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倉本聰・富良野グループ公演「帰国」

きのうは富良野で、富良野グループの舞台公演
「帰国」を観劇して参りました。
私はこの舞台ははじめて見た次第ですが、
何度も全国キャラバンなども行われているという人気公演。

お話しのあらすじは、第2次世界大戦で
まったく展望のない戦争で、未来を奪われて「英霊」として
南海で海の藻屑になった旧日本軍兵士が
終電が去ったあとの東京駅に列車で帰国したという設定の、
ほんの寸時の日本社会との邂逅を描いたものです。
意図のわかりやすいテーマであり、
事実、ストーリーもそのように展開していくので、
ある意味では予定調和的な、そのようなものとして観ていたのですが、
不覚にも、もと恋人との邂逅を果たした兵士のふたりの会話のあたりで、
涙が流れはじめまして、
大団円に向かって、止まりませんでした。
この戦争によって、戦闘員170万人超、非戦闘員40万人が犠牲になった。
東京は大空襲によって焼け野原になった。
そして、多くの「英霊」たちは、南海に身を漂わせてしまった。
そうした風景が、今回の大震災の経験と重なって、
日本という国が、いくたびもこうした運命にさらされることかと、
そんな思いが募ってしまったのかも知れないし、
単純に、操を守りつづけた恋人女性との邂逅のシーンに
どれほどの「失われた日常性」が存在したのかと、
思いを致したのかも知れません。
かつての戦争では、そうした局面に外交を持って行ってしまった
そういう戦争指導、国家指導体制の問題がいちばん論議されるべきだけれど、
しかし、今回の震災とその後の「指導体制」の問題を見るに付け、
この国の指導体制は、根源に於いて変わっていないのではないかと
深く悲しみが襲ってきたのかも知れません。
そういう「日本」に対して絶望する気持ちが強いのだろうか。

いい芝居を観ると、こころがリフレッシュする気分になる。
そういう意味では、こんないい舞台を、こだわり続けて
富良野から発信し続けている倉本さんと、そのグループに感謝します。
楽しかったです、ありがとうございます。

旭川の「北京」計画

最近知ったのですが、
旭川にはいくつかの変わった名前の街々がありますね。
御料とか、神楽とか、聖野とか、八千代とか、
皇室を連想するような名前がある。
ちょっと奇異な気がしていたのですが、
調べてみると、「上川離宮」計画、というものにたどりつきます。
開拓の初期、旭川に西の京都、南の奈良、東の東京と並んで、
北の京にしようという計画があったのですね。
閣議決定もされていたということですから、
本格的な話。
ところが、さまざまな思惑と経緯があって、実現されなかった。
写真は、上川神社敷地に建てられている案内です。
旭川というのは、北海道の最高峰、大雪山をはるかに遠望する
盆地上に幾つもの河川が流れている要地。
そのうえ、幕末・明治以来の仮想敵国・ロシアに対しての最前線基地的な地域であり、
日本の国家意識にとって、
枢要な位置関係にある街であるのですね。
明治の時代って、こういう国家意識が異常に沸騰した時代意識があったのですね。
こうした閣議決定に踏まえて
多くの人たちが旭川の発展を見越して
移住してきたりしたのだろうとも思います。
実際に明治末に、皇太子が旭川に行幸もしているそうです。
そうした結果、開発のスピードが速まった、という側面もあったそうで、
一定の政策効果はあった、というように言われています。
こういうエピソードからも、
明治の時代にとっての北海道の位置、というのは
やはりきわめて特殊性を持った民族的な認識だったのでしょう。
日本人の中に刷り込まれた「北海道」という地域への感覚の底には
こういったさまざまな歴史的事実が積み重なっているのですね。

Q1.0NEXT_鎌田紀彦ゼミ

きのうは、伊達を早朝7時半に出て札幌に帰還。
10時から鎌田紀彦先生と仕事の打合せでお会いしまして、
その後、午後3時からは、今度は新住協の北海道のメンバーと
鎌田先生による、表題のようなゼミナールであります。
朝、先生とお話していて、
先生はあまり論文を書かれない、という件になって、
「え、どうしてなんですか?」
と当然の疑問として聞いたわけですが、
「あんまり、論文に意味を感じない」
「でも、学者的にはそういう評価対象が必要なのでは?」
「そういうものは、実践的には役に立たない。工務店と一緒になって
具体的な性能向上の作戦をあれこれやっているほうが、はるかに役に立つでしょう」
というお話しであります。
なるほど、そこまで思い切った立ち位置を思い定めているのですね。

で、午後から始まったゼミは、
まことに「実戦的」そのものの中身であります。
会員工務店からの現場納まりの工夫などに積極的に反応し、
「おぉ、それはなかなかいい考えですね」
というように、柔軟に取り入れていく様は実に圧巻。
「建築システム工学」という、日本でもはじめて開拓された領域で
パイオニアとして取り組んできた鎌田先生の独自性ですね。
高断熱高気密が、先生の基本的な研究領域ですが、
それもさることながら、このような「建築システム」という
現場理解が不可欠な研究領域で、先達のいないなか、
こういった実戦的な研究スタイルも編み出してきたのだと思います。
東大工学部の本流的な立場の研究者が
このように日本の在来建築工法に積極的に関わってきたのですね。
北海道は、こういう事実をしっかり把握し、
地域として、このような建築家の事跡を再認識していかなければならない。
そういう思いを強く感じながら、研究交流の様子を
聞き入っていた次第であります。

確かに、論文を書き続けるよりもはるかに
「創造的」な、実際の建築に役立っていく研究活動なのだと思いました。

旭川往復後、伊達で講演

きのうは、札幌から伊達に来まして
須藤ホームさんのグループ企業さんの集まりでの講演であります。
須藤さんは、胆振地域にあって公共事業を請け負うゼネコンであり
同時に、千葉や札幌など戸建て住宅の設計施工でも頑張っている会社。
Replanでも、多くの住宅を取材させていただいています。
設計事務所にも引けを取らない提案力のある企業であり
レベルの高さは折り紙付き。
今回は、依頼を受けたのが10日前ということでしたが、
急遽、プレゼン資料を作成しての講演であります。
これからさらに住宅に力点を置いていくということで、
そういったお話しを、というリクエストで
まぁ肩の凝らないお話しを心がけた次第ですが、
さてどうだったでしょうか?

写真は伊達市内の「歴史公園」の中に展示されている古建築。
伊達は、その名の通り、宮城県からの移住者によって開拓された街。
幕末の動乱期に幕府側について、新政府からさまざまに嫌がらせを受けた
伊達藩が、その窮状の中から
北海道開拓に未来を掛けて藩としての移住を決断した街です。
北海道内では、石狩地方の当別町や、いまは札幌市に編入されている
「白石」村など、こういった経緯の開拓地域が多い。
北海道弁に、宮城県地方の言葉が多いのはこういう事情です。
そういうなかでも、この伊達は
もっとも気候的に温暖な地域であり、
比較的に恵まれた開拓経緯をたどったと言われています。

今週は火曜・水曜が旭川出張。
帰った翌日に、伊達に、ということで、
道央自動車道を、南北にあちこちクルマで移動の日々であります。
で、本日は札幌で新住協のゼミナールの開催。
週末日曜日は富良野にて、倉本聰さんの演劇観劇。
なかなか、カラダが落ち着く日がありません。
移動距離は、300km、350km、300kmということで、
今週だけで1000km突破であります。
北海道は広い(笑)。
でもなんとか、頑張るぞ、っていう次第です。ではでは。

旭川ラーメン・ふるき

きのう、おとといと旭川にてアース21の例会。
「旭川って言うのは、アサヒガワって発音するんだよね」
「近郊の街の人は、ガワに行くって言うよ」
っていうような情報をいただきました。
今日まで、長く生きてきましたが(笑)
こういう情報って、はじめて聞いた次第。
考えてみると、旭川って、その独自の文化という発信に気付くことが少なかった。
で、ふと考えさせられて、いくつか、
「旭川らしい」っていうことについて、思いを巡らせてみました。
そうするとハラが空いてくる。
そういう展開で、旭川の人に「おいしいラーメンを教えて」、安易だなぁ(笑)。
で、来たのがこちら、「ふるき」さんです。

店はお昼時で、一軒家を改造した店内は満席。
例会帰りの帯広、幕別ご一行様3名と、
岩見沢・旭川・札幌のわたしたちとが結局この店で再合流。
「店のオススメの味は?」
「野菜ラーメン・みそ味」
ということで、ご覧のようなものです。
お値段はやや高めの800円なり。
誰かさんの一声。「三平さん系の味だ」、そう、そういう感じ。
でもちょっと味は濃いめですね、これは。
挽肉で野菜を炒め合わせて作ったスープに、濃いめの味噌味。
なので、野菜の量を多くしているのか。
野菜からの甘味が出ていて、濃い味噌味でも食べやすい。
でも、ちょっと濃いので、なんと、食べ合わせ感覚でライスも欲しくなる。
みごとなメタボだなぁと思いつつ、お隣さんについ付和雷同して
注文してしまった。
おかげさまで、昼食後、かなりお腹がきつくなって悶絶(笑)。
なんですが、味としてはまず、おいしかったですね。
旭川での定番コースに付け加えたいと思った次第であります。

「あれ、肉、食べないの?」
って、突っ込みを入れられておりました。
いやぁ、よく見ている人がいるなぁ(笑)。
わたし、ちゃーしゅうはイマイチ、ハラが満たされないときの最後の砦。
ここでは、ほかで満腹したので
パスしていたのですね。
まぁもったいないか、でも、ま、許してください。もう満腹。
っていうことでした、ではでは。

平等院鳳凰堂

先日の京都出張の時に
クルマで移動していたので、前から一度見ておきたかった
「平等院鳳凰堂」を見てきました。
なぜか。
東北を知る度に、平泉の藤原氏というものがどういった考え方だったのか
その相方として、貴族の藤原氏との政治的関係の濃さを
感じることが大きくなってきたからなのですね。
関係の深さは、その感性の部分にまで及んでいて
勃興してきた武家の方を向いていたと言うよりも
奥州藤原氏は、貴族の側との政治的交渉に与ってきていたという思いなのです。
百年の奥州藤原氏の繁栄とは、摂関藤原氏との外交関係の成功が大きかったに違いない。
そういう考え方になってきているのです。
奥州に残されている宗教的な施設などを見ると、
その感受性は、あきらかに摂関藤原氏との連関性を強く意識したものだとわかる。
その次の時代の、鎌倉の武家政権の感受性とはまったく異質。
で、摂関藤原氏の精神世界を端的に表現しているのが
この平等院鳳凰堂なのですね。
臨池式庭園による浄土の現世的実現。
それも、自分たちだけが救済されたいという、そういう自己認識。
京都から、やや離れていると言うことがあって、
一度も見に来たことがなかったのです。
この施設は、ひたすら摂関藤原氏だけのための施設なのですね。
そうであるのに、傾けられた予算は優に国家事業並み。
天皇でもなく、その政治的権威を利用し続けただけの存在なのに、
こうまで豪華な施設を作っていた、そういうことが許されていた、
そっちのほうに、驚くような思いを持ってしまいます。
どうもあんまり好きになれない典型のようですね。
っていう気分にずっと包まれていた次第であります。

菅直人さんの景色

先日の不信任案採決の日にブログを書いたけれど、
急転直下、という形で不信任案は否決された。
で、自ら辞めるという意志を示すことで合意が出来たという
そういう新聞の号外まで出たのに、
当の政治家がそれを否定して、相方の政治家がペテン師呼ばわりまでするという
ちょっと、信じがたい局面にまで立ち至ってしまった。
このやりとりの救いようのなさに、絶句せざるを得ない。
なにか、あまりにも低俗な品性を満天下にさらしているようで
語るのもはばかられる、そういう品性と同レベルとなるのはいやだ、
そんな思いがわき起こってきてしまう。
菅直人さんという人に、
その人間としてのけじめをハッキリとしてほしいと思う。

結局、人間は絶対の局面でその人間性がさらけ出されるのだろう。
しかし、こういうのはやはり、こどもたちのためにも良くない。
見せてはいけないことだと思います。
人をだますこと、ウソを言うこと、都合が悪くなったらコロコロと前言を翻して
恥を知ることがないこと。
こういう人間を、結局、現代ニッポンは生み出してしまっていたのですね。
ただただ、人気取りのパフォーマンスをのみ考えて
政治的な信条もなく、ただただ、地位にのみすがりつく。
そこまで恥ずかしいことをしながら、
じゃぁ、一体なにをしたいのか、政権を取って1年近くになるのに、
これだけ「やりたいこと」の見えない政治家というのも珍しい。
百年先のことを考えて、恥を忍んで、俺はこれをやる、
そのためならなんでもする、という気概を持っているのなら、
それは自然と伝わるのだと思います。

で、結局、この菅直人さんの巻き起こした
政治的混乱、昨年の参議院選挙での衆参ねじれの発生から、
今日に至るまでの日本の出口なし状況に対して
大連立という選択肢に向かって行く流れが強まっている。
日本に、こういう大連立という政治が本当にいいかどうか、
昔で言えば体制翼賛会のような、全体主義というか、
責任の所在のハッキリしない、無責任体制の危惧は高いと思う。
首班の個性によって、結果は大きく違いが出ると思う。
ちょっと前の、伊東正義さんのような首班候補がふさわしいとは思う。
菅直人の正反対を想起したら、この名前になった。
しかし、ああいう会津っぽ、みたいな筋の通った考えの政治家、
今の政界にいるのでしょうか?
まことに心許ない。

札幌の手つかずの自然林

札幌市中央区の街の真ん中に
広大な自然林を保存しているのが「北大植物園」です。
まぁ、完全な原始のままに、というのは表現が適切ではないかも知れません。
いわゆる、日本政府の意志による「開拓」以前の自然林を
そのままで保存している一角が残されているのですね。
看板を見ていると、平成16年の風台風で多くの自然木がなぎ倒されたのも
そのままにしているということで、
その後は、ハルニレが優勢な植生から
低灌木が優勢になってきているということで、
自然の輪廻がそこで展開し続けているのだそうです。
日本政府の開拓以前は、アイヌの人たちのサケ捕獲が一部であって、
そういう土地であったのでしょうが、
アイヌ以前には、もっと活発な集住痕跡が見られると言われます。
そうした時代に、いわゆる自然林伐採行為がなかったのかどうかは、
記録がないのでわからないけれど、
まぁおおむね、原始と言ってそう大きな違いはないとは言えるでしょう。
きのう、買い物の帰りにカミさんと、
散歩してみた次第です。
わたしは3才から、カミさんは生粋の、どちらも札幌育ち。
わたしは、札幌からクルマで1時間ほどの岩見沢近郊の栗沢出身です。
こういう新緑の時期になってくると
自然の植生が渾然一体となった「匂い」がカラダを包んできます。
「あ、むかしの札幌の匂いだ」
っていうような感覚にふたりとも襲われてきます。
雑草や、木や、湿度が鼻腔にいろんな情報を伝えてくれる。
ことばでは具体的な草花の名前を覚えてはいないけれど、
カラダでは、記憶にしっかり書き込まれている。
目ではこれがふつうの自然の景色だ、と認識しているのですね。
そういった自然の中を一巡りしてくると、
何かに目覚めたようなリフレッシュ感が格別。
札幌っこ、という本能的な部分が覚醒したような気分になっている。
わたしは中学いっぱいまで、この植物園に隣接した住宅に住んでいたので、
「あ、あのへんから出入りしていたんだよな」
っていうような悪ガキの記憶が甦ってくる(笑)。
そうなんです、悪ガキどもは不届きにも、竹で編んでいた塀を
その下部から破砕させて、「秘密の抜け穴」を作って
そこを出入り口にしていたのです。時効ですが、深く反省しております。
まぁ、とんでもない行為ですが、おおらかな時代だったのですね。
きのうは、そういう悪ガキ時代の贖罪の気持ちを込めて
夫婦で800円の入園代金を支払って、謹んで入らせていただきました(笑)。

<写真は構内にあった「ハンカチの木」>

大徳寺龍源院石庭

龍安寺の石庭はあまりにも有名であり、
イギリスのエリザベス女王さんが絶賛されたことで
世界中のみなさんの東洋趣味を刺激したのでしょうね。
龍安寺には5〜6回くらいは行っておりますが、
いいというのはわかるのですが、
どうして心理にピッタリ来るのかは、今もってわかりません。
みんながいいというからいいと思うという、付和雷同的にいいのか、
それとも、なにやら奥深い演出を感じていいと思うのか、
もちろん、禅の修行もしたことがない、
一般的市井人でありますので、そのへんは曖昧模糊としています。
でもまぁ、虚無的で荘重感はたっぷり感じるので、
オリエンタルマジック的、アジア人としてのたしなみ的に好きなのでしょうか。

で、今回はこちらの石庭を見学です。
やはりいいですね。
で、やっぱり、なにがいいのかは不明です(笑)。
今回はおそるおそる、前から気になっていたことを京都の人に聞いてみました。
「あの、庭の石は毎日手入れするのでしょうか?」
っていう至極、不思議に思っている点。
そうしたらこんな答なのだそうです。

Q1、竜安寺といえば石庭ですが、その手入れは?
A、昔はここで修行していた修行僧が手入れしていましたが今はいないため、主に
住職が一人で手入れしています。ただ、秋など落ち葉がひどい時などは他の職員
がフォローします。紋は1週間~10日くらいの間隔で引き直しています。あの
砂は実は10㎝くらいもあり多少の雨などではびくともしません。あと夏場など
は岩のまわりの苔が乾燥しないように朝と夕方に水をかけています。

そうか、10cmの深さならめったに草も生えては来ない。
ということは、石庭って、そういうメンテナンスとデザイン的側面から
禅によって選択されたものだったのかも?

まぁ、ちょっと手に負えないですね(笑)。
この手のデザインには無抵抗でいる方がいいでしょうね(笑)。

投手が頑張っている日ハム

きのうもわがチーム、5連続完封勝ちしております。
これでプロ野球タイ記録なんだそうで、投手陣、すごい頑張っている。

▽5月28日・広島戦(札幌ドーム)
広島 00000000000=0
ハム 00000000001=1
吉川-榊原-宮西-増井-○武田久
▽5月29日・広島戦(札幌ドーム)
広島 000000000=0
ハム 00001000×=1
○武田勝-増井-S武田久
▽5月31日・阪神戦(札幌ドーム)
阪神 000000000=0
ハム 00020003×=5
○ウルフ-宮西-増井-武田久
▽6月1日・阪神戦(札幌ドーム)
阪神 000000000=0
ハム 00000001×=1
○ダルビッシュ
▽6月3日・ヤクルト戦(神宮)
ハム 004000410=9
ヤク 000000000=0
○ケッペル-谷元-石井
<※投手の前の○は勝利投手、Sはセーブ>

で、きのうは余裕の勝ち試合だったので、
最終回、どうするのかなぁと思っていたら、
別に記録を意識することなく、いつものような用兵で
こういう大勝パターンでの最終回投手役として
しばらく登板機会のなかった敗戦処理的(失礼)な役割の
石井投手が出てきていましたね。
こういうごく普通のやり方、いいなぁと思いました。
野球の監督の役割って、
よく攻撃の仕方に偏って論じられたりしますが、
一番大きいのはやはり投手を故障させずに、
選手生命を長く、上手に個性を生かして使っていく采配が
一番なのではないでしょうか?
いまの北海道日本ハム、ダルビッシュという絶対的なエースの慎重な使い方、
武田勝、ケッペル、ウルフといった投手の使い方でも
それぞれを上手に使っていると感じます。
決して無理をさせずに、
いわば長期戦略的に、戦いを進めていると思います。
短期決戦的な采配の派手さは決してないけれど、
戦っている選手たちには、自分の役割が明確でプレーしやすいのだろうなと
そんな風に思えますね。
外人投手が2人、模範的な姿勢でプレーしているのは
そういった管理方針がよく理解できるからなのかも知れません。
監督の仕事って、そういうことが一番大きいのでしょう。

さて、今シーズンも
ソフトバンクの強力ぶりがすごいし、
西武も地力を発揮しだした。ちょうど去年のわがチームのようで
どうも、こういう構図が見えてきたようですね。
そしてパの優位が固定化されてきているようにも思います。
10連勝もしたのに、2位と2ゲーム差って、
ソフトバンクも、気が抜けない展開になっています。
頑張れ、北海道日本ハムファイターズ!

<写真は北海道でしか見かけない、昇り藤の花>