本文へジャンプ

「古代北方世界に生きた人びと」展

7432.jpg
いま、北海道開拓記念館では、「古代北方世界に生きた人びと」という
特別展示が開かれています。
これは、東北歴史博物館・新潟県立歴史博物館との共同開催の企画。
最初に新潟からスタートし、多賀城の東北へ行って、
今回、トリを飾って北海道で開催されているものです。
先史時代の考古資料から、文字を持った歴史年代の奥州藤原氏、それ以降まで、
北方からの視点で、日本史に対して再発見してみようという企画。
なんとも我が意を得たり、という企画内容で、この事実を知って、
なんとか見に行くことができて、よかったと思っています。
日本の正史の側では、どうしてもイネの栽培にともなっての歴史経緯が主。
農耕を中心にする社会は、当然、農耕のための暦ができ、
生産物の管理など、記録する必要性が高まって文字表現が生まれてきます。
「社会」という概念も、日本では弥生的なコメ生産様式が基本になって発展してきた。
確かに人口の爆発的な急増などは、このような社会様式がもたらしたものなので、
そのことには同意するのですが、
しかし、一方に北方のコメ生産とは違う社会システムも存在した事実は
もっと、しっかりと認識されるべきだと感じています。
コメ生産様式の側からは、「まつろわぬ」民ということになり、
しばしば、「討ちて、獲るべし」(正史側の記述)という侵略対象になってきた。
わたしは北海道への移民の3代目なのですが、
そういう意味では、コメ生産様式の側からこちら側の世界に入ってきたものですが、
やはり生まれた風土に対する愛着がだんだんに強くなってくる。
とくに東北地域との接触機会が増えてきて、
そこから北方ということを強く認識してくると、
このような思いがしきりに高まってくるのですね。
今回の展示は、そういう思いから、まさに深く同意できるものだったのです。
ただし、まだまだ、こういう考え方は思いっきりマイナーだろうなと
思い知らされることも多いもの。
仕方なく付いてきてくれたカミさんの言葉通り、
「誰もこんなの、面白くないっしょ!」っていう世界ですね(笑)。
こんな思いを持っていたのですが、
HPなどで調べている内に、開拓記念館のスタッフに旧知の人の名前が・・・!
「あれぇ、Uさん、ここにいるんだぁ」
というようなことで、なんとなく居ても立ってもいられなくなって、
すぐに出かけてみることにしたんですね。
会場に着いたら、なんとくだんのUさんが、展示説明を行っているではありませんか。
さっそく行ってみたら、すぐにこちらを認めてくれたようでした。
もう、25年くらい前の頃の知人なのですが、
説明が終わるとすぐに、積もった話をさせていただいた次第。
当時は、近接する北海道開拓の村で広報の仕事をされていたのですが、
実は本職としては、考古学の方だったそうで、
現在は北海道開拓記念館に所属し、今回の展示会の中心的なスタッフだったようです。
で、考えていられることは、まさに上に書いたようなこと。
本当に貴重な同好の士を発見できて、しかも古い知り合いだったという、
運命的としか思えない再会ができた次第なのです。
「よかったねぇ、マイナーな話題の強力な味方が出来て(笑)」
っていう、カミさんなのですが、まさにその通り。
しかも、学芸員の方なので、いろいろにわたしの調査活動にアドバイスもいただけそうなのです。
いや、しかし、不思議な巡り合わせもあるものだと、
驚愕してしまったのでした。
なんとか、北方世界の歴史に光が当たるような
そんな仕掛けができたらいいですね、っていうような思いが共有できました。
わたしの個人的なライフワークに一筋の光が見えてきた気がします。
<写真は平泉の古社>
NPO住宅クレーム110番|イザというときに役立つ 住まいのQ&A
北海道・東北の住宅雑誌[Replan(リプラン)]|家づくり・住まいの相談・会社選び

無農薬野菜の収穫

7431.jpg
敬老の日を前に、坊主がおばあちゃんに電話したら、
草むしりの手伝いをすることになったということで、
家族で、カミさんの実家へ。
待っていたのは、夏の間、ずいぶん楽しませてくれた野菜菜園。
そろそろ、最後の収穫か、という感じです。
っていうか、ことしは北海道、モノなりが良くて、
わが家の家計はずいぶんと助かってきておりました。
今回も、大量の茄子に、ピーマン、枝豆、トマトなどが・・・。
菜園といっても、都合100坪ほどでしょうか、
まぁ、そうたいしたことはないのですが
それでも、収穫をし続けるのはなかなか作業が大変です。
老人には、腰をかがめての作業が大変でもあるので、
いきおい、娘夫婦にSOSが発せられるという次第です。
しかし、わたしにしてみると、とくにナスの糠漬けが好物なので、
大歓迎の事態なんですね(笑)。
たわわに実った茄子は、黒光りして健康の象徴のようです。
もちろん、自然栽培で農薬なども使っていないということなので、
そういう意味でも、大変喜ばしい。
やはり人間が口に入れるモノ、
素性が明確で、安全であることというのは、社会の基本だと思います。
折から、中国では赤ちゃんの粉ミルクにメラミンが
意図的に混入されるという恐ろしい事態が発生しました。
ただただ金を儲かりたいと考えた男たちが、牛乳を水で薄めて
ばれないように、タンパク質不足をごまかすために
人体には毒物であるメラミンを入れていたのだそうですね。
しかし、そのように納入された牛乳のチェックというのも
あの国の生産体制にはなかったということも、なんともずさんな話。
素通りしてしまって、過去2年間以上、流通していたという。
さらに、そういう赤ちゃんの命に直接関わる食すら、
食品を管轄する社会システムの中に監視チェックする機構がないか、
機能してこなかったという事実・・・。
なんとも、空恐ろしい。
資本主義の生産システムが世界的に拡大し、グローバル化する、
ということ自体は、必然的とは言えますが、
そうであれば、資本主義の基本ルールも拡大しなければならない。
いまや、グローバル化を声高に叫んできたアメリカが
金融的に破綻し、グローバル化そのものも問われざるを得ない局面。
アメリカの覇権による世界が、このような形で、
様々にゆがみと、矛盾を広げてきているように感じられます。
結局、食の問題が世界の基本問題。
こうした安全性が無視されていいわけがないことは明白です。
社会システムがこのような欠陥をさらけ出しているのであれば、
改善していく方向を考えなければならないと思います。
NPO住宅クレーム110番|イザというときに役立つ 住まいのQ&A
北海道・東北の住宅雑誌[Replan(リプラン)]|家づくり・住まいの相談・会社選び

芝屋根のレストラン

7430.jpg
最近、北海道は気温が高い状態が続いている気がします。
もう9月の20日だというのに、日中汗ばむばかりの陽気と日射し。
とくに日射はきつくて、きのうは外で浴びることが多かったせいか、
皮膚に炎症感が起きているほどです。
どうもわたしは、日焼けに弱いタチのようなのですが、
それにしても、「まるで、海水浴帰りの日射しだね」というカミさんの言葉通り。
そんななか、日射しに誘われて、近場を散策。
前から気になっていた、恵庭の「えこりん」というところに行ってきました。
ここは「アレフ」というレストランを経営している会社が
エコロジー風テーマパーク的に作っているモノ。
恵庭の高速を降りてすぐ近くに羊の放牧などを行って
のんびりとした野遊びの場を作っています。
さすがに好天に恵まれて、そこそこのクルマが止まっていました。
わたしたちは、雑誌で見ていた芝屋根のレストランでの食事が目的。
名前は「天満食堂」ということだそうです。
羊さんの放牧が、目にも楽しい施設なのですが、
悲しい人間の性、その羊の料理をウリにしていて、
雑誌の写真で、食べたい、となった次第なのですね(笑)。
以前、阿寒湖の近くにシカ肉料理の店で「バンビ食堂」というのもありましたが・・・。
そういう食欲の他に、
やはり芝屋根の建物というのを見てみたいという欲求ももちろん。
写真の通りの様子でした。
室内も、計算された質朴さ、という雰囲気。
中世ヨーロッパ的なインテリアの雰囲気で統一されていました。
窓も、木の株の真ん中をくりぬいた枠に、窓ガラスを合わせている、というもの。
ただし、不定形の形状に建築工事の方がついて行けずに、
ディテールではコーキングでの荒技(笑)が目立っておりましたけれど。
でもまぁ、室内の暖冷房は地中熱ヒートポンプを採用したり、
補助暖房装置として、暖炉が据えられたりと、
楽しい雰囲気満載でございました。
で、一方、料理の方は羊料理、
おいしかったです。自然な風合いで味わいも風味豊か。
なのですが、お値段は残念ながらちょっと高め。
羊料理を楽しみに行ったので、もうすこし低料金にしてくれたら・・・と
思われる値段でしたね。
たぶん、食材などにこだわって吟味しての結果なのでしょうが、
こどもが楽しめるテーマパーク的なところなので、
家族一緒に食べるとなると、一回で10000円以上という価格では、
気軽には食べられないのではないかと思われます。
長沼町のジンギスカンだと、まぁ、半額以下だなぁ、というのが実感。
食事後、建物外周からいろいろ写真を撮っていました。
やはり芝屋根って、楽しいですね。
周囲の緑と溶け込んでいるので、建物を見つけるのが難しいほど(笑)。
まぁ、たまに行くなら、っていうところでしょうか?
NPO住宅クレーム110番|イザというときに役立つ 住まいのQ&A
北海道・東北の住宅雑誌[Replan(リプラン)]|家づくり・住まいの相談・会社選び

築地塀

7422.jpg
写真は東京芝増上寺の築地塀です。
築地塀って、上等の建築区画を一般世間から画する装置。
古代の東北地方の城柵では、権力の象徴として
整然とした直線の築地塀が結界として使用されていました。
というようなものですが、
さすがは増上寺、徳川氏が江戸に入城して結局、菩提寺の地位を獲得したことで、
大繁栄することになって、権力を誇る築地塀にも格式が表れている。
築地塀(ついじべい)とは泥土をつき固めて作った塀。単に「築地」(ついじ)ともいう。石垣の基礎に柱を立てて貫を通した骨組みを木枠で挟み、そこに練り土を入れて棒でつき固める「版築」という方法で作られる物が多い。塀の上には簡便な小屋組を設け、瓦や板などで葺いたものが多く見られる。古くより貴族の邸宅や寺院、官舎などに見られ、現在でも御所や寺院などで見られる。(Wikkipediaより)
という一般的な工法ではないように、この築地塀は感じられます。
なにより、平版のような石が土の中にサンドイッチされている。
っていうか、見た目では平版を積み重ねたように感じる。
その石も、やはり立派そうな石なので、
やっぱり、その富や繁栄ぶりを表現する意匠性にこだわったものでしょう。
そうした建築工法で作られているので、
高い耐久性を誇っているものと思います。
頂部には小屋も架けられていて、雨による劣化に対しても防御されている。
戦争での被害はなかったのか、わかりませんが、
作られようをみていると、相当の長期間使用に耐えられそうな作りです。
デザイン的に見ると、
礎石のゆがみが、そのまま表現されていて、アクセントになっていて
まぁ、飽きることがない印象ですね。
また、微妙な苔むした色合いも楽しくて、変化にも富んでいると思います。
英語圏では、家の中の壁も、このような区画用の塀も
WALLという同一言語が当てられるそうですが、
そう考えると、日本では木造で建てられる建築の方は壁、というようではなく、
むしろ、西洋的な意味合いのWALLというのは、
このような塀を意味することの方が大きいのではないかと感じますね。
このあたり、日本的ということのなにごとかが
表現されているようにも思います。
NPO住宅クレーム110番|イザというときに役立つ 住まいのQ&A
北海道・東北の住宅雑誌[Replan(リプラン)]|家づくり・住まいの相談・会社選び

和風住宅の「こだわり」

7428.jpg
写真は先日見学した増毛町の本間家住宅から。
ケータイの写真なので、すいません、ややピンぼけ。
明治以降、たいへんな豪商として富を築いた家なので、
当時としては、粋を凝らしたような住宅を造り上げていたのですね。
でも、その住宅技術の向かう先はひたすら和風のディテール。
せっかく、豪華な資金を考えている施主さんなのですから、
「家をあたたかくする」ということにもう少し目を向けてもいいのではないかと
思うのですが、けっしてそうはならない。
やはり、当時本州から出稼ぎで来ていただろう大工棟梁個人のできることには限度があるし、
そういう研究をする技術伝統が、和風住宅にはない。
やはりひたすら「花鳥風月を愛でる」というような興味にしか向かわないのですね。
当時としてはやはり無理からぬところでしょうか。
窓にガラスを入れたりしていますが、
そのほか、住宅建築としては温熱的な工夫は特段見られない。
やはり家人は寒さに耐えられず、後工事でストーブのための穴を開けたりしている。
まぁ、当然でしょうね。
で、写真では見えにくいのですが、
こだわりは、ひたすら和風住宅のディテールに集約されていきます。
写真は貴賓室の床の間に並んでいる押し入れ下部の様子。
横にされた仕上げ木材を、彫り込んでウェーブ状に仕上げているのです。
どういうデザイン的な意味合いが込められているのか、
いまとなっては、証言もないわけですが、
こういう仕上げに至るまでの手間を考えると、
相当なこだわりぶりだと推察することができます。
ウェーブ状にして、そのうえ、磨き込んでもいるのですね。
なので、確かに一種面白い効果は出していると思われますが、
どうも、豪華さの実感という意味では伝わってはこない。
この部屋では、東南アジア原産という銘木が床柱に使われたりもしています。
また、壁も漆喰に墨を混入させる仕上げもされていました。
ただし、たぶんその後の改装工事に際して
漆喰の職人技術がなかったのか、一部の壁には土塗り仕上げが施されていました。
まぁ、北海道では漆喰の壁はメンテナンスが難しい。
南東側には暑寒別岳が眺望でき、北西側には日本海が望まれる
眺望はなんとも豪快で、絶景が堪能できます。
しかし、それは半年のことだっただろうと思います。
まぁ、冬場には日本海が荒れて貴賓が訪れることもなかったのだと思われます。
和風木造で、数寄屋風の建築というのは、
なかなか、北海道ではそのままでは存続がきびしいなぁというのが実感。
しかし、日本文化は基本的に中央に対して同化するという動機が強い文化。
どんなに気候風土が違っても、
「こんなところでも、結構な住宅があるんですね」
というようなことに高い価値観を持ち続けてきたのだと思います。
そういう意味では、北海道で断熱気密の技術が進んで、
あたたかい家、ということを追求しはじめたというのは
日本文化的に、きわめて稀有な事態なのではないかとも思われます。
で、そういう寒冷地住宅技術文化とでもいえるものが、
文化の中心地に対して「違う住宅文化」として存続し続けていけるのかどうか、
あるいは日本文化の中心地に逆に影響力を持っていくことができるものかどうか、
ある意味では、歴史的に珍しいことが
いま、進行しているのかも知れないと思うこの頃です。
NPO住宅クレーム110番|イザというときに役立つ 住まいのQ&A
北海道・東北の住宅雑誌[Replan(リプラン)]|家づくり・住まいの相談・会社選び

へぎそば乾麺

7429.jpg
しばらく切らしていた新潟十日町のへぎそば、
久しぶりに注文いたしまして、きのう送られてきました。
布海苔をつなぎに使った、おいしい乾麺です。
本誌の主要なカメラマンさんから以前に一度いただいてから、
すっかり病みつきになり、やっぱり日本一うまい乾麺ではないかと思っています。
新潟って、どうしてそばがこんなに有名になったのか、
ちょっとおかしいなぁと思っていたのですが、
布海苔入りのへぎそばっていうのは、比較的にあたらしいものだそうですね。
伝統的にコメが採れにくい痩せた地味の地域の主要作物がそばだったのですから、
信州とか、山形県とかが有名なのはわかるのですが、
コメの生産でもっとも有名な新潟県がそばでも有名になったというのは、
やっぱりつなぎに海草を使って独特の風合いをもたらせたのが大きいのでしょう。
食感や、のどごしのさわやかさは、格別だと思います。
この段ボールに20袋入っていて、6000円(送料別)。
家族の一回の食事で1袋使い切るので、
一食300円の主食費になります。
まぁ、価格的には乾麺としては高いと思いますね。
でもまぁ、こうして送られてきたのを見ると、
食欲が盛り上がってきて、うれしくなる、っていうのも得難い感覚。
たまにちょっとした、こだわりをしてみるのも楽しい。
食後には、友人から送ってもらったナシ・・・って、
そうですね、こっちも触れなければならなかったのです。
千葉県産のナシなんですが、
いわく、
幸水・豊水・香(かおり)・新高とありますが、二十世紀と長十朗をかけたこれら関東の梨の中、私は二十世紀部分の多い、みずみずしい、舌触りの良い、酸味のある豊水が一番好きです!
というヤツを頂戴いたしまして、食べさせてもらってます。
これがなんとも豊かなみずみずしさを味わえる一品。
「食育」関係の仕事をしている友人なので、
やっぱりおいしいものはよくわかっているようです。
ということで、まだまだ暑い日もあるのですが、
味覚の秋にふさわしい話題ということで(笑)・・・、ではでは。
NPO住宅クレーム110番|イザというときに役立つ 住まいのQ&A
北海道・東北の住宅雑誌[Replan(リプラン)]|家づくり・住まいの相談・会社選び

津軽の古地図

7413.jpg
写真は十三湊の歴史資料館で見た江戸の頃の古地図。
十三湊というのは、隣接する汽水湖・十三湖を介して内陸の津軽地方の
玄関口を成していることを表現しているようです。
岩木川がそういう水運に使われていただろうことは明らかですね。
なので、きのう触れたような五所川原の街の産業が古代から
発展する素地があった。
五所川原で生産された須恵器土器が、十三湊を介して
広く北方世界に、っていうか、北海道地域に
輸出されていった、というワケなんですね。
北海道生まれのわたしなんかにしてみると、
こういう考古的年代から、人文的歴史ともつながってくる具体的な
証のような状況が明らかになってくるのは、ワクワクする世界。
北海道の歴史は、明治以前は文字を持たない人々の世界なので、
具体的なイメージを把握することができない。
シャクシャインの反乱から、蠣崎(松前)氏の支配というような時代まで、
なかなか、具体的な事実関係が見えてこないのですね。
郷土にそういう「よすが」がないというのはちょっと寂しいものなんです。
でもその分、想像力を働かせるしかないので、楽しみもあるとは言えますが・・・。
そんななか、やはり一番近い地域から、
交流の痕跡が見えてくると言うのが単純にうれしい。
可能な限りに須恵器土器を満載した船で岩木川を下っていって、
十三湖にたどりつき、十三湊に出て、そこで荷物を海上輸送用の船に積み替える。
そこから津軽海峡を越えて、歴史年代的には「檫文文化人」の世界に運び込まれる。
この間で、どのような交流があり、
どのような交易実態が展開したのか、興味が深くなってきます。
9世紀から10世紀の時代と言うこと。
ちょうど日本の時代区分で言えば、平安時代になりますね。
もちろん、この時代、津軽地域には日本の国家制度は及んでいないとされる。
しかし、農耕文化が行われていないとは言えない。
コメ生産が定常的に営まれていたのかも不明。
しかし、弥生時代のコメ生産活動の遺跡などは津軽地方で発見される。
日本の国家拡張活動は、ようするにコメ生産システムの拡大をあらわしているとも言えるので、
律令国家体制で、その体制の中に組み入れられていないと言うことは、
コメ生産はあったとしても、ごく限定的なものだったのでしょう。
そういう状況のなかでの経済交易は、
どのようなものであったのか、
わざわざ、交易品としての須恵器土器生産工房を作るということは
かなり目的的な行為ということが出来ます。
その交易実態をもっと知りたくなります。
きっと、失われている北海道の地域の記憶、というような思いが
こんなことに興味を掻き立てられている一番の動機なのでしょうね。
きわめて限定地域的な興味で、多くの地域のみなさんには申し訳ありません。
でもやっぱり、まだまだ、こういうテーマ、止められません(笑)。
NPO住宅クレーム110番|イザというときに役立つ 住まいのQ&A
北海道・東北の住宅雑誌[Replan(リプラン)]|家づくり・住まいの相談・会社選び

五所川原・立ねぷた

7418.jpg
五所川原の街を歩いていたら、発見した大きな建物。
予備知識もなく、建築探訪のつもりで入ってみたら、
これが、五所川原名物・立ちねぷたの展示館になっておりました。
立ちねぷたは高さが20mもあり、
合計3騎あるのだそうですが、それをしまっておく場所って
確かに大変だろうと思われますね。
そんなことで、公共事業として、市の施設なのか、
こういう大きな建築を作っていると言うことだそうです。
津軽北部地方って、今回の訪問でいろいろ興味も湧いて調べたのですが、
考古年代では遮光土偶で知られる亀岡遺跡での土偶生産。
それから時代を下ると、五所川原地域で対北海道との交易の主要産品となった
「須恵器」の生産。そして、このような巨大ねぷたの製造と、
なにか、ものづくりの伝統のようなものが感じられてなりません。
須恵器について、Wikkipediaを見ると、
9世紀末から10世紀にかけて操業した五所川原窯で、津軽平野にある。当時日本の支配領域の外か外縁にあった五所川原窯からは、地元の津軽半島だけでなく、北海道まで製品が送り出された。
という記述が見られます。
須恵器はヤマト朝廷権力の独占的な陶器生産技術なので、
それがこの時代の五所川原に存在したのはどういう経緯なのか、
十三湊にあった福島城との関連を考えると、
整合性がありそうな気がするのだけれど、王朝側の正史には、
福島城が古代城柵として築かれたという記述は見られないということ。
むしろ、北海道に本拠を持つ「擦文文化人」〜アイヌ以前の北海道人〜の
城柵づくりではないのか、という指摘が成されているようです。
ちょうどこの時期というのは、直線距離にして200kmくらいの
胆沢城地方で、安倍氏が大きな勢力を築いていた時期とも重なります。
飛躍して考えれば、胆沢城地域の有力者となった安倍氏勢力が、
胆沢城の職工を五所川原に連れて行って、
須恵器の工房を作らせて、北方勢力に対しての主要交易品として生産した。
それが、大量の鷹の羽とか、海獣の皮革、などといった蝦夷地交易になって
安倍氏の富強を支えたのではないか?
いやむしろ、安倍氏というのは「擦文文化人」との関連性が高い氏族だったのではないか?
というような疑問、仮説が頭のなかを駆けめぐってくる次第なのです(笑)。
ということなのですが、
確かに、五所川原の立ちねぷたの様相を見ていると、
あまり純日本的文化のにおいは感じられない部分がある。
より、土着的で、縄文的な感覚が感じられる、
と、考えるのはわたしだけでしょうか?
NPO住宅クレーム110番|イザというときに役立つ 住まいのQ&A
北海道・東北の住宅雑誌[Replan(リプラン)]|家づくり・住まいの相談・会社選び

かまぼこ探し・増毛散歩

7426.jpg
すごくいい天気が続いているので、
日頃のストレス解消ということで、日本海岸を北上して増毛まで
遠出してきました。
とくに目的はなく、カミさんとぶらり旅です。
まぁ、目的といえば前日も食べたおいしいかまぼこを探すことくらい(笑)。
どうも「かまぼこ」揚げたてっていうのにハマった感じでしょうか(笑)。
うまいんですよね、これが。
寿司とか、新鮮な魚ももちろんいいけれど、
下魚をミンチにして、練り製品にして揚げて食する、かまぼこって、
産地偽装だとか、ブランド崇拝とかもともとなさそうで、
味は、まずはずれがなくおいしい。
値段も、だいたいが安いと相場がきまっている。
おととい、小樽の「かま栄」さんで買ってきて食べたヤツは、
大ぶりの揚げたてで、6枚購入して、千円しない。
カミさんとすぐに車内で小腹を満足させたあと、
帰ってからの夕食でも立派に一品になっている。
っていうことで、食品不安時代のささやかな清涼感とでもいえそうな食べもの。
もともと、魚の練り製品であって、魚のうまみをブレンドで引き出す
というコンセプトなので、ウソ偽りは逆にない食品だと思うのです。
そんなことだったので、札幌からは130kmくらい離れている
日本海側のほうでのおいしい店を探そうか、くらいのリフレッシュ目的。
ただし、街を歩いているとつい、旧家とかに目が行ってしまいます。
増毛というと、旧本間家というのが重要文化財指定を受けた建築。
見てきたのですが、どうも重要文化財としては保存方法が?
という疑問もいくつか、ありました。・・・けれど、
案内していただいた方たちはたいへん熱心に説明していただけました。
最後まで、いろいろな質問に丁寧に答えていただき、
本当にたのしく見学することができました。ありがとうございます。
って本当にすいません、質問ばっかりしまくって・・・(笑)。
で、写真は持っていかなかったので、
ケータイ写真、ピンぼけなのでした・・・(涙)。
そんななかで、唯一まともに写っていたのが
この古色蒼然とした増毛駅前旅館の建物。
ニシン漁などでにぎわった時代を感じさせる建物ですが、
なんとも、こういう建築がタイムスリップして残ったまんまなんですね。
もちろん、営業はとうの昔に終わっているのだそうです。
築70〜80年は感じさせるものですから、
木造3階建ての必要構造は達成されていないだろうことは明白。
本来であれば、取り壊されるべきなのでしょうが、
このように残ってくれているというのも、素晴らしいと言えるかも知れません。
さて、かまぼこの方は、おあつらえ向きに揚げたてスナック風の小さい小屋があって、
なかなか繁盛していたので、2人でパクついてみました。
しかし、聞いてみると地元ではなくどっかの出店なんだとか。
ということで、もうひとあし伸ばして留萌の地元商店街のなかの
小さな店舗、鈴木商店さんで詰め合わせ1500円相当を購入して帰ってきました。
よせばいいのに、夕日の絶景で知られる岩尾別でポチャンと夕日見物温泉入浴までしたので、
すっかり遅くなってしまった。
また坊主と、いっしょに食べようと考えたのですが、
帰り着いたのは夜8時すぎ。
なので、あえなくかまぼこは夫婦ふたりの、空腹のつなぎとして
全部収まってしまいました・・・。
ごめんな、坊主。という申し訳ない次第でした。
NPO住宅クレーム110番|イザというときに役立つ 住まいのQ&A
北海道・東北の住宅雑誌[Replan(リプラン)]|家づくり・住まいの相談・会社選び

浜離宮

7423.jpg
浜離宮って、面白い作られかたをしている大名庭園です。
なぜか、江戸初期に各地の大名たちが贅を尽くした庭園造営を行っています。
そういう設計者には小堀遠州という造園家が名を残しています。
この浜離宮は、やや江戸中期に属する時期なので、
かれでないようですね。
しかし、その構想は雄大というか、すごいものです。
たぶん、海を埋め立てたか、一部を築地した土地に
池地を造成して、そこに海水を導入させて、その水量をコントロールして
結構を尽くした庭園として造り上げている。
こういう「海浜庭園」というか、海の上にあらたな造園を行うという
奇想を思いつき、実際に実現してしまう土木技術というのがあったのですね。
戦国期から江戸初期にかけての時代は、
こういう稀有壮大な土木技術が大きく盛り上がっていた時代。
きっと、安土城から始まる築城技術の土木部分が
独自に進化発展していったものだろうと思います。
城を造る技術という技術発展の動機が大きくなって
それに対応して、どんな場所にでも築城できまっせ、ということだったのでしょう。
戦争がいちばんの技術発展の契機になるということですね。
歴史の新しい段階での、飛行機や原爆の開発など
実例には事欠きません。
見立て上、海に浮かんだような休憩施設(写真真ん中の木造建築)からは
海上を渡ってくる海風(?)が心地よく肌を冷やしていってくれる。
新政府の江戸接収後は、皇室の庭園となり、
国賓の接待などに使われた様子が絵に描かれていました。
明治天皇が海外賓客をもてなしている様子。
冷房のない時代、こうした体感を求めて、ここまでの土木技術を動員した
という事実に、富の蓄積を見るのか、民衆からの搾取を見るのかは
考え方次第だとは思います。
現代では、浜離宮の代表的な景観スポットの後背に
ごらんのような高層ビル群が林立しています。
どちらもその時代の建築土木技術を動員したものですが、
このあいだに400年くらいの時間経過があります。
なんとも東京らしい景観だと思えてならないのですが、どう感じられるでしょう?
NPO住宅クレーム110番|イザというときに役立つ 住まいのQ&A
北海道・東北の住宅雑誌[Replan(リプラン)]|家づくり・住まいの相談・会社選び