたまカミさんが出掛けていたので、健康保険証がないことに気付く。
なんやかやで、準備して出掛けられたのは9時過ぎ。
休日当番医の病院もわが家からクルマで20分かかって到着。
ところが、お医者さんはひとりで、急患なども入っていて、
なかなか看ていただけない。
ようやくレントゲンを撮って、見たてていただけたのは
日付が変わる頃になってしまっておりました。
幸い、骨折ではなく、ねんざということでひと安心ですが、
患部を固定して、松葉杖を使わなければならない。
学校は4階が教室ということで、むむむ、というところ。
人間、体が調子悪くなると、普通の生活が難しくなる。
まぁ、こういう判断って難しいですね。
骨折していないかどうかは、翌日にならなければ判明しないので、
できれば当日中に手当はしておきたい。
けれど、病院が休みの日には、行くべきかどうかも、迷うところ。
まぁ、今朝の患部の冷却の様子を見て、どうすべきか、
きょうからの方針を決めていきたいと思います。
Posted on 5月 16th, 2011 by replanmin
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わが北海道日本ハムファイターズは、
昨日の試合にも快勝して、25試合経過のいまのところ、
安定した戦い方が出来てきております。
そういうなかで、期待感が日に日に高まってきているのが、
現在まで、7番→6番を打っている左翼手・中田翔選手であります。
プロ入り4年目のことしは、
開幕からずっとスタメン出場しており、
当初は試合の最後の方ではほかの控え選手と交代していましたが、
いまは、ほぼ試合の最後まで出場しております。
梨田監督からの信頼も確実なものにしつつある、
っていうのが、現況といっていいでしょう。
開幕当初にまったく打てずに、スランプに籠もっておりましたが、
徐々に状態を上げてきて、最近は絶好調といってもいい。
昨日の試合でも、2安打を放ち、とくに最後の打席での
中堅左を深々と破る当たりは、強打者らしい、速く、力強い弾道。
右の強打者という、プロ野球ファンが長い間、出現に焦がれていた
夢のようなスター候補が力を発揮しつつあります。
わがチームの左の異次元的スター候補、糸井選手との
3−4番コンビというのが、わたしの夢想であります。
4年前に中田翔選手がドラフトで
わがチームに引き当てられてから、育成の長いプロセスが始まった。
やはり、こういうスラッガーが本格化するには
時間が掛かるんでしょうね。
まことに、男の子の本格派って、育つのに時間と手間も掛かるんでしょう(笑)。
しかし、中田翔選手は、そういう時間の掛かり方を
それでも待ち続けていたい、という気分にさせてくれる。
まぁ、やんちゃ坊主的な部分を感じるところがあって、
どことなく憎めなさそうな、そういう雰囲気がある。
こういうタイプに肝要なのは、慢心とかの精神面でしょうから、
本格化してからの、これからが、本当の意味での戦いなのかも知れません。
いい嫁さんに当たる必要もあるような気がします。
いい素材を持ちながらも、
精神的な脆さ、あやうさによって、伸びが止まってしまう危険性も感じる。
ダルビッシュという、格好の先輩選手をよく見て学んで欲しい。
あ、でも、女性の方のことは、あんまり参考にはならないのかも(笑)。
ともあれ、久しぶりにみんなをワクワクさせてくれるような
プロ野球の大切な資産が育ちつつあるのを実感しています。
がんばれ、中田翔選手!
がんばれ、北海道日本ハムファイターズ!
Posted on 5月 15th, 2011 by replanmin
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環境省の「エコハウス」事業については
いろいろな思いがありました。
そういうなかでも特に、福島県飯館村の「までいな家」については
私自身も見に行って、その、まことに「自然循環」的な設計の考え方に
共感の思いを強く抱いた次第です。
Replan東北版で取材記事として掲載したこともあります。
村の考え方が筋が通っていて、
東北でも屈指の寒冷な風土気候を踏まえて、
「高断熱高気密」建築を基本とした、しっかりとした「住宅政策」を
実践している、その姿に、地方自治体のひとつの可能性を見た気がしていました。
どんなに理不尽な中央政府機構であろうと、
それと柔軟に対峙して、自分たちの思いを実現しようとするその姿勢に
深く、敬意を持っていた次第です。
今回の大震災でも、この写真の「までいな家」には、
多くの福島県沿岸部の市町村からの避難者が来て、
その人体からの発生熱だけで、暖房の必要がなく、
また、写真中央の風力利用の「揚水ポンプ」や、
薪利用のボイラーや、調理装置などで、
命を繋ぎ続けていたと言います。
その後のやむを得ない事情での再避難時には、多くの避難者の方が
「ここから離れたくない」と言っていたと聞いています。
そうした村を襲った原発事故の局地的影響。
いま、飯舘村は全村丸ごとの避難を余儀なくされています・・・。
こうした事態の中でも、
報道などで見る限り、村は冷静にしたたかに対応をしているように思います。
菅野 典雄村長は、菅直人首相などとも対談して、
きわめて理性的に、村の復興に向けて、
慎重に手順と布石を打っていると思ってみています。
原発事故に当たっても、感情的にならず、
そういう条件の中で、どのように村を建て直していくべきか、
しっかりと見据えて、取り組んでいくものと期待しています。
今回の震災で、中央政府のさまざまな問題点も出てきていますが、
一方で、県知事さんや、各地域自治体の首長さんたちのなかには、
なかなかに肝の据わった対応を見せているケースが見られます。
間接選挙の結果の国家権力首長とは違って、
直接に住民のみなさんからの信任を得ているひとたちは、
やや覚悟において、違いが感じられる。
結局、自分という人間として直接、主権者に相対している、という
そういった気概が、自ずと備わっていると見るべきなのでしょうか。
危機に当たって、日本人のそういう真実の姿を、
いま、しっかり見ていかなければならないと思っています。
Posted on 5月 14th, 2011 by replanmin
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写真は東京スカイツリーであります。
見る度に思うのですが、あの作業用のクレーン、
あれに乗って、作業している人がいるんですよね。建築関係の人に聞いたら、
あのクレーンで、下から工事用の荷物をつり上げて
その日、その日の作業分の資材を上に挙げて
それを使って、毎日毎日、建築作業を行う。
ということは、あの大地震の日でも作業をしていたんですよね・・・。
って思っていたら、
やはり、そういうコメントも出ているそうで、
まぁ、生きた心地がしなかったんだとか(笑)。
そりゃぁそうでしょうね。
高層ビルにあのときいた人たち、
みんな1mも揺れていた、というのですから、
このクレーンに乗って作業していた人って、
いったい、どれくらいの振幅で揺れたんでしょうか?
どう考えても、冷や汗、100年分くらいは
一気に出てしまったのではないでしょうか?
まさに想像を絶する世界の光景が展開したに相違ない。
しかし、逆に言えば、ああいう揺れでも
作業用の接合でも、きちんと持っていた、というのも
素人から考えると、すごいなぁと思います。
わたし、年の割には、髪の毛も黒々としているわけですが、
たぶん、こういう経験をしたら、
瞬間で、白髪になりそう。
だめ、絶対無理、って思うだけでも高所恐怖症が襲ってきます(笑)。
Posted on 5月 13th, 2011 by replanmin
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仏像の制作っていう「産業」は
いくつかの「家元」みたいなところが伝統的に独占してきた。
運慶とか、快慶とかというような名前は
奈良期の名人として名前が知られているけれど、
「慶」という文字がそういった職種を伝承させる「通り名」になっていたのでしょうか?
仏像制作と、その費用について記録があるのは
平泉の藤原氏の2代目が、仏像制作を依頼した雲慶(奈良期の運慶とは別人)
に対して、驚くべき支払を行っているもの。
黄金や、タカの羽根などの珍しいものを送っている。
造られた仏像があまりにも見事だったので、
ときの天皇だか、上皇だかが、嫉妬して畿内から外に出してはいけないと
命じたというお話しがあるそうだけれど
この「雲慶」という人物の人脈ネットワークを動員しての
「料金交渉」だったのではないかと推測されますね(笑)。
そんな歴史のひとこまを考えながら、写真のような
東京博物館所蔵の仏教美術品を見ていると、
仏教と、こういう美術の占めていた社会的な位置について、
いろいろな想念・妄想が沸き起こってきます。
権力との距離の取り方、その利用の仕方ということや、
そういう「交渉技術の知恵の伝承」なども見えてくるような気がします。
やがて利休というような存在も出現するのですが、
芸術というものと、その生き残り方について、
面白みを感じている昨今であります。
Posted on 5月 12th, 2011 by replanmin
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住宅の模型や図面って、
現代では、いろいろ素材が揃っていて、
わかりやすく、「空間想像物」を取引していますよね。
で、その想像の内容について、
設計の契約を交わしたりする。
ある個人が想像したものを、他者にわかるように伝えて、
それをもとに「契約」にまで至るのですから、
考えてみれば、お互いの「想像力」に大きく依存したビジネスです。
それだけではやはり不安だから、
模型や図面が、必要になってくるものなのでしょう。
東京博物館の常設展示で、
こんな写真のような展示に遭遇いたしました。
制作年代はいつ頃のことなのか、
詳しい説明文を読む時間がなかったのですが、
使用されている紙の古び具合からは、
江戸期くらいの感じかなぁと、勝手に想像しておりました。
江戸期だとすると、こういった模型に使える「固い紙」というものが
なかなか貴重品だったようにも思えますし、
また、造作の丹念さなど、昔の人の息づかいまで伝わってくる感じがいたします。
そして、こういう模型を大事に残してきた家系の
なんというか、重厚な奥行きの深さも感じられますね。
きっと、愛着を持ってその建物を思ってきた
そういう気持ちのようなものも伝わってくる気がします。
毎日のように、住宅にからんだ仕事をしているわけですが、
先人のみなさんと、もう少しで会話できそうな気持ちも起こってきます(笑)。
「この玄関を入るとね、こういう空間になっていてね・・・」
っていうような、昔の人の建築への愛情が、
口をついて出てくるような、そういう想念に襲われた次第。
Posted on 5月 11th, 2011 by replanmin
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最近、大学では東京大学卒という方たちと
よく接触している気がいたします。
みなさん、さすがなほどに頭の回転がよく、
すばらしい見識を持たれたみなさんばかりであります。
わたしのような私立文化系男が、
なぜこういう事態になっているのか、よくわからないのですが、
そんなことから、表題のようなことを考えております。
考えてみると、日本の近代国家形成と、
日本の教育体系の整備は、表裏一体の関係で推進されてきている。
明治維新と同時に、教育勅語が発布されるのは、
ことの表と裏の関係のように思われる。
しかし、それって、高々150年くらいのことであるのですね。
突然、日本人がこの教育制度によって変わったのだろうか?
それ以前の社会と比べて、どういう変化があって、
プラスとマイナス、両方を見てみなければならないのではないか。
もちろん、近代国家と教育というのは
不即不離であるのは、どうも明らかのようです。
教育の機会均等・優勝劣敗が用意されなければ、
近代的な産業というのは、そもそも存立の基盤を失ってしまうのか。
教育の歴史と考えても、江戸期までの町人層のための寺子屋教育と、
武士を対象とした教育は明確に違っていただろうし、
では、江戸期の町人・庶民の教育レベルは
ほかの欧米諸国に比較して、どうであったのか、
そういった比較研究を行っている人っているのだろうか?
まぁ、普通に考えると、
明治期以降の教育制度のことが、教育の歴史ということの
本格的な解明すべき部分なのだと思います。
やはり、ヒエラルキーの頂点としての東大の存在と分析なくして
この部分は語れないのでしょうね。
そして日本の近代国家としての成功の要因は
やはり、教育の成功に負うところが大きかったのでしょう。
そういう近代国家と教育の関係の見事な相関関係を
体制として多くの近代化志向国家も追認して、
今日のような世界競争体制が築かれてきている。
やはり、進歩と未来はこれからも教育に掛かっているのか、どうか。
しかし、教育のあり方っていう論議も
これからは、相当に煮詰める必要があるのではないか?
均一性よりの独創性の涵養はどうすればいいのか、という視点が
やはり、決定的なのではないかと思われてなりません。
独創性という意味では、
必ずしも、既存のヒエラルキーが有効だとは思えない。
なんか、わけわからないブログになっていますね(笑)。
やっぱりテーマが大きすぎる、当たり前か(笑)。
まぁでも、そんなことをずっと気にかけ続けております。
Posted on 5月 10th, 2011 by replanmin
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いやぁ、なかなかにしぶとい。
先月中旬から末にかけて、出張が2週間続きはしました。
しかし、その後、連休に突入して
おおむね体を休めている日々が続いているのに
腰痛がいっこうに解消いたしません。
マッサージにも行って、そのときはまぁまずまず。なんですが、
腰は重たくて、どんよりとした雰囲気が抜けませんね。
まるでことしの北海道の天気のようであります・・・。
って、書いていて思い出す事柄が・・・。
そうでした!
すっかり忘れていたけれど、
わたし最近、2mほどの高所から転んだことがあるのでした。
そうです、事務所の植木の冬囲いを取り除いていた作業中、
ちょっとした高所で、作業後、ジャンプして下りたところ、
カラダの運動不足からか、寄る年波からか、
転げてしまって、一回転したことがあったのでした。
そのときに、そういえば、右足の側面を打撲したような痛みが走り、
腰も、右側の方をコンクリート路面に打ち付けたことがあったのです。
思い起こせばあれは、4月30日のことでした。
いやはや・・・。
しかし、そのときは、まぁ痛かったけれど、
我慢も出来たので、心配もしていませんでしたが、
確実な高齢化は、こういうちょっとしたことを見逃してはくれないのでしょうか。
そうか、それ以来、
なんか変だ、なんか変だ、と思いつづけていたのですが、
打撲症状が起点にあるようですね、これは。
ブログ書きながら、こういうことを思い返すというのは
一種の自己分析効果なのか、なんかおかしい(笑)。
いやぁ、あきれたボケなのかも知れませんね。
そうとわかれば、なにか、対応の仕方はあるかも知れません。
なんか、恥ずかしい限りではありますが、
まったくみなさんには関係のない、個人的な物忘れの公開ですね、こりゃ。
ブログを読んでくださっているみなさんには、大変申し訳ありません。
そうかそうか、それでは・・・。
Posted on 5月 9th, 2011 by replanmin
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連休も終わっての週末ですが、
札幌でも市中の桜が一斉に満開になっております。
東北の各地の桜、ことしはどうだったんだろうかと思いますが、
以前テレビで、福島県のしだれ桜の様子が放送されていましたね。
ことしの桜は格別のものがあっただろうと推察します。
よく日本以外の国の人には
どうして桜を花見としてまで愛でる文化が存在しないのか、
という文化比較を聞きますが、
どうも明確な考え方がないように思います。
というよりも、日本でどうしてここまで文化的に根付いたのか、
そっちの分析が必要なのでしょうね。
で、わたし、いつも思っているのですが、
日本の景観の中の「民家」のたたずまいとの対比的な側面についてです。
日本の民家は、おおむね木造で建てられ、
しかも屋根はその多くが茅葺きであった。
そうした自然素材そのままで推移した場合、
民家の景観としては、ほぼ日射による炭化が進んで、黒っぽくなっていく。
そういう都市景観、民家集住景観のなかで、
モノクロームが基調になっていく。
この背景の中にあって、一斉に咲き誇る桜の群舞のごとき景観の鮮やかさは、
ひときわひとびとの心情に対しての訴求力が強かったのではないか。
秋田の角館の桜を思うとき、
そういった情景がアタマをよぎるのですね。
こういうイベントのごとき、一斉性というのも
なにやら日本人の心性を明確に表しているとも言えますね。
ともあれ、桜の下で、カミさんと寒さに震えながら、
海苔巻きなどをパク付きながら、とりあえず、お花見しておりました。
Posted on 5月 8th, 2011 by replanmin
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けさ5月7日の朝日新聞WEB版によると、
平泉の仏教浄土思想に基づく一連の建築群が、世界遺産に指定される見通しということ。
おめでたい話題だと、思います。
今回、前回08年の申請と、そう大差のない
内容であったものが認定された背景には、
未曾有の大震災からの東北地域の復興に対しての配慮があったとは思います。
しかし、それを越えて
これまでの地元のみなさんの粘り強い努力がようやく実を結んだものと思います。
この決定をきっかけにして、
東北の魅力をさらに高めて、国内景気の浮揚にも繋げて欲しい。
不幸を、これでもかと経験してしまった地域が
どれだけ立ち直っていくか、
それが日本の復興にも繋がっていくのだと思います。
今回のユネスコの決定には、そんな世界の希望が託されていると感謝すべきでしょうね。
そうした暖かい思いを、活かせていくことが出来るか。
問題は、これからの展開に掛かっていると思います。
平泉の、日本歴史における位置は
これまで、必ずしも最重要と目されてきたわけではない。
日本歴史は、基本的には畿内地域での権力争闘、
さらに、関東平野の利権を巡っての血みどろの土地争奪戦争が基本の流れ。
「国家」という権力史観が、そういう認識のはじめに存在する。
「日本はひとつである」というイデオロギーであり、
そういう史観から、中央での動向こそがすべてにおいて決定的だと考えるようになる。
まぁ、知らず知らず、誰でも同じような考え方をするものでしょう。
ただし、変化は辺境地域に於いて決定的に起こる。
日本の歴史が、畿内地域中心から、関東平野に移ったとき、
その変化というのは、土地を巡っての剥き出しのリアリズム、
この土地は俺、わが家のものだ、という権利をそのまま保証する体制ができた。
こういう強い「封建制規範」の存在が日本史の特徴だと思う。
そしてそういう律令国家体制とはまったく異質な権力構造を
準備していたのが、平泉の体制であり、
治外法権的に畿内政権とのバランスを取っていた日本とは別個の王権だった。
平泉を、日本国家がユネスコに推薦する論理、というのが
わたしにはよく想像できなかったのですが、
「仏教浄土思想に基づく一連の建築」という整理の仕方をしていました。
まぁ、それ以外にはなかなか論理構成が出来なかったのでしょう。
文化的には、平安王朝文化がそっくり移植されたものであったと思います。
写真は「毛通寺」の臨池庭園ですが、
こういうスタイルは、同時代の平等院鳳凰堂などに似たスタイル。
そしてそれは、確かに末法思想によると言えます。
しかし、平泉の特殊性はむしろ、
日本国家権力中枢に対して、「外交」的に併存した王権が
かつて、日本の一地域にも存在した、という事実の方だと思います。
そのことが、頼朝の権力構想に於いて
大変大きな参考になったという事実の方が、
平泉の、日本歴史に於いての最大の価値なのではないかと思います。
言ってみれば、「地方分権型・分散型国家構想」の選択肢のひとつとして
シンボル的に、位置させるのがふさわしいと個人的に思っています。
Posted on 5月 7th, 2011 by replanmin
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